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書評

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 3月20日(火)23時23分7秒
  『下山の思想』(著:五木寛之。幻冬舎新書)
P14 私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急速に崩壊へとむかいつつあることを肌で感じているからではあるまいか。

P68 裁く神から、許す神への大転換である。

P77 ~法然という人は、おそろしく過激な宗教家である。
~時間と、教養と、金のある者たちしか救われない、そんなバカな仏教などあるか、と彼はいう。

P96 「絶対に大丈夫です」
 と、テレビで断言した学者もいた。~市民を迷わせ、詐(だま)すような言葉だけは、政治家も、学者も、使ってほしくない、と世間の全員が思っていることに、なぜ気づかないのだろうか。

P199 真実は必ず一種の怪しさを漂わせて世にあらわれる。

P213 砂糖はどんなに非難されても地上からなくならない。塩もそうだ。映画館も、劇場も、書店も、時代を超えて生き続ける。それが人間には必要だからである。
 
 

更新内容のお知らせ

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 3月20日(火)22時53分51秒
  いろいろと今までの更新もれを。

→怪傑おばさん頭巾さん
昨日、末っ子の担任の先生と息子ともども三者懇談でした。
なかなか厳しい状況のようです。
>ニュー・パソコン
何かこれまでのDELLより優しい感じがします。
 

ひゃあ!おめでとうございます(^^)

 投稿者:怪傑おばさん頭巾  投稿日:2012年 3月17日(土)18時45分55秒
  ぐんままさんと、石野さんの応答見て気がつきました!!
私、ご祝辞を申し上げていなかったのですね(^_^;
失礼しましたm( )m

たけし君、おめでとうございました!!
ダンナとすごいねぇ!と、喋っていて、そのまま「おめでとう」書き込みしたつもりでおりました(^^ゞ
本来は設計図の方を褒めなくちゃ失礼なんでしょうが、そちらはわからないので、あのイラストの方が、胸を打たれました(^^)
優秀な姉・兄を持つと大変なこともあるのでしょうが、芸術的なセンスはこれまた貴重な才能ですよね(^^)
上手に伸ばしてくれる学校を選ばれたことにも、親御さんの配慮・ご本人の将来への深慮があったのでしょう(*^^*)

ダンナといえば、石野さんのニュー・パソコンを偉く羨ましがっておりました♪
 

更新内容のお知らせ

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 3月12日(月)20時51分16秒
  あさひと書評。

→ぐんままさん
ごぶさたしてます。
おほめいただき、ありがとうございます。
末っ子は姉や兄と比べられ(私もつい比べてしまうのですが)しんどい立場と思うのですが、あんまし深く考えてない感じです。
>4月からは工業系です。
おっ、お仲間ですね。
 

遅ばせながら

 投稿者:ぐんまま  投稿日:2012年 3月11日(日)01時25分53秒
   たけしくんの銀賞入賞、おめでとうございます!!
 先生からの褒め言葉も、私が読んでいても嬉しいですね。
 デザインもユニークでいいですね。

 うちの倅も4月からは工業系です。
 私も受験(の為の塾通いの弁当作り)でバタバタからは解放されましたが、学校の役員の引き継ぎやら、幼稚園行事やら、入学の為の書類作成でバタバタしております。
 

更新内容のお知らせ

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 3月 4日(日)21時50分21秒
  「あさひ、だいすき♪」
HPBによる作成なので、時間がかかってます。
 

ひとこと書評

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 2月26日(日)19時53分14秒
  『楊令伝(六)徂征の章』(著:北方謙三。集英社文庫)
P148 「なぜ、兵力に頼る」
 独り言も、六十を過ぎてからの癖である。
 どこかで、楊令をこわがっていないか。それは、言葉にしたくない問いかけだった。
P165 ~公孫勝の口もとにまた冷笑が浮かんだので、思わず眼を伏せた。
「致死軍の兵が、捕えられて生き延びたか」
~侯真が、かっとするのがわかった。
「なぜ、味方同士で殺し合わねばならなかったのか、俺は訊きたいのです」
「致死軍に、質問は許されていない~」
P174 狄成は、酔うとこの世のあらゆることを悲しみ、泣きはじめる。地を這う虫を踏み潰してしまったというのも、泣く材料になるのだ。
 

更新内容のお知らせ

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 2月26日(日)11時09分6秒
  今週も「あさひ、だいすき♪」と落語。  

ひとこと書評

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 2月25日(土)23時00分57秒
  『満州事変  政策の形成過程』(著:緒方貞子。岩波現代文庫)
まえがきv ~満州青年連盟は~権益を失わないために、日本政府に強硬な対応を求め~た。
 他方~不況、特に農村の疲弊は、農村出身者が多勢を占める軍内部に革新運動を引き起こし
~国内政治の改革と強硬な大陸政策の推進を求めた。
P2 ~軍が政治権力を獲得した過程を特色づけるものとしては、革新将校の急進性~。
~急進的革新将校が実現しようとした理想ないし目標は~政党政治ならびにその基盤にあった資本主義体制に対抗して形成された~。
P5 軍の内部的結束は~崩壊し~残されたのは「無責任の体制」のみであった。
P15 いわゆる「対華21カ条の要求」は、満州における権益を永久化しようとする日本の願望が具体化されたもの~。
P17 大正10年(1921)から11年にかけて開かれたワシントン会議は~米国はまさに国際条約を通じて日本が中国大陸へ発展するのを阻止しようと試みた~。
P20 ~幣原の不干渉主義の狙いは、中国を政治的変動に左右されない輸出市場として確保すること~幣原が満州よりむしろ中国本土との関係を重視したことは注目すべき~。
P23 田中のいわゆる「強硬外交」は~軍事手段の行使と権益の積極的な開発を中心として大陸発展を試みた~。~田中内閣のもとで日本は実に三度~山東出兵を行った~が、その究極の目標は、日本の権益の集中している満州に中国の内乱が及ぶのを阻止することにあった。
P40 大正7年(1918)~米騒動として爆発~大正13年(1924)~普通選挙法は憲政会総裁加藤高明~の連立内閣の下で成立した。~注目すべきは~彼らは大衆の圧力を~恐れた~に過ぎない。このことは、普通選挙法案を通過させた同じ議会の会期中に治安維持法案が成立したことにもっとも端的に示されている~。
P64 ~桜会は~昭和6年(1931)3月~にクーデターを計画~。
 未遂とはいえ、三月事件の影響するところはまことに大きかった。それは第一には陸軍部内の規律を破壊し、下克上傾向を助長したことである。~桜会の急進派は~ますます過激化して遂には2・26事件を引き起こすこととなった。第二には~軍上層部がこれを最大限に利用して軍全体の政治権力の増大に努めるようになったことである。
P78 ~第1回満州青年議会(昭和3年5月)において提出されたのが、「民族協和」の原理に基いた「満蒙自治制」で~三千万の住民が中国軍閥の圧政に苦しんでいるのを救うために~住民の手による新国家を創設しようとするものであった。
P95 昭和6年(1931)8月~参謀本部は~いまだ張政権を相手とした外交交渉により事態の解決にあたり得ると判断していた。これに対し、関東軍はすでに満州の軍事占領のみが残れる手段であると信ずるに至っていた~在満日本人は、軍人であると民間人であるとを問わず、軍事行動の開始を切望していた~。
P106 ~昭和6年(1931)~陸軍大臣は9月~参謀本部作戦部長建川美次を満州に派遣して、関東軍の自重を求める~。~建川は到着後ただちに料亭「菊文」へ案内され、ここで酔いつぶれる程酒食の歓待を受けた。9月18日~南満州鉄道で爆破事件が勃発~関東軍は翌朝までに奉天占領を完了した。
 建川については、計画を知りながらこれに協力するため陸軍大臣の命令を伝達せずに一夜を無為に過ごしたとしばしばいわれる。
P118 吉林における不穏状態は~大迫通貞が故意に造り出したもので~吉林において不穏状勢を造り出し、更に派兵を要求するように命じたのは石原~。
P130 米国は、満州事変勃発後の2、3週間は紛争の解決になんら積極的な役割を果たそうとはせず~ソ連も~終始慎重な態度を示した。
P154 満州事変に対する国内の世論は次第に好意的なものとなって行ったが、一方国際的には予期に反して戦線の拡大を警戒する声が高まり、錦州爆撃を契機に最高潮に達した~。
P170 ~関東軍の板垣、石原~は、酒を飲むと必ず~内地に帰ったらクーデターをやって、政党政治をぶっ毀して、天皇を中心とする所謂国家社会主義の国を建て、資本家三井、三菱の如きをぶっ倒して、富の平等の分配を行おう~と公言している~。
P178 ~海軍グループは井上日召に師事してついに血盟団事件、5・15事件へと突進し、陸軍グループは皇道派を形成して~後は北、西田のもとに2・26事件を引き起こすに至った。
P218 11月21日の連盟理事会において~調査団派遣の提案を自ら行うにあたって~外務省は~決議案から、日本軍の撤退に関し、いかなる期限の規定をも削除するように指示~さらに~「~軍事行動ヲ~禁止スルモノニアラズ」との一節を付加するよう打電した。日本代表は~困惑した。何故なら~撤兵の誓約こそ日本が連盟の激しい攻撃の矢おもてに立つのを防止したものであったからである。
P239 ~昭和7年(1932)1月27日、片倉は~「満蒙問題善後処理要綱」を作成~本要綱は~「~日本人ノ利益ヲ図ルヲ第一義トス」と明白に記し、しかも他の在満民族の福祉については全く触れていない。
P259 板垣の上京中~「支那問題処理方針要綱」が立案されたが~民族協和や社会平等といった理想主義的スローガンはどこにも反映されていない。
P269 満州事変下において国内に軍需景気が起ると、国民一般は~批判は影をひそめ~朝日新聞でさえも~満州事変そのものは支持した~。
P282 ~政府と軍部との対立は、5月15日犬養が暗殺されたことにより急転直下終結~。~特に犬養の暗殺が重大な意義を有した理由は~白昼堂々公然として首相官邸に押入り、然も陸海軍将校等隊を組んで凶行に及びたりと言えば、暗殺というよりも一種の虐殺であり、虐殺というよりも革命の予備運動~。
P303 ~昭和7年(1932)夏、諸外国の抵抗を知りつつあえて満州国承認にふみきった日本は、果して最終的に戦争を予期していたのか~。
P322 日本が連盟脱退を決意したことは、満州進出を列国との協調関係を犠牲にしても成し遂げようとする考え方が最終的に勝利を収めたことを意味していた。~注目すべきことは、連盟脱退が~はげしく討議された結果採択されたような政策決定ではなかったことである。首相をはじめとする政府責任者、~松岡洋右をはじめ、連盟の日本代表部、西園寺を中心とする宮中関係者~彼らの日和見主義あるいは不決断、あるいは消極性が強硬論者に道を譲る結果となった~。
P327 昭和6年(1931)から7年にかけて日本外交は~伝統的に金科玉条として奉して来た~大陸に対する膨張と列国との協調との間の均衡が失われた~。
P332 満州事変の遺産の一つは、日本が列国の名目上の反対と実質上の反対との間に差があることを発見したこと~それが日本の外交政策を冒険主義へと駆り立てた~。
P334 ~大正末期から昭和にかけて(1920年代)満州に対する強硬政策を主張した人々~のうちには、誰一人として黒船の脅威を経験した者はなかった。~彼らが軍人として直面した中国はすでに敗北した国家であり、日本は二回の戦争に勝利を収めて大陸進出の途上にあった~。
P337 民族協和思想と対照的なのは、「支那は組織ある国家にはあらず」という主張で~中国の主権を理論的に否定したもの~その根底に~弱体化した中国に対する幻滅があったことは否定できない。
 

ひとこと書評

 投稿者:石野陽虎  投稿日:2012年 2月25日(土)18時59分10秒
  『東京裁判  幻の弁護側資料』(編:小堀桂一郎。ちくま学芸文庫)
解説
P13 <平和に対する罪>が戦争犯罪であるなどという、そんな拡大解釈があり得ようとは誰も思わなかった。
P24 戦争での殺人は罪にならない。~キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げる事ができる。
P35 ~当時の日本政府の公的声明が全て却下というのは、この法廷が「日本の言分」には当初から耳を貸す姿勢がなかったことを物語る~。
P42 事後立法ハ裁判ノ仮面ヲカブッタ私刑ニ他ナラナイ
P49 連合国側の人道に対する罪は一切不問に付し、唯日本人にのみ、神か仏に対してでもなければあり得ないほどの人道主義的完璧性を求め~裁いたのがこの裁判であった。
P53 結果的に「騙し討ち」と映ずる原因となった開戦通告の遅延は陰謀でも計画的なものでもなく、現地大使館員の怠慢と不注意から来た過失にすぎない~。
P60 日本は即時降伏するか又は勝目なくとも戦に訴ふるかの何れか一を選ばされた~
「~真珠湾の前夜国務省が日本政府に送った様な覚書を受け取ればモナコやルクセンブルグでも米国に対し米国に対し武器を取って立ったであろう」
一 清瀬一郎弁護人 冒頭陳述
P87 満州事変は1933年の塘沽(タンクー)協定で落着致して居ります。~それ故塘沽協定より4年後に発生した支那事変が或る特定の人物が満州事変と同一の目的を以て故意に計画的に引き起こした事件であると推定することは不自然であります。
P91 ~治安維持法、これが自由主義を信条とする日本の三政党の連立の内閣で提案された~
P100 日本の中央政府並びに統帥部は~一般市民並びに敵人と雖も、武器を捨てた者には仁慈の念を以て接すべき旨を極めて強く希望した~。
P105 盧溝橋に於ける事件発生の責任は我方には在りませぬ。~事件を拡大して其の範囲及び限度を大きくしたものは中国側であります。
P111 阿片売買の収入が戦費に使用されざりし事を証明致します。
P118 ~米国は我国に対し種々なる圧迫と威嚇を加えて来たのであります。
 其の第一は経済的の圧迫でありました。
 其の第二は~蒋介石政権への援助であります。
 其の第三は米国英国及び蘭印が中国と提携して我国の周辺に包囲的体形をとることであります。
二 高柳賢三弁護人 冒頭陳述
P145 刑事裁判において、裁判は確立した法規に則って行うべし~。
P151 一度ある戦争が侵略戦争又は国際法もしくは条約を侵犯する戦争と宣告せられれば、~たとえ何時、何処で、誰がかかる罪を犯したのであるか全然知らなくても、これについて責任を負わねばならぬこととなる~。
P189 全ての文明国は契約違反もしくは民事上の不法行為を悉く犯罪とはしない。前者に対しては賠償が後者に対しては処罰が通常の救済方法である。~条約を侵犯する「平和に対する罪」の処罰の如きは国際法に未知のことである。
P215 人間性に根本的な変革がもたらされないかぎり侵略者、又は国際法及び条約の侵犯者であると宣告されるのは、常に戦敗国である。戦敗国は遠い昔から、領土の喪失と賠償の支払によって処罰されている。
P225 自衛行為は国際法上唯一の制裁である一般の非難を受けるということのみである。
P227 ~検察側は特殊な軽罪たる共同謀議罪を以て国内法上最も重大なる罪を問い極刑を求めて居る~。
P252 法によって責任が課せられなければ「事実上の責任」があると検察側は明白に云っている。
P256 確立した国際法のみに基づくべきことを裁判所にたいして強く要請する。法の認めない犯罪に対して事後法に基づき厳刑を科するがごとき正義にもとる処置~三世紀にわたる期間において西洋の政治家や将軍がその行った東洋地域の侵略について処罰をうけたことが一回もなかった~
三 ローガン弁護人 冒頭陳述
P265 ヒットラーは共同謀議全体の支配的人物でありました。日本の場合にはかかる人物は居りません。
四 徳富猪一郎 宣誓供述書
P285 ~日本国民は、平和を愛好するの点に於いては、世界の何れの民族又は国民に劣らない。~世界侵略などと云う事は、夢にも考えなき事である。
P287 日本人は支那に対しては、到底及ばぬがせめて支那文化の模造でもして、日本の体面を保ちたいと云うのが精一杯~。
 

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