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あぁ、そうなるよねぇ…。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 4月 5日(金)14時52分43秒
返信・引用 編集済
  結論から言うと、世の中は、そうか、うん、そうだ、実は正確に時間が流れて動いてる。
何を言ってるかと言うと、
『物事は、結果からしか評価できない。』
という事なんじゃないか。

応仁の乱、明治維新、等々、その真っ最中の時に、そんな言い方をしてるわけがなく、
後から出来事を見た時に、あれは、そういう状態だった、と、ほんの数秒前までも、
終わってから、それの評価をしてるにすぎない、のかな、って。
哲学どうの、そんな小難しい話、考える事を目的に考えてる連中とは違って、
仕組みがどうなってるのかだけ。

こんなナレーションがありました。
【マヤ文明は、それまでにあった文明の影響を受けず、
ゼロ(0)から作られた、第一次文明なのです。】

………「あぁ、そうなるよねぇ…。」

ゼロから始まってる、と最初は正確に数えてるのに、それが一次文明であると、
物事をイチから数え始まってる、ナレーション・解説が、話しながら瞬時に矛盾する現象。
しかし、矛盾しない解釈はないか考えてみた。
物事を、現在から振り返って評価した場合のみ、言い得る、そうか、と。

マヤ文明というものが、あったんじゃない。
過去を分析・評価した結果、「あれはマヤ文明だった」、という、ボリュームとして、
達成、満たされた、「1」の状態。
だから、こそ、だ、今年は恐らく、令和元年(1年)と、歴史に残るのでしょう。
だからこそ、ゼロの概念が正確なのだな、この令和1年、このマヤ文明の説明を
ちゃんと聞かせたい。
マヤ文明が終わったからこそ、あれはマヤ文明(1として達成されたもの)との過去評価。
まだ未達の、1年間が経ってもいないのに、今をすでに「1年」と言ってしまってる。
だからさ、わかり易い例でいうと、赤ちゃんも、一年経たなければ一歳って言わないよね?
未達・未満の“段階・過程”なのに、その先の事を勝手に結論付ける事が、
今年が入社1年目だの、入学したとたんに1年生だの、ある意味、人間は、
【見えているものを、過去から現在の達成物であるという認識を忘れて、
見えている“時点”のみで、評価をするから“錯覚”を起こしてしまう。】と思うのだ。

だって、俺は身長が160cmだとします。
どうやってそれがわかるのか、メジャーで0から換算して160cm、まで、で160cmという、
結果(過去)の評価をしているにすぎない。

地面に立っているとして、地面から換算したら、地面って0cmから換算始まるでしょ?
いきなり、地面から数える時に、1cmから数えるって事が、西暦1年から始まる、みたいなもの。
地面は0cmから数え始まるけど、家の階層で言うと、いきなり、ここは「1」階、
ここの地表は1から始まるのかよ、って。
どうカウントしても0から始まるんだよ。
 
 

「下人のゆくえは誰も知らない」羅生門

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 4月 4日(木)22時08分56秒
返信・引用
  悪さばかりしてた下人。ふと自分の中にある正義が発動する。
国語の授業に習った時には、芥川龍之介のオリジナルではない、最後の一文になったと。
元々は下人のその後の足取りまで詳細に書いてたのがオリジナル版で、
後の編集者が、その後、どうなったのか、あえて書かない方が余韻が残る、と判断されたとか。

…最近、録画してたドッキリ番組を見て【あれ?】と思う事がありました。

下衆な芸人は、表立って、その下衆さは見せず、圧倒的に許しがたい場面に遭遇した時、
こんなセリフを言っているのだ、奇妙な共通点だと思った、
『…人として、それはどうなの!????(震えるほどの怒りを理性で抑えつつ)』
これが、下人の、勘定ナシで湧きあがってきた正義が発動した場面と、かぶったのである。

その上で、その人を成す、「本質」は、実はなんにも変わってない、
フッと沸いた正義は、我を忘れる絶対的な正義、しかし、我に返ると、
そんな格好良さはもうどこにもなくなる。

ホント、【正義】というものは、理論的な正しさではなく、
自分の生理的な嫌悪感が圧倒的な場面で発動されるものだな、と、思った。
だからこそ、「人としてどうなのか」というセリフになる。
人としてどうなのか、人のあり方、という自分の思う価値観に合う、合わないだけで
断罪してしまっているので、それは“理論ではない”からだ。

下人のゆくえは、誰も気づかない、下人は、正義という名の、誰もがもっているもので、
盲目に発動される時に、下人は正義になり、理論は正義に凌辱される、
こんな、恰好よさげなオチをつけて、下人(俺)は、背中を見せたフリして書き終える。
 

特許・著作、似て非なるもの。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 4月 3日(水)17時25分18秒
返信・引用
  似て非なる、という言葉は、【似てるけど、異なる】、なのだけど、
「似非(エセ)」と熟語にしたとたん、『インチキ』という意味にさせられる。
…でも両者では、全・然・意・味・が・違・う!!
その違いのわからない人間が何かを論じる資格がなくとも、論じる事は法規制されてないので、
そういう事じゃない、って事を理解できる能力がないまま、「どこが違う。同じだろ。」
…まるで、ことわざの「ブタに真珠」頭、なのだけど、賢いけどバカ、な人間が、
ここまで緻密に正確に射抜いてる論点に、その重大な価値に、まるで鈍感、福祉の阻害要因。

最近、元号が発表され、その出典が万葉集にあるとの事。
当時は「ひらがな」の黎(れい)明期であり、ある意味、ひらがなを発明した人にも
特許って発生してもおかしくない。
女子高生の話し言葉も、しばしば社会に入ってきて、「超、何々」みたいな、
すっかり語彙として一般に浸透してるものもある。
「あれを言い出したのは私だ。」って人が、きっと事故・病死してなければ存命中のはずだ。

この書き出しの題名通りでは、言い表せないので、別の論点になる。
特許をハード(実態のある発明品)、著作をソフト(組み合わせによる新しいもの)、
と定義してみた場合、そのどれにも当てはまらない事があるな、と、書く前から思い至り…。

みんなが、当たり前と思って使ったり、話したり、口ずさんだり、それらは、
先人たちの発明・概念の上に、利用させてもらってるだけ、という、
前提としての共通認識がなければ、この手の話を理解するのは不可能だと思われる。

そもそも楽曲で著作権を主張するのは、音符の組み合わせの改変で新曲、新しい物、
との事ならば、それは譜面から、音程をひとつ動かすだけで、著作が発生してしまう。
俺が言いたいのは、その旋律が、どう新しいのか、どう感情に訴えるのか、
それが曲を通しての全体の『概念』なのか、一部のこの部分の『概念』なのか、
曲、それ自体が著作なのではなく、それが新しい概念なのか、こそが著作だと思うのだ。
人の心に与える印象、という事でいいかもしれない。
文学であるなら、シチュエーション、概略図、相関関係でもいい、
敵と思ってたら、自分の行き分かれた父だった、は著作だけど、それが母だった、だけでは、
ダメで、それが母だと、父の場合との違い、までを理論的に説明できたら著作、になるべき。

(※これらは、俺の、合理的な思考で話してるので、実態の審査では、
非常に歯がゆい、正しい事しか言ってないのに、それを理解する頭が相手にあるかどうか、
が発生してしまうため、なんとも、なんていうか。)

著作は、著作、でいいけれど、『公共の福祉』として考えると、俺は、
【特許】の方が、よほど恩恵に寄与すると考える。
その特許なのだけど、ハード面だけでは、まるでダメだと思うのだ。
特許庁が、特許出願を受け付け、審査が入り、許可・却下、までの流れ、
それ(過程)が、ブラックボックスであったり、どれだけの知見があるのか、
価値があると判断できるのか、裁判官と同等の事を実はやっている、
でも、どちらにも共通するのは、裁判官も特許審査の人間も『価値・正しさ』の判断において、
人間であるのだから、あまり偉そうにするな、公共的であれ、と言いたいのである。
お前らの限られた価値判断が、誰からも支持されると思うな、
イチャモンではなく、見落としや、理論を正しく理解できてないかもしれない事まで排し、
断定調に物事をいうのは、よほどの理論をもって、【反証されなければ】、
持ち込んだ理論に対して、合否をつけるだけでは、理論的な反論、説明になっておらず、
なぜ、何がどうダメなのか、って事である。

2つ前の書き込みで、俺の歯がゆさを書いた。
特許の問題は、【発明】しかないのが問題だと思う。
『新しい発見』だと、特許は認定されず、【組み合わせを考えただけで、誰でも思いつく。】
と断罪されてしまうのが、今の特許のシステムなのだと最近知った。
バカじゃねーのか、と俺は思う。
その組み合わせの発見、じゃあ誰でも思いつくなら、テメーは思いついたのか、
「その発想はなかった」、「そういうものは当たり前と思ってたけど、意外となかった」、
な事って、福祉になるのに、誰もやれてない事の指摘、概念の説明なら、
利益に資するに有効と判定される判断基準も、判定概念に盛り込まれるべき、だと思う。

これがやり方の問題もはらむ、という問題も、みんなが見て見ぬふり。
例えば青色LEDを発明した人はノーベル賞をとったが、会社内の発明にされてしまってた。
それがどれだけ偉大な発明につながってるか、今日のLED照明は存在してない。
新しい発見だ、の、『報告先』次第によって、同じ概念説明であるのに、
評価が違ってしまい、多くが却下案件なら、最後の砦は、特許庁しかないのに、
「組み合わせなら、誰でも思いつく」では、そんな価値しかないのか、
かなりの精度をもって判断されなければ、偉大さに気づいてあげられる事なく、
いつのまにか、社会インフラになってたら、それは人間・人格を社会的に抹殺したに等しい。
人権の話ではない、人権など最低限度の当たり前の保障にすぎない、
そんなものは踏まえた上で、「この人は、新しい事を言っている」という価値の事だ。

新しい、とは、社会的に利用されると、公共的にも、
全体の文化水準が向上する事も含まれるべきだ。

P2P(Peer to Peer)という技術を用いて、サーバーにデータを置く事なく、
直接にデータをやりとりするソフト、Winnyが著作違反だと目の敵にされた。
その作者はすでに若くして病死してしまった。
ノーベル賞級の発明であったし、偉大な特許案件だと思う。
俺はチ○ンコ国製アプリのL*NEは気持ち悪くて使ってないが、
あのデータ転送は、P2PというWinnyの技術を、ちゃっかり、しっかりと、使って達成されてる。
俺は許せないし、故人も許せないまま、当たり前にみんなに使われてる技術なんだ。
なんて書くと、俺もWinny利用者かと思われるだろうが、そもそもWinnyは、
通信技術を理解できてないと、一般個人が手を出すには敷居が高すぎたはず、
何々を開放するのどうの、よくわかってない素人が手を出して、
その開放によって、自分の個人データが流出、なんてのも問題になった。
……で、だよ、……で、なんですよ、この論点の見抜き方とかの話なんですよ。
Winnyが悪いんじゃなくて、それを利用する人たちが、違法行為をしてた事が問題なのに、
「あれは悪いものだ」と断罪して、それで話を終わりにして、それ以上考えないで、
それって、違法薬物と呼ばれるものを、「違法だから悪い物だ」で話が終わっちゃう的な、
なぜそれが違法、という法律的に禁止されてるのか、合理的な説明を受けた人や、
説明をできる人がちゃんといるのか、なんでか違法、法治国家だから法律に従う、
そうなのだけど、なんで違法と認定されたのかの手続き過程、どう危険、害悪なのか、
その説明もないままの法治国家なのでは、君主制国家と、本質的に変わってないじゃないか。
「それはそういうものだから」なのだろう? 生きるには楽だ、それに従ってれば目を
つけられない。

ゼロの概念もまた、あれは【発見】であったと思う。
物理的、科学的に言えば、自然界・摂理的に、元々あったもので、「自分が発明した」
ってのは、自然側からみれば「発見も何も、元々いました。アンタら気づいてなかっただけ。」
でしかない、なんて話は、新大陸発見と理論が同じだよね、
元々あったんですけど、見つけてくれてなかっただけじゃん、どころか、
そもそも先住民いましたけど、まで含まれて来ると、もっとダサイ状況なわけだ。
そうだとしても、元々確かにあったけど、それが、【公共の福祉】になる、
『使われ方、使い方の概念の発見・発明』となれば、これは特許になるべきだ、
ゼロの概念もまた、誰かが思いついた、気づいたんだ、…俺は個人的に、
どうも世の中で教えられてる数字を駆使してるだけでは、説明がつかない事で悩まされ、
ゼロというものを、「ある」「ない」ではなく、そこを指し示すが見えないもの、
と定義したとき、確かにゼロが存在している、と自分で気づいたが、
この偉大さは、自分で飲み込むしかないのだ、自分で自分に達成したことだ、
教わってなんていないことだ。。。。くやしてけど、そんなものは、
偉大な人たちの前では、とっくに当たり前で新しくもない、だとしても、
そんな立場の人たちは、自分たちはわかってるけど、広める努力をしてるのか、
より平易に、当たり前の生活に根ざすような構造を作っているのか、
もしないのなら、その構造、インフラ整備を作れれば、それは、
ゼロの概念とは何か、の特許になるはずだ。
俺ができる事は、掲示板に思考過程と証明を書き残す事で、
その書いた年月日が、確かに履歴で残っているので、それだけが自分で考えた履歴の証明。

最近、和歌山県の龍神温泉に行きました。
山あり谷ありの道を、車で走って。
すると、「標高何メートル」だの「海抜何メートル」だのの表記を見たりします。
俺の家は、ハイツの2階にあります。
…2階、、、ここが2階なら、下の階は1階って事になります。
仮に、地面から換算して、ここの床の高さが3メートルだとします。
起算した地面って、何メートルですか? 巻き尺の始まりって、0から始まってませんか?
…そうなのよ、よくよく考えたら、標高何メートル、そのカウントって、
1から始まってるじゃない、0からカウントを正確にしてる。
…のであるから、1階というフロアは、1から始まってしまってる、1階の下があるなら、
そこは地下1階(-1)と呼ばれるものの、ゼロの概念がないと、まるで屁理屈にしか
聞こえないのだと思います、そして、物事をどうにも1からしか考えられない人たちが、
ゼロという、圧倒的な発見されている文明社会において、原始的な文明水準にいる事にも
恥ずかしさも感じないまま、それでも生活ができてしまってる、許してしまってる世の中。
西暦に0年は存在しないと、俺は強弁を、インテリさんにこの掲示板でコカれました。
西暦は1年から、というので、紀元前は何年から始まるのか聞いたら、
紀元前1年からだというので、それって、11の前の数字は、9だ、と言ってるようなもの、
なのに、わかっちゃくれないんだな、これが。
10はどこにいったんだ、10は、って一生懸命、俺は誰からも教わらずに質問してるのに、
「そういうもの」の一点張りか「私はこれで困ってませんので」、
お前は困ってなくても、俺は困ってる、気づかない幸せの中では生きてられないのは、
俺の都合だ、テメーの都合で俺を断罪するな、を、俺は丁寧に話しましたが。
 

聞き慣れ、使い慣れは怖いな~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 4月 3日(水)10時05分15秒
返信・引用 編集済
  元々ただしく使えてた言葉が、使えなくなってる時にショックを受けたりする。
自分責任だけではなく、あまりに間違われた使い方のシャワーを浴び続けると、
元々なんだったっけか、どっちだっけか、がわからなくなる事がある。

例えばネットで書き込みされる、
「そのとうり」「どおりで、何々と思ったは」「何々なのでわ?」
……んんんっ??? と、きっと小学生の俺がこんな言葉目にしたら気持ち悪がったろうが、
あまりにこんなに間違われると、元々がなんだったかわからなくなる。
【その通り】【どうりで、何々と思ったわ】【何々なのでは?】が正解だよぉ、まったく。。。
逆にインテリ評論家にも困ったもので、数学ばっかり勉強してきた若手教授が
TVで自分の手書きでフリップを見せた漢字で、「機」の漢字が正しく書けてない。
略したとか、ハネの位置が、とかのレベルじゃなく、本当に書けてない。
文字のディテール、認識できてる文字の解像度が低いのがわかる。

そんな俺も、毎日自分のキーボードに自分で慣れすぎて、ここ数年、
誤入力が増えてきて、これは悩みだったりする。
キーの位置って、以前は、どこに何があるかを意識しながら入力していたから、
キー配列と文字を一致させて答えられたが、今は無意識で入力慣れしすぎて、
どこになんの文字があるか即答できない、叩いてみてから「そこには何の文字があるはず」と、
アクションが先で、叩いてみた動作をしてみないと、全く頭にキー配列の文字が
浮かばなくなってしまった。
反射行動に脳の記憶が移ってしまったんだろうな、…までは想像できます。
問題なのは、その反射行動が正確ならいいが、エラー入力が増えてきて、
元々の文字の位置があやふやになってきたのだ。

慣れてるから大丈夫、なんてどころか、劣化される記憶ってあるんだな、と、
毎日やってる事のはずなのに…、自分に警戒していかなきゃいけないのだわ。
たまに意識して考えなくなってる記号化されたものは、点検に迫られる。

最近、薬と食料品を扱ってるお店に行って、ハッとさせられた事がある。

皆様、普通の言い回しだと、こんな事になってませんか?
「万引きは、立派な犯罪です!!!」みたいな警告文なり。
…これって、皮肉としての文章なんだよね、こういう言い回し、日常会話に根付いてる。
皮肉、なのだから、そもそもの正しい言い回しがあるわけなんだよね。

犯罪が立派なわけないのだから、犯罪が立派じゃないのだから、、、、アレレ?
気持ち悪い、
「元々、正しい方を知っていたし、使えていたのに、自分の中から言葉が消えてる。」
それで、そのお店に行った時に、光が差したわけ、よくぞ俗語に振り回されなかったな、
【万引きは、れっきとした犯罪です。】

それだよ、それ、“れっきとした”って言い回しだよ、こっちだったよ、
なんでか「立派な」の皮肉に世の中、当たり前に切り替わってる。

皮肉ってのはさぁ、乱発すると、皮肉じゃねーだろうがよ。
わざと褒めたりする事で嫌味になるのに、受け取った相手が、変化に気づかなかったら、
嫌味や皮肉の効果なんて、全くなくなる、実際、皮肉言われてるって気づいてない、
まるで発達○害の空気読めない状態に、健常者がランク下げてしまってる、劣化してる。

俺はそういう意味で予言するけど、コンビニのトイレの
「いつも綺麗にご利用していただき、ありがとうございます。」の皮肉と脅迫文。
(※どうして皮肉と脅迫になっているか、説明すると長くなるよね。わかるよね。
理論的に、ナナメから攻撃しているわけですよ、感謝という、
誰も傷つかせないテイで、しっかり行動抑制を強いてる。)
真正の発達○害の人は、その言葉の意味を、額面通りでしか受け取れないわけです。
本当に感謝されてると思ってしまうわけです。
…なんだか、健常者も、いつのまにか、これが皮肉や脅迫してるって、
気づかなくなるようになるような気がするんだ。。。
 

ないなら、作るしかないんだ。でも…。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 4月 2日(火)21時24分53秒
返信・引用
  アイデアは浮かんでも、具現化できる能力がない。

『電子書籍』なるもの、単語だけは有名になったものの、
何度か触れてますが、俺がそもそもPCを始めようと思ったきっかけが、
漫画の単行本、自分の目はふたつ、視野角も決まってる。
じゃあ画面の前に表示されるものを読めば、物理的に部屋を占有させずに済む、
その方法は、PCでスキャンして、PCの画面だけで漫画を読めるようにすればいいのではないか、
そもそもを言うと、「コンパクトに片づけたい」、今でいうなら、ミニマリストの先駆者か。

…奈良に来てから、恐らく2003年くらいに、オンラインの口座を開設しました。
正確には、ATMに行く手間が鬱陶しかったんですね、家の近くにATMがない、
口座を開いた実店舗が、以前勤めてた会社の近くで開設してしまったものだから。
その実店舗の情報で、PC画面上で通帳管理ができれば便利だなって、思ったんですね。
実際、PC画面に、自分の情報と残高が、手持ちの通帳と完全にリンクした情報だったので、
感動したんですけど、…んっ、…んんっ、この不便さ、アレだ、あれ、
「せっかくATMと全く同じ操作が自宅のPC上でできるようになったのに、
現金の引き出しができない、、、目の前に、確かに残高もある、ATMと同じ操作もできる、
でも、PC本体から現金が出てくるわけじゃない、むむむむ、なんともはがゆい。」

そんなの当たり前じゃん、バカじゃねーの?
と、思った人、それが「俺のアイデア」だったりする。
Amazonが、今は世界的に席巻しているわけですが、俺はそんなアイデアはありました。
だって、なんでわざわざ実店舗に出向いて、出向いてから、
「在庫がありません、取り寄せです。」「そういった商品は取り扱っておりません。」
だったら、オンライン上で、そもそも、店舗陳列による、
店員確保も、証明・空調・店舗の賃料も必要なく、物流の状態から発注できれば、
それらの問屋代的な中抜きも必要なく、直接にメーカーの原価近くに買えないものか、
今でもそれはまだ余地があるのが、自動車ディーラーで、
メーカーが、販売店を通して車両販売をするものだから、その販売店の維持費、
店員・社員の人件費が車両価格に乗ってしまう、欲しい車両、グレード、
それをメーカーの販売原価で手に入れたいくらいなのですわ、
販売店は、ただの受け渡し場所でよく、正確には販売店ではなく、
自動車メーカー直轄の、出先整備工場で十分だと思うのですよ。
任意保険販売とかもありましょうが、これもちょっとの知恵で、
俺は人任せにせず、ネット保険に切り替えたら、半額ですわ、同じ保険会社なのよ?
要するに、自動車販売店には、コンシェルジュとでもいおうか、
なんか保険の勉強した資格もった奴が、説明、手続きの代行をする、
その人件費が保険料金に乗ってるって考えて、だいたい間違ってないはず。
ところがオンラインなら、自分で必要事項・希望する補償内容を選択するだけで、
全く、代行してもらう前と同じクオリティーで保険を受けられる状態です。

で、さっきのオンライン口座なのだけど、せっかくPC画面にATMと同じ操作画面が出るのに、
現金だけが引き出せないジレンマ、、、これを解決する手段、ヒントに、
【電子マネー】があると思うのです。
これだけ言っては、何を言ってるのか、斬新さが全くない、電子マネーだろ?知ってるよ、
で終わっちゃうのですけど、そうじゃあない。

この電子マネーに使われてるのが、Felicaという、ソニーが特許もってる通信手段。
実はこのFelica、PCで使えるのです。
例えば、有名なSuicaというJR東日本の電子マネー、PC上でUSB接続のFelica端末で、
Suicaカードにチャージできるんです。
しかし、その為には、クレジット契約どうちゃら、現金でチャージしない場合、
そういう、さっきの流通の問屋じゃないけど、鬱陶しいバッファ(間)が発生。
…つまり、俺が言いたいのは、政府が、日本銀行券の【円】の、
電子マネーを、ちっとも作ってくれない、でもキャッシュレスは進めたい、
バカじゃねーのかと思うものですから、
だったら銀行直轄の電子マネーを、銀行が、保証をもって、
「これは当行が、日本銀行券と対価であると認定したものです。」
という動きになれば、PCから現金が出てこなくても、例えばFelica対応のスマホに
そのままPC上でATMと同じ画面で、物理的に発行が必要な現金は無理でも、
電子的に管理された、現金と等価のものを、PCから引き出しができる、って事になるじゃん。

じゃあ、そういうシステムを作りたいよ、と、思っても、俺にはその能力がないんだわ…。
 

追記・訂正

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月28日(木)14時56分18秒
返信・引用
  下の書き込みで誤字訂正済み。
それと、マンモスの話をしてたけど、ガーッと書いてたのもあり、説明が間違えてる。
その説明通りだと40℃のお湯と40℃のお湯を足したら80℃のお湯になっちゃう、わけないのに、
あり得ない理論的な間違いがあります。
どういう仕組みだったかねぇ、何かで読んだ時はなるほどと納得してたけど。

40℃のお湯と40℃のお湯を足したら、足された分だけ増えた40℃のお湯ができるだけ、
米国と日本のハーフの子供と同ハーフの子供が子孫を残しても、ハーフにしかならない、はず。

でも分数じゃこれを表現できない。
加減乗除、いづれをやっても正解じゃない。
1/2+1/2=【1】 1/2-1/2=【0】 1/2*1/2=【1/4】 1/2/1/2=【1】

1/2と1/2を掛け合わせた結果が、1/2になるためには、計算でなく1/2自体がすでに解って事か。
40℃+40℃=40℃ と同様に。


下記の【答え】なんじゃないか、の追記。
最近、やっとプリペイドを、家計簿として、どうやって処理したらいいか見えてきた。
俺の答えはこう。
現金をすでに、換金不可能にされてる時点で、「費用発生」とみる。
さも、使ってないだけのお金が、別のカタチに変わってるように見えるけど、
それを扱ってる会社なり、概念が破綻したら、その変換された現金は
戻ってこねぇわけだぜ、だから、さもカタチを「代えて」るようだけど、
「換えて」しまってる。

例えばこんな処理してます。
プリペイド5,000円。→費用として計上。もうお金つかってしまったよ、扱い。
明確に費目のあるものを、プリペイドから購入した場合、例えば1,000円分。
そしたら俺の家計簿には、明確にわかる費目1,000円の出費。(何買ったかわかるでしょ)
このままだと、費用が6,000出てしまってる状態なので、俺の独自概念ですが、
『プリペイド払い打消し』なるものを【収入】として計上。
つまり、プリペイド(なくなった現金)から1,000円戻ってきた、という扱いにする。
6,000円出費してる状態だけど、1,000円戻ってきてるので、実際は5,000円の出費。
つまり、【プリペイド額=プリペイドで購入した総出費】の関係が維持される。
しかも、単純に何買ったかの費目も履歴で残せる、これは我ながら名案だわ。
ふがふが。

だから、社会での、【いきづらさ】ってのは、人間関係どうの、境遇がどうの、
…じゃ、ねーーーんだぜ、頭が使えればこそ、何かの困難に直面した時に自力で工夫、
「なんでコレがないのか」「なんでこういう仕組みになってないのか」
…ならば、自分で作ってしまえ、もうお前らに任せてられない、誰も教えてくれない、
といいますか、だから、のために勉強って大事なんだよな。
その教えてる勉強が、てんで社会で戦える学術ではなく、やり方を教えるものだから、
考える時間は、考えてしまった時間は、もうどんどん授業は進んでいき、「遅れ」となる。
だから、ここでいう勉強っていうのは、学歴の為じゃなく、実践的な、
後で趣味で好きにやればいい項目まで一般教養の名のもとに、時間を割いてくるな、って話。
骨組みだけ無機質に理解できてれば、十分だと思うんだよ、一般教養(知識)は。
実際そうじゃん、偉そうに知識人が話してる事って、何かに書いてある事を
自分の言葉じゃないくせに、さも自分で話してるかのように、歩くまとめサイト状態じゃん。
点と線だけのものに、肉付けや、さらなる展開の為の新しい点に分岐するのか、
そういう概念というか、なんにゃららら。。。
 

ある程度、【答え】がみえてきたもの。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月28日(木)11時41分48秒
返信・引用 編集済
  色々、昔から書き込みしてますが、直近の悩みから、少し(いくつか)、
【答え】なんじゃないか、と見えてきたものを。
要するに、勉強とは、なぜするのか、社会で生きていくために必要でないものは、
『趣味』で十分であるのに、戦うための物の考え方や、なぜ必要なのかの、
過程を、決して教えるのは、「答え(or 数学の公式的なもの。)」ではなく、
なぜそうなるのか、の、延々と思考の場が必要なのだと思う。
そういうものを土台とした、かなりの水準同士であるなら、議論も深まるし、
世の中、お互いが、そういう部分を経てるので、話が建設的で、しかも言ってる意味も
伝わりやすかったり、…今の世の中は、イコールコンディションで話してない人同士で
争いが絶えないばかりか、同じ考えがイコールコンディションではなく、
なぜその考えになるのか、の思考過程も怪しいまま、「それを信じてる」などという、
なんかしらの、思想ありき、のような、イコールだから、その人たち同士なら
建設的な議論になる、っていうのより、そのイコールは正しいのかよ、とかの。

要するに、【理論】のない話がまかり通る、賢く、理路整然と間違う感じ、
矛盾がなくとも、理路整然と話す事はできる、…そんな人たちは、
割り算でいうなら、割り切れてる数字だけで議論してて、小数点以下の話を
ちっともしないから、割り切れてる部分だけで話すものだから、そりゃ話は回る、
矛盾もない、でも、前提として論理破綻という土台の上で、理論ゴッコしてるなら、
それは、いかに高度で難解な話をしようとも、前提、またはその話てる論点が、
愕然とするほど幼稚で、短絡的な、難しい事なく実は簡単な部分で決定的に間違えてるのに。

(※以上、本でありそうな「はじめに」的な部分でした。)

余計な横道から入るから、いつも本題に行く前に疲れ果てる。

【理論】とは、「~である場合もある」し、「~ではない場合もある」、
という事を明確に頭の中で分解できる思考力の存在の事だと思う。
だから、教鞭や強弁や、説明や説得や、会話や議論や、それらが存在していても、
『その話に、【理論】は存在しているのか。』とは、まっっったく別の話、
…という事を見抜ける事もまた、理論がある、という話。
理論がなくとも、議論ができてしまう、ゴッコはできてしまう、という事と、
それを本番であると思い込んで熱心に研究したりして、でも理論がなくてもできちゃう、
………と、また横道にそれだしたので、「撃ちカタ、やめいっ。」

生きていくうえで、正しく矛盾を感じたり、数え方で困ったな、って時に、
どうやってそれを乗り越えられるか、それこそが【理論】【思考力】である。
だ・か・ら、「生きづらさを感じる」とか、「弱者に寄り添う」とか、
そ・こ・じゃ・ね----------んだよ!!!!
バカで困ってるのに、賢いばかに、つきまとわれるのは、お前の経歴・成果のためだろうが。
こっちには来ないでという前提をかくして、そこで飼い置く、手なづけけておく、
管理下(アンダーコントロール)、にしておくための、まったくもって、その人を
尊重していないのに、やれ人権が、やれ、いきなり過酷さつきつけて、
恐怖を与えて、世の中甘くないだの、弱者だからって甘えないでとか、みんな苦労してる、
的な、みんなと、こっちの問題の共通項を、勝手にジョイントさせられて、
それもまた、間違った単純化・間違ったものの考え方・だから、いくら「違う」と
訴えても、自分より下に見てるものだから、話を聞こうとしない、「ハイハイ」と、
薄気味悪い、心のない笑みを浮かべてバカにするのが、弱者ビジネスですよよよん。
再度、「撃ち方、やめ。」

………で、そんなに大した話ではないものの、自分の限られた生活で、
誰からも与えられてないけど、自分なりに困った事で考えるしかなくなって、
それなりに、【答え】が見いだせたものがあるので、書き記したい。
で、ここに理論がない人が読むと、すごく額面通りに小さくしか読み解けない問題が、
発生する、という予言だけしておきます。
確かに、小さな考え方なのだけど、これは応用的に、多方面の考え方に適用できる、
という想像力があるのか、ないのか、の学歴とか関係ない部分の、人間的な差。

最近の書き込みで「大は小を兼ねない」という事を書いていた。
この(今回の)書き込みをしようと思ったのが、さっきトイレに行ってる途中で、
「あ…」とブツブツ気づいた事があったので、その気づきが、俺を動かして、
キーボードのキーを熱く叩いてる。

こういう事なのではないか、という【答え】に近いものが見えた。

世の中に、「平均」という考え方がある。これが『大』なんじゃないか、と思った。
具体的な事例を挙げるとイメージがし易い。
車のタイヤっていうのは、偏摩耗(どこか、偏ってすり減ってしまってる状態)を起こすと、
そのタイヤ1本が、まるまる使えない、という、性能を発揮できない、という
状態に陥る。
これが「平均」の概念を使うと、タイヤが均一に摩耗すると、
『全体』において、“都合がいい”のである、偏りがないので、バランスよく寿命を迎える、
つ・ま・り、「タイヤ」という、大きな『成型物』、大きなかたまりにおいて、
みんなで、いっせーのせ、で、寿命が来ることが望まれているのだ。

これが【『平均』に隠されてる本質】なのではないか、と思いました。

ところが、日々の、私の下着やらジーパンですけど、洗濯するたびに摩耗します。
繊維がすり減ります。
これらも、タイヤのように、どこか一か所でも穴が開いたりしたら、
役目を果たせないので、平均と本質は似ています、……が、決定的な違いを説明します。
私は、すり減る事が確定しているものだから、数着、同じものを購入して、
毎日、毎日、洗う順番を自分なりに決めて、守ってきました。
と・こ・ろ・が、バカな私は、途中で開眼してしまいました。
「ダメになる時に、全部ダメになるじゃん!!!!平均的に全部ダメになるじゃん!!!」

つまり、全部に手をつけてしまってるので、『新品』がひとつもない状態です。
ダメになったので、また買い足そうと、お店に出向くとして、
すでにすり減った下着、肌が透けてみえるほどのTシャツ・靴下、これで
人前に対峙する事になります。
どれほどダメになったかの比較物も手元にない、全部ダメだから、元がわからない。
劣化前を着て、人前に出る手段も完全に断たれる。
言ってる意味、わかるでしょうか。
そこまで落ちぶれても、唯一回避する方法が、通販購入で宅急便で送ってもらう、
最小限度の他者とのハンコ押すだけの時間で、裸だけはさらさずに済む状況。

靴下、Tシャツ、パンツ、それらは【小】として考えるべきものなのだ。
どういう事かというと、靴下5足、Tシャツ5枚、パンツ5枚、と、
これを一週間の洗濯のサイクルで、順番に洗う行為こそが、『平均』をやらかす事になるが、
この「5枚」という部分を、【大】として扱った事が、最大の間違いなのだ。
それぞれが、1枚、1枚、1枚…、の【小】として成立できているものなのだ。
例えば、旅行に行く、旅行先で洗濯はできない、わけわからん洗濯機で洗いたくない、
ならば、数枚持参して旅先に出向く、この時に、「小が大を兼ねる」のだ。
1枚1枚…だったのものが、5枚まとまったもの、という大になる。
しかし普段は、【小】とは、みんな、全体、平均、とは分けられるべき存在で、
みんなの為に、【小(or「個」とも言える!!!)】が、そんな彼らの動きに
付き合わされて、もっと別の生き方があったのに、誰かの都合に付き合わされて、
その誰かは責任も取らない、相手の時間を自分たちに使わせているのだ、
という、時間は不可逆なもので、取返しがつかないという事の重大性にも意味の価値が低い。

(ちょっと【答え】という趣旨なので、ある程度断定的に書いてますが、
確定の意味あいでは書いてないです。しかし、そこらのインテリより答えに近づいてると、
自分では考えてます。~の場合はないのかどうか、は常に監視してます、自分の考えに。)

長くなりますが、自分で、実用段階になった【答え】を続けます。
こういう趣旨です、私のいう答え、というのは。
自分で困った事を、自分で解決するための、ものの考え方ややり方。
最近ではゼロの概念もそうです。
…あ、ついでなので、これにも触れます。
『元号』が新しく、まもなくなるようですが、間違いなく、その年は、
“○○元年”という言い方をするに違いありません。
昭和から平成になった時も、「平成元年」でした。
ところが、翌年は、「平成二年」なのでした。
これもまたゼロの概念がないんです。
赤ちゃんは、生まれてから生後何か月、というものを過ごし、1年間経った時点で、
「一歳」となります、それ以前は、まだ「0歳と何カ月」なわけでね1年未満な過渡期です。
だけど、きっとまた、新しい元号になったら、いきなり1年と言うのだと思います。
昭和63年、昭和64年(昭和天皇崩御)、→平成1(元)年、、、、んんんっ?
と、中学生だった私は思ったものです。
感覚としてまして、例えば、37、38、39、と数えてきてて、
正確な公的な言い方として昭和63年→昭和64年(年とかの単位未満)→平成1年になるのですが、
これがまるで、…38、39、「次は40」って誰もが思うのに、違うんですよね?
「1」から始まるのをい・つ・ま・で・経ってもやめない、数学的に間違えているのに、
だから…「38」「39」→「41」といきなり言われる感覚に似てるのだと思います。
「え?40は?ゼロから始まらないから、いきなり、39の次は41からカウント開始?」
こういう気持ち悪さが、昭和から平成に切り替わった時に起きていた事だと思うのです。
また、そうなっちゃうんだろうねぇ。。。
つまり、日付ってのはさぁ、「間」の事じゃないんだよ、みんな「間」の事を言ってる。
本当は、日付を区切ってる線の事を言えば、すべての年月、日付の矛盾が解消するのに。
もし、暦が0月0日から始まってくれていれば、今が午前11時だとして、
【0日と11時間】と、“正確に”表現できる、非常に単純明快、混乱もしないものに。
24時間経ったところで、【0月1日と0時間0分0秒】とカウントされ、
翌日のまた11時なら、1日と11時間の時点、と正確に言い表す事ができる。
この~時間、という部分が「間」なのだけど、これを「日付の事」と言ってる、
その日の事だと勘違いしてる、、、そうではなくて、前日に1日経ってて、
その礎(いしずえ)からカウントされた、すでに1日は満了してて、そこから何時間経ってるか、
なので、その時点に置いては、まだ全然【2日】なんかじゃないって事が、
どうしてわかってもらえないのやら……。


ポイント・キャッシュバックの話もしたかった。
だって、こいつら、2%の還元が、なかなかの高還元、みたいに【プロパガンダ】してる。
でも、普通に商品って、セール期間とかあって、その時には、10%オフだの、
20%オフだの、50%オフだの、2%の還元がされるより、よほどお得に買い物ができる。
言ってみれば、例えば、1万円のプリペイド(電子マネー)をすると、5,000円貰える状態こそが、
本筋のキャッシュバック・ポイントである。
ところが、2%ご・と・き、が、高還元率とか言いやがる。
しかも、今回の買い物では適用されず、次回の買い物からポイントはご利用になれます、
みたいな言い方とか、…じゃなくて、
「次回からしか使えません」だろ、利用できる、などという、柔和な詭弁で騙すんだよな。
きっとね、お金の前提が間違ってるとか、俺は経済がわかってる人から批判されましょうが、
では、セールだと言って、2%オフの商品、「ナメてんのか?2%ぽっち、値引きに入らない。」
そう思いません?
例えは違うかもしれませんが、マンモスを現代によみがえらせる計画。
これの仕組みは、ゾウの卵子にマンモスのDNAを組み込むというもの。
それで生まれたゾウはマンモスとゾウのハーフ。
今度は、そのハーフ同士で子孫作る、これを延々と繰り返すと、
限りなくマンモス本来の姿になる、という試み。
でも、確定してる事として、「100%マンモスDNAになれない。ゾウDNA由来が消えない。」
何億年経っても、99.999…%どまりの、純度100%になれないマンモスしか作れない。
ポイントなんちゃらも、…なんていったらいいか、金の順番といったらいいか、
カラクリが、胡散臭さでいっぱい、やるのか、やらねーのか、が隠されてるんだよ。
この怪しさは、「現金に換金不可能」という、ポイントの性質が本性でしょ?
不可逆なのは、現金は共通なのに、それぞれの独自ポイント、通貨概念、で、
親和性をイコールで持たせないから、
「お前らさ、要するに、【日本銀行券(円立ての現金)】が欲しくて欲しくてたまらないのに、
さも、桃源郷かのように、甘い言葉で、自分たちにしか有効にならない決済方法にして、
囲い込みしてるだけだよな?違うというなら、なんで現金に戻せないのか、言ってみて?」
というか。

あと、不動産屋と証券会社とコンビニ本社の、卑怯な取り引き。
すべてに共通するのは『オーナー契約』、要するに、
話を持ちかける、不動産屋(あなたの土地でアパート経営しませんか)のオーナー契約、
証券会社の事実上のオーナー契約(お前の金で、運用してみれば?)
コンビニ本社(そこの売り上げから手数料とるし、潰れてもリスクはお前な?)

人の金(オーナー)で何かをやらせて、手数料も取られて、リスクが発生したら、
自分たちは金出してないので、ノーダメージ、こんな、アンフェアな商売、取り引き、
手を出すなよな、奴隷と一緒じゃん、派遣会社が跋扈(ばっこ)した時に、
「鵜飼いの鵜に自分たちからなるのか、やめろ」といくら言っても、
誰も聞く耳もたない、
「でも仕事しなかった食べていけない。」そんな思いをして仕事をしたのに、
その手取りから、派遣会社にぬかれてる(天引き)、この構造は、奴隷だろ?
就職先との契約じゃない、派遣会社に貢ぐための、方便としての出動要員、
「それでも食べていかないと…。」っていう、無限ループが、まさに、
「仕事なんて選ばなければいくらでもある。仕事を選り好みしてるんだろ。」発想。
これも洗脳というか、プロパガンダ、
こっちに来ちゃダメ、満たされてる私たちと同じ立場にはこさせない、
「みんな苦労してる(私はそれでも給料それなりにあるケドね♪)」と、
内訳を隠したまま、困ってる人を、さらに、そこに据え置くように仕向ける連中の話を、
まともに聞くなよ、食うに困ってるなら、みんなで生活保護申請と、
市役所、国会で、訴えればいいじゃんか。
いいかい、国鉄が民営化(JR)されて、税金で運営されてた組織が、
納税してくれる企業になったわけだ。
国としては、税金で養うくらいなら、正当(不当な中抜きのない)な契約で
仕事を求めてる人たちが増えた方が、納税額があがるだろ。

日本銀行券という分母は確定事項じゃないであるとか、タンス預金には
時限的な価値にして、明確な目的なく大金をため込むのは没収案件であるとか、
経済活動しない人たちの価値を下げる事がもとめられる。
逆にお金を使いたくてしょうがないのに、お金がない人たちの価値・信用があげられる、とか。
借金して返さない奴は、信用はさがる、中国では実際にやってるんだなこの信用ランク。
いいとかどうのというより、駆け足で書いてる。
この考え方は俺の確定された思想じゃない、思考の過程である。
 

「AFTER BURNER 2」 とか。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月22日(金)16時58分6秒
返信・引用
  もっとこうだったらな、自分ならこうするのにな、
僕の苦悩は、気づいたり、アイデアが出ても、それを具現化できる能力がない事です。

中学時代に、茨城県の水戸市のデパートの屋上にあるゲームセンターに、
いつもの、仕方なしの友達いないしの、一人で行き、そこで目にした
「AFTER BURNER 2」というゲームに鼻息が荒くなった。
上下左右に動くシート。
大学生と思われる人たちも群がって熱中していた。
スペルの読み方もわからない、英語も習ってたものの、「アフター、ブルネ?、バーナー?」

その後、SEGAからは、移植ゲームや、時を超えてアレンジ作品や、新作や、
どれもこれも、オリジナルを超えていない。
むしろ、どれもこれも、『根幹』の部分が完全に劣化していて、楽しくないのだ。

それぞれに評価はあるでしょうが、俺は自分が何に興奮していたのか、今気づいた。
1987年に初めて見た時、プレイした時の興奮は、音楽は、しかし何かもっと、の何か。

YouTubeのおかげで、当時の楽曲をアレンジしてくれてる人がいた。
と同時に、何に興奮していたのか気づいた、そして、何が後に続いたものに足りないのか、
『一気に変化するロール感だ!!!』
地平線と空が、左右に一気に変化する映像に興奮していたのだ、
目が回る感覚、スムースさではない、急ロールで、頭がグルグル回転する浮遊感、
レッドブル主催のエアレースというものがあるが、あのパイロットたちは、
まさにそういう操縦をしており、ロール、ピッチ、ヨーを巧みに操り、
三次元操縦をしている。
一気に急旋回するためには、一気に左右の向きが変わる、
なめらかにユッタリとじゃない、クイッ、クイッ、と頭の向きが、水平線に対して、
左90度、からの一気に180度傾けて右90度、そこで一気に操縦桿を引き下げ、急旋回、
……あぁ、自分にプログラム技術があれば、アイデア担当部門にでも入れる能力があれば、
それを具現化したい、例えていうなら、何に感動したのか、の『誇張』と言える。
何に感動したのか、何がよかったのか、の部分を、もっと大げさに、
わかりやすく、「これは…」「これだったのか」の、気持ちいいと感じたものを抽出し、
表現者になれたら、どんなに楽しかっただろう、僕にはその能力がないから。
だから、オリジナルを、時に、むしろしばしば、後の人たちが感化され、
オリジナルを手がけた人が気づいてない、その良さを、もしくは、
もっとこうすれば、深みやグルーヴ(ノリ・感情に訴えかけてくる本能的な気持ちよさ)、
そもそもオリジナルになかった、もっと、もっといい解釈、確かにソレなのに、
ソレを超えた感動を与えられるものが沢山ある。
 

おまけ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月14日(木)00時07分59秒
返信・引用 編集済
  「1000」の次の数字って、いくつですか?

『1001』ですか?

おかしい(変)です。
今が西暦1000年なら、次の年は1001年なんですか?
「コイツは頭がおかしい」と思うかもしれませんが、その指摘を論破します、ゼロの概念で。

ここに「1000円札」が1枚あります、次の数字は「1001」なんですか?
では、ここに「1000円札」が、もう1枚あります、全部で【2000円】です。
その「1000円札」と「1000円札」をくっつけて並べます。
1000の次の数字は1001と答えた人に聞きたいのですが、
「1000円札」と「1000円札」の間に、【1円玉】って、発生してますか?
【1000】と【1000】が隣り合っているのに、【2000円】を表現できるのです。
その隣り合った1000円札の間には、隙間はありません、1円とかの接続詞もありません。
1000円札は1枚で完結(終点)し、次の1000円札は、その1000円札から開始(始点)、
終点と始点は、同じ1000という地点を指し示し、そこに何かが見えるわけじゃない、
見えないけれど、ゼロが隠れてる。
「0円~1000円札(0基点)」→『1000円札(0基点)~1000円札(総額2000円=0基点)』→
『1000円札(総額2000円=0基点)~1000円札(総額3000円=0基点)』…このパターンでエンドレス。

つまり、次の数字を述べる時には、その直前の数字が必ず含まれていなければ
(重複=基点=ゼロ)
物事を考える時に、俺は矛盾が発生してしまい、混乱しました。
始まりと、その直前の終わりは、同じ事を言っていなければ、空白が発生してしまう。
空白とはゼロの事ではない、何もない事がゼロなのではない、
見えないけれど、確かにそこに、正確無比に存在するものがゼロだ。
 

ゼロアゲイン。(かずの数え方)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月13日(水)14時08分49秒
返信・引用
  あぁ、どこかに答えなんてあるんだろう。
俺は「答え」を教わるより、考えてる過程こそが、人生そのものだと思います。
だって「答え・やり方(それはそういうものだから)」は、それをなぞると、解決するので、
反射的な動きで済むわけです、頭を使う必要がない、動きとして、言葉として、
記号・テンプレート・アイコン的に、あてがうと、なんだか社会から浮かないで済みます。


昨晩、みかんに調べてもらったのですが、俺が頭を抱えてるゼロの概念は、
(※正確には、ゼロの概念ではなく、「世紀論争」)
16世紀の頃から続いているらしいのです、いまだに解決していないのだとか。
バカだなって思います。
俺が一人で考えてる事は、公的な問題にもなってなくて、個人攻撃を受けただけの、
俺が疑問に思ってた事を書いたら、「世の中はそうなってない」と、公的な解答により、
俺の思考の理由には目もくれられず、答えをあてがわれて、疑問を殺されそうになった。

下の書き込みの続きとして。
小学校1年生と、小学校6年生、
さて、小学校1年生は、何年後に、小学校6年生になれるんでしょうか?
何度考えたりシミュレーションしても、5年後に、
一般的に言われてる小学校6年生になりました。

1年後に、1年生を満了するから、それを見越して、「1年生」と言ってるのだとしたら、
6年生は、その先に6年目があるから、それを見越して「6年生」と言ってるのだとしたら、
今年は、2019年なわけですけど、この言い方、その換算が正しければ2019年なんですか?
1年後を見越して、先に「1年生(1年目)」と定義してるのであれば、
今年としての言い方は【2020年】って言うんじゃないんですか?

もちろん、上記の換算方法は、理論的におかしいだろうが、という指摘のうえで、
皮肉としての疑問の投げかけです。

赤ちゃん、不思議な事に、ここにはゼロの概念があるんです。
例えば、今日は13日なので、今日、産まれたとします。
明日のこの時間、赤ちゃんは生後、何日ですか?1日後なので、14日のこの時間で間違いない。
ところが、上記の換算でいうと、先の時間をあらかじめ定義してしまう換算でした。
ですよね?
つまり、13日に産まれたけれど、明日の14日を言わないと換算方法に矛盾します。
だから、13日に産まれた赤ちゃんの誕生日は14日って事、な・ん・で・す・よ・ね?(皮肉)
さらに、1年間を満了してもいないのに、「1年生」「入社1年目」と言うからには、
その赤ちゃんは、産まれたとたんに「1年生」つまり、【1歳】って事になるはずです。
そんなわけねーだろという話を、俺はずっとしてきたけれど、理解してくれる人がいない。
日常会話としても「ウチの子、まだ1歳じゃなくて、生後6カ月なの~♪」なんて会話、
フツーに聞きませんか?
1年経ってなければ、1歳じゃないって、ちゃんと自覚できてるわけです、
1年未満として、「まだ数か月」の“段階”です。

ゼロの概念を使うと、
産まれた日付、13日なら、それが起算日になるから、13日がゼロの始まりです。
13日の1日後なら、【0+1=1】
『※0(起算日の13日)+1日=1(翌日の14日) 』

ちなみに、西暦換算という、算数の足し算もできない、ゼロの概念もない
公的なプレッシャー集団によると、
産まれたとたんに、その赤ちゃんは【1歳】なんですよね?
西暦に0年は存在しないのだから、小学校は、まだ1年も経ってなくても1年生だし、
リンゴは1個から数えるし、リンゴが10個揃ったら、次のリンゴはいくつ?
【11個】だって言うんだよ、…もう頭がおかしくなるよ。

だから、【1~10】で10のかたまり、【11~20】で10のかたまり、【21~30】で10のかたまり、
……どこまでいっても、1から始まる、、、そのクセ、10だの20だの30だの、
ナマイキにも、『0』を使いやがる、その0の意味も理解できてないくせに、
カウントだけは、生意気にしやがる。
俺は、本当に子供の頃から不思議で不思議で不思議で、数え方にずっとコンプレックス。

左手と、右手、ピンポン玉をいくつはさめる?

左手には指5本、右手には指5本、とする。
すると、『8個』しかピンポン玉が挟めないんだな、コレが。
指は、全部で【10本もあるのに、8個しか間(ボリューム)がないんだ。】
ところが、これを9個はさめる方法がある。
左手と右手の小指の間に、もう1個はさむ(もしくは左手の親指と右手の親指の間)。
指が10本に対して、9個のピンポン玉をはさめた事になる。

さて次に、両方の手のひらをこちらに向けて、左手の親指から、順番に数えていくと、
1、2、3、4、5、と、全部で5本ある。

次に、右手を、左手の続きで小指から順番に数えていくと、
6、7、8、9、10、と、全部で5本ある。

………さて、質問です。
10÷2=って、いくつですか?つまり、10個の半分の数字です。
だ・れ・も・が、【5】って答えます。

俺は、小学校低学年の頃、算数が嫌いになりました、誰も俺を助けてくれない。
みんな頭がいいから、俺が頭が悪くて困ってる理由に、その理由にも気づいてくれない。
さっきの指の数え方を思い出してくださいな。
【5】って、どこのことでした?左手の小指でした。
両手のひらをこちらにむけて、その小指の【位置】なんですけど、
それ、『真ん中にありますか?』、むしろ、左手側に【5】があります、中心じゃないんです。
どうして、5を中心と言うのですか?どうして、5を、10の半分というのですか?

じゃあ聞きます、(低学年の俺が頭抱えてた事。算数で考えるのをやめた事。)
【6】って立場、どうしてくれるんですか?
指の位置関係を確認すれば、5は左側、6は右側に属してます。
どっちも、半分と半分の間に属してるはずなのに、10の半分は【5】だって言うんだ。
なんで左側の奴だけ5って言ってくれて、右手のこっちも、
“半分の5から始まるはずなのに”6から始まるんですか?

1~10の半分、それを真っ二つにする数字は、【5】のはずなのに、【5】が、
俺を、みんなからひとりぼっちにしたんだ。

さきほどの、左手の親指から数えてみると、1、2、3、…はい、ストップ。
そう、間違いです。
な~~~んで、数字をかぞえるときに、【1】から始まるんですか?
親指が1本あるから、1、人差し指が1本あるから次に、2、中指が1本あるから次に、3、
こ~~~~~~んな教わり方をしたら、【数字の概念が破綻するんだよ。】
こんなもんは、算数でも、数学でも、なんでもねぇ、ゼロの概念がなかったローマ時代の、
『見えるものだけを数える』という、未開人の文明を、なんでこの現代でも教えるんだよ、
この矛盾に、2000年以上も、何も誰も気づかなかったのかよ、改正しようと
しなかったのかよ。

さきほどのピンポン玉をはさむ話に戻ります。
左右の指10本を駆使して、横方向にピンポン玉をはさむためには、指の本数が10本に対して、
その間(ボリューム)は、9箇所しかない事が証明できました。
つまり、指は、1本、“いきなり”あるんじゃないんです、リンゴは、いきなり1個、
じゃないんです、
【目には見えてないけど、確かに存在しているものがある。それがゼロ。】

例えば、さきほどピンポン玉の挟み方、指をまっすぐではさんだけれど、
左手と、右手を、半円球状(弓のように)にして、両手を合わせたら【円】になります。
すると、左手と右手の小指、左手と右指の小指の『間』にピンポン玉をはさめます。
すると、指10本に対して、ピンポン玉が10個(間・ボリュームを表現できている)
はさめるようになります。
先ほどの方法だと、指が11本なければ、10個のピンポン玉ははさめませんでした。
これは何を意味しているのか、10本の指が、10個の間・ボリュームを作れる証明であり、
11本なくても、10個の間ができるという事は、【何かが、11本目の役目を果たしてる】
つまり、指が1本増えてないのに、11本と同じ事を達成できている、
これは、【何かが、重複して、同じ役割をはたしている】、
【同じ役割とは、始点と終点、数え始めと数え終わり、これを同時に兼ねてくれている。】
つまり、始まりと、終わりとは、【その場所を差し示す】のであり、
それをゼロと言うのだ。
重複して、見えなくなってしまってるけど、どうやらそこにゼロが隠れてる、
だから、リンゴを10個ずつのかたまりにする時に、
「1~10」「11~20」「21~30」なんて教えるから、、、教えるから、俺は頭を抱えたぜ。
【0~10】【10~20】【20~30】で、【】が、10個ずつのかたまりなんだぜ。
隣り合う数字は“重複して同じ数字になってるけど、増えてるわけじゃねーぜ、
始まり、終わり、それを指し示しているだけなんだぜ、ゼロっていうのは。”
まるで、数字が重なったら、間違いであるかのようなんだ、ゼロの概念のない数え方は。

ファイルの索引(インデックス)で、割り振りしようとして、
「No.1~No.10」 次のファイルが「No.11~No.20」なんて作業した事があって、
……「あれ?なんでいきなりNo.11~? No.10ってどこだ、つながってないのか?
なんで1から始まるんだ、数え始めるんだ、10-1=9だし、20-11=9だし、どうしたって、
10個のかたまりをつくりたいのに、1が足りなくなる、
『お前は、引き算もわからんのか。1個引くから、10からひとつ減るだろうが。
もし9なら、そもそも10個あったって、自分で証明してしまってるじゃねーか。』
…なんて事とか言われちゃうからね、黙っちゃうよね、小さな気持ちの疑問って、
圧倒的な正論ってさ、疑問に思うと、嫌がらせをうけたり、黙らせられちゃうから、
そんな思いをしたくないから、疑問を、信用できる人にしか、言いたくないんだ、
傷つかせられるくらいなら、黙るしかないんだ、相談したくても、
でも誰も信用できる人がまわりにないんだ、同級生にも、先生にも…。
10-1、とは、単純に10-1なんじゃない、ゼロの概念があれば、例えば、
10個目のリンゴから、1個を引くとすると、
…「7~8」「8~9」『9~10』、この、『』←コノ部分、『9~10』の区間を引く事になる。
すると何が見える?
「8~9」の、9が見える、『9~10』で、確かに9も含めて取り除いたのに、
まだ9が向こうに残ってる、そうか、めくってみたら、重複していたものがあったのが、
重複してるところには、ゼロが隠れてる、始まりと終わりを指し示す、
基点になる場所・箇所・位置がある、それがゼロだ。
 

昨日に続き、自問自答。ややこしいので簡単に逆に教えての叫び。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月 6日(水)16時22分17秒
返信・引用 編集済
  オチは、「大は小を兼ねる」は、むしろ実態に相当の乖離がある、という話。

今から書こうとしてるのは【ゼロの概念】の話です。

昨日の書き込みをしながら、「小学校1年生」「小学校6年生」で、また自分に自信がなくなり、
もういっかい分解して考えてみた、自分にくやしくて、ふとんに入って寝る直前まで。
それを今の時間まで、その時に何を考えていたかを頭で記銘してる必要もあった。

数字がわかってマスヨ、な人に次の質問をしたい。(この質問をしたい、な部分が問0)

0. (上記)
1. 小学校1年生、小学校6年生の間では何学年 離れてますか?何年の差がありますか?

恐らく「5年」と即答できると思うのですが、俺はここで頭を抱えてしまう。
2. では小学校とは、何年間を過ごす場所ですか?6年間を過ごす場所なので、
  その6年目に相当する人たちとの差が5年間しかないのでは、
  その前提理論では、小学校1年生が、小学校6年生になるまでに、5年で済むのですか?
  1年生と6年生、差が5年では、その6年生って人たちは5年生?理論的に答えてください。

3. 「キミ、入社何年目?」→『あ、今年の4月入社なんでまだ1年目です』
  「それ1年目って?『まだ1年経ってない』けど、1年目、なの?」

…あたりまで、自問自答してまして、ふと気づいた事を書き綴ります。
西暦は、そもそも数学の概念がない、ゼロの概念もない時代に作られたと思う。
なぜなら、説明してることが、理論的に崩壊してる事ばかりだからだ。

西暦に、西暦0年は存在しないという。
それならば、1999年の次の年って、みなさん、西暦何年を過ごしてましたか?
そう、西暦2000年を過ごしてました。
おかしいですね~、西暦は1年から始まったなら、西暦200“0”って、0年目を
言っちゃってますね~、西暦に0年はないんじゃなかったんですか?
じゃあ西暦0年がないって、矛盾してますね、いきなり1年からスタートなんですか?
その1年の前の一カ月前って、1年経ってませんけど、西暦1年なんですか?
いや、これは今もおかしな状況でして、俺が【算数につまづいた理由】なんです、
わかってないのは、俺の方じゃなくて、説明する側がそもそも深く理解してなかったので、
俺は頭の中で混乱をしていったわけです。
小学校は1年から始まります、いきなり1年です。
この呼称、概念、実は、別の考え方をするとあってると思います。
「1年目」って事です。
何が言いたいかというと、モノの単位(ユニット)を考えると、やっと見えてきましたよ。
やはり、1年生であっても、0年は存在します。
いきなり、物事の始まりは、1年目、入社1年目だの、入学したら1年生だの、
どこを探しても0って数字が出てきません。
なんだったらカレンダー、いきなり1月1日から始まります。
0月0日がありません。
し・か・し、では聞きますが、1日って、何時何分何秒から始まりますか?
深夜0時0分0秒から、その1日はスタートします。
0から始まってるのです。
しかし、ではその日は何日かというと、24時間が満了しなくても、
その日の立ち位置として、例えば今日は3月6日ですが、まだ6日の満了を
迎えてなくても6日と呼称します、本当はまだ6日の満了を迎えてなくても
満了するであろう24時間後を、かなり確定された未来として「6日」と今を言ってます。
ちなみに、ゼロの概念がない人に、1日は24時間、ならば、
今日は何時何分何秒まで?
と聞いたら、もしかしたら、23時59分59秒まで、と言ってしまうのかもしれません。
それって、24時間に1秒足りないじゃん、1秒はどこに消えたの?
ゼロは、物事の終わりと始まりを兼ねられる、重要な概念、むしろ、
ゼロとは、発見された概念であって、その文明がない人にとっては、物事は矛盾だらけ。
それなのに、世の中はまわってる、いろんな口うるさい話をしてくる。

算数を教える時に、「ここにリンゴが1個あります」と、物事を数える時に、
いきなり「1」からだから、子供だった俺は、その後大人になって大混乱してたんです。
そのリンゴは、0~1の単位によって構成された1なのであって、
わかり易くいうなら、まだ実になる前のリンゴは【リ】だったり、【リン】だったりして、
誰がみても成長しきった【リ・ン・ゴ】の状態を1個、と、初めて1個と呼称してる、
要するに、単位・ユニット・ボリュームの概念がなければ、ゼロの概念も
オカルトチックな、あるとか、ないとか、そういう見えるものしか判定できない頭脳に。
ゼロとは、ない事をいうのじゃなく、物事を指し示す概念なので、
数字が9でも、実は0だと言い換えられる。
例えば、今日が9日なら、あと5日後って何日ですか?
「14日」って即答すると思う。
9+5=14なので。
…それで合ってますよね?指折り数えてみてくださいな、
今日は9日、その5日後、【10】、【11】、【12】、【13】、【14】
きっと無意識に9日を0(基点)に置き換えていると思われます。
でも、俺は、それでも違和感がある、それは1月1日から数え始めてる事に起因するかも。
ちなみに、漫画の単行本は、1巻から始まりますが、
それが6巻まであったら、単行本は何冊ありますか?
「6冊」に決まってますが、0巻ってないんですか?
【そんなもん、あるわけねーだろ】と怒られたら、ゼロの概念を、「ある」、「ない」、
の概念としかわかってない人なんだろうなと思います。
ゼロの概念とは、それの事、と指し示す概念って事なんですよ、俺は何かの文献を
読んでるのではなく、頭の中で理論構築してるので、世界標準のゼロを
教わっているのではなく、理論的に考えて、どうやらゼロっていうのは、【存在する】
という解に辿り着いて、書き綴っております。

0巻とは、まだ連載が始まってなかったら0巻も存在しないです。
だって、何も始まってないから、0巻って、理論的におかしいでしょ?
何もないから0巻なんじゃなくて、何かが始まったと同時に、そこが地点として0が発生開始。
連載が確定して、開始した時点で0が発生します、その漫画のタイトルに付随して。
で、単行本ってどうやってできるんですか?
週刊誌等で、連載が続いて、ある程度のページ数がまとまったら、1巻として
世の中に単行本として発刊されてるでしょ。
だから、まだ連載途中だったら、「単行本」と呼べる状態にない、さっきのリンゴと同じ、
「単こゥ…」まではまだ連載中で、あと何話か完成したら、「単行本」と呼べる、
そこで【0巻~1巻】を1巻と呼ぶ。

話があちこちでごめんね、俺の頭は散らかってるから自信がいつもない。

さっきの暦の話の続きですが、今年って2019年で間違いないですか?
そうだとすると、西暦換算で、矛盾しますよね?
だって、西暦が1年から開始されたのは、さっきの小学校1年生と同じ考え方だとして、
まだ1年経ってないけど、1年目って説明だとするならば、
まだ1年経ってない、先の日付を呼称するのなら、今って、【2020年】って事にならないの?
だって、西暦0年はないわ、カレンダーは0月0日から始まってくれないわ、
なんだったら暦自体が、数学的な概念がなく、オクトーバーだの、神無月だの、
数字ではなく、【確定した文字】として言ってしまってるので、
ローマ数字に0の文字がないように、ゼロの概念のない文明を便宜上使って生活してる、
って事じゃないのだろうか。
ローマ数字は、その個数があればあるだけ、新しい文字を使わないと表現できない。
その理由は、物事に対して、【単位・ボリューム・ユニット】の概念がないからだ。

ここで、そろそろオチ。
「大は小を兼ねる」は、現実的ではなく、
俺ならば、【小は大を兼ねる】、という事である。
ここでいう「小」とは、→【単位】の事。
物事を分解して考えないと、「こういうものですからぁぁぁぁ!!」で教えられてきた俺は、
大人になると、どうにもパズルのピースがはまらない、
……そうか、大きすぎるんだ、大きすぎるから、その隙間に入らない、
そんな「大」を、そもそも構成してるものはなんなのか、何かの単位なのではないか。
原子や素粒子や重力波やら、先人のかしこい科学者・宇宙学者たちは、
とっくに気づいて、物事を考えているであろうに、一般社会になかなか下りてこない。
いや、ひとりひとりが、物事は、単位によって構成された「0~1」ものだ、
と考えると、すべての矛盾が解決すると思いました。

例えばこんな感じ。
リンゴが2個とは、【どんな状態なのか】って事。
それは、習った算数を駆使して、数直線として考えると、
「0~1」「1~2」(※1が重複してるのが理論的に重要。そこにゼロの概念がある。
ゼロの概念がないから23時59分59秒を、1日の終わりと考える人がいる。
俺は何か腑に落ちなくて、歴史を教える社会の先生に、一日の始まりと
終わりを教えて欲しいと授業が終わった後に、廊下で先生を捕まえて質問したら、
頭がおかしい生徒が、若い女性である私に何を言いたいのか、な冷たい目で
無視して職員室に戻ってしまった。
これは、保険会社の方が、よっぽどゼロの概念がわかってて、
1年間有効な保険だとすると、2018年10月9日 16時から、この契約は有効になりましたので、
1年後にあたる、2019年10月9日 16時まで、保険適用となります。
これがゼロの概念がない人だと、こんな事を言い出すと思う、
1年有効なら、その前日の2019年10月8日までが有効だろ、9日じゃ日がかぶるだろ、
とか、9日だとしても15時までかな、とか、まるで重複したら間違いである、
というのが、ゼロの概念、そこを指し示す、基点とは、始点も終点も兼ねてる、
という事がまるでわかってないまま、社会生活を、俺みたいに苦しみもせず、
なんの疑問も、必要性にも迫られず、それなのにうまくまわってやがって、、、。)

「0~1」「1~2」

これが算数の数直線的に、ゼロの概念を用いた、正しい数え方である、までは正しい。
しかし、さらに単位を分解すると、
【0~1】の1個のリンゴと、【0~1】の1個のリンゴが2つある、というのが、
状態の表現として、正確に分解できていると思う。

【0~1】【0~1】【0~1】

なら、リンゴは3個。
矛盾も発生しない。

………ふと、思ったのですけど、俺の思考って、2進法に近いのだろうか?
超絶アナログの泥臭い脳の分際で、デジタルな考え方をしているのかもしれない。
で、そこで、ふと思ったのですけど、
よくわからん、世の中に割り算という概念を、小学校3年生の時に教わりました。
算数が、圧倒的に難しいと感じましたよ、【あまり】というものを言われる。
だって、「割り切れない数字」なる概念を、【強要される】んですよ?
割り切れてないなら、受け入れたらダメだろ、なんで「そういうものだから」にして、
それ以上考えないようにしてしまうのか。
10÷3=3.333333…と、無限に続いてしまう、割り切れてない、これは物事を
考えるに際し、何かが間違えているし、失態を犯してる、エラーを吐き出してる、
そう考える先生はいなかったのだろうか。
俺は割り切れてないものは、答えが出てない計算だとしか受け入れる事ができず、
「その先はどうなっているのか」→【その先は考えてはダメ】と、言われてるようで、
宇宙の果てや、宇宙の始まりを考えてはダメとか、何やら言論統制のような。
だって、アレですよ、正方形の面積は1×1=1平方センチメートルなんですけど、
これを先生に質問するわけです、「先生、2倍の面積にする時はどうしたらいいですか?」
そんなものは簡単だ、1×2=2平方センチメートルだって言うんだ、
先生、それじゃ正方形じゃなくて長方形になっちゃう、正方形のまま2倍の面積に
するためには一辺は何センチにすればいいんですか?
「それは、だいぶ先に進んだ、数学っていうのをこれから教わる事になるから、
そこで今の疑問がわかるよ」→どうやら、ルートだの平方根だのと
呼ばれる概念らしいのですが、これも全く同じなんです、
どうも、【割り切れない】数字で、エラーを吐き出してるのに、受け入れろって言ってくる。
よくわかりませんが、社会的に有名な、円周率なる、【3.141592653…】なる、
超絶エラーを吐き出してるとしか、俺には受けられない概念、、、、

【大は小を兼ねる】だから、コンパクトな単位を表現できないのではないでしょうか。
俺は数学者でもなんでもない、むしろテストで堂々と0点取ってた人間です
(本当に。だから勉強で挫折。アホな高校に進学しても1学期で挫折、退学したくても、
高校だけは卒業してくれと親に懇願され、ひきこもることも許されず、廃人と、
社会への恨みをもつ人間になった。)

円周率や平方根で割り切れない原因が【大は小を兼ねる】なら、解決できませんか?
つまり、それら、割り切れない、あまりがでる、なるものは、単位・ユニットとして、
大きすぎるからで、10進法で計算するから、論理破綻してしまう、だから、
割り切れないという現象が発生しまう、無理矢理大きい単位まで駆使するから、
…と、思うんです、俺は。

だから、
【小は大を兼ねる】と、昨日理論的に説明してた事に繋がってきまして、
もしかしたら2進法で計算したら、矛盾なく世の中の事は説明できるではなかろうか。
円周率の割り切れない問題も、なぜかコンピューターで2進法なのに、
出力は10進法にしてしまってるから、デジタルを使って矛盾させてるのだから、
コンピューターは冤罪だったりする、割り切れませんって答えを永遠に計算させるのは。

わからん事は他にもあるよ、世の中は10進法なのに10で単位が変わらない、
なぜか時間は60秒で1分だし、60分で1時間だし、24時間で1日だし、
1秒は、でもなぜかコンマ10で1秒なんだな、コンマ60で1秒じゃないのな?

俺みたいなバカには難解な世の中で、落ちこぼれる奴がいる。
疑問を抱くとバカにされる、「何言ってるの?」って。
ものわかりのいい奴が、優遇される世の中なのである。
新しい事より、決められた事をなぞると、評価される世の中なのである。
 

「大は小を兼ねる」ことわざ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 3月 5日(火)22時18分58秒
返信・引用
  が、言いたいのではなく、『理論』って大事だなって、やはり思うのです。

そうすると、言われたり、そういうものだ、という事になってる事が、
「そうなのだろうか」と、疑問が沸きます、こういう事もそうです、
「考えるクセをつけましょう」とか、考えようとして、考え出したものは、
不自然に考えてみたものなので、疑問に思った事ではない、という反論を、
騙そう、言いくるめよう、さも、説教、等々に、反応できるというか。

「騙されないぞ」と、固定観念で構えるっていうのとも全然違う。
騙されないぞって構えてる事は、これも理論的に考えれば(だから理論が大事)、
『何も考えないようにするぞ』って事だ。
疑問すら抱かない石頭で凝り固まる行為だからな。
話を聞いてみて、それに応対できるかどうか、常に気を抜いてない感じがいいというか。

ふと、「大は小を兼ねる」ってことわざが浮かんできた。
特に脈絡もなく。
そして、「ん?」と疑問がわいてきた。
『大は小を兼ねる、のではなく、理論的に正確に言う為には、
【大は小を兼ねる事もあるし、兼ねない事もあるし、兼ねられない事もある】って事。
これは理論を話してますが、人によっては“難癖”“屁理屈”にしか評価できない
物事の習熟度に差があったりする、だって、ガッコーのセンセーは、
同じ言葉で授業してるのに、そのクラスのみんなの習熟度が違うからテストで
点数が差がバラつくひとつの証明。
理論的に考えれば、正確なことわざにすべきで、
【小は大を兼ねられる】であるべき、なのである。なぜなら、
大は、小の集合体の到達された結果なので、そもそもを大で作ってしまうと、
それより小さい事ができません、いちいちが大げさになります。
その大のスペースを使えば、小さい物も兼ねられる、かもしれませんが、
その為には、使われてないスペースが伸縮可能な状態なのか、が重要。
わかり易い例でいうと、旅客機は、常に満席でフライトしないと、
空気を乗せて飛ぶ事になります。旅客機=大、という事です。
もし、大は小を兼ねてくれるなら、旅客機は人数に合わせて、
無駄に重い図体を抱えて飛ばず、小さくなって飛べるんですか?
少なくてもいい時でも、大をもっていれば、ユトリがある、って事もある。
だから、大は、小を兼ねないのではなく、兼ねる事もあれば、兼ねない事もある。
兼ねたくても構造的に兼ねられない事もある。
しかし、小ならば、それらの組み合わさったものが、必要な時に集合し、
結合し、大になり、不必要な時には分解も容易で、分散した動きになれる。
ゾウが、ピンポイントでアリを踏みつけるのは難しいと思う。
しかしアリがゾウ1対を倒すのは可能だと思う、ゾウはアリの大群のいちいちに、
たった1頭で対応しないといけない、しかし意識は1つしかない、
アリはそれぞれに意識がある。』

何が言いたいのやら。

さて、私の小学校が、少子化やら過疎化かしらないけど、
廃校になったようです。
町で一番大きい鉄筋コンクリートの小学校でした、むしろ他の学校を見下してたくらい。
12校あったものが2校になり、俺の小学校が廃校とはな…。
っていうより、そこじゃない部分て、あったりする。
俺が小学校に入学した時点で、すでに先人(先輩)たちが巣だった(中学)後に
入ってる、在校生で最高学年は6年生だから、7年生にあたる先輩たちの顔すら
見られる機会がない状態です。
すると、どうも何か先輩たちが残していった、しかもそれが作られる過程の
証人のように、先生たちは経緯を知ってたりします、俺たちは何も知らない、
でも、あなたたちは知らないかもしれないけど、みんないい子たちだった、
な、木彫りの自画像が下駄箱の壁にビッシリと展示されてて、
じゃあ、小学校6年間まで過ごしてみましたが、どうにも図工の時間で、
その彫刻を作る時間にめぐり合わず、「特別に待遇された層の先輩連中がいるな」と、
なんとも腑に落ちない、愛されてないんじゃないかと思いながら、
中学に進んだものです、こんな視点でいるの、俺くらいかもしれません、
それだけではありません、みんな不思議がってた「タイムカプセル」なる石碑、
その彫刻の連中が何か埋めたらしい、何が下に埋まってるのか、
同級生が先生に聞いても何も教えてもらえない、タイムカプセルという字面だけみると、
ドラえもんか何かかと、小さい俺はイメージがわかなかったけど、
どうもそれがお目にかかれる日付が、俺がすっかり大人ななった頃のようなのです、
そうこうしてる内に、社会人っぽい事もし、さて、
すっかり奈良で生きてる時間の方が長くなりましたが、
昨年の夏に、なつかしさついでにみかんと俺の小学校に(母の運転)寄ってみたら、
その時の石碑はもうなく、すでに開封された後だった、…また何か、ポッカリした気持ちに。
なにもかもが、俺の知らないところで起きてて、知ってる人たちだけで共有してやがる感じ。

そんな小学校、すぐに気づいたのが、物々しいまでの、「そんなのなかったじゃん」な、
耐震補強の後付け外壁だ、数百万円では足りなそうな。
きっと、東北大震災の後につけられたものだと思う、俺の町も
ニュースにはほとんど触れられてないが、茨城もなかなかな被害が出ていたのだ。
で、そこまで施工してさ、その学校は廃校なんだな。
なんだかな、でも、いい思い出より、難しいなって思い出が多かったから、
何もかも、いいです、もう。
 

さらに追記~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 2月14日(木)18時28分4秒
返信・引用 編集済
  今洗い物してて、ふと思い出して、ムカムカしてきたので。
とある車の、確かな専門知識を持ってるYouTuberが、解説してた事。
すごいのな、新規のを1日アップしてるだけで数十万再生とか稼いでる、…でコメント欄読むと、
インテリキッズ感がすごい、すっごく迎合してる。

「車って、それだけなんですか?」と、俺は違和感がすごいのだ。

難解な概念や単語も、わかり易く説明してくれるから人気なのだと思うけど、
その人が考えた概念ではないから、組み合わせの租借を出力してる表現者に過ぎない、よね?
学校のセンセーとかもそうよ?すでに書かれてる事の表現者に過ぎない、よ、
それがウケるかどうかのお仕事、ウケなくても定額制なのは公務員だけで。

俺の乗ってる軽自動車なのですが、
「軽自動車は排気量が少ないので、排気量が少ないエンジンは、
回転数で馬力を稼がないといけないので、高回転になり易い、
だから高速道路で軽自動車がうるさいは、100km/hで走ってると4000~5000回転にもなる、
今自分はアルファードに乗ってるけど、100km/hで走ってても普通に1600回転だからね、
エンジン回ると車内はうるさいし疲れる、だから軽自動車は高速走行に
不向き、遠出には不向きってのは、ちゃんと理由があるんだよ。」
み・た・い・な、解説でゴザイマシタ。

俺は「異議あり」ですわ。
なぜなら、無段変速機搭載の軽自動車に乗った事がありますが、
100km/h走行時に、2500回転で巡行できてました。
何が言いたいかというと、推進力というのは、摩擦に打ち勝った結果なので、
後は、勝ちすぎてるかどうか、が、回転数と関係するんじゃないの?って事。
俺は、マニュアル車で免許を取りましたが、普通車の1500cc排気量で、
ちょっとキツイ坂道を仮免許走行中、トップギアに入れてたら、馬力不足で、
アクセル踏み込んでも登っていかない、横の教官から
「シフトダウン。」と言われて、クラッチ切って4速に落として、グーーンと再加速。
つまり、平坦な道ならトップギアで構わないものの、摩擦・重力、それら抵抗(ミュー)に
負けてる状態か勝ってる状態か、釣り合ってる状態か、の話をすべきじゃないの?
だから、排気量が少ないエンジンは回転数で馬力を稼ぐ必要があるものの、
100km/h巡行のために、常時4000~5000回転回っているのは、
ギア比の問題も絡んでくるので、そこまで回ってないと推進できないほどの
排気量不足なのかというと、そういう事で2500回転で100km/hが、ギア比次第で
馬力が足りてたから巡行できてたという事なわけなのに、
コメント欄が、「だから軽自動車は疲れるのか」「高速は軽で走りたくないわ」等々、
ワンサカあふれてる。
で、トルクがあると走りが楽だって、ディーラーで説明受けた事がある俺、
ディーゼルエンジンは運転が楽なのはトルクがあるからというが、
運転が楽ってなんだ?アクセルを踏み込まなくても進むから、どうも楽だって
話をしてるんだよな、踏む量なのかよ、踏む力の必要性なのかよ、
自分の脚でペダル漕いでるわけじゃねー、回ってるのはエンジンだ。
ノイズで疲れるって話なら遮音性あげれば疲れにくいって話になるし、
踏む量が問題なら、トルクバンドでギアが当たるようにプログラム組めばいい、
って話になる、ディーゼルみたいなクソ重いエンジンは、【慣性】が強まる。
その【惰性】で、自分のやる事が少ないで進むから疲れにくいって話なら、
軽快な走りじゃなく、高速バスか、長距離トラックにヒッチハイクでいいんじゃないかな。
 

追記~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 2月14日(木)17時58分47秒
返信・引用
  書きそびれてた事も含め。

人間ってのは、「共感」によって、『それ意外のモノ』を排除する事で、
成長してきたのだと思います。
【愛】ってなんですか?
もし、好きの最上級を言うのなら、石ころを大切に思ってる人は、石ころに愛があるわけです。
人間同士で抱くものだ、と言うのなら、ホモもレズも正当化されますし、
なんだったら、親子や、兄妹・姉弟・兄弟・姉妹の近親相姦も愛です。

俺は、引き算的に考えて、失ったら困るものが、愛なんだと思います。
仮に、手に入らないもの、例えば片思い、なんともいえない、いとおしい、胸が
苦しくなるほどの思い、それが【愛】なんだとします、でも、その対象を
手に入れたり、お付き合いできるに至ったとして、そもそも思ってる状態が
胸が苦しいほどいとおしい、手に入れる事が目的だったら、それで目的が
達成されますから、その先のプランってなんかあったんですか?ってなるでしょ?
ない場合、好きで一緒になった連中は、必ず別れます、目的が
手に入れる事なんだったら、次のターゲットに愛情を容易に移せるので、信頼度の低い人間。

全く関係ない余談。
な~んか、自分の書き込み言葉も、自分なりの言葉なのだけど、
他人の、まとめ掲示板みたいなのを閲覧すると、共通した空気感がある。
なんとも息苦しいというか、自由なネット空間であるはずが、閉塞感。
「困ってる人」「バカにする人」「淡々と正論を言う人」
「難解に無機質に教育・説教的に正論を言う人」
「まぁ、何々。」「~でしょ。」「~だろ。」←これらの言い回しの多さやら。
要するに、結論ありきなので、…それは自分に安易に介入させない防御とも言えるけど、
何かの議題で議論を深めたいと思う時には、話をしない、というスタンスありきなのに、
自分以外には結論を偉そうに言う、これはフェアじゃねーな、しかも匿名でな。
匿名を気取るなら、枕詞に但し書きを最初に「今から言う言葉に責任は持ちません」と
打ち込んでから、能書き垂れろってばさ、そしたら誰も聞く耳もたないわな。
 

こども、って何かな。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 2月14日(木)17時09分58秒
返信・引用 編集済
  少子高齢化社会の、少子化問題、何が問題?高齢化した人たちを支えられるツヅキが減る事?
国力の事?
俺には、わからねーな。
高齢化したら、なんで介護が一対なのか、わからねーな。
理論的に、若くとも障害者なら介護が必要だし、年老いても介護は必ずしも必要じゃない。

こどもが減る事、こども、って存在が、世の中に必要って事なら、話はわかる。

妙に大人じみた子供っている、世の中知りすぎて、感動したら負けくらいの冷めた感じの。
俺は逆に、いい歳して、コドモみたいな事ばかり言ってる(客観的評価。俺個人の分析は違う)。
こどもの新鮮な物の見方や、感覚が、世の中を洗練させていく、という根底で、
少子化問題は語られてない、きっと物理的な人間の動員数の話なんだろう。

最近、とあるPCゲームをしてて、その会話の中に
「キミは、家族に不幸があり、家計的にも貧しい環境で育ったはずだ。
だから、人一倍、『ありがたみ』というものを、わかっているものと思ったのだが。」

【ありがたみって何スカ? すでに恵まれてる人間が、満たされてない人間に対して、
今以上を要求するなって事を、ありがたみを感じろって押し付けてるだけでしょ?】
と反論する主人公(一言一句ではなく、そういう意味で受け取ったまま意訳で書いてみた。)

…ふと、俺の中の【こども】が発動する。
仏教だったかの教えで、「足るを知る」ってありませんでした?
「もっと。もっと。ではなく、このくらいで。」的な、満足する事を知るって意味?
間違ってたら恥ずかしいので、予防線は張ろう。
なぜなら、「情けは人の為ならず」ってことわざは、他人に情けをかけたら、
その人の為にならないって、本来の意味と正反対になるからな。
本来の意味は、ある意味クズで、ある意味、コドモ的に嫌気のさす正論で、
「他人に情けをかけておけば、いつか自分が困った時に助けてもらえる」、つまり、
自分の為になるから、相手に優しくするって意味だ。
つまり、“その人の為じゃない”、自分の為って事だ、その人を思いやってるわけじゃない。
で、予防線なんですけど、「足るを知る」を、性善説的にとらえるのなら、
『要求・欲求の前に、すでに与えられてる意味を理解できて、受け取れているのか。
それも理解できてないのに、次に、次に、と、思うがままに、欲しているのでは、
いつまで経っても満たされる事のない人間になる。』な~んて、深い意味はないと思うけれど。
読書を勧める人間は、人の考えを知りたがりなだけで、自分で考えてる人をバカにしがち。
理由はわかるさ、「だってあなた、著名な誰々ほどでもない分際で、
そんな考え方に説得力があるわけないでしょ」というブランドありき(結論ありき)。
「もう答えはある。だって本に書いてある。誰々がすでに言ってる。」
ん? あり得ない話をしますと、音も光も波形によって進みます。
人間の移動手段が、この大気に対して、波形に変換される事で、
今の化石燃料に変わる移動手段のエネルギーに変わる事を作れないか、などと、俺なんかは、
考えたり。
これはウケウリですが、ネアンデルタール人は、ホモサピエンスよりも脳容積が多く、
現実的な理解力も、肉体的な骨格も強靭であった。
ホモサピエンスは、肉体的な骨格も劣り、脳容積も少なかったが、
結果的に絶滅していないのは、『実際には存在してないものへの想像力の差』らしい。
これは、シミュレーションができるかどうか、って事じゃないのかな?
最近はネアンデルタール人化した人間が増えているよな。
自分の責任を追及されたくないからって、
「もし、何々だったら、どうされるおつもりですか?」と聞かれたら
『仮定のお話には、お答えいたしかねます。』という返しさ。
真のホモサピエンスだったら、イマジネーションを働かせて、
もし、何々だったら、と、目の前に起きてる事だけに、受動的に対処するだけでなく、
積極的(能動的)に、色んな事を試してみたり、考えてみたりする。
だから、使ってた石器・武器の進化も、ホモサピエンスの方が多彩になったが、
ネアンデルタール人は、何万年と進化の形跡が見られてないらしい。
なので、例え間違っていても、考えてる人をバカにしたり、新鮮な反応をしてる人を
バカにするのは、ホモサピエンスである事をやめてしまった人たちだと言える。

なので、いい歳して、ちっとも大人になりたくない(それはそういうものだろの反射思考)
俺は、少子化とは、無縁でありたい。

………そして、自虐的に開眼してしまった。
「俺には子供がいない。生殖能力は確かにある。しかし、子供を作るって、何だ?
集団心理としては、少子化は合理的だったりする。
雑踏の中で人が倒れても、その人に、我先にと駆け寄る人はいない。
人の目がどれだけあっても、目撃者がほとんどいない事件・事故もたびたび聞く。
スポーツ観戦も、みんなが確かにプレーを観てるのに、
そこじゃない部分で起きてた出来事に、ほとんどの人が気づけなかった、
でも偶然撮影されてたカメラにだけ、それが映ってたり、本当の経緯・意図は、
その額面通りじゃなかったり、…なんていうか、子供、別に自分がつくらなくても、
他の人たちが産んでるなら、作る必然性にも駆られなくなったり、
子育て手当てどうの、子供を作るとお金が貰える、的な、
子供を作るとお金を貰えるのか、お金が貰えるから子供を作る(作り易くなる)のか、
にわとりが先か、たまごが先か、論は、俺は大嫌いで、この論は、
オチがないというオチなので、俺はホモサピエンス的に仮説を立てるなら、
【理論的に、にわとりが先に決まっている。理由は、卵とは、
その構造(卵巣・卵管)の結果作られるものだから、卵は、
次のにわとりが作られる前の手段(過程)にすぎず、卵が先にはなり得ない。
では、にわとりが先なら、そのにわとりはどうやって生まれたのか、
卵からに決まっている、のではない、途中のにわとりは、卵からに決まっているが、
にわとりそのものは、ただの有機物の副産物が、環境に適応された結果、
淘汰されにくい個体が、数億種類にも発生しただけで、
要するに、細胞分裂によって、最初は作られたので、卵はその後になる。
仮に卵が最初だと言うのなら、卵とは、温められてこそ、ヒナがかえる。
卵が突然発生して、…で、その卵、どうなるわけ?にわとりがいなければ、
その卵はかえらない、卵とは、にわとりになるための要素が詰め込まれた物体なので、
それは、最初ににわとりがいなければ、それがにわとりになる卵にもなりえない、
卵がありました、で? その卵は腐乱するのみ。親鳥がいない。
そもそも親鳥が何かの設計図でしかない卵なのだから、
元になるにわとりがいればこそ、卵の存在理由がある。俺は理論的にそう考える。】

俺の考える少子化問題は、最近話題の【あおり運転】で、どうですか?
要するに、クソみたいな人間は、ヤンキーと呼ばれ、それは昔から必ず一定数います。
統計があれば、数字で具体的に研究結果として発表出せるでしょうが、
そのデータがないので、これは俺の理論的シミュレーションです。
ヤンキーは、ほぼ漏れなく、どんな経済状況だろうが、子供を作りやがります、
つまり、景気が悪いから少子化になる、などという経済学者は論理破綻しています。
しかも、かなり早い時期に子供を作ります、10~20代前半、貯金も少ないはず、
でも、高級車(中古含む)に乗ったり、デコレーションした車に乗ります。
子供ができて金がかかるのに、そっちにも金がかけられる、何かカラクリがあるはずです。
それはそうとして、つまり、少子化問題の、一番の問題は、
あえて差別的に言うと、【マトモ】な感覚を持ってる人たちが、
物理的な子供をつくらない世の中になろうが、ヤンキーは、おかまいなしに
子供をつくります、マトモな親から生まれた子供が少ない世の中に、
どんな世の中だろうが、必ず子供を作るヤンキー、
ヤンキー教育を受けた子供が、どんな世の中・経済状況だろうが、はびこります、
物理的な少子化になってる状態だと、分母としてヤンキー教育で育った子供だらけになります、
すると、その子供が適齢期になると、ヤンキー同士で、また子供を作ります、
つまり、世の中、ヤンキーだらけになるので、まともな話が通用しない人間だらけになります、
卑怯であったり、からんできたり、徒党を組んだり、陣地を主張したり、
本当に、物理的な少子化のみにフォーカスするのなら、
【ヤンキーの子供を、母数として少子化できる社会】こそが、永続する国家として、
近視眼的な結果でなく、数十年のシミュレーション、イマジネーションが必要ではないのか。

そのための根底思想として、「理不尽な事を、合法的に見逃せる社会が恨みを産む」事を、
インテリ側の連中が認識しない限り、実態との齟齬が消える事がないだろうさ。
よくあるTV番組で、法律の専門家が、民事的な係争事で、
「AさんとBさん、どちらの言い分が正しいでしょうか。」
理論的に、仮にAさんの方が、説得力や、納得も得られるのに、
【法律ではこうなっております】って解説が入って、そうなんだ~、じゃあ従おう、ってなる、
それが理不尽であっても、法律がそうなってるから従う、
「法律の理念がそうだ、と言っても、法律は人間が作っているものなので、
実態の理不尽さに悪い作用として関与してるのなら、法律から直されてこそ、
…だから復讐が禁じられ、理不尽さに仇討ちをしないでも済むように、
法治され、その法律が、復讐の武器も取り上げてる分際で、守ってもくれないなら、
それは法律・世の中への、難癖などでは決してない、理論的な恨みになる、
論破もされてない正しさが、法律はこうなってます、世の中はそういうものだから、
という、理論には向き合わない。」

ふんにゃらふんにゃら…。
 

「日時、方角などがわからない機械音だ」←それだ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 1月24日(木)20時11分12秒
返信・引用
  ウソをつく人間は、問題の本質を追及されると、論点をすり替えます。
この『論点をすり替える』という言い回しが、ウソをついてる人間がウソをついてる本質ですが、
そこを追及しきれない日本的な、追い込みのしきれなさが、なんとも歯がゆいです。

最近のワイドショー・時事的な部分で、2つの話題だけ。
小室圭の金銭問題と、韓国のレーダー照射問題。
小室圭の件で、各番組で弁護士登場で、手続き論に終始して、IQの高いヒラメキが、
全くしめされず、閉塞感しか産まず、話が『詰まる』。

「結局は、空中戦(言った言わないの発表を相手方のいないところで)をしてしまってるので、
当事者同士で、よく話し合うべきですね。」だってさ、弁護士が。
むしろ、『それが』弁護士、なる、弁じゃなく、実態へのリアリティーとかじゃなく、
法的にどうなのか、だけの、法律の囚人なので、だったら弁護士いらない、
それが合法かどうかの照合作業で見解述べるだけの、カンタンなお仕事なら、
よくある、『よくあるご質問 Q&A』か、簡易AIにでも事案検索させたら済む。
弁護士が弁護士である必要は、【勝てるかどうか・自己保身】で、
「この裁判は勝てます、負けます、負けた場合は全額負担になるので、
訴えはやめた方がいい。」のアドバイスこそが、『空中戦』だろ、って。
「この手の話はよくあるんですよ。」的な、「色々知ってます脳みそ」って、
頭使ってねーじゃん、個別案件として、戦ってねーじゃん、やっぱり照合作業じゃん、
前例と比較して、先人が論破できなかった事に突っ込んでもいかねーじゃん、
挑戦もしねーなら、機械作業でいいじゃん、ってなるじゃん。

聞いてる範囲での問題の本質は、当時、お付き合いしてた男性(小室圭の母親)が
この親子に金銭を与えてた、それが借金だったのか、贈与したものだったのか、
じゃないんだ。
しかし、弁護士は、法律からのアプローチで、『借用書を男性が持っていないので
贈与したものと先方が言ってるのなら、裁判で勝てません。』ありき。

普通に経緯を考えた方が自然なんだ。
俺は常々書いてたが、問題は、複雑になってくると、どこかに間違いやウソが紛れてると
疑う段階にある、と。
(※天動説では、天体の動きが複雑極まりなかった。ところが地動説に置き換えると、
やたら簡単に説明がつき、実際に地動説が証明されている現在。)
男性は小室圭の母親と恋愛状態にあった、小室圭に対しても親子のつもりでいた、
大学・留学費用も、小室圭の誕生日のプレゼント代(靴等)も出した、
しかし、記念撮影をする時に、なぜか自分を写りこませないようにしてた、
と、男性は訴えている。

よく、法律の専門家は裁判やら係争事に「感情は排除すべき」と言う。
ところが、弁護士は自己矛盾を言い出す。
この件で言うと、俺の想定問答ですが、恐らく、
「結局は男性の負け。相手の好意を抱いて、その生活の面倒も見る事で、
自分の大切さに気づいてほしかったのなら、その恋愛ゲームに負けたのだ。
男性自身も、金銭面で養ってた事は、契約以上の恋愛感情が勝っていたので、
男性も、それなりの、いい思いもしていたはず。それが破綻したとたんに、
あれはあげてたお金ではなく、貸与していたお金だと言い出しているに過ぎない。
貸与ではなく、恋愛時における対価だったはず。」

…あたりかな、って思う、クソ弁護士が御託並べるであろう事を想定問答すると。
だったら、恋愛って、感情なので、それを理論に持ち込んだら、、、ダメだよねぇ?

俺なら、
【恋愛関係にあればこそ、貸与ではなく贈与していたのが自然であり、
破綻にあたっては、履歴のある限り、リターンされるべき。】である。
そうでなければ、【本当はそんなつもりじゃなかった】が、無数に存在可能になるからだ、
つまり、【事後法(遡求法)】って禁忌な理由は、当時の価値観では問題がなかったのに、
後の価値観ではダメだと言われたら、今の行為は合法なのに、違法にもされたら、
何もできないからだ、まさにコレの案件なんですけど、理論的に。
弁護士の誰からも聞かず。
羽賀研二も、借金取り立てから逃げる手段として、ポッケナイナイして、
実態は、妻に財産を逃がして、婚姻関係だと返済しないといけないから、
【離婚してます手続き】をして、法律的に他人なので、そっちに債権を
及ばせないようにして、で、それがまかり通ったら、借金てできまくりじゃない?
羽賀研二の件は警察が介入できるのに、小室圭の件は警察が介入できない。
俺が言いたいのは、この男性の「親子関係の証拠が、まるで汚点になるので、
それをさけるために、写真ひとつ残させようとしなかった。」不自然さ、
つ・ま・り、この親子は、そもそも胡散臭い経歴がある、
猟奇事件を起こした新興宗教に母親が入信していたり、
金銭面で、恐らく寄生を、そもそもの目的に生業にしているかのように、
皇族との親族関係になれる事が目的だという第三者の証言がいくつかある。
息子も、母親の為に動いてる節がある。
これは俺の主観ですが、小室圭、目がイッちゃった笑顔してます。
ノーダメージです、の、乾いた微笑、物事に向き合う時、常に微笑って、不自然である。
これ、わかる人にはわかるんだけど、オ○ム真理教の信者やら、
何かにハマってしまってる人、沖縄の、一部で有名な、現総理とひらがな表記は同じ記者、
核心に迫らせない為のルーチンなのか、X日本のボーカルも、微笑でした。

秋篠宮殿下が異例の、自分の見解を公の場で発言したのも、
俺の、こういう部分を察知して、危険だと判断したからこそだと思います、
「何か、おかしい」って時、そういう感性って、その人を守るもの。
話が飛躍してませんが、理論がわからん人には飛躍してると感じるであろう、
これは、グローバル思想にはわからん感性、…我々が病気から守られてるのは、
外敵が侵入してきたときに、自分と同化・浸食させないための、自然な防御反応、
それはいけないことだ、と考えるのがグローバル思想。


で、韓国ね
経緯はわかってるものとしますよ。
本当にレーダー照射されたと言うなら、証拠だせ、って韓国が言ってたんだけどね、
それがさ、
「日時、方角などがわからない機械音だ」
レーダーの波形を、音声に変換した証拠を防衛省は公開したことに対して、
これを言ったわけね、証拠にならないんだってさ、
だったらさ、何を提出すれば証拠なのか、それに沿うもの用意しましょう、
……ってわけには、いかないんだよな、韓国に限っては。
今まで、慰安婦問題等々、韓国の条件に沿って行動してきたものが、
「その時の政権が判断したものは無効。謝罪と賠償せよ。歴史に向き合え。」
なんの? って、なについて?それを具体的に言ってみて?

で、テメーんとこが、こっちに精度を要求するからには、
相応の証拠、お手本みせてくれるのかと思ったら、
ここ最近「また異常接近された。」なる写真が5枚公開されたようだが、
お前らさ、仮に日本が、この証拠出したら「そんなものは証拠にならない」って
言うんだよな。
何なら証拠になるのか、その5枚の写真が証拠だと言い、相手が出すと証拠にならない、
【脅威とは、脅威と感じた時点で、脅威となるのだ。】なら、
感じた事が、物事の本質だったら、統合失調症の妄想は真実なのか?
幻聴も幻覚も、感じたから真実なのか?
コイツら、威嚇飛行の距離を論点にしてるくせに、距離を正確に言ってない、
でも相手には距離だの方角だの、求めるわけなんだ、
矛盾してるんだよな、脅威と感じたら脅威って言ってるんだから、
お前ら、そういうデジタルな証拠を要求するなんざ、分不相応なんだよ!!
デジタルな意味も理解できないオツムで、結局、感じた事を正解にするのなら、
日本が存在してるだけで脅威と感じる事だって可能だろうさ、日本に消えろって事だ、
そういう外敵に対して、拒絶反応しめすのは、とても自然でシンプルな事だと思うんだ。
 

時間旅行は不可能。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 1月23日(水)11時37分16秒
返信・引用
  突然、頭がイッちゃった人みたいなテーマですが、タイムマシンなるもの、
これが作れるか、時間旅行(過去・未来)できるか、と、真面目に考える物理学者がいてゲンナリ。
科学者はリアリストじゃないのか、科学バカになって、賢さの自分に溺れて見えなくなるの?

時間旅行は、不可能だと、俺は考えます。

理由は簡単で、論理破綻しているからです。
まず前提として、【法律・倫理が、時間旅行の結果を規制していない。】場合です。
もし、今より未来に行けるとしたら、未来って、もう発生してるわけ?
じゃあ、その状態で即座にたっっっくさんの疑問がでます。
論破してやるわ。
1つは、未来からみたら、今って「過去」扱いなわけだけど、それならば、
今現在、誰か、未来から来てる、もしくは定着・定住してる人がいますかね。
よく知ってる近所の人が未来人ですか?
さらに、未来の人が、今現在、つまり、未来からみた過去に来てるとしたら、
その未来の人は、ココに来てしまってますから、その人がいた未来って、
ここに来てる未来として時間が経過していくはずです。
そうすると、理論的にまっっっっったく、あり得ない状態になります。
なぜなら、未来って、発生済みなら、その人が過去に来るという行動は、
すでに確定していた事になるので、未来が紡がれるのではなく、すべて確定済みの
物事しか、発生しえない、という状態ですから、何か新しい事って、ないわけですね。
「そうではない。時間軸は複数存在するのだ。」とでも言うのなら、
未来に変化が発生すると、必ず、そうではない時間軸が併発します。
なぜなら、【そうではない時間軸】が、未来の出来事が、過去に関与されるため、
例えば、今、午前10時20分だとしたら、この午前10時20分が、理論的上、
無限に存在する事になってしまいます。
だって、未来さんの、コンマ数秒後に、いくらでも過去にさかのぼれるのなら、
いろんな場合が発生するので、そのいちいちの過去改定になるので、
この、今、が、いくつも存在する状態とは、どういう事なんでしょうか。
だいぶ前にも書いたけど、仮にそんな事が可能なら、この世界じゃない世界とは、
どこにそんな、宇宙的、存在的な余白が、あるんでしょうか。
それどころか、余白などではなく、宇宙自体が無限に存在【し直す】事を意味します。
未来の作用によって、こういう過去になった、と思ったら、また別の関与によって、
そうではない今現在に作用しなければならず、作用するのなら、
逆に、そうではない、前の今現在って、記憶のどこかに誰かありましたか?
新しい未来によって、今現在の、記憶、物理的な形態が、上書きされた痕跡はありますか?
それがあり得ないなら、過去に遡れるたびに、時間軸が無限に生成される事になり、
今、俺の書き込みを、未来人が、【真実がバレるとマズイ】と思うのなら、
なんでこの今現在の俺に作用して、介入して、書き込みをとめさせようとしてないのか、
不思議ですねぇ。

仮に、未来だけが、まだ発生してない、今は過渡期である、とするならば、
まだ見ぬ未来に、タイムマシンが開発されて、過去にだけは行けるようになる、とします。
これもまた論理破綻してるんです。
だって、その、まだ来てない未来があるのなら、いずれは来る、マシンもできるとします、
であるならば、今って、その未来から見て、やはり過去になるわけですが、
今の時間軸に、そのまだ来てない未来から、未来人なりの作用って発生してますか?
「まだ未来が来てないんだから、まだ発生・作用してるわけがないだろ」とでも?
それって、矛盾してます。
だって、過去に遡れる未来がいずれ来たとするなら、過去は置き去りにされた
通過点、存在し続けてる、【保存されてる】という事を無意識に前提にしてるのでしょうが、
今って、過去になり続けてるわけなので、いずれ来た未来からみれば、過去ですが、
なんで今の時間軸だけが、都合よく、未来がまだで、過去に遡れるのか、
過去に遡れる未来があるなら、今は過去になり続けてるので、まだ来てない未来とは
「関係なしに」、今の、過去になり続けてる、この今に、何も発生してないのはなぜか。
「それは、まだ未来が来てないからだ」と言うのなら、未来が来れば今は過去ですよね?
今は過去なんですよ?
その、【まだ来てない未来が作用したい過去とは、今現在も含まれるわけで、
未来からの使者待ち、とでも言うのなら、こんな事を今考えてる過去に、
未来から何かの作用が、今現在来てない事は、未来が来てないから、
というのは論理のすり替えで、その未来が過去に作用するのだから、今って過去に
今現在も将来的にも、過去になってる、遡り対象の時点なのだから、
未来が来た時に、タイムマシンで今に来られるのなら、今って、『今』の事ですよ?
いつかくる未来が作用するのは、今も含まれるのに、未来待ちしたところで、
今が対象物なんですけど、理解するのがかなり難しいでしょうか。】

そもそも過去ってなんですか?
まるで、モノだと思ってませんか?

そもそもを言えば、未来の物質が、過去に遡れるなら、「資源」「エネルギー」は、
未来からいくらでも融通できてしまうし、未来の「資源」「エネルギー」は、
過去からいくらでも融通できてしまう、…すると、おかしな事になりますよね?
【物質の量が変動すると、過去と現在と未来とで、すべてにおいて、整合性が破綻する】
って事です。

いくらでも矛盾は書けます。
仮にタイムマシンで過去に来た人がいたとしましょう。
その時点で、物質の総量(人と機械・エネルギー等)が変動してしまってるのですが、
なんで、この手のおとぎ話では、その移動してきた人は、
都合よく、【その時点の形態を保ったまま、移動しているんですか?】
これは、【基点】に着眼すれば、簡単に、おかしな事を自分たちは言ってる、
と気づくはずなのですが…。
つまり、主語が自分なわけですね、その自分だけは、刻一刻と、
リアルタイムの時間が円滑に流れていて、今の主語たる自分は、突然今の姿から
若返られたり、老いたりしない、非常に現実的な時間視点で、
これらのファンタジーを語っています、…なんだ、自分はリアルタイムなのか、
じゃあ、そのまま老いるし、若返る事もできない、って、……なんか違和感ないの?
つまり、暗に、やっぱり自分本体(主語)の形態って、自然に流れてるリアルタイムを
甘受してしまってる、過去や未来に作用できるタイムマシンが本当にあるのなら、
今の主語たる自分を、そもそも永遠に、過去の自分と置き換えて、歳をとった自分じゃ
なくするなんて事も可能……にはならないのは、時間軸が沢山発生してしまう事になり、
「自我」に着目しても、今考えてる自分と、別の時間軸にいる自分、
う~~ん、なんていったらいいか。

目の前に金塊があります。
見張ってるし、ビデオ撮影もしてます、でも脈絡もなく、未来から作用されたら、
突然消えたりするわけですね。
脈絡もなく、というのが重要で、どういう過程を経て、物質が変動したのか、
説明できなければなりません。

同様のファンタジーなのですが、【時間をとめる】って話、
これもまた、時間を止めてる本人には、【な・ぜ・か】、リアルタイムの時間が経過してる。
つまり、時間を止められた側の時間は止まっているのに、
動けてる自分だけは時間が経過してるという、すっっっごい矛盾、
じゃあ若さ換算で言うなら、時間を止めててくれた方は若いままで、
時間を止めた側は、リアルタイムで時間が経過してるので、勝手に老いるって事になるよね?
しかも、止まってる状態に対して、何か変化を起こそう、イタズラしようとするのだけど、
時間て、そこで刻まれた確定事項なので、
例えば、箸を持ってご飯を食べようとしてる人の箸を取り上げるとしたら、
箸を取り上げる、という行動には、何が流れてますか?【時間】が流れてるんですよ?
おかしいじゃないの、時間が止まってるのに、箸が移動させられるためには、
時間が必要なんですね、ふ~~ん。
A地点からB地点に、物質が移動するためには、時間・速度・距離が発生するので、
これを無視して、全く違うところに発現できるなら、
そこに発生したエネルギーの飛躍が必要になり、そんな事は不可能なので、
「元々、移動させられる前から、箸が別の場所にあった。」状態でない限り、
あり得ないです。
箸をもって食べようとしてた人が、そもそも箸を持っていなかった、
不幸にして、認知障害になった人にだけ、あり得る話です。
他の説明は、胡散臭いなぁ~。
 

久しく言われなくなった「情報過多」って言葉。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 1月22日(火)18時45分53秒
返信・引用
  20年くらい前からインターネットが普及してきて、今ではスマホは革命と言う人もいる。
…それ、PCでやってた機能をSNSという言い方に変えてるだけで、やってる事は同じなので、
PCでも同じ事は20年くらい前から何も変わってないわけで。
スマホとPCの決定的な違いは、【位置情報】(人工衛星のGPS機能)を取れるかだけだと思う。
スマホのフリック入力を使わせてもらったが、とにかく俺には使いにくい。
思ってない言葉の候補が勝手にあがってくるので、気を抜くと、自分の言葉を使わなくても、
用意された言葉をあてがうようになり、あまり物事を考えなくても、
それっぽい考え方や、それっぽい文章が成立できてしまい、言い回しに気を使わなくなる。

…相変わらず横道にそれるのが多い。
「情報過多」って言葉、確かに、た、し、か、にっ、沢山使われてたと思う。
世の中にはインターネットの普及によって、情報が氾濫してる、として。
では、なぜ今は「情報過多」と言わないのかって、ほんの10数分前にふと考えて、
【情報過多と言われてた時期は、それらいちいちに意味があり、
それを処理、受け入れ、もしくは解釈する事を思って、途方もない事になった、
と、だから、自分の処理能力を超えつつある時代に、情報過多、という状況だった、
しかし、今は、『そもそも情報は、いくらでもあって当たり前』なので、
情報、という単語の持つ意味が変わり、つまり、それらすべてに、
向き合う必要がなく、取捨選択するだけで構わない、情報は最初からいくらでもあり、
蓄積され続ける、むしろ、削除される事はマレなので、すると、
自分の興味のあるものだけに注力すれば、有意義な時間となり、
自分にとって害であると感じるものとは、向き合う必要がない。】のではないか、と、
考えまして。

これは、俺は意外と先駆者で、「どうしてやりたくない事をしないといけないのか。」
の解として、さんざん30年数前の学生時代から言われている事が、
『いつか役にたつ』
『嫌な事から逃げていては、また同じ状況になった時に困る、繰り返す。』
これでだいたい黙らせられてきたものですが、これを今の、情報が当たり前の時代にあたり、
ワガママと、建設的な話、人生の満足度は、とても密接であり、
どうにも、自分の考えてる事と違う人たちと、話が通じない事に、
自分のリソースを割き、相手に自分の時間と労力が使われる事態は、不毛である。
不毛、という言葉も、長きにわたって、この掲示板で何度か書き綴ってきた単語。

誰かが正解を言う、新しい事を言う、やる、始める、それがかなりの説得力や、
膨大な知識量や、脳内の処理速度も相まって、、、さて、それが向けられた場合、
俺とその人、その人たち、水準というか、理解できる種族というか、
その段階で【イコール コンディション】ではないわけ。

これは、何を言ってるかというと、イコールに合わせる必要もない、という事。
合わせたい人がいたとして、合わせられる人が、
これも、30数年前の学生時代から言われてる事ですが、
『できないんじゃない、やるんだ。』
『自分にもできる程度なのに、できないなんて言わせない。』
『できないんじゃなくて、努力が足りない、やる気が足りない。』
『この程度の苦労なんて、私の苦労に比べたら、全然苦労にもならない。』
…これ、理論的な話してますか?
……だってね、これ、全部主語が、その話してる人が基準で、
それと相手や、他の人にも、それが当てはまる話か、【そうとは限らない】ってのを、
俺は弱いので、一生懸命に、【そうじゃないんだ】って事をつたない言葉で、
たどたどしく、なんとか跳ね返すのだけど、圧倒的な知識的な物量と正論でもって、
俺の指摘してる前提に目を向けてくれた人が誰もいなかったわけね。

元々不良だった子が、先生になりました、医者になりました、弁護士になりました、
だから?
だから、イコール、『どんな境遇だった人でも、可能性はある。
それを達成していないのは、本人の努力ややり方に問題がある。』
という結論ぽいのですが、これは論理の飛躍、をしてるのに、これが正論だと疑われない。
だって、元々能力のあった人間が、何もしてなかっただけなら、努力で、
なんらかの達成って可能に決まってるのである。
ところが、そもそも本当にできなくて、仕方なしにそういう立ち位置を、
甘んじてたり、なんかそういう風に見られてる、評価されてる、となると、
浮かないためには、そのままの役回り、役作りで立ち回ってないと、
他人の思い込みから脱線すると、「アイツは何々のはずなのに、【変わってる】」となる。
違いますか?

なんていうか、言おうとしてる事の60%くらいしかうまく説明できてない。
恨みが強くて、もっと説明したい事があったのに、自分に邪魔されてしまってる。

直近で言えば、韓国のレーダー照射問題。
全く話が通じない相手、話は実は通じてるけど、認めない相手、
この関係に直面した時に、『嫌な事から逃げるな』と言うのか、
『そこから逃げたら、またくり返す。』と言うのか、
…それって、ちっとも、困ってる人を助けないって話だよね?
「強くなれ」って事なら、理論的に、バカだよね、俺、何度か指摘してるけど、
共通の単語を使っているけど、その単語の意味合いが違ってしまっても、
会話って一見、成立してしまうから、その言葉の本当の意味の習熟度の差は、
どうにもこちらの努力では及ばない、なぜなら、相手都合もある事だから、
無理強いにもなりかねない、だからって、言っちゃうけど、
「右の頬をぶたれたら、左の頬もぶたれてこい」って論理と、何が違うの?
相手が納得するまで、説得を続けろ、相手が納得するまで、批判にさらされろ、だの、
…ん? って、んんん? ッテ、ならない世の中って、おかしいよな。
だって、なんで相手、の話?
こっちの立場で考えてくれなくて、守ってくれなくて、
「それはお前に悪いところがあるから、相手がそんな態度なんだろ。」的な、
なんで、困ってる人は、たびたび、…そう、宗教でも、自己啓発セミナー的な胡散臭いのとか、
改善を要求されるのが、困った、と訴えてる側が、逆に強く当たられる理不尽さ。
不毛だねぇ。
ワガママじゃあ、いけねーと、俺も思います。
しかし、状況を客観的に考えて、筋の通ってる話をしてるのに、『理不尽に諭される』
これは納得いかねーんですわ、昔っから、何十年も前から。
「筋が通ってるって、それはお前の屁理屈だろ。」とか、だと、
これは、単語じゃなしに、内容の習熟度に関する部分で、合理的な話であっても、
『それはおかしい事言ってるよ』と、…これは、決して話のすり替えではないです、
たとえば、豚に真珠だったり、猫に小判、なんてのは大昔から認識されてるわけです。
すっげぇ本質を指摘してるけど、世の中の価値基準の囚人からは、害だし、
攻撃対象にされる、困った事に、そういう【生きづらさ】を抱えた場合、
『寄りそう』などという、気持ち悪い概念でもって、
【何も話を聞かない、理解する気もないけど、キミはひとりじゃないよ。】
って事だから、前提が、ウソつき野郎なんですね。
ひとりじゃない事が問題なのではなく、なんでこの話がわからねーのかって事が
困ってるのに、話はわからないけど、寄りそうよって、お前、なんだ。

表現とは、その難易度が下がる事が、俺は福祉だと思います。
これ、結構本質だと思います。
難解な理論や概念が理解できなくても、それらを高度に理解できてる人たちでは、
さっぱり文明が更新されない事があったりするわけです、
例えば、「音楽」です、熟練した楽器の演奏や、高度な音階の理論が理解できても、
いい音楽を作曲できるとは限らないし、そこまでわかってるのにできないのか、とか、
だったら、突拍子もないところから、よくわからないけど、
頭のいい人たちからは無視されてた箇所に、心地よさを感じており、
それがどうした、って部分が、何度も押し寄せる方が、いい音楽の感性をもってたり、
物事を理解できる事と、意味を理解できる事って、かなり違う能力なのかもしれない。

俺なんかは、知識お化けと論戦できません。
だって、答えありきの相手なので、リアルタイムで新鮮に物事が発現されてる空間に、
知識への「参照」程度ならともかく、話を聞かないスタンスの人と、
会話って噛み合わないの、もう、誰と話してもそう、なんか話が合わない、
時計みたら時間だけ経ってる、全然建設的な方向に進まない、
そうか、「そうしたくない相手と俺は対峙してしまってるので、俺とは違うのか」であり、
これは逆もまたしかりで、「どうして自分にできる事が相手はしないのか」ではなく、
したくない、できない、努力とか、そういう部分じゃない人がいる、って事、
だから、だったら、なんの話をしてるのか、一見、会話っぽい事で、
論戦になっちゃう不毛な空間よりも、もっと違うものを探したり、なければ作ったり、
なければ作る、こっちを俺はしたいと常々思うのだけど、

【俺の生きづらさとは、他の人が気づいてないところに気づくのだけど、
それを具現化できる能力がないので、そのギャップで苦しんでいる。
そこらの事、ってきづいたり、それだ、と思っても、…すると、
それをどうやらできる水準の人たちは、ちっとも手をつけなかったり、
俺ならやるのに、くやしい、でも具現化できる能力がないから戦えない、無力だ、
見えてるのに、声を出したいのに】とか。
 

“格言”って言うの? なんか、そんなの。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2019年 1月15日(火)18時50分11秒
返信・引用
  ネット上の書き込みを見てると、過去の偉人の言葉なのか、ことわざなのか、
それを『確定事項(それはそういうものだから状態)』とばかりに、騒いでる人たちを
ピシャリと黙らせる言葉を、用いる人を時々目にする。
…の、だけど、痛い事に、自分の言葉ではなくて、教わった武器(理論武装とでも言えばいい?)
なので、どうにもその武器が、何人かには有効だったようで、その成功体験で、
万人にも有効という、万能感に陶酔してしまうのだろうかね、しかも自分の言葉じゃないのに。


【争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない】

これは、わかり易い例でいうと、韓国と日本がモメてる件。(慰安婦・徴用工・レーダー照射)
「いくら日本がまともだと言っても、韓国の主張にいちいち腹を立ててるのなら、
日本も、韓国と同レベルだ」って事を言いたいらしい。
「格が違うなら無視でいいだろ」的な、関わってる時点で、相手と同じ次元だろ、的な。
………この格言だかなんだか、バカだと思います。
あの、俺、前回の書き込みの余談で、『頭のいい人』の事を書きました。
頭の悪い人は、自分を過大評価してしまうので、
『そもそも同じレベルに達してなくても、自分はお前と会話できる。』と、
食ってかかる人がいるわけです、認知機能が低いので、状況把握が困難な人。
門前払いしようにも、昭和の訪問押し売りじゃないけど、買うまで帰ってくれない的な、
「勝つまで負けてない」的な、負けの分析が困難な思考水準なのだから、
おそらくこの手の人たちの言う「勝った」の評価は、相手が困ったら勝ち、程度では?
要するに、理論的な中身じゃないって事です。

さらに俺なりの考えを言うと、【争いは同じレベルの者同士云々~】、ならば、
それって、サイコロ状態じゃないんですか?
算数の「確率」で出てくる、サイコロの事例は、1/6の確率で、各面が出るわけです。
勝ちか、負け、なら、裏表として、1/2の確率になるわけですから、勝ったり、負けたり、
つ・ま・り、これは、争いが、同じレベルだから発生しているのではなく、
確率的に、【引き分け】にしかならない、証明になっています、つまり、
勝ちも負けも、長い目で見ると、意味を成さず、確率的に、引き分け状態なので、
引き分けるために争いってするのかね、争いってのは、勝つためにするわけで、
だから、案の定、この手の格言をひっぱりだしてくる奴は、こうも言う、
【喧嘩両成敗】と。
いやいやいや、真実はひとつなのだから、勝手に連帯責任理論持ち込まれたら、
ところで、お前はどの立場だ、当事者でもないなら、理論をもってこい、
責任及ばないところで、ギャラリー気取って上から目線って、お前は問題の本質も
わかってないだろう、わかっているなら、ジャッジできるはずだ、
ジャッジしない事は、何もしないって事だ、強制引き分け、『共生引き分け』とも言える。
手足を縛るのが、どうやら目的らしい、争いのない世界は、
物事を深く理解できる人たちが増える事で、お互いへの習熟度・理解度により、
先入観によらない、前提に誤解のない、そういうところが本質だと思う。
その域になってこそ、初めて、建設的な話になるし、建設的な話で言い合いにもなろう、
しかし、これを「争い」かと言われると、成熟過程なので、争いではない、
同じレベル同士なのに、争いにならない、むしろ、賢明に争いは回避され続ける。

よって、【争いとは、同じではないレベルの者が、難癖をつけてくる事に対して、
理論的な判断によって、断罪してるサマ】と、俺なんかは、思います。
「者同士」なんて言いません、同士じゃなくて、ハナから違うレベルなのです、
だから、争いになる、んです。
勝ったり、負けたり、最終的に引き分け程度の、同じレベル同士の争いとは、
それは、【楽しいゲーム】って、俺は思います、問題なのは、
「夫婦喧嘩は犬も食わない」的な、またまたお前の言葉じゃないものを持ち出してきて、
「どうれアレだろ、またいつもの喧嘩だろ」的な、中身をみないでうわべで上から判断する
この、わかってるよな連中、どうにかならないかね。
だって、認知機能が低いから、自分が頭がいいと思ってしまっているから、
自分を疑う知能がない、相手は疑えるだけに、どんどん自分は誇大になり、見下す、
いや、頭いいけど、致命的な部分で頭悪いよって指摘しても、通じないわけ。
バカなんですよって、教えてあげても、バカだって自分を疑ってもみない。
最後は、論理のすり替えで、「勝つまで負けない」ではなく、
『負け判定を下させない、卑怯な立ち回りで、さっきの噛みついてた話は
棚に上げて逃げ回りつつ、一生勝てなくても、負けてもいない、
でも文句は言える立場は確保できてるから、それでシアワセなの。
自分は必要とされてるの』的な。

………んーーー、困った事に、昼寝からの寝起きでして、寝る前に書こうと思ってた、
いくつかの、それは言いえてませんよ【格言】があったのに、これしか思い出せなかった。
ぬぬぬ、くやしい。

ところで、仕方がないながら、これはネタとして書こうと思ってた事だけは思い出したので
書いてみる。
キムキョンジュという東海大学教授が、口数多く、すっごく論破を謀ってたものの、
論理破綻してたので、頭がいいって、なんの差なのかなぁって。

ある番組で、慰安婦解決済み・徴用工解決済み・レーダー照射は日本が証拠持ってる、
という司会者に対して、『それは日本の論理ですよね』と、キムキョンジュ。
すると司会者が「いえ、国際的にです。」するとキムキョンジュが、
「国際的と言うのであれば、中国や北朝鮮も国際ですから、この国々がどう考えるか。」
…で、このやり取りは、司会者が苦々しく終了。

違うんだよなぁ…、この手のキムキョンジュみたいに、御託を並べる奴には、
そいつの理論で言い返せば、「お前が言ってた話はコレだったよな」で黙るしかない。
司会者は、あと一歩だったのに。
俺なら、続けて、
「キムさん、あなたは、国際的な判断に問題をすり替えて、“日本”だけが
勝手な事を言ってるかのような事を言ってる。
では、北朝鮮、中国、、、いいでしょう、では、『日本も、また』国際の一員であるから、
【それは日本の論理】と言って、黙らせようとしたのは、なぜですか?
国際の声をひっぱりだしたのだから、日本の論理って、言葉の使い方がおかしいですね。
日本の論理って、国際的な論理に混ぜられるべきで、日本だけの論理って断罪がそもそも、
おかしいですね。」
 

「芸能人は政治的な発言をしてはいけない」・「制限されるべきではない」理由。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年12月24日(月)23時18分55秒
返信・引用
  余談ですが、頭のいい人とは、周囲のノイズに振り回されず何時間でも集中してしまうという。
俺は、ひとつの書き込みで半日潰す事も昔はあったし、昨日の書き込みも2~3時間も実は
書き込みも使っており、時計をみて驚く、しかし、自分は頭がいいと思っていない。
さらに、頭のいい人は、自分ができない部分を理解しているが、
頭の悪い人は、自分の認知機能を過大評価してしまうという、が、
できない部分で苦悩してるのだから、それって、本当に頭がいいのか?
認知機能が正常に働いてるか、自分を疑えるかだけの差じゃないのかいね、
さらに、頭のいい人は、適応能力が高いのだという、が、適応能力が高いという事は、
その場、その場に適切な行動を取れるという事なので、俺は、その考え方は、
信頼度を考えた場合、いつでも考え方を変えてしまうと言えるので(卑怯)、
どこまで先まで予測できて、その今の行動なのか、ができなければ、頭がいいって、
言わないんじゃないのかな。

題名に戻り。

芸能人のローラが辺野古埋め立て反対の署名呼びかけ、の話。
芸能人は、政治的な発言をすべきでない、政治的な発言を、むしろするべきだ、
等々、『何この、理論のない議論。』と、気まずくもアリ、歯がゆくもアリ、苦痛でもある。

俺は、芸能人が、政治的な発言を、してもいい場合と、してはいけない場合がある、
と考える。
場合、というと、そういうケース、みたいな、ちょっと大人じみた、
物事結構わかってます、みたいな、多岐の選択肢からひっぱりだすみたいで、
そういう事での場合なのじゃなく、例えば、子供は純真無垢だったりする。
これは一般論ですが、ある宗教の家族で生まれ、育てば、そういうものだ、
と思って、育っていき、周りの考えと比較してみる時期が訪れ、
自分なりに検証してみる事があるかもしれない、俺が言いたいのは、
最初は、疑わずに受け入れる層・年代って、いるよね、って事。
例えば、芸能活動をするローラのファンがいて、ローラが、
ある程度の経緯を知って、ある種の発言をするとします、そして、署名を呼びかける、
しかし、署名を呼びかけられた側のファンの中には、なんだかわからなかったり、
その問題なるモノに対しての習熟度にはてんでウブだったり、その段階をも、
巻き込むという【責任】を負う、負える、のか、負えないのか、が、
政治的な発言をしてもいいか、よくないのか、の差だと思うのです。

結構簡単な事例です。
振り込め詐欺、疑いもせず「お母さん、困ったよ、振り込んでよ。」→振り込み依頼=署名活動。
何かの会員が、友人知人を2人紹介すると、無料で1万円分の商品券プレゼント→勧誘=署名活動。
…いったい、何をされてるのか、相手はよくわかってないのに、相手の人生の選択肢に
うわべの理由や、雰囲気で感情を動かしたり、本当の意味での理由・理論に、
達せないIQの相手や、達せるけど、まだ使った事のない頭の部分の時期だったり。

逆に、俺は、殺生がなぜいけないのか、明確に理論的に説明する事ができません。
命を奪う事がいけない理由、これを明確に、理論的に説明できる人がいるのだろうか。
今、物理的な戦争になってないのは、お互いに銃口を向けているので、
引き金をひいたら、相手も武器をもっているので反撃されるから手が出せない、だけ。
イジメでも、毎日TVで目にする、相手をイジって、弱点をネチネチ掘り下げて、
そこを茶化して笑いにする一連のカラクリ、これを人格否定と考えれば、
生かしたまま、疑似的に殺していると言える、相手に対して心理的凌辱をしているからだ。
また、何かを殺生するから、自分たちの食べ物はあるし、
蚊も殺さないのか、細菌に感染したら、お前の体は白血球に、
「その細菌を殺してはダメだ」と指示を出せているのか、なんていうか、その。。。
 

「金メダル」の実例。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年12月23日(日)19時28分54秒
返信・引用
   井田氏は「長年取材してきたが、私は捕鯨推進派がここまでこだわるのかが全く理解できない。調査捕鯨をやる組織や会社が困ってしまうので、食文化を守るということを言い訳にして続けてしまっているというのが捕鯨の裏の一面だ。しかし捕鯨産業がほとんどなくなった今、大企業がやっているわけでもなく、献金があるというわけでもない。老人のノスタルジーだと思うし、理由があるとすれば役人と政治家のメンツだと思う。かつて日本の交渉団はインクをかけられるなど、ひどいことをされたこともある。だから"ここで捕鯨を諦めてなるものか"という感情的なものも大きいのではないか。穿った見方をすれば、人手不足や船が老朽化してきて調査捕鯨が難しくなってきているので、止める言い訳という可能性もある。しかし、これだけ消費が減っている中、IWCを抜けてまで商業捕鯨をするメリットはほとんどないと思うし、クジラ肉が安くなるということもない。水産庁の資料に基づけば、調査捕鯨の方が獲れて供給量が多くなる」と指摘していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

------------------------
…ひぃ、休ませておくれ、洗濯物たたんだり、流しの洗い物もしたいのに、
ファイル読み込み作業で、ちょっとの隙にネットニュース見ただけで、
ちょうど下の書き込みで俺が指摘してたような「金メダル」な、とてもIQ高い人を見つけ…。

取り急ぎだから、いつもみたく、読みやすく引用元の文章に > や、改行してない原文のまま。

この人の言ってる話、ちょうど偶然俺はクジラの話をしてましたが、
すごいっ、俺がまんまと書いてた通りの「金メダル」理論。
ものすごく、賢く、理路整然と間違えていく。

彼の要点は、
【役人と政治家のメンツ(老人のノスタルジーとも。昔はクジラ食べてたなぁ)】
【日本人は捕鯨するからインクをかけられる嫌がらせを受けた。だから感情的に復讐心。】
【IWCを抜けるメリットはない。クジラを独自で捕獲したからと安くなるわけでもない。】

くそー、取り急ぎだし、もう面倒くさいので、俺の下の書き込みを
理解できていれば、全部クソくらいの重力で論破まみれに、一言一句、したいものの。

では、取り急ぎの、プラチナメダルではない、規格外からの物の味方。

IWCを抜けるメリットがないなら、IWCを抜けるメリットを考えるきっかけにならない?
ちなみに、メリットがない、という「メリット」って、何の?
誰かに波風立てないことが正解だと言うなら、日本には波風与えても正解って事?
それって、矛盾してません?
さらに、予測矛盾を指摘すると、恐らくこの手の人たちはマイノリティーの意見を
尊重したりするスタンスなんだよね。
そうすると、少数派の日本は守らないって、おかしな話、だね、ねっ?
クジラは知能が高い、可愛そう、というのなら、知能が低ければ
捕食してもいいのか、牛は食ってもいいのか、の話はすでにあるけど、
彼もまた、【感情論】なんだよねー、頭が金メダルなんだよね、賢く間違ってる。
だって、官僚や政治家のメンツが感情論だと言うのなら、
【知能】とは、【感情】を持つ生命に対して、可愛そうって事なので、
可愛そうなのは、感情をもつ生命、であるなら、その感情をもつ同じ人間を
否定する行為って、そもそもおかしくね?
つまり、メンツがマジだったとしても、メンツって感情だから、感情論を
否定するのって、そういうのが嫌だ、という、感情論、自分が感情論で指摘してるじゃん、
それって、矛盾じゃん、話が通らない、お話にならない、違う?
さらに、問題の本質は、古来の伝統を否定する権利は、相当の理論的な間違いを、
科学的に証明しなければならない、これは、日本が法治国家であるから、
【立証責任】は、当事者は負わない、イチャモンつけてる側が、立証責任を負う。
つまり、キリストなんているわけねぇと思っても、日本政府として、
世界のキリスト教を批判してない、きっと証明もできるだろうが、
わざわざしない理由は、宗教の自由(ママゴトの自由)は許されてるからな。
ママゴトだから、自己完結してくれてれば、放置して見守るだけで済むからな。
ところが、聖書を根拠に、オーストラリア大陸や、イースター島で殺戮やりやがったな、
宗教は、そういう面もあるんだな、ママゴトしとけって思っても、本番するんだな、
とかね、そういういちいちだよ、別に裸で暮らしてても構わないだろ、
【国家】があるのなら、未開の人を裁くとは、
そこは、時間の概念がない奴は、一生「金メタル」どまりなわけさ、俺は違うね。
それじゃ【事後法】なんだよ、なんでテメーの正しさを、適用してんのか、
つまり、未開人にとって、それは問題がないから行っていたのに、
後から作られたルールで、それは悪い事です、間違ってます、って言われたら、
理論じゃなくて、感情論じゃないなら、裸で過ごして何の科学的な問題があるのか、
説明できないといけない。
それはヨソでは恥ずかしい事だと、自分たちで気づくならいいだろうし、
こちらに害を与えてるという事なら、そこは共存するなら取り引きが必要だし、
共存しないなら、ほっといてくれだし、さて、アイヌ文化で言うなら、
そもそも狩猟民族だったものが、農耕に切り替えられて、適用できなかった家族は、
それなりの人生に成り下がった話が、最近ETVで紹介されてましたが、
完全に鵜呑みはしませんし、仮にそうだとしても、
望まなくても自然災害もありますし、人災だったとしても、
そもそも人と自然って、別なんですかって話ですし、人って人工的なんですかって、
違うでしょ、自然から生まれたのが人間でしょ、意思をもつと断罪されるなら、
意思をもってるクジラは保護するって矛盾だろうがよ、とか、
なんか、そういう理論的な思考が、なんで賢い人たちって、屁理屈に走るのか、
致命的な部分がバカだから、疑う回路が欠落してるから、賢いまま暴走するのかなんなのか。
 

「世界に一つだけの花」の歌詞をふと…。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年12月23日(日)18時30分47秒
返信・引用
  有名なフレーズで
♪ナンバーワンにならなくてもいい。元々特別なオンリーワン♪
が頭に最近ふと、意味もなく浮かび。

余談ですが、日本中の桜のほとんどは【接ぎ木】という手法により株分けされているので、
オンリーワン、という概念をどの範囲までを既定するかで、意味が違うよな。
二度とは発生しない組み合わせなので、そのコピー版が日本中の桜なのだとたら、
「どこがオンリーワンだ、そこらじゅうにコピーだらけじゃねーか。」
と突っ込みを、、、入れるIQだと、社会で生きていくのはツライんだよ、せめぎ合いの俺。
で、理論的に考えて、もう二度と作れない組み合わせの品種だから、という時点で、
【オンリーワン】なのであって、それの複製をしているに過ぎず、
オンリーワンは揺らがない、、、のだけど、ちょっとだけ高いIQだと、
『屁理屈』という概念が乗るようで、(※すべて俺の頭の中での想定問答につき)
どうやら、いくら株分けされようが、生育環境が異なれば、それぞれの育ち方になり、的な、
(例えば、日本人で生まれても米国で育てば英語しか話せない事も、的な。)
…要するに、俺の指摘する『屁理屈』とは、論点が違う話を、実は持ち出しているのに、
「そんな単純な話じゃない」的な、自分から迷いの森に踏み入って、答えがないと気づかず、
今その話じゃないのに、さもその話でマウントを取ったかのような上からの振る舞い、
物の言い方、ズレてるのだけど、自分を信じる人は強いと思ってしまってるものだから、
本当は自分を疑ってみて、間違いがないか多角的な客観視ができる方が、
疑う作業を常に怠らない方が、強いと思うのだけど、なんていうか。

この『屁理屈』な層が、ものすごく多い気がします、オリンピックで例えるなら、
金・銀・銅、ここを争っていて、だいたいが、金か銀かの層です。
これは皮肉の話でして、昭和40年代の、【国民総中流意識】に似てるな、
歴史は繰り返してるな、なんて、みんなそこまでレベルが高いけど、
肝心の、実は核心には届いてないけど、金を取れたところで、みおろしはじめる、
というか、その上の、金の上のプラチナメダルを取るIQはない層だらけなので、
世の中は、小賢い、屁理屈だらけで、ちっとも、実は、賢く間違って、
賢いだけに自分を疑えないので、融通が利きやしない、バカばっかりという皮肉な状態。
まだ、移り気なミーハーの方が話が早いくらいだ、信頼度は最低なものの。

お嘆き、愚痴は、このくらいにして、最初の話。

♪ナンバーワンにならなくてもいい。元々特別なオンリーワン♪

の歌詞の事です。
これは、銅・銀メダルな層には、賢く、そのまま受け入れると思うのよ。
しかし、金メダルの層は、もうちょっと賢く、
「本当にオンリーワンなら、そもそも競合相手がいないのだから、
その時点で【ナンバーワン】って事じゃないの?」くらいに気づくのかな、って。

でもプラチナメダルじゃない、この金の層、このクソ屁理屈感がムカつくんです、俺は。
俺は、何メダルかと言えば、規格外なので、メダル争いに参加できない層なので、
ズレた論点を指摘するものの、額面通りのズレではなく、本質を見逃さないので、
結果的にズレてみえる錯覚にいる層というか、幻のような、公的に認められない層。

この視点(多角的のひとつ)で見ると、
「ナンバーワンにならなくてもいい。」
「元々特別なオンリーワン。」
ならなくて【も】、と言ってるので、ナンバーワンになっても構わないって言ってる、
のは、前提としてあるよね?をまず、共通認識(分数の通分的な・イコールコンディション)で。
で、前者は、誰かから言われる事じゃなくて、自分で考える事だよね?
つまり、ならなくてもいい、って、なんでお前から言われねばいけないのか、の意味と、
後者は、元々特別であるという、前者の価値観の強要とは違う、事象の説明という、
違う意味合いが実は並列されてる歌詞なので、実は、【言葉による印象操作】が
隠されている、この短い歌詞の中に、という事に気づかないと、
なんだか額面通りに取ってしまう、よね、アブネーな、って話を、まず。
その上で、そうおっしゃるのであれば、
オンリーワンという言い回しは、ナンバーワンになれなかったときの、
自分の心を保つための滑り止め受験的な、保険的な、
「ナンバーワンになれなかったけど、そうだ、そもそもオンリーワンなんだ」な歌詞なのか、
そもそも、オンリーワンなのは当たり前という前提の上で、何に価値を見出すか、
仮に誰かと重複する事態になったら、その時は、どちらがより優位性があるかの
争いになる、もしそれを回避するならば、自分のアイデンティティーを失う為、
これは、オンリーワンではなく、【他の誰でもいい】という状態になるわけだ、
俺は、結構、本質を言ってると思うぜ。
つまり、重複するからには、オンリーワン(自我)である限り、争いになる、
回避とは、保留・先延ばしの事であり、解決させない、問題の進展もさせない、
という事であり、なんともムズがゆい、白か黒か、どっちでもないって、
俺は水を飲んだ、のに、相手は「お前は飲んでない」と言われたら、
俺が今飲んだ水は、幻なのか、水を飲むという言葉の定義が相手と違うのか、
いずれでもないなら、どちらかが間違っている、つまり、
白と黒の共存する、灰色の状態などインチキで、白か黒か、しか事実はない、
右からみれば、左側に見え、上から見れば、下側に見え、的な、
立場が変わると、基準が変わるので、どちらも正しい事を言っているけど、
どちらも、お互いに相手の言い方を否定してたり、そもそもどちらも間違っていたり、
…なんていうか、物事ってそこまで考えてこそじゃないと、って思うのです。
って、思うのです、という言い方にしたのが、「そこまで考えなければなりません。」
と言われると、すっごくムカつくのですよ、なんでお前が、やり方、生き方の
ジャッジしてんだよ、この野郎、と。

これはひとつ、科学的に証明されていて、同じ捕食者同士なら、
その同じ食べ物の分母が決まってしまってる限り、共存はできず、
どちらかが退かなければ(個体の分母減少)、争いになる。
例えばクジラと人間の関係で、アジを大量に捕食するクジラが海に溢れると、
人間の取り分がなくなる。
だから、クジラの頭数を減らすか、人間が減らなければならない。
「そんなバカな。人間の方が賢いのだから、アジ以外の物を、
人間の方が工夫して食べればいい。もしくは、自然界にいるものじゃなく、
人工養殖して、人間はそれを安定的に食べればいい。」
という考え方も、あるかと、思いますが、この論点をする人に聞きたいし、
きっとその答えにアレルギーが俺は起きますが、
『それって、道で誰かにぶつかりそうになったら、気づいた方がよければ済むって話?
じゃあ、相手は、“自分はどこかで誰かによけてもらってるから、
今まで一度もぶつかってなかったのか”と気づかないままの人生になり、
その先を目指したい人にとって、誰かを尊重してる間の、
自分の人生のリソースを相手に割いている、しかし相手は自分の人生の真っ只中で、
まさか誰かの時間を奪ってるとも気づいてない、そもそも気づくだけの能力もない、
ならば、頭のいい人は常に損で、頭の悪い人は何も工夫をしなくても、
ただ生きていてくれてていいよ、頭のいい、こっちで工夫してやりくりしとくよ、
って事になりますか?』
…と、想定問答していたら、…意外と、この考えにアレルギーが起きてない自分。。。
し・か・し、本当のアレルギーは、ココじゃねーんだよ、コラァァ!!
その意味を理解してない連中が、難癖つけてくるときだ、コラァァァァァ!!!!

昨今の【あおり運転】に矮小化して話をしてみると、これがまた、
本当にもっと矮小化して、すっごく頭のいい、金メダルな連中が、
全然プラチナメダルには、一生届かないところで論争してる。

物事には【時間の概念】があるのですが、意外と日常会話なり、議論で、使われません。
ある賢い評論家が「あおり運転をする人の心理には、『復讐心』があります。」と分析。
逆に言うと、基本的に、誰にも、復讐心って、ありません?
ひとつの証明として、日本が法治国家を守っている理由に、
復讐を許してしまうと、殺人が起きてしまう、殺人を避けるには、
当事者に復讐をさせず、第三者、つまり、法律が代わりに裁くから、
なんとか殺人を自重・思いとどまるように、そうでなければ、罰をうけるのは、
いくら被害者だとしても、お前も加害者と同列に扱わねばならない、
という縛りがかけられてるわけですよね、…ん、考えたらこれはこれで理不尽で、
フェアではありませんが、便宜上、仮に受け入れたとして、
あおり運転をしてる人、だけだと、『時点』ですよ? 時間の概念の話をしています、
経緯として、いったい何があったのかを見ないと、問題の本質はわかりません。
そもそも理不尽に「俺は前に行きたいのに、チンタラ走ってんじゃねーよ」と、
むしろ法定速度よりも、少し速いペースで走ってる車に対して、
自分のペースの方が、それより速いからといって、プレッシャー(あおり)を
かけ、「そんな事をされる覚えはない」と、【反論(復讐と言ってもいいはずです)】は、
自分の生存、さっきのクジラと人間と言ってもいい、の為に、
間違えていないのだから、そんなに車間を詰めてくるな、と、ブレーキを
踏んで、普通の車間距離なら何も問題のないブレーキが、
そもそも異常接近してる後続車両にとっては、急ブレーキと感じるとします、
そもそもあおってた後続車両は、挑発されたと思って(そもそもオメーが【あおり】の発端)
もっともっとあおり運転をエスカレートさせて、そんな事をされる覚えはないと、
逆に押し返すくらいの意思表示をします、勿論、危険な行為ですが、
危険の意味、ですよ、金メダルさんにはわからないでしょうけど、
魚をさばく時に包丁を使います、それをとがめる人はいないでしょう、
人を刺す時に包丁を使います、それはとがめられるでしょう、
あおりを最初にしてた人は、包丁を人様に向けていたのです、【まだ刺してない】に過ぎず、
…まぁ、わからないんだと思います、俺が何を言ってるのか。
直近の時事的な話をしますと、この書き込みが古くなった時に、
いったいなんの話かわからなくなるかもなのですけど、
韓国軍が、日本の哨戒機に向かってロックオンを行いました。
まさに、まだ刺してないけど、刃物を正式に向けてる状態、後は、刺す(ミサイル発射)のみ。
韓国は、「結果的に、刺してないだろ?刃物向けたのは認めるけど、
魚をさばこうとしたら、そこにお前らチョッ パリ(日本人への別称ブタの足先の意味。
昔の日本人は足袋を履いていたので、ブタのひづめのように、2つ爪に見えた事に由来。)の
哨戒機が、その間に、偶然入ってきちゃったんだよう、わざとじゃないニダよぅ、
許しておくれよぅ。」な言い訳をしています。
分単位でのロックオン、しかも複数回、意図しなければ発生しない事態と言えます。
間違ったのであれば、その旨をその場で、基本的に今は友軍状態なので、
連絡はできたでしょうが、そういう事実もないし、
ロックオンとは、「精密に、【そのものに向かって】照射し続けなければ成立せず、
仮に間違ったのであれば、ほんの数秒で、精密照射は、違う的にずらすか、
照射自体をキャンセルできるはずです、ところが、数分間とは、
意思をもってやらなければ、そのものに向かって、当て続けるのは、
ある種の芸当になってるわけで、偶然に当たり続けるのは、かなり苦しい言い訳」だと、
俺なんかは、思います。

東名高速道路の煽り運転事故は、経緯を知ってる前提として俺の所見を話しますと、
【問題の本質は、危険運転致死傷罪ではなく、『未必の故意による殺人』だと
なぜ警察は断罪しなかったのか】という事なのです。
危険運転致死傷罪は、罰則の上限が数十年に引き揚げられましたが、
殺人罪だと、最高刑は死刑まであるのに、です。
死刑ありきの話をしているのではなく、刑の上限が確保されてる方の量刑で
事案を組み立てていったのが、そもそも理論的に、【事象に、そぐわない発想】だと、
指摘します。

た・と・え・ば、電車の到着を待っていた人が、後ろから押されて、
プラットフォームから落とされ、電車で死亡しました、とします。
これ、誰が悪いんですか?
【何罪】だと思いますか?

直接殺したのは、電車を運転してた運転手ですが、
そこに人を落とせば、電車が轢いてくれる事を予測(未必の故意。わかってるけど、
そんな事には気づいてませんでしたよ、なテイで、わざとするって事です。)して、
後ろから突き落とした、誰が悪いですか?
結構、話は簡単じゃないですか?

さて、じゃあ東名高速道路の煽り運転、そもそもSAで、他の人にも迷惑なのを
わかってて、エサをまくかのように(わざと注意されたい)、スペース的に、よけるにも邪魔な、
駐車スペース外に車を停めてて、邪魔だ、と注意した今回の被害者家族にロックオン、
その後追い回して、高速道路の追い越し車線側で無理矢理停車させて、
車かから引きずりだして、謝罪させて(迷惑駐車をしていた方が、注意された事に謝罪要求)、
さて、先ほどの電車に置き換えまして、
自分は車に戻ります、(プラットフォーム上)、相手は線路上です、
電車が近づいてきます、
でも、逃げたくても、プラットフォームが高くて、上る時間はありません、
自分は、手を下してないけど、後ろからきた車が轢き殺してくれました、
まんまと、自分がしかけた落とし穴、その椅子に座ると、他の人の頭にタライが
落ちる仕掛けとは知らずに、座りたいな、「やった、座る席が空いてる」と思って、
勢いよく座ったら、座った人は意図してないのに、誰かの頭にタライが落ちて死にました、
って状態、八代弁護士って人が、ひるおびって番組で、
「警察の主張する監禁罪は難しいんじゃないか。だって、確かに通せんぼされて、
被害者家族の車は逃げ場がなかったかもしれないですけど、
今回の直接殺してしまったトラックの、前のトラック等は、
指示器を出して、回避できてるわけなので、
閉じ込められてる、監禁されてる状態かというと、かなり疑問。」
との事なのでしたが、この監禁についても、時間の概念を使うと説明がつきますよ、弁護士。
では、指示器を出して回避できた数台の車、『までは』、監禁ではなかったとしましょう、
ところが、【回避できなかったトラックが出現】した『時点』で、
トラックは空間の閉まる扉になり、逃げ場を失わせ、その扉は、そのまま被害者を
押し付けて殺したのであるから、回避できなかったトラックの出現した時点で、
いきなり監禁が発生したのです、それも、その扉の役回りを演じさせられるとは知らず、
トラックのドライバーは逃げ場のない空間を作る事に加担させられました、と言えませんか?
俺も常識がありますから、そもそも、なんでトラックは、車間距離をあけてなかったのか、
とか、なんでトラックが追い越し車線を走ってたんだよ、とか、
過失が全くトラックにない、という話をしているのではありません、
あくまで、殺人に加担させられた構図、ここを見逃すな、ここを、見逃すな、
加害者が仕掛けたトラップが、作動して、一連のピタゴラスイッチ状態に。
なぜ、この簡単な問題を、賢く、難しく、解こうとするのか、視点を変える奴はいないのか…。
 

今朝、奇妙な夢を見た。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年12月15日(土)14時24分9秒
返信・引用
  私、今、耳下腺炎の真っ最中で、正確には耳下腺炎(おたふく風邪)かと思いましたが、
よくよく調べると、『ヘルペス』、症状がすごく似てる、決定的に違うのが、
髪の生え際のオデコに直径5cmはある赤いブツブツした腫れ物。
医者に行っても、どうやら鎮痛剤の処方しか能がないようで、1~2週間で完治らしいので、
市販(いざという時用に備えてる常備薬)の鎮痛剤とオイラックス(ステロイド入り。綺麗に治る)
の薬で対処中。イテーのなんの、耳の下にはグリーンピース大のリンパの腫れみたいなのが
左右ともできてるし、首筋も腫れてるし、髪は撫でただけで皮膚が痛いし、
頭蓋骨を突き抜けるような、頭痛とは違う激痛がズキーッと断続的に来るし…。

そんな中で、珍しく、今朝の起きがけに、珍しく鮮明に夢を見てまして。
ウィルスが脳に入ったら、インフルエンザだったら奇声をあげたり、
ヘラヘラ笑いながら家を飛び出して道路でひかれたり、マジである話ですが、
俺の場合はそうじゃなくてよかった。
激痛やらでうなされながら、小学校時代に流行ってたルービックキューブを
夢の中で、理論的に解いていて、それが夢だから解けたという、「なんだ夢か」じゃなく、
起きても興奮してるほど、理論的に正しい夢を見ていて、1面揃えるのだけが
やっとだった小学校時代でしたが、この45才にして、夢の中で全面揃えられる解法を
理論的に気づきました、誰に教わったわけでもなく。
手元にルービックキューブはもうないですが、きっとこの方法で全面揃えられると、
何度もシミュレーションして確信。
それで思ったのが、1面だけを揃える方が、よほど頭を使い、
全面を揃える方が頭を使わないと気づきました、要するにジグソーパズルの四隅と同じ。
四角なので、場所が確定してるわけです。
ルービックキューブも、四角なので、四隅、立方体なので、角の3面の色は確定されてる。
後は、その色に合わせるように、残りの7角の場所を見つけて、色を揃えるだけ、
なのではないか、と、夢の中で思いついたのであった。
この45才にして、なんでこんな単純な事に気づかなかったのか、しかも夢の中で。
起きてからも、その発見、気づきに興奮しており、その興奮の流れで、
車の4WSのシステムについても思いがめぐった。

昨今の4WSは、車の回頭性や挙動の安定化を狙ったものばかりですが、
ちょっと専門的な単語をいうなら、逆位相・同位相という後輪操舵がある。
逆位相とは、前輪のステアリングを切った方向とは、逆に後輪が切れるので、
小回りに有効、というのが一般的な認識。

そのルービックキューブの、やたら理論的な夢からの流れで気づいた事がある。
そもそもこの逆位相とは、後輪が余計に外側に振られる挙動なので、
これって、薄々気づいてたけど、『ドリフト』状態を作り出してるわけだ。
きっと誰も4WSとドリフトを関連付けて考えてる人はいないと思う。
でも挙動として、右にステアリングを切る、後輪は切った方向とは逆にお尻を振る、
…うん、これ、ドリフトって事なんだよね。

だから、このまま運転してしまうと、なんとも後輪が落ち着きのない、
クネクネした挙動になってしまうはずなんだ。

つまり、俺のこの興奮してる流れで気づいた事は、4WSは、通常運転時には、
一切介入しない方がよく、しかし、決定的に効果を発揮する場面もある、
それが、これも専門的な言葉になるが、「アンダーステア」と「オーバーステア」、
この挙動時である。
アンダーステアとは、フロントタイヤがグリップを失って、ステアリングを
切っているのに、外に外に膨らんでいく状態、この時に4WSで、逆位相が介入すれば、
アンダーステアを打ち消すはず、なぜなら、曲がりたい方向に、
車が向いてくれないのだから、後輪が逆位相になり、「こっち」と補正させる。
ドリフトを意図的に起こしてる人たちは、要するに、意図してるよりも、
鋭角に車を曲げたいために、後輪を外に振り回すので、
その際、タイヤは摩擦で煙を出し、ハデな音も出る、バカな事である。
逆にオーバーステアは、素人が絶対に出してはいけない挙動で、
後輪のグリップを完全に失って、テールスライド(ドリフト)を起こしてる状態で、
カウンターステアを適切に当てられないと、スピンという最悪の結果になる。
…な・ら・ば、今度は、ステアリングの舵角以上にテールが流れてるのだから、
これを打ち消す為に、「同位相」が4WSとして介入し、ドリフトしようにも、
後輪が、ドリフトと逆の向きに、つまり、ステアリングを切った方向と
全く同じ方向を向くので、ドリフト(船の後ろが水に滑って流れてく)は打ち消され、
ひたすら安定方向に補正される。

つまり、4WSとは、最近の「横すべり防止装置」なる技術(ブレーキの個別自動介入)ではなく、
根本的に、路面に設置してるタイヤの向きを安定方向に操舵させる、安全装置としての、
新しい概念として採用してはどうか、という事に、どのメーカーもやってない思想として、
ひらめいてしまいました。

これは安全装置が主眼ですが、前から言ってるように、
では、コーナー脱出時に、加速をかけるけど、まだステアリングを切ってる状態、
すると荷重が後輪に逃げるので、前輪のステアリングが曲がりにくくなる、
アンダーステア傾向になる、この時に逆位相が少し介入すると、
加速しながら曲げてるのに、やたらと素直にコーナリングが可能になるはずなんだ。
だって、前輪から逃げてしまった荷重は、後輪に行ってるので、後輪が操舵される事で、
加速しながらのコーナリングが、今までの常識を覆すほど、自然で綺麗な挙動を示すと確信。
 

電子マネーって家計簿的にどうするの?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年11月16日(金)17時27分35秒
返信・引用
  とか、「簿記」的に。

…というのも、前回も電子マネーの書き込みで触れたけど、調べるほどに
【日本銀行券=電子マネー】ではないからだ。
つまり、日本銀行券を電子マネーにはできるけど、
『電子マネーを日本銀行券(円の現金)』にはできない、からだ、これは等価ではない証明。

で、これは何も新しい概念ではなく、緑の公衆電話な俺世代なら知ってる、
「テレホンカード(おぉ何気にテレフォンカードではないのな。スマホ的な。否スマフォ。)」
と同様に、プリペイド(【日本銀行券】の前払い)カード、という電子化。
もう30年以上前からあるわけだ。(クレジットと同様に『ツケ払い』な電子マネーはあるが、
ここではそうじゃない方の説明。一言言うと、クレジット介入の電子マネーは、
電子マネーの、俺が考えてるメリットをデメリットにしてしまってる。)

【で、電子マネーはプリペイドなのだけど、これは『変換』してる処理か?】の疑問。
これについて、Amazonの公式サイトが家計簿的にヒントをくれている。
逆に、電子マネー発行会社どもは、明確に触れてない。
何が言いたいかというと、Amazonギフト券というのが、電子マネーに相当する。
プリペイドした金額は、Amazonにログインすると現金払いした金額が表示される。
この時、Amazonの説明で「お支払いいただく」と、【これは商品である】と明示されてる。
そう読み解けない人もいるかも、だけど、俺の読解力ではそう理解できる。
だから、このギフト券(電子マネー化)にした時点で、すでに自分のお金がなくなってる、
という処理を、家計・簿記的にするのが、理論的に正しいのだと思う。
実際には、その電子化した数値(あえて金額、と言ってない。すでに【円】ではないので)は、
そのまま関連企業で商品と交換可能(購入ともあえて言ってない)になるわけだけど、
電子マネー化した時点で、【出費】扱いに、家計・簿記的に、した場合、
では、電子マネーで商品購入(交換)した場合の家計・簿記的には、例えば、
サラダ油を電子マネーで購入したので、「費目 【食費】380円」と、入力できないのだ。
だって、理論的に、すでに現金は払ってるので、新しい出費をしてるのではない、
だから、処理的にどうしたらいいんだろ、という疑問なのである。
電子マネー化した金額は、すでに損失なのである、払ってしまってるお金なのである。
事実、やはり現金化したいと思っても「換金には応じられません」の文言がある。
つまり、預けてるのではなく、やはりプリペイド(先に支払っている)なのである。
事実、規約に『弊社都合で、これらのルールは予告なく変更できる事とします。』とある。
これは要するに、1ポイントが1円なんて誰が言った?も、アッチ都合で自由自在にされ、
さらに、会社が潰れたり統合したので、その電子マネーは無効って事で、もアリになる。

だから、家計簿・簿記的にどうしたらいいもんか、と。
もう電子マネー化の時点で損失って事なのである、等価ではない、現金は持っていかれてる、
だから、これから商品交換する時に、費目を書こうにも、その費目は、
電子マネー化し時点ですでに発生済みなので、それを未来に何に当てがうか、わからん時点で、
費用がすでに発生してるので、困った困った…。
例えていうなら、【貸したお金は、もう戻ってこないと思って貸す。】状態になってる。
では、商品と交換した状態なら、貸したお金の一部が戻ってきた、と解釈できる。
全額を商品と交換し終わった時点で、貸したお金の全額が戻ってきた、と解釈できる。
で、あるものの、それならば、商品と交換するごとに、【収入】処理をしないと、
いけなくなるので、収入の費目で「食費」「日用品」「家賃」等々、そんなものはないし、
なんとも複雑、難解になってしまう、買ってるけど、すでに払ってるし、
買ったんじゃなくて、商品で損失した分を返してもらってる、回収してるし、なわけで。
だから、家計簿的に、どうやって入力したらいいんだろ、って悩んでる。

ちなみに、そういう事で、テレホンカードなら、【通信費】の費目で、
カード1毎購入時点で全額処理できたろうさ、公衆電話でしか使えないから。
でも、電子マネーの場合は、その前払い金を、何と交換していくかが未定の費目なので、
交換が成立した時の処理がわからん、って話なのである。
俺は、答えを知ってるけど、偉そうに詰問してるのではなく、ごく一般的な、疑問である。
学校で先生に質問する程度の、で、「答えはこうだよ」と安易に言われるとムカつくのだ。
お前は考えたり、疑問を経ての、ソレなのか、と、処理方法を先に学んで、
考える事もなく、答えだけこっちに言ってきてるなら、かなり気に入らねぇよって話さ。
 

今日の一言。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年11月12日(月)16時03分21秒
返信・引用 編集済
  最近直面してる、生活における考え方について。

一般(明治)「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」

私事(平成)『平和と利得を望んでみれば、文明退化の音がする』←深い意味で。

なんて、思いました。

余談。
選択の判断において、必ず葛藤が発生しますが、葛藤もなく即決できる人を、
うらやましいと思いますが、私にはその魅力を感受できる能力もないので、
うらやましいと思うのです。
その魅力が理解できる有能さがあれば、うらやましくないわけなので、
理解できない私は、よくよく考えたら、うらやましくないのかもしれません。
 

電子マネー(理解中)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年11月 6日(火)13時16分4秒
返信・引用
  (※前の書き込みで、後で書くと言ってた話、また後で。)

MVNO(別名・格安スマホ。正確には、キャリア大手が使わなくなった古い回線帯を
使わせてもらってる会社の事。そこが発行してるデータSIM、音声対応SIMの入ってる
スマホが格安スマホ。考え方として、動画等の大容量、高速通信が必要な場面なら、
Wi-Fi接続可能な場所で使うわけで、キャリアの富豪向け回線にお金はアホくさい)

色々書こうかなと思った事があったけど、保留してる内に消えていく。
直近で思った事だと、「自己責任論」の話。
この論で討論する前に、前提の答え合わせをしないと、話が建設的に進まないと思った。
それで、前提の答え合わせに最適な難問を思いついた。
【無人野菜販売所】の、自己責任論を正しく証明せよ、という俺からの、俺への自問自答。

まずヒントとして、自己責任で議論になるのが、鍵をかけないで泥棒に入られた、と。
盗んだ泥棒だけが悪いのに、鍵をかけなかった人も悪い、という議論は、必ず割れる。
露出の多い服を着てチカンに遭い、そんな服を着る意味は目的は?
見て欲しいの?欲しくないの?と考えた時に、部屋着で外出してない時点で、
不特定多数からの人目を想定された服装である事は、否定できませんよね?

無人野菜販売所を少し分解すると、
●野菜とお金入れを置いてる農家、野菜もお金も監視下では取り引きされてない。
ここでの自己責任論は、どこに発生しそうですか?また、発生してませんか?

●実際に購入した人がお金を入れて、野菜を持ち帰る。
何も問題がなさそうだけど、本当にお金を入れた証明も何もないです。

●泥棒発生。お金を払わずに野菜だけ盗みました。お金も野菜も盗むか、またはお金のみ。

これの自己責任論に想定される人たちの可能性を列挙せよ。
お金を善意で入れた人は、泥棒に対して請求権があるのか(農家に支払う目的だったので)、
1,000円札しかなかったので、お釣りを貰おうと、お金入れの箱から、900円を取って、
1,000円札を入れて、100円の野菜を購入したものの、傍から見てた人からは、
900円を抜き取る現場しか見てもらえてなかったら、そこから抜き取ってる人にみえるが、
そういう誤解を与えないように、大声で今から1,000円札入れますんでお釣りを出すだけと、
周知してない自己責任が発生してしまうのか、
農家は泥棒に対して請求権があるが、管理を怠ってるので、盗まれても仕方がないのか?
そもそも、そこにあるからと言って、盗む泥棒が一番悪いので、
盗まれる事を想定してたら、無人野菜販売所にお金を入れて購入した人も、
泥棒に現金を盗まれてしまう農家を思ったら、むしろ買わない方が、泥棒を利する事に
ならない、お金を渡さない、しかし農家は野菜の鮮度は落ちていくし、お金も入ってこない、
農家の恰好した人が、お金だけもって、その無人販売所の人と何も関係ない泥棒だった、
騙された人が悪いのか、騙した人だけが悪いのか。

物事は、シンプルに考えるべきだと、常々思っています。
それも、正確無比で、単純明快でなければ本質をみれてないバカのただの単純化に成り下がる。

地方、田舎では、玄関に鍵をかけてない家々が沢山あります。
そもそも泥棒が入らないという暗黙の前提があります。
夏の暑い時には、窓も全開にしたまま外出する事も。
車にも鍵をつけたままにしている事も。

「盗まれても構わないので、鍵をかけてない」のでしょうか?
盗んでほしくないのに、盗まれた、という事ですから、盗んだ方が100%悪く、
盗まれた人に、全く落ち度がない、という理論は、成立します。
鍵をかけたのに盗まれた場合と、鍵をかけてないから盗まれた、では、
盗まれた人の落ち度、自己責任の度合が違うでしょうか。
ここに、例えば「盗んだ人の自己責任論」って話、議論された事はありますかぁ?
目の前にあるから、ご飯はあるだけ食べちゃう、バカみたいに太るリスク。
自分より弱く、反撃してこない事もわかってるので、イジメちゃう、やれるからやる、
やらないという選択肢より勝る欲求、タバコや酒や、糖質系の安易な無制限のタガ外し、
環境は、人に作用する、歩行者用の横断歩道、車が来てません、
赤信号ですが、自分しか待ってません、歩いてしまおう、とする人は、
もし、車が来てない、赤信号だけど、みんなはちゃんと立ち止まって青信号待ち中、
自分だけ行くと、人目が気になって実行できない、人目という環境が、その人に作用する。

さてさて、どう前提を揃えられるか。
そうでなければ、自己責任論って、前提が違う状態で討論する事になんの意味があるかって。

電子マネーの話をしようとして、横道にそれてしまった。
まず、電子マネーの本質、というか、それを管理してる側に、問いただしたい。
確かに便利でしょうけど、【価値】を正確に明示しなければ、普及するわけがない、
…いやもし日本国民がアホばかりだと、普及してしまうかもしれない。
まず、俺が理解してる事として、「電子マネー化したものは、現金に戻せません」
この文言、これが、電子マネーの本質じゃない?
つ・ま・り、1,000円札を持って、ATMに行けば、両替ができる。
つ・ま・り、1,000円札と同じ価値の、100円玉10枚とか、500円玉2枚とか、どうとでも変換。
つ・ま・り、電子マネーというのは、それを管理してる側が、
【現金・口座残高(日本銀行券)が欲しくて欲しくてたまらないのっ♪】って事でしょおお??
同じ対価だというなら、電子マネーは現金に変換できなければ、対等ではない。
つまり、最も信用されてるものは、日本国内では「円(現金・口座残高)」な決定的証拠だ。
そんな事ねーよと言うのなら、なんでこっちの経営陣発行の電子マネーは使えたり、
別の団体の電子マネーは使えなかったり、…でも共通するのは、
両者とも、現金や口座振替で入金される事は受け入れるわけだよね?
そう、日本銀行券が、欲しくてほしくてたまらないの、電子マネーっていう、
カジノのコイン化やパチンコのパチンコ玉化、
1,000円分で出したパチンコ玉持って、銀行で1,000円にしてくれない。
パチンコ玉という、商品・買い物をしたって事なんだろ?一見変換してそうだけど、買い物。
じゃあ電子マネーの本質って、電子マネーという買い物、つまり、簿記的に、『費用』、
つまり、支出されたマイナス案件ってことじゃないの?
【不可逆変換】が行われている。両替できる状態が【可逆変換】、『等価』と査定される。

本気で普及させたいなら、店舗・業種・会社をまたいで、等価でやりとりできなければ、
『自社だけで流通させたい囲い込みだよね。ポイントが付く付くって話も、
他の企業でそのポイントが使えないんじゃ、そこでしか買い物できない鎖国状態だ。
この汎用性のなさ、逆に言えば、信用を自分たちで手放してる事に気づいてないんだ。
他の会社の買い物でも、ウチの電子マネーにチャージした金額は、
額面通り使ってくれて構わない』ってならないと、なぜならないかというと、
チャージしてる先が、企業だからである。
要するに、【日本銀行発行の、公式電子マネー】が流通するように、
日本政府が動かないかぎり、支払いの、小銭であふれない便利さどうこうだけ説いても、
しっかりと、年会費をとるカード(クレジットカードじゃないのに)もちゃっかり存在。
「退会」なんて単語も、「ん?」っていう違和感もたないか?
しかも、退会するためには、手続きとして、有料電話しか窓口がない、フリーダイヤルなし。
距離に応じて通話料が発生するやつ、嫌がらせである。
さらに、モバイル電子マネー(スマホのアプリ)以外は、電子マネーのカードが
手元にあっても、現金と違って、見た目だけでは、いくらプリペイド残高が残ってるか、
カードにはなんの表示もない、表示画面もない、払いに行ってみて、
端末で確認できる、逆に時間と労力の無駄が発生する。
クレジットカード払いがツケ払いなのが、カード会社に貸しを作ってる状態が
俺は気に入らないので、後払いでは、食品と日用品と購入しても、
請求してくるのは、費目も教えず、請求会社の名前だけの合算なので、
詳しく、何を買ったから、その金額なのかの履歴もわからない、
しかも、タイムラグはツケ払いだけでなく、買った日付以降に、
勝手に任意で請求あげてくるので、家計簿的にも、買った日付と違う事も多々、
これじゃ管理性が劣悪である、JR東日本の電子マネーも、
最大100件まで表示だとか、こまごま買っても、レシートなら残るのに、問題だ。

電子マネーは、普及すべきと考える、デジタル管理の方が正確無比だからだ。
現金では、多少の小銭をくすねられても、気づかないかもしれない、
俺は、細かい話だが、実際にある、セルフスタンドでガソリン代支払って、
実際の釣銭を確認したら、「1円足りないぞ」、俺は直感しましたね、
これ、店がヤッてるな、と。
チマチマと、気づかれない釣銭に対して、お釣りを出さないようにイジってるな、と。
だって、正確にお金を払いたいのに、スタンドのお金入れるところって、
先にお金を入れるから、請求額に対してお金を払いたいのに、
多めに入れてからの小銭ジャララーッとウンザリするのをやられて、
他の人も待ってるから、ガッと一瞬でワシ掴みにして、次の人に窓口空けなきゃ、
俺が気づいたのは、待ってる人もいなかったので、釣銭数えて発覚。
それは現金だから、こんな事態なので、デジタル管理できる電子マネーの方が安心は
絶対に増える、しかし、今の構造のままの電子マネーでは絶対にダメだって話。
デジタル管理される事で何が便利になりそうかというと、
家計簿つけてる側として、買った商品名がレシートに並ぶものの、
そうではなくて、買ったものの「費目」で通知されると、非常に使い勝手が増すわけよ。
たまに、入力保留してたレシートで、なんだかよくわからない商品名が書いてあって、
これは、何を買ったかチンプンカンプンなものに出くわし、別に怪しい物も買ってない、
一般的な言葉ではなく、正式名称が入力されてるから、字数制限とかで、
商品面も途中で途切れてる物やら。
 

モノーモ・イ・ニフケル

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月26日(水)18時34分17秒
返信・引用
  区切りを変えたら、なんとなく人の名前っぽいような。
物思いにふける。

俺はインドア派で、中から外を考えたり見るのがいい。
という自称の、インドアだのアウトドアだの、この呼称・概念は馴染まず、便宜上。

みかんは出歩くのが好きなので、それに付き合う事で、おこぼれとして
外出時の思い出ができます。
最近と、ちょっと前に、思ったこと。
大した話ではなく。
滋賀県の竜王町というところから帰ろうとして、ナビで移動してるのに間違ってしまい、
ちょっとした集落に入ったら、通行人は誰もいないのに、『ギョッ!??』と思った。
人間は歩いてないのに、100cmくらいの身長はありそうなシラサギ(鳥ね?)が1羽、
普通に歩いてるもんで、俺の車が近づいてるのに逃げもせず、普通に通行人とすれ違う感じ。
あ~、写真撮りたかったーー、すげーと思ったのに、なんかみかんの反応が薄く撮れず。
むしろ動画撮りたかった。
俺も、出身は湖畔っちゃ湖畔(茨城県の北浦の近く・鉾田町)なので、あ~そうか、
ここはそもそも琵琶湖が総本山、っていうか、すごく田園風景が広がってる。
棚田である必要もない、ひたすら平面の見通しが利く地域でした。
俺の子どもの頃は子どもだらけでしたので、子供会なるものがあり、
そういえば「しらさぎ会」って言ってました、意味もわからず。
余談ですが、お笑いでカミナリが有名になり、鉾田市の名前が知られるように。
でも、地理的には市町村合併での鉾田市なので、彼らの場所は旭村という、海に面した地域。
あと大洋村ね、これも海に面してて、中学の部活動ではライバルとして戦ってたので、
同じ鉾田市を名乗られると複雑だったりするのである、じゃあ誰と戦ってたんだという。

最近、岐阜県に日帰りで行ってきた。
みかんが動画撮影したところに俺が映りこんでたので動画から切り抜いてアップロード。
「半分、青い。」のロケ地。
背中が激痛のなか、話せば長いが、大変だった。
話せば長いの部分とは、背中の話、そろそろ2カ月患ってて、
激痛の中、往復1,200kmの茨城帰省やら、この日帰り岐阜やら、
運転はできるほどの激痛、、、じゃない、今までの俺ではありえないほど、みかんに
運転を代わってもらいつつ。
原因は判明で、背中の痛みは、頸椎の軟骨摩耗で、神経を圧迫してるらしく、
横になる時だけ気がおかしくなるほどの激痛から解放されてる日々。
医者は診断名も出せず、鎮痛剤を処方するのみ、なので俺は、医薬品のコンドロイチンを飲み。
ロケ地や道中や、茨城往復道中や、それだけで成立する長さになるので割愛。

ついこのあいだの日曜、大阪のなんばパークスという周辺を歩いた。
色々、ここに来てる人に対しておもう事はあるものの、これも俺は話が下手で長文化するので
割愛。
嗅覚として、ん?という違和感やら、外国人が多いですどうのじゃなく、
ウソ臭いというか、何がなんの事か話すと絶対簡単なのに長い。
気づいたり、着眼しちゃった点なんだけど。
その中で、別の気づきで、やたらと飲食店で列が出来てて、喫茶店含めて、
この違和感は、レンタルビデオ店が抱えてる根本的な問題と全く同じなのに、
誰もそこに手をつっこんで、一儲けしようと考えないのな?
俺が頭がよかったら、構造に着手したいのに。
要するに、図書館も同じですが、『貸し出し中』だと、それを借りに来た人が
借りられない、…この、壮大な不毛さ、壮大という単語が重要で、
この問題を壮大と感じるセンスが俺にはある。
だって、デッカイ図体の建物に対して、1冊の本が貸し出されてます、
借りに来た人は、その本の表紙も中身も見られない、返ってくるまで見られない、
たった、たった、たったの、1冊が、だよ? 本屋に行ったら何冊も売ってるかも、
(この手の話になると、論点がズレてくるのがネットで書き込みしてる人の多く。
本屋が減ってるだの、そこじゃない。)
レンタルビデオ、と言ったら笑われるのだろうが、フザケんなというか、
むしろ、DVDを借りに行ったら「ビデオのみです。DVDの入荷予定はありません。」
と言われ、数年後にDVDで埋め尽くされ、あの、クソ女、やっぱりそうなったじゃねーか、
…まぁ、そういう事です、DVDなりBlu-rayが貸し出し中です、借りにきたのに借りられない。
イメージされたいのだが、TVの視聴率なり、映画の動員数なり、
例えば数十万人~数百万人が観ました、と、これをレンタルビデオ換算でいうと、
そのタイトルに対して、1~2枚は置いてます、え?仮に数十万人の需要があっても、
それの配置数の桁数の絶望的な、壮大な乖離。
「買えばいいじゃん」なの?
じゃ、食べたかったらどうするの? 席は満席、席につくためには、
いつ開けてくれるともわからない、「お先に」の人たちが占有しつくしてるテーブル、
スターバックス然り、この状態は、借りたかったものが貸し出されてる状態と同じ。
空かないと、座れない、返してくれないと、借りられない。
需要があるのに、「並ぶ」「待つ」、なんじゃこれ?
「テイクアウトすればいいじゃん」なの?じゃ、レジに辿り着けないのは、
テイクアウト待ちの人もいるからだねぇ、こういう指摘なんですけどねぇ。
時間の浪費である。
ある大型店の駐車場から出る時にも痛感。
出口はたったの3箇所、でも収容台数は数百台、帰りの時間が集中したとたんに、
出たいのに、料金精算所で、ほんの数十台、タイミングが重なるだけで大渋滞。
しかも道路に出るのも、その先には信号機あり、ゲートが開いたタイミングで
道路に合流できない場合は、後ろで何十台も待ってても、
公道の都合で後ろの人は便秘状態、、、不毛じゃね?
収容台数に対して、入口と出口、その流れの悪さ、それを招いてる箇所、
マジな話でいうと、ある原発で、死亡事故が起きました。
中を通してる太い鉄のパイプから、熱水が大量に漏れ出し、全員蒸し鳥状態の即死。
無理な水の動線をパイプで配線してたので、川の水が石を削るように、
ゴツイ鉄のパイプでも、中でゴリゴリと鉄が削られ、そこから数十年の時を超えて、
一気に噴出、たまたま通りかかってしまった、下請け業者の人たちが巻き添え。
この手の概念、どうにかならねーもんかな、と常々考えてます、考えてますが、
それを実行できるだけの学力をもってないので、俺は物思いにふけるしかないのです、
戦えるちからがあれば、、、、。
いまだにあるわけです、『元旦の、あけましておめでとうアクセスは、やめて』お願い。
アクセスが集中してケータイ、スマホの回線がパンクするって話。
で、俺は言いたいわけね、自動販売機で、ジュースは売ってるくせに、
横にゴミ箱が、当たり前に置いてないところなんてザラにある、
売りっぱなしかよ、と。
大手キャリアは、契約数を把握できていながら、全員同時にアクセスされたら
困るのだという、そんな大規模な通信網は、普段は無駄だと考えてるわけだよな、
でも、そうすると、さばいてる分母(本体ではなく、回線契約)に応じた
通信スペックをもってないのに、契約数を増やし続けたら、それって、詐欺じゃね?
銀行もそうで、預金者が全額おろそうと思っても、
どうやら貸し出し中のお金があるようで、全員に全額を、すぐには返せないってわけだ。
なんていうか、なんていうか、なんだけど、この手の話の通じる、人を選ぶ感じ。
「そんな事言っても」と、被せてくる論法で賢く正論言う奴は、仕組みの動力にすぎない。
青を『それは青』なんて、誰でも言える正論なんだよな、悪い事を悪いというのも正論、
そこに「なんで?」という疑問すらもたないのか、仮にもったとしても、
「悪い事だから。悪いと決まっている事だから。みんなが嫌がるから。」
これは正論ですが、悪いと思ってない人にとって、みんなが嫌がるわけじゃない事に対して、
完全に論破の突破口を失ってる事に気づきもせず、与えられた問題に、
せっせと正論で条件反射で生きてる自分が器用だと思ってるのだろうかな。

…変な書き込みをみつけたので、「時間と宇宙」の証明的な、
すっごく変な、でも、すっごく多くの人たちが論破されそうな、
あと数十分欲しいものの、もうみかんも帰ってきた、ご飯の時間なので途中で投稿。
 

あとがき。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月13日(木)15時18分13秒
返信・引用
  下の「SLAPP」について。

俺は養老孟司と、なんかわからん弁護士の矛盾を指摘しました。
俺の理論で言うと、批判した俺は、その同じ理論で自己否定する事になりそうです。
そうしてツッコミをされる事を想定して、書いてました。
だって、「その人の立場として」の理論なので、それじゃアナタ、矛盾だね?
って話、その理論で、返ってきちゃうね、って話、俺の中で起きてる何かと、
全然関係ないもん。
例えて言うなら、服を前後ろ逆に着てる人に、教えてあげてる俺がいるとして、
お前だって、服を前後ろ逆に着てる可能性があるぞ、と言われても、
逆に着てないのが、絶対値としても、相対値としても、どうにも間違ってないんです、
俺は、理論の話をしてるんです、何かを指摘するからには、正しくないといけない、
議論を続ける質問なのか、問題提起なのか、と、確定した指摘なのか、ハッキリしてるのは、
確定した指摘で、この方々は述べておられるわけでして、真実ってひとつしかない、
そうではないなら、それが間違ってる時しかあり得ないんですわ、
立場によって、見方が変わるようなものは、真実を言いえていないんですわ、まだ。
見解の相違なんて、便利な単語で逃げられないんですわ。
 

SLAPP

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月13日(木)14時39分4秒
返信・引用 編集済
  俺のIQは、成人の平均よりちょっと低い、という判定結果を、大人の発達障害で
いただきまして、…そうね、具体的な指摘や、違いを瞬時にいくつみつけられるかの、
空間認識の問題が非常に多かったように思います、…が、
「すぐには、うまく言えないけど、何かすごく違和感がある。」と感じる事は、
IQテストには、全く反映されていないように思いますね、…事実、テスト後の医者との会話で、
“うまく言えないけど”、フラットな感じでなく、、だって、確定事項であるなら、
どっしりしてればいいのだけど、心理テストだかの概念に『まみれた』、
目の前の俺の話じゃなく、そういうものに振り回されているものだから、
「今、心の中に思ってる木を描いてください。」とテスト時に書いた木について、
色々分析して俺に指摘するのだけど、本人目の前にしてるのだから、
俺に聞いたらいい話だったりするのである、なんでその木を描いたのか、
別に自分の『こころの模様』を描いてないですって言ったら、医者は動揺、
を、見抜いてる自分がいるけど、IQテストでは、この違和感の察知力は反映されてない。

【胡散臭い】
と察知する能力って、俺を助けてると思う。

それは、世の中には溶け込めないけど、溶け込めない苦しさと、
その苦しさから解放されるために、理解者の登場、とはイコールじゃないんです。
「なんだろう、この違和感」という感覚は、『もう大丈夫なのよ、安心していいのよ。』
の場合、『もう、考えなくていいのよ。』という、感覚に対しての目隠し作業を“察知”する。
そう、多くは、考える事をやめさせるアプローチをしてるのよね、苦しむ人に対して。
痛みに向き合わせるとか、過去の自分に向き合わせるとか、そういうサディスティックな
アプローチも、全然違う、「お前は、俺か?なんでその先に答えがある事前提なの?」
要するに、理論的な話、をしたいだけなのである、俺は、腑に落ちるという納得。
お前は俺じゃないから、俺を理解できない、な~んて小難しい人間ではない、偏屈者ではない。
「泥棒が、自分が盗みましたなんて自分で言うはずがない。」なんて話もまた、
これが俺が自己分析として「偏屈者じゃない」と言っても、
「偏屈者が、自分を偏屈だと言うはずがない。」という、理論のない理論で返す奴、
…らとは、話ができないなぁ、って事です。
「世の中、うまい話はない。」ってのも、理論がない、
『世の中、うまい話はある。』が正確である、つまり、“~な事も、~な場合も、”が
抜けた、確定的な言い方をする人たちの多さへの“なんで?”“なんだこの感じ…”。

現在80歳だという養老孟司、東大卒の解剖学者だったか、学生時代にNHKの特番を、
俺は熱心に見て育ったので、まともな人かと思っていた。
『バカの壁』っていう著書がヒットしてたらしいが、俺は手にも取っていない。
俺は、口汚く、この掲示板では常々書き込みしてるように見えるかもしれないが、
安易に、他人に対して「バカ」などと言わないです、むしろ、自分がバカだと沢山書いてる。
他人に対して、俺が『バカ』と言う時、それは、【自分はかしこいです】な、
調子に乗ってる奴に、頭のいい奴に、お前はどれだけのもんなのか、その矛盾を見つけて、
叩きつける時にバカと使ってる事が多いように思う。

…脈絡って、俗語でいうと「フリ(前振り・後の展開を期待通りに引き込む為の作業?的な)」。

そういうわけで、ここまで、「フリ」です。

しかし、いつもながら、本題に入る前に、疲れてしまってる自分、駆け足になりそう。

養老孟司に関しては、こんな記事を見つけたので、俺の【違和感】が反応。
遺言だか、そんなタイトルの著書を出版するにあたって、
…ちょっと記憶だから、俺の意訳が入るけど、だいたい間違ってない話として、
「物事に、意味を見出そうとすると、相模原のような事件が起きる。
(※意思疎通の難しい知的障害者は、生きている事に意味・価値がないと考えた
犯人が、自分の勤務してた相模原の障害者施設で連続殺傷した事件。
その思想は、ナチスと同じだと一般的に評価されてる。俺は思う、「思想って何?」
これもまた【違和感】の話である、直観として、俺の嗅覚として、
何々ありき、の為に、物事って決定されるっておかしくない?思想なる『前提』の為に、
理論構築された理論は、その前提(思想)が間違っていれば何の意味も成さないではないの。
ところで、この障害者、要・不要論については、それだけで書き込み終わるので、
今回は割愛。少なくとも、俺は障害者は不要と考えてます。
これは思想ではなく、理論的に考えて、まず、単語は「障害」なのである、
健常者なら可能な事ができない状態である、それが不幸な事だと、
健常者が決めていい事ではない、本人が幸せだと感じているなら障害者は不幸ではない、
という考え方があるが、これは、俺が過去に何度か書いた、肯定・否定の話、
俺の計算だが、「何かの肯定を得るために、何かを否定すると、
その否定した論法によって、自分を否定している状態、あまり好きではない単語だが、
俗に言うと、“ブーメラン”という単語に、だいたい該当する。」もっと、
格好いい言葉があればいいけど。ある脳性まひの女性が、
「自分は幸せだ。健常者は私を評価するな。」…これ、【矛盾】するわけです。
障害を抱えてる為に、ご飯をひとりで食べられない、
誰が助けているかというと、健常者が介助して、口元に運ぶ、例えば夫が。
すると、【人権】で見た場合、障害者は、健常者が、他に使えたであろう人生の時間を、
その障害者のQOLの為に、割かせている、他人の時間を奪う事によって感じている、
「自分は幸せ」とは、見方によっては、傲慢、という見方も、そんなに間違ってないはず。
だから、殺していいのだ、ではない、やはり、障害とは、文字通りの障害・障壁であり、
世の中で生きていくためには、障害・障壁を抱えている状態であり、
【できる事なら、ない方が、いいよね。】って事である。
ない方がいいけど、なくならない、例えば、イジメ、または病原ウィルス、
抗生物質の効かない耐性菌、新種の【害】は存在し続け、文明とは、
それらに立ち向かう事によっても、ステップアップの役割はある、
しかし、解決できる事ばかりでもない、解決できる事もある、
ちゃんと言ってるつもりなんだけど、きっと、俺の指摘は理解者を選ぶ。
事情により、健常者の女性が、晩婚・高齢出産となった場合、
出生前診断で、胎児が障害を抱えてると知った時、堕胎する人がほとんどだと言う。
これを「命の選別だ!」と批判する人を、批判する人は、
「若いならともかく、高齢出産の女性に、障害児を育てるのは酷だ。」理論、
これも間違ってて、逆で、若くして障害児を抱えた女性の方が、残りの人生は長い。
生まれてきてくれてありがとう、という親もいるだろうが、
そうじゃない親もいる、これが理論である、絶対値と相対値、頭で整理できて話さないと。
高山植物は、なんで高山にしか群生してないのだろう、
標高の低いところで、もっと楽に群生したらいいのに、
絶対値とは、そこじゃないといけない、科学的な理由であり、
相対値とは、標高差で見た場合、高いか低いかの対比なだけで、本質の理由とは別。
障害とは、絶対値として、障害であるし、相対値してみても、ハンデを負っている、
その事と、幸せか、不幸か、価値があるか、価値がないか、意味があるか、ないか、
本人が痛いと言ってるのに、「そこまでじゃないでしょ」と被せる医者、
最近、俺もありました、私事で、マジで体が震えるほどの激痛、
イジメもそうです、絶対値と相対値を一緒くたにしてる人の多くは、
相対値として、絶対値を評価してるように思います、と書いても、わからん賢い人の多さ、)
絶対値とは、【ゼロの概念】と同じです、【それ】であり、【そこ】であり、
そうじゃない立ち位置からの見方は、【~ならば、何々のはず。】という、
客観性をもった主観、つまり、『なんちゃって客観・ただのギャラリー』じゃなくて?
神様でもないのに、人をさばいていいはずがない、神様ならさばいていいなら、
神様は、誰がさばけるのか、神様の神様? こういう話である、つまり、
これでは、立ち位置、立場によって、説得力の上下を招く、
本当にそうなのか、を、みない人たちが、本当に多い、残念なことにに知性ある立場の
人たちも、沢山理論的に間違えてる、しかも、かなり低レベルな段階で、
賢く間違えてる。」

ごめん、話、とっちらかってるのわかってて、書き続けないと、
俺はどんどん言いたかった事が消えていくので、メモも兼ねてるから、急いでる。

【矛盾】について、何度か論破してるが、今回は、一般的な公式は、
本当に、【矛盾を言いえているのか】について。
これが、今回の書き込みの題名にしてる「SLAPP」、である。

養老孟司様は、遺言だかの著書の出版にあたり、NHKのアナウンサーを叱ったそうです。
アナウンサーは、養老孟司様に質問しただけなのに、
「すぐに答えを欲しがるな」的な事を言ったらしく。
アレレレレレ?????
物事に意味を見出そうとするな、と、言ってる人の発言ですか?
だって、すぐに答えを欲しがる人を、嫌ってるわけですよね?
それ、『評価』しちゃってますよね、意味を見出してしまってる、位置づけとして、
答えをすぐに求める人は、求めない人よりダメだ、という事を言ってしまってる、
これは『矛盾』です。
これ“が”、『矛盾』です。
(※余談ですが、英語でThis is a pen.を習った時、isは、日本語の「~は」「~が」
に相当する、と教わりましたが、当時からすっごく【違和感】があったのです。
だって、イコールの事を「~は」「~が」と先生は言うのですが、
日本語の「~が」って、「~は」より、もっと断定的な意味合いが含まれてます、
これこそが、的な、もっと、強く紹介したい時に、「~が」ですよね、
これが、ペンです、と言えば、そうか、それがペンなのか、であり
これはペンです、と言えば、そうか、なんだ、それはペンなのか程度であり、
全然重要度が違うだろうが、先生よ、in KYOTOより、at KYOTOの方が確定的な言い方的な。)

さて、論破開始だ、ゴメン、もう疲れて駆け足も限界さ。
上記の【矛盾】の事さ。
父親、母親、と、当時4才の女性が、シックハウス症候群になったと、
大手住宅メーカーを訴えた裁判、これが最高裁(もう議論する場を断たれる怪しい場所)で
訴えた父親、母親、当時4才の女性は、今になって敗訴が確定、その最高裁で。
だから、もう議論をさせない、負けたのは、訴えた家族、勝ったのは大手住宅メーカー。
で、議論って、、、、議論、じゃない? より高みをめざす、文化的な、
つまり、世の中に、その概念が、有益であれば、還元される、福祉的な、
事実、これはいい意味で言いたいけど、悪い意味としていうと「判例・前例」の礎(いしずえ)
になるわけで、議論の最前線なので、固定化された、『科学的な話ではない』って事。
で、負けた家族、訴訟にかかった費用を全額負担の判決、約200万円?だったか、
(この数字は、ここの話の本質ではない。議論するだけで高額が必要という変な話と、
今から書こうとしてる話と)
母親はすでに他界、父親は自己破産、当時4才だった女性は、現在18才、
その女性に支払い請求を、最高裁判所たる、最後の最後の決定機関が命令だしやがった。

俺は、「4才で、なんの判断もできない時点で、連名として名前を書かれてただけで、
支払い義務を負わせるなんて、可愛そうだ。」な感情論をしているのではない。

この記事に、客観的な立場から、弁護士登場。
「法律的に、全く問題がない。最高裁判所は手続き的にも、正しい判決と言える。
なぜなら、仮にその親子が裁判で勝っていたなら、その賠償金を
18才の少女が受け取っていたはずである。ところが、負けたとたんに、
賠償金を払えでは、いくらなんでも…、という話では、筋が通らない。
当時4才の少女に対して、負けたらお金を払う事に議論が起きている。
勝っていたら、議論にならず、黙ってお金を受け取っていた。」

この弁護士の指摘は、議論の【矛盾】を突いているわけである。

と・こ・ろ・が・、俺は、そうはいかない、「ん?」と、違和感の嗅覚がはたらいた。
矛盾とは、物理学的に言うなら、【つりあい・静止】の状態である。
簿記の勘定的に言うなら、【相殺】の状態である。
つまり、あり得ない話を、矛盾というのではなく、そういう状態にある、という事だ、
【ゼロの概念】と同じです、何もないのではなく、そこの場所を指し示しているのです。

では、この弁護士、まんまと【俺は矛盾を突いたぜ】と思ってるようだが、
俺の質問に答えてもらおう、…おっと、Siriや、池上彰みたいな事を言うなよ?
『それは、いい質問ですね』っていうあれだ、誰が質問に評価しろと言った、
質問だよ、クエスチョンだよ、現在進行形で、お前に向けている矛先を見ていい猶予の為に、
聞いているのではない。

IQが人並より劣るという評価結果が出てしまった俺からの、よくない質問です。
【矛盾とは、そもそも、対象物が対等であった場合に発生する現象のはずであり、
理論的に矛盾する事、イコール矛盾、と盾突くだけでは、論理的とは言えないはずだ。
これは何を言ってるのかというと、可逆か不可逆か、という話である。
可逆は、文字通り、逆再生させれば、元に戻る。
不可逆は、逆再生した場合、元に戻せないか意味を成さない状態である。
「人間は生き物だ」→これを逆再生すると『生き物は人間だ』、
なんで、生き物は人間だけになっちゃうんだよって話になる、イコールで単純に結べない、
不可逆状態である。
この弁護士が突いてる矛盾とは、「買ったらお金もらってたろ」「負けたらお金払うだろ」
の、『可逆』を前提とした、理論である、これは、前提を無視した、
理論的な矛盾にすぎず(前提が間違えていても理論構築は可能だから、
賢い人が、賢く間違えてる多くが、そもそもの前提を疑えてないまま理論構築。)、
前提の間違えてる矛盾とは、【論理破綻】だろ、この弁護士さんよぉ?

スラップ(SLAPP)訴訟ってあるよなぁ?
大企業と、一個人の社会的な経済力は、矛盾に耐え得るほどの、対等さなのか?
(以下引用・Weblioというサイトがヒットしたので、それより。
******************************************************************
> ある程度の発言力や社会的影響力のある、社会的に優位といえる立場の者が、
> 特に発言力や影響力を持たない相対的弱者を相手取り訴訟を起こすこと。
> 強者が弱者に対して訴訟をしかけることで、半ば社会的な恫喝あるいは報復として機能する。
******************************************************************)

特攻機は、往復の燃料は積ませてもらえなかったな。
損失を回収するだけの見込みの能力のない状態。
一個人が、大企業なり、医療ミスを訴える時(最近では女子体操の選手が組織を糾弾)、
負けた場合のリスクが大きいのは、どちらかに極端に偏る、ハイリスク、ハイリターン。
ハイリターンだった場合、それは【福祉】の意味合いを含む、営利目的の裁判ではなく。
一個人がハイリスクを負った場合、リスクしか残らない、リターン時は社会的還元があるのに。

これは理論的な話をしている。
なぜわざわざ言っているかというと、障害者は全員聖人ではないのと一緒、
社会的弱者の言ってる事は全部正解、巨大組織は悪い事をしてるに違いない、的な、
そんな話をしてるんじゃないって事ですからね?

難癖とは次元の違う部分での議論に対して、リスクが膨大すぎるのは、
「でも、勝ったら賠償金もらうんでしょ?」の指摘は、構造の指摘にすぎず
雨は、地面に落ちたら、それだけの話ですが、
人が空から落ちたら、死にます、構造的に、「落ちる」は同じですが、全く意味が違います。
裁判の制度自体が、問題を抱えていそうです、だってね、言ってる事が【矛盾】してるもん。
裁判官が評価される場面で「法律の専門家だから、素人の俗な判断とは違う。」でも、
『社会通念上、許容しがたい・許容しうる』なんて言い回し、時々聞きます、
つまり、俗世間的な、それが一般化されてるかどうかが、法律を超えて勘案されてる、
言葉が時代によって変遷するように、価値観も変わる、そういう事だよね?
だったら、最高裁判決が出たから、なんだっていうの?それは科学的にも正しいの?って。
もしそうなら、最高裁判決は、ノーベル賞とってもいいよな、誰か、
最高裁判決を出した裁判官が、その判決でノーベル賞とってるか?
人類学的に確定した事項か? この人間が便宜上つくってる「社会」という構造に対して、
確定事項とは、よほどの、よほどの、科学寄り、物理法則、自然の摂理を見出したくらいの、
でない限り、議論は終わらないだろうが。
問題のない事を、「問題だと言ってる人がいる限り、問題だ」と妄想を言ってるのか、
立場が弱くとも本質を言ってる人なのか、そこは並行して計算続いていいと思う。

…ところで、全く関係ないけど、「カラー」ってムカつくんですけど。
普通に聞いたら「色」の事って思う、でも、技術系の分野では、当たり前に
カラーと言ったら『襟首』の、機械構造の部位を言ってたりする、
なんか恥かいた気分で、いやいや、アンタらは日常的にカラーは襟首かもしれないけど、
俺、そんなに一般的な認識から恥ずかしいほど、色って思っちゃってるかね。
英単語にすると、色は「color」、襟首は『collar』、カタカナにすると「カラー」。
ネイティブ発音聞いても、日本人には同じカラーにしか聞こえん。
私の車に、リジット カラーという部品を取り付けまして。
極直近では、私、頸椎の神経を加齢でヤッちゃってまして、今も激痛で
震えながら(マジで)、こんなに長々と文章書いてまして、
なんとかならんかと探したら、ムチウチになった人がよく首につけてる白いアレ、
Amazonで見つけたから購入したけど、商品名が『頚椎固定カラー』なのさ。
…あ~、白いからカラー?、ん?なんか意味が通らない、もしかして、アッチのカラー?
 

バランスが大事(説教臭い響き)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月 3日(月)18時03分9秒
返信・引用
  これを、バランス“って”大事、と言いなおすと、自己悟りを開いたような響き。
同じ事を言ってるのだけど。

俺は、バランスの何が大事なのかが、だいたい、この手の話をしてる人は、妥協を見出して
発言してるように感じているか、総合的に判断して、そういう境地に至ったような、
奥深いものだったり、を、言っている事が多いと思います。

…が、バランスの評価とは、どこまでの範囲を言うのか、
全体的なのか、
局所的なのか、
によって、まったく概念が異なると思うのだけど、そういう理論を聞いたことがないので、
仕方なしに、こうしてまた、自分の掲示板に書いている…。

一番わかりやすい例えは、【シャンプー】と【リンス】の消費の仕方。
バランスが大事と言うのなら、シャンプーもリンスも、ポンプを1回ずつ押せば、
消費量は、だいたいバランスが取れるものの、そんな事はマレで、
髪が脂ぎってたり、汚れがひどかったり、そしたらシャンプーの消費量は多くなり、
しかしリンスは1回で済んでしまう、毎回思うのです、シャンプーとリンスの減り方…。

で、このシャンプーとリンスの関係性に対して、【バランス】なる概念は、
馴染むものなんですか?って事です。
必要に応じて増減されるものなのに、バランスを取るために、汚れ落ちが中途半端でも、
1回しかシャンプーしないとか、2回シャンプーしてしまったので、
無駄にリンスも2回分使って、両者のバランスを、非論理的に整合性取るであるとか。
要するに、バランスが、『目的化』って、おかしいよね?って話です。

目指すところがバランスな場面は多々、あります。
例えば車は、走って、止まって、曲がって、それらに要求される機械構造は、
馬力だけあって、制動力が劣る車は、怖くて乗れないわけです、バランスが悪い事が問題。
重心のバランスだってあります。

さて、俺は、毎日、同じ服を着ています、と書くと、日本語がおかしい。
(※日本語がおかしい、という意味でいうと、最近、初診の薬局で問診表みたいの書かされ、
『ジェネリック医薬品を使いたくない理由がありますか?』はい・いいえ の設問があり、
はい・いいえ で答える案件かよ、これは議論をふっかけられてる話なのに、
これじゃ、ライブの「みんな盛り上がってるかーい!」→イエーイしか回答権ない的な。)
同じ服というのは、同じメーカー、同じデザイン、同じ色の服を数着持っていて、
サイクルで着てる、洗って、乾かして、、、
その理由は2つあり、お気に入りを1つに絞る事で、2つの狙いがあり、
中途半端にいくつか服をもってる(これは種類の意味)と、組み合わせであったり、
違う服を持ってしまってる事で、「その服、前にも着て来てた、ププっ(笑)」を回避できる、
なぜなら、いつも同じ服だからだ、もう1つが、今日はあれ着よう、これ着よう、と、
【自分は何者なのか】が明確にあれば、それはポリシーとして、それで十分だからである、
私服だけど、制服、です、その恰好で、いつでも正装。
冠婚葬祭以外は。

で、そのサイクル用に用意してるのが、4着のTシャツ(同じ)と4本のジーンズ(同じ)。
なぜ4着かというと、1着は今着てる、1着は洗濯して乾かしてる、
乾きが悪かった場合や、汗だく・突発的な汚れで着替えたい時に1着ある、
すると、今着てる服は洗濯機行き、この着替えた1着を洗うタイミングは、
着替える前に洗濯機に放り込んでた1着と同じになり、同時に2着が着られない状態が発生、
洗ってる頃に、1着が乾いてるので着られる、しかし、乾きが悪い時だってある、
そしたらいよいよ裸になってしまうので、最後の4着目の登場。
洗濯中2着と、乾き待ち1着で、合計3着着られない状態になるからだ、それで4着目がある。

で、洗濯物って、洗うたびに、衣類はダメージを受ける、色褪せ、
綿は衣類からはがれていき、新品時より、どんどん薄くなり、最悪は背中が透けるほど、
だから、ダメージを分散させるために、この4着をまんべんなく、1番~4番まで、
順番通りのサイクルで、着て、洗って、均等なダメージになるようにしている。

………で、【バランス】の話になる。
『本当に、バランスって、いつでも正解なんですか?????』という、俺の疑問。
運動会の100メートル走で、みんなが1位状態、順位をつけないアレと、この洗い物の話、
脈絡のない話をしてる、と評価されるんだよな、俺は、こういう話をすると、
「キミの言ってる事は支離滅裂」「アナタは何を言いたいのかサッパリわかりません」と批判。
要するに、まんべんなく、この4着のTシャツを同じサイクルで洗ってるので、
同じダメージで、シャンプーとリンスを綺麗に使い続けてる状態なわけです。

「?」 ←ですか?

要するに、失う時に、全部ダメになるって事です、同じダメージを、
バランスよく与えてるので、肌が見えるほどスケスケのTシャツになるであろうタイミングは、
4着同時に、『全滅』って事です。
それだけではありません、スケスケの予感がする頃でも、まだしばらくは、本当に
スケだすには日数があるとして、そんなキワドイTシャツを、毎日着てる状態になります、
だって、4着ともバランスよく均等にダメージ受けてるのだから。
すると、しっかりした肉厚のあった時のTシャツを着たい時に、全部キワドイ物しかありません。
さらに、しっかりした肉厚のあった時のTシャツって、どんなだったか、
全部を等しくダメージ与えてしまってるために、新品の状態って、買いなおさない限り、
現物を確認できません。
洗って・乾かして、が完全に短いスパンで達成できるなら、2着を交互に着て、
残りの2着はノーダメージで、現状維持のまま、時間を推移できます、
バランスで考えると、万べなく使ってないので、【バランスが悪い】です。
しかし、新品は2着控えてます、いつもスケスケのTシャツで我慢する必要はなくなります、
スケスケしてきた所で新品投入すれば、「違いもわかる(相対評価のしやすさ)」、
いかに、元々はいいTシャツだったかを。
絶対評価では、スケてきてるTシャツ、という時点でしか判断しにくいわけで。

※かしこく行くなら、4着をまんべんなく着て、5着目だけを新品で取りおけば、
全滅したタイミングで、全く新しいノーダメージ状態のTシャツを着て、
4着のTシャツを、裸にならずに購入でき、、、、
あぁぁぁぁぁぁ、なんかわかんない、あぁぁぁ、わかるんですけど、
なんかこういうの書いてる自分が、確かにそうだし、そうするし、なんですけど、
すっごくガチガチの頭っぽい人みたいで、逆です、逆、服に振り回されるって、
流行であったり(機能の優先度が低い事も多々ある)、完全に、人に見られる、人に見せたい、
ための、実は囚人であり、ガチガチの頭なのは、柔軟に着こなしてる人たちこそ、
「なんでずっとこの服じゃダメなのか」と、俺のように、制服・正装を見出さず、
常に見た目を気にして生きてる囚人、っていう視点もあるわけです。
どっちが生きにくいかな、って。
俺は、難解な着回ししてる男性・女性に圧倒されます、それはちゃんとオシャレ、
って事の概念があるわけで、しかし、自分がそれに乗っかれるかというと、
さて、どこでその服買ってるのか、そもそも服をどこで買ってるのか、
そういうコーディネートのために、目を光らせて街を歩いてないといけないのか、とか、
逆に、「自分はコレです」って、いつも同じ服だと、矛盾しない。
服が同じ、と言ってるけど、実は、機能性を重視してます、ワイシャツは着なくなりました、
体の可動域が限定されます、じゃあいつもトレーナーならいいか、そこはわきまわえるわけ、
そんなワケねーだろ、なわけです、…なんて言ったらいいやら。
 

[美] とは。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月20日(金)18時32分49秒
返信・引用
  芥川賞、というものが発表されたけど、毎回思うのは、受賞者のコメントのマンネリ。
「もらえるなら、もらっといてやる」というニュアンス、昭和な単語で言うならニヒル的な?
なんでもナナメから言ってれば正解的な、ちょっと昔なら沢尻エリカの「別に」的な。
芥川龍之介の文章は好きだけど、そこにはちゃんと狙ってます、を隠してないおもしろさ。

このところのネット記事で、昨今の日本人に蔓延してるのが『冷笑主義』だと言う。

ネットの掲示板を流し読みするに、この言葉を言われてしまったら、ほぼ全員Lock Onだろう。
冷めた見方をして、動じない自分と、知識のある自分、…逆にそうでない人をみかけるや、
「お前はネットに向いてない」「お、急にどうした、顔真っ赤にして」
的なのを、独特な言葉や文字で書いてるのです、俺は逆にその『作法』的なのに
乗っからない人なので、その通りの逆の意味で「動じない自分」がいます、
いまだに、語尾に「wwww」的なの、今の今の今の今の今まで、いっちっどっもっ、
使ったことがない、単純に気持ち悪いからである、これこそ冷笑前の『嘲笑』表現と解釈。

題名の[美] とは、に戻る。

最近、とにかくYouTubeを観てしまってる。PCのゲームもしてない。
主に、個人が『演奏してみた』的なやつ。
俺の言ってるのは、きっと、そういうのじゃなく、横並びでみた場合の指摘として。
例えば、女性ドラマーに限って言うと、叩く人によって、全然違うのだ、概念が。
それを本人はあまり気づいてないかもしれない。
しかし、『自分はかなりウマイです』な思想がある人たちほど、
思想があるけど、『自分』はない、ので、自我を排除した、偏りのない人間です、
と公言してるのだけど、…不思議な事に、これを公言する人たちに共通して感じるのが、
偏りがない、という『偏り』なのである、自分で、叩き方にクセを気づいてないか、
それが自分、と思ってるところがあり、それって『偏りじゃね?』と思うわけです。

な、中にあって、唯一、『こういう事だよ』という女性ドラマーをみつけた。

YouTubeの再生回数って、統計学的にどうなのでしょうか、俺は統計学を知らない。
なぜなら、再生回数=内容の比例、ではないからです。
再生してみて、どう思ったか、であり、ある意味、「いかに魅せる」合戦、
悪い意味での『わかりやすさ』、悪い意味での、という部分が重要で。
ポピュリズムってやつ。
なるほど、数百万回再生の女性ドラマーが数人いる、それぞれ全く違う。
しかし、数万再生程度の女性ドラマーがいて、「全然違う、探してたのはコレだ」と思った。
それまでは、「所詮、ドラムでは、音楽のメインにならないのか。
昔、あのドリフターズのいかりや長介が、『ドラムが主張すると音楽が雑音になる』
って、何かのTVで言ってて、まさに多くの再生回数の多い女性ドラマーがソレ。」

自分がノリノリで、聴いてる人が置いてけぼりじゃダメだし、
自分の可愛さがわかってて、「全然勉強してないよぉ」で、テストで満点とるも違うし、
…それらの中にいない、こなせる自分、が正解でなく、淡々としてるニヒルでもなく、
以前書いたか忘れたけど、ウメハラというプロゲーマーは、
プロがプロたる思想として、「勝てれば、それにこした事はないけど、
負けたとしても、その試合をみた観客を興奮する戦い方を魅せられる事を
模索し続けられるのがプロだ」と言っていた。

その言葉、俺が再生回数が多い女性ドラマーに感じてる不満だと思う。
確かに、努力をし続けてるのはわかる、技術もある、しかし、
「そういう事じゃない」部分なり。
例えば、電子音楽の創成期の作曲者たちは、「博士」だったりする。
…ん、これは横道かな、「なんでもできる」事を目指す人は、器用であるものの、
『そこである必要もないから、ここである必要もないから、これは踏み台・通過点のため?』
と思うと、冷めるわけね?
わかりやすい例だと、野球なりサッカー選手、応援してる選手がいても、
そのチームで活躍してる誰々選手がよかったのに、とたんに敵チームに移籍、
今までの応援してた自分なんだったのか、女性と思ってたら実は男性のYouTuberと知り、
「俺の精子かえせよ」と嘆いてる人がいて(そういう動画じゃないのに)、
それ読んだ俺が勝手にツボってたり。

マーク・トウェインの言葉に
「夢は見なくとも生きる事はできる。しかし そんなキミは生きる事をやめてしまったのだ。」
夢、とは、探求とは、研究とは、創造とは、感化、とは、
俺は、【福祉】であると、考えます。
要するに、公共性や、還元される概念、という事です、つまり、文明水準上昇への寄与。
「自分のため」が崇高であったり、「自分よりみんなのため」が崇高であったり、
意見がわかれたりするが、『なんでどっちかなの?どっちもでしょ』と俺は思うわけ。

実際、俺の書き込みの原型は、自分ノートみたいなもので、
鉛筆で延々とノートに日々思う事を、思った時に書いていた。
日記ではなく、義務でもなく、なんだろう、この違和感、な時とかに自問自答を込めて。
すると、この考え方、このノート、俺しか存在を知らない、
しばらくしてインターネットが出てきて、ノートではなく、オンライン上に書けば、
自分だけに書いてたわけじゃない事がよくわかる、ひとりよがりで書いてたなら、
自分ノートを書き続けていればそれでよかった、しかし、そんな事は退屈なのだ。

[美] とは、
それ以上であり、それ以下であり、それを目的とせず手段とし、
主観的にも客観的にも快楽を与え、相対的ではなく絶対的な意味を持ち、しかし、
(相対、では、悪しき民主主義の多数派が含まれるため。内容でなく数の多さ。)
絶対的な意味を持つ事は、相対的との親和性とも、場合によっては矛盾せず、
難解さは排除されべきだが、単純さは思考力を弱め、しかし、
する必要のない事の礎(いしずえ)が排除された難解さなのであり、
短絡化された単純さではなく、解読された上の単純さであり、時間を他に使えるのだが、
使えない事は不幸であるものの、より不幸な事は、センスのない人間が、
努力をしてしまう事で、間違い色で世の中を染める作業の事であり、
自分との対話なら、自問自答であり、

…要するに「みきわめられるIQ」で、時間の中で生きている姿が美しいのだと思う。
空気を読むという事じゃない、空気を読むのは手段であり、
読む事が目的だと、自分の時間は他の誰かの為に使われている状態だろ、
という事とかを、いちいち言わなくてもわかる生き方ができてる状態が美しい。
 

恥ずかしながら、こみ上げるものが。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月13日(金)15時59分21秒
返信・引用 編集済
  京都の橘高校のマーチングバンドがアメリカで大変な事になってる、大絶賛で。
そのパフォーマンスは、演奏しながら小ダンスもする、立ち止まって観客に向けたり。

YouTubeでロック聴いてて巡回してたら、勝手に候補にあがってきて、見てみたら…、
なんじゃこりゃ、と、さまざまな人が撮影してたり、練り歩きだけでなくスタジアム版やら。

楽しいパフォーマンスに、俺はなぜかこみ上げるものがあり、恥ずかしながら。
『この感覚、なんだっけ??? なんだっけ?????』

………思い出しました、あと数か月で45才になってしまうオッサンが言うと滑稽でしょうが、
「お兄さん・お姉さん」を見る感覚なのでした、羨望(せんぼう)の目で。
どういう事かというと、子供の頃に見る、お兄さん・お姉さんたち先輩の、
頼もしさと言ったらいいのか、こみ上げる尊敬というか、
それが目の前を通ってくれて、小さい自分には、それがとても大きくみえて、
何かあった時に、きっと助けてくれる、近いけど、でも遠くて、自分には届かない存在。

幼少期に限らず、自分の中での先輩たちは、とても精神的に大人で、
つらくても笑顔で、頭がよくて、でも、近づけないのは、その、自分との違いとの
圧倒的な差で、自分が同じ年齢になっても、入れない世界、と見ていて、
それはやはりその通りになり、進学校です、大学です、俺には届かない世界。
頼もしいだけかと思ったら、自分の目の前で、違うところに意識が本当はあって、
「なんだ、そっち側だったのか」と勝手に傷ついたり、素の息遣いを感じたり、
何言ってるか、わからんでしょうね、この劣等感の立ち位置。

その感覚とは直接関係ないけど、最初にこみ上げてきた理由は、そっちじゃなくて、
もし、自分たちが戦場にいて、傷ついていて、敗戦濃厚な時に、
このマーチングバンドがやってきたら、【その圧倒的なパワーで上書きがくる】
このズタボロの、傷ついて汚れた自分たちが、『援軍がきた・救護隊がきた・助かるかも』
という、ワーッという圧倒的な「もう大丈夫」で覆いつくされる感じ。

という、物の見方、…その先の、大きな先輩たちの元気いっぱいの声かけに、
それに応えられない自分がつらくて逃げたくなり、品質低下させるのが悪いと逃げたくなり、
軍靴(←と書いて、「ぐんか」と読むらしい。グンクツではなく)の音ガー、
は、同感であるものの、しかし同時に、なぜに自分が死ぬかもしれないプレイヤーに
憧れってあるのか、そのザッザッという足音なり、行き届いた身なり、
統率のとれた圧倒的な頼もしさに、
自然と抱く羨望なんじゃないか、「はだしのゲン」は偏ったマンガと批判されるが、
俺は戦争反対だけ言ってる人ではないが、あのマンガはすごくバランス感覚があり、
兵隊さんに憧れる感覚は、決して批判的な目でだけ描かれておらず、
ではそんなにいいものか、もあり、
なるほど、他国マーチングバンドをみると、軍隊感がある、、、悪い意味で、
そもそもそういうところから派生したのかもしれない、鼓笛隊なんて昔言ってたような、
こういう統率の中にあってのふるまいは、自分も小学校の頃に暗い意味でなく経験ある。
この先輩感というか、自分たちが旗や太鼓を叩く前に、すでに使われてたもので、
例えば体育の、体操着の上からつけるゼッケンとか。

元ネタ、と言ったら違うけど、北野武版の座頭市のエンディングで、
映画でありながら、観客をイジってくる感じ、手法は似てるものの、
元も子もないけど、うまく言えない、ベビーメタル、という海外で評価されてるバンド、
このダンスパフォーマンスを見た事がない、って事だけど、日本にはこのバンドだけでなく、
候補がいくらでもいる感じ、フィギュアスケートは単発で滑る、…なんと言えば、
一歩間違うと風俗というか、わかるだろうか、アピールした事と、
解釈が違って。

芸能学校みたいなのある、例えば、一番有名なのは「宝塚歌劇団」だ、
あそこは、卒業しても「高校卒業」の証書にならない、劇団学校だからだ、
社会に出てもピエロしかできない、でも、ちゃんと修学して社会的な知能と矛盾せず。
それもしてた事がある、と言える、主たる部分ではなく。
それしかできないわけじゃなく。

…うまく言えませんが、全体的な話なのでして、要不要なり、社会の構成なり、
一過性なのか、飽きられることなのか、永続するべきものなのか、たまにがいいのか、
うまく言えないが、ある歌手はボーカルだから有名が、
その主たる人が、ギタリストだったり、ドラムだったり、うまく言えない。
 

(今の)民営化は品質低下する構造。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月12日(木)12時13分0秒
返信・引用
  小泉政権時、公務員の縮小と、民営化をすれば、価格競争が生まれて価格が下がる、
と提唱され、実行された。
例えば郵便局。

価格競争が生まれると、価格が下がる、…と俺も思い込んでいたが、
実態は違う、俺に「理論」が欠落していた頃だ、今なら理論的にわかる。
価格競争すれば、他より安く提供しようとコスト削減なり、効率化が行われ、
安くて、しかし品質は同等か、それ以上のものの提供されていく、、、
これは、難しい言い方をすると、『希望的観測』、なわけで、「~になったらいいな」
であって、そういう動きをすることが確定されていない。

民営化ということは、営利目的なのであって、高くても売れた方が得なのである。
安く、いいものを提供したい、という企業もいるでしょうが、目的は「営利」なので、
安くても売れなければ儲からないし、高くてもニーズがあれば売れてしまうし、
それらの動きが【自由】に変動するから、需要と供給が担保される、
…という、希望的観測だったりする、これは理論的に、確定されない動き。
需要があれば、生産され、供給過多になれば価格が下がり、価格競争で負けた企業は撤退、
残った企業が独占、だったら安くする必要がない、ウチしか手がけてない、
という動きにもなれる。

自由とは、それぞれのエゴによって物事が動くことで、
他人がどうなろうが、知ったことではないし、自分がどうなるかだけの責任だけ伴う。

結構本質を言ったような…。

NHKが色々な批判をされてるが、その批判されてる部分は、正しい批判が多い。
その中に「押し売り」という批判があるが、押し売りしてるのは、実はNHKではく、
放送法が根拠なのが知られてない。
国によって、日本国土であれば、どこでも視聴できるように電波の整備をする義務を
NHKは課せられているのだ、つまり、番組内容はともかく、
誰にも電波が届く状態を作るように、国から義務づけられている、
その理由は、情報格差をなくすためである、という根拠で作られてる法律。
しかし、情報格差の意味でいうと、実はNHKの放送内容は客観戦だけでなく、
かなり取捨選択された放送内容もあるので、「情報が届く事だけが公平」であって、
情報の内容には、格差が発生している、という矛盾がある。
インターネットは、放送法とは関係ないはずだ、だから、回線の品質や、
そもそも回線が来てない地域がある、ケータイの電波もそう、
しかし、いったん回線がつながると、情報格差は縮小される、なぜなら、
発信側が取捨選択しようが、別の発信元にアクセスできるため、それが本当か比較検証可能。
つまり、NHKの役割とは、情報の質・公平性は、義務化されているのに、
それだけでは知りえない、または、間違って解釈、国論を誘導しかねない報道もある、
例えば、事実を報道すれば、それでいいかというと、ウソはついてないが、
相対的にみた比重でいうと、そこをみて、な報道がある、これは偏っている、公平でない。
公平とは、少数派の意見を尊重する事ではない、尊重とは何なのかが、理論的に欠落してる。
公平ては、意見を尊重する事ではなく、その中身の理論的な正しさによって、
初めて尊重されるべき事である。
神様います、UFOあります、→尊重すべきか? そうかもね、程度案件のはず。
なのに、神様いません、UFOいません、の多数派と、同じだけの説明時間を放送に割く事を、
『公平』と考えているわけだ、中身ではなく。

最近、奈良の、割と近所の温泉で死亡事故があった。
屋根が落下して、男性1名死亡。
その屋根自体が、当初、市に説明する時にないものだった、露天風呂。
この申請書に屋根の予定がなかった、屋根をつけるなら追加申請が必要なのにしてなかった、
って事が問題にされてるが、『理論って、そうじゃねーだろ。』

要するに、民営化とは、一線を超えてしまう事があり得ますって事が問題な部分。
その温泉でいうと、屋根を作るなんて事は、いちいちお役所にお伺いや報告義務が
ある事自体が、「なんでそこまでいちいち」なわけで、
重要なのは、『その屋根をこしらえる事で、安全は保たれるか』の部分で十分なはず。
ところが、強度等は、法律でがんじがらめにしないと、簡単に一線を超えるのが民間、
営利の動き。
要するに、【完全民営化】とは、法の怠慢であって、
何をしてもいいが、最低限度の品質をクリアーしてなければ、罰則を受ける、にしないと。
今回の豪雨災害で、ソーラーパネルがあちこちで土砂崩れ。
水道局を民営化する動きもあるようだ、あちこちで断水した事もあり、
豪雨前でも断水したし、その直前の大阪の直下型地震でも断水。
確かに、民間が行った方が、いろいろな発想が使えるから息苦しくない、
しかし、同時に、発想とは、時に、利便性の目的から逸脱するのが、民間の動きだ、
要するに、【囲い込み】だ、【独自規格・独自仕様】というものを産む体質が常にある。
なぜこの動きを産むのか、【営利目的】が根本にあるからだ。
営利目的に、法律の概念を俺は義務付けるべきと考える、つまり【公共・福祉】の概念だ。
汎用性のないものは、なぜそれを専用的にする必要があるのかを、
理論的に公開されるべき。
ビデオのベータとVHS競争、レンタルビデオ店に、ちょっとだけVHSが多かったのが理由で、
ベータは淘汰されたと聞く。
ところが、映像スペックでは、ベータの方が品質もよく、カセットも小さかった、
ベータが普及した方が、【公共・福祉】の面で、文明を享受できていたのだ。
これが、理論がない民営・営利の実態なのである。
だから、汎用性が基本理念として、法的に課す役割を担うべきなのである。
重さのキログラム、長さのセンチメートル、これは国際法で決められた単位だ、
自分たちが勝手に、これが重さの単位だ、というからには、その説明がいる、
理論的に優れているなら、既存の単位も更新される環境も必要だ、
それが後に標準化できる状態・いい意味のユルさもなければならない、
実際、技術の進歩によって、今までの単位の1mmは、厳密には、間違っていたらしい。

言いたい事が伝わるといいけど。
 

才能に嫉妬し続ける自分。(後半追記)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月11日(水)19時08分44秒
返信・引用 編集済
  今日はYouTubeの、昔で言うなら、きっと「インディーズ」な立場の人たち。
しかし、売れてないからでなく、売れてても、である。

TV・雑誌然り、『採用』されない事には、周知できなかったのが今までの時代。
偉い誰かの何かの基準をクリアーしないと、表舞台に出られなかった。
それは、いい面を言うと、ある水準に達してる、品質は保たれてるものである、
しかし、悪い面の弊害も多く、「そういう解釈もあるのか」を、
誰かブラックボックスの中で判断されて、…これはこういう業界・業態に限らず、
農業協同組合もそうで、こういう野菜を作りたい、売りたいと思っても、
農家は農協基準のものを作り続けないと、市場に流してもらえない、
からの、農家が直接販売、みたいな。

TVのワイドショーでは、「YouTubeで何百万回再生の、すごい人なんですって。
今日は本人に登場していただきましょう。」…って、完全にYouTubeがなかったら、
見逃してた人材じゃないの、と思うものの、これもTVのフィルターがあり、
そもそも『すごさ』ってなんでしょうか?
楽器を堪能に操れる事がすごさなら、それはPCが代わりにしてくれる。

俺は、造詣・習熟度・理解度・“そういうトコ、それ”・解釈センス・創造力・
エゴらない度(自分酔い。自分が気持ちいい事が重要でありつつ、勝手な一人ヨガリもダメ。
)、あたりかと思う。
あと、突き抜けるべき時、バランスを保つべき時、そこの気持ちよさを
わかってて、繰り返してくれる時、…何言ってるかわからんかもしれんが、合気道の精神、
波長が離れると、人心が離れるもので。


ちょっと前のドラマで、コハゼヤだか、足袋を作るドラマがやってた。
俺は、足袋のコンセプトは気に入っている、地面からのフィードバックがよく伝わる。
白い生地を、俺は、そもそも市場にないなら自分で染色してオレンジ色にしようと、
ちょっとネットで検索してみた、そして、【こりゃダメだ】と、足袋にウンザリ。
足袋は、足の親指と、あと4本が分かれてるデザインを踏襲させてしまってる。
これの何がダメかというと、世の中の靴下の99%は、5本指がひとまとめである。
この足袋のためだけに、専用の靴下か、裸足で履く必要性に迫られる、
全然ダメだな、足袋、…上記もこういう事なんです、今まで音楽とは、
『誰か頼むよ』と、自分でできない俺は、そういう感じ、待ちのために、
メジャーデビューされた中から、欲してたもの探しをしてたが、
今日、さんざんYouTubeを見てて、そこはかなりの部分で発想が解放されており、
自分の欲してる【解】なり、てがかりを得られ、感化され感がすごい、
登場を待つ時代から、自分から探しにいける時代なんだ、

でも、俺には何もなく、能力も、せいぜい、いいもの、わるいもの、の嗅覚だけ。

世の中に「あったらいいのに」と思っても、作れる環境と能力がなければ、
具現化する事はできない。
たまたま、具現化できてるものだけがある、それが今の車と、自作PC、
「こんな車があったらいいのに」→今の愛車である、三菱i。

『ミッドシップ』という単語に、トキメキを抱かない人があまりにいない世の中。
慣性が最も働く重量物はエンジンであり、それを中央に配置する事で、
さまざまな走行場面で、運動性に優れる。
だから、F1マシンは、エンジンが後ろにある、エンジンが後ろにある『理由がある』。
それに後輪駆動である、世の中のほとんどの車は、前にエンジン、しかも前輪駆動。
これが“合理的”というのだが、俺は、効率のいい構造は好きだが、
これは車の運動性能を考えた時、合理的ではない、作り手にとっての合理性である。
コンパクトなエンジンのiは、ミッドシップにしても居住空間を邪魔せず、
世界的にみても、ミッドシップの配置で4人乗り、荷物も積める車は、
唯一無二なのである、他にないのである、…だからスゴイだろ、という話ではない。
「他になんでないんだ」という嘆きなのである。
2013年に製造中止されてしまったが、アイミーブなんて単語なら見た事あるだろう、
2006年にiが製造なので、12年経っても、いかに前後重量配分に優れてるか
タイヤが4隅に突っ張ってる事で、いかに直進安定してるか、それでいて慣性物が
中央にあるから、スイスイ曲がるであるとか。
PCも、なんでこういうPC作ってくれないんだろう、は、とりあえず、
既製品ながら、組み合わせて具現化できてるものの、PCケースの非効率な
大きさには暗に目をつぶってる部分があり、完全に納得してるわけではないが。
 

『募金』には虫唾が走るんだ。→【寄付】が正解!

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月10日(火)14時57分0秒
返信・引用 編集済
  主に、西日本における今回の豪雨災害、ヒルナンデスとかいう番組をうっかりつけてたら、
きわどい立ち位置(扱いに困られてそうな意味)で生き残ってるメソちゃんという司会者が、
(右斜めに顔を傾けてメソを読まれたい。)
毎年胡散臭い『24時間TV 愛は地球を救う』にからめて、
「西日本の豪雨災害への募金をよろしくお願いします、
被災で亡くなった方々への心よりのご冥福をお祈りいたします」、
的な事を番組の終わりに言っていた。

……え? アンタら、自分たちは西日本の豪雨被災に対して何かしたとか
口つぐみなのか、そもそも何もやってないのか、と反射的に思った、
、、、だけでは、月並みに批判で、「正論」でしかない、本当に思ったけどね、
キラキラと番組運びしてきて、最後いきなり全員でかしこまる感じとか、
そこに出演してる人たち全員から、透明アクリルボックスに募金入れる様子もない。

俺は『募金』は、絶対に払うべきではないと思うし、募る側になってもダメだ、
と、理論的に思う。
理由は、『募金』って、例えば今回で言えば「西日本豪雨災害への募金」との事だけど、
そのお金の使途が全くわかりません、誰が管理してるのか、どこにいくら
集まっているのかを正確に把握されてるのか、集まったカネから、
自分らは管理してるのだから、給料をもらう権利があるとか思って、全額の
募金が使われず、給料に使われてる部分はないのか、とか、
……これもまた、“月並み”な指摘です、本当に俺も思うけどね。

そ・う・で・は・な・く・て、

そもそも『募金』ってなんだよ?と。
西日本の豪雨災害への募金?そのお金、どうするの?誰が何に使うの?
な~んにもプランを見せてもらってないのに、困ってる人への【雰囲気】、
自分はいい事をしてるに違いないの自己満足、何もしてない人より徳を積んでるくらいの。

俺は、『募金』って、そもそも当事者が言ってるのを聞いた事がないのである。
そうでしょ?
言ってる意味わかります?
今回で言うなら、豪雨被災者が「募金をお願いします」って、言ってるの?
唐突に、『募金おねがいします』と、何勝手に“とりまとめ”な連中が出現しちゃうの?

要するに、俺は、募金ではなく、【寄付】が正解だと思う。
募金とは、第三者が介入してきて、なんだかブラックボックス。
しかも、積極的に動いてるのは募金活動者たちで、アンタらソレに募金してないだろな連中。
【寄付】なら、寄付をしたいと心から思う人たちが、直接に当事者に渡す構造が、
容易に構築できる。
募金のような胡散臭い“とりまとめ”部隊な募金を中抜きする連中もいない。

寄付と募金は、一見似てるけど、まっっっったく違うものだと俺は思う。
まず、寄付金を募る場合、これは圧倒的に当事者が「よろしくお願いします」なのだ。
先述したように、募金だと、本人が何も預かり知らないところで
どこかの誰かが勝手に「よろしくお願いします」なのだ。
では、お金を渡します→そのお金、具体的にどうなっちゃうの?後で明細見せてくれるの?
そう、募金の場合、極々一部の管轄してる中抜き連中だけが知ってる、
後はかわいそうに、の、イイ事してると思いこまされてるボランティア部隊。
ところが、【寄付】だと、寄付する側は、『何に使ってくれても構わない。何かの足しに。』
で、寄付した側に納得がある、募金にも納得があるから募金してるんだろうが、
という反論する人がいるなら、俺は「仕組みを理解してない段階での納得って何?
募金したお金が実際はどう使われてるのかを、今から募金しようとしてる子供に、
何事も隠さず説明して、納得してお金入れると思う?
知らせてない段階で“納得が成立”してるって豪語なら、知らせてない情報の段階だから、
それ、詐欺ですよね? いい事だけに使われる、と、暗喩させてる
景品表示法違反の疑義が非常に濃厚、そうではないと言うなら、
“このお金は、何に(だけ)使われると思いますか?”と、答え合わせしたらいいんじゃない?
貰ってる募金活動側と、払ってる募金側、はい、せーーのっ、答え合わせしてみたら?
一致しないと、おかしいよねぇ?」と、俺は言っておきます。

寄付(Donate)は、PCしていれば、便利なソフト・アプリ開発者が、
「もしこのソフトが気に入ってくれたら、寄付金お願いします。
今後の開発の励みになります。」ってものが沢山ある、全く強制力も制限もない。
ね?
寄付金を呼びかけてるのは誰ですか?プログラマーが直接お願いしてますよね?
募金とは、「あのソフトのプログラマーが大変そうなの。募金するから、マジ大変なの、
本当に困ってるの、すっごく困ってるの、助けてあけないと、みてるだけじゃ
自分も心が痛むよね、あの時助けていればと後悔したまま生きる人生と、
どっちがいいかな。」なわけですから、まぁ、宗教勧誘と手口は一緒よね。
『信じなくてもいいけど、後でつらい事があるよ~。』
『そうなりたくなければ、信じた方がいい人生送れるよ~。』でしょ?
ば~か、神様の存在が真実なら、信じなさいって言われる事じゃねーだろ、
「信じる」って、ただの主観的な行動だろうが、真実なら、信じる対象じゃない、
ただの【それ】の事だ、信じるとか疑うとか、そんなことを言われなくともだ。

昔、「マネーの虎」という番組があった。
著名な資本家が集まり、納得できたら出資する、という番組。
納得させるのは、これから何々という事業形態を展開したい、という具体的なプランナー。
ここまでネットが普及する前の番組。
(※しかし、出資者は、自分に運用資金を期待するから、投資と代り映えはない。)
今なら、【寄付】と同列で【クラウド ファウンディング】というものがある。
具体的に、何をしたい、実現したい、実験してみたい、すると、
どんなものが見せられる、こんな世の中になる、賛同してくれたら、寄付をお願いしたい、
……あ、ひとつだけ「募金」に意味はあった、ネットに繋がる世の中だから、
こんな事をしたがってる人がいる、という事を、SNSで拡散してくれたら、
賛同者が増える役割になれる、しかも、紹介者は、それを善意で紹介するだけ、
紹介されたサイトを見て、そこに寄付するかどうかは、本人次第、
さて、ここに来るまで、誰もお金の【中抜き】はされてない、これが重要。
純粋な状態で、守られてるお金、という事が重要だ。

具体的に、何をどう救うのに、いくらかかるのか、24時間TVは公開してるんですか?
歌とマラソンとTシャツとイベントと芸人の出演料と、全国各地の中継ブースのレンタル料と
経費払えるなら、24時間TVなんてしなくても、
「24時間TVとして、みなさんから寄付金(募金じゃないよ)をいただかなくとも、
出演者やイベント設営費や、救うために、本来の目的とは違う経費って、やっぱ違うし、
バカみたいだから、困ってる人たちに、自分ら24時間TVとして、いくらいくら払っとく、
何に使われてしまうのか、自分たちは、ただのちんどん屋だから、わかってないんだ、
こんな事に募金させててゴメン、何使われるかわからないけど、
なんだか可愛そうだ、困ってるって人がいるから、詐欺かもしれないけど、
お金を払っておくね、だから、みんなはこんな、何がどうなってるのかわからない
窓口にお金を払ってはいけないよ、『お母さん、俺だよ、交通事故おこしちゃった。
相手の女性が妊婦で破水してしまったんだ、お金が必要だよ。』 それが本当かの
事実確認もできないまま、雰囲気で募金募ってたのが、私たち24時間TVでした。
今後は、わけもわからない悲しさや苦しみというものに、何に使われるかわからないけど、
私たちだけが、なんで払わないといけないのかもわからないまま、かわいそうなものに、
お金を毎年払います、みなさんのお手を汚さずにすみますので、今までごめんなさい。」
でいいんじゃないのかなぁ、24時間TV。
 

関西人の劣等感。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月 9日(月)17時58分40秒
返信・引用
  関西人は我が強いイメージを自分たちで圧(お)しておきながら、『専門家』にすごく弱い、
というのを見抜いている。
俺は奈良在住につき、関西ローカル番組を見る機会が多いが、いつもコメンテーターには、
学者や評論家を置き、「その言葉は信じるんかい!我を主張する分際で自分で考えへんのか!」
などと、関西「風」で言ってみる。

え?なんでそう思うの?と言うとき、
“だって、安藤さん(ただのキャスター・偏向強し。不倫も。)が昨日の夕方言うてたし。”
“~って、蓬莱さん(天気予報士)が言うてたで。”
茨城出身の私は、水戸黄門の印籠を出したら関西人はチョロイのか、と、
言葉ほど毒づいてる気持ちでは書いてなくて、むしろ、しっかりしてくれよを込めて。
振り込め詐欺に騙されてる都道府県別の統計で、決して関西は低くない、
理論的に考える傾向が少な目、誰々に任せておけば大丈夫、誰々が言うのだから間違いない、
…これって、【自分は責任取りません】の裏返しとも言えなくもない。
(※こういう言い回しって最近は敬遠されてるらしい。言えなくもない→どっち?
「~の方が、よくなくない?」いいのダメなの?的な。)
関東の人が関西に来て友達ができると『~と思うで?知らんけど。』って言われる事が多い、
との事。
俺はこっちに住んで20年が目前になるが、友達もいない、しかし、
他人様の会話を耳にすると、「ウチは知らんけどな、~らしいで。」と、
必ずしも最後に「知らんけど」ではない会話って、そういえば多いな。

結構な圧で、短時間に語彙数多く話す芸人なりコメンテーター、
少々の事は押しきってしまう、失敗しても笑いにすればごまかせてしまうカラクリ、
それをわかってて、でもわかってないのが聞いてる側という、定型文の構造がある。
専門家でもないなら黙ってろとか、すっごく「おかみ(役人)」に弱い日本人メンタルじゃん。
弱いとわかると徹底的に噛みつくのとか(反撃されないと踏むと)、イジメの構造と同じじゃん。

関西愛があるのに、東京に奇妙な劣等感があり、しかも東京が格上だと自認してる。
だから芸人の目指すところは「東京進出」「上京」という単語を使うのに、
東京の芸人なり有名人をローカル番組に招いては、
「関西スゴイやろ(でも自分は東京行きたい本音)」
天皇陛下も、今は東京の皇居に住んでるわけですが、京都からみると、
『天皇陛下は一時的に、何十年も東京に住んでるだけで、京都が本当の住まい。』
しかし、今回の豪雨被害を見ても、京都の鴨川の氾濫のひどさ、
むしろ、俺の住んでる奈良こそが、自然災害の少なさ、驚きます。
沖縄・九州、毎年台風で被害がでるとわかってるのに、排水システムが不思議。
裏山が崩れて家が倒壊、生き埋め、何十年繰り返してんだよ、
そこに家を建てるな、とか、宮城の復興どうこうも、そこは津波がくるのに、
なんでまたそこに復興なんだよ、どうしてもそこに理由があるなら、
いざって時には自宅の5階に避難できるとか、流されても船のように浮かぶ家とか、
そういう事じゃなく、まんま、津波前の再現性のための復興では繰り返しじゃん。


【話、かわりまして、『代替の概念』の欠落の指摘。】
若者の車離れ。
ガラケーの優位性は、電池持ちがいいだの、物理ボタンがあるだの、折りたためるだの、
でも今はスマホが席巻してる。
何かが浸透しない時って、何かの理由をつけて、浸透しないように思う。
これは、「やらない理由」なのだけど、俺が着眼するのは、矛盾について。
『やりたい理由』にスイッチしたとたんに、物事は一気に動き出す、
ウソだろ?という速度を超えて、あっというまに浸透する、
「正しさ」がどうこうじゃない、オイルショック時のトイレットペーパー買い込み、
乗り遅れるなのバブルの不動産・絵画投資、ごく最近では仮想通貨、太陽光発電。

なぜこんなものが流行ったのか、の歴史的な検証、歴史は繰り返してる。
しかし、一方で、「誰にも時間は等しく流れてる。無駄な事などない。
失敗もまた、必要だった事なんだ。」 落とし穴があるとわかってて、
次によけない理由って、一見不毛だけど、落ち方に美学を見出すのか、
本当は落ちないのに、たまたま落ちたんじゃないか、とか、そんな発展的な思考が理由?

公共交通機関というものがある、電車・バス・飛行機・、タクシーも含まれるのかな?
これらに共通するのは、「誰かに運転してもらって、運んでもらってるだけだよね?」
都会ほど、車はバカにされ、田舎は車がないと、どこにも行けない、
まるで車に乗ってる人は田舎者、的な。

…ん? これも歴史は繰り返すのデジャブ。
だってさ~、俺が中学の時に英語の授業で使ってた教科書で、そんな話あったのね?
「アメリカが奴隷制度が合法だった時、真っ黒に日焼けしてるのは、
貧しいから日差しの下で労働してるからで、金持ちは日焼けなんてしてない、
という価値観から、肌をあえて焼ける人たちは、暮らしにゆとりがあるから、
日焼けする余裕がある、自宅にプール、ゴルフで日焼け。」
ところが今は、日焼けは、医学的にもシミ・シワの原因以外、何もメリットなし。
高校野球も、そういう過酷な環境下で若者が頑張ってる姿のショービジネス以外、何かある?
そんなに人間性が磨かれるなら、どうして実力主義が強いのか、
うまく言えないが、映されてないない部分というか、上下関係のゲスい部分や、
結局、大量にメシを食わせられる家庭的な裕福度や、遠征費用どうこうとか、
うまく言えない、組織のなんたらとか、そもそも必修科目でもない、余暇の時間のはずとか、
両立できる人がいるから、両立できない人に問題があるとか、理論のない人が発生とか、
んー。
車って、手段なんですけど、でも、スマホでゲーム課金してる人に聞いてみたいんですね?
「あなた、ゲームしてますね? プレイヤーは自分ですね? 楽しいですか?」
きっと、何かの快楽を感じるからやると思うのですよ、自分がプレイヤーで。
すると、車が、移動手段だけでなく、実はプレイヤーとして、
いかに自分の制御下で操れるかを模索する事は、それは「やりたい事の達成」の目的では、
ゲームと共通するはずなので、車の運転に価値を見出す人たちをバカにする事は、
自分にかえってくるわけですね、「今時、自動運転だろ」ならば、
そのゲーム、きっと自分でプレイヤーやってるよりも、
AIに、代わりにクリアーしてもらった方が、よほど楽にゲームのエンディングを見られる。

つまり、わざわざ、の部分って、AIが介入して、暮らしが楽になっても、
なくならないと思うのです、これは、『安全が担保される世の中』にAIが導入されればこそ、
少々の無茶は、回復できる、失敗しても、融通が利く、
しかし、失敗が許されるから無茶をしてると、横柄な人間ばかりになる、
と考えられなくもない、「いつか痛い目に遭う。バチがあたる」って、
昔から言われてるけど、痛い目に遭ってる人も、バチにあたってる人も、
見た事がないのです、結局、ウマイ事、やったもん勝ち、失敗しても、
リカバリーできる社会的立ち位置なり、AIって、そんなやったもんに対して、
やられそうな人を守るために発動されれば、やらせないAIの動きもあるはずで、
自分でなく、どのAIか、ではなく、お互い筒抜けなのか、とか、何が何やら…。
 

みんな、どこに行ったの?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月29日(金)16時28分49秒
返信・引用 編集済
  俺は、相変わらず、軸もブレずに、アドレスも変えずに、ずっとここで自分の考えを書いてる。
前回の書き込みで、だいたい、言いたい事を言い終わった気がして、
この掲示板の最終回も近いのかな、なんて一瞬思ったけど、「どうして?」という
疑問が沸かなくなってきた時が、老い、なり、
オトナになっちゃった(「そういうものだから」で生きる)、じゃない限り、続く。

前回、「歴史って繰り返してるな」って思ったのには理由がある。
民主主義にこそ、人々のあるべき解があると信じてきたのに、行き詰まりを見せる。
ここ最近、自由だ、平和だ、弱者を守れ、強者を潰せって奴、俺が論破します。
【何かを肯定すると、必ず、そうではない事象を否定する事になるので、論理破綻してます。】
…何を言ってるのか、わからんって人は、わかってるくらいなら、こんな事言ってない。
自由を肯定すると、不自由を否定する→重力から解放された世界では、上も下もないので、
すべて対等になるものの、すべてが対等という事は、『別に、何者でなくても構わない。』
という解になります、そういう事でしょ?
平和を望むという事は、争いを好まないという事なので、黙っているといいのですけど、
黙ってないのが平和を望む人たちで、それって、「好戦的ですよね?」、つまり、
平和を望む人たちは、その手段として争いが必要なんですね?これは矛盾ですよね?
弱者を肯定すると、全員が弱者でなくてはいけませんよね?
強者を否定すると、強者を否定できる弱者って、どんだけ強いの?これも矛盾ですよね?

…ということで、論破できてしまうのだけど、きっと意味がわかってないから、
やめないわけよね、俺の話が、ヨソの掲示板で、意味が通じたためしがないのです。

歴史って繰り返してるって話は、独裁者ムッソリーニは、望まれて誕生したわけ。
勝手に独裁してたわけじゃない。
しかも、英国のチャーチルが、ムッソリーニを高評価してたわけ。
でも独裁は崩壊し、その後には民主主義、…これと似てるのが、
民主主義でありながら、リベラル思想が勝つと、福祉が充実、財源がなくなって、
保守思想(保護主義)が勝つ、息苦しくなって、またリベラルが勝つ。

どっちか、っていうんじゃなくて、理論的な解を、なんで模索しないんでしょうかね。
最近は、サッカーが盛り上がってますので、わかり易い例を。
TVが昭和に誕生したての頃は、一家に一台なんて、そんな事は家計的に無理な時期。
すると、1台のTVを、みんなで見るわけね?
これって、「歴史は繰り返してる」の証拠として、『シェア(共有)』って概念、
まんまと当てはまってるでしょ?言葉自体は、さも新しい概念みたいだけど、
1台のTVをみんなで見てる、シェアしてるわけです。
で、時代は流れて、『レンタルビデオ』ってものが80~90年代に爆発的にヒット。
しかし、当時から俺は「何か変だぞ」と思っていたのが、
借りようと思っていたビデオが『貸し出し中』で、みられない、…これ、すごい事だ。
図書館もそうですけど、誰かが借りてしまってたら、他の人は、それを
返してもらえるまで、どうにも閲覧できない状況が続く、恐ろしく不毛タイムだ。
レンタルビデオが浸透してるからには、TVは一家に一台はとうに過ぎ、
むしろ、自分だけがみたい物を選択的にみたい、すると、それをみたい人同士では集まらず、
個々人の生活スタイル、時間配分、都合があるので、→だったらネット回線で配信、
ならば、回線をつなぐサーバー(昭和のTV)に、みんなで集まって、みんなでみられる、
あれ?
何か、うまい事、この構造を言おうと思ったけど、よくわからなくなってきた。

俺の愛車である、三菱iは、あまりパッと売れず、5年も前に生産中止。
とはいえ、発売した初年度は、約4万台が売れたそうです。
あはは~、の皮肉な事に、なんで4万台売れた事を俺が知ってるのか、
三菱さんのリコールがあって、『対象車両約4万台』と公式発表があったわけで、
「要するに、その年に、世の中に売れ広がった台数は、全部で4万台なわけね?」
と、逆から知る的な。

すると、単純計算で、世の中に4万台、iさんは放たれてるわけです、理論的に。
これが2006年。
では、そこから数を減らします、事故です、新車購入で、ヘタってるし廃車です、
どんどん現役残数は減ります、しかし、4万台は、その年に放たれてるわけです。
ところが、中古市場で、同年同型式で検索すると、なんと、10~20台くらいしかヒットせず。
もう一度、「40,000」→「10~20」この落差、では、他の39,980台はどこに消えた?
事故・廃車・俺のように現役で乗ってる、うん、でも、4万台も走ってる感じはまるでしない。
どこに消えちゃうわけ?
すっっっごく、この思い、「みんなどこで何してるんだろ」感、子供の頃の、とかぶるのね。

俺は田舎者で、80年代に、最新のアーケードゲーム(ゲーセン)をやるためには、
水戸に行く必要があった、茨城の県庁所在地。
人口も結構いる。
で、そこで見つけたゲーセンに1人で行くと、ほとんど人がいないのである。
ここ水戸の、俺の同年代の人たちなら、水戸だし、簡単に来られる、
だけど、ほとんどいないし、俺のような、わざわざ田舎から、この水戸の店に、
ゲーセンに来てる人もいる感じがしない、いたとしても、あまりに少ない、
…この感じ、TVの視聴率が下がってるのは、『趣味の多様化』と言われてる昨今、
歴史は繰り返してるって、俺の話、そう、すでに、むしろとっくに、
土日です、休みです、じゃあゲームしてるはず、「誰もいねぇ、俺しかいねぇ。」
そんな同時間に、みんな何してたんだろ~って、すっごく不思議に思ってたのよ。
勉強かねぇ、ファミコンもあるけど誘われてない、でもそういう事じゃなく、
ファミコンの性能どころではない最新ゲームが遊べるのに、とか、
服はどこで買ってるんだろ、めぼしい服屋、デパートの服屋、こういうところかと、
遠巻きに、入れずに見てみるけど、同年代が買いに来てるのを見たことない、
水戸の誰かは、いるのでしょうが、でも、どこ?比率的にあまりに少ない、
……じゃあ、みんな、東京に行ってるのか!?といつもよぎるものの、
往復の電車賃は決して安くなく、、、俺は今、バトルフィールド4という
オンラインゲームを夜中にして、迷惑をかけてます。
子供の頃の鬼ごっこって、「自分がやりたいな」と思っても、共感されないと、
一緒に遊べないので、鬼ごっこが成立しないわけです、実は大変な作業だったと思う。
断られてショックを人生で初めて覚えるのも、そういう頃とか。
でもバトルフィールドは、そもそも鬼ごっこをしたがってウズウズしてる人たちが
集まってきてるので、容易に対戦が成立しやすいです。
…すると、この時間、バトルフィールドをしてる時間、他の人は何してるんだって話。
別のRPGや、他の対戦格闘ゲームや、スマホ・YouTube・勉強・自殺計画・殺人計画・
借金で家族会議・エロ動画閲覧・音楽鑑賞・スポーツジム・TV・峠を車で走り込み・
風俗でお楽しみ・まだ残業中・明日が不安で部屋でヒザ抱えてる・虫歯が痛い・
救急車のサイレンがなってる、急病中・脳死中、書いてたらキリがない出来事だらけ、
それが、同時間に、みんな右向け右の、話題の共有や接点が極端に少ない。
共有化されてるのに、共通の情報を得てるとは限らない、それがいいか悪いか、
の視点は違う、とりあえず、この世の中は、SNSによって、【相互監視社会】である。
俺はとある新車の商談時に「今、大人気です。」→【登録台数みましたけど、
奈良県だけで、月に6台売れるかどうかで推移してるはず。】と俺が指摘すると、
笑顔が凍ってにらみつけながら、じゃあアンタ何しに来たんだな対応に切り替わり、
『こんなにクソ売れてない車ってわかってるから、値引き大幅にするのを期待して
来てるっつーのを察しろよ、何、売れてるよ、なくなっちゃうよ、って
あおってきてんだよ。』と。

なんじゃーーーーー、何書いてるかわかんねーーー。バタッ。。。
 

【自由】って、何をしてもいいけど。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月27日(水)18時12分55秒
返信・引用 編集済
  「いいけど」なんて書き方すると、暗い感じだけど、それが【自由】の醍醐味と本質。
『何をしてもいいけど、その選択による結果は、すべて決定者本人が負う。
その責任を取れないなら、何もする権利はない。何をしてもいい権利は、責任を取れる人限定』
…と、俺は思う。

それの、非常にわかり易い例が、最近ありました。
自由の国、アメリカ、『保護政策』と言って、自国の企業に有利になる政策。
自由だから、何してもいい、その責任もともなう。(余談だが「伴う」と書くと難解風で回避)
鎖国でもしてなければ、基本的に、国として輸入・輸出する関係がある。
これは、【取引】なわけで、損したり、得したり、なので、これの本質を言うと、
『得だけし続ける事はできない、損だけし続ける事もできない。』具体的に本質を言うと、
『相手にお金がなければ、自分の売りたい物を買ってもらえない。
相手を儲けさせなければ、自分も儲けられない、相手にお金がないからだ。
相手から物を買って、相手にお金がある状態にしてないと、自分も儲けられない。
葛藤状態であり、相互に得したり損したり。』

経済界出身のトランプ大統領なのだから、この根本的なシステムは知ってるはず。
知っている上で、自分たちだけが得をしようとするのが『保護政策』。
→その結果、EU諸国は、アメリカから輸入する製品に関税をかけると発表。
これは、アメリカが保護政策として「アメリカに輸入するものには高い関税をかける。
輸入より、自国製品を購入するように仕向ける。自分たちだけ儲ける仕組み。」
…ん? なんか、輸入・輸出じゃなくて、これって、【自給自足】の前時代的な事?

よくわからなくなってきた、が、…その報復として、EUも関税の仕返しをアメリカに。
すると、アメリカを代表する企業のハーレーダビッドソンというバイクの会社が、
EU向けにも売ってるバイクが、EUで高値で売られてしまったら、競争力が落ちるとして、
EU向けの自社バイクは、EUで作ります、工場をEUに作ります、と、
トランプ大統領は、自国企業の為を思って行った政策のはずが、
自国から逃げられるという、正反対の動きになったわけです。
法人税にも似てるよね、【日本は格差がヒドイ。儲けてる大企業の法人税を高くしろ。】
→結果、法人税の安い外国に自国企業が拠点を移して、自国に納税されなくなる、的な。
(※タックスヘイブンとカラクリが同じ)

自由とは、その結果責任をともない、責任をとれない者は、黙るべし、って事だと思う。
インターネットで罵詈雑言が飛び交うのは、その発言に責任を負わなくていいので、
追跡されないので、言いっ放しになっており、これは『自由』ではない。
なぜなら、言われた方は、追跡できる状態にないため、【不公平】だからである。
これは、【取引として、成立していない状態】であるからだ。
どちらかが得だけ、どちらかが損だけ、それは理論的に、最終的に「ひずみ」になる、
一見なってないのは、その時点だけで判断してるからのはず。

最近、ふと、歴史って、繰り返してるなって、思った。
今更だけど、『温故知新』というか、誰もが知ってるのは、「人は死ぬ」って事。
おかしいと思わない?
俺は、不思議だなって思う。
死ぬ事が変だ、って話ではなく、誰にも未来の事は、わからないわけである。
しかし、「人は死ぬ→自分にも寿命がある」と、確定してる未来があるのである。
未来の事なのに、わかってる、しかも確定してる、不思議だなって、思う。
それは、他者の死を知っているし、過去(慨然)の偉人はすでに故人で今は誰一人生きてない。
人って、死ぬんだ、って、わかってる、知ってる。

何か、このところの政治的・文化的な流れをみると、民主主義をみんなが望んでいたのに、
ある程度、もしくは、かなり強度のかかった規制を望んでる動きになっているよね。
差別用語はダメ、男女差別はダメ、ヘイトスピーチはダメ、人種差別はダメ、
タバコはダメ、速度違反はダメ、
ダメ、な事がダメなのじゃなく、【なんで?】に対して、科学と同様に、
誰もが共通認識で、誰もが全く同じ再現性によって、説明できなければ、
それは、科学的根拠のない、まるで【クソ風紀委員会】的な、
『そういう決まりだから』的な、【なんで?】に対して、
「なんで、は成立しない。ルールに従うのが法治国家です。」→これは理論的な回答じゃない。
ルールに従うのが法治国家ならば、独裁政治でない限り、そのルールの説明は必要なはず。
「そういう事になってる」では、理由の説明ではないわけで。
なぜそのルールが必要なのかの、理論的な納得を、理論的に説明される必要がある。
少しIQにひっかかる部分があるので、わからない人に理解させるのも難しいし、
わかってる上で、世の中を操りたい人たちが、難癖つけてゴネてる事もあるし、
…あれれれ、途中まで自分でいろいろわかってたのに、書いてる内にわからなくなる俺。

今の学校の体操着って、俺たち80年代のブルマは全く履かれていない。
子供ゴコロに、「どうみても、パンツ」であったし、そこから見える中のパンツは、
はみ出しパンツ(ハミパン)であったし、そんな服着るからワレメを気にしたり、水着然り、
ところが、これを男女差別の概念で説明すると、女性の方から、
「もっと自由な表現にしたい」と、望まれた結果が、そういうパンツ同然の体操着。
でも、嫌な女性もいたはず、でも、
【民主主義って、実は、理論でなく、数の多さで物事が決定してるだけだから、
間違っていても、人々を扇動して、何かを決定していく、のであるから、
その手法は、まさに『独裁政治』そのもので、民主主義の中に、
独裁が隠されていて、その独裁者は、民衆の中に隠れていて、
「バレちゃいけない物を隠すには、森の中に、隠れたいのなら一軒家でなく、
群衆の中に」的な】
えーと、えーと、すっごく、見つけた感じがあって、上手に説明したいけど、俺が下手。

…ところで、自民党の石破茂が、「自民党を支持してる層は、
TVや新聞で情報を取らず、自分に都合のいい情報だけをネットで見聞きしている。」
と発言しているのだけど、これって、理論的な話になってないのだけど。
自民党を支持している層は、の前提部分が断定されてるのがおかしいのは、
言うまでもなく論外なので、その低次元の部分でなく、
問題の本質は、「TVや新聞は、それは客観的な事実だけを伝える役割なら、
説得力があるが、自社の見解として、という前提であるはずが、
あたかも、世論に、『そう動いて欲しいために、感情に訴える』ような、
恣意的な切り取りや、編集、コラージュのように、断片をくっつけて、
さもそう言ったかのような、時系列にインチキをする体質がある、
という事が、公的に認定してもいないクセに、都合の悪い事を
隠す体質は、TVにも新聞にもないですよ、という前提から石破茂は
話さないと、その後の、都合のいい情報だけネットで取る人たち、とは、
人って、人であり、ネットの世界と現実世界という、パラレルワールドは実在せず、
実在するのは、それらを構成してるのは、国民であるし、人であるし家族であるし、
立場の違いや、職業の違い、例えば、『芸能界に入りました』だから?
一般人とは違う、とよく言われるのだけど、何、その何々界って、せいぜい【何々会】。
マスコミがー、とか、別に一般人が何かの現場に遭遇したら、それを撮影してたら、
それで成立する情報源になったりする、マスコミは持ってない情報だったりする、
そのまま、なら、しかし、マスコミは、フィルターをかける、
ウチで流していい情報か、流したくない情報か、取捨選択される、
それって、選択されなかった情報は、隠されてる、という事になるわけで、
なんでもかんでも教える必要もないが、それを判断するのが、
なぜか法律でなく、自主規制なり、恣意的な内々の判断という、
【ブラックボックス】状態なのが問題ですよね、って話からしないと、
建設的な話にならないですよねって話だと、俺は思う。」
 

悟るくん。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月19日(火)18時53分14秒
返信・引用 編集済
  昭和48(1973)年10月1日生まれ。

いい時代に生まれたんじゃないか、と思う、悟るかのように。
第二次ベビーブームに巻き込まれ、飽和状態で大変な事もあったけど、活気とも言えて。
今までは「ネットの普及・AIがもっと身近にある時代に、もっと後から生まれたかった。」
と、つい最近まで考えていたが、ネットって、あちこち巡回しなくても、
まとめサイトって、いつの間にかそういう概念ができてて、俺がこの掲示板始めた頃も、
「2chガ」とか、俺は全く利用したことも、やり方もわからなくて、
そこから派生したネットの概念が、ビッグバン的に拡散して亜種を生み続けてる。
逆にいうと、そういう『連中ホイホイ』的に、まとめサイトの書き込み(コメントって言うの)
見ると、傾向がわかってくる、、、色々、理論的におかしいなぁ~って事を、そのサイトで
何度か書き込みしてみたけど、返ってくる反応は、理論でなく、狂信的というか、
管理人に縦突くな、というか、批判でなく疑問なのに、とか、
…なんだろう、小泉総理の時に言われてた「ワンフレーズ・ポリティクス」のように、
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。」みたいな、『掲示板』というスタイルなのに、
2~3行で終わっちゃう、しかも、言い回しのほぼすべて、「自分は物事読み切ってる」
で、だいたい共通するのが、「あなたは」「と思われますよ」「www」「まあ(何々だ的な)」
子供が書いてんじゃねーの?って、…あ、でね?この自分の年齢だから目線で言ってなくて、
ネットが普及しだした20年前には、ここまでのお子ちゃま正義感の悪態ギャング的な、
そんな書き込みって、ほぼなかった感じがするのね?
なんでかなって、単純に、当時、ネット環境を構築するためには、それなりの意識が必要で、
それなりの機器も必要で、だから、お気軽に、誰でもかれでも参加できるものじゃなかった。
当時は衝撃だったな、何か書いたら、それに返信があったりして、
「この意見に対して、反応が返ってきてる。目の前でリアルタイムで。」
…自分ノートみたいなのを書いてたけど、結局、誰の目にもとまらず、
インターネットって、この考え方を公開して、自己完結だけでない世界こそ、
意欲がでたのです。
俺はしばしば「本が読めない」「本を読まない」と公言しているけど、出力にあたる
書き込みだけはやたら長文になっちゃう、入力は苦手だけど、出力はできちゃう。
でも、今の最先端は、『私は本が読めない』って、簡単に言えてしまってる。
俺は、実を言うと、ある意味、挑戦を込めて、本を読めないと言っていたので、
今の人たちの『本が読めない、読まない』って言うのは、恥と感じてない感じ。
実際、「大人の脳トレ」で有名になった川島隆太教授は、憂いています。
それに対してのコメントがヒドイわけです、マウント取り(上から目線)に、
「コイツの文章長くて意味不明。」←ホレ、やはり一言、ワンフレーズ状態。
「長文書く奴は、考えをまとめられない言い訳じゃね?」←一言なんだよね。
ホイホイっと、敷居低く、心の声をそのままスマホで書いてるんだろうね、
だってPCだったら、キーボードで長文を楽々入力できちゃうもの、
かも予測単語みたいなので、自分の言葉で書きたい時に、
「こんな言い回しがありまっせ」と、邪魔されにくいし。
で、川島教授が指摘してる「意味不明」って言葉、皮肉を込めて投稿者は書いてなくて、
本当に「意味不明」らしいと、つまり、何を言いたいのかわからないって言い回し、
これも皮肉で言ったりするけど、本当に「何を言いたいのかわからない」、
読解力が深刻に落ちてるのだとか。

まぁ(これは自分に向けての「まぁ」なのでして、汚れないところで安全発言の為じゃない)
そういう事で、良い時代に生まれました。
理由は、差別用語が飛び交い、国民総中流意識で、格差がーなんて言ってる奴はマレで、
ドリフのいかりや長介の『次行ってみよー!』は、子供の頃には、
その言葉通りしかなかったけど、この年齢になると、結構染みるんです、
声を大きくして言いたいです、

『次、行ってみよー!!!』

次が、待ってる。
行かなきゃ。
 

つらい単語 (2)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月19日(火)08時47分2秒
返信・引用
  ※下の書き込みとは違い、実際編。
「…?確認だけど意味わかってる?」
と、職場で言われてしまった単語。
言葉って、そういう場面の時に、そういう単語をはさむ、なり、流れで理解する事も多い。
だから、正式に習っていなくても使いこなせたり、本来の意味とは違うのに、
多くの人が流れで「そういう意味だろう」と使って、結局、そういう意味で辞書が更新とか。
で、今回の俺も全くそれなのだが、恥をかいて、後日調べたら、
使い方も、場面も間違ってなくて、『ちゃんとそういう意味で使ってた』単語。

【二番煎じ】
『お茶の最初の1煎目でなく、すでに2煎目になってるので、感動や共感は得にくい。』
という、勝手な想像で、上司の方(ほう)が「二番煎じ」がどうこう使ってきてて、
俺がその意味を汲み取って、その議題に対しての自分なりの考えを伝えると、
「二番煎じって、意味わかってる?」→二番目の、インパクトが薄いって事じゃなかった?
後日調べたら、間違ってなかったしぃぃぃ。

【汎用性】
「専門的」って単語なら、子供の頃から耳にするが、汎用性と言うと、
意外と耳にしてなくて、どんな意味かと気になった事があって、確か、
『さまざまに応用・融通が利く』みたいな意味、専門と逆、というより、
適用可能な範囲の問題か、と理解。
汎用の反義語が専門だったら、いやむしろ、汎用の反義語は、専門というらしい、今調べた。
だったら、時間の反義語は、時点って事になるけど、時間と時点は、範囲の違いで、
別に正反対の事を言ってるわけじゃないんだけど。
だって、専門が沢山集まれば、さまざまに対応できる状態、汎用状態なる。
時点も沢山集まれば、その状態を時間と言う。
ところが、良いと悪い、これは反義語の証明として、
良いを沢山集めても、もっと良いにしかならず、悪いを集めても、もっと悪いにしかならない。
…俺がおかしいのかねぇ。
それともアレか、出過ぎた杭は打たれない状態で、良いも程度が過ぎると、
いきなり極悪の側面とか、悪いも程度が過ぎると、すごく良い事をしてるのではないか、とか、
と、妄想してみた。

と、いう事で、職場で何かの脈絡で漫画の話になり、
俺が『汎用』って言葉を使って、PCで管理できれば、だいたいどの端末でも管理できる、
みたいな話の意味で使って、
「…ちょっとゴメン、奥村さん、汎用って意味、わかって使ってます?」と年下の大卒から。
俺の話を聞いてた他の2人も、変な空気で、
で、俺が上記の汎用の意味を伝えると、「あ、ちゃんとわかってんだ。」となり…。
えぇ~~?いや、むしろ、調べたての単語ではあったけど、
大卒軍団なキミたちの方が語彙は多いでしょうけど、これはどっちの問題だったんだ。
俺は、漫画をデジタル化すると、汎用が利くって概念を話してたと思うんだ。
意味が伝わらなかったのか、当時では時代が早すぎたのか。
 

つらい単語。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月18日(月)22時46分37秒
返信・引用 編集済
  ※俺が使ってる単語と、なんだか一般的に使われてる単語とのギャップ。
俺が使ってる単語は『』で表記。

【静粛性(せいしゅくせい)】
これは、主に車関連の性能なり、評価でよく使われる単語。
静粛性? …静粛性?…静粛性? 静粛?
『静寂(せいじゃく)』ではなくて?
いかに車内が静かであるか、の時にしばしば使われる、「静粛性」。
しかし、そういわれてみると「ご静粛に。ご静粛に願います。」なんて使う。
…ん!??違うよ、自分に騙されるところだった、動的に求める時に、
静粛に、と言ってるのだから、“その状態・さま”に対してなら、『静寂』の方が、
状態を表してると感じるのだけど…。

【換装(かんそう)】
主に、PCパーツや、車、機械の分野で、部品を交換した時に使われてる言葉。
「~に換装しました。」みたいな。鼻につくほど当たり前に使われてる。
調子こいてる感じ、普通に「いじる」でいいところを「弄る」という単語を使うくらいの。
翻弄(ほんろう)、弄(もてあそ)ぶ、ならわかるのだが…。
『交換(こうかん)』ではなくて?

【魅惑的(みわくてき)】
これは少し脱線。中学の英語の授業で、先生が「魅惑的な」と言ってて、
クラスのほぼ全員が戸惑ってて、『魅力的(みりょくてき)』ではなくて?と、ザワザワ。
少なくとも俺の年代だと、TVで単語を覚える場面で使われてたのは『魅力的』の方で。
しかし、こと、こんな中年になってくると、魅惑的という単語も見聞きする。
なんだかネットリしたような、気持ち悪さがある、そんなに使う単語でもないだけに、
更新が遅そうな、その手入れされなさというか。

【歩留まり(ぶどまり)】
これは、工業系なり、なんだかPCパーツ分野で当たり前に使われてる。
これが、理系なら当たり前に理解できる単語らしいのだが、どうにも、どうにもハマらない。
ど~~~しても、俺にハマらない、ストンと落ちない、「そういう意味」といったんは
理解しても、その直後に逆に間違えるほど、なんともしっくりこない。
使い方として、仕入れた原料を加工するにあたって、ムダが発生する時に、
いかにムダが発生しないで、原料を使い切って製品化できてるか、の概念らしく、
その時に、「歩留まりが“高い”」「歩留まりが、“低い”」と言いやがる。
どう思う?(と聞いてる相手は、この単語を堪能に使えてる人にじゃねーからな?)
高いのと、低いのと、どっちがどういいのか、悪いのか、サッッッパリ入ってこねぇ。
で、言葉を調べると、
「不良の発生率」の話らしいのだが、高いと低いを、【歩留まり】という単語にされると、
留まる、とは、一般的に、よくない時に使われる、とどまる、事の多くは、
悪い時にも当然使うが、いい時にも使うから、留まると言われて、
良い方か、悪い方か、ブドマリ→高い、低い、「は?」 どうにも、何度読んでも入ってこず。
これが俺なら、もっと単純に『効率(こうりつ)』という単語を使う。
…そうか、この悶々とする入ってこなさの理由が、今風呂からでてこの行を追記してる。
この「ぶどまり」なる単語が、理系の分野の分際で、数学で言うところの、
『比』『率』『割合』を指しているのに、この【歩留まり】という単語からは、
全く『%(パーセント)』を匂わせず、しかも、良いも悪いも、低いも高いも、
一般義務教育を受けた身からしても、国語的に、何も表現してない単語なのではないか。
 

若いけど、いい嫁である(文鳥)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月15日(金)18時23分14秒
返信・引用 編集済
  この掲示板では詳しく話してなかったけど、文鳥のメスを購入した。
オスの名前、みかんは「ピーコ」とずっと呼んでたけど、メスもピー子になってしまう。

なので俺は、オスの方は「チュン吉」と主に呼んでおり、その流れでメスは
『ピーコと呼んでたんなら、“ピーチ(ピーチ姫って女だし)”にしたら?』
で、俺は言っておいてチュン子と呼ぶ事が多い。

全部を話すのは面倒なので、チュン子がとにかく頭がいい。
いつも横目で目をまるくして観察してる。
どんな反応するか、悪さで確認したりもする。
オスがいたので、いつかメスを飼えば、子供ができると目論んで購入。
しかし、文鳥のオスかメスかをペットショップで聞いても、「わからない」とだいたい回答。
最後に行ったところで「メスだと思う」で買ってきたのが今のチュン子。
とっても可愛い、俺は男なので、メス感を感じる、奥ゆかしいし、時におてんばだし、
俺は観察してわかったが、オス・メスなんて、顔を見れば判別できるとわかった。
ペットショップはポンコツだな。
オスは、目がギャングのような目だが、メスは真ん丸おめめで、ちょっと出目金状態。
口ばしの色も、オスがハッキリ赤いのに対して、メスは、ちょっと薄い赤。
で、買う時にペットショップの人が「おまけで1,500円値引く」と、何も交渉してないのに
言ってきて、ラッキーと思ったものの、『売れ残りなのだろうな』とどこか察知。
文鳥というと、白い全身に赤い口ばし、ばかり売ってるが、
俺の知ってる文鳥は、頭が黒くて、ホッペは白くて目は赤いラインで、体は灰色、
そんなメス文鳥を何軒も回ってやっとみつけた、チュン吉と同じ模様に合わせたく。
で、むしろ、こっちが自然なカラーリングで、白い文鳥は短命なのだとか、
人工的にかけ合わされて。

チュン子はまだ、現時点で1歳半くらいらしい。
ところで値引きされた件、俺が後から気づいたのだけど、実はこの文鳥、
左脚のツメ先が切断されてるのであった。
ツメ切りで、深爪されたっぽく、中の肉まで切ってしまったみたいで、障害者であった。

一気に割愛しまして、文鳥の産卵期は年に2回と聞き、1日に1個の卵を、6日間産む、
というもの。その産卵期を迎えて、なかなか人慣れされてない、手乗り文鳥で
売られてなくて、逃げてばかりだったけど、なんか様子がおかしいな、
お腹大きくないか、産むんじゃないか、なんてみかんに話してて、
その夜に、いつもと違う、なんだか向こうから、わざわざ捕まりにくるかのように、
俺のジーパンにパササササーーッと飛んできて、しがみついてきて、なんじゃなんじゃと。
で、翌日の昼前に、初産となる卵1個を確認、うすピンク色の小さい卵。
昨晩のバサササーーッは「なんかわからん感覚ーーっっ産まれるーーっっ」って意味だった?
で、6日間かけて、6個を産みました。
その最初の1個だけ、なんだか割ってしまったらしく、水飲み場にいつの間にか落とされてて、
中の白身と黄身が見えてしまってた。

問題は、交尾なのであった。
チュン吉は、すでにオッサン通り越して、ジイ様の年齢らしく、
かなり若い時からウチで飼われてたものの、女(メス)を知らないまま、
ひとりで鏡などで虚しい求愛ダンスしてて、やっと本物が来たものの、
その相性がどうなるやら、この年の差で成立できるのかとか。
このいきさつも話せば長いので割愛。

で、あれよあれよ、と、今日で26個目の卵を産んだ。
要するに、交尾が成立せず、『無精卵』を生み続けているわけなのだ。
なんとも、両者にとって、不幸な事だと思って、どうしたものかと。
鳥の交尾は、肛門同士をくっつけるのだけど、これが見るからに難しい。
メスの上にオスが乗って、その姿勢のまま、下向きになってるメスの肛門に、
オスがバササーーーッとタテになりながり踏ん張って羽ばたいて、自分の肛門を
くっつけるのだから、かなりアクロバティックな姿勢になる。
するとすでにオッサンチュン吉は、色々と弱ってて、上の乗るだけでも一苦労で、
何度か落下したり、これも様々な事例があるので書くの面倒くさいので割愛。

アヘアヘはおもしろい。
まさかチュン吉が毛づくろいをするとはメスを飼うまで知らなかった動作。
交尾も教えてないのにどうやって始めるかとかするとか、本能か。
チュン吉がチュン子の頬をツツン、ツツンとすると、かなりの脱力ポイントらしく、
崩れ落ちるほど、チュン子の顔が横になり、アヘ~っと恍惚感が伝わってきて、
チュン吉がやめても、しばらく余韻が毎回残ってて、スローモーション的に首を戻す。

文鳥の産卵期は春と秋らしく、実際、この春に初産。
しかし、そういう事で無精卵が続き、無精卵とわからないらしく、
毎日毎日、オス・メス交代で温めつづけて、かえらない卵を、
仕方がないので、腐乱される前に、卵から水分が半分もなくなった頃に、
カゴから出して部屋の中で散歩させてる間に廃棄。
カゴに戻る時間になって、戻すと、毎回パニックになってて、大喧嘩。
チュン吉が先にだいたい怒り出し
「お前がちゃんと見てないからだろーっ」とウガーーッと突っつきまわし、
チュン子はチュン子でカゴの中を逃げ回ったり、どこかに卵があるんじゃないかと、
エサ箱の下を探したり、巣の下やら横を探し回ったり…。

の繰り返しをしてまして、6個産んで、無精卵→廃棄、また出産。
それが5回目になるわけです、延々と産み続けてしまってる。
(6個→6個→6個→6個)→で、今回、5回目に突入で、今まで24個、+今2個で合計26個目。
とっくに一般でいう産卵期は過ぎてるのに、卵がかえらないもので。
ちなみに交尾が失敗すると、決まってチュン吉がグガーッと逆ギレしてチュン子をド突く。
チュン子は失敗とわかると、「ポッポロロロロ~。。。。(なんだよ~、また失敗かよ~)」な
声を出す、文鳥には感情があるのがすごくわかる。
ほとんどはオスなんだけど。
心の声がオスは出る、メスは警戒を解かず、すごく観察してる。
自分に害があるかどうか。
例えば、水浴びも、オスが先に浴びてる上からドカッと足蹴りにしてどかす。
相手がどういう反応をするか、ここまでイジメても自分のわがままに耐えてくれるオスか、
査定するという、これは人間に対しても同じで、俺は教わらずとも直観で、
「試されてるな」とわかったので、指の関節から血がでるほど噛みつかれたり。
飼い鳥じゃない鳥に、ここまで激痛やられたら首ヒネるか頭カチわってるくらい、マジで痛い。


最近、チュン吉は「けいれん」を起こす事がある。
強いプレッシャーがかかると、てんかん発作のようになる。
しかし、俺はそうじゃないと見抜いてて、過呼吸の方だと。
「ビビーッ、ピィィビィィーー、、、、」口開けて、舌だして、目は半目で、
体の力は完全に抜けて、脚はたたまれて、完全に伸びてしまって、死ぬんじゃ、という感じ。

今までツメ切りする時、こんな事にならなかったが、なりだしたので、
長らくツメを切ってなくて、伸び放題、自然の文鳥なら、木か何かでヤスリにして
ツメの長さを調整してるかもだが、そんなもんがないので伸び放題。
交尾が、少しでもうまくいくように、ツメが長すぎるのも問題だろうとずっと思ってて、
意を決して、チュン吉のツメ切りを実行。
今日はちょと俺の気分がすぐれないので、噛みつかれたら耐えられる自信がなく、
使い捨てのラテックス製のゴム手袋をして、ツメ切りした。
全く意味がなく、ゴムの上から本気噛みされて、イテーのなんの、マジで痛い。
「おーい、頼むよー。」と、中の肉を切らないように、新調に一本ずつ爪を切っていたが、
「ビビーッ、、ビィィィ。。。。。」と伸びてしまった。
いつもと違うのは、すぐに意識は回復。
…なんとか全部のツメを綺麗に切りそろえて、『ホラ、怖い事してたんじゃないよ。』と、
チュン子が怯えてる目の前に戻し、チュン吉はもう半目で口開けて舌だして、
ゼーハーゼーハー、足にも力はいらず。

そしたら、今日は、初めてチュン吉がゲロ吐いてしまった。
「お、これはマズイか、死んでしまうのか、気管に入ったらマズイぞ。」
しかも、その後ももう一回、首を横に振りながらゲロ吐いた。
文鳥がゲロするのは初めてみた。
胃の中の消化中のエサが胃酸と唾液にまみれて飛び散った。

これは、けいれんを起こしたらからではない、と直観。
俺のミスである。
このラテックス製のゴム手袋は、ベタベタとゴムが貼りつかないように『粉』が
まぶしてあるタイプなのだ。
どうやら俺の指に噛みついてた時に、この粉を舐めて飲み込んでしまい、
そこからのオエーーッとリバースと判断、……時に冷静だろ?俺って。
鳥って、子供にエサを与える時に、吐き戻してエサを与えるので、
この動作も異常事態の動作ではなく、動作の一貫で、排出してると判断しましたし。
その粉を排出してからは、ゼーハーを経てちゃんと落ち着きました。

その時にである、チュン子がゲロされて、いったん逃げたが、
心配そうに、いつもは卵を温めて、中から巣の中からなかなか出てこないのに、
今度は、なかなか巣の中に入らず、ずっとチュン吉の横に体をくっつけて心配。
~~んーー、俺が害を与えてくるモノだと変な学習をされたら、せっかく手名付けたのが
台無しになるので、キャベツをちぎってチュン子とチュン吉に近づけたら、
チュン子はハムハムとちゃんと食べてくれて、チュン吉は「ゲロしたてで食い物受け付けるか」
で。

大丈夫なのを確認したら、また巣に温めにもどったチュン子と、
その上で警備担当のチュン吉にまたもどったのであった。
何かあった時に、巣の中から、ヌ~っと顔を出してくる様子が可愛いのである。
「何?」みたいに、ソローッと。
これがチュン吉が中で温めてる時だと、
「なんじゃゴラーッ」な表情で、カミナリ親父状態で回りを見渡す。
勢いあまって巣から飛び出す事もあり、すると、「なんであっためるのやめちゃうのよ」
と、チュン子がすぐさま巣に戻り、意図しないところで交代になったり。

…はぁ、俺に子供がいれば、文鳥日記をなぜ書かねばいかんのか。
生殖能力はあるのですが。。。
 

学生時代からの長年の謎、「遊ぶ」。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月14日(木)10時22分45秒
返信・引用 編集済
  同級生や、学校を卒業した後も、同年代が会社で「遊ぼう」と話してる。
俺はそれを『何の話だろう…』とただ聞いてる側、参加に誘われない。
俺が「遊ぶ」で思い浮かぶのは、TVゲームしかない、せいぜいカラオケとか。

彼・彼女らの言う「遊ぶ」の定義がわからん。
ここからは、精神童貞の俺目線の妄想。
俺の年代なら25年前~の話。

同性同士で遊ぶなら、延々と談笑やら、どこか連れだってドライブ。
異性との接点を積極的に求めてる集団か、そうではなく純粋に談笑が目的の集団か。
談笑も、その話は、何について、もそれぞれあるだろうし、見解によっては仲間割れも。

最近、アラフォーな女性芸人が「若い時はもう、遊びまくってた。深夜過ぎとか当たり前。」
だから、何して遊ぶんだ?
遊ぶっていうことは、負担になりにくい快楽なのだと、勝手に俺は定義してみる。
そのノリから察するに、「フーフー♪ ヒューヒュー♪」なノリである。
別に昭和な感じではなく。

一方そのころ、俺は、友達もいなく、勉強にいそしめる程頭がよければ、
ひたすら勉強(しかも楽しい意味で)や、今後の展望を考えたり、自分と向き合ったり、
みんな一般が、『水準』的な、服装や価値観や、経験している事も知らず、
しかし、少々の情報は入るから、極端にダサイ服は避けるし、
しかし、みんなが今はそれを着てるからの選択肢でもなく、時に、
異性の体に興味があっても、いちいちお話など面倒なわけだし、成立するには
相手の都合もあるわけなので、ヒューヒュー♪な人たちは、発展する確率も高かろうが、
そこに時間を割けるノリや元気もないので、仕方がないので、お忍びで風俗に行き、
ヒューヒューな人や、人慣れしてるお姉さんだったりするので、
俺が実は友達いないし、異性と関係もてないから来てると思われるのもつらく、
陽気に話しかけられるので、それについていけないと話すと、ドン引きされるか、
親身に悩み事聞いてくれたり、…俺が、「人生で苦悩したらカウンセラーより本番風俗」
という話をずいぶん前に話してた理由。
でも、そこでも結局落ちこぼれるんですけど。
「じゃあさ、今度は私が下になるから、次来た時に上になって練習しなよ。
彼女さんできたらいいね。」
なんて、優しくて顔もいい、数年しか年が違わないお姉さんに言われたものの、
内心、『その彼女、というのが、できようものなら、そもそも風俗で1回に2万円も
払ってるわけもなく、毎週行ってたら俺の給料スッカラカン、
その一方、同年代はキャッキャと無料で性行為してるし、虚しいの極限状態。
その風俗のお姉さんの優しさが、そもそも彼女ができないワールドで生きてる俺には、
途方もない負担で、「彼女できたよ、今までありがとう。今度から来られなくなるよ。」
なんて事が発生しえない自分がつらい。』
(※かなり序盤から、想定話のはずが実話の愚痴になってますが、続けますです。
勉強ができなかったのだけが俺の不幸。バカで不器用だから、仕事をするのは苦痛。
クソ真面目集団、研究開発だけとか、そんなのしててもどうせ仕事終わればヤレる
異性いるんだろ、こっちは違うよ、とか。)

……で、同年代なりがいうわけ、『今まで何人とつきあった』とか。
つきあうって何? その定義。 愛がどうのだと、絶対に別れると思うのだけど。
だって、つきあう理由が恋愛だと、嫌いになったら別れるでしょ?
当たり前の事言ってるって、これを読んでる人は思ってるよね?
でも、価値観に共鳴してつきあってる人たちって、そうそう別れる必要に迫られるかい?
恋愛感情があれば、それはそれで付随するものでいいでしょうけど、なくても構わない。

(※俺は、結構広い視点で話。)

これは、昨今、毎回騒ぎになる『不倫』の議論に繋がる話。
おかしいよな? いや、おかしいと思ってないからだな…。
どの部分かと言うと、「今まで何人とつきあった」って、男性も、まして女性も言うわけ、ね?
不倫されて怒ってる側って、自分以外の異性と、そういう事(セックスだろ?)、気持ち悪い、
許せないって話、………いやいやいや、何を言ってるのだ、
「何人とつきあってました」は、簡単に話せるのを許容されてる世の中なのに、
不倫に厳しいって、つじつまが合わないよな?
決定的な違いは、法的な関係(戸籍)にあるかどうかの違いなだけで、
やってる事は、「何人とつきあってました」の延長線上なので、
そんな事を言うやつは、これからも、新規開拓する心があるし、
つきあってましたの過去形なのだから、別れるやりかたも、経験豊富でしょうとも。

俺は自分のパートナーが、違う男のあれが「お先に~♪」で挿入されてた場所と考えると、
今からできる自分の子供、自分の知らない男のアレが挿入されたところから、
自分の子供が滑り落ちてくる時、自分の子供が、違う男のアレが背中や頭に触れたのと同じ、
と、基本的に考えるものの、価値観が共有でき、自分と向き合う人なら、
違うアレが何本か過去ログで入ってても、ちゃんとかしこい話ができるなら、
その場合だけ、裏切りがないのがわかる場合だけ、妥協した上で、建設的な人生が進むか。

あと、女性目線、男性目線の、不毛な議論、お前ら、さんざん
「何人とつきあってました~」は話すクセに、そこの話をちゃんとできてないのな。
セクハラがー、とか、好きな人からならセクハラにならへーん、とか、『理論』がない。
それと、相手(異性)より上に立とうとして、ツッコミ目的とか、
こんな相手とつきあって、何が楽しいのやら。
例えば、こんな感じ、実際TVで女芸人が調子こいて話してた。
「私って、美人ではないのは自分ではわかってるんです。
でもそこまでブスかと言うと、そこそこ顔は悪くないって思うんですよ。
どう思います?」→と話をふられた一般男性が、
「そうだと思います。」
「いや、『そうだと思います』も、暗に、ちょっとブスって認めてるんで、
それはそれで失礼だと思うんですけどね?」というツッコミを入れ、
……なんていうか、この感じ、を、俺は話してるというか。
なんでマウント取ろうとするんだ、対等で建設的な価値観の話し合いを
する気がないのに、しかも、思った通りの反応がないと、
「男って」「女って」の、“ひとくくり”という、理論のない、論理の飛躍だらけ。
 

愚痴ばっかりだなぁ~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月12日(火)17時19分17秒
返信・引用
  今日は曇りで、暑くなってきたとはいえ、夕方になれば曇りの日は外が涼しい。
ウチのエアコンは頭がいいつもりでやってる事が嫌がらせの、停止時に
内部結露で防カビするために暖房を入れる、せっかく冷却・除湿した部屋が、
ムレムレの湿度のクソ生暖かい風を室内に放り込んでくる、冷却・除湿した部屋が台無し。

なので今、窓あけて、換気扇で外気で涼んでたところなんですけれど、
クソ真面目な家の外気で、困ってる。
ここはハイツで、いってみれば世帯密度が高い。
クソ真面目に、夕方に、主の帰りを待っての料理を始めてる時間帯で、
その換気扇で排気した、油やら醤油やら、室内の壁がヌタヌタに汚れるので、
こっちこそ換気扇で排出したい空気を、ご丁寧に窓から俺は、
温かい家族の家庭料理から捨てられた要らない空気を、俺が吸わされ、ウチの室内が汚され、
逃げ場がない。
風が吹いてない日は、特に滞留しやすいから、モロなのよね。
 

即追記。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月 2日(土)00時11分40秒
返信・引用
  時給・日給・月給という概念がある。

仕事内容でなく、時間が経過すると、お金が発生するものだ。
楽な仕事でも、やたら過密でも、内容的な頭脳的な事でなければ、評価額は低い。
では評価額とは、神などいないのだから、なんらかの算定がある、
絶対値なのか相対値なのかの基準もない、労使の納得(主に妥協)だけで決定される。

なんでこれが追記かというと、みんな平等は、何もしなくてもお金がもらえる。
時給も、何もしなくても、「早く定時にならないか」と、時間さえ経てば
お金がもらえる本質は一緒。
しかし、決定的に違うのは、それをどうにもできないのが共産主義だろうが、
この時給に関しては、気づいてる人は少ないかもしれないが、
【逆平等】になっているのだ、構造的に、これは正反対の動きになるのだ、
パッシブ(受け身・受動的)ではなく、アクティブ(能動的)なのだ、構造的に。

どうしてか、同じ金額しか貰えないなら、できるだけ仕事をしない方が得である。
これだけでは共産主義と同じ。
しかし、【同じ金額しか貰えないのなら、やる量を減らしても、やれた量が増える、
要するに、作業の効率化・自動化の追及】に、文明が発展する方向に向かう仕組みがある。
これに気づいてる人が少ないように思う。
少ないから、日々、「格差ガー」「貧困ガー」の、額面上の金額や、相対評価した自分を
不幸であると訴えたり、…そうではなく、不幸があるのなら、
【同じ土俵で喧嘩できない状態で社会に送り出された状況を不幸】というのであり、
それが本質、だから、障害者は保護されるべきだし、べきだが、
ならば、それを繰り返すのは愚かな事であり、みんなが等しく、仲良く喧嘩できてこそ、
文明も、理解度も習熟度も深まる、建設的になるように仕向けられてる、構造的に。
しかし、そういう風に動いてくれる人ばかりでない、…ここに何かがありそうなのだ。
 

自分の間違いに気づいた。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月 1日(金)23時44分37秒
返信・引用
  下の書き込みで「お金=権利」と書いたが、脳内シミュレーションしたら間違っていた。

お金の本質に気づいたため。
きっと経済学者は『お金=信用(近似値として、価値とも言える。可変動)』と答えるのだろうが、
それ“も”含め、お金の本質とは、【概念】である、つまり、実態があるわけではない。
劣等感や優越感と同様に。

確かに権利がお金のように数値化されると、非常にわかりやすいのだけど、
これを行使する時に、憲法が想定した以外の事象が起きると、憲法で保障されてないので、
永遠に、~の場合は、の文言で許可や事例が増え続ける、算数で言うところの、割り切れない
割り算状態といえる、つまり、エラーである。

ベーシックインカムの本質とは、お金ではないのだと気づいた。
【最低限度の文化的生活】が、生活保護費の金額、なのだとして、それは、
文化的生活自体が【概念】の域を出ていないので、憲法自体に欠陥がある。
以前はエアコンは認められなかったが、必需品認定されたり。
そもそも、個々人が生きていく上で、これをしていい、これはしてはダメと、
風紀委員が如く国の監視下に置かれてたら頭がどうにかなりそうだ、絶対に抵抗するわ俺。
しかし、構造的には監視社会が望ましいのは、誰も否定できない事実がある。
犯人逮捕の決め手が、防犯ビデオでした、音声データでした、ドラレコでした、でしょ?
監視もされてるが、見守ってもらえるわけである。
これは、今に始まった感じ方ではなく、インターネットの扉が開きだした20年前、
俺はある人と、込み入った話になってきた時に、メールは逆に怖いと思った。
俺と相手しか知りえない状態なので、仮にヨロシクナイ状況下になったとしても、
誰もそれを知らない、込み入りそうな内容になってきたら、
誰でも閲覧可能な、この書き込みをしてるような掲示板のように、
他の人にも、いったいどっちの話がまともなのか、推移が見られる、監視下にある。
物の値段も、となりのスーパーの方が安いであるとか、ボッタクリが可能なのは、
情報格差が原因なのであり、ヘタなインチキができないのは、今時なら、
ツイッター等で拡散こかれるので、インチキ商売は集団リンチに遭うのである。
これはまるで、核の平和利用か戦争利用か、科学の使い方と共通する部分がある。
理由があって価格が高いのなら、それは、説得力をもって説明を広告すればよいので、
…とすると、受け取り側の頭の良さも問われる、アホには正当な理由をいくら話しても
通じないわけで、賢い人相手だけの商売もキツイ、説得力がある事が、
正しいとは限らない、ツイッターで拡散されたから理不尽な価格とは限らない、
物事の理由を、大衆に頼らず、大手電力メーカーに頼らず、自家発電できるように、というか、
何かがあったら、反射的に【その理由】を【考える頭】でないと。

いくつか見えた「でしょ」「って言いたいんだよね」と自分の書き込みをしながら
ありつつ、それを上回る書き込みをしてしまってて、きっと逃してるまま書き綴り。。。

お金の話にだけ戻ると、20年前のインターネットの文明開化時期、
その料金は【従量制】であった。
使用時間に応じて、金額が天井ナシに跳ね上がる(実際は1日24時間×ひとつきは超えないが)。
しかし、これが理不尽なのは、今のネットの金額のほとんどが定額制である事を
考えても、時間は、その中身を保証しないからだ。
要するに、しょうもないネット情報にぶつかってしまっても、
それに要した時間までキッチリ請求されてしまう、すると、抑制的な動きになる。
もっとできた事を疎外するわけである、人の動きに対して。
では今の世の中、みんなそうなってるかというと、自動車保険は、
「沢山乗る人と、ほとんど運転しない私が、同じ保険料っておかしくない?」
ってCMが流れてるわけである。
沢山乗る奴からは、沢山保険料取れ、ほとんど運転しない私からは保険料減らせ、
…この主張、すごくいいなって思った人は、共産党と全く同じ思考だと思う。
なぜなら、税金は、金持ちから取れ、という概念なので、
法人税は、いっぱい稼いでる会社から取れ、という概念は、
じゃあ法人税が安い国外に会社の本体置いちゃうよ、ってなる。
これが、共産主義が、最終的に、平均・平等の追及の結果、“そして誰もいなくなった”、
みんなで貧しくなります。

うー、やはりうまく言えず。
 

ベーシックインカム (追記)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月30日(水)13時54分37秒
返信・引用
  下記題名「ベーシック イン カム。」への追記。

想定問答として「じゃあ、その財源どうするんだ。税金だろ?税金が高騰するだろうが。」
が間違いなくある。

俺は、【お金とは、行使できる『権利』】という概念を示した。
つまり、お金の持っている意味である。
毎日のニュースで、ドルに対して、ユーロに対して、いくら円安、いくら円高、
と、常に変動してる。
これは何が変動してるのかと言えば、『価値』が変動してしまっている。
貯金は元本割れしないが、株に手を出すと元本割れのリスクがある、
という説明は正確ではなくて、同じ1万円札をもっていても、数字上は1万円でも、
その1万円の価値が、「円安」になったら、持っていた時より価値が下がったので、
数字は同じ1万円でも、価値が下がるとは、【元本割れと同義】と解釈できる、そうでしょ?

ならば、お金は、価値なのではなく、「憲法で保障された権利」であるなら、
元本割れなど発生しないわけである。
そもそも、労働の対価でしか、お金が得られないという、固定観念がおかしい。
お年玉って、親戚の誰かに何か仕事したから、お金をもらってましたか?
遺産相続についても、何やら遺書をのこしてたらしく、受取人がアナタだとして、
アナタは仕事をしたり、その人に気に入られる営業トークでもしたんですか、
そんな事をしなくても、労力が発生しなくても、お金って得られるわけです。
労働を提供しなければお金が得られない、という発想がおかしい。
ホストやキャバクラだか、1晩で数百万円も売上があるとする、
これをネジ作りの工場勤務換算したら、ネジ作りの方がよほど労力を提供してる、
ところが、お客に気持ちよくお酒を飲んでもらって、使った労力は、
トークと微々たるスキンシップで数百万円、俺は、楽して金を稼ぐべきどうこうを、
論点としてなくて、固執した観念で、お金とはこういうものだ、の前提では、
俺の話はファンタジーでしかなくなっちゃうから色々事例書いてるわけ。

仮に日本が、自己完結国家(いい意味での鎖国)であるなら、日本国憲法が保障している
最低限度の基本的人権=ベーシックインカムを通貨(電子管理で、現金でなくてもいい)で
権利を保障されたら、権利とは、権利であり、価値が変動するものではない。
さっき、お金を得る手段は労力の提供ばかりではない、と言った意味は、
そもそも論でして、「なんで今、そのお金が手元にあるの?どこから発生したの?」である。
老齢年金制度が開始された時代をみれば一目瞭然で、最初の受給者は、
1円も納税してないのに、老齢年金の、いきなりの受給者になったわけ。

この手の話は、何度かしてる。
俺は、初めて自分の服を買いに行く時に、いとこのおさがりのダサダサ服で来店し、
店員には、少なくとも裸を見せずに済んだわけである。
このダサダサ服がお金であった場合、そのお金は、どうやら、何かを始めるための、
とっかかり上、支給された状態から開始されている。
インフレになるには、お金を日銀が沢山刷って、市場に回らせる事だ、
沢山流通すれば、お金の価値が下がってインフレになる、というのだが、
お金って、減らしたら増やしたり、その分母って、この現行憲法で、やってるんだろ。
では、その刷ったお金を、直接に国民が手にできてるかと言うと、
なぜにか、民間金融機関に渡してる。
おかしいだろ?
分母を国が増やしてるのに、銀行で止められてしまってる。
配るのではなく、銀行が貯めこんでる。
つまり、銀行の財源とは、顧客の貯金だけでなく、日銀から新札を受け取ってる財源がある。
それは、どの銀行がいくら日銀から受け取ってるかは公開されてない。
日銀も、「お札刷りまして、どこどこ銀行に何兆円分渡してるから」と公開すれば、
例えば、そのどこどこ銀行の、個々人の預貯金の利息欄に、いきなり
「100万円」と、刷ったお金が還元されれば、よっしゃ、お金使う、お金が世の中に回る、
と思うものだが、そんな事に全然なってない、銀行は貯めこんでやがる。

あれ、話が脱線してきてるかな。

裸で生まれてきても、裸で外出しなくて済んでる理由って、外出前に、
洋服を与えられてるからだよね、という話と、
お金って、最初は誰も持ってなかったけど、労働したらお金がもらえたのなら、
そのお金を払った雇用主は、どこからお金を融通してきたんだ?
誰だ、「最初に、何もしてなくても日本銀行券の分配の恩恵を受けた奴は。」、と、
なぜ誰も気づかないのだろうか。
誰かから、だと、フィルターがかかるので、直接に権利(お金)が付与されれば、
できる事が色々と増えるはずなんだ。

先日、奈良と和歌山の県境に行ってきたが、スマホの電波は届かない、
食料を買い物するにも、どこにスーパーがあるのかわからない集落が点在。
どんな過疎地にもあると言われる郵便局もない。
この人たちは、細々と農業か林業を営み、、、しかできない理由は、
情報格差と流通格差をモロに直撃されてるからである。
ここに、ベーシックインカムがあれば、この集落の人たちは、できる事が増える、
権利・つまり、できる選択肢が増えるからである。

お金を「価値」とみなすか、【権利】とみなすか、俺は後者こそが、
この世の中を救う概念だと考えている。
 

リンゴリンゴ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月30日(水)00時37分3秒
返信・引用 編集済
  リンゴと、リンゴの間には、何があるのだろう。

左手をひらいて、こちらに手のひらを向けて、左から、
親指(1)、人差し指(2)、中指(3)、薬指(4)、小指(5)。
(※今から書くが、このカウントが、数字的な混乱を、僕に与えてしまった。)

僕はゼロの概念を教えてもらえず、自分で気づくまで、ひとりぼっちだった。
でもひとりぼっちの僕の方が、正しかったんだな。

いつも、「5」と「6」でも苦悩していた。

1から10まで、その半分はいくつかと聞かれたら、誰もが「5」と即答できる。
ところが、上記の指を数えてた事を思い出してほしい、
今度は両手のひらをこちらに向けたら、右手は、左から小指が(6)になる。
1から10までの半分が「5」ならば、左手の小指を【5】と数えてたよな?(怒りを込めて)
おや、5は左手に所属してる、左側だ、半分って、なんだ、半分ってなんだ、

リンゴとリンゴの間には何がある?
僕は、小指が5に相当すると考えていたから、数字がまるでわからなくなっていたんだ。
1から10の半分が5、間違ってない、ではそれは小指の事なのか、【違う】んだ。
左手の小指と、右手の小指の間の事を「5」と言うべきなんだ。
リンゴとリンゴの間には、見えなくとも存在するものがある。
 

ベーシック イン カム。(天才かよ)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月29日(火)15時31分40秒
返信・引用 編集済
  何もしなくても、各世帯に一定額が毎月支給されるベーシックインカム制度。

これを批判する人たちに共通するのは、
「何もしないで家でゴロゴロしててもお金を得られるなんて」

俺は理論と論破を使ってみる。
まず批判派を論破すると、どうやら思想背景に『楽をしてお金を得る事が人間的堕落』
というのと、そもそも憲法に『勤労の義務』があるから、と絶対に言う。
ならば、楽をしてお金を得ることが悪なら、今のタクシー運転手たちは、
車という機械で楽してるので、人力車にしなければいけない。
さらに言うなら、人力車も車輪を使って路面抵抗を減らしてるので、背負ってお客を
運んでこそ、楽をしない労働である、違う?
極論じゃないんだよね、極論だって言う人と、
それは結果論、論理の飛躍だの言う人に共通するのは、
想定外で動き回られるこっちの思考についてこれない言い訳だと思うんだよね。

リアルに自宅で食パンを作ろうとしたら、強力粉を1,000回コネるというのが一般的レシピ。
すると、1,000回コネてる間、他の家事はストップするし、休憩も娯楽も勉強もできない、
なので、ホームベーカリーで「楽をする」事で、他の事ができるようになる。
ホームベーカリーは1,000回を「もう疲れたわ」とも言わず、ひたすらコネてくれる。
楽して食パン作るな、と批判するのはバカげてるとわかる。
洗濯機しかり。

勤労の義務の件ですが、不思議な事に、物事は、取引が成立する事で穏便に運ぶ。
ところが、義務の反義語は権利なのだけど、義務を果たさないと批判されるが、
権利は行使しなくとも、批判は受けないのである。
なんというか、正社員の有給休暇もそうだが、使っていいのに使わなくても怒られない。
もし有給休暇の取得が義務付けられたら、使わないと怒られる、これが
義務と権利に隠れた理論上のカラクリ。

これを踏まえて、勤労の義務があるが、しかし、そこに
『勤労者には対価を与えよ』という憲法がない。
だから、ボランティアは1円も請求できないし、金銭を放棄するのが当たり前であり、
かつての専業主婦と呼ばれた層も、これが家事代行サービス業換算ならいくら貰えてるか。

ひとまず論破すると、「勤労の義務がある。しかし、働いたからと言って、
それがお金を貰える保証もない、憲法にも支払い義務は明記されてない。
せいぜいあるのは、法律上の最低賃金。しかし、働くとは、なんなのか、
庭の除草をしてもお金にならないが、造園業者が除草を依頼されるとお金が発生する、
やってる事は同じ事なのに、片方は雇用契約がないから仕事と認められず、
片方は雇用契約があるから賃金が支払われ、やってる事と、消費される人生の時間は同じ、
しかし、お金が発生しない。
さて、俺は、お金とは、【権利】だと思っている。
その権利は、確実性があり、行使する事ができる。」

ベーシックインカムを批判してる人は、マヌケだと思う。
だって、「基本的人権」が憲法で保障されてるのだから、生活保護費とは、
ベーシックインカムの事であり、何も未来の話でなく、すでに現行憲法で
実行されているのである。
つまり、生活保護費とは、ベーシックインカムと同義語であるから、
「社会保険」を廃止できるわけである。
無料で病院にかかれる、薬をもらえる生活保護受給者は、
無料でそれらのサービスを受ける事は「必要最低限度の文化的な生活」のカタチとして、
憲法上、その行為が認定されてるわけなのだから、
誰もが受けられる恩恵、それは【福祉】である。
道路も公衆トイレも福祉である、誰もが使っていい、お金も福祉だ、誰も使っていい。
誤解されてるのが、まるで社会的弱者だけが福祉サービスを受けるものみたいな、
世の中の共用物は、すべて福祉である。

また話が飛んだ。
勤労の義務があるならば、その一方で、基本的人権が守られているのが憲法だ。
すると、勤労によって、基本的人権が守られる、という、イコールになってない、
頭の悪い人が考えたのが、どうやら現行の日本国憲法らしい。

これをイコールに今すぐ直す必要と、さらに
「金銭行使の義務」を課す。
お金を使う事が権利のままだと、使わないで貯めこんでしまっても、なんらおとがめナシ。
お金が流通せずとも、犯罪にもならない、違法にもならない、そんな世の中で、
【お金が回ってこない、不景気だ】と騒いでる状態って滑稽だよな、
だって、お金を貯めこんでも違法にならないのだからな。
しかし勤労だけは義務付けられてるから、勤労しない人はおとがめを受けるんだ。

つまり、基本的人権が想定している金額こそが、最低限度、各世帯に
必要と認定されてる金額なので、それは憲法下に暮らす日本国民であるなら、
誰でもその金額が【最低限度、黙ってても、保障されねばならない】のであるから、
生活保護でなく、「生活保障」と名称を改め、イコール、それがベーシックインカムとする。
何もしなくとも死なない金額、最低限度の文明を享受できる金額。

すると、批判派はこう言う。
「みんな働かなくなる」→これこそが、論理破綻しているのである。
人間は、生きているだけで、なんらかの活動をしたがるものである。
活動が全くできない(ハンディキャップ等)状態であっても、生命が保障されるのが
生活保護の名称あらため、生活保障費(ベーシックインカム)だから、安心して暮らせる。
働きたくないし、自炊も面倒だ、毎月入るウシシなお金で外食ざんまいしよう、
…と思ったら、みんな仕事をしたくないので、
外食の店もない、外食を営んでた人たちも、バカらしくてお店を辞めましたとさ♪
…と、いうオチを予言してるのが、ベーシックインカム批判派たち。

ところが、俺はそうならないと思う。
人間の本質は、何らかの活動、自分の好きな事なら活動をしたがるものだし、
争いを避けたいというのは詭弁で、本当は日々小競り合いをしており、
戦争などという大規模な事でなくとも、ご近所づきあい自体が喧嘩だったり、
けん制仕合いだったり、スポーツ観戦も、血の流れない戦いに熱狂してるわけで、
争いは基本的にやりたがるのが人間、開発競争も戦いだ、知能の。
黙っててもお金が入ってくるから、誰も何もしなくなる、というのは、極少数派になる。
人は、抜け駆けをしたがるものなので、
「外食しようと思ったら、ベーシックインカムのせいで、店主が店じまいで
そもそも外食屋が一軒もなくなってしまった。」は、あり得ないのである。
これは、共産主義とは全く違うからだ、等しく貧しくなるのが共産国家が証明した。
平等の名のもとに、みんなが平等なのは貧乏さだけで、実は階級が存在し、
一部の人たちだけが、お金(権利←お金を基本的人権を行使できるツールと見抜ける俺)を、
しこたま持っている。

外食店がない、なくなってしまった→【だったら自分が外食店を開いちゃおう♪】すると、
すっかりなくなってしまったと思った外食店に人が殺到する。
お金がどんどん入ってくる、みんなベーシックインカムから食事代をくれる、
その店主は、お金が沢山になるので、自分の権利を沢山使えるようになる、そう、お金の事。
そう、ベーシックインカムは、最低限度の文化的な生活を保障する、
国が憲法として認定してる金額なので、最低限度より上の生活を求めるためには、
お金をもっと得る手段を探したがる、しかし、でも何もしなくても死にはしない金額。
自分が使える権利をもっと増やしたいと思うなら、みんなからお金を貰えるように、
創意工夫しよう、開発しよう、機械化がおいつかない部分は従業員を雇おう、
働きたくない人は、それで生活は困らない、ベーシックインカムで保障されてるから、
でも、もっと権利(お金)を得たいと、くすぶってる人たちがいるなら、
その会社の従業員になる事で、自分の権利(お金)が増えるなら、もっと高いところを
望もうと思う、仮にこれが椅子取りゲーム的に、働きたいのに
働ける椅子が満席だったら、無職で一文無し→に、ならないのがベーシックインカム。
「あいつらだけ、まんまと仕事して、より多くお金もらいやがって」→でも最低限度の
文化的な生活は保障されてるので、人間的に屈辱的な人生にはならない。

で、と同時に、【勤労の義務・雇用主による賃金保障の義務】と、【買い物の義務】を課す。

自由経済とは変で、同じ労働であっても、
「より人件費の安い国に工場を移転し、製造コストを抑える」ものの、
その結果、その国の国力があがり、人件費があがれば、その国から工場をひきあげ、
より安い労働力を求め、またその国の国力があがり、人件費がかさむので、
…コレ、すべての国の国力がイコールになったら、終わりを迎える仕組み、
過渡期にのみ旨味をゴッソリという発想、つまり永続的な概念が計算式から欠落してる頭。
本質は、そういう事を俺は言ってるのではなく、
要するに、安い賃金を求める発想自体が、【奴隷】の発想。
自分はその金額ではしたくない、自分はその仕事内容はしたくない、
できないのではなく、したくない、でも安い賃金でも、危険や退屈な内容でも、
欲しがってる奴がいる国にやらせてしまえ、…うん、コレ奴隷だね、欲してるのは。
すると、で、あるなら、機械化とは、まさに人間を奴隷にしなくてもいい、
文明・文化水準の向上、科学の進化である。
AI化されたら、仕事を取られるという人たち、そんなに奴隷になりたいのか?
「そんな事言ったって、働かなければお金がもらえない、明日食べる物もない、
仕事なんて選んでられない、正社員じゃなくても、派遣会社にピンハネされようとも、
仕事をしなくちゃ生きていけないんだ、だから自分を安売りしてでも、
仕事してない連中より、自分は上の人間なんだ。」

…え?そうならないためのベーシックインカムだよね。
「アレ?テヘ♪、そうか、自分が望まず奴隷にならなくても、機械がやってくれてるし、
食べ物を買うお金も毎月あったわ。」
食べ物だけは、農家や畜産業者という労働がなければ、そもそも食べ物を
作る人たちが「働きたくないも~ん」で、食べ物がなくなるかというと、
そこもAIと機械化によって、効率化されれば、何も問題ないし、
もしこの発想を批判するのなら、「お前が農家やる?畜産やる?」と問いただせば、
きっと「やりたくない」と言うんだよ。
労働に見合わない達成感だからだよな、金銭的にも、そうだよ、お前だよ、やれよ、
やらないんだよ、でも批判するんだよ、おかしいよな。
昔は、稲刈りと言えば、カマで一本一本収穫するしかなかったが、
機械化された稲刈り機で、一気に収穫できる、では、野菜はどうかというと、
掘り起こすのだけは機械がやるが、回収は人間がひとつずつ、相変わらず。
根菜ならいいだろうが、葉物野菜でゴッソリ回収すると葉が痛む。
しかし、植えた葉物野菜の株ごと回収できれば→屋内で自動化の実証実験はすでに進行中。

さてさて、もっと高度な文明を目指し、みんな頭よくなれば、
深い議論もできる、話も噛み合う、騙そうとしても騙されにくくなる頭脳、
優生保護法は批判されるけど、それなりの説得力があったから運用されたわけだ。
これを差別、優生主義と言われるなら、ハンディキャップを望んで生まれたい人が、
どこにいるのやら。
結果的に抱えてしまった事ならそれは手厚く贖罪を込めて保護されるべき。
みんながやれる事が、できない状態で一生を過ごせと生まれたのだから。
「すべてのものには存在理由がある、なくてもいいものなんてない。」
では、漁獲量が減少してるのは、地球温暖化と関係なく、
単純に、人間が狙ってる魚介を、クジラにゴッソリ食べられてたとしたら、
クジラは、賢いのはわかるが、【自分らだけでなく、人間の分も残しておこう】と、
そんな動きをクジラに期待できますか?って。
人間が悪い、って考える人たちはさ、「人間は自分の都合ばかりで」と批判するが、
相手は、相手の都合に人間に何かしてきてたとして、「お前の都合を
私たち人間に押し付けるな」とは言わず、人間が悪いから、こんな事されてる、
と考える、話ができない人間がいる。
存在理由を尊重するのなら、存在できなかった理由があるなら、どう考えるんです?
つまり、クジラを捕獲して一定数で管理する事で、漁獲量が増え、
人間の食べ物が確保でき、子供を産み育てる事ができるなら、
そこを配慮されて、子供を作ってなかった親がいるなら、生まれる理由が、
誰かの都合で閉ざされた事になり、「生まれた事には意味がある」どころか、
生まれる事すらチャンスをもらえなかった、そんな子供たちをどう考えますか?って。
食べ物は魚じゃなくてもいいだろ、というのでしょうが、
その理論を使うのなら、「生まれた事には意味がある」は論理破綻するよね。
だって、その言葉のウラには悪い意味での特別感・正当性の主張が隠れているので、
別になんの変哲もない健常者が「生まれた事には意味がある」って、
わざわざ言う必要もないんだ、だって、そんな事は言わなくてもわかってるし。

著名人・有名人が、世の中に恨みを抱きながら、やっと授かった子供が、
ダウン症・知的障害児だという話は散見するわけ。
すると、コイツ(親の方ね?)らは、それをネタにまた書籍だ、活動だ、と、
本人(障害の子)の意思とは関係なく、本人の意思疎通も正当性が怪しい状態で、
いろいろやったりする。
で、その人たちが「生まれてきてくれてありがとう」とは限らないわけ。
それでもいい、な人なら、本出して、アピールするって、おかしくない?
障害児が生まれました、そういう人生でした、だけの自己完結のはずが、
外部に向けて発信するわ、金銭も期待してるわ、あれ?健常者が生まれてたら、
そんな本も出してない、講演会も活動もしてなかったであろうと考えると、
よくない意味での特別な状況下、という認識だよね、だから違う動きしてるよね、と。

という仮説。
 

批判するのは簡単で、疑問を考えるのは頭を使う。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月28日(月)22時20分11秒
返信・引用
  批判とは、自分なりの解とは違うと思った瞬間に、相手に問いただす事で成立する。
批判と質問は、とても親和性が高いものの、中身は違う。
自分の得たい解の精度を向上させるために質問・疑問としても、それは批判的な聞き方でも、
それは成立するし、
お前の事は全く理解できん、こっちの解とはまるで違うの為でも成立する。
(※「批判の為の批判」とは、批判、それ自体が目的なので、問答無用の一方通行のツッコミ。
ツッコミとはツッコんだ側が必ずしも正しくないがツッコむと正しい印象操作ができる仕掛け)

夕方のニュースを見ていて、「そっか、こんなに頭がいい人たちなのに、バカなんだ。」
と思った事がある。
(と言う、この批判はどう展開していくんだろう。)

記者会見について、当事者にマスコミが質問をし、それに答えるというスタイル、
これにマスコミ・取材陣は嘆いていた。
今までの手法が使えず、当事者の方から情報をツイッター等で発信されてしまうので、
会見で質問しようとしてた事まで先回りされてしまう、…のだとか。

まどろっこしい書き方なのはわかってて書いてる。
こんな面倒な文章、自分でも読み返すのは面倒だ。

要するにマスコミの、当事者への愚痴というのは、そもそも理論的におかしくて、
当事者から直接聞きたいと思っても、オールドメディアとしての、
新聞・TVだと、【編集・曲解】をいくらでも可能であるし、
この手順は、どこまで行っても、聞かされる国民は、『マスコミからの、又聞き(フィルター)』
であり、直接聞けない状況下に戦後60年くらいあった。
インターネットは20年前くらいから本格的に普及してたけど、田舎の俺の同級生も、
お隣さんもやってるかというと、きっとネットしてなかった。
今ならFBあるから同級生探そうとしたらハードルさがってるかもな環境というか。

ごめん、なんかもっと深い話をしようとしてたのに、頭が働かない。

USJのフライングダイナソーがまた緊急停止したそうだ。
俺の知ってるだけで4回目。
それで、何時間も宙づり状態にあったであるとか、長蛇の列で待ってた人たちは、
「乗りたかったのに」という批判。

批判とクレームは、理論的な正しさがあろうとも、【クレーマー】という
レッテル単語の誕生で(何十年か前の書籍が発端だったと思う。)
これは、【難癖(なんくせ)】と同義語にされてるが、クレーマーという言葉自体は、
クレームを言う人、という意味しかなくのに、勝手な味付けで「難癖だろ、ウルセー人。」

毎回USJは、マスコミを通して、一般向けに【安全を最優先している】と言う。
(ここではマスコミはただのバイパスでフィルターを恣意的に働かせてない状態として説明)
俺が、もし仮に緊急停止して宙づりになったり、長蛇の列の一人で何時間も待って、
やっと次に乗れる番のお客で、【安全を最優先してますから】と説明されたら、
ブチきれてます。

安全を最優先しない物事って、いったいなんの事?
安全は、そもそも最優先されてる事が前提にあるわけなので、
そこをジェットコースターの緊急停止で【安全を最優先してるから仕方ねーだろ】と、
自分たちが、いかにお客の安全のために動いている優良対応しているか、を、
アピールしてるけど、そこじゃないよな? そこじゃない、よな?
しかし、どのマスコミもツッコまない、単純にディベート能力がないのだと思う。
批判する事がマスコミの仕事になってるので、論理的な思考ができないのだと思う。
批判って簡単なんだよ、自分の思う事と違う事が起きたら、心の声を言葉にすれば
いいのだからな、でもそれって、ただの感想文じゃない?違う?

これ書いてたら後ろでTVで、「隠れ家大公開」とやってる。
自分は賢いと思ってる人は、『公開しちゃったら、隠れ家じゃないじゃん(笑)』となる。
え?
公開してるのは、隠れ家の「中はどうなってる」であり、隠れ家、その本体が
公開されてないのであれば、相変わらず隠れ家なわけである、位置が特定されてないのだから。

俺ならUSJとこんなケンカになったと思う。
「安全を最優先しております。ご了承ください。」
こう言われたとします。
「あなたの言う安全とは、機械の安全装置が正常に機能した事によって
緊急停止した事であり、アナタの手柄ではない、偉いのは緊急停止した機械だ。
安全を優先するのであるなら、安全ではないと思っている事は何についてなのか、
それを聞いてるのであり、安全を優先、…それはそうでしょうとも、だから、
何が危険だと思ってるから、安全を優先なのか、危険と思ってる事はなんなのか。
例えば、脱輪するとか、落花するとか、安全バーが外れるであるとか、
あってはならない事なので、それらの危険を回避するために安全第一なのであり、
では、なぜ緊急停止したのかの答えをしていない。
安全を優先しております、のは、機械が率先して判定した事なので、
しかも、今回は4回目なので、安全でない事が置き去りになってるので、
緊急停止してるし、安全なのに誤判定してるかもしれない機械かもしれないし、
宙づりになった状態の人を速やかに救出できてない時点で、
安全最優先でなく、生理現象として何時間も宙づり中に便意もあるかも、でも置き去り、
つまり、安全第一とは、お客を速やかいに回避させる事ではなさそうだ。
宙づり状態で置き去りで、その状態を世間にさらされ、マスコミはヘリコプターで空撮だ、
4回目でなくとも、1回目からして、安全最優先してるんだから、
乗れなくなって文句言われてもも人命とどっちが優先か、人命を優先する、
という為に、安全を優先というなら、緊急停止を起こしてる時点で、
安全ではない乗り物だと証明してしまってる、ひとつの事実として。
そこは認めないと、次に進めない。なぜなら、緊急停止した時点で、
安全ではない状態が発生、であるので、安全を優先したというのなら、
そもそもその日のジェットコースターの稼働をした、という事実の時点で、
安全は優先されなかった、だから緊急停止をした、という事になるわけだな。
そういう事を確認したいので聞いてるわけだから、安全を優先してるって言われても、
話が噛み合わない、話が噛み合わない事を狙っての機械返答であるなら、
そうか、議論をしたくない時点で、隠ぺい体質の可能性が発生してしまい、
安全を優先という発言自体も、意味を失う。」

別件ですが、
俺は、USJに行った事があるが、長蛇の列中に、途中にトイレがないのである。
真冬の夜の時間帯、2時間もなかなか進まない状態、自分の回りには、
クネクネとロープと人が取り巻き、しかも、そこは下からあがって2階にまでいるので、
真横を突っ切って、2時間の今まで並んでたのをキャンセルしてトイレに行く事もできない、
口からアワ吹く寸前まで尿意で震え、そしたら何きっかけか、突然に人の流れが
前方でなくなり、従業員が「どうぞ進んでください、立ち止まらないでください」
早く行けと言ってきた。
まだアトラクションの中にもいない時で、中でも本当はクネクネと待ち時間が想定され、
その時間中に、壁の画が動いて話しかけてきたり、待ち時間の退屈を紛らわせる、
または期待を高ぶらせる仕掛けがあったようだが、「立ち止まらないでください」
むしろ、早歩き、走らせられて、その仕掛けをどれも満足に観られないまま、
一気に進ませられ、荷物預け所の近くでやっとトイレがあったんだったか。
 

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