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モノーモ・イ・ニフケル

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月26日(水)18時34分17秒
返信・引用
  区切りを変えたら、なんとなく人の名前っぽいような。
物思いにふける。

俺はインドア派で、中から外を考えたり見るのがいい。
という自称の、インドアだのアウトドアだの、この呼称・概念は馴染まず、便宜上。

みかんは出歩くのが好きなので、それに付き合う事で、おこぼれとして
外出時の思い出ができます。
最近と、ちょっと前に、思ったこと。
大した話ではなく。
滋賀県の竜王町というところから帰ろうとして、ナビで移動してるのに間違ってしまい、
ちょっとした集落に入ったら、通行人は誰もいないのに、『ギョッ!??』と思った。
人間は歩いてないのに、100cmくらいの身長はありそうなシラサギ(鳥ね?)が1羽、
普通に歩いてるもんで、俺の車が近づいてるのに逃げもせず、普通に通行人とすれ違う感じ。
あ~、写真撮りたかったーー、すげーと思ったのに、なんかみかんの反応が薄く撮れず。
むしろ動画撮りたかった。
俺も、出身は湖畔っちゃ湖畔(茨城県の北浦の近く・鉾田町)なので、あ~そうか、
ここはそもそも琵琶湖が総本山、っていうか、すごく田園風景が広がってる。
棚田である必要もない、ひたすら平面の見通しが利く地域でした。
俺の子どもの頃は子どもだらけでしたので、子供会なるものがあり、
そういえば「しらさぎ会」って言ってました、意味もわからず。
余談ですが、お笑いでカミナリが有名になり、鉾田市の名前が知られるように。
でも、地理的には市町村合併での鉾田市なので、彼らの場所は旭村という、海に面した地域。
あと大洋村ね、これも海に面してて、中学の部活動ではライバルとして戦ってたので、
同じ鉾田市を名乗られると複雑だったりするのである、じゃあ誰と戦ってたんだという。

最近、岐阜県に日帰りで行ってきた。
みかんが動画撮影したところに俺が映りこんでたので動画から切り抜いてアップロード。
「半分、青い。」のロケ地。
背中が激痛のなか、話せば長いが、大変だった。
話せば長いの部分とは、背中の話、そろそろ2カ月患ってて、
激痛の中、往復1,200kmの茨城帰省やら、この日帰り岐阜やら、
運転はできるほどの激痛、、、じゃない、今までの俺ではありえないほど、みかんに
運転を代わってもらいつつ。
原因は判明で、背中の痛みは、頸椎の軟骨摩耗で、神経を圧迫してるらしく、
横になる時だけ気がおかしくなるほどの激痛から解放されてる日々。
医者は診断名も出せず、鎮痛剤を処方するのみ、なので俺は、医薬品のコンドロイチンを飲み。
ロケ地や道中や、茨城往復道中や、それだけで成立する長さになるので割愛。

ついこのあいだの日曜、大阪のなんばパークスという周辺を歩いた。
色々、ここに来てる人に対しておもう事はあるものの、これも俺は話が下手で長文化するので
割愛。
嗅覚として、ん?という違和感やら、外国人が多いですどうのじゃなく、
ウソ臭いというか、何がなんの事か話すと絶対簡単なのに長い。
気づいたり、着眼しちゃった点なんだけど。
その中で、別の気づきで、やたらと飲食店で列が出来てて、喫茶店含めて、
この違和感は、レンタルビデオ店が抱えてる根本的な問題と全く同じなのに、
誰もそこに手をつっこんで、一儲けしようと考えないのな?
俺が頭がよかったら、構造に着手したいのに。
要するに、図書館も同じですが、『貸し出し中』だと、それを借りに来た人が
借りられない、…この、壮大な不毛さ、壮大という単語が重要で、
この問題を壮大と感じるセンスが俺にはある。
だって、デッカイ図体の建物に対して、1冊の本が貸し出されてます、
借りに来た人は、その本の表紙も中身も見られない、返ってくるまで見られない、
たった、たった、たったの、1冊が、だよ? 本屋に行ったら何冊も売ってるかも、
(この手の話になると、論点がズレてくるのがネットで書き込みしてる人の多く。
本屋が減ってるだの、そこじゃない。)
レンタルビデオ、と言ったら笑われるのだろうが、フザケんなというか、
むしろ、DVDを借りに行ったら「ビデオのみです。DVDの入荷予定はありません。」
と言われ、数年後にDVDで埋め尽くされ、あの、クソ女、やっぱりそうなったじゃねーか、
…まぁ、そういう事です、DVDなりBlu-rayが貸し出し中です、借りにきたのに借りられない。
イメージされたいのだが、TVの視聴率なり、映画の動員数なり、
例えば数十万人~数百万人が観ました、と、これをレンタルビデオ換算でいうと、
そのタイトルに対して、1~2枚は置いてます、え?仮に数十万人の需要があっても、
それの配置数の桁数の絶望的な、壮大な乖離。
「買えばいいじゃん」なの?
じゃ、食べたかったらどうするの? 席は満席、席につくためには、
いつ開けてくれるともわからない、「お先に」の人たちが占有しつくしてるテーブル、
スターバックス然り、この状態は、借りたかったものが貸し出されてる状態と同じ。
空かないと、座れない、返してくれないと、借りられない。
需要があるのに、「並ぶ」「待つ」、なんじゃこれ?
「テイクアウトすればいいじゃん」なの?じゃ、レジに辿り着けないのは、
テイクアウト待ちの人もいるからだねぇ、こういう指摘なんですけどねぇ。
時間の浪費である。
ある大型店の駐車場から出る時にも痛感。
出口はたったの3箇所、でも収容台数は数百台、帰りの時間が集中したとたんに、
出たいのに、料金精算所で、ほんの数十台、タイミングが重なるだけで大渋滞。
しかも道路に出るのも、その先には信号機あり、ゲートが開いたタイミングで
道路に合流できない場合は、後ろで何十台も待ってても、
公道の都合で後ろの人は便秘状態、、、不毛じゃね?
収容台数に対して、入口と出口、その流れの悪さ、それを招いてる箇所、
マジな話でいうと、ある原発で、死亡事故が起きました。
中を通してる太い鉄のパイプから、熱水が大量に漏れ出し、全員蒸し鳥状態の即死。
無理な水の動線をパイプで配線してたので、川の水が石を削るように、
ゴツイ鉄のパイプでも、中でゴリゴリと鉄が削られ、そこから数十年の時を超えて、
一気に噴出、たまたま通りかかってしまった、下請け業者の人たちが巻き添え。
この手の概念、どうにかならねーもんかな、と常々考えてます、考えてますが、
それを実行できるだけの学力をもってないので、俺は物思いにふけるしかないのです、
戦えるちからがあれば、、、、。
いまだにあるわけです、『元旦の、あけましておめでとうアクセスは、やめて』お願い。
アクセスが集中してケータイ、スマホの回線がパンクするって話。
で、俺は言いたいわけね、自動販売機で、ジュースは売ってるくせに、
横にゴミ箱が、当たり前に置いてないところなんてザラにある、
売りっぱなしかよ、と。
大手キャリアは、契約数を把握できていながら、全員同時にアクセスされたら
困るのだという、そんな大規模な通信網は、普段は無駄だと考えてるわけだよな、
でも、そうすると、さばいてる分母(本体ではなく、回線契約)に応じた
通信スペックをもってないのに、契約数を増やし続けたら、それって、詐欺じゃね?
銀行もそうで、預金者が全額おろそうと思っても、
どうやら貸し出し中のお金があるようで、全員に全額を、すぐには返せないってわけだ。
なんていうか、なんていうか、なんだけど、この手の話の通じる、人を選ぶ感じ。
「そんな事言っても」と、被せてくる論法で賢く正論言う奴は、仕組みの動力にすぎない。
青を『それは青』なんて、誰でも言える正論なんだよな、悪い事を悪いというのも正論、
そこに「なんで?」という疑問すらもたないのか、仮にもったとしても、
「悪い事だから。悪いと決まっている事だから。みんなが嫌がるから。」
これは正論ですが、悪いと思ってない人にとって、みんなが嫌がるわけじゃない事に対して、
完全に論破の突破口を失ってる事に気づきもせず、与えられた問題に、
せっせと正論で条件反射で生きてる自分が器用だと思ってるのだろうかな。

…変な書き込みをみつけたので、「時間と宇宙」の証明的な、
すっごく変な、でも、すっごく多くの人たちが論破されそうな、
あと数十分欲しいものの、もうみかんも帰ってきた、ご飯の時間なので途中で投稿。
 
 

あとがき。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月13日(木)15時18分13秒
返信・引用
  下の「SLAPP」について。

俺は養老孟司と、なんかわからん弁護士の矛盾を指摘しました。
俺の理論で言うと、批判した俺は、その同じ理論で自己否定する事になりそうです。
そうしてツッコミをされる事を想定して、書いてました。
だって、「その人の立場として」の理論なので、それじゃアナタ、矛盾だね?
って話、その理論で、返ってきちゃうね、って話、俺の中で起きてる何かと、
全然関係ないもん。
例えて言うなら、服を前後ろ逆に着てる人に、教えてあげてる俺がいるとして、
お前だって、服を前後ろ逆に着てる可能性があるぞ、と言われても、
逆に着てないのが、絶対値としても、相対値としても、どうにも間違ってないんです、
俺は、理論の話をしてるんです、何かを指摘するからには、正しくないといけない、
議論を続ける質問なのか、問題提起なのか、と、確定した指摘なのか、ハッキリしてるのは、
確定した指摘で、この方々は述べておられるわけでして、真実ってひとつしかない、
そうではないなら、それが間違ってる時しかあり得ないんですわ、
立場によって、見方が変わるようなものは、真実を言いえていないんですわ、まだ。
見解の相違なんて、便利な単語で逃げられないんですわ。
 

SLAPP

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月13日(木)14時39分4秒
返信・引用 編集済
  俺のIQは、成人の平均よりちょっと低い、という判定結果を、大人の発達障害で
いただきまして、…そうね、具体的な指摘や、違いを瞬時にいくつみつけられるかの、
空間認識の問題が非常に多かったように思います、…が、
「すぐには、うまく言えないけど、何かすごく違和感がある。」と感じる事は、
IQテストには、全く反映されていないように思いますね、…事実、テスト後の医者との会話で、
“うまく言えないけど”、フラットな感じでなく、、だって、確定事項であるなら、
どっしりしてればいいのだけど、心理テストだかの概念に『まみれた』、
目の前の俺の話じゃなく、そういうものに振り回されているものだから、
「今、心の中に思ってる木を描いてください。」とテスト時に書いた木について、
色々分析して俺に指摘するのだけど、本人目の前にしてるのだから、
俺に聞いたらいい話だったりするのである、なんでその木を描いたのか、
別に自分の『こころの模様』を描いてないですって言ったら、医者は動揺、
を、見抜いてる自分がいるけど、IQテストでは、この違和感の察知力は反映されてない。

【胡散臭い】
と察知する能力って、俺を助けてると思う。

それは、世の中には溶け込めないけど、溶け込めない苦しさと、
その苦しさから解放されるために、理解者の登場、とはイコールじゃないんです。
「なんだろう、この違和感」という感覚は、『もう大丈夫なのよ、安心していいのよ。』
の場合、『もう、考えなくていいのよ。』という、感覚に対しての目隠し作業を“察知”する。
そう、多くは、考える事をやめさせるアプローチをしてるのよね、苦しむ人に対して。
痛みに向き合わせるとか、過去の自分に向き合わせるとか、そういうサディスティックな
アプローチも、全然違う、「お前は、俺か?なんでその先に答えがある事前提なの?」
要するに、理論的な話、をしたいだけなのである、俺は、腑に落ちるという納得。
お前は俺じゃないから、俺を理解できない、な~んて小難しい人間ではない、偏屈者ではない。
「泥棒が、自分が盗みましたなんて自分で言うはずがない。」なんて話もまた、
これが俺が自己分析として「偏屈者じゃない」と言っても、
「偏屈者が、自分を偏屈だと言うはずがない。」という、理論のない理論で返す奴、
…らとは、話ができないなぁ、って事です。
「世の中、うまい話はない。」ってのも、理論がない、
『世の中、うまい話はある。』が正確である、つまり、“~な事も、~な場合も、”が
抜けた、確定的な言い方をする人たちの多さへの“なんで?”“なんだこの感じ…”。

現在80歳だという養老孟司、東大卒の解剖学者だったか、学生時代にNHKの特番を、
俺は熱心に見て育ったので、まともな人かと思っていた。
『バカの壁』っていう著書がヒットしてたらしいが、俺は手にも取っていない。
俺は、口汚く、この掲示板では常々書き込みしてるように見えるかもしれないが、
安易に、他人に対して「バカ」などと言わないです、むしろ、自分がバカだと沢山書いてる。
他人に対して、俺が『バカ』と言う時、それは、【自分はかしこいです】な、
調子に乗ってる奴に、頭のいい奴に、お前はどれだけのもんなのか、その矛盾を見つけて、
叩きつける時にバカと使ってる事が多いように思う。

…脈絡って、俗語でいうと「フリ(前振り・後の展開を期待通りに引き込む為の作業?的な)」。

そういうわけで、ここまで、「フリ」です。

しかし、いつもながら、本題に入る前に、疲れてしまってる自分、駆け足になりそう。

養老孟司に関しては、こんな記事を見つけたので、俺の【違和感】が反応。
遺言だか、そんなタイトルの著書を出版するにあたって、
…ちょっと記憶だから、俺の意訳が入るけど、だいたい間違ってない話として、
「物事に、意味を見出そうとすると、相模原のような事件が起きる。
(※意思疎通の難しい知的障害者は、生きている事に意味・価値がないと考えた
犯人が、自分の勤務してた相模原の障害者施設で連続殺傷した事件。
その思想は、ナチスと同じだと一般的に評価されてる。俺は思う、「思想って何?」
これもまた【違和感】の話である、直観として、俺の嗅覚として、
何々ありき、の為に、物事って決定されるっておかしくない?思想なる『前提』の為に、
理論構築された理論は、その前提(思想)が間違っていれば何の意味も成さないではないの。
ところで、この障害者、要・不要論については、それだけで書き込み終わるので、
今回は割愛。少なくとも、俺は障害者は不要と考えてます。
これは思想ではなく、理論的に考えて、まず、単語は「障害」なのである、
健常者なら可能な事ができない状態である、それが不幸な事だと、
健常者が決めていい事ではない、本人が幸せだと感じているなら障害者は不幸ではない、
という考え方があるが、これは、俺が過去に何度か書いた、肯定・否定の話、
俺の計算だが、「何かの肯定を得るために、何かを否定すると、
その否定した論法によって、自分を否定している状態、あまり好きではない単語だが、
俗に言うと、“ブーメラン”という単語に、だいたい該当する。」もっと、
格好いい言葉があればいいけど。ある脳性まひの女性が、
「自分は幸せだ。健常者は私を評価するな。」…これ、【矛盾】するわけです。
障害を抱えてる為に、ご飯をひとりで食べられない、
誰が助けているかというと、健常者が介助して、口元に運ぶ、例えば夫が。
すると、【人権】で見た場合、障害者は、健常者が、他に使えたであろう人生の時間を、
その障害者のQOLの為に、割かせている、他人の時間を奪う事によって感じている、
「自分は幸せ」とは、見方によっては、傲慢、という見方も、そんなに間違ってないはず。
だから、殺していいのだ、ではない、やはり、障害とは、文字通りの障害・障壁であり、
世の中で生きていくためには、障害・障壁を抱えている状態であり、
【できる事なら、ない方が、いいよね。】って事である。
ない方がいいけど、なくならない、例えば、イジメ、または病原ウィルス、
抗生物質の効かない耐性菌、新種の【害】は存在し続け、文明とは、
それらに立ち向かう事によっても、ステップアップの役割はある、
しかし、解決できる事ばかりでもない、解決できる事もある、
ちゃんと言ってるつもりなんだけど、きっと、俺の指摘は理解者を選ぶ。
事情により、健常者の女性が、晩婚・高齢出産となった場合、
出生前診断で、胎児が障害を抱えてると知った時、堕胎する人がほとんどだと言う。
これを「命の選別だ!」と批判する人を、批判する人は、
「若いならともかく、高齢出産の女性に、障害児を育てるのは酷だ。」理論、
これも間違ってて、逆で、若くして障害児を抱えた女性の方が、残りの人生は長い。
生まれてきてくれてありがとう、という親もいるだろうが、
そうじゃない親もいる、これが理論である、絶対値と相対値、頭で整理できて話さないと。
高山植物は、なんで高山にしか群生してないのだろう、
標高の低いところで、もっと楽に群生したらいいのに、
絶対値とは、そこじゃないといけない、科学的な理由であり、
相対値とは、標高差で見た場合、高いか低いかの対比なだけで、本質の理由とは別。
障害とは、絶対値として、障害であるし、相対値してみても、ハンデを負っている、
その事と、幸せか、不幸か、価値があるか、価値がないか、意味があるか、ないか、
本人が痛いと言ってるのに、「そこまでじゃないでしょ」と被せる医者、
最近、俺もありました、私事で、マジで体が震えるほどの激痛、
イジメもそうです、絶対値と相対値を一緒くたにしてる人の多くは、
相対値として、絶対値を評価してるように思います、と書いても、わからん賢い人の多さ、)
絶対値とは、【ゼロの概念】と同じです、【それ】であり、【そこ】であり、
そうじゃない立ち位置からの見方は、【~ならば、何々のはず。】という、
客観性をもった主観、つまり、『なんちゃって客観・ただのギャラリー』じゃなくて?
神様でもないのに、人をさばいていいはずがない、神様ならさばいていいなら、
神様は、誰がさばけるのか、神様の神様? こういう話である、つまり、
これでは、立ち位置、立場によって、説得力の上下を招く、
本当にそうなのか、を、みない人たちが、本当に多い、残念なことにに知性ある立場の
人たちも、沢山理論的に間違えてる、しかも、かなり低レベルな段階で、
賢く間違えてる。」

ごめん、話、とっちらかってるのわかってて、書き続けないと、
俺はどんどん言いたかった事が消えていくので、メモも兼ねてるから、急いでる。

【矛盾】について、何度か論破してるが、今回は、一般的な公式は、
本当に、【矛盾を言いえているのか】について。
これが、今回の書き込みの題名にしてる「SLAPP」、である。

養老孟司様は、遺言だかの著書の出版にあたり、NHKのアナウンサーを叱ったそうです。
アナウンサーは、養老孟司様に質問しただけなのに、
「すぐに答えを欲しがるな」的な事を言ったらしく。
アレレレレレ?????
物事に意味を見出そうとするな、と、言ってる人の発言ですか?
だって、すぐに答えを欲しがる人を、嫌ってるわけですよね?
それ、『評価』しちゃってますよね、意味を見出してしまってる、位置づけとして、
答えをすぐに求める人は、求めない人よりダメだ、という事を言ってしまってる、
これは『矛盾』です。
これ“が”、『矛盾』です。
(※余談ですが、英語でThis is a pen.を習った時、isは、日本語の「~は」「~が」
に相当する、と教わりましたが、当時からすっごく【違和感】があったのです。
だって、イコールの事を「~は」「~が」と先生は言うのですが、
日本語の「~が」って、「~は」より、もっと断定的な意味合いが含まれてます、
これこそが、的な、もっと、強く紹介したい時に、「~が」ですよね、
これが、ペンです、と言えば、そうか、それがペンなのか、であり
これはペンです、と言えば、そうか、なんだ、それはペンなのか程度であり、
全然重要度が違うだろうが、先生よ、in KYOTOより、at KYOTOの方が確定的な言い方的な。)

さて、論破開始だ、ゴメン、もう疲れて駆け足も限界さ。
上記の【矛盾】の事さ。
父親、母親、と、当時4才の女性が、シックハウス症候群になったと、
大手住宅メーカーを訴えた裁判、これが最高裁(もう議論する場を断たれる怪しい場所)で
訴えた父親、母親、当時4才の女性は、今になって敗訴が確定、その最高裁で。
だから、もう議論をさせない、負けたのは、訴えた家族、勝ったのは大手住宅メーカー。
で、議論って、、、、議論、じゃない? より高みをめざす、文化的な、
つまり、世の中に、その概念が、有益であれば、還元される、福祉的な、
事実、これはいい意味で言いたいけど、悪い意味としていうと「判例・前例」の礎(いしずえ)
になるわけで、議論の最前線なので、固定化された、『科学的な話ではない』って事。
で、負けた家族、訴訟にかかった費用を全額負担の判決、約200万円?だったか、
(この数字は、ここの話の本質ではない。議論するだけで高額が必要という変な話と、
今から書こうとしてる話と)
母親はすでに他界、父親は自己破産、当時4才だった女性は、現在18才、
その女性に支払い請求を、最高裁判所たる、最後の最後の決定機関が命令だしやがった。

俺は、「4才で、なんの判断もできない時点で、連名として名前を書かれてただけで、
支払い義務を負わせるなんて、可愛そうだ。」な感情論をしているのではない。

この記事に、客観的な立場から、弁護士登場。
「法律的に、全く問題がない。最高裁判所は手続き的にも、正しい判決と言える。
なぜなら、仮にその親子が裁判で勝っていたなら、その賠償金を
18才の少女が受け取っていたはずである。ところが、負けたとたんに、
賠償金を払えでは、いくらなんでも…、という話では、筋が通らない。
当時4才の少女に対して、負けたらお金を払う事に議論が起きている。
勝っていたら、議論にならず、黙ってお金を受け取っていた。」

この弁護士の指摘は、議論の【矛盾】を突いているわけである。

と・こ・ろ・が・、俺は、そうはいかない、「ん?」と、違和感の嗅覚がはたらいた。
矛盾とは、物理学的に言うなら、【つりあい・静止】の状態である。
簿記の勘定的に言うなら、【相殺】の状態である。
つまり、あり得ない話を、矛盾というのではなく、そういう状態にある、という事だ、
【ゼロの概念】と同じです、何もないのではなく、そこの場所を指し示しているのです。

では、この弁護士、まんまと【俺は矛盾を突いたぜ】と思ってるようだが、
俺の質問に答えてもらおう、…おっと、Siriや、池上彰みたいな事を言うなよ?
『それは、いい質問ですね』っていうあれだ、誰が質問に評価しろと言った、
質問だよ、クエスチョンだよ、現在進行形で、お前に向けている矛先を見ていい猶予の為に、
聞いているのではない。

IQが人並より劣るという評価結果が出てしまった俺からの、よくない質問です。
【矛盾とは、そもそも、対象物が対等であった場合に発生する現象のはずであり、
理論的に矛盾する事、イコール矛盾、と盾突くだけでは、論理的とは言えないはずだ。
これは何を言ってるのかというと、可逆か不可逆か、という話である。
可逆は、文字通り、逆再生させれば、元に戻る。
不可逆は、逆再生した場合、元に戻せないか意味を成さない状態である。
「人間は生き物だ」→これを逆再生すると『生き物は人間だ』、
なんで、生き物は人間だけになっちゃうんだよって話になる、イコールで単純に結べない、
不可逆状態である。
この弁護士が突いてる矛盾とは、「買ったらお金もらってたろ」「負けたらお金払うだろ」
の、『可逆』を前提とした、理論である、これは、前提を無視した、
理論的な矛盾にすぎず(前提が間違えていても理論構築は可能だから、
賢い人が、賢く間違えてる多くが、そもそもの前提を疑えてないまま理論構築。)、
前提の間違えてる矛盾とは、【論理破綻】だろ、この弁護士さんよぉ?

スラップ(SLAPP)訴訟ってあるよなぁ?
大企業と、一個人の社会的な経済力は、矛盾に耐え得るほどの、対等さなのか?
(以下引用・Weblioというサイトがヒットしたので、それより。
******************************************************************
> ある程度の発言力や社会的影響力のある、社会的に優位といえる立場の者が、
> 特に発言力や影響力を持たない相対的弱者を相手取り訴訟を起こすこと。
> 強者が弱者に対して訴訟をしかけることで、半ば社会的な恫喝あるいは報復として機能する。
******************************************************************)

特攻機は、往復の燃料は積ませてもらえなかったな。
損失を回収するだけの見込みの能力のない状態。
一個人が、大企業なり、医療ミスを訴える時(最近では女子体操の選手が組織を糾弾)、
負けた場合のリスクが大きいのは、どちらかに極端に偏る、ハイリスク、ハイリターン。
ハイリターンだった場合、それは【福祉】の意味合いを含む、営利目的の裁判ではなく。
一個人がハイリスクを負った場合、リスクしか残らない、リターン時は社会的還元があるのに。

これは理論的な話をしている。
なぜわざわざ言っているかというと、障害者は全員聖人ではないのと一緒、
社会的弱者の言ってる事は全部正解、巨大組織は悪い事をしてるに違いない、的な、
そんな話をしてるんじゃないって事ですからね?

難癖とは次元の違う部分での議論に対して、リスクが膨大すぎるのは、
「でも、勝ったら賠償金もらうんでしょ?」の指摘は、構造の指摘にすぎず
雨は、地面に落ちたら、それだけの話ですが、
人が空から落ちたら、死にます、構造的に、「落ちる」は同じですが、全く意味が違います。
裁判の制度自体が、問題を抱えていそうです、だってね、言ってる事が【矛盾】してるもん。
裁判官が評価される場面で「法律の専門家だから、素人の俗な判断とは違う。」でも、
『社会通念上、許容しがたい・許容しうる』なんて言い回し、時々聞きます、
つまり、俗世間的な、それが一般化されてるかどうかが、法律を超えて勘案されてる、
言葉が時代によって変遷するように、価値観も変わる、そういう事だよね?
だったら、最高裁判決が出たから、なんだっていうの?それは科学的にも正しいの?って。
もしそうなら、最高裁判決は、ノーベル賞とってもいいよな、誰か、
最高裁判決を出した裁判官が、その判決でノーベル賞とってるか?
人類学的に確定した事項か? この人間が便宜上つくってる「社会」という構造に対して、
確定事項とは、よほどの、よほどの、科学寄り、物理法則、自然の摂理を見出したくらいの、
でない限り、議論は終わらないだろうが。
問題のない事を、「問題だと言ってる人がいる限り、問題だ」と妄想を言ってるのか、
立場が弱くとも本質を言ってる人なのか、そこは並行して計算続いていいと思う。

…ところで、全く関係ないけど、「カラー」ってムカつくんですけど。
普通に聞いたら「色」の事って思う、でも、技術系の分野では、当たり前に
カラーと言ったら『襟首』の、機械構造の部位を言ってたりする、
なんか恥かいた気分で、いやいや、アンタらは日常的にカラーは襟首かもしれないけど、
俺、そんなに一般的な認識から恥ずかしいほど、色って思っちゃってるかね。
英単語にすると、色は「color」、襟首は『collar』、カタカナにすると「カラー」。
ネイティブ発音聞いても、日本人には同じカラーにしか聞こえん。
私の車に、リジット カラーという部品を取り付けまして。
極直近では、私、頸椎の神経を加齢でヤッちゃってまして、今も激痛で
震えながら(マジで)、こんなに長々と文章書いてまして、
なんとかならんかと探したら、ムチウチになった人がよく首につけてる白いアレ、
Amazonで見つけたから購入したけど、商品名が『頚椎固定カラー』なのさ。
…あ~、白いからカラー?、ん?なんか意味が通らない、もしかして、アッチのカラー?
 

バランスが大事(説教臭い響き)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 9月 3日(月)18時03分9秒
返信・引用
  これを、バランス“って”大事、と言いなおすと、自己悟りを開いたような響き。
同じ事を言ってるのだけど。

俺は、バランスの何が大事なのかが、だいたい、この手の話をしてる人は、妥協を見出して
発言してるように感じているか、総合的に判断して、そういう境地に至ったような、
奥深いものだったり、を、言っている事が多いと思います。

…が、バランスの評価とは、どこまでの範囲を言うのか、
全体的なのか、
局所的なのか、
によって、まったく概念が異なると思うのだけど、そういう理論を聞いたことがないので、
仕方なしに、こうしてまた、自分の掲示板に書いている…。

一番わかりやすい例えは、【シャンプー】と【リンス】の消費の仕方。
バランスが大事と言うのなら、シャンプーもリンスも、ポンプを1回ずつ押せば、
消費量は、だいたいバランスが取れるものの、そんな事はマレで、
髪が脂ぎってたり、汚れがひどかったり、そしたらシャンプーの消費量は多くなり、
しかしリンスは1回で済んでしまう、毎回思うのです、シャンプーとリンスの減り方…。

で、このシャンプーとリンスの関係性に対して、【バランス】なる概念は、
馴染むものなんですか?って事です。
必要に応じて増減されるものなのに、バランスを取るために、汚れ落ちが中途半端でも、
1回しかシャンプーしないとか、2回シャンプーしてしまったので、
無駄にリンスも2回分使って、両者のバランスを、非論理的に整合性取るであるとか。
要するに、バランスが、『目的化』って、おかしいよね?って話です。

目指すところがバランスな場面は多々、あります。
例えば車は、走って、止まって、曲がって、それらに要求される機械構造は、
馬力だけあって、制動力が劣る車は、怖くて乗れないわけです、バランスが悪い事が問題。
重心のバランスだってあります。

さて、俺は、毎日、同じ服を着ています、と書くと、日本語がおかしい。
(※日本語がおかしい、という意味でいうと、最近、初診の薬局で問診表みたいの書かされ、
『ジェネリック医薬品を使いたくない理由がありますか?』はい・いいえ の設問があり、
はい・いいえ で答える案件かよ、これは議論をふっかけられてる話なのに、
これじゃ、ライブの「みんな盛り上がってるかーい!」→イエーイしか回答権ない的な。)
同じ服というのは、同じメーカー、同じデザイン、同じ色の服を数着持っていて、
サイクルで着てる、洗って、乾かして、、、
その理由は2つあり、お気に入りを1つに絞る事で、2つの狙いがあり、
中途半端にいくつか服をもってる(これは種類の意味)と、組み合わせであったり、
違う服を持ってしまってる事で、「その服、前にも着て来てた、ププっ(笑)」を回避できる、
なぜなら、いつも同じ服だからだ、もう1つが、今日はあれ着よう、これ着よう、と、
【自分は何者なのか】が明確にあれば、それはポリシーとして、それで十分だからである、
私服だけど、制服、です、その恰好で、いつでも正装。
冠婚葬祭以外は。

で、そのサイクル用に用意してるのが、4着のTシャツ(同じ)と4本のジーンズ(同じ)。
なぜ4着かというと、1着は今着てる、1着は洗濯して乾かしてる、
乾きが悪かった場合や、汗だく・突発的な汚れで着替えたい時に1着ある、
すると、今着てる服は洗濯機行き、この着替えた1着を洗うタイミングは、
着替える前に洗濯機に放り込んでた1着と同じになり、同時に2着が着られない状態が発生、
洗ってる頃に、1着が乾いてるので着られる、しかし、乾きが悪い時だってある、
そしたらいよいよ裸になってしまうので、最後の4着目の登場。
洗濯中2着と、乾き待ち1着で、合計3着着られない状態になるからだ、それで4着目がある。

で、洗濯物って、洗うたびに、衣類はダメージを受ける、色褪せ、
綿は衣類からはがれていき、新品時より、どんどん薄くなり、最悪は背中が透けるほど、
だから、ダメージを分散させるために、この4着をまんべんなく、1番~4番まで、
順番通りのサイクルで、着て、洗って、均等なダメージになるようにしている。

………で、【バランス】の話になる。
『本当に、バランスって、いつでも正解なんですか?????』という、俺の疑問。
運動会の100メートル走で、みんなが1位状態、順位をつけないアレと、この洗い物の話、
脈絡のない話をしてる、と評価されるんだよな、俺は、こういう話をすると、
「キミの言ってる事は支離滅裂」「アナタは何を言いたいのかサッパリわかりません」と批判。
要するに、まんべんなく、この4着のTシャツを同じサイクルで洗ってるので、
同じダメージで、シャンプーとリンスを綺麗に使い続けてる状態なわけです。

「?」 ←ですか?

要するに、失う時に、全部ダメになるって事です、同じダメージを、
バランスよく与えてるので、肌が見えるほどスケスケのTシャツになるであろうタイミングは、
4着同時に、『全滅』って事です。
それだけではありません、スケスケの予感がする頃でも、まだしばらくは、本当に
スケだすには日数があるとして、そんなキワドイTシャツを、毎日着てる状態になります、
だって、4着ともバランスよく均等にダメージ受けてるのだから。
すると、しっかりした肉厚のあった時のTシャツを着たい時に、全部キワドイ物しかありません。
さらに、しっかりした肉厚のあった時のTシャツって、どんなだったか、
全部を等しくダメージ与えてしまってるために、新品の状態って、買いなおさない限り、
現物を確認できません。
洗って・乾かして、が完全に短いスパンで達成できるなら、2着を交互に着て、
残りの2着はノーダメージで、現状維持のまま、時間を推移できます、
バランスで考えると、万べなく使ってないので、【バランスが悪い】です。
しかし、新品は2着控えてます、いつもスケスケのTシャツで我慢する必要はなくなります、
スケスケしてきた所で新品投入すれば、「違いもわかる(相対評価のしやすさ)」、
いかに、元々はいいTシャツだったかを。
絶対評価では、スケてきてるTシャツ、という時点でしか判断しにくいわけで。

※かしこく行くなら、4着をまんべんなく着て、5着目だけを新品で取りおけば、
全滅したタイミングで、全く新しいノーダメージ状態のTシャツを着て、
4着のTシャツを、裸にならずに購入でき、、、、
あぁぁぁぁぁぁ、なんかわかんない、あぁぁぁ、わかるんですけど、
なんかこういうの書いてる自分が、確かにそうだし、そうするし、なんですけど、
すっごくガチガチの頭っぽい人みたいで、逆です、逆、服に振り回されるって、
流行であったり(機能の優先度が低い事も多々ある)、完全に、人に見られる、人に見せたい、
ための、実は囚人であり、ガチガチの頭なのは、柔軟に着こなしてる人たちこそ、
「なんでずっとこの服じゃダメなのか」と、俺のように、制服・正装を見出さず、
常に見た目を気にして生きてる囚人、っていう視点もあるわけです。
どっちが生きにくいかな、って。
俺は、難解な着回ししてる男性・女性に圧倒されます、それはちゃんとオシャレ、
って事の概念があるわけで、しかし、自分がそれに乗っかれるかというと、
さて、どこでその服買ってるのか、そもそも服をどこで買ってるのか、
そういうコーディネートのために、目を光らせて街を歩いてないといけないのか、とか、
逆に、「自分はコレです」って、いつも同じ服だと、矛盾しない。
服が同じ、と言ってるけど、実は、機能性を重視してます、ワイシャツは着なくなりました、
体の可動域が限定されます、じゃあいつもトレーナーならいいか、そこはわきまわえるわけ、
そんなワケねーだろ、なわけです、…なんて言ったらいいやら。
 

[美] とは。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月20日(金)18時32分49秒
返信・引用
  芥川賞、というものが発表されたけど、毎回思うのは、受賞者のコメントのマンネリ。
「もらえるなら、もらっといてやる」というニュアンス、昭和な単語で言うならニヒル的な?
なんでもナナメから言ってれば正解的な、ちょっと昔なら沢尻エリカの「別に」的な。
芥川龍之介の文章は好きだけど、そこにはちゃんと狙ってます、を隠してないおもしろさ。

このところのネット記事で、昨今の日本人に蔓延してるのが『冷笑主義』だと言う。

ネットの掲示板を流し読みするに、この言葉を言われてしまったら、ほぼ全員Lock Onだろう。
冷めた見方をして、動じない自分と、知識のある自分、…逆にそうでない人をみかけるや、
「お前はネットに向いてない」「お、急にどうした、顔真っ赤にして」
的なのを、独特な言葉や文字で書いてるのです、俺は逆にその『作法』的なのに
乗っからない人なので、その通りの逆の意味で「動じない自分」がいます、
いまだに、語尾に「wwww」的なの、今の今の今の今の今まで、いっちっどっもっ、
使ったことがない、単純に気持ち悪いからである、これこそ冷笑前の『嘲笑』表現と解釈。

題名の[美] とは、に戻る。

最近、とにかくYouTubeを観てしまってる。PCのゲームもしてない。
主に、個人が『演奏してみた』的なやつ。
俺の言ってるのは、きっと、そういうのじゃなく、横並びでみた場合の指摘として。
例えば、女性ドラマーに限って言うと、叩く人によって、全然違うのだ、概念が。
それを本人はあまり気づいてないかもしれない。
しかし、『自分はかなりウマイです』な思想がある人たちほど、
思想があるけど、『自分』はない、ので、自我を排除した、偏りのない人間です、
と公言してるのだけど、…不思議な事に、これを公言する人たちに共通して感じるのが、
偏りがない、という『偏り』なのである、自分で、叩き方にクセを気づいてないか、
それが自分、と思ってるところがあり、それって『偏りじゃね?』と思うわけです。

な、中にあって、唯一、『こういう事だよ』という女性ドラマーをみつけた。

YouTubeの再生回数って、統計学的にどうなのでしょうか、俺は統計学を知らない。
なぜなら、再生回数=内容の比例、ではないからです。
再生してみて、どう思ったか、であり、ある意味、「いかに魅せる」合戦、
悪い意味での『わかりやすさ』、悪い意味での、という部分が重要で。
ポピュリズムってやつ。
なるほど、数百万回再生の女性ドラマーが数人いる、それぞれ全く違う。
しかし、数万再生程度の女性ドラマーがいて、「全然違う、探してたのはコレだ」と思った。
それまでは、「所詮、ドラムでは、音楽のメインにならないのか。
昔、あのドリフターズのいかりや長介が、『ドラムが主張すると音楽が雑音になる』
って、何かのTVで言ってて、まさに多くの再生回数の多い女性ドラマーがソレ。」

自分がノリノリで、聴いてる人が置いてけぼりじゃダメだし、
自分の可愛さがわかってて、「全然勉強してないよぉ」で、テストで満点とるも違うし、
…それらの中にいない、こなせる自分、が正解でなく、淡々としてるニヒルでもなく、
以前書いたか忘れたけど、ウメハラというプロゲーマーは、
プロがプロたる思想として、「勝てれば、それにこした事はないけど、
負けたとしても、その試合をみた観客を興奮する戦い方を魅せられる事を
模索し続けられるのがプロだ」と言っていた。

その言葉、俺が再生回数が多い女性ドラマーに感じてる不満だと思う。
確かに、努力をし続けてるのはわかる、技術もある、しかし、
「そういう事じゃない」部分なり。
例えば、電子音楽の創成期の作曲者たちは、「博士」だったりする。
…ん、これは横道かな、「なんでもできる」事を目指す人は、器用であるものの、
『そこである必要もないから、ここである必要もないから、これは踏み台・通過点のため?』
と思うと、冷めるわけね?
わかりやすい例だと、野球なりサッカー選手、応援してる選手がいても、
そのチームで活躍してる誰々選手がよかったのに、とたんに敵チームに移籍、
今までの応援してた自分なんだったのか、女性と思ってたら実は男性のYouTuberと知り、
「俺の精子かえせよ」と嘆いてる人がいて(そういう動画じゃないのに)、
それ読んだ俺が勝手にツボってたり。

マーク・トウェインの言葉に
「夢は見なくとも生きる事はできる。しかし そんなキミは生きる事をやめてしまったのだ。」
夢、とは、探求とは、研究とは、創造とは、感化、とは、
俺は、【福祉】であると、考えます。
要するに、公共性や、還元される概念、という事です、つまり、文明水準上昇への寄与。
「自分のため」が崇高であったり、「自分よりみんなのため」が崇高であったり、
意見がわかれたりするが、『なんでどっちかなの?どっちもでしょ』と俺は思うわけ。

実際、俺の書き込みの原型は、自分ノートみたいなもので、
鉛筆で延々とノートに日々思う事を、思った時に書いていた。
日記ではなく、義務でもなく、なんだろう、この違和感、な時とかに自問自答を込めて。
すると、この考え方、このノート、俺しか存在を知らない、
しばらくしてインターネットが出てきて、ノートではなく、オンライン上に書けば、
自分だけに書いてたわけじゃない事がよくわかる、ひとりよがりで書いてたなら、
自分ノートを書き続けていればそれでよかった、しかし、そんな事は退屈なのだ。

[美] とは、
それ以上であり、それ以下であり、それを目的とせず手段とし、
主観的にも客観的にも快楽を与え、相対的ではなく絶対的な意味を持ち、しかし、
(相対、では、悪しき民主主義の多数派が含まれるため。内容でなく数の多さ。)
絶対的な意味を持つ事は、相対的との親和性とも、場合によっては矛盾せず、
難解さは排除されべきだが、単純さは思考力を弱め、しかし、
する必要のない事の礎(いしずえ)が排除された難解さなのであり、
短絡化された単純さではなく、解読された上の単純さであり、時間を他に使えるのだが、
使えない事は不幸であるものの、より不幸な事は、センスのない人間が、
努力をしてしまう事で、間違い色で世の中を染める作業の事であり、
自分との対話なら、自問自答であり、

…要するに「みきわめられるIQ」で、時間の中で生きている姿が美しいのだと思う。
空気を読むという事じゃない、空気を読むのは手段であり、
読む事が目的だと、自分の時間は他の誰かの為に使われている状態だろ、
という事とかを、いちいち言わなくてもわかる生き方ができてる状態が美しい。
 

恥ずかしながら、こみ上げるものが。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月13日(金)15時59分21秒
返信・引用 編集済
  京都の橘高校のマーチングバンドがアメリカで大変な事になってる、大絶賛で。
そのパフォーマンスは、演奏しながら小ダンスもする、立ち止まって観客に向けたり。

YouTubeでロック聴いてて巡回してたら、勝手に候補にあがってきて、見てみたら…、
なんじゃこりゃ、と、さまざまな人が撮影してたり、練り歩きだけでなくスタジアム版やら。

楽しいパフォーマンスに、俺はなぜかこみ上げるものがあり、恥ずかしながら。
『この感覚、なんだっけ??? なんだっけ?????』

………思い出しました、あと数か月で45才になってしまうオッサンが言うと滑稽でしょうが、
「お兄さん・お姉さん」を見る感覚なのでした、羨望(せんぼう)の目で。
どういう事かというと、子供の頃に見る、お兄さん・お姉さんたち先輩の、
頼もしさと言ったらいいのか、こみ上げる尊敬というか、
それが目の前を通ってくれて、小さい自分には、それがとても大きくみえて、
何かあった時に、きっと助けてくれる、近いけど、でも遠くて、自分には届かない存在。

幼少期に限らず、自分の中での先輩たちは、とても精神的に大人で、
つらくても笑顔で、頭がよくて、でも、近づけないのは、その、自分との違いとの
圧倒的な差で、自分が同じ年齢になっても、入れない世界、と見ていて、
それはやはりその通りになり、進学校です、大学です、俺には届かない世界。
頼もしいだけかと思ったら、自分の目の前で、違うところに意識が本当はあって、
「なんだ、そっち側だったのか」と勝手に傷ついたり、素の息遣いを感じたり、
何言ってるか、わからんでしょうね、この劣等感の立ち位置。

その感覚とは直接関係ないけど、最初にこみ上げてきた理由は、そっちじゃなくて、
もし、自分たちが戦場にいて、傷ついていて、敗戦濃厚な時に、
このマーチングバンドがやってきたら、【その圧倒的なパワーで上書きがくる】
このズタボロの、傷ついて汚れた自分たちが、『援軍がきた・救護隊がきた・助かるかも』
という、ワーッという圧倒的な「もう大丈夫」で覆いつくされる感じ。

という、物の見方、…その先の、大きな先輩たちの元気いっぱいの声かけに、
それに応えられない自分がつらくて逃げたくなり、品質低下させるのが悪いと逃げたくなり、
軍靴(←と書いて、「ぐんか」と読むらしい。グンクツではなく)の音ガー、
は、同感であるものの、しかし同時に、なぜに自分が死ぬかもしれないプレイヤーに
憧れってあるのか、そのザッザッという足音なり、行き届いた身なり、
統率のとれた圧倒的な頼もしさに、
自然と抱く羨望なんじゃないか、「はだしのゲン」は偏ったマンガと批判されるが、
俺は戦争反対だけ言ってる人ではないが、あのマンガはすごくバランス感覚があり、
兵隊さんに憧れる感覚は、決して批判的な目でだけ描かれておらず、
ではそんなにいいものか、もあり、
なるほど、他国マーチングバンドをみると、軍隊感がある、、、悪い意味で、
そもそもそういうところから派生したのかもしれない、鼓笛隊なんて昔言ってたような、
こういう統率の中にあってのふるまいは、自分も小学校の頃に暗い意味でなく経験ある。
この先輩感というか、自分たちが旗や太鼓を叩く前に、すでに使われてたもので、
例えば体育の、体操着の上からつけるゼッケンとか。

元ネタ、と言ったら違うけど、北野武版の座頭市のエンディングで、
映画でありながら、観客をイジってくる感じ、手法は似てるものの、
元も子もないけど、うまく言えない、ベビーメタル、という海外で評価されてるバンド、
このダンスパフォーマンスを見た事がない、って事だけど、日本にはこのバンドだけでなく、
候補がいくらでもいる感じ、フィギュアスケートは単発で滑る、…なんと言えば、
一歩間違うと風俗というか、わかるだろうか、アピールした事と、
解釈が違って。

芸能学校みたいなのある、例えば、一番有名なのは「宝塚歌劇団」だ、
あそこは、卒業しても「高校卒業」の証書にならない、劇団学校だからだ、
社会に出てもピエロしかできない、でも、ちゃんと修学して社会的な知能と矛盾せず。
それもしてた事がある、と言える、主たる部分ではなく。
それしかできないわけじゃなく。

…うまく言えませんが、全体的な話なのでして、要不要なり、社会の構成なり、
一過性なのか、飽きられることなのか、永続するべきものなのか、たまにがいいのか、
うまく言えないが、ある歌手はボーカルだから有名が、
その主たる人が、ギタリストだったり、ドラムだったり、うまく言えない。
 

(今の)民営化は品質低下する構造。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月12日(木)12時13分0秒
返信・引用
  小泉政権時、公務員の縮小と、民営化をすれば、価格競争が生まれて価格が下がる、
と提唱され、実行された。
例えば郵便局。

価格競争が生まれると、価格が下がる、…と俺も思い込んでいたが、
実態は違う、俺に「理論」が欠落していた頃だ、今なら理論的にわかる。
価格競争すれば、他より安く提供しようとコスト削減なり、効率化が行われ、
安くて、しかし品質は同等か、それ以上のものの提供されていく、、、
これは、難しい言い方をすると、『希望的観測』、なわけで、「~になったらいいな」
であって、そういう動きをすることが確定されていない。

民営化ということは、営利目的なのであって、高くても売れた方が得なのである。
安く、いいものを提供したい、という企業もいるでしょうが、目的は「営利」なので、
安くても売れなければ儲からないし、高くてもニーズがあれば売れてしまうし、
それらの動きが【自由】に変動するから、需要と供給が担保される、
…という、希望的観測だったりする、これは理論的に、確定されない動き。
需要があれば、生産され、供給過多になれば価格が下がり、価格競争で負けた企業は撤退、
残った企業が独占、だったら安くする必要がない、ウチしか手がけてない、
という動きにもなれる。

自由とは、それぞれのエゴによって物事が動くことで、
他人がどうなろうが、知ったことではないし、自分がどうなるかだけの責任だけ伴う。

結構本質を言ったような…。

NHKが色々な批判をされてるが、その批判されてる部分は、正しい批判が多い。
その中に「押し売り」という批判があるが、押し売りしてるのは、実はNHKではく、
放送法が根拠なのが知られてない。
国によって、日本国土であれば、どこでも視聴できるように電波の整備をする義務を
NHKは課せられているのだ、つまり、番組内容はともかく、
誰にも電波が届く状態を作るように、国から義務づけられている、
その理由は、情報格差をなくすためである、という根拠で作られてる法律。
しかし、情報格差の意味でいうと、実はNHKの放送内容は客観戦だけでなく、
かなり取捨選択された放送内容もあるので、「情報が届く事だけが公平」であって、
情報の内容には、格差が発生している、という矛盾がある。
インターネットは、放送法とは関係ないはずだ、だから、回線の品質や、
そもそも回線が来てない地域がある、ケータイの電波もそう、
しかし、いったん回線がつながると、情報格差は縮小される、なぜなら、
発信側が取捨選択しようが、別の発信元にアクセスできるため、それが本当か比較検証可能。
つまり、NHKの役割とは、情報の質・公平性は、義務化されているのに、
それだけでは知りえない、または、間違って解釈、国論を誘導しかねない報道もある、
例えば、事実を報道すれば、それでいいかというと、ウソはついてないが、
相対的にみた比重でいうと、そこをみて、な報道がある、これは偏っている、公平でない。
公平とは、少数派の意見を尊重する事ではない、尊重とは何なのかが、理論的に欠落してる。
公平ては、意見を尊重する事ではなく、その中身の理論的な正しさによって、
初めて尊重されるべき事である。
神様います、UFOあります、→尊重すべきか? そうかもね、程度案件のはず。
なのに、神様いません、UFOいません、の多数派と、同じだけの説明時間を放送に割く事を、
『公平』と考えているわけだ、中身ではなく。

最近、奈良の、割と近所の温泉で死亡事故があった。
屋根が落下して、男性1名死亡。
その屋根自体が、当初、市に説明する時にないものだった、露天風呂。
この申請書に屋根の予定がなかった、屋根をつけるなら追加申請が必要なのにしてなかった、
って事が問題にされてるが、『理論って、そうじゃねーだろ。』

要するに、民営化とは、一線を超えてしまう事があり得ますって事が問題な部分。
その温泉でいうと、屋根を作るなんて事は、いちいちお役所にお伺いや報告義務が
ある事自体が、「なんでそこまでいちいち」なわけで、
重要なのは、『その屋根をこしらえる事で、安全は保たれるか』の部分で十分なはず。
ところが、強度等は、法律でがんじがらめにしないと、簡単に一線を超えるのが民間、
営利の動き。
要するに、【完全民営化】とは、法の怠慢であって、
何をしてもいいが、最低限度の品質をクリアーしてなければ、罰則を受ける、にしないと。
今回の豪雨災害で、ソーラーパネルがあちこちで土砂崩れ。
水道局を民営化する動きもあるようだ、あちこちで断水した事もあり、
豪雨前でも断水したし、その直前の大阪の直下型地震でも断水。
確かに、民間が行った方が、いろいろな発想が使えるから息苦しくない、
しかし、同時に、発想とは、時に、利便性の目的から逸脱するのが、民間の動きだ、
要するに、【囲い込み】だ、【独自規格・独自仕様】というものを産む体質が常にある。
なぜこの動きを産むのか、【営利目的】が根本にあるからだ。
営利目的に、法律の概念を俺は義務付けるべきと考える、つまり【公共・福祉】の概念だ。
汎用性のないものは、なぜそれを専用的にする必要があるのかを、
理論的に公開されるべき。
ビデオのベータとVHS競争、レンタルビデオ店に、ちょっとだけVHSが多かったのが理由で、
ベータは淘汰されたと聞く。
ところが、映像スペックでは、ベータの方が品質もよく、カセットも小さかった、
ベータが普及した方が、【公共・福祉】の面で、文明を享受できていたのだ。
これが、理論がない民営・営利の実態なのである。
だから、汎用性が基本理念として、法的に課す役割を担うべきなのである。
重さのキログラム、長さのセンチメートル、これは国際法で決められた単位だ、
自分たちが勝手に、これが重さの単位だ、というからには、その説明がいる、
理論的に優れているなら、既存の単位も更新される環境も必要だ、
それが後に標準化できる状態・いい意味のユルさもなければならない、
実際、技術の進歩によって、今までの単位の1mmは、厳密には、間違っていたらしい。

言いたい事が伝わるといいけど。
 

才能に嫉妬し続ける自分。(後半追記)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月11日(水)19時08分44秒
返信・引用 編集済
  今日はYouTubeの、昔で言うなら、きっと「インディーズ」な立場の人たち。
しかし、売れてないからでなく、売れてても、である。

TV・雑誌然り、『採用』されない事には、周知できなかったのが今までの時代。
偉い誰かの何かの基準をクリアーしないと、表舞台に出られなかった。
それは、いい面を言うと、ある水準に達してる、品質は保たれてるものである、
しかし、悪い面の弊害も多く、「そういう解釈もあるのか」を、
誰かブラックボックスの中で判断されて、…これはこういう業界・業態に限らず、
農業協同組合もそうで、こういう野菜を作りたい、売りたいと思っても、
農家は農協基準のものを作り続けないと、市場に流してもらえない、
からの、農家が直接販売、みたいな。

TVのワイドショーでは、「YouTubeで何百万回再生の、すごい人なんですって。
今日は本人に登場していただきましょう。」…って、完全にYouTubeがなかったら、
見逃してた人材じゃないの、と思うものの、これもTVのフィルターがあり、
そもそも『すごさ』ってなんでしょうか?
楽器を堪能に操れる事がすごさなら、それはPCが代わりにしてくれる。

俺は、造詣・習熟度・理解度・“そういうトコ、それ”・解釈センス・創造力・
エゴらない度(自分酔い。自分が気持ちいい事が重要でありつつ、勝手な一人ヨガリもダメ。
)、あたりかと思う。
あと、突き抜けるべき時、バランスを保つべき時、そこの気持ちよさを
わかってて、繰り返してくれる時、…何言ってるかわからんかもしれんが、合気道の精神、
波長が離れると、人心が離れるもので。


ちょっと前のドラマで、コハゼヤだか、足袋を作るドラマがやってた。
俺は、足袋のコンセプトは気に入っている、地面からのフィードバックがよく伝わる。
白い生地を、俺は、そもそも市場にないなら自分で染色してオレンジ色にしようと、
ちょっとネットで検索してみた、そして、【こりゃダメだ】と、足袋にウンザリ。
足袋は、足の親指と、あと4本が分かれてるデザインを踏襲させてしまってる。
これの何がダメかというと、世の中の靴下の99%は、5本指がひとまとめである。
この足袋のためだけに、専用の靴下か、裸足で履く必要性に迫られる、
全然ダメだな、足袋、…上記もこういう事なんです、今まで音楽とは、
『誰か頼むよ』と、自分でできない俺は、そういう感じ、待ちのために、
メジャーデビューされた中から、欲してたもの探しをしてたが、
今日、さんざんYouTubeを見てて、そこはかなりの部分で発想が解放されており、
自分の欲してる【解】なり、てがかりを得られ、感化され感がすごい、
登場を待つ時代から、自分から探しにいける時代なんだ、

でも、俺には何もなく、能力も、せいぜい、いいもの、わるいもの、の嗅覚だけ。

世の中に「あったらいいのに」と思っても、作れる環境と能力がなければ、
具現化する事はできない。
たまたま、具現化できてるものだけがある、それが今の車と、自作PC、
「こんな車があったらいいのに」→今の愛車である、三菱i。

『ミッドシップ』という単語に、トキメキを抱かない人があまりにいない世の中。
慣性が最も働く重量物はエンジンであり、それを中央に配置する事で、
さまざまな走行場面で、運動性に優れる。
だから、F1マシンは、エンジンが後ろにある、エンジンが後ろにある『理由がある』。
それに後輪駆動である、世の中のほとんどの車は、前にエンジン、しかも前輪駆動。
これが“合理的”というのだが、俺は、効率のいい構造は好きだが、
これは車の運動性能を考えた時、合理的ではない、作り手にとっての合理性である。
コンパクトなエンジンのiは、ミッドシップにしても居住空間を邪魔せず、
世界的にみても、ミッドシップの配置で4人乗り、荷物も積める車は、
唯一無二なのである、他にないのである、…だからスゴイだろ、という話ではない。
「他になんでないんだ」という嘆きなのである。
2013年に製造中止されてしまったが、アイミーブなんて単語なら見た事あるだろう、
2006年にiが製造なので、12年経っても、いかに前後重量配分に優れてるか
タイヤが4隅に突っ張ってる事で、いかに直進安定してるか、それでいて慣性物が
中央にあるから、スイスイ曲がるであるとか。
PCも、なんでこういうPC作ってくれないんだろう、は、とりあえず、
既製品ながら、組み合わせて具現化できてるものの、PCケースの非効率な
大きさには暗に目をつぶってる部分があり、完全に納得してるわけではないが。
 

『募金』には虫唾が走るんだ。→【寄付】が正解!

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月10日(火)14時57分0秒
返信・引用 編集済
  主に、西日本における今回の豪雨災害、ヒルナンデスとかいう番組をうっかりつけてたら、
きわどい立ち位置(扱いに困られてそうな意味)で生き残ってるメソちゃんという司会者が、
(右斜めに顔を傾けてメソを読まれたい。)
毎年胡散臭い『24時間TV 愛は地球を救う』にからめて、
「西日本の豪雨災害への募金をよろしくお願いします、
被災で亡くなった方々への心よりのご冥福をお祈りいたします」、
的な事を番組の終わりに言っていた。

……え? アンタら、自分たちは西日本の豪雨被災に対して何かしたとか
口つぐみなのか、そもそも何もやってないのか、と反射的に思った、
、、、だけでは、月並みに批判で、「正論」でしかない、本当に思ったけどね、
キラキラと番組運びしてきて、最後いきなり全員でかしこまる感じとか、
そこに出演してる人たち全員から、透明アクリルボックスに募金入れる様子もない。

俺は『募金』は、絶対に払うべきではないと思うし、募る側になってもダメだ、
と、理論的に思う。
理由は、『募金』って、例えば今回で言えば「西日本豪雨災害への募金」との事だけど、
そのお金の使途が全くわかりません、誰が管理してるのか、どこにいくら
集まっているのかを正確に把握されてるのか、集まったカネから、
自分らは管理してるのだから、給料をもらう権利があるとか思って、全額の
募金が使われず、給料に使われてる部分はないのか、とか、
……これもまた、“月並み”な指摘です、本当に俺も思うけどね。

そ・う・で・は・な・く・て、

そもそも『募金』ってなんだよ?と。
西日本の豪雨災害への募金?そのお金、どうするの?誰が何に使うの?
な~んにもプランを見せてもらってないのに、困ってる人への【雰囲気】、
自分はいい事をしてるに違いないの自己満足、何もしてない人より徳を積んでるくらいの。

俺は、『募金』って、そもそも当事者が言ってるのを聞いた事がないのである。
そうでしょ?
言ってる意味わかります?
今回で言うなら、豪雨被災者が「募金をお願いします」って、言ってるの?
唐突に、『募金おねがいします』と、何勝手に“とりまとめ”な連中が出現しちゃうの?

要するに、俺は、募金ではなく、【寄付】が正解だと思う。
募金とは、第三者が介入してきて、なんだかブラックボックス。
しかも、積極的に動いてるのは募金活動者たちで、アンタらソレに募金してないだろな連中。
【寄付】なら、寄付をしたいと心から思う人たちが、直接に当事者に渡す構造が、
容易に構築できる。
募金のような胡散臭い“とりまとめ”部隊な募金を中抜きする連中もいない。

寄付と募金は、一見似てるけど、まっっっったく違うものだと俺は思う。
まず、寄付金を募る場合、これは圧倒的に当事者が「よろしくお願いします」なのだ。
先述したように、募金だと、本人が何も預かり知らないところで
どこかの誰かが勝手に「よろしくお願いします」なのだ。
では、お金を渡します→そのお金、具体的にどうなっちゃうの?後で明細見せてくれるの?
そう、募金の場合、極々一部の管轄してる中抜き連中だけが知ってる、
後はかわいそうに、の、イイ事してると思いこまされてるボランティア部隊。
ところが、【寄付】だと、寄付する側は、『何に使ってくれても構わない。何かの足しに。』
で、寄付した側に納得がある、募金にも納得があるから募金してるんだろうが、
という反論する人がいるなら、俺は「仕組みを理解してない段階での納得って何?
募金したお金が実際はどう使われてるのかを、今から募金しようとしてる子供に、
何事も隠さず説明して、納得してお金入れると思う?
知らせてない段階で“納得が成立”してるって豪語なら、知らせてない情報の段階だから、
それ、詐欺ですよね? いい事だけに使われる、と、暗喩させてる
景品表示法違反の疑義が非常に濃厚、そうではないと言うなら、
“このお金は、何に(だけ)使われると思いますか?”と、答え合わせしたらいいんじゃない?
貰ってる募金活動側と、払ってる募金側、はい、せーーのっ、答え合わせしてみたら?
一致しないと、おかしいよねぇ?」と、俺は言っておきます。

寄付(Donate)は、PCしていれば、便利なソフト・アプリ開発者が、
「もしこのソフトが気に入ってくれたら、寄付金お願いします。
今後の開発の励みになります。」ってものが沢山ある、全く強制力も制限もない。
ね?
寄付金を呼びかけてるのは誰ですか?プログラマーが直接お願いしてますよね?
募金とは、「あのソフトのプログラマーが大変そうなの。募金するから、マジ大変なの、
本当に困ってるの、すっごく困ってるの、助けてあけないと、みてるだけじゃ
自分も心が痛むよね、あの時助けていればと後悔したまま生きる人生と、
どっちがいいかな。」なわけですから、まぁ、宗教勧誘と手口は一緒よね。
『信じなくてもいいけど、後でつらい事があるよ~。』
『そうなりたくなければ、信じた方がいい人生送れるよ~。』でしょ?
ば~か、神様の存在が真実なら、信じなさいって言われる事じゃねーだろ、
「信じる」って、ただの主観的な行動だろうが、真実なら、信じる対象じゃない、
ただの【それ】の事だ、信じるとか疑うとか、そんなことを言われなくともだ。

昔、「マネーの虎」という番組があった。
著名な資本家が集まり、納得できたら出資する、という番組。
納得させるのは、これから何々という事業形態を展開したい、という具体的なプランナー。
ここまでネットが普及する前の番組。
(※しかし、出資者は、自分に運用資金を期待するから、投資と代り映えはない。)
今なら、【寄付】と同列で【クラウド ファウンディング】というものがある。
具体的に、何をしたい、実現したい、実験してみたい、すると、
どんなものが見せられる、こんな世の中になる、賛同してくれたら、寄付をお願いしたい、
……あ、ひとつだけ「募金」に意味はあった、ネットに繋がる世の中だから、
こんな事をしたがってる人がいる、という事を、SNSで拡散してくれたら、
賛同者が増える役割になれる、しかも、紹介者は、それを善意で紹介するだけ、
紹介されたサイトを見て、そこに寄付するかどうかは、本人次第、
さて、ここに来るまで、誰もお金の【中抜き】はされてない、これが重要。
純粋な状態で、守られてるお金、という事が重要だ。

具体的に、何をどう救うのに、いくらかかるのか、24時間TVは公開してるんですか?
歌とマラソンとTシャツとイベントと芸人の出演料と、全国各地の中継ブースのレンタル料と
経費払えるなら、24時間TVなんてしなくても、
「24時間TVとして、みなさんから寄付金(募金じゃないよ)をいただかなくとも、
出演者やイベント設営費や、救うために、本来の目的とは違う経費って、やっぱ違うし、
バカみたいだから、困ってる人たちに、自分ら24時間TVとして、いくらいくら払っとく、
何に使われてしまうのか、自分たちは、ただのちんどん屋だから、わかってないんだ、
こんな事に募金させててゴメン、何使われるかわからないけど、
なんだか可愛そうだ、困ってるって人がいるから、詐欺かもしれないけど、
お金を払っておくね、だから、みんなはこんな、何がどうなってるのかわからない
窓口にお金を払ってはいけないよ、『お母さん、俺だよ、交通事故おこしちゃった。
相手の女性が妊婦で破水してしまったんだ、お金が必要だよ。』 それが本当かの
事実確認もできないまま、雰囲気で募金募ってたのが、私たち24時間TVでした。
今後は、わけもわからない悲しさや苦しみというものに、何に使われるかわからないけど、
私たちだけが、なんで払わないといけないのかもわからないまま、かわいそうなものに、
お金を毎年払います、みなさんのお手を汚さずにすみますので、今までごめんなさい。」
でいいんじゃないのかなぁ、24時間TV。
 

関西人の劣等感。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 7月 9日(月)17時58分40秒
返信・引用
  関西人は我が強いイメージを自分たちで圧(お)しておきながら、『専門家』にすごく弱い、
というのを見抜いている。
俺は奈良在住につき、関西ローカル番組を見る機会が多いが、いつもコメンテーターには、
学者や評論家を置き、「その言葉は信じるんかい!我を主張する分際で自分で考えへんのか!」
などと、関西「風」で言ってみる。

え?なんでそう思うの?と言うとき、
“だって、安藤さん(ただのキャスター・偏向強し。不倫も。)が昨日の夕方言うてたし。”
“~って、蓬莱さん(天気予報士)が言うてたで。”
茨城出身の私は、水戸黄門の印籠を出したら関西人はチョロイのか、と、
言葉ほど毒づいてる気持ちでは書いてなくて、むしろ、しっかりしてくれよを込めて。
振り込め詐欺に騙されてる都道府県別の統計で、決して関西は低くない、
理論的に考える傾向が少な目、誰々に任せておけば大丈夫、誰々が言うのだから間違いない、
…これって、【自分は責任取りません】の裏返しとも言えなくもない。
(※こういう言い回しって最近は敬遠されてるらしい。言えなくもない→どっち?
「~の方が、よくなくない?」いいのダメなの?的な。)
関東の人が関西に来て友達ができると『~と思うで?知らんけど。』って言われる事が多い、
との事。
俺はこっちに住んで20年が目前になるが、友達もいない、しかし、
他人様の会話を耳にすると、「ウチは知らんけどな、~らしいで。」と、
必ずしも最後に「知らんけど」ではない会話って、そういえば多いな。

結構な圧で、短時間に語彙数多く話す芸人なりコメンテーター、
少々の事は押しきってしまう、失敗しても笑いにすればごまかせてしまうカラクリ、
それをわかってて、でもわかってないのが聞いてる側という、定型文の構造がある。
専門家でもないなら黙ってろとか、すっごく「おかみ(役人)」に弱い日本人メンタルじゃん。
弱いとわかると徹底的に噛みつくのとか(反撃されないと踏むと)、イジメの構造と同じじゃん。

関西愛があるのに、東京に奇妙な劣等感があり、しかも東京が格上だと自認してる。
だから芸人の目指すところは「東京進出」「上京」という単語を使うのに、
東京の芸人なり有名人をローカル番組に招いては、
「関西スゴイやろ(でも自分は東京行きたい本音)」
天皇陛下も、今は東京の皇居に住んでるわけですが、京都からみると、
『天皇陛下は一時的に、何十年も東京に住んでるだけで、京都が本当の住まい。』
しかし、今回の豪雨被害を見ても、京都の鴨川の氾濫のひどさ、
むしろ、俺の住んでる奈良こそが、自然災害の少なさ、驚きます。
沖縄・九州、毎年台風で被害がでるとわかってるのに、排水システムが不思議。
裏山が崩れて家が倒壊、生き埋め、何十年繰り返してんだよ、
そこに家を建てるな、とか、宮城の復興どうこうも、そこは津波がくるのに、
なんでまたそこに復興なんだよ、どうしてもそこに理由があるなら、
いざって時には自宅の5階に避難できるとか、流されても船のように浮かぶ家とか、
そういう事じゃなく、まんま、津波前の再現性のための復興では繰り返しじゃん。


【話、かわりまして、『代替の概念』の欠落の指摘。】
若者の車離れ。
ガラケーの優位性は、電池持ちがいいだの、物理ボタンがあるだの、折りたためるだの、
でも今はスマホが席巻してる。
何かが浸透しない時って、何かの理由をつけて、浸透しないように思う。
これは、「やらない理由」なのだけど、俺が着眼するのは、矛盾について。
『やりたい理由』にスイッチしたとたんに、物事は一気に動き出す、
ウソだろ?という速度を超えて、あっというまに浸透する、
「正しさ」がどうこうじゃない、オイルショック時のトイレットペーパー買い込み、
乗り遅れるなのバブルの不動産・絵画投資、ごく最近では仮想通貨、太陽光発電。

なぜこんなものが流行ったのか、の歴史的な検証、歴史は繰り返してる。
しかし、一方で、「誰にも時間は等しく流れてる。無駄な事などない。
失敗もまた、必要だった事なんだ。」 落とし穴があるとわかってて、
次によけない理由って、一見不毛だけど、落ち方に美学を見出すのか、
本当は落ちないのに、たまたま落ちたんじゃないか、とか、そんな発展的な思考が理由?

公共交通機関というものがある、電車・バス・飛行機・、タクシーも含まれるのかな?
これらに共通するのは、「誰かに運転してもらって、運んでもらってるだけだよね?」
都会ほど、車はバカにされ、田舎は車がないと、どこにも行けない、
まるで車に乗ってる人は田舎者、的な。

…ん? これも歴史は繰り返すのデジャブ。
だってさ~、俺が中学の時に英語の授業で使ってた教科書で、そんな話あったのね?
「アメリカが奴隷制度が合法だった時、真っ黒に日焼けしてるのは、
貧しいから日差しの下で労働してるからで、金持ちは日焼けなんてしてない、
という価値観から、肌をあえて焼ける人たちは、暮らしにゆとりがあるから、
日焼けする余裕がある、自宅にプール、ゴルフで日焼け。」
ところが今は、日焼けは、医学的にもシミ・シワの原因以外、何もメリットなし。
高校野球も、そういう過酷な環境下で若者が頑張ってる姿のショービジネス以外、何かある?
そんなに人間性が磨かれるなら、どうして実力主義が強いのか、
うまく言えないが、映されてないない部分というか、上下関係のゲスい部分や、
結局、大量にメシを食わせられる家庭的な裕福度や、遠征費用どうこうとか、
うまく言えない、組織のなんたらとか、そもそも必修科目でもない、余暇の時間のはずとか、
両立できる人がいるから、両立できない人に問題があるとか、理論のない人が発生とか、
んー。
車って、手段なんですけど、でも、スマホでゲーム課金してる人に聞いてみたいんですね?
「あなた、ゲームしてますね? プレイヤーは自分ですね? 楽しいですか?」
きっと、何かの快楽を感じるからやると思うのですよ、自分がプレイヤーで。
すると、車が、移動手段だけでなく、実はプレイヤーとして、
いかに自分の制御下で操れるかを模索する事は、それは「やりたい事の達成」の目的では、
ゲームと共通するはずなので、車の運転に価値を見出す人たちをバカにする事は、
自分にかえってくるわけですね、「今時、自動運転だろ」ならば、
そのゲーム、きっと自分でプレイヤーやってるよりも、
AIに、代わりにクリアーしてもらった方が、よほど楽にゲームのエンディングを見られる。

つまり、わざわざ、の部分って、AIが介入して、暮らしが楽になっても、
なくならないと思うのです、これは、『安全が担保される世の中』にAIが導入されればこそ、
少々の無茶は、回復できる、失敗しても、融通が利く、
しかし、失敗が許されるから無茶をしてると、横柄な人間ばかりになる、
と考えられなくもない、「いつか痛い目に遭う。バチがあたる」って、
昔から言われてるけど、痛い目に遭ってる人も、バチにあたってる人も、
見た事がないのです、結局、ウマイ事、やったもん勝ち、失敗しても、
リカバリーできる社会的立ち位置なり、AIって、そんなやったもんに対して、
やられそうな人を守るために発動されれば、やらせないAIの動きもあるはずで、
自分でなく、どのAIか、ではなく、お互い筒抜けなのか、とか、何が何やら…。
 

みんな、どこに行ったの?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月29日(金)16時28分49秒
返信・引用 編集済
  俺は、相変わらず、軸もブレずに、アドレスも変えずに、ずっとここで自分の考えを書いてる。
前回の書き込みで、だいたい、言いたい事を言い終わった気がして、
この掲示板の最終回も近いのかな、なんて一瞬思ったけど、「どうして?」という
疑問が沸かなくなってきた時が、老い、なり、
オトナになっちゃった(「そういうものだから」で生きる)、じゃない限り、続く。

前回、「歴史って繰り返してるな」って思ったのには理由がある。
民主主義にこそ、人々のあるべき解があると信じてきたのに、行き詰まりを見せる。
ここ最近、自由だ、平和だ、弱者を守れ、強者を潰せって奴、俺が論破します。
【何かを肯定すると、必ず、そうではない事象を否定する事になるので、論理破綻してます。】
…何を言ってるのか、わからんって人は、わかってるくらいなら、こんな事言ってない。
自由を肯定すると、不自由を否定する→重力から解放された世界では、上も下もないので、
すべて対等になるものの、すべてが対等という事は、『別に、何者でなくても構わない。』
という解になります、そういう事でしょ?
平和を望むという事は、争いを好まないという事なので、黙っているといいのですけど、
黙ってないのが平和を望む人たちで、それって、「好戦的ですよね?」、つまり、
平和を望む人たちは、その手段として争いが必要なんですね?これは矛盾ですよね?
弱者を肯定すると、全員が弱者でなくてはいけませんよね?
強者を否定すると、強者を否定できる弱者って、どんだけ強いの?これも矛盾ですよね?

…ということで、論破できてしまうのだけど、きっと意味がわかってないから、
やめないわけよね、俺の話が、ヨソの掲示板で、意味が通じたためしがないのです。

歴史って繰り返してるって話は、独裁者ムッソリーニは、望まれて誕生したわけ。
勝手に独裁してたわけじゃない。
しかも、英国のチャーチルが、ムッソリーニを高評価してたわけ。
でも独裁は崩壊し、その後には民主主義、…これと似てるのが、
民主主義でありながら、リベラル思想が勝つと、福祉が充実、財源がなくなって、
保守思想(保護主義)が勝つ、息苦しくなって、またリベラルが勝つ。

どっちか、っていうんじゃなくて、理論的な解を、なんで模索しないんでしょうかね。
最近は、サッカーが盛り上がってますので、わかり易い例を。
TVが昭和に誕生したての頃は、一家に一台なんて、そんな事は家計的に無理な時期。
すると、1台のTVを、みんなで見るわけね?
これって、「歴史は繰り返してる」の証拠として、『シェア(共有)』って概念、
まんまと当てはまってるでしょ?言葉自体は、さも新しい概念みたいだけど、
1台のTVをみんなで見てる、シェアしてるわけです。
で、時代は流れて、『レンタルビデオ』ってものが80~90年代に爆発的にヒット。
しかし、当時から俺は「何か変だぞ」と思っていたのが、
借りようと思っていたビデオが『貸し出し中』で、みられない、…これ、すごい事だ。
図書館もそうですけど、誰かが借りてしまってたら、他の人は、それを
返してもらえるまで、どうにも閲覧できない状況が続く、恐ろしく不毛タイムだ。
レンタルビデオが浸透してるからには、TVは一家に一台はとうに過ぎ、
むしろ、自分だけがみたい物を選択的にみたい、すると、それをみたい人同士では集まらず、
個々人の生活スタイル、時間配分、都合があるので、→だったらネット回線で配信、
ならば、回線をつなぐサーバー(昭和のTV)に、みんなで集まって、みんなでみられる、
あれ?
何か、うまい事、この構造を言おうと思ったけど、よくわからなくなってきた。

俺の愛車である、三菱iは、あまりパッと売れず、5年も前に生産中止。
とはいえ、発売した初年度は、約4万台が売れたそうです。
あはは~、の皮肉な事に、なんで4万台売れた事を俺が知ってるのか、
三菱さんのリコールがあって、『対象車両約4万台』と公式発表があったわけで、
「要するに、その年に、世の中に売れ広がった台数は、全部で4万台なわけね?」
と、逆から知る的な。

すると、単純計算で、世の中に4万台、iさんは放たれてるわけです、理論的に。
これが2006年。
では、そこから数を減らします、事故です、新車購入で、ヘタってるし廃車です、
どんどん現役残数は減ります、しかし、4万台は、その年に放たれてるわけです。
ところが、中古市場で、同年同型式で検索すると、なんと、10~20台くらいしかヒットせず。
もう一度、「40,000」→「10~20」この落差、では、他の39,980台はどこに消えた?
事故・廃車・俺のように現役で乗ってる、うん、でも、4万台も走ってる感じはまるでしない。
どこに消えちゃうわけ?
すっっっごく、この思い、「みんなどこで何してるんだろ」感、子供の頃の、とかぶるのね。

俺は田舎者で、80年代に、最新のアーケードゲーム(ゲーセン)をやるためには、
水戸に行く必要があった、茨城の県庁所在地。
人口も結構いる。
で、そこで見つけたゲーセンに1人で行くと、ほとんど人がいないのである。
ここ水戸の、俺の同年代の人たちなら、水戸だし、簡単に来られる、
だけど、ほとんどいないし、俺のような、わざわざ田舎から、この水戸の店に、
ゲーセンに来てる人もいる感じがしない、いたとしても、あまりに少ない、
…この感じ、TVの視聴率が下がってるのは、『趣味の多様化』と言われてる昨今、
歴史は繰り返してるって、俺の話、そう、すでに、むしろとっくに、
土日です、休みです、じゃあゲームしてるはず、「誰もいねぇ、俺しかいねぇ。」
そんな同時間に、みんな何してたんだろ~って、すっごく不思議に思ってたのよ。
勉強かねぇ、ファミコンもあるけど誘われてない、でもそういう事じゃなく、
ファミコンの性能どころではない最新ゲームが遊べるのに、とか、
服はどこで買ってるんだろ、めぼしい服屋、デパートの服屋、こういうところかと、
遠巻きに、入れずに見てみるけど、同年代が買いに来てるのを見たことない、
水戸の誰かは、いるのでしょうが、でも、どこ?比率的にあまりに少ない、
……じゃあ、みんな、東京に行ってるのか!?といつもよぎるものの、
往復の電車賃は決して安くなく、、、俺は今、バトルフィールド4という
オンラインゲームを夜中にして、迷惑をかけてます。
子供の頃の鬼ごっこって、「自分がやりたいな」と思っても、共感されないと、
一緒に遊べないので、鬼ごっこが成立しないわけです、実は大変な作業だったと思う。
断られてショックを人生で初めて覚えるのも、そういう頃とか。
でもバトルフィールドは、そもそも鬼ごっこをしたがってウズウズしてる人たちが
集まってきてるので、容易に対戦が成立しやすいです。
…すると、この時間、バトルフィールドをしてる時間、他の人は何してるんだって話。
別のRPGや、他の対戦格闘ゲームや、スマホ・YouTube・勉強・自殺計画・殺人計画・
借金で家族会議・エロ動画閲覧・音楽鑑賞・スポーツジム・TV・峠を車で走り込み・
風俗でお楽しみ・まだ残業中・明日が不安で部屋でヒザ抱えてる・虫歯が痛い・
救急車のサイレンがなってる、急病中・脳死中、書いてたらキリがない出来事だらけ、
それが、同時間に、みんな右向け右の、話題の共有や接点が極端に少ない。
共有化されてるのに、共通の情報を得てるとは限らない、それがいいか悪いか、
の視点は違う、とりあえず、この世の中は、SNSによって、【相互監視社会】である。
俺はとある新車の商談時に「今、大人気です。」→【登録台数みましたけど、
奈良県だけで、月に6台売れるかどうかで推移してるはず。】と俺が指摘すると、
笑顔が凍ってにらみつけながら、じゃあアンタ何しに来たんだな対応に切り替わり、
『こんなにクソ売れてない車ってわかってるから、値引き大幅にするのを期待して
来てるっつーのを察しろよ、何、売れてるよ、なくなっちゃうよ、って
あおってきてんだよ。』と。

なんじゃーーーーー、何書いてるかわかんねーーー。バタッ。。。
 

【自由】って、何をしてもいいけど。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月27日(水)18時12分55秒
返信・引用 編集済
  「いいけど」なんて書き方すると、暗い感じだけど、それが【自由】の醍醐味と本質。
『何をしてもいいけど、その選択による結果は、すべて決定者本人が負う。
その責任を取れないなら、何もする権利はない。何をしてもいい権利は、責任を取れる人限定』
…と、俺は思う。

それの、非常にわかり易い例が、最近ありました。
自由の国、アメリカ、『保護政策』と言って、自国の企業に有利になる政策。
自由だから、何してもいい、その責任もともなう。(余談だが「伴う」と書くと難解風で回避)
鎖国でもしてなければ、基本的に、国として輸入・輸出する関係がある。
これは、【取引】なわけで、損したり、得したり、なので、これの本質を言うと、
『得だけし続ける事はできない、損だけし続ける事もできない。』具体的に本質を言うと、
『相手にお金がなければ、自分の売りたい物を買ってもらえない。
相手を儲けさせなければ、自分も儲けられない、相手にお金がないからだ。
相手から物を買って、相手にお金がある状態にしてないと、自分も儲けられない。
葛藤状態であり、相互に得したり損したり。』

経済界出身のトランプ大統領なのだから、この根本的なシステムは知ってるはず。
知っている上で、自分たちだけが得をしようとするのが『保護政策』。
→その結果、EU諸国は、アメリカから輸入する製品に関税をかけると発表。
これは、アメリカが保護政策として「アメリカに輸入するものには高い関税をかける。
輸入より、自国製品を購入するように仕向ける。自分たちだけ儲ける仕組み。」
…ん? なんか、輸入・輸出じゃなくて、これって、【自給自足】の前時代的な事?

よくわからなくなってきた、が、…その報復として、EUも関税の仕返しをアメリカに。
すると、アメリカを代表する企業のハーレーダビッドソンというバイクの会社が、
EU向けにも売ってるバイクが、EUで高値で売られてしまったら、競争力が落ちるとして、
EU向けの自社バイクは、EUで作ります、工場をEUに作ります、と、
トランプ大統領は、自国企業の為を思って行った政策のはずが、
自国から逃げられるという、正反対の動きになったわけです。
法人税にも似てるよね、【日本は格差がヒドイ。儲けてる大企業の法人税を高くしろ。】
→結果、法人税の安い外国に自国企業が拠点を移して、自国に納税されなくなる、的な。
(※タックスヘイブンとカラクリが同じ)

自由とは、その結果責任をともない、責任をとれない者は、黙るべし、って事だと思う。
インターネットで罵詈雑言が飛び交うのは、その発言に責任を負わなくていいので、
追跡されないので、言いっ放しになっており、これは『自由』ではない。
なぜなら、言われた方は、追跡できる状態にないため、【不公平】だからである。
これは、【取引として、成立していない状態】であるからだ。
どちらかが得だけ、どちらかが損だけ、それは理論的に、最終的に「ひずみ」になる、
一見なってないのは、その時点だけで判断してるからのはず。

最近、ふと、歴史って、繰り返してるなって、思った。
今更だけど、『温故知新』というか、誰もが知ってるのは、「人は死ぬ」って事。
おかしいと思わない?
俺は、不思議だなって思う。
死ぬ事が変だ、って話ではなく、誰にも未来の事は、わからないわけである。
しかし、「人は死ぬ→自分にも寿命がある」と、確定してる未来があるのである。
未来の事なのに、わかってる、しかも確定してる、不思議だなって、思う。
それは、他者の死を知っているし、過去(慨然)の偉人はすでに故人で今は誰一人生きてない。
人って、死ぬんだ、って、わかってる、知ってる。

何か、このところの政治的・文化的な流れをみると、民主主義をみんなが望んでいたのに、
ある程度、もしくは、かなり強度のかかった規制を望んでる動きになっているよね。
差別用語はダメ、男女差別はダメ、ヘイトスピーチはダメ、人種差別はダメ、
タバコはダメ、速度違反はダメ、
ダメ、な事がダメなのじゃなく、【なんで?】に対して、科学と同様に、
誰もが共通認識で、誰もが全く同じ再現性によって、説明できなければ、
それは、科学的根拠のない、まるで【クソ風紀委員会】的な、
『そういう決まりだから』的な、【なんで?】に対して、
「なんで、は成立しない。ルールに従うのが法治国家です。」→これは理論的な回答じゃない。
ルールに従うのが法治国家ならば、独裁政治でない限り、そのルールの説明は必要なはず。
「そういう事になってる」では、理由の説明ではないわけで。
なぜそのルールが必要なのかの、理論的な納得を、理論的に説明される必要がある。
少しIQにひっかかる部分があるので、わからない人に理解させるのも難しいし、
わかってる上で、世の中を操りたい人たちが、難癖つけてゴネてる事もあるし、
…あれれれ、途中まで自分でいろいろわかってたのに、書いてる内にわからなくなる俺。

今の学校の体操着って、俺たち80年代のブルマは全く履かれていない。
子供ゴコロに、「どうみても、パンツ」であったし、そこから見える中のパンツは、
はみ出しパンツ(ハミパン)であったし、そんな服着るからワレメを気にしたり、水着然り、
ところが、これを男女差別の概念で説明すると、女性の方から、
「もっと自由な表現にしたい」と、望まれた結果が、そういうパンツ同然の体操着。
でも、嫌な女性もいたはず、でも、
【民主主義って、実は、理論でなく、数の多さで物事が決定してるだけだから、
間違っていても、人々を扇動して、何かを決定していく、のであるから、
その手法は、まさに『独裁政治』そのもので、民主主義の中に、
独裁が隠されていて、その独裁者は、民衆の中に隠れていて、
「バレちゃいけない物を隠すには、森の中に、隠れたいのなら一軒家でなく、
群衆の中に」的な】
えーと、えーと、すっごく、見つけた感じがあって、上手に説明したいけど、俺が下手。

…ところで、自民党の石破茂が、「自民党を支持してる層は、
TVや新聞で情報を取らず、自分に都合のいい情報だけをネットで見聞きしている。」
と発言しているのだけど、これって、理論的な話になってないのだけど。
自民党を支持している層は、の前提部分が断定されてるのがおかしいのは、
言うまでもなく論外なので、その低次元の部分でなく、
問題の本質は、「TVや新聞は、それは客観的な事実だけを伝える役割なら、
説得力があるが、自社の見解として、という前提であるはずが、
あたかも、世論に、『そう動いて欲しいために、感情に訴える』ような、
恣意的な切り取りや、編集、コラージュのように、断片をくっつけて、
さもそう言ったかのような、時系列にインチキをする体質がある、
という事が、公的に認定してもいないクセに、都合の悪い事を
隠す体質は、TVにも新聞にもないですよ、という前提から石破茂は
話さないと、その後の、都合のいい情報だけネットで取る人たち、とは、
人って、人であり、ネットの世界と現実世界という、パラレルワールドは実在せず、
実在するのは、それらを構成してるのは、国民であるし、人であるし家族であるし、
立場の違いや、職業の違い、例えば、『芸能界に入りました』だから?
一般人とは違う、とよく言われるのだけど、何、その何々界って、せいぜい【何々会】。
マスコミがー、とか、別に一般人が何かの現場に遭遇したら、それを撮影してたら、
それで成立する情報源になったりする、マスコミは持ってない情報だったりする、
そのまま、なら、しかし、マスコミは、フィルターをかける、
ウチで流していい情報か、流したくない情報か、取捨選択される、
それって、選択されなかった情報は、隠されてる、という事になるわけで、
なんでもかんでも教える必要もないが、それを判断するのが、
なぜか法律でなく、自主規制なり、恣意的な内々の判断という、
【ブラックボックス】状態なのが問題ですよね、って話からしないと、
建設的な話にならないですよねって話だと、俺は思う。」
 

悟るくん。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月19日(火)18時53分14秒
返信・引用 編集済
  昭和48(1973)年10月1日生まれ。

いい時代に生まれたんじゃないか、と思う、悟るかのように。
第二次ベビーブームに巻き込まれ、飽和状態で大変な事もあったけど、活気とも言えて。
今までは「ネットの普及・AIがもっと身近にある時代に、もっと後から生まれたかった。」
と、つい最近まで考えていたが、ネットって、あちこち巡回しなくても、
まとめサイトって、いつの間にかそういう概念ができてて、俺がこの掲示板始めた頃も、
「2chガ」とか、俺は全く利用したことも、やり方もわからなくて、
そこから派生したネットの概念が、ビッグバン的に拡散して亜種を生み続けてる。
逆にいうと、そういう『連中ホイホイ』的に、まとめサイトの書き込み(コメントって言うの)
見ると、傾向がわかってくる、、、色々、理論的におかしいなぁ~って事を、そのサイトで
何度か書き込みしてみたけど、返ってくる反応は、理論でなく、狂信的というか、
管理人に縦突くな、というか、批判でなく疑問なのに、とか、
…なんだろう、小泉総理の時に言われてた「ワンフレーズ・ポリティクス」のように、
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。」みたいな、『掲示板』というスタイルなのに、
2~3行で終わっちゃう、しかも、言い回しのほぼすべて、「自分は物事読み切ってる」
で、だいたい共通するのが、「あなたは」「と思われますよ」「www」「まあ(何々だ的な)」
子供が書いてんじゃねーの?って、…あ、でね?この自分の年齢だから目線で言ってなくて、
ネットが普及しだした20年前には、ここまでのお子ちゃま正義感の悪態ギャング的な、
そんな書き込みって、ほぼなかった感じがするのね?
なんでかなって、単純に、当時、ネット環境を構築するためには、それなりの意識が必要で、
それなりの機器も必要で、だから、お気軽に、誰でもかれでも参加できるものじゃなかった。
当時は衝撃だったな、何か書いたら、それに返信があったりして、
「この意見に対して、反応が返ってきてる。目の前でリアルタイムで。」
…自分ノートみたいなのを書いてたけど、結局、誰の目にもとまらず、
インターネットって、この考え方を公開して、自己完結だけでない世界こそ、
意欲がでたのです。
俺はしばしば「本が読めない」「本を読まない」と公言しているけど、出力にあたる
書き込みだけはやたら長文になっちゃう、入力は苦手だけど、出力はできちゃう。
でも、今の最先端は、『私は本が読めない』って、簡単に言えてしまってる。
俺は、実を言うと、ある意味、挑戦を込めて、本を読めないと言っていたので、
今の人たちの『本が読めない、読まない』って言うのは、恥と感じてない感じ。
実際、「大人の脳トレ」で有名になった川島隆太教授は、憂いています。
それに対してのコメントがヒドイわけです、マウント取り(上から目線)に、
「コイツの文章長くて意味不明。」←ホレ、やはり一言、ワンフレーズ状態。
「長文書く奴は、考えをまとめられない言い訳じゃね?」←一言なんだよね。
ホイホイっと、敷居低く、心の声をそのままスマホで書いてるんだろうね、
だってPCだったら、キーボードで長文を楽々入力できちゃうもの、
かも予測単語みたいなので、自分の言葉で書きたい時に、
「こんな言い回しがありまっせ」と、邪魔されにくいし。
で、川島教授が指摘してる「意味不明」って言葉、皮肉を込めて投稿者は書いてなくて、
本当に「意味不明」らしいと、つまり、何を言いたいのかわからないって言い回し、
これも皮肉で言ったりするけど、本当に「何を言いたいのかわからない」、
読解力が深刻に落ちてるのだとか。

まぁ(これは自分に向けての「まぁ」なのでして、汚れないところで安全発言の為じゃない)
そういう事で、良い時代に生まれました。
理由は、差別用語が飛び交い、国民総中流意識で、格差がーなんて言ってる奴はマレで、
ドリフのいかりや長介の『次行ってみよー!』は、子供の頃には、
その言葉通りしかなかったけど、この年齢になると、結構染みるんです、
声を大きくして言いたいです、

『次、行ってみよー!!!』

次が、待ってる。
行かなきゃ。
 

つらい単語 (2)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月19日(火)08時47分2秒
返信・引用
  ※下の書き込みとは違い、実際編。
「…?確認だけど意味わかってる?」
と、職場で言われてしまった単語。
言葉って、そういう場面の時に、そういう単語をはさむ、なり、流れで理解する事も多い。
だから、正式に習っていなくても使いこなせたり、本来の意味とは違うのに、
多くの人が流れで「そういう意味だろう」と使って、結局、そういう意味で辞書が更新とか。
で、今回の俺も全くそれなのだが、恥をかいて、後日調べたら、
使い方も、場面も間違ってなくて、『ちゃんとそういう意味で使ってた』単語。

【二番煎じ】
『お茶の最初の1煎目でなく、すでに2煎目になってるので、感動や共感は得にくい。』
という、勝手な想像で、上司の方(ほう)が「二番煎じ」がどうこう使ってきてて、
俺がその意味を汲み取って、その議題に対しての自分なりの考えを伝えると、
「二番煎じって、意味わかってる?」→二番目の、インパクトが薄いって事じゃなかった?
後日調べたら、間違ってなかったしぃぃぃ。

【汎用性】
「専門的」って単語なら、子供の頃から耳にするが、汎用性と言うと、
意外と耳にしてなくて、どんな意味かと気になった事があって、確か、
『さまざまに応用・融通が利く』みたいな意味、専門と逆、というより、
適用可能な範囲の問題か、と理解。
汎用の反義語が専門だったら、いやむしろ、汎用の反義語は、専門というらしい、今調べた。
だったら、時間の反義語は、時点って事になるけど、時間と時点は、範囲の違いで、
別に正反対の事を言ってるわけじゃないんだけど。
だって、専門が沢山集まれば、さまざまに対応できる状態、汎用状態なる。
時点も沢山集まれば、その状態を時間と言う。
ところが、良いと悪い、これは反義語の証明として、
良いを沢山集めても、もっと良いにしかならず、悪いを集めても、もっと悪いにしかならない。
…俺がおかしいのかねぇ。
それともアレか、出過ぎた杭は打たれない状態で、良いも程度が過ぎると、
いきなり極悪の側面とか、悪いも程度が過ぎると、すごく良い事をしてるのではないか、とか、
と、妄想してみた。

と、いう事で、職場で何かの脈絡で漫画の話になり、
俺が『汎用』って言葉を使って、PCで管理できれば、だいたいどの端末でも管理できる、
みたいな話の意味で使って、
「…ちょっとゴメン、奥村さん、汎用って意味、わかって使ってます?」と年下の大卒から。
俺の話を聞いてた他の2人も、変な空気で、
で、俺が上記の汎用の意味を伝えると、「あ、ちゃんとわかってんだ。」となり…。
えぇ~~?いや、むしろ、調べたての単語ではあったけど、
大卒軍団なキミたちの方が語彙は多いでしょうけど、これはどっちの問題だったんだ。
俺は、漫画をデジタル化すると、汎用が利くって概念を話してたと思うんだ。
意味が伝わらなかったのか、当時では時代が早すぎたのか。
 

つらい単語。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月18日(月)22時46分37秒
返信・引用 編集済
  ※俺が使ってる単語と、なんだか一般的に使われてる単語とのギャップ。
俺が使ってる単語は『』で表記。

【静粛性(せいしゅくせい)】
これは、主に車関連の性能なり、評価でよく使われる単語。
静粛性? …静粛性?…静粛性? 静粛?
『静寂(せいじゃく)』ではなくて?
いかに車内が静かであるか、の時にしばしば使われる、「静粛性」。
しかし、そういわれてみると「ご静粛に。ご静粛に願います。」なんて使う。
…ん!??違うよ、自分に騙されるところだった、動的に求める時に、
静粛に、と言ってるのだから、“その状態・さま”に対してなら、『静寂』の方が、
状態を表してると感じるのだけど…。

【換装(かんそう)】
主に、PCパーツや、車、機械の分野で、部品を交換した時に使われてる言葉。
「~に換装しました。」みたいな。鼻につくほど当たり前に使われてる。
調子こいてる感じ、普通に「いじる」でいいところを「弄る」という単語を使うくらいの。
翻弄(ほんろう)、弄(もてあそ)ぶ、ならわかるのだが…。
『交換(こうかん)』ではなくて?

【魅惑的(みわくてき)】
これは少し脱線。中学の英語の授業で、先生が「魅惑的な」と言ってて、
クラスのほぼ全員が戸惑ってて、『魅力的(みりょくてき)』ではなくて?と、ザワザワ。
少なくとも俺の年代だと、TVで単語を覚える場面で使われてたのは『魅力的』の方で。
しかし、こと、こんな中年になってくると、魅惑的という単語も見聞きする。
なんだかネットリしたような、気持ち悪さがある、そんなに使う単語でもないだけに、
更新が遅そうな、その手入れされなさというか。

【歩留まり(ぶどまり)】
これは、工業系なり、なんだかPCパーツ分野で当たり前に使われてる。
これが、理系なら当たり前に理解できる単語らしいのだが、どうにも、どうにもハマらない。
ど~~~しても、俺にハマらない、ストンと落ちない、「そういう意味」といったんは
理解しても、その直後に逆に間違えるほど、なんともしっくりこない。
使い方として、仕入れた原料を加工するにあたって、ムダが発生する時に、
いかにムダが発生しないで、原料を使い切って製品化できてるか、の概念らしく、
その時に、「歩留まりが“高い”」「歩留まりが、“低い”」と言いやがる。
どう思う?(と聞いてる相手は、この単語を堪能に使えてる人にじゃねーからな?)
高いのと、低いのと、どっちがどういいのか、悪いのか、サッッッパリ入ってこねぇ。
で、言葉を調べると、
「不良の発生率」の話らしいのだが、高いと低いを、【歩留まり】という単語にされると、
留まる、とは、一般的に、よくない時に使われる、とどまる、事の多くは、
悪い時にも当然使うが、いい時にも使うから、留まると言われて、
良い方か、悪い方か、ブドマリ→高い、低い、「は?」 どうにも、何度読んでも入ってこず。
これが俺なら、もっと単純に『効率(こうりつ)』という単語を使う。
…そうか、この悶々とする入ってこなさの理由が、今風呂からでてこの行を追記してる。
この「ぶどまり」なる単語が、理系の分野の分際で、数学で言うところの、
『比』『率』『割合』を指しているのに、この【歩留まり】という単語からは、
全く『%(パーセント)』を匂わせず、しかも、良いも悪いも、低いも高いも、
一般義務教育を受けた身からしても、国語的に、何も表現してない単語なのではないか。
 

若いけど、いい嫁である(文鳥)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月15日(金)18時23分14秒
返信・引用 編集済
  この掲示板では詳しく話してなかったけど、文鳥のメスを購入した。
オスの名前、みかんは「ピーコ」とずっと呼んでたけど、メスもピー子になってしまう。

なので俺は、オスの方は「チュン吉」と主に呼んでおり、その流れでメスは
『ピーコと呼んでたんなら、“ピーチ(ピーチ姫って女だし)”にしたら?』
で、俺は言っておいてチュン子と呼ぶ事が多い。

全部を話すのは面倒なので、チュン子がとにかく頭がいい。
いつも横目で目をまるくして観察してる。
どんな反応するか、悪さで確認したりもする。
オスがいたので、いつかメスを飼えば、子供ができると目論んで購入。
しかし、文鳥のオスかメスかをペットショップで聞いても、「わからない」とだいたい回答。
最後に行ったところで「メスだと思う」で買ってきたのが今のチュン子。
とっても可愛い、俺は男なので、メス感を感じる、奥ゆかしいし、時におてんばだし、
俺は観察してわかったが、オス・メスなんて、顔を見れば判別できるとわかった。
ペットショップはポンコツだな。
オスは、目がギャングのような目だが、メスは真ん丸おめめで、ちょっと出目金状態。
口ばしの色も、オスがハッキリ赤いのに対して、メスは、ちょっと薄い赤。
で、買う時にペットショップの人が「おまけで1,500円値引く」と、何も交渉してないのに
言ってきて、ラッキーと思ったものの、『売れ残りなのだろうな』とどこか察知。
文鳥というと、白い全身に赤い口ばし、ばかり売ってるが、
俺の知ってる文鳥は、頭が黒くて、ホッペは白くて目は赤いラインで、体は灰色、
そんなメス文鳥を何軒も回ってやっとみつけた、チュン吉と同じ模様に合わせたく。
で、むしろ、こっちが自然なカラーリングで、白い文鳥は短命なのだとか、
人工的にかけ合わされて。

チュン子はまだ、現時点で1歳半くらいらしい。
ところで値引きされた件、俺が後から気づいたのだけど、実はこの文鳥、
左脚のツメ先が切断されてるのであった。
ツメ切りで、深爪されたっぽく、中の肉まで切ってしまったみたいで、障害者であった。

一気に割愛しまして、文鳥の産卵期は年に2回と聞き、1日に1個の卵を、6日間産む、
というもの。その産卵期を迎えて、なかなか人慣れされてない、手乗り文鳥で
売られてなくて、逃げてばかりだったけど、なんか様子がおかしいな、
お腹大きくないか、産むんじゃないか、なんてみかんに話してて、
その夜に、いつもと違う、なんだか向こうから、わざわざ捕まりにくるかのように、
俺のジーパンにパササササーーッと飛んできて、しがみついてきて、なんじゃなんじゃと。
で、翌日の昼前に、初産となる卵1個を確認、うすピンク色の小さい卵。
昨晩のバサササーーッは「なんかわからん感覚ーーっっ産まれるーーっっ」って意味だった?
で、6日間かけて、6個を産みました。
その最初の1個だけ、なんだか割ってしまったらしく、水飲み場にいつの間にか落とされてて、
中の白身と黄身が見えてしまってた。

問題は、交尾なのであった。
チュン吉は、すでにオッサン通り越して、ジイ様の年齢らしく、
かなり若い時からウチで飼われてたものの、女(メス)を知らないまま、
ひとりで鏡などで虚しい求愛ダンスしてて、やっと本物が来たものの、
その相性がどうなるやら、この年の差で成立できるのかとか。
このいきさつも話せば長いので割愛。

で、あれよあれよ、と、今日で26個目の卵を産んだ。
要するに、交尾が成立せず、『無精卵』を生み続けているわけなのだ。
なんとも、両者にとって、不幸な事だと思って、どうしたものかと。
鳥の交尾は、肛門同士をくっつけるのだけど、これが見るからに難しい。
メスの上にオスが乗って、その姿勢のまま、下向きになってるメスの肛門に、
オスがバササーーーッとタテになりながり踏ん張って羽ばたいて、自分の肛門を
くっつけるのだから、かなりアクロバティックな姿勢になる。
するとすでにオッサンチュン吉は、色々と弱ってて、上の乗るだけでも一苦労で、
何度か落下したり、これも様々な事例があるので書くの面倒くさいので割愛。

アヘアヘはおもしろい。
まさかチュン吉が毛づくろいをするとはメスを飼うまで知らなかった動作。
交尾も教えてないのにどうやって始めるかとかするとか、本能か。
チュン吉がチュン子の頬をツツン、ツツンとすると、かなりの脱力ポイントらしく、
崩れ落ちるほど、チュン子の顔が横になり、アヘ~っと恍惚感が伝わってきて、
チュン吉がやめても、しばらく余韻が毎回残ってて、スローモーション的に首を戻す。

文鳥の産卵期は春と秋らしく、実際、この春に初産。
しかし、そういう事で無精卵が続き、無精卵とわからないらしく、
毎日毎日、オス・メス交代で温めつづけて、かえらない卵を、
仕方がないので、腐乱される前に、卵から水分が半分もなくなった頃に、
カゴから出して部屋の中で散歩させてる間に廃棄。
カゴに戻る時間になって、戻すと、毎回パニックになってて、大喧嘩。
チュン吉が先にだいたい怒り出し
「お前がちゃんと見てないからだろーっ」とウガーーッと突っつきまわし、
チュン子はチュン子でカゴの中を逃げ回ったり、どこかに卵があるんじゃないかと、
エサ箱の下を探したり、巣の下やら横を探し回ったり…。

の繰り返しをしてまして、6個産んで、無精卵→廃棄、また出産。
それが5回目になるわけです、延々と産み続けてしまってる。
(6個→6個→6個→6個)→で、今回、5回目に突入で、今まで24個、+今2個で合計26個目。
とっくに一般でいう産卵期は過ぎてるのに、卵がかえらないもので。
ちなみに交尾が失敗すると、決まってチュン吉がグガーッと逆ギレしてチュン子をド突く。
チュン子は失敗とわかると、「ポッポロロロロ~。。。。(なんだよ~、また失敗かよ~)」な
声を出す、文鳥には感情があるのがすごくわかる。
ほとんどはオスなんだけど。
心の声がオスは出る、メスは警戒を解かず、すごく観察してる。
自分に害があるかどうか。
例えば、水浴びも、オスが先に浴びてる上からドカッと足蹴りにしてどかす。
相手がどういう反応をするか、ここまでイジメても自分のわがままに耐えてくれるオスか、
査定するという、これは人間に対しても同じで、俺は教わらずとも直観で、
「試されてるな」とわかったので、指の関節から血がでるほど噛みつかれたり。
飼い鳥じゃない鳥に、ここまで激痛やられたら首ヒネるか頭カチわってるくらい、マジで痛い。


最近、チュン吉は「けいれん」を起こす事がある。
強いプレッシャーがかかると、てんかん発作のようになる。
しかし、俺はそうじゃないと見抜いてて、過呼吸の方だと。
「ビビーッ、ピィィビィィーー、、、、」口開けて、舌だして、目は半目で、
体の力は完全に抜けて、脚はたたまれて、完全に伸びてしまって、死ぬんじゃ、という感じ。

今までツメ切りする時、こんな事にならなかったが、なりだしたので、
長らくツメを切ってなくて、伸び放題、自然の文鳥なら、木か何かでヤスリにして
ツメの長さを調整してるかもだが、そんなもんがないので伸び放題。
交尾が、少しでもうまくいくように、ツメが長すぎるのも問題だろうとずっと思ってて、
意を決して、チュン吉のツメ切りを実行。
今日はちょと俺の気分がすぐれないので、噛みつかれたら耐えられる自信がなく、
使い捨てのラテックス製のゴム手袋をして、ツメ切りした。
全く意味がなく、ゴムの上から本気噛みされて、イテーのなんの、マジで痛い。
「おーい、頼むよー。」と、中の肉を切らないように、新調に一本ずつ爪を切っていたが、
「ビビーッ、、ビィィィ。。。。。」と伸びてしまった。
いつもと違うのは、すぐに意識は回復。
…なんとか全部のツメを綺麗に切りそろえて、『ホラ、怖い事してたんじゃないよ。』と、
チュン子が怯えてる目の前に戻し、チュン吉はもう半目で口開けて舌だして、
ゼーハーゼーハー、足にも力はいらず。

そしたら、今日は、初めてチュン吉がゲロ吐いてしまった。
「お、これはマズイか、死んでしまうのか、気管に入ったらマズイぞ。」
しかも、その後ももう一回、首を横に振りながらゲロ吐いた。
文鳥がゲロするのは初めてみた。
胃の中の消化中のエサが胃酸と唾液にまみれて飛び散った。

これは、けいれんを起こしたらからではない、と直観。
俺のミスである。
このラテックス製のゴム手袋は、ベタベタとゴムが貼りつかないように『粉』が
まぶしてあるタイプなのだ。
どうやら俺の指に噛みついてた時に、この粉を舐めて飲み込んでしまい、
そこからのオエーーッとリバースと判断、……時に冷静だろ?俺って。
鳥って、子供にエサを与える時に、吐き戻してエサを与えるので、
この動作も異常事態の動作ではなく、動作の一貫で、排出してると判断しましたし。
その粉を排出してからは、ゼーハーを経てちゃんと落ち着きました。

その時にである、チュン子がゲロされて、いったん逃げたが、
心配そうに、いつもは卵を温めて、中から巣の中からなかなか出てこないのに、
今度は、なかなか巣の中に入らず、ずっとチュン吉の横に体をくっつけて心配。
~~んーー、俺が害を与えてくるモノだと変な学習をされたら、せっかく手名付けたのが
台無しになるので、キャベツをちぎってチュン子とチュン吉に近づけたら、
チュン子はハムハムとちゃんと食べてくれて、チュン吉は「ゲロしたてで食い物受け付けるか」
で。

大丈夫なのを確認したら、また巣に温めにもどったチュン子と、
その上で警備担当のチュン吉にまたもどったのであった。
何かあった時に、巣の中から、ヌ~っと顔を出してくる様子が可愛いのである。
「何?」みたいに、ソローッと。
これがチュン吉が中で温めてる時だと、
「なんじゃゴラーッ」な表情で、カミナリ親父状態で回りを見渡す。
勢いあまって巣から飛び出す事もあり、すると、「なんであっためるのやめちゃうのよ」
と、チュン子がすぐさま巣に戻り、意図しないところで交代になったり。

…はぁ、俺に子供がいれば、文鳥日記をなぜ書かねばいかんのか。
生殖能力はあるのですが。。。
 

学生時代からの長年の謎、「遊ぶ」。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月14日(木)10時22分45秒
返信・引用 編集済
  同級生や、学校を卒業した後も、同年代が会社で「遊ぼう」と話してる。
俺はそれを『何の話だろう…』とただ聞いてる側、参加に誘われない。
俺が「遊ぶ」で思い浮かぶのは、TVゲームしかない、せいぜいカラオケとか。

彼・彼女らの言う「遊ぶ」の定義がわからん。
ここからは、精神童貞の俺目線の妄想。
俺の年代なら25年前~の話。

同性同士で遊ぶなら、延々と談笑やら、どこか連れだってドライブ。
異性との接点を積極的に求めてる集団か、そうではなく純粋に談笑が目的の集団か。
談笑も、その話は、何について、もそれぞれあるだろうし、見解によっては仲間割れも。

最近、アラフォーな女性芸人が「若い時はもう、遊びまくってた。深夜過ぎとか当たり前。」
だから、何して遊ぶんだ?
遊ぶっていうことは、負担になりにくい快楽なのだと、勝手に俺は定義してみる。
そのノリから察するに、「フーフー♪ ヒューヒュー♪」なノリである。
別に昭和な感じではなく。

一方そのころ、俺は、友達もいなく、勉強にいそしめる程頭がよければ、
ひたすら勉強(しかも楽しい意味で)や、今後の展望を考えたり、自分と向き合ったり、
みんな一般が、『水準』的な、服装や価値観や、経験している事も知らず、
しかし、少々の情報は入るから、極端にダサイ服は避けるし、
しかし、みんなが今はそれを着てるからの選択肢でもなく、時に、
異性の体に興味があっても、いちいちお話など面倒なわけだし、成立するには
相手の都合もあるわけなので、ヒューヒュー♪な人たちは、発展する確率も高かろうが、
そこに時間を割けるノリや元気もないので、仕方がないので、お忍びで風俗に行き、
ヒューヒューな人や、人慣れしてるお姉さんだったりするので、
俺が実は友達いないし、異性と関係もてないから来てると思われるのもつらく、
陽気に話しかけられるので、それについていけないと話すと、ドン引きされるか、
親身に悩み事聞いてくれたり、…俺が、「人生で苦悩したらカウンセラーより本番風俗」
という話をずいぶん前に話してた理由。
でも、そこでも結局落ちこぼれるんですけど。
「じゃあさ、今度は私が下になるから、次来た時に上になって練習しなよ。
彼女さんできたらいいね。」
なんて、優しくて顔もいい、数年しか年が違わないお姉さんに言われたものの、
内心、『その彼女、というのが、できようものなら、そもそも風俗で1回に2万円も
払ってるわけもなく、毎週行ってたら俺の給料スッカラカン、
その一方、同年代はキャッキャと無料で性行為してるし、虚しいの極限状態。
その風俗のお姉さんの優しさが、そもそも彼女ができないワールドで生きてる俺には、
途方もない負担で、「彼女できたよ、今までありがとう。今度から来られなくなるよ。」
なんて事が発生しえない自分がつらい。』
(※かなり序盤から、想定話のはずが実話の愚痴になってますが、続けますです。
勉強ができなかったのだけが俺の不幸。バカで不器用だから、仕事をするのは苦痛。
クソ真面目集団、研究開発だけとか、そんなのしててもどうせ仕事終わればヤレる
異性いるんだろ、こっちは違うよ、とか。)

……で、同年代なりがいうわけ、『今まで何人とつきあった』とか。
つきあうって何? その定義。 愛がどうのだと、絶対に別れると思うのだけど。
だって、つきあう理由が恋愛だと、嫌いになったら別れるでしょ?
当たり前の事言ってるって、これを読んでる人は思ってるよね?
でも、価値観に共鳴してつきあってる人たちって、そうそう別れる必要に迫られるかい?
恋愛感情があれば、それはそれで付随するものでいいでしょうけど、なくても構わない。

(※俺は、結構広い視点で話。)

これは、昨今、毎回騒ぎになる『不倫』の議論に繋がる話。
おかしいよな? いや、おかしいと思ってないからだな…。
どの部分かと言うと、「今まで何人とつきあった」って、男性も、まして女性も言うわけ、ね?
不倫されて怒ってる側って、自分以外の異性と、そういう事(セックスだろ?)、気持ち悪い、
許せないって話、………いやいやいや、何を言ってるのだ、
「何人とつきあってました」は、簡単に話せるのを許容されてる世の中なのに、
不倫に厳しいって、つじつまが合わないよな?
決定的な違いは、法的な関係(戸籍)にあるかどうかの違いなだけで、
やってる事は、「何人とつきあってました」の延長線上なので、
そんな事を言うやつは、これからも、新規開拓する心があるし、
つきあってましたの過去形なのだから、別れるやりかたも、経験豊富でしょうとも。

俺は自分のパートナーが、違う男のあれが「お先に~♪」で挿入されてた場所と考えると、
今からできる自分の子供、自分の知らない男のアレが挿入されたところから、
自分の子供が滑り落ちてくる時、自分の子供が、違う男のアレが背中や頭に触れたのと同じ、
と、基本的に考えるものの、価値観が共有でき、自分と向き合う人なら、
違うアレが何本か過去ログで入ってても、ちゃんとかしこい話ができるなら、
その場合だけ、裏切りがないのがわかる場合だけ、妥協した上で、建設的な人生が進むか。

あと、女性目線、男性目線の、不毛な議論、お前ら、さんざん
「何人とつきあってました~」は話すクセに、そこの話をちゃんとできてないのな。
セクハラがー、とか、好きな人からならセクハラにならへーん、とか、『理論』がない。
それと、相手(異性)より上に立とうとして、ツッコミ目的とか、
こんな相手とつきあって、何が楽しいのやら。
例えば、こんな感じ、実際TVで女芸人が調子こいて話してた。
「私って、美人ではないのは自分ではわかってるんです。
でもそこまでブスかと言うと、そこそこ顔は悪くないって思うんですよ。
どう思います?」→と話をふられた一般男性が、
「そうだと思います。」
「いや、『そうだと思います』も、暗に、ちょっとブスって認めてるんで、
それはそれで失礼だと思うんですけどね?」というツッコミを入れ、
……なんていうか、この感じ、を、俺は話してるというか。
なんでマウント取ろうとするんだ、対等で建設的な価値観の話し合いを
する気がないのに、しかも、思った通りの反応がないと、
「男って」「女って」の、“ひとくくり”という、理論のない、論理の飛躍だらけ。
 

愚痴ばっかりだなぁ~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月12日(火)17時19分17秒
返信・引用
  今日は曇りで、暑くなってきたとはいえ、夕方になれば曇りの日は外が涼しい。
ウチのエアコンは頭がいいつもりでやってる事が嫌がらせの、停止時に
内部結露で防カビするために暖房を入れる、せっかく冷却・除湿した部屋が、
ムレムレの湿度のクソ生暖かい風を室内に放り込んでくる、冷却・除湿した部屋が台無し。

なので今、窓あけて、換気扇で外気で涼んでたところなんですけれど、
クソ真面目な家の外気で、困ってる。
ここはハイツで、いってみれば世帯密度が高い。
クソ真面目に、夕方に、主の帰りを待っての料理を始めてる時間帯で、
その換気扇で排気した、油やら醤油やら、室内の壁がヌタヌタに汚れるので、
こっちこそ換気扇で排出したい空気を、ご丁寧に窓から俺は、
温かい家族の家庭料理から捨てられた要らない空気を、俺が吸わされ、ウチの室内が汚され、
逃げ場がない。
風が吹いてない日は、特に滞留しやすいから、モロなのよね。
 

即追記。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月 2日(土)00時11分40秒
返信・引用
  時給・日給・月給という概念がある。

仕事内容でなく、時間が経過すると、お金が発生するものだ。
楽な仕事でも、やたら過密でも、内容的な頭脳的な事でなければ、評価額は低い。
では評価額とは、神などいないのだから、なんらかの算定がある、
絶対値なのか相対値なのかの基準もない、労使の納得(主に妥協)だけで決定される。

なんでこれが追記かというと、みんな平等は、何もしなくてもお金がもらえる。
時給も、何もしなくても、「早く定時にならないか」と、時間さえ経てば
お金がもらえる本質は一緒。
しかし、決定的に違うのは、それをどうにもできないのが共産主義だろうが、
この時給に関しては、気づいてる人は少ないかもしれないが、
【逆平等】になっているのだ、構造的に、これは正反対の動きになるのだ、
パッシブ(受け身・受動的)ではなく、アクティブ(能動的)なのだ、構造的に。

どうしてか、同じ金額しか貰えないなら、できるだけ仕事をしない方が得である。
これだけでは共産主義と同じ。
しかし、【同じ金額しか貰えないのなら、やる量を減らしても、やれた量が増える、
要するに、作業の効率化・自動化の追及】に、文明が発展する方向に向かう仕組みがある。
これに気づいてる人が少ないように思う。
少ないから、日々、「格差ガー」「貧困ガー」の、額面上の金額や、相対評価した自分を
不幸であると訴えたり、…そうではなく、不幸があるのなら、
【同じ土俵で喧嘩できない状態で社会に送り出された状況を不幸】というのであり、
それが本質、だから、障害者は保護されるべきだし、べきだが、
ならば、それを繰り返すのは愚かな事であり、みんなが等しく、仲良く喧嘩できてこそ、
文明も、理解度も習熟度も深まる、建設的になるように仕向けられてる、構造的に。
しかし、そういう風に動いてくれる人ばかりでない、…ここに何かがありそうなのだ。
 

自分の間違いに気づいた。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 6月 1日(金)23時44分37秒
返信・引用
  下の書き込みで「お金=権利」と書いたが、脳内シミュレーションしたら間違っていた。

お金の本質に気づいたため。
きっと経済学者は『お金=信用(近似値として、価値とも言える。可変動)』と答えるのだろうが、
それ“も”含め、お金の本質とは、【概念】である、つまり、実態があるわけではない。
劣等感や優越感と同様に。

確かに権利がお金のように数値化されると、非常にわかりやすいのだけど、
これを行使する時に、憲法が想定した以外の事象が起きると、憲法で保障されてないので、
永遠に、~の場合は、の文言で許可や事例が増え続ける、算数で言うところの、割り切れない
割り算状態といえる、つまり、エラーである。

ベーシックインカムの本質とは、お金ではないのだと気づいた。
【最低限度の文化的生活】が、生活保護費の金額、なのだとして、それは、
文化的生活自体が【概念】の域を出ていないので、憲法自体に欠陥がある。
以前はエアコンは認められなかったが、必需品認定されたり。
そもそも、個々人が生きていく上で、これをしていい、これはしてはダメと、
風紀委員が如く国の監視下に置かれてたら頭がどうにかなりそうだ、絶対に抵抗するわ俺。
しかし、構造的には監視社会が望ましいのは、誰も否定できない事実がある。
犯人逮捕の決め手が、防犯ビデオでした、音声データでした、ドラレコでした、でしょ?
監視もされてるが、見守ってもらえるわけである。
これは、今に始まった感じ方ではなく、インターネットの扉が開きだした20年前、
俺はある人と、込み入った話になってきた時に、メールは逆に怖いと思った。
俺と相手しか知りえない状態なので、仮にヨロシクナイ状況下になったとしても、
誰もそれを知らない、込み入りそうな内容になってきたら、
誰でも閲覧可能な、この書き込みをしてるような掲示板のように、
他の人にも、いったいどっちの話がまともなのか、推移が見られる、監視下にある。
物の値段も、となりのスーパーの方が安いであるとか、ボッタクリが可能なのは、
情報格差が原因なのであり、ヘタなインチキができないのは、今時なら、
ツイッター等で拡散こかれるので、インチキ商売は集団リンチに遭うのである。
これはまるで、核の平和利用か戦争利用か、科学の使い方と共通する部分がある。
理由があって価格が高いのなら、それは、説得力をもって説明を広告すればよいので、
…とすると、受け取り側の頭の良さも問われる、アホには正当な理由をいくら話しても
通じないわけで、賢い人相手だけの商売もキツイ、説得力がある事が、
正しいとは限らない、ツイッターで拡散されたから理不尽な価格とは限らない、
物事の理由を、大衆に頼らず、大手電力メーカーに頼らず、自家発電できるように、というか、
何かがあったら、反射的に【その理由】を【考える頭】でないと。

いくつか見えた「でしょ」「って言いたいんだよね」と自分の書き込みをしながら
ありつつ、それを上回る書き込みをしてしまってて、きっと逃してるまま書き綴り。。。

お金の話にだけ戻ると、20年前のインターネットの文明開化時期、
その料金は【従量制】であった。
使用時間に応じて、金額が天井ナシに跳ね上がる(実際は1日24時間×ひとつきは超えないが)。
しかし、これが理不尽なのは、今のネットの金額のほとんどが定額制である事を
考えても、時間は、その中身を保証しないからだ。
要するに、しょうもないネット情報にぶつかってしまっても、
それに要した時間までキッチリ請求されてしまう、すると、抑制的な動きになる。
もっとできた事を疎外するわけである、人の動きに対して。
では今の世の中、みんなそうなってるかというと、自動車保険は、
「沢山乗る人と、ほとんど運転しない私が、同じ保険料っておかしくない?」
ってCMが流れてるわけである。
沢山乗る奴からは、沢山保険料取れ、ほとんど運転しない私からは保険料減らせ、
…この主張、すごくいいなって思った人は、共産党と全く同じ思考だと思う。
なぜなら、税金は、金持ちから取れ、という概念なので、
法人税は、いっぱい稼いでる会社から取れ、という概念は、
じゃあ法人税が安い国外に会社の本体置いちゃうよ、ってなる。
これが、共産主義が、最終的に、平均・平等の追及の結果、“そして誰もいなくなった”、
みんなで貧しくなります。

うー、やはりうまく言えず。
 

ベーシックインカム (追記)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月30日(水)13時54分37秒
返信・引用
  下記題名「ベーシック イン カム。」への追記。

想定問答として「じゃあ、その財源どうするんだ。税金だろ?税金が高騰するだろうが。」
が間違いなくある。

俺は、【お金とは、行使できる『権利』】という概念を示した。
つまり、お金の持っている意味である。
毎日のニュースで、ドルに対して、ユーロに対して、いくら円安、いくら円高、
と、常に変動してる。
これは何が変動してるのかと言えば、『価値』が変動してしまっている。
貯金は元本割れしないが、株に手を出すと元本割れのリスクがある、
という説明は正確ではなくて、同じ1万円札をもっていても、数字上は1万円でも、
その1万円の価値が、「円安」になったら、持っていた時より価値が下がったので、
数字は同じ1万円でも、価値が下がるとは、【元本割れと同義】と解釈できる、そうでしょ?

ならば、お金は、価値なのではなく、「憲法で保障された権利」であるなら、
元本割れなど発生しないわけである。
そもそも、労働の対価でしか、お金が得られないという、固定観念がおかしい。
お年玉って、親戚の誰かに何か仕事したから、お金をもらってましたか?
遺産相続についても、何やら遺書をのこしてたらしく、受取人がアナタだとして、
アナタは仕事をしたり、その人に気に入られる営業トークでもしたんですか、
そんな事をしなくても、労力が発生しなくても、お金って得られるわけです。
労働を提供しなければお金が得られない、という発想がおかしい。
ホストやキャバクラだか、1晩で数百万円も売上があるとする、
これをネジ作りの工場勤務換算したら、ネジ作りの方がよほど労力を提供してる、
ところが、お客に気持ちよくお酒を飲んでもらって、使った労力は、
トークと微々たるスキンシップで数百万円、俺は、楽して金を稼ぐべきどうこうを、
論点としてなくて、固執した観念で、お金とはこういうものだ、の前提では、
俺の話はファンタジーでしかなくなっちゃうから色々事例書いてるわけ。

仮に日本が、自己完結国家(いい意味での鎖国)であるなら、日本国憲法が保障している
最低限度の基本的人権=ベーシックインカムを通貨(電子管理で、現金でなくてもいい)で
権利を保障されたら、権利とは、権利であり、価値が変動するものではない。
さっき、お金を得る手段は労力の提供ばかりではない、と言った意味は、
そもそも論でして、「なんで今、そのお金が手元にあるの?どこから発生したの?」である。
老齢年金制度が開始された時代をみれば一目瞭然で、最初の受給者は、
1円も納税してないのに、老齢年金の、いきなりの受給者になったわけ。

この手の話は、何度かしてる。
俺は、初めて自分の服を買いに行く時に、いとこのおさがりのダサダサ服で来店し、
店員には、少なくとも裸を見せずに済んだわけである。
このダサダサ服がお金であった場合、そのお金は、どうやら、何かを始めるための、
とっかかり上、支給された状態から開始されている。
インフレになるには、お金を日銀が沢山刷って、市場に回らせる事だ、
沢山流通すれば、お金の価値が下がってインフレになる、というのだが、
お金って、減らしたら増やしたり、その分母って、この現行憲法で、やってるんだろ。
では、その刷ったお金を、直接に国民が手にできてるかと言うと、
なぜにか、民間金融機関に渡してる。
おかしいだろ?
分母を国が増やしてるのに、銀行で止められてしまってる。
配るのではなく、銀行が貯めこんでる。
つまり、銀行の財源とは、顧客の貯金だけでなく、日銀から新札を受け取ってる財源がある。
それは、どの銀行がいくら日銀から受け取ってるかは公開されてない。
日銀も、「お札刷りまして、どこどこ銀行に何兆円分渡してるから」と公開すれば、
例えば、そのどこどこ銀行の、個々人の預貯金の利息欄に、いきなり
「100万円」と、刷ったお金が還元されれば、よっしゃ、お金使う、お金が世の中に回る、
と思うものだが、そんな事に全然なってない、銀行は貯めこんでやがる。

あれ、話が脱線してきてるかな。

裸で生まれてきても、裸で外出しなくて済んでる理由って、外出前に、
洋服を与えられてるからだよね、という話と、
お金って、最初は誰も持ってなかったけど、労働したらお金がもらえたのなら、
そのお金を払った雇用主は、どこからお金を融通してきたんだ?
誰だ、「最初に、何もしてなくても日本銀行券の分配の恩恵を受けた奴は。」、と、
なぜ誰も気づかないのだろうか。
誰かから、だと、フィルターがかかるので、直接に権利(お金)が付与されれば、
できる事が色々と増えるはずなんだ。

先日、奈良と和歌山の県境に行ってきたが、スマホの電波は届かない、
食料を買い物するにも、どこにスーパーがあるのかわからない集落が点在。
どんな過疎地にもあると言われる郵便局もない。
この人たちは、細々と農業か林業を営み、、、しかできない理由は、
情報格差と流通格差をモロに直撃されてるからである。
ここに、ベーシックインカムがあれば、この集落の人たちは、できる事が増える、
権利・つまり、できる選択肢が増えるからである。

お金を「価値」とみなすか、【権利】とみなすか、俺は後者こそが、
この世の中を救う概念だと考えている。
 

リンゴリンゴ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月30日(水)00時37分3秒
返信・引用 編集済
  リンゴと、リンゴの間には、何があるのだろう。

左手をひらいて、こちらに手のひらを向けて、左から、
親指(1)、人差し指(2)、中指(3)、薬指(4)、小指(5)。
(※今から書くが、このカウントが、数字的な混乱を、僕に与えてしまった。)

僕はゼロの概念を教えてもらえず、自分で気づくまで、ひとりぼっちだった。
でもひとりぼっちの僕の方が、正しかったんだな。

いつも、「5」と「6」でも苦悩していた。

1から10まで、その半分はいくつかと聞かれたら、誰もが「5」と即答できる。
ところが、上記の指を数えてた事を思い出してほしい、
今度は両手のひらをこちらに向けたら、右手は、左から小指が(6)になる。
1から10までの半分が「5」ならば、左手の小指を【5】と数えてたよな?(怒りを込めて)
おや、5は左手に所属してる、左側だ、半分って、なんだ、半分ってなんだ、

リンゴとリンゴの間には何がある?
僕は、小指が5に相当すると考えていたから、数字がまるでわからなくなっていたんだ。
1から10の半分が5、間違ってない、ではそれは小指の事なのか、【違う】んだ。
左手の小指と、右手の小指の間の事を「5」と言うべきなんだ。
リンゴとリンゴの間には、見えなくとも存在するものがある。
 

ベーシック イン カム。(天才かよ)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月29日(火)15時31分40秒
返信・引用 編集済
  何もしなくても、各世帯に一定額が毎月支給されるベーシックインカム制度。

これを批判する人たちに共通するのは、
「何もしないで家でゴロゴロしててもお金を得られるなんて」

俺は理論と論破を使ってみる。
まず批判派を論破すると、どうやら思想背景に『楽をしてお金を得る事が人間的堕落』
というのと、そもそも憲法に『勤労の義務』があるから、と絶対に言う。
ならば、楽をしてお金を得ることが悪なら、今のタクシー運転手たちは、
車という機械で楽してるので、人力車にしなければいけない。
さらに言うなら、人力車も車輪を使って路面抵抗を減らしてるので、背負ってお客を
運んでこそ、楽をしない労働である、違う?
極論じゃないんだよね、極論だって言う人と、
それは結果論、論理の飛躍だの言う人に共通するのは、
想定外で動き回られるこっちの思考についてこれない言い訳だと思うんだよね。

リアルに自宅で食パンを作ろうとしたら、強力粉を1,000回コネるというのが一般的レシピ。
すると、1,000回コネてる間、他の家事はストップするし、休憩も娯楽も勉強もできない、
なので、ホームベーカリーで「楽をする」事で、他の事ができるようになる。
ホームベーカリーは1,000回を「もう疲れたわ」とも言わず、ひたすらコネてくれる。
楽して食パン作るな、と批判するのはバカげてるとわかる。
洗濯機しかり。

勤労の義務の件ですが、不思議な事に、物事は、取引が成立する事で穏便に運ぶ。
ところが、義務の反義語は権利なのだけど、義務を果たさないと批判されるが、
権利は行使しなくとも、批判は受けないのである。
なんというか、正社員の有給休暇もそうだが、使っていいのに使わなくても怒られない。
もし有給休暇の取得が義務付けられたら、使わないと怒られる、これが
義務と権利に隠れた理論上のカラクリ。

これを踏まえて、勤労の義務があるが、しかし、そこに
『勤労者には対価を与えよ』という憲法がない。
だから、ボランティアは1円も請求できないし、金銭を放棄するのが当たり前であり、
かつての専業主婦と呼ばれた層も、これが家事代行サービス業換算ならいくら貰えてるか。

ひとまず論破すると、「勤労の義務がある。しかし、働いたからと言って、
それがお金を貰える保証もない、憲法にも支払い義務は明記されてない。
せいぜいあるのは、法律上の最低賃金。しかし、働くとは、なんなのか、
庭の除草をしてもお金にならないが、造園業者が除草を依頼されるとお金が発生する、
やってる事は同じ事なのに、片方は雇用契約がないから仕事と認められず、
片方は雇用契約があるから賃金が支払われ、やってる事と、消費される人生の時間は同じ、
しかし、お金が発生しない。
さて、俺は、お金とは、【権利】だと思っている。
その権利は、確実性があり、行使する事ができる。」

ベーシックインカムを批判してる人は、マヌケだと思う。
だって、「基本的人権」が憲法で保障されてるのだから、生活保護費とは、
ベーシックインカムの事であり、何も未来の話でなく、すでに現行憲法で
実行されているのである。
つまり、生活保護費とは、ベーシックインカムと同義語であるから、
「社会保険」を廃止できるわけである。
無料で病院にかかれる、薬をもらえる生活保護受給者は、
無料でそれらのサービスを受ける事は「必要最低限度の文化的な生活」のカタチとして、
憲法上、その行為が認定されてるわけなのだから、
誰もが受けられる恩恵、それは【福祉】である。
道路も公衆トイレも福祉である、誰もが使っていい、お金も福祉だ、誰も使っていい。
誤解されてるのが、まるで社会的弱者だけが福祉サービスを受けるものみたいな、
世の中の共用物は、すべて福祉である。

また話が飛んだ。
勤労の義務があるならば、その一方で、基本的人権が守られているのが憲法だ。
すると、勤労によって、基本的人権が守られる、という、イコールになってない、
頭の悪い人が考えたのが、どうやら現行の日本国憲法らしい。

これをイコールに今すぐ直す必要と、さらに
「金銭行使の義務」を課す。
お金を使う事が権利のままだと、使わないで貯めこんでしまっても、なんらおとがめナシ。
お金が流通せずとも、犯罪にもならない、違法にもならない、そんな世の中で、
【お金が回ってこない、不景気だ】と騒いでる状態って滑稽だよな、
だって、お金を貯めこんでも違法にならないのだからな。
しかし勤労だけは義務付けられてるから、勤労しない人はおとがめを受けるんだ。

つまり、基本的人権が想定している金額こそが、最低限度、各世帯に
必要と認定されてる金額なので、それは憲法下に暮らす日本国民であるなら、
誰でもその金額が【最低限度、黙ってても、保障されねばならない】のであるから、
生活保護でなく、「生活保障」と名称を改め、イコール、それがベーシックインカムとする。
何もしなくとも死なない金額、最低限度の文明を享受できる金額。

すると、批判派はこう言う。
「みんな働かなくなる」→これこそが、論理破綻しているのである。
人間は、生きているだけで、なんらかの活動をしたがるものである。
活動が全くできない(ハンディキャップ等)状態であっても、生命が保障されるのが
生活保護の名称あらため、生活保障費(ベーシックインカム)だから、安心して暮らせる。
働きたくないし、自炊も面倒だ、毎月入るウシシなお金で外食ざんまいしよう、
…と思ったら、みんな仕事をしたくないので、
外食の店もない、外食を営んでた人たちも、バカらしくてお店を辞めましたとさ♪
…と、いうオチを予言してるのが、ベーシックインカム批判派たち。

ところが、俺はそうならないと思う。
人間の本質は、何らかの活動、自分の好きな事なら活動をしたがるものだし、
争いを避けたいというのは詭弁で、本当は日々小競り合いをしており、
戦争などという大規模な事でなくとも、ご近所づきあい自体が喧嘩だったり、
けん制仕合いだったり、スポーツ観戦も、血の流れない戦いに熱狂してるわけで、
争いは基本的にやりたがるのが人間、開発競争も戦いだ、知能の。
黙っててもお金が入ってくるから、誰も何もしなくなる、というのは、極少数派になる。
人は、抜け駆けをしたがるものなので、
「外食しようと思ったら、ベーシックインカムのせいで、店主が店じまいで
そもそも外食屋が一軒もなくなってしまった。」は、あり得ないのである。
これは、共産主義とは全く違うからだ、等しく貧しくなるのが共産国家が証明した。
平等の名のもとに、みんなが平等なのは貧乏さだけで、実は階級が存在し、
一部の人たちだけが、お金(権利←お金を基本的人権を行使できるツールと見抜ける俺)を、
しこたま持っている。

外食店がない、なくなってしまった→【だったら自分が外食店を開いちゃおう♪】すると、
すっかりなくなってしまったと思った外食店に人が殺到する。
お金がどんどん入ってくる、みんなベーシックインカムから食事代をくれる、
その店主は、お金が沢山になるので、自分の権利を沢山使えるようになる、そう、お金の事。
そう、ベーシックインカムは、最低限度の文化的な生活を保障する、
国が憲法として認定してる金額なので、最低限度より上の生活を求めるためには、
お金をもっと得る手段を探したがる、しかし、でも何もしなくても死にはしない金額。
自分が使える権利をもっと増やしたいと思うなら、みんなからお金を貰えるように、
創意工夫しよう、開発しよう、機械化がおいつかない部分は従業員を雇おう、
働きたくない人は、それで生活は困らない、ベーシックインカムで保障されてるから、
でも、もっと権利(お金)を得たいと、くすぶってる人たちがいるなら、
その会社の従業員になる事で、自分の権利(お金)が増えるなら、もっと高いところを
望もうと思う、仮にこれが椅子取りゲーム的に、働きたいのに
働ける椅子が満席だったら、無職で一文無し→に、ならないのがベーシックインカム。
「あいつらだけ、まんまと仕事して、より多くお金もらいやがって」→でも最低限度の
文化的な生活は保障されてるので、人間的に屈辱的な人生にはならない。

で、と同時に、【勤労の義務・雇用主による賃金保障の義務】と、【買い物の義務】を課す。

自由経済とは変で、同じ労働であっても、
「より人件費の安い国に工場を移転し、製造コストを抑える」ものの、
その結果、その国の国力があがり、人件費があがれば、その国から工場をひきあげ、
より安い労働力を求め、またその国の国力があがり、人件費がかさむので、
…コレ、すべての国の国力がイコールになったら、終わりを迎える仕組み、
過渡期にのみ旨味をゴッソリという発想、つまり永続的な概念が計算式から欠落してる頭。
本質は、そういう事を俺は言ってるのではなく、
要するに、安い賃金を求める発想自体が、【奴隷】の発想。
自分はその金額ではしたくない、自分はその仕事内容はしたくない、
できないのではなく、したくない、でも安い賃金でも、危険や退屈な内容でも、
欲しがってる奴がいる国にやらせてしまえ、…うん、コレ奴隷だね、欲してるのは。
すると、で、あるなら、機械化とは、まさに人間を奴隷にしなくてもいい、
文明・文化水準の向上、科学の進化である。
AI化されたら、仕事を取られるという人たち、そんなに奴隷になりたいのか?
「そんな事言ったって、働かなければお金がもらえない、明日食べる物もない、
仕事なんて選んでられない、正社員じゃなくても、派遣会社にピンハネされようとも、
仕事をしなくちゃ生きていけないんだ、だから自分を安売りしてでも、
仕事してない連中より、自分は上の人間なんだ。」

…え?そうならないためのベーシックインカムだよね。
「アレ?テヘ♪、そうか、自分が望まず奴隷にならなくても、機械がやってくれてるし、
食べ物を買うお金も毎月あったわ。」
食べ物だけは、農家や畜産業者という労働がなければ、そもそも食べ物を
作る人たちが「働きたくないも~ん」で、食べ物がなくなるかというと、
そこもAIと機械化によって、効率化されれば、何も問題ないし、
もしこの発想を批判するのなら、「お前が農家やる?畜産やる?」と問いただせば、
きっと「やりたくない」と言うんだよ。
労働に見合わない達成感だからだよな、金銭的にも、そうだよ、お前だよ、やれよ、
やらないんだよ、でも批判するんだよ、おかしいよな。
昔は、稲刈りと言えば、カマで一本一本収穫するしかなかったが、
機械化された稲刈り機で、一気に収穫できる、では、野菜はどうかというと、
掘り起こすのだけは機械がやるが、回収は人間がひとつずつ、相変わらず。
根菜ならいいだろうが、葉物野菜でゴッソリ回収すると葉が痛む。
しかし、植えた葉物野菜の株ごと回収できれば→屋内で自動化の実証実験はすでに進行中。

さてさて、もっと高度な文明を目指し、みんな頭よくなれば、
深い議論もできる、話も噛み合う、騙そうとしても騙されにくくなる頭脳、
優生保護法は批判されるけど、それなりの説得力があったから運用されたわけだ。
これを差別、優生主義と言われるなら、ハンディキャップを望んで生まれたい人が、
どこにいるのやら。
結果的に抱えてしまった事ならそれは手厚く贖罪を込めて保護されるべき。
みんながやれる事が、できない状態で一生を過ごせと生まれたのだから。
「すべてのものには存在理由がある、なくてもいいものなんてない。」
では、漁獲量が減少してるのは、地球温暖化と関係なく、
単純に、人間が狙ってる魚介を、クジラにゴッソリ食べられてたとしたら、
クジラは、賢いのはわかるが、【自分らだけでなく、人間の分も残しておこう】と、
そんな動きをクジラに期待できますか?って。
人間が悪い、って考える人たちはさ、「人間は自分の都合ばかりで」と批判するが、
相手は、相手の都合に人間に何かしてきてたとして、「お前の都合を
私たち人間に押し付けるな」とは言わず、人間が悪いから、こんな事されてる、
と考える、話ができない人間がいる。
存在理由を尊重するのなら、存在できなかった理由があるなら、どう考えるんです?
つまり、クジラを捕獲して一定数で管理する事で、漁獲量が増え、
人間の食べ物が確保でき、子供を産み育てる事ができるなら、
そこを配慮されて、子供を作ってなかった親がいるなら、生まれる理由が、
誰かの都合で閉ざされた事になり、「生まれた事には意味がある」どころか、
生まれる事すらチャンスをもらえなかった、そんな子供たちをどう考えますか?って。
食べ物は魚じゃなくてもいいだろ、というのでしょうが、
その理論を使うのなら、「生まれた事には意味がある」は論理破綻するよね。
だって、その言葉のウラには悪い意味での特別感・正当性の主張が隠れているので、
別になんの変哲もない健常者が「生まれた事には意味がある」って、
わざわざ言う必要もないんだ、だって、そんな事は言わなくてもわかってるし。

著名人・有名人が、世の中に恨みを抱きながら、やっと授かった子供が、
ダウン症・知的障害児だという話は散見するわけ。
すると、コイツ(親の方ね?)らは、それをネタにまた書籍だ、活動だ、と、
本人(障害の子)の意思とは関係なく、本人の意思疎通も正当性が怪しい状態で、
いろいろやったりする。
で、その人たちが「生まれてきてくれてありがとう」とは限らないわけ。
それでもいい、な人なら、本出して、アピールするって、おかしくない?
障害児が生まれました、そういう人生でした、だけの自己完結のはずが、
外部に向けて発信するわ、金銭も期待してるわ、あれ?健常者が生まれてたら、
そんな本も出してない、講演会も活動もしてなかったであろうと考えると、
よくない意味での特別な状況下、という認識だよね、だから違う動きしてるよね、と。

という仮説。
 

批判するのは簡単で、疑問を考えるのは頭を使う。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月28日(月)22時20分11秒
返信・引用
  批判とは、自分なりの解とは違うと思った瞬間に、相手に問いただす事で成立する。
批判と質問は、とても親和性が高いものの、中身は違う。
自分の得たい解の精度を向上させるために質問・疑問としても、それは批判的な聞き方でも、
それは成立するし、
お前の事は全く理解できん、こっちの解とはまるで違うの為でも成立する。
(※「批判の為の批判」とは、批判、それ自体が目的なので、問答無用の一方通行のツッコミ。
ツッコミとはツッコんだ側が必ずしも正しくないがツッコむと正しい印象操作ができる仕掛け)

夕方のニュースを見ていて、「そっか、こんなに頭がいい人たちなのに、バカなんだ。」
と思った事がある。
(と言う、この批判はどう展開していくんだろう。)

記者会見について、当事者にマスコミが質問をし、それに答えるというスタイル、
これにマスコミ・取材陣は嘆いていた。
今までの手法が使えず、当事者の方から情報をツイッター等で発信されてしまうので、
会見で質問しようとしてた事まで先回りされてしまう、…のだとか。

まどろっこしい書き方なのはわかってて書いてる。
こんな面倒な文章、自分でも読み返すのは面倒だ。

要するにマスコミの、当事者への愚痴というのは、そもそも理論的におかしくて、
当事者から直接聞きたいと思っても、オールドメディアとしての、
新聞・TVだと、【編集・曲解】をいくらでも可能であるし、
この手順は、どこまで行っても、聞かされる国民は、『マスコミからの、又聞き(フィルター)』
であり、直接聞けない状況下に戦後60年くらいあった。
インターネットは20年前くらいから本格的に普及してたけど、田舎の俺の同級生も、
お隣さんもやってるかというと、きっとネットしてなかった。
今ならFBあるから同級生探そうとしたらハードルさがってるかもな環境というか。

ごめん、なんかもっと深い話をしようとしてたのに、頭が働かない。

USJのフライングダイナソーがまた緊急停止したそうだ。
俺の知ってるだけで4回目。
それで、何時間も宙づり状態にあったであるとか、長蛇の列で待ってた人たちは、
「乗りたかったのに」という批判。

批判とクレームは、理論的な正しさがあろうとも、【クレーマー】という
レッテル単語の誕生で(何十年か前の書籍が発端だったと思う。)
これは、【難癖(なんくせ)】と同義語にされてるが、クレーマーという言葉自体は、
クレームを言う人、という意味しかなくのに、勝手な味付けで「難癖だろ、ウルセー人。」

毎回USJは、マスコミを通して、一般向けに【安全を最優先している】と言う。
(ここではマスコミはただのバイパスでフィルターを恣意的に働かせてない状態として説明)
俺が、もし仮に緊急停止して宙づりになったり、長蛇の列の一人で何時間も待って、
やっと次に乗れる番のお客で、【安全を最優先してますから】と説明されたら、
ブチきれてます。

安全を最優先しない物事って、いったいなんの事?
安全は、そもそも最優先されてる事が前提にあるわけなので、
そこをジェットコースターの緊急停止で【安全を最優先してるから仕方ねーだろ】と、
自分たちが、いかにお客の安全のために動いている優良対応しているか、を、
アピールしてるけど、そこじゃないよな? そこじゃない、よな?
しかし、どのマスコミもツッコまない、単純にディベート能力がないのだと思う。
批判する事がマスコミの仕事になってるので、論理的な思考ができないのだと思う。
批判って簡単なんだよ、自分の思う事と違う事が起きたら、心の声を言葉にすれば
いいのだからな、でもそれって、ただの感想文じゃない?違う?

これ書いてたら後ろでTVで、「隠れ家大公開」とやってる。
自分は賢いと思ってる人は、『公開しちゃったら、隠れ家じゃないじゃん(笑)』となる。
え?
公開してるのは、隠れ家の「中はどうなってる」であり、隠れ家、その本体が
公開されてないのであれば、相変わらず隠れ家なわけである、位置が特定されてないのだから。

俺ならUSJとこんなケンカになったと思う。
「安全を最優先しております。ご了承ください。」
こう言われたとします。
「あなたの言う安全とは、機械の安全装置が正常に機能した事によって
緊急停止した事であり、アナタの手柄ではない、偉いのは緊急停止した機械だ。
安全を優先するのであるなら、安全ではないと思っている事は何についてなのか、
それを聞いてるのであり、安全を優先、…それはそうでしょうとも、だから、
何が危険だと思ってるから、安全を優先なのか、危険と思ってる事はなんなのか。
例えば、脱輪するとか、落花するとか、安全バーが外れるであるとか、
あってはならない事なので、それらの危険を回避するために安全第一なのであり、
では、なぜ緊急停止したのかの答えをしていない。
安全を優先しております、のは、機械が率先して判定した事なので、
しかも、今回は4回目なので、安全でない事が置き去りになってるので、
緊急停止してるし、安全なのに誤判定してるかもしれない機械かもしれないし、
宙づりになった状態の人を速やかに救出できてない時点で、
安全最優先でなく、生理現象として何時間も宙づり中に便意もあるかも、でも置き去り、
つまり、安全第一とは、お客を速やかいに回避させる事ではなさそうだ。
宙づり状態で置き去りで、その状態を世間にさらされ、マスコミはヘリコプターで空撮だ、
4回目でなくとも、1回目からして、安全最優先してるんだから、
乗れなくなって文句言われてもも人命とどっちが優先か、人命を優先する、
という為に、安全を優先というなら、緊急停止を起こしてる時点で、
安全ではない乗り物だと証明してしまってる、ひとつの事実として。
そこは認めないと、次に進めない。なぜなら、緊急停止した時点で、
安全ではない状態が発生、であるので、安全を優先したというのなら、
そもそもその日のジェットコースターの稼働をした、という事実の時点で、
安全は優先されなかった、だから緊急停止をした、という事になるわけだな。
そういう事を確認したいので聞いてるわけだから、安全を優先してるって言われても、
話が噛み合わない、話が噛み合わない事を狙っての機械返答であるなら、
そうか、議論をしたくない時点で、隠ぺい体質の可能性が発生してしまい、
安全を優先という発言自体も、意味を失う。」

別件ですが、
俺は、USJに行った事があるが、長蛇の列中に、途中にトイレがないのである。
真冬の夜の時間帯、2時間もなかなか進まない状態、自分の回りには、
クネクネとロープと人が取り巻き、しかも、そこは下からあがって2階にまでいるので、
真横を突っ切って、2時間の今まで並んでたのをキャンセルしてトイレに行く事もできない、
口からアワ吹く寸前まで尿意で震え、そしたら何きっかけか、突然に人の流れが
前方でなくなり、従業員が「どうぞ進んでください、立ち止まらないでください」
早く行けと言ってきた。
まだアトラクションの中にもいない時で、中でも本当はクネクネと待ち時間が想定され、
その時間中に、壁の画が動いて話しかけてきたり、待ち時間の退屈を紛らわせる、
または期待を高ぶらせる仕掛けがあったようだが、「立ち止まらないでください」
むしろ、早歩き、走らせられて、その仕掛けをどれも満足に観られないまま、
一気に進ませられ、荷物預け所の近くでやっとトイレがあったんだったか。
 

アンケート、出来事、。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月15日(火)18時55分46秒
返信・引用
  俺はAmazonレビューを時々するが、とにかく「参考にならない」票が沢山入る。
(※このシステムは更新されるようで、今は「役にたたない」という言葉に。
AIを導入して、ひとつの商品に対しての順位が決定されてる賢いシステムと評する、
クソジャーナリストがいる、レビュアーの過去の傾向や、文字数が計算式に入ってるのだとか。
【もっとも製品評価の高い「参考になった」】、と、
【もっとも製品評価の低い「参考になった」】、これが賢いAIが導入されての結果らしいが、
ある製品に、俺が、製品評価が高い人に「参考になった」と1票入れ、
製品評価が最も低い人にも「参考になった」と1票入れたら、
どちらも有益なレビューとしてシステム上の最上位にあがってしまった。
イタズラじゃないんだよ、どちらも参考になったので、どちらにも評価票を投じた。
…おかしいよな、全然かしこくないAIだよ、だって、
どちらのレビュアーも、いまだ誰も票を投じられてない状態で、
すでに古参者レビュアーは、13票も「参考になった」なのに、【有益なレビュー】から
除外されてしまうんだ、うまく言えないが、この計算式を納入・採用してる中の人たちは、
恐らく、なんらかのセンスを欠いている、欠陥に気づかないから問題にも気づかない。
きっとその13票も獲得してる人は、「参考にならない」とレビューに傷が少しついてる。
参考にならない、が1票も入ってないレビューだけが自動的に上位に来るのは、
そもそも、客観的に文章評価をAIがくだしてない、要するに、
統計学的な視点のみで計算されてるので、内容を分析できる解析の計算式がないわけで、
内容でなく、人に好まれるかどうかのみの…、んー、)

とあるYouTubeで、「こんなにヒドイ事やってる」という動画があったりする、
すると、「高評価」「低評価」が50:50になったりする。
これもバカだと思う。
理論的に、こんなにヒドイ事してたのか、許せない、怒りを込めて、
そんな事してる奴らに「低評価」にしてる人たちが沢山いると推測するわけ。
すると、本来は、「高評価」な動画なのに、低評価が増える、
事実、動画コメントを読むと、「許せない」が大半なので、だったら
圧倒的に「高評価」カウントが入らないとおかしいわけで、許せないから「低評価」、
…アンケートって、統計学だかで重要かもしれないが、意味を成さないとも言える。
『言わんとしてる事』のように、ニュアンスのように、その回答の意味まで読み取れないと、
ただの数字でしかない、むしろ、事実を反映しなくなる。
例えば、内閣支持率みたいなやつ、「支持しますか・支持しませんか」、
例えば、交通事故で係争になるのは、「過失割合」、何かひとつでも落ち度があると、
その人にも悪い部分があった、だから全面的な支持はできない、『ので』、支持できません、
なら、簡単に「支持しない」と断罪できてしまう。
うまく言えない、99%悪さばかりの人間が1%の正義で、悪さがなかった事になる【印象】、
ギャップというのか、99%正義な人生が、1%の悪さで、
「あれだけ全幅の信頼をおいてたのに、【裏切られた】」というわけである、
むしろ、「信じてたのに、本性は1%の悪さの人だったのか、今までのは偽りだったのか」
という【印象】になったりする、本当にそういう事もあるかもしれないが、
本当に誠実に・抑制的に生きてきた人が、正式なジャッジを受けない、「時点」の主観、
…そういう人間的な、臭い部分を排する事を期待してるAI導入であるのに、
今は過渡期なのか、AIモドキなのか、どうも、AI導入してるって人たちは、
本当は導入してないんじゃないか、ある種の思想を肯定するために、
「AI導入してるから公平だよ看板・バリアー」かと勘ぐるというか、
本当にAIで運用されてるか、自社に都合のいい結果しか出さない、
AIではない、自社開発のプログラム通りになるだけの機械的構造かもだ、
それを見抜くのも、この会社がはじき出してる解は機械的なものか、
の判別にもAIは使われるべきだし。)


だいぶ先日、UFJ銀行から電話があった。
つくづく【理論】って大事だなと思った。
「いつもご利用ありがとうございます。少々お時間よろしいでしょうか。
昨今、以前のような利息が全くつかない状況であり、投資について、一度、
ご来店いただければと、ご提案のお電話でした。」

理論的に言えば、利息をつけるのは、銀行だよな?
利息がつかないと、つけてない銀行が言ってるわけだよな?
なんで利息をつけられない状態なのかの説明もなく、いきなり「投資すれば今より増えるかも」
の、論理の飛躍なのか、これは、理論的に、悪意をもっての誘導なので、
理論がないのではなく、理論的にたらしこみ、してるわけですよね、
なので、理論的におかしいので、
「銀行は努力しなくても、日銀から金利で稼げてた。それがゼロになった。
銀行は、自社責任でお金を運用せず、つまりお金を貸さず、
利息で収益をあげず、自分の手は汚さないで、個人の口座開設者に、
投資で運用させて、損した場合は個人の責任にして、自分の手は汚れないようにしてる、
つまり、本来の業務は、銀行の頭脳を結集して、どうすれば運用益がでるかを、
会社の頭脳・能力として、利息をつけられるものを、
【利息つかないでしょ、投資(信託)してみない?】って、極悪なお誘いですよね?」
って事じゃないのかなぁ。
 

「セクハラ」って狭義の話だよね~。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 5月 8日(火)22時09分31秒
返信・引用
  言える(やれる)立場、
言い(やり)返せる立場・強さ、が、
【ない】状況や、

その状況が継続的な状態ならば、
理不尽、不快、不利益、間違ったレッテル、勝手な解釈されても、
飲み込む、くやしいけど、そういう事じゃなくても。

例えば、友達が「週刊誌買うのに90円足りないから貸して?」
わざわざ俺のウチの玄関まできて、『これは返ってこない』と内心思いながら、
「絶対に返すから、絶対に返すから」→借りにきた相手が俺な理由。
これは返ってこないな、と思って貸すお金は、あげたモノと思え、的な、
バカじゃねーの、なんで貸すな、じゃなくて、貸すからにはあげるつもりで、なの?
弱い頃の小学生の俺なら、俺が親なら、泣き寝入りさせない。

他にも、ファミコンのゲーム数本、専門学校の同級生から「聴きたい。貸して。」と貸したCD。
専門学校は厄介で、地元どうこうを越えて、他府県から集ってしまってる、
しかも、年齢的に学年の違う人も同じクラスにいたりする、全部戻ってきていない。

オタクじゃないのに、なんだか見た目がそれっぽい、いつもひとりでいるっぽい、
という勘違いからか、ソッチ側な接し方をされたり、悪い意味でもそうだったり、
いい意味では、手を差し伸べようとされたりしても、「イイ人ね」で止めるのに、
異性が関与してきて、その先はナイよのためなら、その人の、いい事した、の実績のために
俺は利用されてるわけでして。

ホームセンターで、開店前の品出しバイトをしてた時に、上司から
「おい、ヒゲ剃ってこい。」と言われて、…え~と、無精ひげの清潔感のなさは、
ちゃんと俺は感覚的にわかってる上で、俺は直接的な接客の業種を選んでないし、
俺は、ヒゲが太く濃いのに、それに見合わない肌の弱さがあり、
男ならわかるでしょうが、短い状態のヒゲに刃物を毎日あてがうと、カミソリ負けで、
出血やら赤いブツブツになる、それが嫌なので、極力、ちょっと伸びて、
カミソリにひっかかり易いのと、肌ダメージも修復してる頃に剃れるならそのタイミングが
もっとも望ましい。
俺自身も、無精ヒゲにしたくてしてるわけじゃない、でも、結果だけで断罪される、
理由は加味されない。

セクハラ、という概念は、屁理屈をあてがうなら、俺はいくらでも発想できる。
要するに、こういう理論だろ、【性差】に関する事なら全部セクハラになりうるんだよな?
このヒゲのくだり、説明するために、俺は今書いてた文章を消してみた、何かというと、
「女性はヒゲは生えないので、わかりにくいかもしれませんが、
男にとってヒゲ剃りは、CMでやってるほど安易なものではないし、
セクハラって、何も、異性から言われる事ばかりでなく、同性から指摘されても、
そこを気にしてるのに、どうにもできない時に抱く不快さや、つらさもある。」
なんて書いてて、『女性はヒゲが生えない』っていう性差を書く事自体が、
「ヒゲが生えないからわからないだろうと見下したな。差別だ。」と解釈もできるんだよな?

…なんか、んー。
 

どうしたらいい?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月30日(月)22時43分50秒
返信・引用
  その人なりの『テンポ』ってあったりする、時と場合によっても変わったりする。

例えば、昔のゲームで言うなら、「音ゲー」って、あるテンポを選択し、
それに合わせてルーチンワークでどんどんこなしていく。
その時の自分のノリと合致して、しかも、どんどんこなせていくと、快楽になる。
これが、自分の中に流れてるテンポとズレて、ゆっくりだったり、
押すべきタイミングの数がやたら少ないと、“合致したストレス”がかからない状態になる、
すると、その人にとっては簡単な事が、集中力が緩慢になり、できる事なのにミス。

これは俺が特別な事を決しているのではないのだが、ここの部分を明確に
説明したり認識しようとしない人たちがいる。
車を運転する人ならわかると思う、自分のペースってある(法定速度どうこうは論点外、今)、
それよりも遅い車が目の前にあらわれる、『…おっと、んー、困った、このペース?ずっと?』
…俺じゃなくても思うはず、この時に前の車をせっつくのが【煽り運転】のひとつ。
俺は前の車にプレッシャーをかけたくないので、車間距離を保ったまま我慢する。

それを食べる者、それをまた狙う者、それをまた狙う者、
食物連鎖というか、ウサギが草を食べ、ウサギをキツネが狙ってるかと思ったら、
上空からはワシがキツネを狙ってて、というか、
(※こういう話の展開になるから、俺は「何を言いたいのかわからない」と言われる。)
つまり、これら食物連鎖は、許された法則であるものの、
それをできる時に、しないという選択はストレスになる、
イジメっ子は、イジメたくて仕方がない、それをするなと言われるとストレスになる、
イジメる事ができる相手が目の前にいる、獲物がいる、食べようと思えば
食べられるのに、食べるなと言われる、食物連鎖なら、誰に遠慮もなく、
狙ってる獲物をそのまま意のままに実行するのみである。

またゲームの話だが、自分にとって、簡単すぎるゲームは退屈であるが、
自分にとって難解すぎるものは、とても手に負えないので、これも苦痛(ストレス)、
どうやら、やはり、人というのは、自分よりちょっと上目なストレスを
こなして、それが達成できる程度にストレスがかかってる状態が、
最高に気持ちのいい人生だと感じるのだと思う。

そこに、自分の都合、相手の都合、というものが介在してくるわけである。

どうしたらいい?

俺は、相対的にみて、やっと人並(20年もかかった。バカなので)に
車を操作できる程度になっていると感じる、実感として、感覚として、
「今のコーナーどうだ! とても自然、車が行きたがる方向を作り出し、
それに不随する操作をあてがい、姿勢もいい、変な挙動もない、
思ったライン通りにシャープに、ひたすら早くきれいに駆け抜ける。」

俺は、ちゃんと知ってる、「飛ばし屋」ってのがいる。
俺は、ソッチじゃないのである、「走り屋」とも違う。
とてもじゃないが、公道であのリスクはとれない、と見ている。

………ところがだ、どうしたらいい?
俺の母含め、俺の車に乗ると【速い。怖い。】と言われるのである。
【もっと景色を楽しみたい。体が怖くて縮む。】
俺は運転・つまり、車のオペレーターとして運転席に着座している。
この車と俺に流れてる『テンポ』は、きれいに道を駆け抜ける事にのみ特化されている、
これは、俺の問題なのである、ところが、これを同乗者に面持ちに合わせると、
特に長距離運転となると、操縦者たる俺は、自分のテンポを抑制され続ける、
なんだったら、その自分のテンポを流れようとする事が、
他者にとって不快であるなら、俺の都合とは違う部分に合わせる事になり、
適度なストレスでなく、抑制的・抑圧的なストレスをかけつづけられ、
なんだったら、自分のテンポに突入する事は、【罪悪感】という事になる。
悪い事じゃない、ただ、ちょっとだけゆっくり走ってほしい、と言われたりするが、
これができる器用さが俺になく、極端な事をいうと、
60kmを出していいところを20kmで走ると、集中が緩慢になり、
目的地までの到着時間も伸び伸びになり、運転してるのは自分、
その到着しない間も、操縦し続けるのは自分、教習所などでは、
速度があがるほど、視野が狭まり、周辺視野が働かない状態を叩き込まれ、
だから速度を出してはいけないのだ、のためを叩き込まれる、
まるで、ゆっくり走っていれば交通事故が起きないかのようだ。

うまく言えません。
俺はきっと、かなり精度の高い話をしてるのだけど、読解・理解者を選ぶ。
自動車の任意保険も、走行距離が短い人ほど保険料が安いものがほとんどであるが、
走行距離が少ないという事は、それだけ運転に携わってないので、
運転技量も低い、つまり、走行距離が短い人の方が、ささいな事で事故る可能性が高く、
走行距離が多い人の方が、事故に遭遇する確率も増えるが、
事故を【回避する能力と確率も高い】可能性まで排除されてるのが、
今の保険料のクソな視点であり、視野狭窄なのは、速度ではなく、
どうやら人となりだな。
 

思った事、ただ、の。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月23日(月)18時52分32秒
返信・引用 編集済
  お金を貯める一番の近道は、買い物をしない事。
『まだ使える』ものを、技術の更新があっても、スルーしておく事。

お金があったら欲しいもの。
『まだ使えるけれど、現状に不満があるので、最新(時点)の技術に置き換えたい』

皮肉な悩みだ。

そういったものはいくつかある。
最近、夏日が続き、まだ4月なのにエアコン入れる日も。
この4月にストーブ使ってた日もあるわけで、気温の変化が大きい。
このエアコン、結婚時くらいに購入したが、決めてになったのは、…俺も悪いが、
大型電器店の製品説明で『省エネ』の項目が、5段階で、4以上ついてたので購入した。
もし、今の俺が買うなら、お金があるなら「そこだけでは買わない」と、つくづく痛感。

コイツは相当にバカで、「自動お掃除」機能がついてて、頼りにしてたのに、
細かい網目に細かいホコリ、どういう自動掃除かと思ったら、ブラシで掃いてる。
目詰まりおこして、風が弱くなってて、ではフィルター掃除しようと思ったら、
「サービスマン以外は、このパネルを開けないでください。」
高機能にしたせいで、素人が簡単に開けられないように設計されてる。
自己責任で無理やり開けて、ちょっと製品のストッパーを折ってしまった。
いちいち毎年、ホコリがたまるたびにサービスマンを呼ぶんですか?って。
あいつら、『出張費用』とかいって、ここに来るために3,000円くらい足代を請求する。
バカバカしい。
…それもそうだが、バカなエアコンだと思うのが、クーラー作動後、
消すと、「内部乾燥」の動作が入る、これは、結露したままだとカビが生えるので、
電源オフの時に、俺は利用してる、この内部乾燥をしない設定もできるが悪臭はハンパない。
しかし、カビは発生する、内部乾燥しても、毎年、どこかの段階で、
仕方なしにカビキラーで掃除したり、風向のフィンにもカビが付着して、
そこもティッシュにカビキラーつけて拭く、なんともマヌケな機械。
って、そこじゃねー、もっと頭にきてるのは、この内部乾燥の挙動だ!!

クーラーで、せっかく室温を下げるわけだ。
ところが、内部乾燥のためには、今度は暖房機能使って、内部の結露を乾燥させる。
「…ホンットっ、バ・カ・な・の・か・!!!?????????????????」
内部乾燥するための暖気は、外に排出しねーと、せっかく冷やした部屋に
温風送ってどうすんだっつーの、しかも、完全に除湿機能までオフの温風だから、
生ぬるい、ジットリした、しかも悪臭ともなった温風、これが下手すりゃ1時間も動作。
ちょっと冷やしすぎたと思ってエアコンオフにしただけで、なんの罰だ、これは。
消したとたんに、室温も湿度も上昇、俺が設計者なら、この内部乾燥の温風は
室外に排出するがな、今時なら、絶対にそういう製品が出てないとは考えにくい。


話変わり。
ネットの記事で気に入らない単語がある。
【持論】って奴だ。
これは、自分で述べるなら何も問題がない。
しかし、誰かの発言を紹介し、紹介する人間が内心賛同しかねるなり、
責任持ちたくないない、もしくは、コイツこんな事言ってる的な、さらし者目的の時
(という連中を俺は今ここで書いててさらしてるわけだが、「持論」なんて
みっともない言い方はした事ないですな。卑怯だろ、相手の発言を持論って。
ちょっと俺が言ってる意味がわかるかどうか。)

『誰々が、という持論を述べた。』
『誰々が、という持論を展開した。』
これ聞いて、物事を考えない人間はどう読み解く?
ヒデェ言い回しだぜ、紹介する言い方じゃねーな。
「これが私の持論です」じゃねーんだよ、なんで第三者のテメェが
『という持論を述べた』って、なんで、おまえが誰かに対して持論って単語使ってんだよ。
テメェの持論は、コイツとは関係ない立ち位置です、あくまで第三者ですぅ、
責任持ちたくありません、一線置いてますぅ、がテメェの持論のはずだ、
いかにも客観を【装って】、しっかり恣意(しい)的なクソ記事。
…証拠に、そうでない時に『持論』の単語の代わりに、
【~と主張】【~と批判】【~と反論】…おいおい、客観性はどこにいった。

それと、この手の記事に『という持論』と同列でバカなのが、
『~と、失言した』
………えっと、もしもし?なんでそれが『失言した』という断定なの?
だからさ、これもモノを考えないで記事だけ読むと、「失言したんだ。悪い事言ったのね。」
失言したかどうかは、書いてるお前の近視眼的な主観じゃねーか、
【~と発言した】でなく、【~と失言した】って、おかしくない?
お前が評価することじゃねーんだよ、失言ってのは、
言った本人が感じる事であって、テメェが失言かどうかを評価する事じゃねーんだよ、
なんで“言いふらし”調に、あおりたててるんだ、笛吹いて踊らす扇動じゃないなら、
理論的に説明しないといけないな、失言、ってのは、そういう前提で勝手に話進めるなら、
前提が間違ってる事をすっとぱして、それで文字を書いてお金を得たら、
お金など払うに値しない超低品質か、詐欺行為だよね、だって、
それが事実かどうか認定前に「失言」と断定して、勝手に理論展開、
過程の推論なら構わないが、断定なのだからな、詐欺じゃん、
事実じゃないかもしれない事を断定して、一部のモノ考えない愚民を扇動させたら、
それは「操作」だろ。

ダウン症の、大人になるってどういう事かの番組で
「この自立支援施設に通って40年、毎日同じ作業の繰り返し。退屈。
他の事がしたいわ。毎日料理づくり。」

『そういうもの』ですか?働くって、そういう事ですか?
わかまま、という単語を使うなら、自分のしたい事としてる事が合致してる状態は、
やりたくない事をしていないので、“わがまま”という単語が使われる場面だけど、
不思議な事に、本人が満足してると発動しない単語で、
結局悩んだり、考えてる人に対してだけ発動、辛辣にね、お前ら、人間として嫌な奴だろ、
自分が崇高だと思ってるのだから、うぬぼれっていうんだ、謙虚な人間なら、
困ってる人に、そんな自分との比較で、自分ができるのに、自分は頑張ってるのに、
の相対基準は適用しないものだ、正義とばかりに断罪するその人間性は、人間的に負けだろ。
 

今日はツイート的な。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月20日(金)11時19分33秒
返信・引用 編集済
  その昔、「みかんのつぶやき」というサイトがありましたが。
ツイッターの先駆者的なタイトル。

そもそも、な~にがSNSというか、全部インターネットで昔からあった仕組みを使って、
投稿したり、リンクさせたり、その組み合わせも全く同じで、言い方変えてるだけじゃん、
フェイスブックやらツイッターやら、インスタグラムやら。
LINEというのも、そもそもP2Pとかいうサーバーを経ないで直接データやり取りする技術、
ICQっていうチャットで既にできてたものじゃないの。
それらが、PCでなくスマホに実装されたかどうかだけの違いじゃないのかなぁ。

ここからがツイート的な。

テレ朝の女性記者がセクハラ被害とのニュース。
これにハニートラップの疑義もかかってて、同社社員が「下衆の勘ぐりだ!!」
とブチギレ猛反論。
…この人は普段から理論的な話で詰問取材してるのに、なんで疑義の部分の論破でなく、
結論を先(疑義を説明でなく相手に指摘という非論理的な)なの?
森友・加計問題で、さんざん1年も時間使って『違う』と説明しても
「疑惑が晴れない。むしろ深まった。」という論法だったなら、
疑惑を晴らす、むしろ薄める疑義、さて、自分ならどう説明されれば納得するか、
それを見せたらいいんじゃないかな、そのやり方をなぞって説明返しされたら、
今度こそ黙るしかないよね、森友・加計問題、1年やってたなら、
少なくとも1年は下衆の勘ぐりされ続ける事を肯定しないと、矛盾しちゃう、
お手本みせてよ、みせられるなら、1年前に提案してたら終わってた話なのかな。
某K国は、問題だー、と騒いでおいて、解決すると騒げないので解決望まないという、
一見矛盾してる、しかし、理論的にこれは矛盾ですらない、たわごと、のレベル。
 

話が通じない人と出会う確率70%?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月15日(日)12時16分49秒
返信・引用
  俺は、普段、もし会話をする事があるなら、業者とかカスタマーセンターとか、
要するに、業務相手の人との会話ばかりで、こっちは個人的に、
向こうはそれでお金がもらえる、
こっちは自分の人生の時間を使って、
向こうはプライベートな時間は消費せずに済んで…。

これは前置きで。

「あぁ、それで(話が通じないという意味ね?)なのね。」と思った、
まとめ掲示板でフルボッコにされてる話があった。

ある投稿者が、『じゃあ、お前やってみろよ』と返した事に対して、
【それって、反論になってませんよね?】→からの、この「反論になってない」の指摘に、
賛同者が20才~60才代にアンケートをとると、70%近くいるみたい。

若い人ほど、「反論になってない」が圧倒的に多い傾向。

と、いうアンケート結果まで、を受けての、まとめ掲示板での反響をみるに、フルボッコ。
“だから、反論になってない”というコメントを紹介すると、
「論点ずらしてる」
「畑違いの人には言ってはだめ。同業者になら言ってもいいだろうけど。」
「批判はもらえる内が華。気にされなくなったら終わり」
「事象による。反論になってる場合もあるだろう。」
『反論になってないも何も、反論してないだろ、コレ。』

…おぅっ、俺が言おうとしてたことが載ってた、そう、『これは、反論の為に言ってない』。
批判された事に対して、具体的に「そういう事ではない」という指摘で返すなら反論だが、
「じゃあお前、ナンボのもんなの?」「言うだけの事ができるのか、見せてから話しようか」
なので、要するに、どこまで理解できてて、その批判なのかの、【前提の確認】だよね。
話が通じる相手かどうかの、さ。

つまり、約70%の人たちが「反論になってない」に賛同してしまうという事は、
それが反論目的で言っている、という前提で、理論的でない、と『反論』しての賛同と推察。
つまり、反論してない事に対して、批判してるという、なんともマヌケな状態で、
俺が常々、話が噛み合わない…と苦悩してるのは、こういう70%くらいの人たちと
出くわす事の多さのせいなのではないかと思ってしまう。

俺は、小学校の通信簿をみると、ほぼ1年~6年にかけて、
「人の話を正しく聞く」に、バッテンがついてて、いかに人の話をちゃんと聞いてないか、
履歴として担任にしっかりダメ評価をいただいている。

そう考えた時、「人の話を正しく聞く」の意味、もし、これが
『自分の話を正しく理解しているか』、ではなく、【自分の意に沿う反応をしてくれたか】
だった場合、そりゃ「人の話を正しく聞く」の項目は、バッテンになる。
ナナメの物の見方をする傾向があるとか、具体的に書かれてたり。
別にひねくれものでも、カシコイ系でもなく、暗中模索が、なんで批判されるのやら…。
 

三段論法で考える「女性専用車両」。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月14日(土)15時57分55秒
返信・引用
  三段論法とは、それを聞いた人が基本的に『そりゃそうだ(当たり前)。』となる論法。

最初に、今から話したい『前提』を述べ(この「前提」もすでに
何がどうあってもそうでなければならないので、この前提のための三段論法も必要?
そんな面倒くさい事はあり得ないので、なんというか。)

次に、その前提の中の一部を事例として取り上げ、

最後に、結論。

1段.「私はあなたが嫌い」
2段.「私は日本人」
3段.「日本人はあなたが嫌い」

これは間違った三段論法で、自分が思う事(一部)が、全体もそうである、というのは変。
これは、俺も掲示板で何度か書いてるが、
「人の痛みのわかる人間になれ」と、イジメっ子を叱りつける時の常套句だが、
「自分がされたら嫌な事はするな」とも。

すると、三段論法的に、【どうして自分が嫌な事は、他人も嫌なはず、と思うの?】
と、アッサリと論破できてしまう。

「自分がされたら嫌だ」
「私は痛みを感じる人間」
「だから、人間はそれをされると嫌だ」
(※必ずしもそうではない、という可能性まで排除してる人たちと、建設的な話はできない、
という場合もある。)

……何が三段論法だ、と思う。
論法って、その方法かよ、それが事実であれば、どんなに拙(つたな)くとも伝わるものだ、
相手に、それを理解できる能力と意思があれば。
俺は技術的な事を嫌う。
面接の受かり方的な、そこに受け答えだのマナーだののやり方って、
「とりあえず受からなければ始まらない。受かってから後の事を考えよう」的な、
実力と見合わずとも、やりたい事とは違っていても、
受かる、事が目的にされると、それが達成した段階で、いきなり放り出される。
それでどうにかなる場合と、後々苦痛になる場合もあるのに、
苦痛になろうが、それはまたその時に考えればいい、的な、なんとも無責任な連中なり。

「世の中の男性はエロい事が好きなので、女性を見るとムラムラする」
「私は女性」
「男性は女性にムラムラするので、女性である私はムラムラされる、痴漢される」

これが、『女性専用車両』の【本質】ではなくて?
「こ~~~のっ、勘違い女がぁぁっ。」的な、一部の話が、全体もそうであるかのような、
そこに、多くの人は違和感なり、何か、スッと腑に落ちない存在になってる「専用」なる言葉。

この間違ったロジックは、しばしば国会議員・野党が使う。
言ってみれば、この日本を左右する、議論の最先端の場所で、理論的な話になってない、
有名大学を卒業してる連中なのに、元官僚であると、医師免許持っているであるとか、
弁護士資格を持っているであるとか、言ってみれば理論のプロのはずが、こう言うんだ、

【これが国民の声なんですよ!!!!】

…なんで、それが全国民の声なんだ、少なくともそれを聞いてる俺は、そう思ってないので、
俺は国民じゃないのか、国民だとして、「あなたは少数派だ」と言われようものなら、
おやおや、野党というのは格差を嫌い、弱者目線をしばしば言うのであるから、
「あなたは少数派だ」だからなんだ?
理論のプロなら、数ではなく、中身が重要なのはわかってるはずだな。
要するに、【炊きつける】→プロパガンダ(政治的扇動・印象操作)。

自分のしたい事の為に、関係ない人たちまで同意見であるという主張、でしょ。
だからなんだ、思ってる事があるなら、他の人たちも同じ意見かどうかは重要ではないはず。
理論的にね?
【数の暴力だ!!!、少ない野党に対して、数の論理で法案を押し通そうとするな!!!】
…月並みな人は「民主主義は多数決で決まるので、数の多さを否定しては民主主義否定では?」
ツマンネーな、月並みな意見は、これは一見論破してそうだが、そうじゃない、
仕組みの説明をしてるにすぎない。

数の論理って、ところで何さ?
数って、数なだけで、意味をなしてない、使う時にだけデジタル的に意味をもつ。
だから、数で論理なのでなく、論理的な手段に数が使われるのだから、
数の論理って、本当に額面通りなら、客観的なデシタルな数字によった
説得力をもった理論、こそが、数の論理となるわけで、
野党の言葉を翻訳すると
【説得力のある話で、俺たちの意見を否定するとは何事だー。国民はみ~んな怒ってる。】

たのむよ、年収3,000万円は、こんな連中に使われるのかい。
 

生かすと得られるモノ、それは何?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 4月10日(火)11時42分6秒
返信・引用
  『奴隷』『ペット』等。

この平成末期、奴隷という単語を使ったところで、
ムチで打たれながらコキ使われるであるとか、
不衛生な環境であるとか、隔離されているであるとか、そういう事はイメージしにくいので、
何を言ってるのか、バカかこいつ、になりそうです。

最近、頭を使う楽しく可愛いPCゲームをしていて、飼い犬が宇宙人にさらわれて、
その犬を見つけた時には、太ったボスに風を送る扇風機に使われてた。
どういう状況かというと、ハムスターが走って回転する道具があるが、
あれに犬を閉じ込めて、目の前にはエサをさげて(永遠に追いつかない)、
それをひたすら追いかける犬は車輪を回転させるので、滑車とプロペラによって、
ボスに送風され続けるという仕組み(『奴隷』)。

※俺の話は、いつもなかなか話したいところにたどり着かない。
一見、関係ない話ばかりしてるように受け取られる、つい3日前の精神科の医者からも
話をさえぎられて、「脈絡がないように聞こえるでしょうが、僕の中では繋がってる話で。」
と、先生は、支離滅裂とは思わないが、脱線してる話で、要するにを知りたいといわれ、
…英語と日本語とでは、日本語は結論が最後の文法なので効率が悪い、
のような話を数十年前から聞いているものの、運転しながら独り言を考えていたら、
「結論を先に言う英語は、その点においては効率的であるものの、理論的かというと、
俺の考える理論とは、時間の概念が必須であり、結論とは何か、と考えても、
英語は、『私はこう思う(結論)。その理由はうんたらかんたら』という文法。
…ん?
思う、という事が結論なのではなく、本当に大切なのは、その【理由・経緯・前提】だと、
俺は思うのだけど?(むしろ、理由こそが『結論』)
つまり、英語の文法では、肝心の理由は後回し、だよなぁ?効率いいのか、これが?
日産の低迷期にゴーン社長を迎えて、社内の会話はすべて英語にさせて、
ダラダラした会議が短時間で終わるように、効率的になったというのだが、
そういう面もあるのでしょうが、その理由には、前提もあり、
それをすっとばして答えを先に言う、先に犯人を教えておいて、
その経緯をドラマにする番組は昔からあるけど、犯人は誰かではなく。」


で、俺の今回の話というのは、『経済活動』の話。
本当は、『活動』の話で、経済は、それの変換された感じ方や仕組みにすぎないわけで。

自分の子供が外で遊んでる。
これで経済活動である。
外出させるためには、靴が要る、服がいる、それは「購買」によって達成している。
お金が使われている。
子供が遊ぶ、つまり『活動』である、生きていると、なんらかの動きがあり、
それは先ほどの犬のように、人間でなくとも、なんらかの動きによって、
【変換(先ほどの例なら走る活動を回転に変換させ、送風、まで)】される。

奴隷の定義を、何かのルールのもとに行う行為、と解釈(ナナメ目線でもなんでもない)すると、
弁護士というのは、法律の囚人であり、法律の奴隷である。
そこからの発展的な思考は、しない方が評価を受ける、公務員もそうです。
考えないで、ルールに従う事で評価される。
それって、ルールの奴隷ですよね?
なぜなら、昔の奴隷がムチで叩かれるのは、「こう動け(ルール)」から逸脱すると、
ペナルティーとして罰を受ける、罰を受けたくないので、ルールから外れないように
【ふるまう】。

※んー、いくつかの論点が混在してるのに気づいてるものの、うまく説明できない。
俺はそういう奴だ。正しい翻訳者がいなければ、自分の考えをうまく伝えられない。
間違った解釈をされ、その解釈は、かしこく解釈されるものの、それは華麗なほどに間違いで、
もっと違うところを指摘してるのに、かしこく完結されて、話を終えられてしまう事、多々。


最近、とあるニュースで、『自転車操業』という事案を報道していた。
時々耳にするものの、自転車操業って、なんだかシックリこない。
この単語でネットで調べると「動きをやめると、破綻する」状態を言うのだそうだ。
ここだけに視点を置くと、何も“経済活動”的には、問題がないと思うのだけど?
だって、経済って、何かの動きがあり続ける事で達成される、期待される事なので、
動きが止まる事は、全く期待されておらず、動け、働け、考えるな、手をとめるな、
ではなくて?

俺なりに、自転車操業を、もっと理論的に簡単に説明してみると、
「本来の目的とは違う目的に変換されているのに、
さも、本来の目的のようにふるまわれて、それを知ってるのが操業している者のみ。」
うー、これで伝わるかどうか、合ってると思うのだけど。

出資すると、後で配当が得られますよ、という提唱者が操業(奴隷を扱う操作)者、
それに共感・共鳴・賛同者が、操業者にお金を払う、
すると、確かに、お金を払ったら配当があるという説明どおりに確かに配当がある、
(ネット掲示板を見てると、「そのとうり」と書いてる奴、ムカつく。その“とおり”だろ。)
では、そのお金はどこから来てるかというと、
出資によって、運用されたお金ならば、“本来の目的通り”のお金なのだけど、
それを知らずに受け取ってる出資者。
何を知らないかというと、その配当金は、後に続いてる新規の出資者の出資が、
配当金に充当(【変換】)されてるので、新規の出資者も、
本来の目的は、投資の為に払ってる、しかし、実態は古参者の配当金に使われてる、
すべてを把握してるのは、それらルールを知ってる使う者(ルール側)のみ。

………この仕組み、なんか、どこかで聞いたゾ。
【年金(老齢年金)】じゃねーか!!!!

年金制度がどうの、開始した時の最初の受給者は、一銭も払ってなくても、
笑顔がホクホクと出るほど自動的にお金が貰えて、
では、開始した時の人たちも、それだけ貰えるのだろうと納税したのは、
『納税したお金から、自分たちに返ってくる』と思ってたからに違いない。

いやいや、年金制度とは、イコール、【自転車操業】という、止めたら死ぬ制度だ。
だって、かしこい解説者やお役所や政治家たちが、
「年金は、自分たちの為に積み立ててるお金ではなくて、今、受給してる人たちに
払うのが年金だ。払う人が少なくなると、将来もらう年金額が減る。
減らさない為に必要なのが、払う人数を減らさない事、それでも減るなら、
分母の減った出資者、一人当たりの負担をさらに増やす。」

…これで間違ってない?
これ、自転車操業って状態じゃなくて?
新規納税者が支払いを止めると、古参者(年金をもらう「有 権利者」の配当(年金)は止まる。)
逆に言えば、自転車操業だろうが、お金が回ってくれば何も問題がない、その程度の話か。
ちょっと話は変わるが、よく、お寺や神社にいくと、そこに寄付した人たちの名前が
石碑に刻まれてたり、鳥居に書かれていたりする。
恩着せがましい事を言うのなら、毎月ないし隔月の年金日に、ゴチャ混ぜのお金ではなく、
数百万人分の名簿と共に、個々人の税金からいくらが足されて、この数万円から数十万円が
達成されているか、お金の【理由】を開示し、納税者側も、
誰々さんと誰々さんという受給者に、いくらいくら、あなたの税金から払われてます、的な。

うぅ、違う。
こういう限定的なための話をしたいんじゃない。。。


理論とは、科学と同じ。
俺の考える科学とは、「誰がどうやっても、そうにしかならない」もの。
物理法則・自然の節理、絶対的なもの。

つまり、誰かのやり方次第で、結果が異なってしまうものは、
証拠にも証明にもならず、そのやり方なら、誰がどうやっても、
その結論にいたる仕組み、法則。

よく聞く、裁判というものは、「法にのっとり」なので、
極力【感情】は排除される。
しかし、理不尽と感じる判決は、後を断ったことがない、これは事実。
事実なので、それは「今の裁判とは、理不尽を伴う事多し」という理論的な正しさがある。

理論同士がぶつかる時、それはその理論が間違っているか、どちらかがウソをついてるか、
「そもそもそ、【そこ?】」な部分で争ってるので、腑に落ちる回答になるわけない、とか。
例えば、これも話は違うが、最近のニュースでいうなら、自衛隊の日報問題、
当時の稲田大臣が「本当にこれで全部でしょうね?」と部下に確認。
ところが実際には、公開されなかった日報が出てきて、今問題になってる。
本当にこれで全部でしょうね、と聞いた部下は、さらに別部署に、
「たびたびお手間とらせて申し訳ありません。日報の件ですが、他にございますか。」
程度の、ちょっと手があいた時にでも探してみてよ、のニュアンスで伝達。
圧倒的な指示とは受け取ってない、直接的な指示とも受け取っていない、であったり。

裁判は、感情が排除されるというが、どちらの味方でもない、という人たちは、
どちらの味方でもないのだから、白黒をつける立場にもない、という理論が成立する。
これのインチキを正常化するのなら、理論が必要だ。
【理論的に正しい事には、同情もするし味方もする。それで判決を出す。】
双方の言い分どうこう、これが「あくまで第三者・客観者」の立場からの
モノの見方をすると、本質にたどり着かず、両成敗になりやすい。
圧倒的に理論的な案件であっても、なんだか、相手のある事だから程度で、
諭される、諭される筋合いのない事でも、承服させられる、理不尽な世界。
何も裁判でなくとも、警察に相談に行っても、…んー、違う、

つまり、これらは【仕組み】である。
法律がそうなってる、→だから? なぜ法律はそうなってる?
本当に理論的なのか、誰かが理不尽に利益を受けられる仕組みになってないのか、
白黒つけられるものを白黒つけず、白黒つけられないものに白黒をつけて、法律では、とか、
議論の余地があるものを、法律で決めているなら、裁判っていらないよな、
法律でどうなってるかだけを確認するだけなので、裁判官の裁量で判断される筋合いもない。
ここに、法律の正当性(それが作られた根拠)と裁判官の間違った客観性、

んー、違う。

お金がないと、服が買えない、食べられない、仕事をして対価(お金)を得る、
この仕組みを疑わない時点で、【奴隷】というか。
武士の時代でいうなら、浪人はバカにされ、侍は偉いとされる。
侍は、漢字通りに解釈するなら、どうやら、お寺に雇われてる従事者らしい、人偏に寺だから。
…アレ?
誰かに従事するという事は、自分には決定権がなく、使われてるだけの存在であり、
すべてが雇用主の都合で動かされる存在、それが侍なのだから、奴隷である。

浪人は、雇い主がないが、身分さえ証明できれば、実力でどうとでもなる。
時間的拘束も、自分の裁量であり、誰かにあれこれ言われる筋合いもない、
合意形成の時のみ動けばいい。
【動き続けなければ止まるのではなく、動きたい時に動ける自由がある。】
これは理論的に正しい。
野球で、打率がてんで低くても、得点圏に走者がいる時に、100%のヒットを打ってた場合、
総合評価は低くとも、点数が欲しい時に100点の動きをしてくれる、普段は凡打量産でも。
では自分がヒットを打って得点圏に居ればいい、かというと、そこで後続バッターが
ヒットを打ってくれなければ、無駄足になるわけなので、なんて言ったら伝わるやら…。

俺のおじいちゃんは、仕事をせずに、パチンコ・イルカ食い・ドジョウ食い・ヘビの骨食い・
気ままに生きてるのに、息子(俺の父含め)・娘は立派に成長。
ボンクラはおらず。
そんな生活しているのに、借金もない。
しかし、父が多額の投資話に騙されて、多額の借金。
な~んにもしてないおじいちゃんは、機転を利かせて、さらに借金をさせて、
小さいながらもテナントを作り、その収益で父(息子)の借金返済。

常時フルパワーな人生もあろうが、やりたい時だけやりたい人生もある。
個々人の裁量・技量(スペック)によらず、一緒くたに、
「AM8時~PM17時」勤務、拘束→奴隷、自分の融通は許されず、
仕事、仕(つか)え事、従事、従(したが)う事、…なんじゃこりゃ?
それでもいい、という合意形成が、【雇用契約書】だったりするのでしょうけど、
こっちの都合が介在できる場面をほぼ聞いたことがない、
向こうの提示してるルールに、承諾するかどうかでしか、ない。
お金もらえなかったら困る、仕事なかったら困る、という仕組みや発想が奴隷でしょ?
そこらに野鳥が飛んでますが、別に飢え死にしてない、好きに子作り、好きにさえずり、
さて、人間の畜産どうこう、これは楽をするためだよ、
だって、いちいち狩猟してたら安定しない、囲い込んで、人工的に繁殖数をコントール。
安定するものがあれば、他に時間を回せる。
仕事をする事が、安定収入なので、、、、という発想が、仕事の時間を
他に回せる、という発想というか、だって、洗濯機って、主婦を家事の重労働から解放を
目的に開発された文明で、…なんていうか、誰かのために従事させられてる時点で、
奴隷で、意見を言えない時点で奴隷で、主従関係なんてあるが、
これは、強者と弱者だとして、立場が決定するのか、能力が立場を決めるのか、
それが、強者だから、決定権があるだとか、弱者にも決定権があるだとか、
……違うと思う、強者、弱者、それは形態の話で、
もし何らかに見解が分かれた時、そこに理論があれば、強者も弱者も関係ない、
便宜上の優先順位であり、なんていうか、しかし人(に限らず)は、
管理者がいなければ、不正をし、その上の、そのまた上の、管理者、
んー、これも何か違う、複雑さは、口実にされやすいのだ、理論的な逃げ道と勝手な解釈で。

人類の発展は、「夫婦」によって達成されてきたそうだ。
一夫多妻制のような、絶大なオスとそれに群がるメス、という関係では、
メスを獲得するために、オス同士が争いをし、勝ち残ったオスだけがメスを従える、
メスもまた、強いオスを望む、しかし、先日のNHKスペシャルで紹介されてたものは、
「オス同士で喧嘩してるくらいなら、他にやれる事がある。」
つまり、この指摘こそが【時間の概念】であり、だったら、つがい、夫婦、として、
とっとと成立して、他の発展的な事に時間を割り当てられる。

さて、誰も病気は嫌である。
病気にかかりたくない。
ところが、ここにも不思議なロジックがあり、
「障害」だと、あってもいい事になるのである。
病気は嫌だけど、障害はあってもいい、って、障害と病気って、何がどう違うのかな?
「本来、そのスペックで生まれたからには、同立場と対等程度は習熟度が達成可能、
であるのに、なんらかの障害により阻害されてる状態なら、それは解消された方が
本人も望むし、この障害が個性だというなら、ガンになって激痛苦しむのもまた、
他の人にはわからん痛みを抱えてる自分、これって個性さ、なんて言ってるのはどう?
介護と医療を分けてるくらい、なんか違う、というか、
風邪で大学病院に来るなというのに、
そうかと思うと、市販薬で済ませたいのに、風邪で仕事を休みたいと思っても、
診断書だせ、と、会社は風邪をひいたら病院に行かせる、
いつも思うが、個人経営の内科の受診者の多さはなんなんだ、内科ってなによ。」

理論とは、弱者には強者と対等に戦える武器が必要、と考える事ではない。
これは、一見理論的には成立する、足し算引き算で、対等に見える。
しかし、これは理論ではない。
武器は、弱者か強者かによって、判断されるものではないからである。
使い方を知らない人間が持つべきではない、というのも理論的に見えるが、
使い方を知っていれば、武器を持っていいのかと論破されるのでこれも理論的でないとわかる。

もっと違うところ、建設的な事、わからんのだろうなぁ…。
 

感じた事のほとんどを書いてない、ここ最近。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 3月24日(土)14時57分41秒
返信・引用
  ほとんど、自分の中で「あっ…(まぶたが生理反応として大きく開く気づき)」と思っても、
それを文字おこしする面倒くささと対比してる間に、ついさっき気づいた事をもう忘れて
書けなかったり、ほとんどを、仕事中のみかんのスマホにメールしたり
(いつもなら掲示板に書いてたであろう事)。

…ちょうどいい(?)ので、みかんにこんな事を書いていた。

PCのHDDについて(俺の場合、多くは、それ単体でなく、全体的なものの見方の一例の視点。)

------------------------------------------------------
3.5インチ 6TB。昨日まで21,000円で、今みたら13,000円。8TBなら28,000円。
しかし4TBを2台(合計8TB)なら18,000円。 「最善(適)解」を見極めないと、な世界。
利便性を考えたら2.5インチ一択。
では容量単価と利便性で最適解を見いだせればいいかと言うと
「保証期間」という概念も乗っかってくる。
1,000円高いかどうかで2年保証が5年保証になる製品がある。
これが数学なんだと思うが、俺には対応できる武器がないので、
今のニーズに納得を得られるかで判断するしかない。その中には、
「計算上は間違えてる」事もある。
------------------------------------------------------

まで。

どうも長文をケータイ系の端末に送ると、「文字化けで読めない」と言われる事が
多々あるので、いつも、我慢する。

さっき送ったメールは、我慢したので、そこで終わったが、今も考えてる。
きっと続きは、以下だ。

------------------------------------------------------
ウメハラというプロゲーマーが青年から立ち話で相談を受けてた。
「今までやってきた事は意味があるのか。このままじゃダメなんじゃないか。」
それに対してウメハラは、
「それは意味、あるでしょ。(ここから俺の意訳は入る)
勝つことだけが理由なら、他の選択肢が最適解。
しかし、勝てない事が悩みで岐路にいる時、なぜ自分はその選択をしてきたのか、
そこに理由があるはず。(意訳終わり)。
逆に、今までやってきた事に、説明ができないんだったら、
それは意味がないと思うんだよね。」

普通の人が、ウメハラ氏の考えを聞いたら「おぉっ」と思う。
俺も思ったので、俺は普通なんだろうな。
しかし、俺は、自分の考えを、自分で論破する作業が入る。
論破されてる時点で、その発現に説得力があるのかどうか→で、論破した自分の視点にこそ、
考え方にセキュリティーホールがあり、そこを指摘すると論破不能な自分、
ここで初めて、自分の納得に近くなる。
しかし、論破不能のまま、何かの違和感が消えない時は、ずっとどこかで引きずってて、
それはやはりオカシイと気づいた時に、堂々と表現してしまった自分に恥じる事もある。
恥じるだけならいいが、俺の尊敬している河合隼雄先生的に
「100点以外はダメな時がある」状態に陥ると、多くの人が『お前に勝ち目ないよ』と
評価しても、「本当にそうなんだろうか」と→これは0点になるか、マイナスになるか、
95~99点あたりの話を延々していてはダメで、100点として、突きつける必要がある場面、
自分にも相手にも、相手がいないなら自分の納得に対して。
自分の納得が、相手が黙る事に繋がったり。

さっきの普通なら「おぉっ」の話。
今までやってきた事には意味がある、説明ができないなら意味がない。

→俺は、この話は、【矛盾】していると、聞いた瞬間に直観したものの、
周囲の反応で、TV画面をみながら、無意識に同調反応してる自分。
(TVや講演会で、ウンウンと首を縦にふるオバチャンではないが…。誰に向けてんだよ、な。)

今までやってきた事に意味がない、という説明ができれば、意味があるわけだ。
つまり、無意味・無価値な事でも、理由を説明できれば、すべて意味があるという話に…。
「それは違うんじゃないかな」と思う。
時間は誰にも等しくながれ、それぞれが選択し、今に至り、これからも、
その過程も結果も人それぞれだけれど、同じじゃなくても『意味』があるなら、
それは、『誰かから評価される事なのか?』つまり、
「やはり意味がない」と、自分が思うのであれば、それが【解】だったりする。
言葉遊びしてるんじゃないんだよ、俺はソッチのネチネチのいやらしい屁理屈系と違う。

バブルが弾けてから、リスクマネジメントどうこう、
とにかく、リスクのあるものに手を出さなければ、被害は最小限に済む、
という考え方のもとに、再び、日本経済は浮揚し続けている。

が、俺は雰囲気でしか話せないのが、俺の情けなさ。
今の経済が再浮揚してるのは、リスクを減らす事に主眼があった場合、
リスクで失った分を取り戻し、プラス・マイナスで相殺される段階、「まで」の
中にあるに過ぎず、元々マイナスの中にあっても浮揚してる事を数学的にはプラスと言うが、
相対評価した場合、…そうか、それでも【納得】があれば、それでいいのかな。

「それでいいわけがない。」という、新しい価値観や概念を生み出す人たちの出現は、
それまでの考え方を否定し、「納得させられていた。騙されていた。」事に、
気づくかもしれない。

最近の授業は、覚える学習から、考える学習にシフトしているという。
歴史を例に言うと、何々がありました、それは西暦何年、から、
「なぜ、そんな事になったのか、時系列で経緯を考えて、ストーリーとして覚える。」
みたいな事をTVでやってるのをフガフガ見ていたが、そのオチが、
『なるほど~。これならわかり易い。覚えやすい。』なのである。

……え?

それ、考えるのが目的になってなくない?
なんで経緯を知る事と考える事が一緒になってしまうの?

そうではなくて、
「なぜその経緯になったのか、他の選択肢はなかったのか。」と、
歴史すら疑問に思う視点、今の評価、当時の評価、等々、…はっ、急に疲れてきたので投稿。

の、前に、また少し浮かんだ。
ネット記事で「週休二日制っていいものか?二日でやっと心身の疲れがとれる。
3日目でやっと自分の時間が持てる。だから週休二日制では、
文字通りの休みしかできず、遊興の時間が持てない。」これに60%が賛同してるのだとか。

う~ん、理論のない話だ。
仕事の中身はそれぞれ違うのに、それぞれが共通の単語を用いて、
さも議論が噛み合ってるかのようだけど、内実は違うわけだよね。
もし週休二日制で二日でやっと疲れが取れて、3日目で遊興の時間というなら、
二日間は、人生において完全にロスだ。
いや、むしろ、二日間の休養が必要な仕事に就いてる時点で、
その人の裁量に見合ってない事と、視点を変えるべき。
その人の問題なのでなく、…なんていうかな、俺の話は人を選ぶ(わかる人)。

それとさっきのリスクマネジメントどうこう。
俺はPCでレースゲームをするが、いつも楽観的な自分に苦しめられる。
「それ以上加速したら曲がり切れない」と、ちゃ~~んと認識してる自分がいるのに、
「まだなんとかなる」という、絶対に超えてはいけない一線を超えやがる自分がいる、
…そして結果は、外壁に激突、車は大破、
もしこれがゲームでなく実物だったら何度死んでるか。

ゲーム、だからいいのである。
「やり直し」が利く。
これは、トライ&エラーの考え方に似てる。
「なんで、最悪の結果になる事をわかってるのに、それでも突っ込んで、、、ホラやっぱり
事故った。」これをゲームしながら、自己嫌悪に陥る。
なんで一線超えるんだ、なんでダメだとわかってるのに突っ込んでいくんだ、、、

「はっ…!!」(思い出した自分)

『奥村君は、どうして怒られる事をわざわざするんだ。』
『おくちゃんは、どうして言わなくていい事まで言って、結果的に苦しんでるの?』

これは相対的な話で、自分の話ではないが、偉大な発見は、
「それはダメ」だと、自分でも認識してる方法を、こっちはワザとでなく、間違った時、
思いもよらない結果になり、それがノーベル賞に繋がった話は多々聞く。
リスクを回避するのは賢い人たちなのだが、賢い人たちから、
何かの発見を聞く事は、少ないと思わないか?
賢いだけに、『それより・それ以上』を求めず、安全圏でループする思考、
「同じ失敗を繰り返さない」事は賢さであるが、同じ失敗を繰り返さない人を知らない。

ん、なんか違うな(自己論破)。
みたいな、事をメールで送れないんだよな、「文字化けして長文は後半読めない。」
というか、俺の問題は、なんの話をしてるのか、辿れない。
書いてる事を、言ってる事を忘れてしまう、あぁ、生きづらい。
 

気づいたら、誰もいない。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 2月24日(土)11時00分14秒
返信・引用 編集済
  ひとりぼっち。

何か新しいものの先駆者(昨今の事例で言うと仮想通貨の、値段のない発行始祖段階)であれば、
後からきた人たちがワーッとなだれこんできて、先駆者は高見の見物で売り抜ける、
いつでも先駆者で、寂しい思いもしない。

そうじゃない先駆者たちをみていたり、体験したり、なだれでもなかったり、そんな私。

ケータイを使わず、今ではスマホであり、いつのまにか、どこかにか、
ボケッとしてて、気づいたら、アレ?誰もいない、そしていつも思う、
『みんな、どこに行った?』
ネット初期の掲示板、平日のほうが書き込みがあり、土日は書き込みが減る、
逆だと思った、土日こそが時間があり、…そうか、ネットの書き込みは仕事で、
土日はネットも休みにして、リアル友達と遊ぶのか、どこで何しに?
自分は、なんらの情報も得られてないまま、みんながどこかで何かしてる、
そこに誘われることもない、あれ?
情報は今は氾濫しているし、何十年も前から、むしろ『情報過多』なんて言われてるけど、
すでに死語、全く情報が多すぎる事の弊害を聞かず。
みんな器用なんだ。

不思議なOSがある、Windows 8である。
自作PCを扱っているので、先駆者的にWindows 8を導入した。
Windowsは、バージョンが更新されるものと思っていたからだ。
Winsows 10に無料でアップグレードするためには、ある条件があった。
その当時、自分は、その対象であったので、Windows 10をダウンロードした。
あまり気持ちのいいものではなく、Windows 8の上に成り立ってる10なので、
10だけの、まっさらな状態のCドライブを構築したいと思いつつ、
そのまま、だらだら10を使い続け。

先日、PCが絶不調になり、原因究明に疲労困憊。
SSDが犯人と突き止めるまで。
Windows 8の製品ディスクを持っているから、インストールしたら、
「インストールの途中ですが、これは危険なPCです(要約)」と言われ、
案内されたのは、Windows 10の公式購入サイト。
無料配布・アップグレードの権利があるのに。
つたなく、なんとかネットにはつながるので、つたなく、心細く、ネット検索ができたものの、
「Windows 10の無償アップグレードは2016年10月に終了しました。」
みたいな、公式、メーカーPCサイト、個人サイト含め、こんなものばっかり。

そしたら、見つけたのが、『Windows 8.1』なら、今でも無料で10にアップグレード可能。
…あの、ボクはひとりぼっちなんだ、Windows 7は無料アップグレード対象なのに、
その次のWindows 8を買った僕は、仲間外れさ。

キミたちに教えを乞うのはみじめさ。

Windows 8がダメで8.1なら対象なら、8をインストールした後に、
8.1に更新すればいい、このやり方、大変だったさ、
話せば長い。
ドライバーソフトどうこうを経ないと、まるでできるかのような案内なのに、
実際途中までできるのに、そのツケで疲労困憊。

この苦労は、Windows 10に2万円を払えば、何も苦労しなくていい。
権利があるので行使すると、誰も助けてくれない。

僕のような、漂流者へ。
(同級生たちは、休みの日にどこに集まってどんな遊びをしてるのか知らない。
どう考えても、田舎の地元で最も都会な場所(県庁所在地)なら、どこかにいるかな、
誰も見かけたこともない、そして、いまだに不思議なのが、
みんな、どこで服を買ってるんだろう。ここが一番売ってそうなのに、
誰も見たことない、みんな東京に買いにいくの?全然わかんない。
みんな僕のことを知っているけど、みんなの側であったことはなく、
踊っていただけだったんだな、僕は石の中に染み入る水ではなく、表面的な。
でも、ひとりぼっちを望んでる強い人もいて、誰にも群れなくて、孤高な人、たち、
寂しいとかない、目指しているものがあったり、それどころでない人たちにとっては。
浮いてるとか、空気読まない、とか、そこにもいない。)

Windows 8インストール→プロダクトキー入力、
うっかり、PC名とパスワードを入力すると、面倒なことになる、
「オフライン」を選択して、PC名だけ。
Windows 8から8.1のやり方がわからない→まさかの「ストア」に置いてあり、
(ここに至る前段階でWindows 10にできまっせ警告でるけど、それは有料のを買え案内。)
インストールしようとすると、「8のアップデートが全部完了してないから
8.1をインストールさせるわけにはいかないわ(要約)」、
いちいち8に適用されてるアップデートを何時間もかけてネット経由でインストール。
ところで8の権利情報みると、「無効」とか言われる、まるで【棄民】扱いである。
8.1のインストール権利を得たので、やっとインストールが始まると、
ダウンロード中の表示だけされてて、タスクマネージャーみると、何も処理されてない。
では、当時のドライバーをいくつかインストールして再起動すると、
どれが正解だったか不明だが、今度はインストールできるようになり、8.1になった。
次に、8.1の更新情報をみると「更新可能なソフトはありません」と表示される。
これは8の時もそうだ。
ところが、手動で「更新を確認する」とやれば、出てくる、出てくる…。
しかし、8の時はそうして8.1を手に入れたが、今の本丸は10の導入なので、
律儀に8.1の更新を全適用するのはバカだと思い、さあ、10をインストールするぞ、

…?

どこで?

Windows 8の時は、「ストア」にWindows8.1が置いてあった。
8.1の「ストア」を探しても10が見当たらない、なんだったら、
8.1の人は、10の選択肢を知らないままにもなる。
アップデート更新によって、自動適用されるのかと、面倒でも、
手動で8.1の更新ソフトを探したら、その一覧に「Windows 10」になるようなものは、
全くなくて、またネット検索したら、その「2016年に、とっくに無料配布は終わってるから」
情報ばかり。

いや、こっちは、すでに当時、期間内に更新してるから、再インストールしたいだけ。
どこからWindows 10が手に入るのか。

…すっごくわかりにくい、マイクロソフト公式サイトの、質問コーナーからのリンク、
そこにもしつこく、「2016年に無料配布終わってるから。」
こ・れ・は、どいつもこいつも、どの案内サイトも個人サイトもメーカーPCサイトも、
これは、確かにそうなのだけど、前提条件として、2016年以降に
Windows 7・Windows8.1(俺の8は単体では論外にされてるわけで)、
今から無料でダウンロードはできないよ案内なのであり、この言い回しが卑怯な誤解を生む。

【終了以前に登録手続きを済ませてある人は、その後も無料で10をダウンロードできる
権利は消滅していないので、2016年以降は無料配布は終了した、の対象者は、
その手続きをしてなかった人だけなので、手続きしたのに、
もう一度ダウンロードしようとしたら期限切れ、また手に入れるには
製品版を購入しないといけないかのような情報であふれかえってるのはどうかと思うぜ。】

MediaCreationTool


コレ見て、このファイルがWindows 10のダウンロードソフトって気づくか?
しかも案内されたのは英語サイトからで、本当に自分のPC向けなのか、
いくつかバージョンがあり、64ビットのはずだと、自作PCしてたからわかったけど。
ダウンロードして、この実行ファイルによって、まさかの
「Windows 10」をインストールできる状態になった。

しかし、ここでもまだ騙されてはだめだ。
まっさらのWindows 10の環境を作りたいのだ、Cドライブに。
要するに、製品版のWindows 10を導入したのと同じに。
このまま素直に選択していくと、8.1の上に構築された10になってしまうので、
すべての8~8.1情報を削除するためには、いくつかやり方があるっぽいのは
気づいたものの、俺は意図せず適用できたのは、
8.1の上に構築されたWindows 10が起動されて、
「設定」画面から、【更新とセキュリティー】→【PCを初期状態にする】 こいつだ。

これで、個人設定、アプリがどうの、なんちゃらかんちゃら、全部無視。
「完全に、CドライブはWindows 10しか、なかったことにしろ」状態に、やっとできた。
そうでなければ、「Windows.old」などというフォルダが勝手に
Cドライブに残り続ける、容量もそれなりに食う。

Windows 10の苦労話しはここまで。
それだけではないんだ。
いろいろと、仕様が変わってるんだな。

気づいたら、誰もいない。
3.5インチHDDを外付けUSB接続で使おうとすると、なかなか見当たらない。
やっと見つけたと思ったら、随分古い、2011年製であったり、
サポートしてるOSがWindows 7だの、販売終了だの、
3TBまだのHDDをサポートだの、今時10TBだってあるのに。
何がどうなってるのか、ここにニーズがあり、今でも使っているのに、
気づいたら、誰も3.5インチHDDなんて使わなくなってたんだな…。
外付けといったら2.5インチなのか…。
これならいくらでも製品が出てくる。
3.5インチのUSB外付けHDDなんていくらでもあるだろ、あるけど、
俺はそういうことじゃない、完成品ではなく、単体で3.5インチを接続するものだ。
それを入れるUSBケースならある、しかし、それごとに用意するのは違うんだ。
ACアダプターのことがわかれば、…で、なんていうか、もう、雰囲気として、
そういうことじゃないことになってて、俺のほうが適応しないといけないのかなって、
よくわからない、だって、そしたら違う流れみたいな、
その昔、小室哲哉が「え?まだカセットで聴いてるの、今時MDでしょ。」
そうじゃない人は、うわっ、恥ずかしい、な状態にされ、
で、そのMD、今どうなってる?
俺、特別な話してないよ。
 

お金の価値が下がってる、のではなく。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 1月23日(火)17時36分29秒
返信・引用
  最近、外国人観光客が多いと誰もが感じてる、単純に考えるなら日本へ観光的な魅力よりも、
『円安』なので、手軽に安全な旅先の選択肢の候補に挙がり易いと思う。

みたいな、月並みな話しは置いといて…。

【経済】ってなんなの?頭のいい人たちが雁首揃えて、買いだ、売りだ、
「それが経済の常識」とか話してる。
例えば、経済の健全な状態とは、緩やかに物価が上昇し、成長し続ける事、だと言う。
これは、動き出したら止められない、ブレーキの壊れた自転車をギア比だけ変えて、
未来永劫、漕ぎ続けろという話しなのか? 経済学者よ。
成長し続けなければ経済が成り立たない、というのも、根本的な欠陥を抱えてる。
ゲームを例に考えると、ゲーム会社は、新しいゲームを開発し続けなければ、
収入が見込めない(開発の手間を省く、ゲーム内課金は、逆にユーザーを守銭奴にしてるが)、
ところが、食べ物は毎日消費するので、何か新しい食べ物を見つけ続けなくとも、
確実に売り買いの経済活動が成立する(新種の開発や食べ方の概念の開発はあるとして)。

成長し続けなくとも、需要と供給が釣り合っていれば、それで世の中は回るはず。
成長し続けないといけない、のはナゼなのだろう。
生命の進化のように、時間とともに、要不要でさらなる進化・淘汰、退化されるもの、と、
経済の概念はリンクしない。
なぜなら、どうも経済学者のいう「成長戦略」どうこう、物の値段があがる事を言ってる。
2%の物価上昇を目指し~、給与に反映されるまでタイムラグがあるので、
高いと感じる期間をできるだけ短くして、上がった分の物価を高いと感じなくなるように~、

ウソじゃない?

物価という言葉を使っているのに、内実は「算数的な数字のカウント数を増やしてるだけ」。
つまり、数字は実態ではなく、ただの指標にすぎない。
法律って、作る事は目的ではないのに、法律はきっと増えてる。
間違ってた概念や、実態に合わないものは削除されるべきなのに、きっと増え続けてる。
最近ニュースで、広辞苑が発売され、何万語だったか、新たに追加されたとの事。
では、言葉が増えた事で、増えた分、日常会話での語彙数は増えてるのか?
可能な発話数は物理的に限られているわけで、表現方法が豊かになったのだろうが、
逆に、同じ時間に過去は使っていた言葉の代替語なら、それは淘汰されなければ、
(ただのデータベースとしてならどんどん追加して【歴史書物】にすればいいが。)
歴史の教科書のように、後世になればなるほど覚える事が沢山、
縄文時代の人なら、縄文時代だけ覚えておけば100点取れるのに、
彼らは、その後何千年後分も歴史を覚えないといけない、…そんなバカな、
未来人ほど背負うものが多くなる、そうではなく、それら礎(いしづえ)を『利用』する事が
文化であり、背負い込むという負担では、何かが間違ってないか疑うべきで。

アンパンが、昔は20円で買えた、という話し。
もし内容成分が同じなら、例えば120円で売ってる同等のアンパンは、
6倍の価値があるのだろうか?
…お金は実態ではない、という証明がこれで簡単にできるわけだ。
経済が成長すると数字のカウントのみ増える、これは数学的にも扱う数字が増えるのは、
面倒だしややこしくなる、しかし、経済ってものは、そこを勘案しない概念なんだな。
当時20円だったものが、現在は120円、である、これが数字に実態がないという証明。
なぜなら、『当時20円 イコール 現在120円』と言ってるわけである、
これは、数字が全く違うのに、イコールである、と、算数ではおよそあり得ない状況である。
当時の人は、120円を出さないと、今のアンパンは買えない、
今の人は、たった20円を出せば、当時のアンパンが6個も買える、、、…のではないわけだ。
単純に、数字の見かけ上のカウント数が増えるほど、1円当たりの価値が下がっている。
数字が増える事が経済成長だと言いながら、1円当たりの価値が下がり続ける事を
経済成長だって、そういう話しをしてるんじゃないのかな、経済学者たちは。

ちゃんと【対価】というものを精密に考える必要があるように思う。
だって、経済って、数字が違うのに、1円と1ドルはイコールにならない。
数字は実態ではなく、ツールとしての指標なので、どうとでもなるはずなのに、
それを「お前ら勝手に決めていい」、これが自由主義?経済、というものだから、
国際規格の、キロメートル、キログラム、時間、そういうものを制定しないと、
ヤードだインチだ、なんだデシリットルって、小学校の理科で教えられたが、
デシリットル表示で売ってる飲み物とか見た事ねーっつうの!!!
升やらダースやら、いい加減にしろっつーの、淘汰されていい、
そういう事もあったよね、の歴史のデータベースで保存しておけばいい、
日常使いに全く不要、不要どころか、混乱の【そもそも】を招いている、
『好きにしてくれていい』こそが。

今回の書き込みをしようと思った理由がいくつかある。
PCパーツの値段が、とにかく高いと感じる。
さっきのアンパンの話しから転じた話しだが、逆にHDDは“当時”、250GBで2万円で買っていた。
今2万円出せば4TBのHDDは射程圏内にある。
しかし、2万円で4TBが高い、と感じるわけである。
性能が上がってるのに同じ値段なら、低い性能な高額を支払ってた時代は、
それはさっきのアンパンの話しと逆で、「発展途上の段階での出来事」であり、
同じ金額でも性能が向上しているもの、すると、性能比当たりの単価が下がってくれてる、
これこそが【礎】の上に成り立ってる状態であり、単純な性能比較で、
「あんな低スペックに2万円も払ってたのかよ」は、過去の事になる。
しかし、今は4TBが2万円を高く感じる、それは、当時と異なり、
扱うデータ量がそもそも増え、しかも、円高と言われていた2011年時は、3TBが1万円で買えた。
今は2018年である、あれから7年も経っている、3TBが1万円なら、
6TBのHDDが2万円で…、買えないのである、それどころか、単価が上がっているのである。
これでは【礎】の上に成り立ってる文明とは言えない、間違いなく【自由な経済】が
やらかしてくれてる。

国際規格として、「今現在、この性能なら、この対価でいいよな?」
を世界共通の価値として制定しなければ、「経済」なる実態のないものに任せていると、
同じ事をしているのに、同じ評価をされない、これは【不公平】な事である。
俺は胡散臭い話しをしてるんじゃない。
かつて、日本がバブルと言われてた頃、人件費が安いからと、中国生産が増えた。
……「そりゃ当然」という、収支だけ見てる経理的な発想では気づかない違和感。
なんで同じ作業をするのに、払われる対価が国・人種によって異なるの?
差別撤廃どうの、そういう人権屋さんが、経済学に喧嘩を売ってる場面を見た事がない、
せいぜい、発言がどうの、残業代払えどうの、…いやいやいや、
同一労働・同一賃金、これ、国が同じ、日本国内で、同一労働・身分の違う人間には格差賃金。
「与えられてる責任が違うのに、いつでも休めたり、定時で帰れる人たちと同じ賃金では、
逆に不公平だ。正社員と同じ責任をとれない人たちに、同じ給料は不公平だ。」
…その発想、そもそもを疑わないのが、自発的奴隷なのではないのか。
【私はこんなに頑張ってるの。あなたの苦労なんて私に比べたら全然苦労じゃない。】
この努力論というか、じゃあさ、例えば、なんで、お前は100メートルを9秒で走れないの?
どうやら、個々人、努力・やり方・能力が違うようだ。
これは、さっきのPCのHDDの話しだが、頑張りが評価されてしまうと、
高度な勉強を苦も無く、むしろ楽しくこなしてる人と、昭和な話しで言うと、
英語の単語を覚えたページは食べて勉強してた、なんて例え話、
サラサラとこなせる人から見れば「何やってんの?」であり、
どっちが頑張ってるかと言えば、印字された紙を食ってる方が苦痛を伴っている、
頑張り イコール 苦痛 というのも、そうである時とそうでない場合もある、
この、~な場合と、そうでない場合もある、という理論的思考がない人たちが、
目先のかしこさで世の中や接する人たちを断罪してるが横行してる常。

「結局、何が言いたいの?」と、俺は聞かれてしまうのだろうかな。
ひとつわかっているのは、結局何が言いたいのかと問う人は、何が言いたいかと質問しつつ、
傾聴しない(自分の持ってる答え)事が確定してての質問と、何が言いたいのかを、
相手に求めてる時点で、自分では考えてみない人、考える人であるなら、
この人は何を言いたがってるのか、に、ものすごく頭を使う、それをしないで、
相手に求めて高みの見物、「やれ」→「はい」の奴隷関係ではない、質問者は別に偉くない。
「説明していた事が、何を言ってるのかわからんのに、なんで理解できる頭が
急にもてるわけ?考えるのが面倒くさいから相手に要求するなら、質問には質問で返すしか。」

俺は貯金が100万円(空想としての)ある、のだが、これが100万円の気がしなくなっている。
数字上は同じ100万円である。
ところが、今現在、100万円というカウントされた数字の【価値】が下がってると実感する。
数字が多い方が、『今の時代有利・経済の中にある』のなら、せっせと大切に貯め込んでた
お金、やっと思いで100万円を貯金していたのに、今の時代、
「賃金上げろ(見かけ上の数字の話しで、お金の価値を正当に評価しろという要求じゃない)」
って奴は、ベースアップどうこう、イタチごっこというか、
物価があがりました→賃金あげろ、また物価があがりました→賃金あげろ、
…はいはい、見かけ上の数字は増えましょうとも、そのおかげで、
俺の100万円の価値は、どうにも下がっていると、このごろ感じるんだ。
間違ってない感覚だと思う人に、伝わればいいなと思うのです。
今の方が100万円という、価値じゃないよ、数字として100万円という数字を達成する方が、
数年前に貯めた100万円より簡単になってる気がするんだ、だから、
みかけの数字が同じなもんで、当時の100万円、もっと苦労して達成したのに、
【見合わなくなってる】と感じる、これこそが、価値の保証のない『自由』な間違った経済、
なんじゃないかと思うのです。

オークションは自由価格なわけで、普通の人なら廃棄処分なものが、何千万円の価値と評価。
その物に対しての相対的な価値と、絶対的な価値に差違がある事は、問題ないのだろうか。
価値をどう評価するか、個々人のニーズのはずなので、しかし、不当に高い評価、
不当に低い評価、これはいけない事だと誰もが感じるはず、それならば、
価値は個々人が決めればいい、この考えと矛盾してくるわけなのよ、
【自分に関係ないからお好きにドウゾ】なんてスカしていても、
自分に関係のあるものになったとたんに慌てだす、うん、矛盾だな。
 

意外でもない?(ウーマン・村本を弁護→論破)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 1月18日(木)11時25分27秒
返信・引用 編集済
  元旦の「朝まで生テレビ」で、芸人のウーマンラッシュアワーの村本さんが、
『だって、沖縄は元々中国のものだったんでしょ。』と発言しネット界隈が大騒ぎに。
ほぼ批判的な意見で。
『僕は非武装中立。人を殺さなければ自分が生きられないなら僕は殺される。』
『中国が攻めてくるっていう意味がわからない。
中国の友達も日本に攻める意味がないと言う。』
これらも。

ほとんどのネット掲示板の意見は、“かいつまみ”というか、見出しで書き込み。
俺は、この元旦の朝まで生テレビのフルで録画してるので全セリフを把握できる状況。

ほとんどの人たちは「無知は恥」「すでに議論済みの問題を、また最初からでは、
いつまで経っても先に進めない、先人たちの知恵の上に成り立ってる。」等々。

俺は、村本に似てる部分がある。
三浦瑠璃って東大卒の、いつも議論を分析して客観に努めてる評論家がいるが、
この場面への分析は、その場にいた誰もが気づいてなくて、よくぞそれを拾った、と、俺は。
『村本さんは、敢えて無理難題を吹っ掛けて、すでに答えを持ってる人たちが
どういう反応をするのかを試した。それに成功したにすぎない。』、のような指摘。
これは俺に限らずなのですが、子どもというのは、成長過程において、
「どこまで、どうすると、どうなる、大人からはどんな反応をされるか」と、
実験的に試す事がある、どこまでやったら怒ってくるのか、等々。

勿論、そればかりではなく、敢えて、『なんで、“そういう事になってる”ありき?』
という、俺はこの掲示板でさんざん使ってる単語としても、【そもそも】の指摘、
これは、おかしいじゃないか、の場合と、なんでだろう、という素朴な疑問からがほとんどで、
相手を批判する目的というより、納得を得たいので、それを吹っ掛けてオトナよ、
答えてくれ、俺を論破してくれ、という、ナナメ目線と評される事が多いが、甘えである。
批判は、時に、甘えがある、答えありきだから批判する人とは大別されるべきだが、
本当に知りたくて、混乱してる自分を相手にぶつけて、その回答で高みに推進したくとも、
「こいつは世の中に、不平不満ばかりいう。」というレッテルなり、物わかりが悪い、等々。

…で、彼を弁護する部分は上記の部分であり、その後の彼の発言や、
擁護する人たちの意見を聞くと、【俺とは決定的に違う】と感じてきた。
三浦瑠璃の分析通りなら、それでよかったが、彼は「中卒にしては、俺は頭いいでしょ」的な、
…う~~~ん、色々違ってきた。

俺は、物事を考える時に、【時間の概念】のないものは、論理破綻していると見抜く。
計算式に、【時間】が入っていないと、“そもそも”として間違う。
平たく言うと、経緯・いきさつ、という中にあって、それら(理論)は成立し得る、のに、
誰の言葉を借りたのやら、「それはそういうもの」と、考えてもみないで話す人たち、
「無知は恥」とは、物事を知らないと、同じ土俵には立てない、という意味だが、
無知を埋めるべく、常に学習し続ける事は、それこそが不毛である。

知識、なんてものは、俺に言わせれば、
【第三者が導いた情報】である。
情報は、重要である、情報がなければ、不利益を被る事も多々あるわけで、
情報は、重要である、しかし、情報は、情報でしかなく、【自分で考える】事とは
リンクしない。
つまり、知識が最小限度しかなかろうが、【考える】事に関しては、
同じ土俵であるなら、それは参戦可能である、という事である。
実際、俺は知識は非常に少ないし、よほど興味がないと、会得したいとも思わない、
だって、誰かの解なり、誰かの言葉を、なぞって話すなら、自分じゃなくてもいいわけで、
もし得ている知識が間違っているのなら、そうではない、と訂正されればいい。
訂正の手間こそが時間の無駄なので、村本クン、勉強してから出直しなさい、
という多くの意見なのだけど、奥村クン(俺)は、こう思うわけです、
【知識とは、探せばどこかに書いてある事なので、それは学ぶものではなく、
“参照”すればいいだけの事なので、それを脳細胞に記憶する手間暇をかけるのは、
思考として、センスがない、無知は恥なので、恥をかかないために知識を得る、
それはすなわち、『理論武装』ではなく、知識の構築によって、
何かの問題があった時に、その案件はどれに該当するか、の、あてがい作業、
前例参照、というか、それ自体は時間の概念として、“過程”にすぎないのに“答え”?
問題なのは、「それはそういう事になってる」で話しが終わっちゃう人たち、
一見考えてるようでいて、実はただの生き字引き作業しかしてない、これじゃ議論じゃない。
ピアノが演奏できなければ作曲はしちゃいけないの?ピアノを堪能に演奏できても、
作曲させてみたら、ただただ難解なだけで、ちっともココロに響く曲が作れるとは
限らないのはナゼなの?】

村本を擁護してる人に宮台真司(首都大学東京教授)って人がいて、
彼は朝まで生テレビで論破してきたと
豪語してるらしい。

> 「プラトンの書いた『ソクラテスの弁明』に出て来る、"無知の知"という有名な言葉がある。
> 無知であることを知っていることは価値があるということだ。
> 村本さんのことを『無知だ』なんて言っている人間は、
> 自分が無知であることを恥じるべきだ。だって無知を知らないんだから。
> 村本さんは、自分が無知であるということを知っていて、
> そういう切り口からモノを聞いているわけだから、ソクラテスそのものだ。
> プラトンの著作について教養のある人間であれば、
> 村本さんのことを無知だなんて言うことはあり得ないし、イコール、"クズ"だ」

……これが、論破してきたという人の意見なのだとすると、結局他人の意見を引用じゃないの。
仮に例示なのだとしても、この理論もまた“そもそも”として、論理破綻してる事に、
気づいてない、「無知の知」ですらない、
彼こそが、『答えありき』の、【自称“無知”です、考える頭は持ってます、
でも自分の気に入らないものには考える行為はしません。】という、厚顔無恥、ではなくて?
月並みにに言うなら、“批判のための批判”の権化、お前がその犯人じゃないか、と。

で、村本クンのスタンスを俺なりに理解でき“た”のは、俺とやり方が
重なってる部分であって、その後の彼の思考パターンがよろしくない。
俺は、何かを考える時、もう一人の自分がいる、自分の話しを論破している自分、
それをまた論破し返してみて、論拠の精度に努める。
みかんが言うには、「おくちゃんの文章はすごく読みづらい。
誰かからツッコまれないように、防衛線を張っていて、そうツッコんでくる事まで
想定して全部書いてるので、すごく疲れる。」

彼(村本クン)、例えば、先述したけど、
「中国人の友達がそう言ってる」→これは論拠として、【無知の知】に該当しますか?
この言葉には時間の概念が必要であり、この言葉の前に、そうではない意見があった、
だから、この言葉を持ち出した「でも、中国の友達はこう言ってるもん。」と。
…村本くん、それは自己矛盾じゃないか。
中国の友達がそう言ってる、【であるなら】、そうではないと言ってる人がいる、という事実、
【である“から”】、どちらが精度の高い事を言っているのか、意見が分かれているのに、
そこに【思考】が、まさに必要な絶好の場面であったのに、採用したい他人の意見を、
ぶつけてしまった、自分の答えとして投影してしまった、分析“すら”していない、
それが、俺と彼の決定的な違いだ…って、思ったよ、相対的に、俺はまともな方の【無知】だ。

バカは風邪をひかない、のではなく、バカは風邪に気づかない→故にバカである。
では、自分が風邪だと気づいていれば、それを免罪符に、
【自分の事は見えているので、そんなにバカじゃない。】と豪語できるのは、
“そんなに”の部分のみであり、そこにこそ“そもそも論”をあてがう発想がなさそうなので、
“そんなにバカじゃないけど、致命的に利口に成れない欠陥を抱えてる”とまでは気付けない、

…そうじゃない?
…違う?

「非武装中立」
沢山のツッコミどころがある。
中立とは、【平和】くらい、何もしない状況を言う。
問題とは、それに気付いたり不利益と感じる時に障害であるから、問題と感じるが、
それが問題であるのに、困ってなければ問題にならない。
「非武装中立」この単語、論理破綻している。
だって、中立なら何もしない立場であるのに、『非武装』と言ってのけている、
武装しない選択をしている時点で、中立ではない。
さらに、中立である事を論拠に、「こちらが何もしてなければ、何もされない」
という思考回路をしてるのが、村本クンなのである。
う~~ん、存在しているだけで、ちょっかいを出される場面ってあるよね?
いわゆる、人畜無害、すると、何もされないはずだよね?
でも実際はそうじゃない、イジメって、イジメられる方にも問題がある、
とよく言われる、これは正確ではなくて、『問題が、ある事もある、そうでない場合もある』
である。

武装しているから襲われる、武装していなければ襲われない、村本クンは、
こう考えているわけなのだけど、
コレ、時間の概念がないよ。
では、相手は武装しているとするよね?
では、村本クン、相手は武装しているのだから、相手を襲わない理由は、
村本クン、あなた、相手は武装しているのだから、襲わない理由は?
「相手が武装してようがしていまいが、ボクは襲わない、他の人はどうかは知らない。」
とでも言うのかい?
だったら、それは論理破綻してるよね。
武装するから相手が襲ってくる、武装してようが襲わないアナタがいる、
すると、武装してようが、してまいが、襲うか襲わないかは、
【相手の都合次第】という事になるわけで、武装してなければ襲われないという論拠は、
完全に崩壊するわけだよね?
 

つまんない話し(獲得した自分のスキルのメモ)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2018年 1月 8日(月)00時23分11秒
返信・引用
  車の運転。

これは、いかに車を安定して速く走らせるか、ギリギリを狙わない、
『物理(運転)が苦手な人(俺)による、運転玄人を目指す、運転素人の為のスキル講座』。
運転の概念は物理で説明ができ、ロールがどうの、ヨーモーメントがどうの、
ピッチがどうの、、、、…わかんねぇ、、そんな俺に。

【単純なコーナー】
これに対しては、アウト イン アウト(コース外側から、インをかすめて、また外側に)
と、
スロー イン ファスト アウト(強い減速からの、前のめり前荷重、操舵輪のある前輪を、
多目に切り込み、一気にコーナーの脱出ラインを見出す)
この二つが基本という事になる。

今の俺は、これに異議アリ。
もっと単純に考える。
決められたラインがあるなら、決められたライン上で、いかに素早く走り抜けるか、
小細工しないで。
アンダーステアにもならず、オーバーステアにもならず、
ひたすらに美しく、ニュートラルステアを目指す。
物理的に言うのなら、そんな一般論こそが不自然なのだ、減速するのなら、
60km/hから30km/hまでに、過程がある、どれだけハンドルを切るか、
切る量と速度で外側に膨らむ、それだけでなく、切る、これにも過程があり、
いきなりその舵角になるのでなく、だんだんにその舵角に到達する過程が減速と同時並行する。

単純なコーナー、「ん?」という直感の時は、ブレーキが必要と判断した時。
他の車は、俺の直感のタイミングではブレーキランプはまずつかない。
俺はブレーキをユルく踏む、前輪荷重を作る、ほぼ減速させないためのブレーキ、
これを【旋回(させるための)ブレーキ】と言う人もいるが、俺は、いつまでも
ダラダラ踏まない、前荷重を延々と欲するのなら旋回ブレーキと言えるが、
俺は、減速のためのブレーキ、ユルい ノーズダイブ→切り込み(まだブレーキ優しく踏んでる)
その舵角で十分に曲がれると判断したらブレーキを速やかに話してコントロールしたアクセルで
速度を保ち、脱出可能と判断したらアクセルを踏み込む、
この時のラインが、外側に膨らむであるとか、イン側をかすめるであるとか、
車がフラフラゆすられる挙動を、俺は嫌う。
とにかくニュートラル(線路を走るが如く)を目指す。
これを体で感じるようになったのは、この一か月くらい。
何十年も運転してるのに、何十年も運転うまいレーサーの動画観てたのに。

あぁ、話せば長くなるんだな、話せば簡単な事が、気付いた事のメモを。
ハンドルの切り方もしばしば議論になる、俺は、これにも解を持っている。
例えば教習所のクランクと呼ばれるコーナーが連続した場合、ハンドルを両手で切るのは
不可能であると、今ごろ気づいた、今日気づいた。
フォークリフトのハンドルには車輪の取っ手がついている、これは、
片手で急旋回(それに見合う当然に遅い速度域)が必要な場面では、両手で切ってる場合でなく、
最初に農道・林道ほどのきついコーナーで左に切る時は、俺は右手をハンドルの一番下にし、
グイッと左に切り込む、これは教わったのではなく、それが自然だと気付いたし、美しい、
クランクなので、今度は逆に右側に切る連続性に迫られる、すると、左手を使ってるヒマなし。
そのままフォークリフトのように右手で押し当てて切り戻し、切り足し操作に迫られる。
格好をつけてる人が、片手で押し当てて、カーブや車庫入れをクルクルーッと
やってる人がいるが、俺は、ソッチ側じゃない、不必要なオーバーアクションだ、それじゃ。

中学時代にみてた音楽番組で、「作曲のセンスは、ベースがうまさでわかる。
いくら主メロがよくても、ベースがしっかり書かれてる音楽でなければ、センスなし。」
ただの、ボーボー、ボンボン、バヨン、ビヨン、ブベン、鳴ってる音楽のムカつく事…、
ベースを適当にあてがってる曲はクソだ。
センスのいい曲に感じたのは『グルーヴ』という気持ち良さの部分の話しだと後に気づく俺。
ブレーキ操作というのは、音楽で言うところのベースに相当すると思う。

車は、ハンドル、アクセル、ブレーキが操縦するものだが、ハンドルも
アクセルも、必要な時に必要なだけ操縦するのは、『技量』であるが、
ブレーキは、実は『センス』の比重が大きいと思う。
当然ブレーキも技量なのだけど、卵が先か鶏が先か、で言うなら、
ブレーキが先である、どっちが先か明確にわからないものは死んでる理論だ。
いきなり速度は発生しない、そういう事である。

【単純ではないコーナー】
複雑でもない。
それなりの舵角で切れるはずが、奥に進むにつれて、さらに角度が増してるコーナーに
出くわす事がある。
これも運転技量本みたいなの俺は読んでたが、
「ハンドルの舵角は、一度決めたら、そのままの姿勢がいい」みたいなウソを教えられてたね。
角度が増したと判明した場面で、追加でフワッとブレーキを踏んで、
車をシュッと安定させる、その角度に見合った速度まで優しく減速+安定化目的のブレーキ、
一度ハンドルを決めたら、一度ブレーキを決めたら、そこから動かしてはいけない、
動かす時点で、それは速度域がまだ殺しきれてなかった、殺し過ぎてた、かのような説明本、
ウソだね、俺はウソから解き放たれたわ、自分の体で感じるようになった、この一か月。
地面に貼り付くように走ってる感覚にすらなる、安定、というやつ。

この理論は、物理演算で動く素人向けのPCのレースゲームでも通用する。
物理演算に正直な挙動をするので、結果がわかるのだ。
 

みかんさん、助けて。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年12月28日(木)10時45分8秒
返信・引用
  俺が高校の時に、森高千里の歌で
♪勉強は できる内に しておいた方がいいわ 後になって気付いたって 遅いわ♪

なんて歌詞が何かのアニメで流れてて、毎週偶然、その時間にそのチャンネルつけたりするので
すっかり勉強に打ち込めない自分、やる気の出ない自分は傷つけられた、「罪悪感」として。
その時点では学生なので、♪できる内にしておいた方がいいわ♪の当事者だからかなり有利。
でも、そんな事がわかってる上で、やる気がでない、勉強ができない。
今の俺なら、
「前提が明示されてない理論は、間違った『正論』を導く。要するに精度の低いお説教。」
と、自分の言葉で反論できる。

頭がよくとも、かなりの人たちが間違うのが、なんらかの論戦・討論・議題なり、
同じ単語を使ってるものの、実はそれぞれの、その単語への認識具合がかなり違うのに、
全く気付かず、話しがかみ合わない、かみ合わないので、「それは違う」と論戦。
論点で論戦してるように見えて、実は認識が違ってるので話しがかみ合わない不毛な論戦多し。

上記の歌詞は簡単に論破できまして、
「それが当てはまる人もいるが、そうでない人もいる。」という事です。
そうでない人、とは、特殊な場合の話しじゃ全然ない。

「勉強はできる内に」に絞ると、歌詞を変えて、
♪勉強ができる人は いつしたってできるわ♪
♪勉強ができぬ人は マネ事ならできるわ 後になって無駄な時間と 気づくわ♪
俺は後にならなくともわかっていたが、高校を辞める、それを誰も許してくれない。
俺にはプライドがある、それを名乗れる中身がなければ、「とりあえず高校は卒業してくれ」
「今時高校も出てないんじゃどこも雇ってくれない」こんな説教は理論的には一件正論だが、
前提として、それに見合う実力が伴えばこそ、であり、カタチだけでは後で苦しい人生を、
強いてる事にナゼ気づかないで押し付けてくるのか、それが理解できてない側が、
選択権を握ってるのは不幸な状況だ、いくら丁寧に、時に怒りを交えて説明しても、
理解できる能力がないから、「じゃあどうしたい?辞めてどうする、何かやりたいのか」
…うん、これも同様、それが当てはまる人もいる、何かやりたくて、と、
ところがそういう事じゃない人もいる。

元々のスペックがある人が、ただ勉強をしてなくて成績悪いなら、
勉強をすれば伸びしろがある。
元々のスペックがない人が、なんだかよくわからないから勉強してなくて成績悪いなら、
勉強をしても、点数の稼ぎ方の体裁だけを有能な人から伝授された時のみテスト上の成績向上。
自分の血や肉になってるわけじゃない、つまり、例えば英語の歌を
発音をマネて歌う事はできる、歌詞の意味をわかってなくても、それができてしまう、
という意味だ。

振り込め詐欺や、投資詐欺、政権選択時の各党のインチキに騙され民主党政権が誕生したり、
小池都知事が誕生したり、エセインテリが知識だけは豊富で、解析力がてんでバカだったり。

……俺の苦しみ(問題)は、バカのくせに、そういう部分に気づくのに、
では具体的な緻密さとなると、そこが決定的に欠落しており、
勉強すれば改善する部分じゃない。
勉強すれば頭がよくなるのではなく、頭がいい人が勉強をすればより高度な人生なだけ、
最低限の読み書き、足し算ひき算、割り算掛け算、実はこの最低限の部分でしか、
人って会話できてない事が多い気がする。
今は消費税が8%、108円の値段を見て「消費税還元セール」の文字、108円8%引きは、
いくらなのか、さらに、『税は法的義務なのに還元できるわけがない、税ではなく
原価の値引きだろ。不当な表示だなコレ』とか瞬時に判断できるかどうか、とか、
勉強をした方がいいというのは、そんな判断が出来ないまま、社会に放り出される苦悩、
しかし、勉強をしてもできない人も、後には社会に放り出される事が確定してるのだから、
それならば【どうすれば、勉強をして勉強ができてる人たちと、戦える武器が持てるか】
に研究されるべきだと考える。
…つらいのよ、気づく事はできても、「じゃあ証拠だしてみろよ、具体的な数字言えよ。」
コレを言ってくる方が頭がいいけど、でもどうも間違ってる、いかに頭いいエセインテリかの
屈辱を与えたくても、こっちが間違えてる(冤罪)事を証明できない、戦えない、武器がない。。

時々目にするスマホ契約の【実質ゼロ円】みたいなの。
本当に得かどうかの解析・頭よくないと、これも被害に遭う。
ウソはついてないけど、暗に勘違いさせる、でも勘違いさせた証拠も残してないので、
まんまと意図した通りにマヌケな愚民が契約してくれる、ウヒョヒョのヒョ、と、ほくそ笑み。
これとは別に【事実上の~】は、これは使い方が正しければインチキな単語ではない。
【実質】、それは『お前にとっての価値気準』で、何かと何かを同化させてるだけの、
単語じゃねーか、と。


ここまで「フリ」でした、俗語でいうなら。
正確に言うなら、本題に導くための前置き。

極々直近で、『勉強ができないまま社会に放り出された人間(俺)は、武器もなく戦えない』
と思い知らされる事があったので、事例を挙げます。

ある電力会社が「お客様は、月に●kWh以上の電気をお使いなので、Bプランにする事で、
毎年の電気代が約5千円お安くなります」との電話。

俺→「仮にそうだとして、何かの契約事を、電話がかかってきました、そうですか、で、
口頭で契約するわけないでしょ。『今この場で切り替えられますよ』って言いますけど、
こっちは履歴も残らない。あり得ない。それに、そのプランの方がお得だという事は、
その電気量に達してない場合は損なので、プランの提案してないはずなので、
夏場はクーラー使いますが冬場は石油ストーブ、ファンヒーターですらない、なので、
電気使用量は減る、毎月一定の電気使用量ならわかりますが、通年でみれば、
使用量は季節で上下してるはずで、そちらからの請求は、月請求なのに、
な~んで、「年に5千円お得」って、年払いならともかく、月払いなのに、
年でお得って、比較対象が違うじゃないの。毎月お得になる、のプランならともかく、違う?」

……うぅ、これも「フリ」だった、なかなか本題に行けないワタシ。。。。。

【本題】
今朝、ウチのハイツで、明らかに契約してない駐車スペースに停めてる車があった。
その世帯のみ、夫婦でそれぞれ1台ずつ車を所有してる。
つまり、2台分の駐車場契約が必要。
ところが、その駐車スペースは、まだ空き部屋があるため、未契約で空いてる。
それをいい事に、1部屋しか借りてないのに、駐車場は2台分占有してる。

あまり個人情報を言うのはアレなので、実態と解離してる数字を事例として考えて欲しい。
(※と言いつつ、具体的な数字は過去ログに残してあるのを覚えているんですけれど…。)

俺が契約してる部屋は月に20万円の家賃+駐車代3万円、とする。
ところがだいぶ先日、この物件の広告で、駐車場代込みで15万円で今は入居できると見つけた。
納得できないので市役所の無料弁護士相談に行ったら、
「あなたは、契約時点で、20万円+3万円の条件で、納得したので契約をなさったわけですね?」
これが歯がゆいんですよ、ボクは。
この理論に攻めどころがあるのに、弁護士は頭がいい事になってるもんで。
今ならこう言える。
『おっしゃる通りです、【その時点】においては。
では、あなたの人を小バカにした理論を論破します。
現時点において、例えば同じ物件の広告で、扱ってる不動産屋が複数あるとして、
片方の不動産屋が23万円の広告を出してる、もう片方の不動産屋は駐車場代込みで15万円、
私なら、15万円の契約に『納得』して契約しますね。23万円の契約に納得しませんね。
当時は選択肢がなかったが、今は実態して15万円で契約できる選択肢がある。
あなたはさっき、「23万円に納得した」と私を断じましたが、
15万円の契約ができるなら、23万円には納得できない私が目の前にいます、
「納得した」じゃないんですよ、納得できてない事案が今目の前に発生してますね。
契約を切り替えるなり、事務的に一旦退室して、その物件を借り直す、その程度の事、
弁で戦う事を生業にしてるなら、思いつかないもんですかね。
あなた、大家側の弁護士?』

………はうぅぅぅぅぅぅ、これもまだフリだったぁぁぁ。。。。

そう、その駐車場の話し。
計算ができなくて、嘆いています、勉強ができないまま、放り出された苦悩のドキュメント。
俺は、こんな事を考えてしまった。
一世帯につき駐車場は一台分借りられる、ところが、別に空きスペースがあるなら、
借りたっていい、それならば、1台分が3万円なら、2台分で6万円になり、
家賃と併せて26万円を毎月払う事になる。

しかし、その世帯は、23万円しか払ってないので、
勉強のできない俺は、【それって、駐車場の3万円が浮いてる状態なので、
26万円払うべきところ、23万円で2台分借りられてるなら、実質、20万円で入居してるって事?】

などと考えてしまいました。
普通に考えればおかしな事を言い出してるってわかるよ、うん。
駐車場が6万円発生すべきところ、半額の3万円で済んでる事になるから、1台だけなら、
1万5千円で借りてる状態になる。

ところが、実態は、1万5千円の契約で2台停めてるわけじゃなく、3万円の契約で
2台停めてる、数字上は総額23万円なのだけど、感覚的には、まるで駐車場代が
免除されてるように映ってしまうワタシ…。
毎月20万円の契約で済んでるくらい、“せしめてる”くらい、まんまと感がある。
23万円払ってても、20万円で入居できてるくらい価値があると感じてしまう、
これは、感覚がもたらすただの無能な錯覚なのか、数字は実物ではないので、
価値・評価が数字の正体だとしたら、あながちトンチンカンな事ではない、のでは、とか。
否、それこそが、雰囲気で誕生してしまった過去の民主党政権や小池都知事なのか、とか。
 

Twitter レベルの嘆き…。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年11月27日(月)18時37分57秒
返信・引用 編集済
  最近コンビニで、自分の言葉に自信を失くすことが続いたのよ。

共通するのは、店員さんが
『袋にお入れしましょうか?』
『袋にお入れした方がよかったでしょうか?』
という質問。

これに対し、俺は自分の母国語のはずの日本語を使っているのに、店員さんに通じない。

店員「袋にお入れしましょうか?」
おくちゃん『あ、それ、そっちの方が助かります』→袋に入れてくれない…。

店員「袋にお入れした方がよかったでしょうか?」
(※時系列として店員と事前打ち合わせもした事ないのに「~でよかったでしょうか?」と、
そんな話ししてないけど、は、今回は置いとくとして。)
おくちゃん「あ、それがいいと思います。」→袋に入れてくれない。。。


袋に入れるかどうかに対して、Yes or Noの質問に対し、
「袋に入れてくれた方が、おくちゃんはうれしいんだよ」って事を伝えてるわけなのですけど、
日本語が通じない事が続いてしまいました。
通じてる上で、そっちの方がいいんだろうが、確実に袋に入れろとも言われてないから、
入れなくてもお前は、ベストではなくベターとの回答だからダメージどうせ少ないだろ、と?

ちゃんと【理由】があるんです。
伏線として、ボケッとしてた自分がいたところに、「袋にお入れ…」→【あ、そっか】
入れてもらわなくていい選択肢は当然あるけど、自分の気持ちとして
「(無くてもそんなに困らないけど)入れてもらえると助かるな、そっちの方がいいな」
としての言葉なのです。
これが端末相手だったら複雑な単語によらず、ススム・モドル、はい・いいえ。
逆に、その言い方はおかしい、今からやる作業に対して、問答を閉ざすその態度(機械)、
プログラマーがアホなのだろうな、あり得るシチュエーションが想定されてなくて、
例えば今日はATMに行ってきたのだけど、小銭がやり取りできる時間帯が限られてる。
その時間帯に間に合うように行ったのに、小銭でATMですら嫌な思いをしたのよ。
「お金を、入れてください+警告音」、「お金を、入れてください+警告音」…つらい。。。
俺の手元の様子がわかっていれば、お金を準備してる様子なんてわかるだろ、
AIの搭載されてないポンコツ端末はさっさと淘汰されやがれ、もうテメーの時代は終わりだ。
ひとまず、の小銭を、あまりにウルセーので投入したら、投入口が
ご親切に、やらなくてもいい先回りをして、閉じてしまい、
「お釣りが必要な方は、このボタンを押してください」
…いやいやいや、なんで前提として、その投入金額が正しい事になってんの、
まだ意図してるお金を投入完了してないよ、その小銭入れ口、開けろよ、
追加投入があるんだよ、…ところが、そんな操作ボタンもなければ、「戻る」ボタンもない。
あるのは、恐怖の【取り消し】ボタンのみ。
こいつを押すと、嫌味なATMが大声で、
【恐れ入りますが、もう一度、初めから、やり直してください】
初めからやり直さなくていい取り引きを、最初から、他に並んでる人たちに
ウンザリする溜息をわざと誘うように、わざとそんなセリフ、言い回しも
ペナルティー感を含んだ、また最初からやり直したらいいよ♪じゃない、間違えやがって感。

…ちょっと自分に苦悩してる。
 

負けてるな、と思ったよ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年11月16日(木)18時46分50秒
返信・引用
  俺、44歳だ、中高生の子供がいてもおかしくない。
なんだったら、こんな歳なら指導的(親目線)な立ち位置な層が蔓延してるのでしょうが、
俺は獲得してるものが同年代より極端に少ない、みんなソッチ側に行っても行けない無能。

今日、ユニクロに行ってきた、というか、寄ってみた。
やたらごった返してて、今日はすごく寒い、なんかマフラーの括り方とか、見せ方とか、
持ち物ひとつひとつに行き届いてる頭よさな高校生と大学生が沢山来てた、
な、様子を見抜いてしまって傷つくのよね、俺。
な、様子って、そういう、お勉強ができる人たちの出で立ちと、清潔に小物、キャラ物まで。
そんなところ、44歳の、親目線でもおかしくない俺が、プレッシャーと感じる。
俺が同じように高校生だったとしても、圧倒される、なんていうか、
俺は意図して更新していないわけで、ものわかりのいいサラサラとこなしていく頭もないので。

間違いなくコイツら、楽しい、楽しいキャンパスライフが待ってるな、と。
全員、怖いものがない感じでワイワイ、ガヤガヤ、友達グループ単位で来てて、
俺みたいな貧相なのは、道路にはみ出してるゴミのような避け方されて、
狭い通路をお互い配慮して通る風でなく、…なんていうか、伝わる人にしか伝わるまいが。

たまらず、俺も成長したな、と思う部分で、店員にこっちから話しかけて、
「…あの、なんですか、あの制服着てる学生さんだかOLみたいな同じ服着てる人たち、
随分ガヤガヤしてますけど、何かあるんですか?」
「お騒がせして申し訳ございません。本日、高校生・大学生に限り、
極暖ヒートテックの無料サンプルを先着50名様にお配りしてまして、
ご迷惑おかけしますが、どうぞごゆっくり店内をお楽しみください。」
全員スマホ片手と配布券らしきものの、『極暖ヒートテックこっちだってー。』な感じで、
ズケズケと育ちのいい行儀悪さで。
全員ムッチリした肉付き、太ってるのではない、健康状態がいいのである、頭も。
勝てないよね、俺。

親は俺に愛情注いだと言われても、日赤で栄養失調と言われ、採血では血がなかなか出てこず、
体格はいつも健康診断でやせ型と言われ、給食は大変おいしく、血や肉になるもの、
カテゴリーの献立表は、俺は家ではあまり食卓でみかけず、朝からご飯と味噌汁を、
毎日作ってくれた母には申し訳ないが、戦えないんですよ、お肉を食べないと、
母は肉が好きでないのと、牛乳嫌い、全く食卓にあがらないのではないものの、
量が全然足りてない。

今回、送ってもらったんです、送るというので、久しぶりにおかず。
申し訳ないけど、戦えないんです、きんぴらごぼう、白菜のユズととうがらし入れた漬け物、
けんちん汁、…うん、どれもおいしいと思うよ、それでご飯は食べられる、
でも、肉がないんです、母よ。
前回は「焼肉作って送ろうか」と言われた時に、何かを理由にして断った事がある。
母の作る焼肉のおいしくなさを知っているからだ、…そうだ、それで俺も、
肉っておいしくないものだと、積極的に食べたがってもいなかった。
でも、給食ででる、鳥そぼろのウマさ、毎日牛乳飲んでたのは給食、
歯は虫歯だらけ、洗髪は一週間に一回、…愛情注がれたのに、ネグレクト感。。。
いつも気にされてるのは知ってるけど、「そういうことじゃない」事。
建設的に話したいのに、母は『怒り』『悲しみ』『よろこぶ』しか反応がない。
だから、議論なり、今後なり、戦えない状態で成人に。
成人してから、「みんなそうしてるのに」の自慢の息子・娘の話しを持ってきて、
比較されて、それに比べて俺は、とプレッシャーや罪悪感だけ与えてくる、
俺をちゃんと見てたのか、俺の話しをちゃんと聞いてたのか、…つらいよ、お金が欲しい。
 

「誰それ?」「どこそれ?」←えっ?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年10月18日(水)12時09分9秒
返信・引用 編集済
  これは自慢なのですが、過去の境遇と比較した場合に、今が一番しあわせです。
人には自己防衛手段として忘却能力があり、つらい体験などは記憶から消去してくれるのだか。
俺の場合は、記憶の自傷行為がしばしばあり、恥ずかしい体験・つらい体験がフラッシュバック
のように毎日あり、しかも何度もあり、お風呂に入ってる時やドライヤーかけてる時は必ず、
「何ひとりでブツブツしゃべってんの」とみかんから言われたり。
とある研究で、100歳の人に「今は幸せですか?」と聞くと、
「今が今までの人生で一番幸せ。」と答えるそうです。
このカラクリは、ツライ体験なりの、やはり忘却、それと記憶の脚色、なのかな?とか。
「若い時ほど体は動かないし、一日のほとんどを寝て過ごしているけど、それでも幸せ。」
…俺の場合は、自身の体験の相対評価として、それに比べたら今は幸せ、という、
意味が違っていたり。

何かで成功したり、有名になった人を知らなかった場合、
「誰それ?」と、つい言いがちである。
それが誰なのかの問いなら、名前と顔も紹介されているわけで、「誰それ?」は、
本来は通用しない質問だったりする。
「この顔にピンときたら110番」の指名手配チラシに、「誰それ?」って、ならなくて、
『何をした人?』でしょ?
そう、だから、「誰それ?」は言葉として間違っていて、質問してる本人は、
それが誰なのかではなく、その人の経歴なり経緯なりの方を知りたがってるわけで。
最近で言うなら、ノーベル文学賞受賞の「カズオ イシグロ」という日系イギリス人。
多くの人が、つい「誰それ?」と心で発音したと思われる。
顔も名前も公表されてる、受賞インタビューも受けてる、それでも「誰この人?」
質問に額面通りなら「カズオ イシグロ」って言ってるじゃん、なのだけど。

恥ずかしい、という意味は、「屈辱的」な場合も含まれる。
俺は予備校を1週間も行かずにやめ、入学金だけは80万円も払い、
親から絶大な失望と怒りを買い、…うん、この部分だけ聞くと親不孝になるわけね、
そこにいたる経緯がないと。
で、辞めたもんだから、事実上の1年留年状態、次も望まず専門学校に入学、
ここでも100万円の入学金、そして半年も経たずに辞めて、
お金をドブに捨てたと、親から怒鳴り散らされ、当たり散らされ、これは理解者を選ぶ、
一般常識の答えありきだと、俺を責めるのは容易であるが、よくよく話しをきくと、
同情されるべきなのは、俺の方だとわかる人が、絶望的に少数ながらいる、みかんだけど。
格好悪い事に、さて、行きたくもない専門学校初日から、俺は傍から見てもイナカモンで、
頭もオカッパ頭で、なんだか内気に映り、そうすると、ツンツンとチョッカイだしたい対象、
うん、わかるよ、わかっている上で、反撃できる手段がないのだからな、
戦える武器を持っていない(学力・能力・その年齢ならしてるであろう経験や体験・腕力)、
そのまま世の中に放り出される、そして屈辱を味わい、
「だったら今からでもやり直せばいい」、、、そういう事じゃない、そういう事もあろうが、
俺の場合は、そういう事じゃない。
やり直してやり直せるなら、それはやり直せばいいだけの話しなのである。
つまり、努力して結果のでる人は、そもそも能力があるので、それに見合う結果になり、
「夢は叶う、見るものじゃなくて叶えるのが夢」とか、それぞれの能力は千差万別であるのに、
【論理の飛躍】によって、そうでない人が批判される概念作りを事実・事例として事更に。
努力→それに見合うものが結果、これが論理の飛躍、結果が出てないのは努力が足りない、
となる。
じゃあ聞きたいのだけど、100mを8秒台で走れないのは、アスリートの努力不足なのか?
努力すれば東大に入れるなら、逆に言えばだな、東大以外に大学がある意味ないよな。
努力しなかった人が入る大学は、東大に入れなかった人たちの詰所、という評価になるわけで。
そうでしょ?
俺が言ってるのは、例えばピアノ演奏、初歩の初歩から勉強して、楽譜を勉強して、
その通りに演奏して、…それで?
俺がピアノを弾けないのは、勉強をしてないからではなく、勉強したその先にあるものが、
習ったものの、それなりの出力だからである。
俺は、音楽というのは、自分の思う事を容易に具現化できる事だと思う、音、楽しい、音楽。
だから、そもそも譜面なるものは、ただの「なぞる」→『作業』である。
あくまで履歴として残すものが譜面だろうが、そもそも譜面がなくとも、というか。
あと、勉強の仕方ね、勉強をまともにしたことがない俺は、弟に勉強の仕方を聞いたら、
「俺は、ノートなんてとらない。教科書に書いてある。ノートに書くのは意味がない、
逆にノートに何を書き出してるのか、バカだと思う、全部教科書に書いてある。」
みかんも「私は受験生の時に夜10時には寝てた。」まるで深夜1時だ2時だくらい
勉強しないと勉強してないかのような包囲網だったが、それでよかったんじゃん、とか。
それって、誰もそうしたらいいって話しじゃなく、むしろ、世間様というのは、
「勉強はノートを使う。勉強は深夜までしてこそ勉強してるなーという評価を受ける。」
こそが正解にされてるわけで、変なの~、と思いつつ、その違和感はわかっているけど、
肝心の俺に能力と興味がなかったので、答えはわかってるけど、説得力をもって傾聴されない。

…さて、こっ恥ずかしい事に、予備校に行ってしまったために、
1年遅れで入った専門学校は、1年留年して入ってきたのと同じで、全員年下。
しかも、かなりの数学・物理を要求される学校で、俺は完全に場違い。
物理計算をする電卓を渡されて、…ちょっと待て、中学の数学をマスターしてない、
高校は入学して間もなく勉強で挫折してる俺、そういう「場」にいる事を親に望まれる俺、
俺の都合が全くない、仕方なしに選択させられて、「ここは違う」と訴えても、
選んだのは俺だと責められ、…なんていうかなぁ、それ以外の選択肢の模索を
一緒に考えてくれる人(母)じゃないもんで、世間一般の選択をすると喜ぶので、
仕方なしに喜ぶ方を選ぶ、喜ばなないものは間違いという評価を受けるわけで、
で、結果的にムリなのが最初からわかっているのに、その入口の考察に参加しない、
選ばせるからには責任があると思うのに、カタチだけを要求してくる、
…何が俺をそうさせてたのか、ここらを書いても言ってる意味がわかる人が激減。
体罰がいけない理由は、「その罰を受けたくない」から、ウソをつくようになる、
それが体罰がいけない本質のはず。
物理的な暴力がいけない、かのような議論ばかりですが。
俺は「本当なんだ。本当なんだ。」と訴えれば訴えるほど、
「屁理屈」「考えすぎ」「もうダメだという時は、まだダメじゃない」…等々、何コレ?
俺の話しをひとつも聞かずに、なぜにか誰かの答えを俺にあてがってきて、
残念な結果になると、同情どころか怒られる、なんだコレ…、で生きてきた。

お前なんかイナカもんだろ、な感じで、数人のイナカモンから
「お前、生まれどこ?」…う~ん、この時点で、お前ら俺より年下なんだけどな、そのクチの
利き方な、う~ん、それなりにこ慣れたオシャレな服や髪型な連中、俺はダサダサ服装、
体も細い、なんの抵抗の手段もない、頭さえよければ、コイツらどうにかできたものの、
相手は腕力も頭もいいときたら、どうして世の中で戦えますか、努力と違うものに対して、
この苦しみ、俺の親はわかった事がない、今でも当時の話しをするが、理解できないでいる。

「鉾田町…」と答えると、バカにしてた連中の顔が固まり、
『田町!?』と、聞き間違え、カッペと俺をバカにしてたら、東京の田町出身なのかよ、
と、とたんにリスペクトになり、「いや、“ほこ”田町」と発音に念押しすると、
「どこそれー!?(嘲笑)」なのである。

どこそれー、と聞きつつ、それがどこに位置しているのか、間違いなく聞いてない。
これは、俺が何度かこの掲示板で書いてる理論と全く同じで、
「何言ってるのかわかんない」→わからないという事は、わかってないわけなので、
批判すらできないのであるが、なぜか批判の手段として「意味不明」とか、
相手を批判する手段にしてる、…という理論的に理解できてこそ、
この人たちに対して「ちょっと何言ってるのかわからない」と批判はできるわけである、
つまり、何を言ってるのかを理解してる上で、それは理論的に間違ってる、の為に批判、
しかし、多くは、理解を超えたものは、バカにする手段にするわけです。

俺の生まれ育った鉾田町、【俺だから】バカにしてるのだろう、…あぁ、くやしいものです。
俺は鉾田代表でここにいるわけじゃないし、仮にそうだったとしても、
バカにする理由が、単純な「田んぼしかない→何もない」「ビルがない」「人少ない」、
なんだコレと思う、俺は、あちこちドライブをする機会がみかんのおかげで増え、
バカにする地域って、ほとんどない。
たまにバカにする所はあるけど、それは何に対してかというと、「なんにもねーな」でなく、
そこで暮らしてる人たちの人と成りを見ているのであり、卑屈になることはないのさ、
俺がインターネットを始めた頃は、インテリばかりで、俺みたいな底辺は極少数で、
今ではスマホさえあれば、ツイッターだインスタグラムだ、情報と接せられる。
あるのだとしたら、それらの頃は情報格差だったわけで、ね。
以前は渋谷だ池袋だ、そこじゃないと知れない事が、別にそこじゃないとな理由もなく、
それら威光は確実に減ってるし、…う~ん、この話しはちょっと深く、
グローバル社会の恩恵と同時に、ガラパゴス諸島のような独自進化の話しと、
日本文化が、さて、大陸との陸続きだった場合、生まれたかというと、
悪い意味で感化されて、標準的な文明になったろうが、…う~ん、うまく言えない、
「あっ」とそこらね、を気付いた人だけでいい話し。
…ところで、カッペをバカにする東京人も、ちょっと前なら、
白人に英語で話しかけられるだけで、「イエス、イエス」と英語にテンパッてしまって、
どこが、俺トーキョー出身、だよ、白人コンプレックス半端ねーな、だったわけね。


もうひとつ別件で、明確な話しをしようと思ったけど、何についてだったか忘れてしまった。
月並みな「忘れる程度の事だったのよ」は、違いまして。
なんでしょうね、こう、テンプレートで物事を判断する連中の、昔っから多いこと多いこと…。
テメーで考えた事じゃねーじゃん、な。
 

「いい差別と悪い差別がある」←正しいと思う。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年10月 3日(火)18時58分38秒
返信・引用
  いつだったか、ある政治家が
「いい差別と悪い差別がある」と言って、マスコミやらツイッターやらが大騒ぎになった、と記憶。

差別と区別、とあるけど、差別と区別は、辞書にどう書いてあるか、…という発想になるのが、
勉強好きな人の思考だろうけど、俺は言葉の意味の前に自分で考えてしまう、
なので、論戦にでもなった時に、『その言葉はそんな意味ではありません』とかバカにされる。

(※最近、衰えてきたなと思うよ。なんだか考えるのが面倒くさくなってて、
以前の俺なら、そういう視点はすでに持っていた、みたいなものを、
なんだか見せつけられて、そういう考えの構築のようなものから、静かに引退する画も浮かび。
先駆者は自分だけど、有名ドコロな人たちや、若い人たちが気づき、
SNS等で発信していったり、…俺は気づかれず、か、なんでか論戦ふっかけられたり、
なんだよ、やっぱり俺の視点て独特だったんじゃねーか、新しかったのか、そうかな?
あ、ちなみに自分を俺、と書いてる、僕と書く年齢でも面持ちでもないようだ。)

差別と区別という単語は、俺は額面通りでいいと思う、つもり字面通りの意味。
言葉のはらんでる意味、ではなしに。
なぜなら、別途、『侮蔑』なんて単語があるわけなので、もし差別や区別を使うなら、
同音異義語として、『差蔑』『区蔑』とした方が、意味あいとして正確性が増すと思うんだ。
変換候補で出てこないけどな、蔑視があるわけでしょ?差別も区別も、
分けてるのではない、理不尽に対応される状態だと思うので、分けてるかのような「別」は、
それこそ「別」の意味として差別と区別にしたらいいと思うのよ。
これは、建築学の分野と、化学の分野で、材料を混ぜる事を、前者は配合、後者は調合、
配合と調合、どう違うんだって、でも明確に線引きされてる、絶対に譲らないらしく。
勝手な推測をするならば、配合は、すでに確定したものを分量通りに混ぜるだけだから、
機械的に、だから配合だろうけど、調合となると、慎重さが増す雰囲気?調べながらっぽく。

いい差別とは、俺はあると思う。
思うという言葉が安易に出てきて嫌だな。
「私は、何々(だ)と思います。」→自分を主語にすると、それについて考えている事を、
思います、という文章になってしまう。
「それは、何々です。」と、自分でなく対象物が主語になると、断定的な言えるのにな、とか。
何々です、の話しなんです、自分が主語なんですけど、便宜上、思いますの言い回しになるが。

物事は、いろんな見方があり、それらは『尊重』されるべき、なのだけど、
時系列で考えた場合、尊重されるべき、なのは、だいぶ早い段階でよく、
トンチンカンな考え方を改めない、自分を信じて疑わない人を、尊重するのは、
その段階になく、その段階において、「差別・区別」してよく、
害がなければ、放っておくものの、こちらに介入をしてくるようなら、『差蔑・区蔑』して、
逆に何が悪いのだろうか。

俺はそいつらに聞きたいのだけど、「理由を考えてみた事はあるのか?」と。

以前も考察した事があるけど、なぜ人殺しがいけないのか、そう問いかけたら、
「自分がされたら嫌だろう」「悲しむ人がいる」等々、それが論拠になるとだな、
自分がそれを望み、悲しむ人もいない孤立無援な人なら、
『殺しても構わないという理論になるけど?』って言いたいわけね、俺は。

もっと本質的な事を考えると、「人殺しがいけない」という言葉が問題になった事ある?
つまり、人殺しがいけないのではなく、「自分は死にたくない」という文章が正確だと思う。
自分が主語でない言葉は、ウソ臭いのである。
配慮ってやつにすり替わってるのに、その正体を見せない。
偽善というか。
人を殺してはいけない、のならば、あなたのいう『人』とは誰の事?と。
では聞くが、あなたは人を殺さないが、あなたが「人殺しはダメ」と言葉で伝えても、
あなたを殺す人がいたならば、どうするのだろうか、
「反撃して殺したくないから逃げる」とでも言うのなら、それは『事実の先送り』であり、
それは回避している事にはならない、早晩、あなたは再三、殺される目に遭うし、
どうやら、人殺しがいけないという事と、相手がそれをしてくる事とは、一致しないようだ。

相模原の障害者施設で、戦後最悪の殺人事件が起きましたが、犯人の断片的な見解を聞くと、
彼は正しい事をしていると思う。
最近、アユミどうこうの番組を見てまして、実際、綺麗事で綴ってます。
重度の知的障害者の女性で、その兄にあたる人は「それで苦労した事がない」と言う。
ところが、その両親を見て、俺は本質を見る、やたらとピリピリと語ろうとする。
「なぜだろう」と思うでしょ、普通に考えたら。
その両親は、やはりそれなりにやつれ、母親は兄(長男)に
「あなたにはあなたの人生があるから、特段、介護を手伝わせてこなかった。」
これは、本質を言っている。
では、この番組制作にあたり、その兄が介護を始めてみると、
アレはダメ、そのやり方はダメ、とダメダメづくしのピリピリ感に包まれる。
なんだったら、自分の人生が、その介護のために時間的にとられていく。

すごく下品な表現ながら、言い得ているなと思ったのが、
「ガチャガチャ」。
お金を入れて、何が出てくるかわからないカプセル。
希望のものが出てくるまで、何度かお金を投入する。
もし希望のものが一度で出てきたら、それ以上回す必要はない。
下品と言ったのは、『これがお腹の子供だったら?』という事である。
あらかじめ、障害者とわかっているのに、わざわざガチャガチャを回して取り出す、
ガチャガチャで、自分には不要なものが出てきたら、捨てるか、他に欲しい人にあげるか、
あげるけど、別のと交換するか、リアルな話し、そういう動きをするはずである、
「出てしまったものはしょうがない」と、大事に取っておくのは、
理論的に、『ウソ』である。

障害者とは、なんの、どの部位のにせよ、障害なのである。
これは、本人が望んでない事である。
「たそがれ清兵衛」という映画の中で、
「なんで勉強をしないといけないの?」と子供に聞かれた父親が、ちょっと困りつつ、
「勉強は、いますぐ役立つものではないかもしれないけど、
今まで見ていたものをより深く見られるようになる考えられるようになる、
だから勉強はした方がいい」
のであるなら、知的障害者にとって、勉強・学習は困難の極みである、
学ぼうにも、先天的障害によって他の人たちが謳歌している事を、うつろにみるしかできない。
その状態を「楽しい人生・生まれてよかった」と言えるのだろうか。
俺が言ってるのは、“結果として”なんらかの障害を抱えてうまれた事に対しては、
手厚くハンディキャップを施すのは、これは、善意でもなければ、偽善でもなければ、
“贖罪”としての行為が真実ではないのだろうか。
ここで間違う人たちは、有能な障害者の存在が、「生まれてきて幸せと感じてる」、な意見、
それは、幸せと思わせてもらってるであるとか、有能であったので、
肢体不自由であっても、能力で社会に還元であったり参加できる事に対してのみであり、
健常者であったなら、その不自由さはできてたわけだ、という話しであり、
その障害を抱えていたおかげで、気づく事ができた、なければ気付けなかった、は、
それは、一生障害を抱える事を肯定されるのは、

…あ~、きっと誤解を受けるであろう論点をうまく言いきれないまま、
急いでいる自分、長くなりそうなので投稿してしまおう。

俺は不幸は減るべきで、差別主義者なのではなく、主義者な人たちは、
主義者であるからには、考えない人たちであり、
差別は、時にするよ、差別は、時にいけないというよ、それは、都合によってではなく、
時と場合によるのではなく、理論によって、である。

俺は仮説として、昨晩考えていた事がある。
「人権なるもの、生活保護は必要最低限度の文化的な生活どうこう、
これが諸悪の根源で、最低限度の設定ではなく、
【最高水準の文化的な生活を達成できるように】と文言を変えたら、世の中が
もっと、もっと幸せになるのではないか。」と。

夢のような話しをしてるのではないよ。
事実として、NHKは、「観てないのに払いたくない」って人たちがいるけれど、
あれは、法律で、NHKこそが【難視聴地域が存在する事は情報格差に繋がるので、
何が何でも、NHKが受信できるようにしなければならない】と法律で縛られてるのがNHKの方。
俺は、情報格差、と言ったよ。
名医、なる人物もいる、それが、兵庫県にしかないとする、
すると、東北に住んでる人が救急車で運ばれても、その医師の恩恵を受けられる確率は
絶望的である、間に合わない。
それは、技術としての地域格差が存在しているからであり、
イコールコンディションとして、…なんていうかな、物事を話し合うにしても、
同じ職場でありながら、なんでこんなに話が通じないのかとか、
みんなが違っていいけど、根幹的な部分は、水準としてイコールが前提でこそ、だと思うのよ。
 

そういう事じゃない。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月13日(水)10時18分43秒
返信・引用 編集済
  PCのCPUは、元々1個だったものを、同じ面積内にいくつも足して、
マルチコア化すれば、同時並行して、沢山の処理ができる、また、
マルチコアに対応したソフトであれば、あちこちのコアに分散処理させて、仕事が早く終わる。

ものすごく、かしこい人たちが、こんな分析をする。
「ほとんどがシングルスレッド(1つのコア向け)のソフトなので
体感的なPCのレスポンス向上を狙いたいなら、用途ごとに選ぶべき(マルチは有能でも
1つのコアあたりの瞬間的な処理に負けてるCPUの存在への指摘)。もしくは、
CPUじゃなくて、HDDをSSDに変更するとか。」

なので、さも自分の考えとして、上記みたいな事を言えば、このかしこい人たちから
【よくできました◎】と、二重丸をもらえる。

僕は異議あり。
ゲームは、瞬間的な処理速度、動画編集はマルチコアを使った分散処理、
みたいな考え方、自分は体感的に、その考え方(用途に合わせる的な)は間違っていると思う。
ゲームをしていても、他の作業もする人はマルチコアが生きてくるが、
そうでなければ無用の長物、的な、それも間違い。

Windows 10を使ってる自分として、日頃から「ひっかかり」がある、
例えば、ポインタが一瞬カクつくとか、文字入力を認識する直前で軽いフリーズとか、
単一コアしか使わないなら、コア数少なくてもいい、みたいな発想が時代遅れだと思う。
それもこれも、それらの考えに共通してるのは、能動的な話しをしてるにすぎず、
こちらが意図せず、バックグラウンドで、勝手に動いてるソフトがあり、
それが足をひっぱってる状態にあるからだ。
「そんなもんは、スタートアップ画面で、『無効』にすればいい」と返されるだろうが、
いやいやいや、同時並行で動いてるからこそ次の処理の時に便益を享受できていたり、
そもそも無効も何も、こっちが意図しないところでバックグラウンドで動かれてるソフトも
ある、これは別にコンピューターウィルスにやられてるわけでもなく、
しかも、動いてるソフトを、そのスタートアップで『無効』にしているのに、
更新通知が表示されてきて鬱陶しかったり、止めたいのに、こちらに選択の余地がない、
インストールしなければいい、というなら、必要なのでインストールしたので、
そんなに嫌ならアンインストールすればいい、…アンインストールすれば、
すべてソフトが消えるかというと、そうはならない事を知ってるクセに。

なので、結論として、コア数が多い方が、Windows 10を使ってる場合は、
恐らく、自分の不満は相当程度解消されるのではないか、という仮説。
視野狭窄ではいけなくて、このポインタのもたつきは、
実は接続中のHDDになんらかの不具合の兆候で、同期できないのかもしれない、であるとか、
難しい事は理解できないけど、そ・こ・ま・で、バカでもないというか。

これは何も、特別な話しをしているのではなく、ガスコンロがなぜ2つあるの?
もしパスタでも作るとして、1つはパスタを茹でて、もう1つはパスタソースを作る、
【同時並行】で処理ができれば、パスタが茹で上がる頃にソースも完成してて、
あとは和えればいい、という話し、PCでも同じわけです、きっと、ね。
それぞれのPC環境は違うので、何々なら、何々、みたいな事を言われても、
それが自分に当てはまる事もあれば、そうでない事もある、
「あくまで一般論で言ってるだけだから」と逃げようとしたら、
では、こちらの環境をわかる範囲で伝えて、これについて一般論を言わせればいい、
すると、より難解な事を要求してきて「それでは判断できない。
もっと詳細にシステムの状態、メーカー、ドライバーのバージョンとか」
みたいな事を言ってこようものなら、
【え?一般論でいいと言ってるんですよ?そこまでの詳細情報必要ですか?
大まかに、ウチのPCには地デジついてる、そのモニタリングで常時CPUは監視してる、
であろう、ゲーム管理ソフトもアップデートを監視してたり、
ウィルスに汚染されないか、常に目を光らせてくれたり、いくつもの処理が、
こちらが操作せずとも、受動的に並行処理されてる、ならば、の一般論でいい、
と言ってるんですよ?】とかね。

(※脳内の自問自答です。あ、この思考作業、結構ネットでバカにされてるみたいです。
しかし、ロールプレイという、鏡に向かって自分に話しかけ、
それを言われた自分はどう答えるのか、心理学のような分野では普通だったり。
自分は鏡を使わず、頭の中で会話しているのですが。)
 

ごめん、IQ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月11日(月)21時49分53秒
返信・引用 編集済
  先週の金曜日に、『発達障害』の心理検査をおこない、IQテストも含まれていた。

…このところ、僕の主治医が、僕に「今の話し、理解できてる?」と、度々、
バカにしだしてたんだ。

IQテストというのは、小学校の時に受けた事があり、事前説明で、
「この結果は、通信簿には一切反映される事はありません。また、
それが正解か間違いかを問うものでもありません。制限時間内に記入し、
ヤメと言ったら、直ちに記入をやめてください。」
という、それがIQテストだとも知らされず、非常に気持ちの悪いものをやらされ、
何かを調べられてるのだけはわかって、その結果が知らされる事もない、ナゾの。
…が、その発達障害の検査結果時に、IQテストを明確に数値で言い渡され、

→IQ 「平均。」
→発達障害 「自閉傾向の数値が高いものの、認定するには足りない。」

ふと察知したものは、発達障害というのは、ちっともいいものではなく、
(「障害」なのだから、いいという概念がそもそもおかしいだろ、そういう事より深刻。)
ある種の特殊性をもった、いい意味の含まれない、
ディス リスペクト(卑下の意味ね?)の為の概念だな、と専門医と会話して。

で、結果的にやってよかったな、と思ったのが、最近の主治医の態度である。
彼は精神科医ではあるものの、発達障害は専門外との事なので、
コンピューターを用いた検査(大学病院にあるような)ではなく、
あくまで心理検査であるものの、かなり僕をバカにしだしてるのを感じていて、
そういう扱いの対象が「発達障害」なのか、と思いまして、コイツが確定しようものなら、
今後、そういう話し方しかしてこないな、頭にくるな、何を説明しても、
一切の説得力をもって受け止められなくなる、頭の足りない奴が、なんか一生懸命話してる、
程度の重要度でしか受け止められないんだな、と沸々と思っていて、
この事は、過去に体験しており、ある抗うつ剤を飲んだ時にハイになってた時、
笑顔で駅員に話しかけたら、「頭のおかしい奴が何か言ってる」と、判断され、
そうじゃなくて、純粋に質問事項だと、追加で話しかけても、無視される体験をしており、
(と、いう事を認識できる頭脳であるのであるが。)
すっごくデジャヴ感をゆっくり、ゆっくり、構築されていっていたので、
そういう事で、発達障害、却下、IQテスト、普通、…ザマァみろな立ち位置です。

IQテストは、くやしい思いです。
普通だった事が、くやしいです。

思った通りの「算数が苦手、と言ってたけど、そういう結果になってますね。」と
言われてしまったものの、立方体を回転させて、ある図形を完成させるテストでは、
7個が完成してて、残り1個の置き方で3倍以上もかかってしまい、かなりの得点ロス。
くそー、8個の内の7個がすでに完成してるのに、残りの1個で全体の点数にされる、
違うんだー、序盤の日本語の意味を答えさせられるテストでそれが30単語くらい、
この掲示板バリに、ものすごく各々説明してしまい、これもデジャヴだわ、
ある部活内のテストで、課題で、あと何回走るか知らされてなかったもんで、
僕は全速力で1位になってしまい、「お前速いんだな」と先生から言われたものの、
あと何回走るとか聞いてなかったもんで、残りの体力がなくなり、もう無理状態、
その単語の時に、かなり頭を疲弊させてしまい、
「すみません、なんか手がしびれるんです。抗不安薬持ってきてるんですけど、飲んだ方が?」
「あ、それはアナタ、酸欠になってるのですよ。深呼吸してください。」
その後も明確に、いったん疲れた脳は簡単に回復できず、ボーッと集中できなくなり、
そんな状態での図形テスト、くやしいです。
あきらかに7個がサッ、サッと完成してるのに、あと1個をクル、クル、クル、クル、
あれ?あれ?あれ? まるで脳梗塞でもおこしたかのような、
それをしたらいいのにのための動きができない、…この感じうまく言えてるかどうか、
で、完成までに要した時間を計測。

一方、読み上げられた数字とひらがなを、小さい順番に言うというテスト、
例えば、1~10、あいうえおかきくけこ…、

「ナナ 『つ』 キュウ 『な』 サン 『け』」
みたいに読み上げられ、
小さい順番に、数字とひらがなを言い直すので→【3 7 9、け・つ・な(ひながなの早い順番)】
と答えるもの、これが最後の問題だったらしいが、これがIQテストの中で、
最も難しいというものだったらしく、これの成績がよかったので、不思議がられ、
また、「木」と「人」を描くというテストで勝手に画力を評価され、
木はその人の心理状態で、不安が表れてるとか、そういうつもりじゃないと説明すると、
胡散臭さ爆発で、心の描写を観たいと事前に説明してもらえば、
そういう木を描いたのに、わざと何も言わないので、どこかでみた木を写実的に描いたので、
それで心の状態を見ると言われてもなぁ、胡散臭いだろ、
心理検査なんざ、そういうものだ。
だって、こっちの調子次第で、いくらでも結果が動くのだからな。

そういう事じゃなくて、もっと僕が何を言ってるのか、理解のある人がいいなぁ。
 

死刑廃止。いつもの話しがあちこち。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月 6日(水)12時48分34秒
返信・引用 編集済
  「何々論」であるとか、「何々説」であるとか、どっち側であるとか、思想がどうとか、
僕は、そういうものは『あり得ない』と考える。

なぜなら、それらは、理論的に、時系列でみても、思考過程であるからで、
それが結論、ないしは目的化では、「インチキな旗振り役」だろ、と。
考え方、ではなく、多くの人の『納得』が最優先事項なのであるけど、
これが厄介で、習熟度は人それぞれに依拠してしまい、イコールではない。
また、同じ習熟度であっても、どうやったらそこでそうなる、と、
頭よく間違える人たちが世の中に生成され続けている実情なりをみても、
や・は・り、真実はひとつなのである、
つ・ま・り、真実はひとつなのであるから、色々な考え方、それらは、思考過程ではいいが、
最終的な結論が複数存在するようでは、真実ではないか、誰かが間違えてる。

「人生は、数学のように答えはひとつではない。色々な生き方があっていい。」
なんて言葉があるが、これは、理論的に間違えている。
まるでさまざまな生き方があるかのように説いているが、それが間違い。
答えが複数なんて事は、論理破綻している。

答え、真実は、ひとつである。
上記の理論は、あくまでも『やり方』の話しをしているのであって、
その証拠に「どう生きるか」に答えはひとつではないと言っている。
どういう生き方をするか、それは『やり方』、つまり、『手段の話し』である。
真実とは、【生きる】ということのみであり、あとは、それの手段だけが違う。
すると、手段に対して上記の理論では「答えはひとつではない」と言っている。
手段は、答えではなく、やり方なので、この手の考え方の本質は、
【人生、どうするか】の個々人のこれからの事、「生きる」という本質、答え、に対しての、
どうするかの話しなので、そのアプローチの違いを雄弁に語られましても、
それは答えじゃなくて、やり方の話しだ、という事。
(※手段=結論、という時系列を区切った場合の考え方はできる。しかし、
そもそもの、何を本質、つまり、実は共通言語があるのか、見極めると、本質はひとつ、
答えも真実もひとつ。)

死刑廃止論者の多くは、「人権が」「人が人を裁いていいのか」
「冤罪だった場合、取り返しがつかない」とか?
詳しく知らないけど、だいたいそういうところじゃない?
死刑推進(廃止反対)論者の多くは、それの正反対で、
「そもそも殺された人は、殺された時点で人権が奪われている。
その人権を奪った人間側が、のうのうと生きてる、これは理不尽だ。」
「殺人には、死をもって償わせるべき」
とか?

僕は、全部正しいと思う。
【思考過程】だから。
…ところが、多くの人は、そうじゃないんだ、それが【結論】であると、それぞれの
理論の根拠として主張する。

死刑の本質は、【対価と不一致】にある。

「何も悪い事してない、そこにいただけで殺された。」→無期懲役、
《なぜだ》
「計画性がないので、死刑は重すぎる。」

そもそも、刑とか、服役とか、何?
規則正しい生活を、隔離された場所で過ごし、刑期を終えて出所、だから?
こんなもの、スポーツ選手の強化合宿では日常茶飯事だろうし(隔絶)、
出稼ぎ労働者が派遣先の会社が用意した借家で、期間工(隔絶)として働くのも同じだし、
つまり、これらは、罰則でなくとも、【負荷】と言えるわけだ。
情報からの隔絶、権利の剥奪があるとでもいうのか、受刑者は、
ある程度の制限がかかるだけで、むしろ、集団生活を強制するほうが、人権的に問題がある。
確かに重犯罪同士としても、殺人の経験者と知能犯で体は華奢な人物が同じ場所にいる、
体にモノ言わせて殴りかかられても抵抗する手段が知能犯にはない、不公平である。
何かおかしな事を言ってるだろうか。
「障害者」も同様で、身体障害者、どこの、どの程度の?から、知的障害者、
ダウン症、精神障害者、どの程度の? さまっざまなものが混在しているのに、
一言、「障害者」ということで、なんらかの公的窓口は、受け付ける。
事実、ハローワークも「専門(この胡散臭い単語)窓口」が、障害者窓口で、
いっさいがっさいになり、かなりの、できる人、頑張ってる人向け、
…なんていうか、人間性ではなく、頭さえよければ職場がみつかる、
車椅子に乗った、事務作業の優秀な女が、憎たらしい応対をしてきた時に、
僕が、ムカッときたので、一対一では不利なので、さて、第三者にわかるように、
具体的におかしいなと思う事を、空気を凍らせる間を作り、我慢しきれなくなった人物が、
その車椅子の、障害者だから、まともな思考なり人間的優位性があるわけではない証明として、
「確かに、おっしゃる通りです」と、その後、車椅子の女は、
何が起きたのか、初めてカマされた反撃に面食らってる様子でひっこんだ。
望んでそれをしてるか、してないか、の差なら、「仕事がないから軽犯罪で刑務所でタダ飯」
の発想は、望んでそれらの負荷をしたがってる、これは利害関係が一致している。

…さて、話しがあちこち、何が何やら。。。。
(と、額面通りに受け取られるのがツライところ。「おくちゃんは何か本質を言いたがってる」
と察してくれる人と出会う確率の低さ。)

「快楽とは、痛みを水で薄めたようなもの」と言うのはマゾの理論。

…う~ん、あまりネタばれもどうかと思うけど、やはり【時間】の概念が、
多くの偉人サマたちには欠落しているのだ、だいたいの理論は、
時間の概念を追加すると、丸裸になる。
「快楽とは、痛みを水で薄めたようなもの」、これに時間の概念を当てはめると、疑問発生。
「快楽を得るためには、まず、痛みがないといけないの?」となる。
だってそうでしょう、【時系列】で、痛みを薄める事によって快楽、という順番が存在する。

さらに追加で質問だ。
「苦痛とは、快楽の超過によってもたらされるもの」と、僕が指摘したら、
なんて反論してくれるのかな?
例えば生理的欲求が満たされると満足するが、満足中にさらにもたらされ続けると?
おいしいものを食べる、お腹いっぱい、まだまだまだまだ食事が支給されてくる、どう?
オーガズムに達してるのに、まだまだまだまだ刺激を加えさせられる、どう?
単純に、望んでないのに、くすぐられる、笑っているけど、快楽で笑ってない、苦痛で笑顔、
どう?

苦痛を水で薄めて得られた快楽が、苦痛になるので、また水で薄めて快楽、の繰り返し?
するとだな、「卵が先か、鶏が先か」の話しなのか?
脳科学的には、苦痛を見ない事にする自己防衛機能が脳にはあり、
場面をコマ落ちさせて、都合のいい場面だけ認知させるらしい、
すると、実態(事実)は、ひたすら苦痛であっても、心地のいい痛みと変換してるだけで、
心地のいい痛みなどなく、痛い事から逃げてる事を、「いい思い出」にしてるだけか。
つまり、ウソつきほど、「悩みがない」と言う。

コマ落ちも、水で薄める、も、さて、落ちたコマはどこかにある、
水で薄めたからには、凝縮させれば元通りの苦痛になる、
どこかに消え去ったわけではない、分散しているに過ぎない、あるのである、消えてない。
もしくは、形を変えて存在し直しているかもしれない。

何が言いたいんだろう。

死刑とは、人間とは、「死こそが最大の苦痛」と考えている。
僕は、それは間違っていると理論的に思う。
【時間の概念】である。
死とは、文字通り死なので、死後は、苦痛を感じようもない。
すると、死が怖いのではく、『死に至る過程こそが最大の苦痛』と、
どうやら人々は言っているようだ。
で、あるからには、死刑は、死後、その人物に対して、追加の苦痛は不可能となる。
つまり、犯した罪に対して、【対価】と考えた場合、死刑では、
それで終わってしまうのである。
意識のある状態で対価を感じる必要がある、これを達成するためには
【不一致】、つまり、本人が望んでない状態におかれる事である。
『生き地獄』という概念は、すでに存在している。
いじめられっ子にとっては、生き地獄である、それから解放されるために「自死」が選択肢に。
つまり、死ぬ行程よりも、日々の苦痛の方が勝っていると言える。
死んでしまえば、苦痛はそれ以上感じる事もないどころか、感じる、という概念も消失する。

つまり、仇討ちが禁止されている現代社会において、
懲罰を求めるのならば、死刑では、苦痛からの解放を手助けする事になる。
生かしたままでなければ、苦痛は与え続けられない。
死刑廃止は、死刑推進より、よほど苦痛である。

先日、「永遠のゼロ」という映画を観まして(だからじゃないよ?)、
深手を負った人物が、敵に突っ込んで自爆する事を告げた場面がある。
しかし、それを聞いた人物が、「だめだ、やめろ(生きろ)」と、制止した。
しばらくすると、深手を負った人物に、助かる兆しが見えて、笑顔になった。
…こういう事だろ、と思ったのです。
ついさっきの【判断】は、すでにこの世にはいない選択肢が最善だった、
ところが、『助かる可能性』を目にして、希望に満ちあふれた笑顔、
(この話しは映画的にネタバレするので、その後の話しは割愛。)

よく聞くんだ、
「人は、いつでも、選択を繰り返して生きている。」と。
その時々、その時点において、『最善』と思われるか、『それよりまし』と思われるものを、
選択している、【だから】→【人生に間違いはない】という理論、
それでよかった、という選択をしているのだから、結果的に間違っていても、
【しょうがない、それでいいと思ってたんだから。】→そうじゃない証拠に、
深手を負って、自爆を希望した人間が、生きる希望に出会えた、
…という理論でいうと、「じゃあ、さらに悲惨な出来事に遭遇する事もあるだろうが、
お前が時系列、時系列というのなら。」と自己反論してしまうが、
これをバカな奴なら「それは結果論だろ!!」と顔を真っ赤にして反論するのだろうが、
【結果論であるが、その結果は、まだ未知の段階なので、
なぜにキミは確定的な結果として、可能性を提示したのだろうか。『まだ』なのだけど。】


今TVをつけたら、すっごく押しつけがましい番組のタイトル、
「昼なんです」だかなんだか、そうなんですかとしか言いようがないような。
それで、金持ちの一級建築士のお宅訪問やってて、玄関のドアが「内開き」を、
『防犯で役に立つ』と、ことさら紹介していて、コイツもまた【時間の概念がない】と思った。
内開きだと、内側から「押す」事ができるので、押し返してドアを閉めやすい、、、と。

日本の玄関は外開きが多く、悪い人が入ってこようとして、閉めようとしても、
相手はドアを押してくるので、入られやすい、というもの。

…あぁ、一級建築士は頭がいいはず、バカが自分の自宅自慢をしたいだけなのか。
どういう場面かを書くだけで、また書き込みできてしまうので、
想像に任せます、時系列で考えてみてよね、と言いたい。
外開きだろうが、内開きだろうが、、、…はぁ。
じゃあ安全という内開き、中の人が開ける時に、内側に開くからには、「ドアを引く」よね?
外の人は「ドアを押す」という構図になってるよね?
ドアを引いてる家の中の人は、相手を確認するために、自分は後ろ歩き、相手は中に入り、
それから顔を覗き込むという危険なタイムラグまで発生する。
押す事で防犯になるというが、最初の時点から相手に押される構図になってる。
反転して押し返すのだとしても、相手の方が一手早いわけです。
 

日常的な数字に苦悩。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月29日(火)12時00分51秒
返信・引用 編集済
  一、十、百、(千)、万、十万、百万、(千万)、一億、十億、百億、(千億)、一兆、、、

数字の「位」は、日本人的には4つの位(1000単位)で、次の概念に移行。
しかし、日常的に見る数字は、3つの位で「1,000」のように、区切られてしまう。
簿記なんかもそう。
当たり前にやられてしまう、しかし、算数で習ったのは、間違いなく4つずつだ。
数字は理論的に無限に存在するのだから、まとめて考える数が多いほど有利なはず。
だから、学校で習ったのは千(1000)の単位ずつなのに、社会に出て、10万を「10,0000」なんて、
「,」で区切ろうものなら、心底バカにされます、しかし、ちゃんと数字を見てくださいな、
10万でしょ?「10」万→「10,0000」、一目でそれが10万だと、区切り方で理解できます。
『位があがった』というのが、一目で理解できます。
しかし、世の中は、「100,000」と記載しないと、心底バカにしてきます。
英語と日本語の数字の数え方、概念に起因するのだろうか、アイツら困った事に、
ローマ数字には「0」の文字がないしな。
ところが、だよ、じゃあ千の位で区切ってるのは日本が特殊かというと、
ちゃ~んと、1000mg→1g→1000g→1kg、1000kg→1t、と、ちゃんと千の位毎にまとめられてる。
どの団体なんでしょうね、3つの位ずつ区切ってる事を当たり前にしてる犯人は、さ。

あ、ちなみに、千の読み方ね、コレも額面通りに読まれないのがひっかかってね。
例えば、「1000億」、コレ、「せんおく」と僕は心の中で読むのだけど、
一般的には「“いっ”せんおく」と、1をわざわざ読むのよね。
じゃあさっきの1000mg、これ、「いっせんミリグラム」と読むのかって、読まないんだよな。
きっと僕はバカにされるのさ。
でも、そんな人に千円札紙幣を見せて、「これ、何円札?」と聞いたら、きっと
「せんえんさつ」と答え、『いっせんえんさつ』なんて言わないんだよな、んーー。


本当に小学生の頃から数字は難解で、今頃思うのだけど、諸悪の根源は、
【1】という存在だったんじゃなかろうか、しばしば【0】の概念を大人の今独自に説いてるが、
実は、本当に困らせられてたのは、0じゃなく、1の扱い方だったんじゃないか。

冒頭に書いた、
一、十、百、千、万、、、の、最初の「一の位」の言い方、コイツだよ、コ・イ・ツ。
「1」から始まってやがる。
僕以外の、他の誰にとっても、こんなところは、悩むところでも、ひっかかるところでもない。
…ははぁ、さっきの、100000を、「10,0000」ではなく『100,000』としてる世の中、
これ、ひとつ思ったよ、「世紀」の概念だ。
コイツは、他の単位が1000の単位で繰り上がっているのに、こいつだけは100の単位だ。
3桁(100)ずつの区切りになってるのは、まさに世紀の考え方だ、コイツは古臭そうだ。
今、2017年だけど、それを21世紀と言う。
ちょっと考えたら、バカだと思う。
例えば、この投稿時点がPM12時15分だとしますよ?
この「1世紀」なるカウントの仕方だと、このPM12時15分は、『PM13時』と言ってるに等しい。
だから僕は混乱した、なぜに100ずつのカウントなのに、先の数字を言うのか、
未満の時点なのに、先の数字を言うのか、例えば、西暦20年は1世紀と言われる、
おかしい、1世紀は100年区切りなのに、まだ100年に足りてないのに1世紀と言う、
だから、今が12時15分であっても、13世紀と言うくらい、
「今何時?」→「13時」 は?まだ13時って事はないだろ、12時何分か、って、
『否、13時なり』と、言われてるようなものじゃなくて?
僕は現在、43歳なのだけど、10月1日に44歳になる。
しかし、まだ43歳なのに「あなたは44世紀」と言ってるようなもの、じゃなくて?
まだ43歳だ、でしょ?

「西暦0年は、何世紀なんですか?」と、この掲示板で僕が質問したら、
『西暦0年は存在しません。西暦は1年からです。』と、とても賢い様子で言われたもので、
「…あっ、あぁ、そう。。。(当時の心の声)」

実は、【0】ではなく【1】で苦しんでると気づいてきた僕。
今時、おはじき、と言ってもアレなので、リンゴで。
おかしな質問をしてみたいと思います。
『リンゴが10個あるとします、リンゴは何個~何個ありますか?』
「はいはい、いつものゼロの概念とやらで、0個~10個と言いたいんでしょ?」
僕は、【1】で苦しんでると言いました、そして「おかしな質問をしてみたい」と言いました。
もし、リンゴが10個あるのなら、それは、『何個~何個』という概念は、そもそも、
おかしいと、小学校の先生は教えてくれないと、僕のようなアホには伝わりません。
何個から何個で10、という考え方は、数え始めから【1】を導き出してしまう。
だから、10未満の数字を1の位と言い出し、じゃあ10とは、10の位なのか1の位側なのか、
きっと10の位として認知されるのだけど、でも1の位なら、9までの単位(かたまり)にしないと、
マンガの単行本、10巻ずつ、本棚に片づけようとしたら、あら不思議、
11巻~20巻で、10のかたまりだ。
この数字を見て、頭を抱える僕なんですよ。
さきほどの、『西暦は1年から始まりました。西暦0年は存在しません』と僕に言った女子、
おかしいんじゃないかなぁ、とお話ししたら、
「私はこれで、日常生活に困ってませんので。」うん、悩んでるのはボクくらいかもね。

だってね、11巻~20巻を「10のかたまり」と言うのなら、10冊ないとおかしいでしょ?
実際、10冊ちゃんと存在してるのだけど、でも、
今、AM11時だとするよ、PM20時になるためには、後何時間待たないといけないかな?
きっと「あと9時間」って言うんだ、それで実際正解。
じゃあ、「11巻の単行本があるけど、あと何冊あれば20巻になる?」
「あと9冊あれば20巻になる」と答えてくる、それで実際正解、、、、ん?
その11巻の存在、数字の出だし、数字の始まり方、数字の数え方として、
「なんで、11巻があること前提で物事を考えてしまうの?」
これは、宇宙の始まりの考え方のようなもので、存在=【1】で、無=【0】、
という考え方に似てるんじゃなかろうか。
【1】とは、ボリュームの事であり、【0】とは、場所を指し示す概念であり、
前に皮肉を書いたが、「人生、1からやり直します」って定形言葉、
どこまでやり直すのか知らないけど、完成を10だというなら、
あと9しかやり直さない、1の部分だけは相変わらずやり直さないって事だな?と。

リンゴが1個あります、あと何個あれば、10個になりますか?→9個。
…これなんだよ、僕が頭を抱えてしまうのは。
最初の1のせいで、結局、リンゴを10個揃えたいのに、なんだよ、あと9個なのかよ、
1個はどこに行った?何?最初から1個すでにある?じゃあその1個はどこから持ってきた?
何言ってるかわかる?何言ってるかわかる?ぼくはわかりそうでわかってなさそうで。
この奥村万年少年、大人になりたくない奥村44歳少年。
お前だったのか、【1】、この野郎。

始業時間がAM8時の仕事があり、タイムカードは何時から計算されますか?
AM8時1分~カウントされる、それが、「リンゴが1個あります」の枕詞と同じ事を言ってる。
冗談じゃないのである、AM8時から仕事してるのに、次のAM9時になった時に、
【1】から始められてしまうと、59分しか仕事をしてない事になる。
前にも書きましたが、一年は1月1日~12月31日と答える人がほとんどだけど、
これを時間に当てはめたら、12月31日では、8時59分までしか数えてくれないの?
もっと言うと、1月1日ではなく、【0月0日】が存在しているのに、【1】がある事前提だ。
【1】ってなんだ?なんでいきなり【1】があるんだ、【1】はどこからもってきた?…なのよ僕。


僕は、数字が本当にわからない。
だから算数でつまづいた。

今でも錯覚してしまうんだ。
最近、ちょっと自分のPCをイジる事があって、電源が足りないので、
「二股ケーブル」なるものを接続する事で、
「よし、これで1つの電源から2つの電源が確保できるようになったぞ♪」と期待した。
自分の錯覚は、この二股ケーブルをつければ、2つの機器が接続できるようになる、という期待。
ところが、1つの電源から二股ケーブル→2つの機器が接続できるようになった、
…あれ?確かに正解だけど、期待してたのと違ったのである。
つ・ま・り、そもそも接続できていた機器1台があり、それでは足りないので、
二股ケーブルを購入すれば、あと2台の機器が接続できると錯覚してしまったのだ。
実際は、二股ケーブルの内の1本は、元々の機器に使われてしまうため、
実質、1台の増設しかできないという状況なのである。
「そんなの当たり前だろ、バカじゃねーの?」
バカだから困ってるんだ、キミはバカじゃないから困ってないんだ、当たり前だろ?
むしろこのバカさを理解できないなんて、バカなんじゃねーの?
2台の機器を増設するためには、【三股ケーブル】が必要なのであった(そんなの売ってない)。
こういう錯覚、1台はすでにあるものとして、あと2台分なのに、二股ケーブルで間に合う錯覚。

不可逆の話し。
100円の商品の8%消費税込みは、108円(税込み価格)。
「税込み価格から、8%の値引きセール中」→いくらですか?【99.36円】。
(100円の1%は1円→108円の1%は1.08円、なのだもの。)

かけ算のトリックにも苦悩。
面積の話しが厄介だ。
ウチのPCの解像度は、1920(横方向)×1080(縦方向)のドットで構成されている。
「縦の解像度を2倍に増やしたい。今の2倍、細かく表示できる。2倍だ。」
すると、自分の感覚としては、2倍にしか解像度があがってないのに、
困った事に、横方向も2倍だから、【4倍解像度→『4K』】などと言われてしまう。
…いやいや、縦の画素数は2倍にしかなってないよ?
2倍に増やしただけなのになんで4倍なんて、4倍も縦方向の画素数は増えてないでしょうが。
2×2=4、だから4倍だ、というわけである。
違うんだよな、なんか感覚が違うんだよな、縦のドット数は2倍にしかなってないよ。
でもトータルで4倍と言われてしまう、でも4倍も細かくなってないよ、
だって、2倍にドット数を足しただけだもの、でも2×2=4、間違ってない、
4倍の表示数になってしまう、でも、こっちの感覚は2倍しか増やしてない、
このギャップ、錯覚、当てがった数字との感覚のズレ、実際が正しいのに、
どうにも気持ち悪い、2倍が4倍と言われる、生きにくいです、算数は大事だよ、
でも挫折したから大人の今でも苦しいよ。
 

マジでマジで。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月18日(金)19時37分5秒
返信・引用
  Windowsには、映像と音声を扱うプログラムに「Direct X」という技術がある。
(難解な話しではありません。どうせできないしそんなの。)

その読み方、『ダイレクト エックス』が一般的かと思ったら
『ディレクト エックス』だろ?出現で、そもそも論勃発。
ディレクト エックス派が論破された理由に、公式サイトがカタカナ表記時に
確かに「ダイレクト エックス」と書いてた、というもの。

何かを直接やる時に、「ダイレクト」にやる、だの、メールも「ダイレクトメール」だの、
…そうかと思うと、ちょっと待てよ?TVで良く出てくる「ディレクター」、
あれを「ダイレクター」とは言わないぞ?
スマートフォンだけど、略すとスマフォじゃなくてスマホ的な?
その時々で言い方変えるってか?

あれよ、エネルギーって一般的に言うけど、『エナジー』がより英語発音なんだろ?
エネルギー問題とか、若い人はエネルギーに満ち溢れてるとか、
これをエナジー問題とか、若い人はエナジーに溢れてるって言ったら、調子こいてる響き、
そうかと思うと、「エナジードリンク」とは言うのな、
むしろ「エネルギードリンク」って言おうものなら、ププーッという嘲笑ものじゃないの?

おかしいなぁと思ってるのは、「テンション高い」とか、
テンションて、どこをどう調べても「緊張」なんだよな、しかし使い方としては、
「テンションあがるぅぅっ」とか、まるで気分が高揚してる状態をどうやら言ってる、
「テンションあがるぅぅっ」を額面通りに聞いたら『緊張がとめどないんだね。リラックス♪』
勝手な推測ですが、大黒摩季って人の歌詞、1990年代の、「あなただけ見つめてる」
だったか、その中で「ヤバイ High tension」なんて一節があり、
当時の人気アニメの主題歌だっただけに、歌い上げ方がアガってる風なので、
間違って使ってるのかなぁ、とか、本当は相手方のお母さんを目の前にして、
すごく緊張してる状態を歌ってるみたいだぞ、歌詞の流れとしては、
だからハイテンション、どうしましょう(緊張・不安)状態。

アナログ、デジタル、のデジタル、これを英語で書こうとすると、『デジタル』なもんで、
つい、「degital」と書きそうになる、そして心の中で、「そうじゃなかったはず」で訂正、
『digital』なのである。

最近は便利でして、俺の中学時代なんて、よくわからん、単語の読み方だけ書いてある、
俺の記憶では、申し訳ないけど、その習ってもない読み方表記、その読み方も
書き方も正式に習ってないけど、なんだか辞書にはご丁寧に書いてある、
さっきのdirect→「d?rékt, d??」…読めねーっつうの!!当たり前に表記してんじゃねーよ、
当時使ってた英和辞典よ。
さっきのdigitalも→「díd???l」←だから読めねーっつうの!!読み方教わってもいねーぞ。
サボッてたわけじゃねーぞ、英語の授業、何をサラサラと進んでるんだよ授業。
この手の話しは数学や物理に出てくる記号でもあり、そんなスペル、
英語の授業側では教わってない、なんだったら明朝体っぽいので、
なおさらゴシック体にした場合、どういう書き方なのか正式に教えてないだろうが、
なんで当たり前にサラサラと黒板に書いて授業してんだよ。

私の小学校の国語の授業でしたら、それはそれは筆順から、ハネから部首から、
文字の正確な書き方を教わってたものですが、平仮名、漢字、
なんですか、Σ(シグマ)とか、英語だけ真面目に勉強してても、
そんな単語、英語の教科書で出てきた事もない。書き方も知らん。

ひぃ、飯時のプレッシャーで駆け足になってきた。
ヤバイ ハイテンションだ。
テンションあがるぜーーーっ、ヒィィ、ヤベェ。

その、今時はいいな、おい、というか、俺の時代はクソだな。
英和辞典は発音してくれない。難解な、なんて読むのかの発音記号みたいなのだけ。
ところが、今はその単語をネイティブ発音してくれるので、正しい発音が聞き取れる。
その上で、「digital」が、どこがどうなって「デジタル」になってしまったのか、
その発音を聞いたら「ある意味、仕方ねーのかな。」
「デジトォ」と聞こえます。せめてディジトォと聞こえて欲しいが、
何度聴いても「di」がデと聞こえてしまう、むむむ。
それと、「direct」、「ディルレッットゥ」 ほほう、意外と最後のtをしっかり発音するのな、
とか、今の時代だったら、もうちょっと英語できたかもしれないなぁ、
どこにもネイティブを聞き分けられる勉強方法はなく、機会も、
それなのに、いきなり英語の全国テストになると、
校内放送用のスピーカーから英文を読み上げられ、それを聞きとって答案用紙に解答、
…無茶があったと思うんだけど。。。
 

自立と孤立は違うんだよな。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月13日(日)00時26分39秒
返信・引用 編集済
  孤高、ならともかく。

最近、今時珍しい、今時懐かしい、スーパーの一角にゲームコーナーがあり、
そこでゲームをしてる中学生がいた、一人で。
その光景を見て、「この同級生(たち)は、この時間、どこで何をしてるのだろう。」
(たち)と書いたのは、そういう事で、それぞれ、なのか、
それともどこかで集まって遊んでるのか、何してるのか、サッパリわからないのである。
これは、自分とオーバーラップしまして。

僕の同級生に、明らかに他の人達と違う人が何人か、いた。
知ってるだけで、女性4人、男性1人、彼らは、別に集団に属さなくても寂しそうでもなく、
イジメられてるわけでもなく、別に「だろうね」感というか、冷めてるのでもなく、
なんて言ったらいいのか、自己完結できる人たちだな、と、「孤高」という単語が似合う。
かといって、意図してそういう振る舞いをしてるのじゃないから、また格好いい。

僕はというと、みんなどこで何してるのやら、状態の「孤立」。
わからないんです。
高校受験を控えてた中学校3年の夏休み、みんなどこで何してるやら、
僕はひとりで、今は廃線になってしまったけど、後にその路線で通う事になる、
その線路沿いをトボトボと歩いてバッティングセンターに行った。
ポツーン、と感。
ゲーセンがあったからだ。
少なくとも、僕が中学1~2年の頃ならゲーセンには人はいたが、
流行り廃り感にあり(ファミコンは、僕の中学3年時点では、「まだあんなのやってるの?」)、
確か、スーパーマリオ3だったか、そんな話しをある同級生がしてて、
何を幼稚な事言ってるのか、の空気の中に自分もおり。
確か、24時間テレビをやってて、それと記憶が一緒にある。
みんなこのゲーセンに来てた光景、よく覚えてるのに、誰もいない。
店を任されてるオッチャンが一人だけおり、僕は勝手にゲーム機のコンセントを全部差し、
10台以上あるゲーム機が動き出す、薄暗く、カレーヌードルの匂いのする店内。
一度でいいから、あの両替所のオッチャンからカレーヌードルを買って、
ゲームをしてみたいと思ってたもので、それだけの事なのに、それも不器用で、
他人の匂いだけで我慢してた。

中学3年の卒業式が終わった後、誘い合ったわけでなく、僕はまた
このゲーセンに来たら、「やっと終わったな」の安堵な感じで、
まぁまぁ賑わってた。
そうか、連れだってきてた同級生が何人かいる、なんだ、来る場所ではあったのか。
時系列が飛ぶのだが、僕は、同級生の服が、どこで買ったものなのか知らない。
知った事がない。
あんな服、こんな服、どこで売ってるんだろう、せいぜい知ってるカジュアルショップには
見た事もない、茨城の水戸には、一人でしか行った事がない、
でも男物の売ってるめぼしい店はトボトボと探すのだけど、なんかみんなの着てる服がない。
東京まで買いに行ってるのかなぁ、友達同士で?みんなの行動を知らないんだ。

母子家庭になってから、そういう子どもたちとのふれあいみたいなのに参加した。
高校生のお兄さんお姉さんとキャンプしたりの。
「大人だなぁ」と見ていた。
僕は中学3年の1学期くらいでしたので、それで1つか2つ上の人たちが
やたらと大人びてみえて、自分がその時期になっても、なんらのリスペクトの対象にも
ならないのもわかってて。
その時に、リーダーみたいなお兄さんがいて、いつも笑顔でみんなに優しくて、
すごいなぁ、すごいなぁ、って見てた。
…ある日、僕がそのゲーセンに行ったら、R-TYPEというゲームをその人がしてた。
遠巻きに最初は見てたけど、間違いないよな、あの時のお兄さんだよな、
と思いながら、視界に入る程度に近づいてみたら、
あの時の笑顔がウソみたいで、ものすごく冷たい顔で、
自分の顔を彼の視界に入れて(やってる最中を邪魔なんてしてなく)、
確かに僕を認識したのに、「誰だお前」の表情であり、僕だけが覚えてるのは不可思議で、
ちゃんと認識した上で、完全に無視されてしまったのである。
では、あの集いってなんだったんだろうな…。

僕が中学2年の宿泊学習では、鎌倉をワイワイとグループで散策してた頃、
僕は周りの状況がわからないので、ポツンと、ひとりでレコード屋さんに行き、
修学旅行の学生なんて誰も入ってなくて、そりゃそうで、
その土地ならではの観光に来てるのであり、しかし、僕の田舎には入荷されてない
ゲームミュージックがあり、「わぁ、すごいなぁ、全部ある。」
旅行のお小遣いは、そういう為には持たされてない、でもカセットテープ買った。
僕は周りがよくわからない。
ゲーセンとファミコンでは描画能力も音源も違うから、ゲーセンのオリジナル
の音楽を聴くのが憧れであり、それは寂しいものでもあり、
だって、音楽は聴けても、そのゲームができるわけじゃない、せめて水戸までいかないと、
ウチの近所にはない、そういうのもある、バッティングセンターのゲーム機とは別の。

僕は、お祭りが、本当は好きだ。
でも、お祭りに参加できない。
僕の町は、町内毎に山車が出るのだけど、これがよくわからない。
自分の町の山車なら、自分に参加する権利があるのだけど、
子どもの頃から「人が集まらないからお金払って若者の何々会に来てもらって、
騒いでもらって賑やかにしてもらってる」なんて話しを聞き、
ここに生粋の町出身者がいるのに、声もかからない、
知らない何々会みたいなのの人たちが、僕の町の山車でいつも男女で若さを出している。
僕はそっちは無理だから、山車の音楽をやりたいと思っていたが、
その入口もわからない、どうも、その親が牛耳ってるらしく、
その子どもにやらせるものだから、それに参加してないウチの親はコネもなく、
いつも祭りが近づいてくる頃には練習の音が響いてきて、どこの集会場なのやら、
やりたいけど、入っていけない、僕は、わからないんです。

ですから、孤高な同級生をみて、格好いいなぁって。
僕は孤立してるだけだったので、全然違うわけで。
祭りには、僕は熱心に子どもの頃から参加しており、子どもの頃は、
山車をひいて大声出して、ひとりで参加して、朝から晩まで飽きもせず、
ところどころに入る休憩では、おにぎりや飲み物や、そして声が枯れるというのが、
本当に体験しており、そして19時になると「はい子どもはここで解散」と言われ、
いつも紙袋いっぱいに入ったお菓子をもらって家に帰ってた。

僕は知らなかったんだ。

祭りの本番は、19時を過ぎてからで、実はいつもの通りが歩行者天国になり、
縁日は大賑わい、僕は知らなかったんだ、知った時はショックだった。
あんなに尽くしてきたのに、熱心に参加したのに、
大騒ぎの中心は、どこにか頼んだ、他の遠くの高校生の何々会みたいな、
僕の町の祭りなのに、知らない人たち、大人たちが、全部“持って行って”たの…。
子どもながらに、悔しかった。
今も、祭りは羨ましいと思ってる。
何々会でもないから、とても恥ずかしい、生粋のその町出身であるのに。
数年前にみかんを連れて、その祭りを見てもらったが、
さらに何々会の度合いは強くなり、それは自分の町に限らず、
まるでその町ごとの制服のように、統一されていて、僕の子どもの頃は、
各々、祭りの服を買い、それぞれな格好、提灯もって歩いてるのは、
信用金庫のお姉さんたちが、お揃いの浴衣きて練り歩いたり、
…日本のどこもそうなように、そんな光景は消えていて、その信用金庫も潰れたし、
その会長は婦人服の店主だったけど、自殺したと聞いたり(売り上げ振るわず借金苦)、
あぁ、「子ども会」でよく見てたのに。

みかんと見に行った祭りは、もう入り込めそうなすき間が完全になくなっており、
残念なお知らせを突きつけられたわけで、
コネという意味でいいだろう、僕より全然年下の人たちは、すでに子どもを沢山作っていて、
その子どもを山車に乗せてはしゃいでる、僕は乗せてもらった事もないのに、
あの時、僕より年下だった子たちが、コネで山車に乗り、今は子どもを作って、
その子どもをコネで乗せて大喜び、自分たちはコネなんて意識はぜったいになくて、
…なんていうか、この残酷さというか、言ってる意味、祭りの意味というか、
わかる人しかわからんだろうな。

ちなみに、僕は、自分の町の祭りの音楽は、名曲だと思っています。
音楽として、完成度が高いです、よく、壮大な和太鼓だの、
よくわからん、口ずさむのも困難な横笛とか、そんなんじゃなく、
“グルーブ”のある、何度リピートされても飽きない、だから一日中聞いてられた。

お盆だね。
恒例的にいつも触れるのは、それだけ思うところがあり。
13日におじいちゃんたちをお墓に迎えに行って、
「今、家に帰ってるんだよ」を信じて、家で静かに過ごし、
15日にまたお墓参りに来て、「今度はお墓に送ってくるのよ」を信じ、
お線香とろうそくと、新聞紙と花とか、虫よけスプレー買いに立ち寄った記憶や、
提灯や、…でも、そんな時も、僕の同級生はいない、
あの、ゲーセンの中学生のように、みんなどこで何してるのやら、
お墓参りに来てるのは僕の家族と、数家族だけで、
しかも、僕の同級生なんて見た事ない、「そりゃいろんなお墓の場所があるからだろ」、
なんて人と何の話しができるかな、この意味というか、
別に僕は、それらしんみりする一連の行事は、信仰心ではなく、自分の血脈として、
思い出を思い出したり、だから自分たちが存在してる理由に思いをはせる、
そんな日なので、いつもニュースで流れてる、お盆にハワイだ、海外旅行だ、
行楽地だ、…なんなのコイツら、なんで遊ぶ口実の休みになってるの、
お墓参りもしないで、遊ぶのがお盆なわけないのに、お盆を理由に休んで遊んでる、
なんなのって、いつも思っていて、今でもだけど。

また今年も帰れそうにない。
しばらくお墓参りができていない。
いろいろあり。
 

永遠のゼロ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 8日(火)18時42分51秒
返信・引用 編集済
  最近、「永遠のゼロ」という映画を見ている。
気に入ってるシーンばかり何度も見返して、本編を『通し』では見てない奴。
この映画の感想を書こうと思ったら、違う感じで書き始める必要があるので書かず。

全く違う話しで下の書き込みに書こうとしてたのだった。
「永遠にゼロ」だなぁ、と。
ゲームウォッチで気づいたのだが、今の自分の概念では信じられない事に、
0時の概念がないのである。
午前0時、つまり深夜の。
なんて表示されるかというと、「AM 12:00」なのである。
これは恐ろしいと思った、このゲーム機で遊んでたのが小学校低学年の頃であり、
ゼロの概念として、とても混乱させる数字なのである。
【AM 00:00】でなければ、デジタル化した時計の文字盤としてダメだと思う、
文句であるだけでなく、子どもが可哀想だ、自分もそうだ、わけがわからなくなる。
AM 12:00なのに、次の1時間後の表示は「AM 1:00」なのだから、なんで12から1になる?
これは自分の混乱を避けるための視点として、24時間表示だった場合、23:59までが限界値で、
表示上は、「24:00」は存在しないのである。
理由は簡単、24:00イコール00:00なので、終わりの時間と始まりの時間が重なってる、
これはゼロの概念が確立できてない子どもには酷な出来事だ。
「ある」として数えると、ゼロの意味は「ない」にしかならない。
ゼロの意味は、そういう事じゃないからだ。
 

984だった。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 8日(火)18時27分2秒
返信・引用
  自己満足的に、塩漬け状態(使い方合ってる?)だったゲーム(&)ウォッチを飾っている。

いつも(小学校より)悩んでたのはコイン電池の持ちの悪さで、規格が「LR43」という薄型のもの。
互換性があるのは「SR43」とある。
自分は、『ポパイ』『パラシュート』『オクトパス』の3台所有してるので
(すべて中古品で、買い直したものだが)
これらを全部動かそうとすると、全部で6個のコイン電池が必要になる。
さて、意外と高いのである。
近所の安売りスーパーのレジ横に「LR43」のコイン電池が売っているが、
1個入りで300円くらいする。
無理して揃えて、1,800円、3台が1年間動いてる気がしない。
一か月動いてるか、という具合なので、毎月、時代おくれのゲーム機のために
1,800円はキツすぎる、ではと、100均でみつけた、2個入りで108円だ。
6個なので324円だ。
で、毎月?
これもキツイ。
そしたら、ボケてる自分はネットで「最もポピュラーなコイン電池です。電卓・ゲーム用」
の文字を読んで、どういうわけかゲームウォッチに対応してると思ってしまって購入。
その安さである。
20個入りで380円、これは手が出る。
管理してる台数が多いだけに助かる。
そしたら「LR44」であった、そのコイン電池は。
結果的になのですが、無理矢理押し込んで使えてます。
規格外なのでしょうが、電池の厚みだけだったようで、電圧はさいわいにも同じ1.5vとあり。
厚みが増してるということは、それだけ蓄電が多いと解釈できるので、
安いわ、電池も長持ちだわ、いい買い物ができました。

ゲームウォッチというのは、「よしやろう」と思って、始めるもので。
いったんゲームが始まると、ゲームオーバーになるまで、完全に時間を固定化される。
なぜなら、すでにファミコンでは当たり前の一時停止ボタンがないので、
やるからには、時間的な確保が必要なのである。

これが僕の弱点というか、ポパイの最高得点は「998」点、
小学校2年の時に自宅の便所でウンコ中に開始して、なんとなくミスが少な目だったので、
そのまま集中開始してしまった。
ところが、頭の中が、後半になるにつれてうるさいのなんの…。
「ここまできてるのか、もし999点いけたらすごいな、」なんて程度ではなく、
とにかくあれこれあれこれ頭の中でうるさい。
集中したいのに、目の前の手柄のようなもので自己満足を繰り返し、
それを超えたい自分と、ここまできてる自分すごいな、と、何がすごいだ、
邪魔すんな黙れな自分と、わーの、わーの、ウルサイのである。
まるで昭和な日本人選手のメンタルそのものというか、土壇場で弱い、的な、ホント。
そのトイレの時も、この雑音がなければ999点行ってたと思われ、
「その後も何度もトライすればいいだけじゃない」、そうではないのである。
そういうものではないのである。
ではやろうか、と思って始めるようなものなので、集中力が必要なのである。

この書き込みをしてるたった今、Bモード(998点だった小学2年の時はAモード)で
984点だった。
…変わってないな、自分と思いながらやってたわけ。
思いながらやってるからには、それも含めて、あれやこれやブツブツ頭で喋ってて、
まぁ、ウルセーのなんの。
このまま999点行くんじゃないかと思ったのだが、984点で終わっちゃった…。
まるでネタですが、ゴロ的な数字の読み方嫌いなのですが、984なだけに「くやしー」。
「そんなに慌ててない自分がいるぞ、いまのうまくいったな、動きがみえてるな、
どのタイミングでミスを開発者は狙ってるのかな、これはひっかけか、」
だけでは済まない、とにかく喋る喋る、リアルに音声で言ってたら
独り言のキモイ奴だけど、そうじゃないからね?
まぁしかし、そのうるささをかいくぐって、「成長したんだな」と思った自分発見。
分析できてる自分がいたので。

3コースの内の、どれが先に落下してくるかを冷静に見ていればいい、という事。
「え?そういうゲームじゃん、それも気づいてないままゲームしてたの?」なのですが、
気づいてる上で、もっと気づいたというか…。
同列ではなく、手前短い、遠くは長い、では手前が距離が短いので速く落ちるか、
そうではない、実は変速的なのである。
「溜め」というか、リズムにのってると調子にのってミスする、今がまさに。
テキパキやってる自分かっこいい、なんて頭で騒ぎ出しやがって、本当に鬱陶しいよ自分。
その気持ち良さは、本当に実力がついてから、それを楽しんだらいいのに、
どこかで自己満足していて、それ以上を追及しない、結果的に、それなりで終わる。

自分はスマホを持っていない。
スマホは何でもできるな。
ゲームも、まさにウォッチ(時計)も、電卓も、メモ帳にも、写真も動画も、
こんなの小学校時代に存在してたら鼻血物で大興奮してたろうな。
なんか、そういう奴でして。
機能美に惚れる。
勉強机に飾ってたゲームウォッチなので、そこに、ただの時計じゃないのがある、
それが格好いいのであった、ビジュアル的にも。
では、スマホはゲームウォッチを超えているか、…いないのである。
理由は簡単、こんなもの自分で用意すればいいと言われようが、
自立スタンドがついてない、つまり、置時計的な設計思想がスマホにはない。
また常時点灯させておく概念がないので、いちいち画面が消える。
「そんなもん、バッテリーがなくなるからに決まってるだろ」
だったら、もっと設計の工夫をしろと。
確かに、ボタンさえ押せば、時間も日付もわかる、天気予報まででる、
メールの受信までわかる、それがなんだ、そういう事じゃないんだ、
カレンダーは、それがある方向を向いた時に、すでにカレンダーがある。
時計も、今何時かと思って、その方向を見る、それなのに、いったん
ボタンを押させてから画面を表示させるのでは、操作しないと見せてもらえないのであり、
この、他人扱いされてる感じというか、いつでもそばにいるよ、動いてるよ、
なゲームウォッチの温かみがないのである。
今時の技術ならとてつもなく簡単にゲームウォッチができそうなのに。
自分が求めてるものと非常に近い製品として、電子卓上カレンダー、
好きな音楽が流せて、取り込んだ写真が次々に切り替わり、時間とカレンダーを表示、
…では、なぜにこれに手が出せていないのか、
「コードが繋がってるじゃん、自立できてないじゃん、」うまく言えませんが、
いざという時に携帯する思想がないものは、お飾りでしかないというか、
しかしほぼ飾ってありながら、連れ出せるものというか、
自分、ガッツリした家具が嫌いで、引っ越し業者を頼まないといけないようなのが。
住んでるんだけど、いつでも自分でコンパクトに持ち出せる状態にしておきたいというか。

そう思うものの、それと自分の無能さのはざまで、なんだか片付いた事がない。
自分にはそういうこだわりがあり、仕事にも支障がでてたもので。
仕事しつつ、「部屋が片付いてない」といつも苦悩しており、
営業してた時も「そんなに気になるんだったら片づけてから仕事してくれ」と上司に言われ、
それがうまく片付かない。
 

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