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そういう事じゃない。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月13日(水)10時18分43秒
返信・引用 編集済
  PCのCPUは、元々1個だったものを、同じ面積内にいくつも足して、
マルチコア化すれば、同時並行して、沢山の処理ができる、また、
マルチコアに対応したソフトであれば、あちこちのコアに分散処理させて、仕事が早く終わる。

ものすごく、かしこい人たちが、こんな分析をする。
「ほとんどがシングルスレッド(1つのコア向け)のソフトなので
体感的なPCのレスポンス向上を狙いたいなら、用途ごとに選ぶべき(マルチは有能でも
1つのコアあたりの瞬間的な処理に負けてるCPUの存在への指摘)。もしくは、
CPUじゃなくて、HDDをSSDに変更するとか。」

なので、さも自分の考えとして、上記みたいな事を言えば、このかしこい人たちから
【よくできました◎】と、二重丸をもらえる。

僕は異議あり。
ゲームは、瞬間的な処理速度、動画編集はマルチコアを使った分散処理、
みたいな考え方、自分は体感的に、その考え方(用途に合わせる的な)は間違っていると思う。
ゲームをしていても、他の作業もする人はマルチコアが生きてくるが、
そうでなければ無用の長物、的な、それも間違い。

Windows 10を使ってる自分として、日頃から「ひっかかり」がある、
例えば、ポインタが一瞬カクつくとか、文字入力を認識する直前で軽いフリーズとか、
単一コアしか使わないなら、コア数少なくてもいい、みたいな発想が時代遅れだと思う。
それもこれも、それらの考えに共通してるのは、能動的な話しをしてるにすぎず、
こちらが意図せず、バックグラウンドで、勝手に動いてるソフトがあり、
それが足をひっぱってる状態にあるからだ。
「そんなもんは、スタートアップ画面で、『無効』にすればいい」と返されるだろうが、
いやいやいや、同時並行で動いてるからこそ次の処理の時に便益を享受できていたり、
そもそも無効も何も、こっちが意図しないところでバックグラウンドで動かれてるソフトも
ある、これは別にコンピューターウィルスにやられてるわけでもなく、
しかも、動いてるソフトを、そのスタートアップで『無効』にしているのに、
更新通知が表示されてきて鬱陶しかったり、止めたいのに、こちらに選択の余地がない、
インストールしなければいい、というなら、必要なのでインストールしたので、
そんなに嫌ならアンインストールすればいい、…アンインストールすれば、
すべてソフトが消えるかというと、そうはならない事を知ってるクセに。

なので、結論として、コア数が多い方が、Windows 10を使ってる場合は、
恐らく、自分の不満は相当程度解消されるのではないか、という仮説。
視野狭窄ではいけなくて、このポインタのもたつきは、
実は接続中のHDDになんらかの不具合の兆候で、同期できないのかもしれない、であるとか、
難しい事は理解できないけど、そ・こ・ま・で、バカでもないというか。

これは何も、特別な話しをしているのではなく、ガスコンロがなぜ2つあるの?
もしパスタでも作るとして、1つはパスタを茹でて、もう1つはパスタソースを作る、
【同時並行】で処理ができれば、パスタが茹で上がる頃にソースも完成してて、
あとは和えればいい、という話し、PCでも同じわけです、きっと、ね。
それぞれのPC環境は違うので、何々なら、何々、みたいな事を言われても、
それが自分に当てはまる事もあれば、そうでない事もある、
「あくまで一般論で言ってるだけだから」と逃げようとしたら、
では、こちらの環境をわかる範囲で伝えて、これについて一般論を言わせればいい、
すると、より難解な事を要求してきて「それでは判断できない。
もっと詳細にシステムの状態、メーカー、ドライバーのバージョンとか」
みたいな事を言ってこようものなら、
【え?一般論でいいと言ってるんですよ?そこまでの詳細情報必要ですか?
大まかに、ウチのPCには地デジついてる、そのモニタリングで常時CPUは監視してる、
であろう、ゲーム管理ソフトもアップデートを監視してたり、
ウィルスに汚染されないか、常に目を光らせてくれたり、いくつもの処理が、
こちらが操作せずとも、受動的に並行処理されてる、ならば、の一般論でいい、
と言ってるんですよ?】とかね。

(※脳内の自問自答です。あ、この思考作業、結構ネットでバカにされてるみたいです。
しかし、ロールプレイという、鏡に向かって自分に話しかけ、
それを言われた自分はどう答えるのか、心理学のような分野では普通だったり。
自分は鏡を使わず、頭の中で会話しているのですが。)
 
 

ごめん、IQ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月11日(月)21時49分53秒
返信・引用 編集済
  先週の金曜日に、『発達障害』の心理検査をおこない、IQテストも含まれていた。

…このところ、僕の主治医が、僕に「今の話し、理解できてる?」と、度々、
バカにしだしてたんだ。

IQテストというのは、小学校の時に受けた事があり、事前説明で、
「この結果は、通信簿には一切反映される事はありません。また、
それが正解か間違いかを問うものでもありません。制限時間内に記入し、
ヤメと言ったら、直ちに記入をやめてください。」
という、それがIQテストだとも知らされず、非常に気持ちの悪いものをやらされ、
何かを調べられてるのだけはわかって、その結果が知らされる事もない、ナゾの。
…が、その発達障害の検査結果時に、IQテストを明確に数値で言い渡され、

→IQ 「平均。」
→発達障害 「自閉傾向の数値が高いものの、認定するには足りない。」

ふと察知したものは、発達障害というのは、ちっともいいものではなく、
(「障害」なのだから、いいという概念がそもそもおかしいだろ、そういう事より深刻。)
ある種の特殊性をもった、いい意味の含まれない、
ディス リスペクト(卑下の意味ね?)の為の概念だな、と専門医と会話して。

で、結果的にやってよかったな、と思ったのが、最近の主治医の態度である。
彼は精神科医ではあるものの、発達障害は専門外との事なので、
コンピューターを用いた検査(大学病院にあるような)ではなく、
あくまで心理検査であるものの、かなり僕をバカにしだしてるのを感じていて、
そういう扱いの対象が「発達障害」なのか、と思いまして、コイツが確定しようものなら、
今後、そういう話し方しかしてこないな、頭にくるな、何を説明しても、
一切の説得力をもって受け止められなくなる、頭の足りない奴が、なんか一生懸命話してる、
程度の重要度でしか受け止められないんだな、と沸々と思っていて、
この事は、過去に体験しており、ある抗うつ剤を飲んだ時にハイになってた時、
笑顔で駅員に話しかけたら、「頭のおかしい奴が何か言ってる」と、判断され、
そうじゃなくて、純粋に質問事項だと、追加で話しかけても、無視される体験をしており、
(と、いう事を認識できる頭脳であるのであるが。)
すっごくデジャヴ感をゆっくり、ゆっくり、構築されていっていたので、
そういう事で、発達障害、却下、IQテスト、普通、…ザマァみろな立ち位置です。

IQテストは、くやしい思いです。
普通だった事が、くやしいです。

思った通りの「算数が苦手、と言ってたけど、そういう結果になってますね。」と
言われてしまったものの、立方体を回転させて、ある図形を完成させるテストでは、
7個が完成してて、残り1個の置き方で3倍以上もかかってしまい、かなりの得点ロス。
くそー、8個の内の7個がすでに完成してるのに、残りの1個で全体の点数にされる、
違うんだー、序盤の日本語の意味を答えさせられるテストでそれが30単語くらい、
この掲示板バリに、ものすごく各々説明してしまい、これもデジャヴだわ、
ある部活内のテストで、課題で、あと何回走るか知らされてなかったもんで、
僕は全速力で1位になってしまい、「お前速いんだな」と先生から言われたものの、
あと何回走るとか聞いてなかったもんで、残りの体力がなくなり、もう無理状態、
その単語の時に、かなり頭を疲弊させてしまい、
「すみません、なんか手がしびれるんです。抗不安薬持ってきてるんですけど、飲んだ方が?」
「あ、それはアナタ、酸欠になってるのですよ。深呼吸してください。」
その後も明確に、いったん疲れた脳は簡単に回復できず、ボーッと集中できなくなり、
そんな状態での図形テスト、くやしいです。
あきらかに7個がサッ、サッと完成してるのに、あと1個をクル、クル、クル、クル、
あれ?あれ?あれ? まるで脳梗塞でもおこしたかのような、
それをしたらいいのにのための動きができない、…この感じうまく言えてるかどうか、
で、完成までに要した時間を計測。

一方、読み上げられた数字とひらがなを、小さい順番に言うというテスト、
例えば、1~10、あいうえおかきくけこ…、

「ナナ 『つ』 キュウ 『な』 サン 『け』」
みたいに読み上げられ、
小さい順番に、数字とひらがなを言い直すので→【3 7 9、け・つ・な(ひながなの早い順番)】
と答えるもの、これが最後の問題だったらしいが、これがIQテストの中で、
最も難しいというものだったらしく、これの成績がよかったので、不思議がられ、
また、「木」と「人」を描くというテストで勝手に画力を評価され、
木はその人の心理状態で、不安が表れてるとか、そういうつもりじゃないと説明すると、
胡散臭さ爆発で、心の描写を観たいと事前に説明してもらえば、
そういう木を描いたのに、わざと何も言わないので、どこかでみた木を写実的に描いたので、
それで心の状態を見ると言われてもなぁ、胡散臭いだろ、
心理検査なんざ、そういうものだ。
だって、こっちの調子次第で、いくらでも結果が動くのだからな。

そういう事じゃなくて、もっと僕が何を言ってるのか、理解のある人がいいなぁ。
 

死刑廃止。いつもの話しがあちこち。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 9月 6日(水)12時48分34秒
返信・引用 編集済
  「何々論」であるとか、「何々説」であるとか、どっち側であるとか、思想がどうとか、
僕は、そういうものは『あり得ない』と考える。

なぜなら、それらは、理論的に、時系列でみても、思考過程であるからで、
それが結論、ないしは目的化では、「インチキな旗振り役」だろ、と。
考え方、ではなく、多くの人の『納得』が最優先事項なのであるけど、
これが厄介で、習熟度は人それぞれに依拠してしまい、イコールではない。
また、同じ習熟度であっても、どうやったらそこでそうなる、と、
頭よく間違える人たちが世の中に生成され続けている実情なりをみても、
や・は・り、真実はひとつなのである、
つ・ま・り、真実はひとつなのであるから、色々な考え方、それらは、思考過程ではいいが、
最終的な結論が複数存在するようでは、真実ではないか、誰かが間違えてる。

「人生は、数学のように答えはひとつではない。色々な生き方があっていい。」
なんて言葉があるが、これは、理論的に間違えている。
まるでさまざまな生き方があるかのように説いているが、それが間違い。
答えが複数なんて事は、論理破綻している。

答え、真実は、ひとつである。
上記の理論は、あくまでも『やり方』の話しをしているのであって、
その証拠に「どう生きるか」に答えはひとつではないと言っている。
どういう生き方をするか、それは『やり方』、つまり、『手段の話し』である。
真実とは、【生きる】ということのみであり、あとは、それの手段だけが違う。
すると、手段に対して上記の理論では「答えはひとつではない」と言っている。
手段は、答えではなく、やり方なので、この手の考え方の本質は、
【人生、どうするか】の個々人のこれからの事、「生きる」という本質、答え、に対しての、
どうするかの話しなので、そのアプローチの違いを雄弁に語られましても、
それは答えじゃなくて、やり方の話しだ、という事。
(※手段=結論、という時系列を区切った場合の考え方はできる。しかし、
そもそもの、何を本質、つまり、実は共通言語があるのか、見極めると、本質はひとつ、
答えも真実もひとつ。)

死刑廃止論者の多くは、「人権が」「人が人を裁いていいのか」
「冤罪だった場合、取り返しがつかない」とか?
詳しく知らないけど、だいたいそういうところじゃない?
死刑推進(廃止反対)論者の多くは、それの正反対で、
「そもそも殺された人は、殺された時点で人権が奪われている。
その人権を奪った人間側が、のうのうと生きてる、これは理不尽だ。」
「殺人には、死をもって償わせるべき」
とか?

僕は、全部正しいと思う。
【思考過程】だから。
…ところが、多くの人は、そうじゃないんだ、それが【結論】であると、それぞれの
理論の根拠として主張する。

死刑の本質は、【対価と不一致】にある。

「何も悪い事してない、そこにいただけで殺された。」→無期懲役、
《なぜだ》
「計画性がないので、死刑は重すぎる。」

そもそも、刑とか、服役とか、何?
規則正しい生活を、隔離された場所で過ごし、刑期を終えて出所、だから?
こんなもの、スポーツ選手の強化合宿では日常茶飯事だろうし(隔絶)、
出稼ぎ労働者が派遣先の会社が用意した借家で、期間工(隔絶)として働くのも同じだし、
つまり、これらは、罰則でなくとも、【負荷】と言えるわけだ。
情報からの隔絶、権利の剥奪があるとでもいうのか、受刑者は、
ある程度の制限がかかるだけで、むしろ、集団生活を強制するほうが、人権的に問題がある。
確かに重犯罪同士としても、殺人の経験者と知能犯で体は華奢な人物が同じ場所にいる、
体にモノ言わせて殴りかかられても抵抗する手段が知能犯にはない、不公平である。
何かおかしな事を言ってるだろうか。
「障害者」も同様で、身体障害者、どこの、どの程度の?から、知的障害者、
ダウン症、精神障害者、どの程度の? さまっざまなものが混在しているのに、
一言、「障害者」ということで、なんらかの公的窓口は、受け付ける。
事実、ハローワークも「専門(この胡散臭い単語)窓口」が、障害者窓口で、
いっさいがっさいになり、かなりの、できる人、頑張ってる人向け、
…なんていうか、人間性ではなく、頭さえよければ職場がみつかる、
車椅子に乗った、事務作業の優秀な女が、憎たらしい応対をしてきた時に、
僕が、ムカッときたので、一対一では不利なので、さて、第三者にわかるように、
具体的におかしいなと思う事を、空気を凍らせる間を作り、我慢しきれなくなった人物が、
その車椅子の、障害者だから、まともな思考なり人間的優位性があるわけではない証明として、
「確かに、おっしゃる通りです」と、その後、車椅子の女は、
何が起きたのか、初めてカマされた反撃に面食らってる様子でひっこんだ。
望んでそれをしてるか、してないか、の差なら、「仕事がないから軽犯罪で刑務所でタダ飯」
の発想は、望んでそれらの負荷をしたがってる、これは利害関係が一致している。

…さて、話しがあちこち、何が何やら。。。。
(と、額面通りに受け取られるのがツライところ。「おくちゃんは何か本質を言いたがってる」
と察してくれる人と出会う確率の低さ。)

「快楽とは、痛みを水で薄めたようなもの」と言うのはマゾの理論。

…う~ん、あまりネタばれもどうかと思うけど、やはり【時間】の概念が、
多くの偉人サマたちには欠落しているのだ、だいたいの理論は、
時間の概念を追加すると、丸裸になる。
「快楽とは、痛みを水で薄めたようなもの」、これに時間の概念を当てはめると、疑問発生。
「快楽を得るためには、まず、痛みがないといけないの?」となる。
だってそうでしょう、【時系列】で、痛みを薄める事によって快楽、という順番が存在する。

さらに追加で質問だ。
「苦痛とは、快楽の超過によってもたらされるもの」と、僕が指摘したら、
なんて反論してくれるのかな?
例えば生理的欲求が満たされると満足するが、満足中にさらにもたらされ続けると?
おいしいものを食べる、お腹いっぱい、まだまだまだまだ食事が支給されてくる、どう?
オーガズムに達してるのに、まだまだまだまだ刺激を加えさせられる、どう?
単純に、望んでないのに、くすぐられる、笑っているけど、快楽で笑ってない、苦痛で笑顔、
どう?

苦痛を水で薄めて得られた快楽が、苦痛になるので、また水で薄めて快楽、の繰り返し?
するとだな、「卵が先か、鶏が先か」の話しなのか?
脳科学的には、苦痛を見ない事にする自己防衛機能が脳にはあり、
場面をコマ落ちさせて、都合のいい場面だけ認知させるらしい、
すると、実態(事実)は、ひたすら苦痛であっても、心地のいい痛みと変換してるだけで、
心地のいい痛みなどなく、痛い事から逃げてる事を、「いい思い出」にしてるだけか。
つまり、ウソつきほど、「悩みがない」と言う。

コマ落ちも、水で薄める、も、さて、落ちたコマはどこかにある、
水で薄めたからには、凝縮させれば元通りの苦痛になる、
どこかに消え去ったわけではない、分散しているに過ぎない、あるのである、消えてない。
もしくは、形を変えて存在し直しているかもしれない。

何が言いたいんだろう。

死刑とは、人間とは、「死こそが最大の苦痛」と考えている。
僕は、それは間違っていると理論的に思う。
【時間の概念】である。
死とは、文字通り死なので、死後は、苦痛を感じようもない。
すると、死が怖いのではく、『死に至る過程こそが最大の苦痛』と、
どうやら人々は言っているようだ。
で、あるからには、死刑は、死後、その人物に対して、追加の苦痛は不可能となる。
つまり、犯した罪に対して、【対価】と考えた場合、死刑では、
それで終わってしまうのである。
意識のある状態で対価を感じる必要がある、これを達成するためには
【不一致】、つまり、本人が望んでない状態におかれる事である。
『生き地獄』という概念は、すでに存在している。
いじめられっ子にとっては、生き地獄である、それから解放されるために「自死」が選択肢に。
つまり、死ぬ行程よりも、日々の苦痛の方が勝っていると言える。
死んでしまえば、苦痛はそれ以上感じる事もないどころか、感じる、という概念も消失する。

つまり、仇討ちが禁止されている現代社会において、
懲罰を求めるのならば、死刑では、苦痛からの解放を手助けする事になる。
生かしたままでなければ、苦痛は与え続けられない。
死刑廃止は、死刑推進より、よほど苦痛である。

先日、「永遠のゼロ」という映画を観まして(だからじゃないよ?)、
深手を負った人物が、敵に突っ込んで自爆する事を告げた場面がある。
しかし、それを聞いた人物が、「だめだ、やめろ(生きろ)」と、制止した。
しばらくすると、深手を負った人物に、助かる兆しが見えて、笑顔になった。
…こういう事だろ、と思ったのです。
ついさっきの【判断】は、すでにこの世にはいない選択肢が最善だった、
ところが、『助かる可能性』を目にして、希望に満ちあふれた笑顔、
(この話しは映画的にネタバレするので、その後の話しは割愛。)

よく聞くんだ、
「人は、いつでも、選択を繰り返して生きている。」と。
その時々、その時点において、『最善』と思われるか、『それよりまし』と思われるものを、
選択している、【だから】→【人生に間違いはない】という理論、
それでよかった、という選択をしているのだから、結果的に間違っていても、
【しょうがない、それでいいと思ってたんだから。】→そうじゃない証拠に、
深手を負って、自爆を希望した人間が、生きる希望に出会えた、
…という理論でいうと、「じゃあ、さらに悲惨な出来事に遭遇する事もあるだろうが、
お前が時系列、時系列というのなら。」と自己反論してしまうが、
これをバカな奴なら「それは結果論だろ!!」と顔を真っ赤にして反論するのだろうが、
【結果論であるが、その結果は、まだ未知の段階なので、
なぜにキミは確定的な結果として、可能性を提示したのだろうか。『まだ』なのだけど。】


今TVをつけたら、すっごく押しつけがましい番組のタイトル、
「昼なんです」だかなんだか、そうなんですかとしか言いようがないような。
それで、金持ちの一級建築士のお宅訪問やってて、玄関のドアが「内開き」を、
『防犯で役に立つ』と、ことさら紹介していて、コイツもまた【時間の概念がない】と思った。
内開きだと、内側から「押す」事ができるので、押し返してドアを閉めやすい、、、と。

日本の玄関は外開きが多く、悪い人が入ってこようとして、閉めようとしても、
相手はドアを押してくるので、入られやすい、というもの。

…あぁ、一級建築士は頭がいいはず、バカが自分の自宅自慢をしたいだけなのか。
どういう場面かを書くだけで、また書き込みできてしまうので、
想像に任せます、時系列で考えてみてよね、と言いたい。
外開きだろうが、内開きだろうが、、、…はぁ。
じゃあ安全という内開き、中の人が開ける時に、内側に開くからには、「ドアを引く」よね?
外の人は「ドアを押す」という構図になってるよね?
ドアを引いてる家の中の人は、相手を確認するために、自分は後ろ歩き、相手は中に入り、
それから顔を覗き込むという危険なタイムラグまで発生する。
押す事で防犯になるというが、最初の時点から相手に押される構図になってる。
反転して押し返すのだとしても、相手の方が一手早いわけです。
 

日常的な数字に苦悩。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月29日(火)12時00分51秒
返信・引用 編集済
  一、十、百、(千)、万、十万、百万、(千万)、一億、十億、百億、(千億)、一兆、、、

数字の「位」は、日本人的には4つの位(1000単位)で、次の概念に移行。
しかし、日常的に見る数字は、3つの位で「1,000」のように、区切られてしまう。
簿記なんかもそう。
当たり前にやられてしまう、しかし、算数で習ったのは、間違いなく4つずつだ。
数字は理論的に無限に存在するのだから、まとめて考える数が多いほど有利なはず。
だから、学校で習ったのは千(1000)の単位ずつなのに、社会に出て、10万を「10,0000」なんて、
「,」で区切ろうものなら、心底バカにされます、しかし、ちゃんと数字を見てくださいな、
10万でしょ?「10」万→「10,0000」、一目でそれが10万だと、区切り方で理解できます。
『位があがった』というのが、一目で理解できます。
しかし、世の中は、「100,000」と記載しないと、心底バカにしてきます。
英語と日本語の数字の数え方、概念に起因するのだろうか、アイツら困った事に、
ローマ数字には「0」の文字がないしな。
ところが、だよ、じゃあ千の位で区切ってるのは日本が特殊かというと、
ちゃ~んと、1000mg→1g→1000g→1kg、1000kg→1t、と、ちゃんと千の位毎にまとめられてる。
どの団体なんでしょうね、3つの位ずつ区切ってる事を当たり前にしてる犯人は、さ。

あ、ちなみに、千の読み方ね、コレも額面通りに読まれないのがひっかかってね。
例えば、「1000億」、コレ、「せんおく」と僕は心の中で読むのだけど、
一般的には「“いっ”せんおく」と、1をわざわざ読むのよね。
じゃあさっきの1000mg、これ、「いっせんミリグラム」と読むのかって、読まないんだよな。
きっと僕はバカにされるのさ。
でも、そんな人に千円札紙幣を見せて、「これ、何円札?」と聞いたら、きっと
「せんえんさつ」と答え、『いっせんえんさつ』なんて言わないんだよな、んーー。


本当に小学生の頃から数字は難解で、今頃思うのだけど、諸悪の根源は、
【1】という存在だったんじゃなかろうか、しばしば【0】の概念を大人の今独自に説いてるが、
実は、本当に困らせられてたのは、0じゃなく、1の扱い方だったんじゃないか。

冒頭に書いた、
一、十、百、千、万、、、の、最初の「一の位」の言い方、コイツだよ、コ・イ・ツ。
「1」から始まってやがる。
僕以外の、他の誰にとっても、こんなところは、悩むところでも、ひっかかるところでもない。
…ははぁ、さっきの、100000を、「10,0000」ではなく『100,000』としてる世の中、
これ、ひとつ思ったよ、「世紀」の概念だ。
コイツは、他の単位が1000の単位で繰り上がっているのに、こいつだけは100の単位だ。
3桁(100)ずつの区切りになってるのは、まさに世紀の考え方だ、コイツは古臭そうだ。
今、2017年だけど、それを21世紀と言う。
ちょっと考えたら、バカだと思う。
例えば、この投稿時点がPM12時15分だとしますよ?
この「1世紀」なるカウントの仕方だと、このPM12時15分は、『PM13時』と言ってるに等しい。
だから僕は混乱した、なぜに100ずつのカウントなのに、先の数字を言うのか、
未満の時点なのに、先の数字を言うのか、例えば、西暦20年は1世紀と言われる、
おかしい、1世紀は100年区切りなのに、まだ100年に足りてないのに1世紀と言う、
だから、今が12時15分であっても、13世紀と言うくらい、
「今何時?」→「13時」 は?まだ13時って事はないだろ、12時何分か、って、
『否、13時なり』と、言われてるようなものじゃなくて?
僕は現在、43歳なのだけど、10月1日に44歳になる。
しかし、まだ43歳なのに「あなたは44世紀」と言ってるようなもの、じゃなくて?
まだ43歳だ、でしょ?

「西暦0年は、何世紀なんですか?」と、この掲示板で僕が質問したら、
『西暦0年は存在しません。西暦は1年からです。』と、とても賢い様子で言われたもので、
「…あっ、あぁ、そう。。。(当時の心の声)」

実は、【0】ではなく【1】で苦しんでると気づいてきた僕。
今時、おはじき、と言ってもアレなので、リンゴで。
おかしな質問をしてみたいと思います。
『リンゴが10個あるとします、リンゴは何個~何個ありますか?』
「はいはい、いつものゼロの概念とやらで、0個~10個と言いたいんでしょ?」
僕は、【1】で苦しんでると言いました、そして「おかしな質問をしてみたい」と言いました。
もし、リンゴが10個あるのなら、それは、『何個~何個』という概念は、そもそも、
おかしいと、小学校の先生は教えてくれないと、僕のようなアホには伝わりません。
何個から何個で10、という考え方は、数え始めから【1】を導き出してしまう。
だから、10未満の数字を1の位と言い出し、じゃあ10とは、10の位なのか1の位側なのか、
きっと10の位として認知されるのだけど、でも1の位なら、9までの単位(かたまり)にしないと、
マンガの単行本、10巻ずつ、本棚に片づけようとしたら、あら不思議、
11巻~20巻で、10のかたまりだ。
この数字を見て、頭を抱える僕なんですよ。
さきほどの、『西暦は1年から始まりました。西暦0年は存在しません』と僕に言った女子、
おかしいんじゃないかなぁ、とお話ししたら、
「私はこれで、日常生活に困ってませんので。」うん、悩んでるのはボクくらいかもね。

だってね、11巻~20巻を「10のかたまり」と言うのなら、10冊ないとおかしいでしょ?
実際、10冊ちゃんと存在してるのだけど、でも、
今、AM11時だとするよ、PM20時になるためには、後何時間待たないといけないかな?
きっと「あと9時間」って言うんだ、それで実際正解。
じゃあ、「11巻の単行本があるけど、あと何冊あれば20巻になる?」
「あと9冊あれば20巻になる」と答えてくる、それで実際正解、、、、ん?
その11巻の存在、数字の出だし、数字の始まり方、数字の数え方として、
「なんで、11巻があること前提で物事を考えてしまうの?」
これは、宇宙の始まりの考え方のようなもので、存在=【1】で、無=【0】、
という考え方に似てるんじゃなかろうか。
【1】とは、ボリュームの事であり、【0】とは、場所を指し示す概念であり、
前に皮肉を書いたが、「人生、1からやり直します」って定形言葉、
どこまでやり直すのか知らないけど、完成を10だというなら、
あと9しかやり直さない、1の部分だけは相変わらずやり直さないって事だな?と。

リンゴが1個あります、あと何個あれば、10個になりますか?→9個。
…これなんだよ、僕が頭を抱えてしまうのは。
最初の1のせいで、結局、リンゴを10個揃えたいのに、なんだよ、あと9個なのかよ、
1個はどこに行った?何?最初から1個すでにある?じゃあその1個はどこから持ってきた?
何言ってるかわかる?何言ってるかわかる?ぼくはわかりそうでわかってなさそうで。
この奥村万年少年、大人になりたくない奥村44歳少年。
お前だったのか、【1】、この野郎。

始業時間がAM8時の仕事があり、タイムカードは何時から計算されますか?
AM8時1分~カウントされる、それが、「リンゴが1個あります」の枕詞と同じ事を言ってる。
冗談じゃないのである、AM8時から仕事してるのに、次のAM9時になった時に、
【1】から始められてしまうと、59分しか仕事をしてない事になる。
前にも書きましたが、一年は1月1日~12月31日と答える人がほとんどだけど、
これを時間に当てはめたら、12月31日では、8時59分までしか数えてくれないの?
もっと言うと、1月1日ではなく、【0月0日】が存在しているのに、【1】がある事前提だ。
【1】ってなんだ?なんでいきなり【1】があるんだ、【1】はどこからもってきた?…なのよ僕。


僕は、数字が本当にわからない。
だから算数でつまづいた。

今でも錯覚してしまうんだ。
最近、ちょっと自分のPCをイジる事があって、電源が足りないので、
「二股ケーブル」なるものを接続する事で、
「よし、これで1つの電源から2つの電源が確保できるようになったぞ♪」と期待した。
自分の錯覚は、この二股ケーブルをつければ、2つの機器が接続できるようになる、という期待。
ところが、1つの電源から二股ケーブル→2つの機器が接続できるようになった、
…あれ?確かに正解だけど、期待してたのと違ったのである。
つ・ま・り、そもそも接続できていた機器1台があり、それでは足りないので、
二股ケーブルを購入すれば、あと2台の機器が接続できると錯覚してしまったのだ。
実際は、二股ケーブルの内の1本は、元々の機器に使われてしまうため、
実質、1台の増設しかできないという状況なのである。
「そんなの当たり前だろ、バカじゃねーの?」
バカだから困ってるんだ、キミはバカじゃないから困ってないんだ、当たり前だろ?
むしろこのバカさを理解できないなんて、バカなんじゃねーの?
2台の機器を増設するためには、【三股ケーブル】が必要なのであった(そんなの売ってない)。
こういう錯覚、1台はすでにあるものとして、あと2台分なのに、二股ケーブルで間に合う錯覚。

不可逆の話し。
100円の商品の8%消費税込みは、108円(税込み価格)。
「税込み価格から、8%の値引きセール中」→いくらですか?【99.36円】。
(100円の1%は1円→108円の1%は1.08円、なのだもの。)

かけ算のトリックにも苦悩。
面積の話しが厄介だ。
ウチのPCの解像度は、1920(横方向)×1080(縦方向)のドットで構成されている。
「縦の解像度を2倍に増やしたい。今の2倍、細かく表示できる。2倍だ。」
すると、自分の感覚としては、2倍にしか解像度があがってないのに、
困った事に、横方向も2倍だから、【4倍解像度→『4K』】などと言われてしまう。
…いやいや、縦の画素数は2倍にしかなってないよ?
2倍に増やしただけなのになんで4倍なんて、4倍も縦方向の画素数は増えてないでしょうが。
2×2=4、だから4倍だ、というわけである。
違うんだよな、なんか感覚が違うんだよな、縦のドット数は2倍にしかなってないよ。
でもトータルで4倍と言われてしまう、でも4倍も細かくなってないよ、
だって、2倍にドット数を足しただけだもの、でも2×2=4、間違ってない、
4倍の表示数になってしまう、でも、こっちの感覚は2倍しか増やしてない、
このギャップ、錯覚、当てがった数字との感覚のズレ、実際が正しいのに、
どうにも気持ち悪い、2倍が4倍と言われる、生きにくいです、算数は大事だよ、
でも挫折したから大人の今でも苦しいよ。
 

マジでマジで。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月18日(金)19時37分5秒
返信・引用
  Windowsには、映像と音声を扱うプログラムに「Direct X」という技術がある。
(難解な話しではありません。どうせできないしそんなの。)

その読み方、『ダイレクト エックス』が一般的かと思ったら
『ディレクト エックス』だろ?出現で、そもそも論勃発。
ディレクト エックス派が論破された理由に、公式サイトがカタカナ表記時に
確かに「ダイレクト エックス」と書いてた、というもの。

何かを直接やる時に、「ダイレクト」にやる、だの、メールも「ダイレクトメール」だの、
…そうかと思うと、ちょっと待てよ?TVで良く出てくる「ディレクター」、
あれを「ダイレクター」とは言わないぞ?
スマートフォンだけど、略すとスマフォじゃなくてスマホ的な?
その時々で言い方変えるってか?

あれよ、エネルギーって一般的に言うけど、『エナジー』がより英語発音なんだろ?
エネルギー問題とか、若い人はエネルギーに満ち溢れてるとか、
これをエナジー問題とか、若い人はエナジーに溢れてるって言ったら、調子こいてる響き、
そうかと思うと、「エナジードリンク」とは言うのな、
むしろ「エネルギードリンク」って言おうものなら、ププーッという嘲笑ものじゃないの?

おかしいなぁと思ってるのは、「テンション高い」とか、
テンションて、どこをどう調べても「緊張」なんだよな、しかし使い方としては、
「テンションあがるぅぅっ」とか、まるで気分が高揚してる状態をどうやら言ってる、
「テンションあがるぅぅっ」を額面通りに聞いたら『緊張がとめどないんだね。リラックス♪』
勝手な推測ですが、大黒摩季って人の歌詞、1990年代の、「あなただけ見つめてる」
だったか、その中で「ヤバイ High tension」なんて一節があり、
当時の人気アニメの主題歌だっただけに、歌い上げ方がアガってる風なので、
間違って使ってるのかなぁ、とか、本当は相手方のお母さんを目の前にして、
すごく緊張してる状態を歌ってるみたいだぞ、歌詞の流れとしては、
だからハイテンション、どうしましょう(緊張・不安)状態。

アナログ、デジタル、のデジタル、これを英語で書こうとすると、『デジタル』なもんで、
つい、「degital」と書きそうになる、そして心の中で、「そうじゃなかったはず」で訂正、
『digital』なのである。

最近は便利でして、俺の中学時代なんて、よくわからん、単語の読み方だけ書いてある、
俺の記憶では、申し訳ないけど、その習ってもない読み方表記、その読み方も
書き方も正式に習ってないけど、なんだか辞書にはご丁寧に書いてある、
さっきのdirect→「d?rékt, d??」…読めねーっつうの!!当たり前に表記してんじゃねーよ、
当時使ってた英和辞典よ。
さっきのdigitalも→「díd???l」←だから読めねーっつうの!!読み方教わってもいねーぞ。
サボッてたわけじゃねーぞ、英語の授業、何をサラサラと進んでるんだよ授業。
この手の話しは数学や物理に出てくる記号でもあり、そんなスペル、
英語の授業側では教わってない、なんだったら明朝体っぽいので、
なおさらゴシック体にした場合、どういう書き方なのか正式に教えてないだろうが、
なんで当たり前にサラサラと黒板に書いて授業してんだよ。

私の小学校の国語の授業でしたら、それはそれは筆順から、ハネから部首から、
文字の正確な書き方を教わってたものですが、平仮名、漢字、
なんですか、Σ(シグマ)とか、英語だけ真面目に勉強してても、
そんな単語、英語の教科書で出てきた事もない。書き方も知らん。

ひぃ、飯時のプレッシャーで駆け足になってきた。
ヤバイ ハイテンションだ。
テンションあがるぜーーーっ、ヒィィ、ヤベェ。

その、今時はいいな、おい、というか、俺の時代はクソだな。
英和辞典は発音してくれない。難解な、なんて読むのかの発音記号みたいなのだけ。
ところが、今はその単語をネイティブ発音してくれるので、正しい発音が聞き取れる。
その上で、「digital」が、どこがどうなって「デジタル」になってしまったのか、
その発音を聞いたら「ある意味、仕方ねーのかな。」
「デジトォ」と聞こえます。せめてディジトォと聞こえて欲しいが、
何度聴いても「di」がデと聞こえてしまう、むむむ。
それと、「direct」、「ディルレッットゥ」 ほほう、意外と最後のtをしっかり発音するのな、
とか、今の時代だったら、もうちょっと英語できたかもしれないなぁ、
どこにもネイティブを聞き分けられる勉強方法はなく、機会も、
それなのに、いきなり英語の全国テストになると、
校内放送用のスピーカーから英文を読み上げられ、それを聞きとって答案用紙に解答、
…無茶があったと思うんだけど。。。
 

自立と孤立は違うんだよな。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月13日(日)00時26分39秒
返信・引用 編集済
  孤高、ならともかく。

最近、今時珍しい、今時懐かしい、スーパーの一角にゲームコーナーがあり、
そこでゲームをしてる中学生がいた、一人で。
その光景を見て、「この同級生(たち)は、この時間、どこで何をしてるのだろう。」
(たち)と書いたのは、そういう事で、それぞれ、なのか、
それともどこかで集まって遊んでるのか、何してるのか、サッパリわからないのである。
これは、自分とオーバーラップしまして。

僕の同級生に、明らかに他の人達と違う人が何人か、いた。
知ってるだけで、女性4人、男性1人、彼らは、別に集団に属さなくても寂しそうでもなく、
イジメられてるわけでもなく、別に「だろうね」感というか、冷めてるのでもなく、
なんて言ったらいいのか、自己完結できる人たちだな、と、「孤高」という単語が似合う。
かといって、意図してそういう振る舞いをしてるのじゃないから、また格好いい。

僕はというと、みんなどこで何してるのやら、状態の「孤立」。
わからないんです。
高校受験を控えてた中学校3年の夏休み、みんなどこで何してるやら、
僕はひとりで、今は廃線になってしまったけど、後にその路線で通う事になる、
その線路沿いをトボトボと歩いてバッティングセンターに行った。
ポツーン、と感。
ゲーセンがあったからだ。
少なくとも、僕が中学1~2年の頃ならゲーセンには人はいたが、
流行り廃り感にあり(ファミコンは、僕の中学3年時点では、「まだあんなのやってるの?」)、
確か、スーパーマリオ3だったか、そんな話しをある同級生がしてて、
何を幼稚な事言ってるのか、の空気の中に自分もおり。
確か、24時間テレビをやってて、それと記憶が一緒にある。
みんなこのゲーセンに来てた光景、よく覚えてるのに、誰もいない。
店を任されてるオッチャンが一人だけおり、僕は勝手にゲーム機のコンセントを全部差し、
10台以上あるゲーム機が動き出す、薄暗く、カレーヌードルの匂いのする店内。
一度でいいから、あの両替所のオッチャンからカレーヌードルを買って、
ゲームをしてみたいと思ってたもので、それだけの事なのに、それも不器用で、
他人の匂いだけで我慢してた。

中学3年の卒業式が終わった後、誘い合ったわけでなく、僕はまた
このゲーセンに来たら、「やっと終わったな」の安堵な感じで、
まぁまぁ賑わってた。
そうか、連れだってきてた同級生が何人かいる、なんだ、来る場所ではあったのか。
時系列が飛ぶのだが、僕は、同級生の服が、どこで買ったものなのか知らない。
知った事がない。
あんな服、こんな服、どこで売ってるんだろう、せいぜい知ってるカジュアルショップには
見た事もない、茨城の水戸には、一人でしか行った事がない、
でも男物の売ってるめぼしい店はトボトボと探すのだけど、なんかみんなの着てる服がない。
東京まで買いに行ってるのかなぁ、友達同士で?みんなの行動を知らないんだ。

母子家庭になってから、そういう子どもたちとのふれあいみたいなのに参加した。
高校生のお兄さんお姉さんとキャンプしたりの。
「大人だなぁ」と見ていた。
僕は中学3年の1学期くらいでしたので、それで1つか2つ上の人たちが
やたらと大人びてみえて、自分がその時期になっても、なんらのリスペクトの対象にも
ならないのもわかってて。
その時に、リーダーみたいなお兄さんがいて、いつも笑顔でみんなに優しくて、
すごいなぁ、すごいなぁ、って見てた。
…ある日、僕がそのゲーセンに行ったら、R-TYPEというゲームをその人がしてた。
遠巻きに最初は見てたけど、間違いないよな、あの時のお兄さんだよな、
と思いながら、視界に入る程度に近づいてみたら、
あの時の笑顔がウソみたいで、ものすごく冷たい顔で、
自分の顔を彼の視界に入れて(やってる最中を邪魔なんてしてなく)、
確かに僕を認識したのに、「誰だお前」の表情であり、僕だけが覚えてるのは不可思議で、
ちゃんと認識した上で、完全に無視されてしまったのである。
では、あの集いってなんだったんだろうな…。

僕が中学2年の宿泊学習では、鎌倉をワイワイとグループで散策してた頃、
僕は周りの状況がわからないので、ポツンと、ひとりでレコード屋さんに行き、
修学旅行の学生なんて誰も入ってなくて、そりゃそうで、
その土地ならではの観光に来てるのであり、しかし、僕の田舎には入荷されてない
ゲームミュージックがあり、「わぁ、すごいなぁ、全部ある。」
旅行のお小遣いは、そういう為には持たされてない、でもカセットテープ買った。
僕は周りがよくわからない。
ゲーセンとファミコンでは描画能力も音源も違うから、ゲーセンのオリジナル
の音楽を聴くのが憧れであり、それは寂しいものでもあり、
だって、音楽は聴けても、そのゲームができるわけじゃない、せめて水戸までいかないと、
ウチの近所にはない、そういうのもある、バッティングセンターのゲーム機とは別の。

僕は、お祭りが、本当は好きだ。
でも、お祭りに参加できない。
僕の町は、町内毎に山車が出るのだけど、これがよくわからない。
自分の町の山車なら、自分に参加する権利があるのだけど、
子どもの頃から「人が集まらないからお金払って若者の何々会に来てもらって、
騒いでもらって賑やかにしてもらってる」なんて話しを聞き、
ここに生粋の町出身者がいるのに、声もかからない、
知らない何々会みたいなのの人たちが、僕の町の山車でいつも男女で若さを出している。
僕はそっちは無理だから、山車の音楽をやりたいと思っていたが、
その入口もわからない、どうも、その親が牛耳ってるらしく、
その子どもにやらせるものだから、それに参加してないウチの親はコネもなく、
いつも祭りが近づいてくる頃には練習の音が響いてきて、どこの集会場なのやら、
やりたいけど、入っていけない、僕は、わからないんです。

ですから、孤高な同級生をみて、格好いいなぁって。
僕は孤立してるだけだったので、全然違うわけで。
祭りには、僕は熱心に子どもの頃から参加しており、子どもの頃は、
山車をひいて大声出して、ひとりで参加して、朝から晩まで飽きもせず、
ところどころに入る休憩では、おにぎりや飲み物や、そして声が枯れるというのが、
本当に体験しており、そして19時になると「はい子どもはここで解散」と言われ、
いつも紙袋いっぱいに入ったお菓子をもらって家に帰ってた。

僕は知らなかったんだ。

祭りの本番は、19時を過ぎてからで、実はいつもの通りが歩行者天国になり、
縁日は大賑わい、僕は知らなかったんだ、知った時はショックだった。
あんなに尽くしてきたのに、熱心に参加したのに、
大騒ぎの中心は、どこにか頼んだ、他の遠くの高校生の何々会みたいな、
僕の町の祭りなのに、知らない人たち、大人たちが、全部“持って行って”たの…。
子どもながらに、悔しかった。
今も、祭りは羨ましいと思ってる。
何々会でもないから、とても恥ずかしい、生粋のその町出身であるのに。
数年前にみかんを連れて、その祭りを見てもらったが、
さらに何々会の度合いは強くなり、それは自分の町に限らず、
まるでその町ごとの制服のように、統一されていて、僕の子どもの頃は、
各々、祭りの服を買い、それぞれな格好、提灯もって歩いてるのは、
信用金庫のお姉さんたちが、お揃いの浴衣きて練り歩いたり、
…日本のどこもそうなように、そんな光景は消えていて、その信用金庫も潰れたし、
その会長は婦人服の店主だったけど、自殺したと聞いたり(売り上げ振るわず借金苦)、
あぁ、「子ども会」でよく見てたのに。

みかんと見に行った祭りは、もう入り込めそうなすき間が完全になくなっており、
残念なお知らせを突きつけられたわけで、
コネという意味でいいだろう、僕より全然年下の人たちは、すでに子どもを沢山作っていて、
その子どもを山車に乗せてはしゃいでる、僕は乗せてもらった事もないのに、
あの時、僕より年下だった子たちが、コネで山車に乗り、今は子どもを作って、
その子どもをコネで乗せて大喜び、自分たちはコネなんて意識はぜったいになくて、
…なんていうか、この残酷さというか、言ってる意味、祭りの意味というか、
わかる人しかわからんだろうな。

ちなみに、僕は、自分の町の祭りの音楽は、名曲だと思っています。
音楽として、完成度が高いです、よく、壮大な和太鼓だの、
よくわからん、口ずさむのも困難な横笛とか、そんなんじゃなく、
“グルーブ”のある、何度リピートされても飽きない、だから一日中聞いてられた。

お盆だね。
恒例的にいつも触れるのは、それだけ思うところがあり。
13日におじいちゃんたちをお墓に迎えに行って、
「今、家に帰ってるんだよ」を信じて、家で静かに過ごし、
15日にまたお墓参りに来て、「今度はお墓に送ってくるのよ」を信じ、
お線香とろうそくと、新聞紙と花とか、虫よけスプレー買いに立ち寄った記憶や、
提灯や、…でも、そんな時も、僕の同級生はいない、
あの、ゲーセンの中学生のように、みんなどこで何してるのやら、
お墓参りに来てるのは僕の家族と、数家族だけで、
しかも、僕の同級生なんて見た事ない、「そりゃいろんなお墓の場所があるからだろ」、
なんて人と何の話しができるかな、この意味というか、
別に僕は、それらしんみりする一連の行事は、信仰心ではなく、自分の血脈として、
思い出を思い出したり、だから自分たちが存在してる理由に思いをはせる、
そんな日なので、いつもニュースで流れてる、お盆にハワイだ、海外旅行だ、
行楽地だ、…なんなのコイツら、なんで遊ぶ口実の休みになってるの、
お墓参りもしないで、遊ぶのがお盆なわけないのに、お盆を理由に休んで遊んでる、
なんなのって、いつも思っていて、今でもだけど。

また今年も帰れそうにない。
しばらくお墓参りができていない。
いろいろあり。
 

永遠のゼロ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 8日(火)18時42分51秒
返信・引用 編集済
  最近、「永遠のゼロ」という映画を見ている。
気に入ってるシーンばかり何度も見返して、本編を『通し』では見てない奴。
この映画の感想を書こうと思ったら、違う感じで書き始める必要があるので書かず。

全く違う話しで下の書き込みに書こうとしてたのだった。
「永遠にゼロ」だなぁ、と。
ゲームウォッチで気づいたのだが、今の自分の概念では信じられない事に、
0時の概念がないのである。
午前0時、つまり深夜の。
なんて表示されるかというと、「AM 12:00」なのである。
これは恐ろしいと思った、このゲーム機で遊んでたのが小学校低学年の頃であり、
ゼロの概念として、とても混乱させる数字なのである。
【AM 00:00】でなければ、デジタル化した時計の文字盤としてダメだと思う、
文句であるだけでなく、子どもが可哀想だ、自分もそうだ、わけがわからなくなる。
AM 12:00なのに、次の1時間後の表示は「AM 1:00」なのだから、なんで12から1になる?
これは自分の混乱を避けるための視点として、24時間表示だった場合、23:59までが限界値で、
表示上は、「24:00」は存在しないのである。
理由は簡単、24:00イコール00:00なので、終わりの時間と始まりの時間が重なってる、
これはゼロの概念が確立できてない子どもには酷な出来事だ。
「ある」として数えると、ゼロの意味は「ない」にしかならない。
ゼロの意味は、そういう事じゃないからだ。
 

984だった。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 8日(火)18時27分2秒
返信・引用
  自己満足的に、塩漬け状態(使い方合ってる?)だったゲーム(&)ウォッチを飾っている。

いつも(小学校より)悩んでたのはコイン電池の持ちの悪さで、規格が「LR43」という薄型のもの。
互換性があるのは「SR43」とある。
自分は、『ポパイ』『パラシュート』『オクトパス』の3台所有してるので
(すべて中古品で、買い直したものだが)
これらを全部動かそうとすると、全部で6個のコイン電池が必要になる。
さて、意外と高いのである。
近所の安売りスーパーのレジ横に「LR43」のコイン電池が売っているが、
1個入りで300円くらいする。
無理して揃えて、1,800円、3台が1年間動いてる気がしない。
一か月動いてるか、という具合なので、毎月、時代おくれのゲーム機のために
1,800円はキツすぎる、ではと、100均でみつけた、2個入りで108円だ。
6個なので324円だ。
で、毎月?
これもキツイ。
そしたら、ボケてる自分はネットで「最もポピュラーなコイン電池です。電卓・ゲーム用」
の文字を読んで、どういうわけかゲームウォッチに対応してると思ってしまって購入。
その安さである。
20個入りで380円、これは手が出る。
管理してる台数が多いだけに助かる。
そしたら「LR44」であった、そのコイン電池は。
結果的になのですが、無理矢理押し込んで使えてます。
規格外なのでしょうが、電池の厚みだけだったようで、電圧はさいわいにも同じ1.5vとあり。
厚みが増してるということは、それだけ蓄電が多いと解釈できるので、
安いわ、電池も長持ちだわ、いい買い物ができました。

ゲームウォッチというのは、「よしやろう」と思って、始めるもので。
いったんゲームが始まると、ゲームオーバーになるまで、完全に時間を固定化される。
なぜなら、すでにファミコンでは当たり前の一時停止ボタンがないので、
やるからには、時間的な確保が必要なのである。

これが僕の弱点というか、ポパイの最高得点は「998」点、
小学校2年の時に自宅の便所でウンコ中に開始して、なんとなくミスが少な目だったので、
そのまま集中開始してしまった。
ところが、頭の中が、後半になるにつれてうるさいのなんの…。
「ここまできてるのか、もし999点いけたらすごいな、」なんて程度ではなく、
とにかくあれこれあれこれ頭の中でうるさい。
集中したいのに、目の前の手柄のようなもので自己満足を繰り返し、
それを超えたい自分と、ここまできてる自分すごいな、と、何がすごいだ、
邪魔すんな黙れな自分と、わーの、わーの、ウルサイのである。
まるで昭和な日本人選手のメンタルそのものというか、土壇場で弱い、的な、ホント。
そのトイレの時も、この雑音がなければ999点行ってたと思われ、
「その後も何度もトライすればいいだけじゃない」、そうではないのである。
そういうものではないのである。
ではやろうか、と思って始めるようなものなので、集中力が必要なのである。

この書き込みをしてるたった今、Bモード(998点だった小学2年の時はAモード)で
984点だった。
…変わってないな、自分と思いながらやってたわけ。
思いながらやってるからには、それも含めて、あれやこれやブツブツ頭で喋ってて、
まぁ、ウルセーのなんの。
このまま999点行くんじゃないかと思ったのだが、984点で終わっちゃった…。
まるでネタですが、ゴロ的な数字の読み方嫌いなのですが、984なだけに「くやしー」。
「そんなに慌ててない自分がいるぞ、いまのうまくいったな、動きがみえてるな、
どのタイミングでミスを開発者は狙ってるのかな、これはひっかけか、」
だけでは済まない、とにかく喋る喋る、リアルに音声で言ってたら
独り言のキモイ奴だけど、そうじゃないからね?
まぁしかし、そのうるささをかいくぐって、「成長したんだな」と思った自分発見。
分析できてる自分がいたので。

3コースの内の、どれが先に落下してくるかを冷静に見ていればいい、という事。
「え?そういうゲームじゃん、それも気づいてないままゲームしてたの?」なのですが、
気づいてる上で、もっと気づいたというか…。
同列ではなく、手前短い、遠くは長い、では手前が距離が短いので速く落ちるか、
そうではない、実は変速的なのである。
「溜め」というか、リズムにのってると調子にのってミスする、今がまさに。
テキパキやってる自分かっこいい、なんて頭で騒ぎ出しやがって、本当に鬱陶しいよ自分。
その気持ち良さは、本当に実力がついてから、それを楽しんだらいいのに、
どこかで自己満足していて、それ以上を追及しない、結果的に、それなりで終わる。

自分はスマホを持っていない。
スマホは何でもできるな。
ゲームも、まさにウォッチ(時計)も、電卓も、メモ帳にも、写真も動画も、
こんなの小学校時代に存在してたら鼻血物で大興奮してたろうな。
なんか、そういう奴でして。
機能美に惚れる。
勉強机に飾ってたゲームウォッチなので、そこに、ただの時計じゃないのがある、
それが格好いいのであった、ビジュアル的にも。
では、スマホはゲームウォッチを超えているか、…いないのである。
理由は簡単、こんなもの自分で用意すればいいと言われようが、
自立スタンドがついてない、つまり、置時計的な設計思想がスマホにはない。
また常時点灯させておく概念がないので、いちいち画面が消える。
「そんなもん、バッテリーがなくなるからに決まってるだろ」
だったら、もっと設計の工夫をしろと。
確かに、ボタンさえ押せば、時間も日付もわかる、天気予報まででる、
メールの受信までわかる、それがなんだ、そういう事じゃないんだ、
カレンダーは、それがある方向を向いた時に、すでにカレンダーがある。
時計も、今何時かと思って、その方向を見る、それなのに、いったん
ボタンを押させてから画面を表示させるのでは、操作しないと見せてもらえないのであり、
この、他人扱いされてる感じというか、いつでもそばにいるよ、動いてるよ、
なゲームウォッチの温かみがないのである。
今時の技術ならとてつもなく簡単にゲームウォッチができそうなのに。
自分が求めてるものと非常に近い製品として、電子卓上カレンダー、
好きな音楽が流せて、取り込んだ写真が次々に切り替わり、時間とカレンダーを表示、
…では、なぜにこれに手が出せていないのか、
「コードが繋がってるじゃん、自立できてないじゃん、」うまく言えませんが、
いざという時に携帯する思想がないものは、お飾りでしかないというか、
しかしほぼ飾ってありながら、連れ出せるものというか、
自分、ガッツリした家具が嫌いで、引っ越し業者を頼まないといけないようなのが。
住んでるんだけど、いつでも自分でコンパクトに持ち出せる状態にしておきたいというか。

そう思うものの、それと自分の無能さのはざまで、なんだか片付いた事がない。
自分にはそういうこだわりがあり、仕事にも支障がでてたもので。
仕事しつつ、「部屋が片付いてない」といつも苦悩しており、
営業してた時も「そんなに気になるんだったら片づけてから仕事してくれ」と上司に言われ、
それがうまく片付かない。
 

補足事項。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 2日(水)12時06分40秒
返信・引用
  僕は「あいまい」さが、苦手だったりする。
自分自身があいまいな分際で。

例えば習字で、「夏の空」とでも書いたとしましょう。
その左横には、細筆に持ち直して、何年何組、名前、と書くわけだけど、
僕は、これがダメ。
そもそも、習字で延々と練習してるのは太筆ばかり使っており、
何かの提出の時にのみ細筆を使う事になるので、ほとんど使った事がない筆の必要に迫られ、
その書く位置で混乱する、どこにどう書くのが正解なのか、雰囲気でしかない。
実際、ノートのようにマス目があるわけでもないので、アドリブで、っぽい場所に、
書くしかないし、さんざん注力したのは、太筆の、本題の方で、
「もしかして、何年何組 名前、の方も文字の評価の対象なのだろうか、」と思って、
これでいいのか、何がなんだかな状態だったり。


自分は無責任な人間である、そして、大変な責任感の持ち主である。
責任とは、これも単語の認識が共有されてないように思う。
昨今の責任は、まるで連帯保証人のような、批判を受ける立場を「責任」、みたい。
自分は、何かをやり遂げる事がとても少ない。
途中で投げ出す。
これを「無責任」という評価は、自分の責任において、【それは違う】と明確に否定できる。
なぜなら、やり遂げる事が「責任」ですか?
何を言いたいかというと、「自分の手に負えない」と判断したら、手を引く、
責任があればこその判断である。
これが、「最後までやらないのは人間のクズだ」とばかりに、
実力のない人に、最後までやらせてしまって、取り返しのつかない事態に発生した場合、
これは責任をもって最後までやった、と言えるのか、
自分には無理だと判断した時に、手を引く、それが責任というものではないのか?
僕の評価は「最後までやり通さない。途中で投げ出す。」が多い。
飽きっぽい、とも。
反論しますけど、飽きっぽいって何?
まるで、あれこれ食い散らかして、あとは知ら~~ん、な無責任な奴ってか?
冗談じゃねーぞ。
デキちゃった結婚てあるけど、僕は、許せませんね。
子どもができたので、責任を持って結婚します、って話しがだいたい出てくるのだけど、
お前らさ、時系列をちゃっかりすっ飛ばしてんじゃねーぞ、と。
僕は、男女が付き合うからには、そもそも付き合うって何?でしょ。
好きだから一緒にいる、チョメチョメする、ん?それで?
そう、だいたい別れる。
「今まで何人つきあってきたわ」が雑談であったり、え?そこ?
いかに沢山別れてきたの人間って事じゃなくて?

なので、「デキちゃった結婚」→「責任とってけっこ…」←ちょっと待った!!
いやいや、子どもができてなければ、結婚してないなら、
前に別れたばかりの人に妊娠がわかって、今付き合ってる人の妊娠がわかったから、
責任とって結婚、なのだとしたら、これどうするの?
「責任とって結婚」の理論は、言い訳として、完全に崩壊してますよね?
だから、結婚も考えてる段階でもないなら、避妊してないっておかしいだろ、と。
妊娠したから結婚て、別に好きでもない女とヤッてて、みんなが妊娠したから結婚、
ってロジックだろうが、日本では重婚は認められてないのだから、
理論的に崩壊してる言い訳なんだよ。
本当に責任のある人間なら、そもそも結婚を決める前に妊娠なんてさせないんだよ、
フザケた事言ってんじゃねーよ。

ADHDの人は片づけが苦手で、始終部屋が散らかってるそうである。
僕は片づけがものすごく苦手である。
しかし、整理整頓されてると評価される事がある。
これには、カラクリがある。
なんの事は、ない、片づけが苦手なら、そもそも物を持たなければ散らかりようがないので、
整然と見える、というカラクリである。
自分の手に負えないものまで所有するのは、これも「責任」とリンクしており、
だったらそれは手放しておく、必要最小限でいい。
どうにも仕分けができないものは沢山沢山あるのだけど、それは散らかしておくのではなく、
どこか一か所に判断が難しいものとして放り込んでおいて、未来の自分が、
なんとかしてくれるか、どうにもならないか、わからないけど、
整理したわけじゃなくて(仕分け等)、とりあえず、しかし、散らかってない、みたいな。
 

例えば、こういう事。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 2日(水)11時12分1秒
返信・引用
  何かの調査なり検査なりアンケートなりで、

「~な事がある。」→大いにそう思う・ときどきそう思う・全く思わない

のようなものがあるとして、これの質問者は一方通行なのよね。
僕がそう思う【理由】については、述べる余地さえない質問事項。
なぜ、大いにそう思うのか、とか。
例えば、「笑いに飢えている」→そう思う、と答えたものでは、
「お笑いが大好きなアナタは、なんちゃら~」的な誘導になっており、
なんで笑いに飢えていると答えたのかの理由を答える余地がないから、
質問者はこちらが答えた意図を見誤っている、というか、想定すらされてない。
もっと笑いが欲しい、日頃からおもしろいネタがないかと探してる、だから
「笑いに飢えている」のではなく、
笑う事が少ない自分なので、よくいう、鉛筆が転がっただけでも大笑いの女子高生的な、
そんな人たちを横目に、そう振る舞えない自分とのギャップとして述べたものなのに。
そうかと思うと、ドン引きされるくらい、下ネタではツボる事が多く、
こっちでは大笑いしてる、小学校時代に新連載が始まった漫画で、
詳細は忘れたが、ある女の子が男子たちの奪いあいに巻き込まれ、
その女の子に、目クソをつけて、「これは俺のもんだ」、そしたら別の男の子が
「俺なんてハナクソつけたもんね、これは俺のもんだ」、…これが延々としつこい、、、
ツバやらフケやら耳クソやら歯クソやら、ムッカーーーッとする女の子、
これに笑い転げてて、家族がドン引きしてて、もう笑うを超越した死ぬまで心配したほど。
「いいかお前たち、これを見て驚くなよぉっ、フフ~ン♪→え?あれ?驚かないの?」
「だって驚くなって言ったじゃーん」
「言ったけど、言ったけど、少しくらい驚いてくれたって(泣)」
少し遠くで「ねー、これって高かったんだろ」「苦労して買ったんだろうな」
リアクションが出てきて「おっ」と思ったら、
「でもフェラーリよりは安いよね。」「ランボルギーニ」わいのわいのと騒ぎ出し、
「試しに乗ってみようぜ」→「ダメーーーー」→スクラップになりすぎてフェラーリの車体に。

小学校3年の時の通信簿が残ってまして、
「文字を正しく整えて書く」の項目に、1学期・2学期・3学期と、全部に最低評価の【×】。
以前も書いたけど、小学校2年の時の女の先生が「落ちこぼれを出さない」という方針で、
掛け算九九も、覚えるまで学校から帰さない、みたいな。
先生は別室で一人で待機しており、覚えましたー、な人から入室して、
先生の前で暗唱して、「だめです」→また戻って覚え直し、みたいな、
同級生が次々に帰っていくのに、かなり最後まで残ってて、ひぃひぃなんとか覚えて、
やっと帰れた…というか、一番最後に帰る事になるのは先生なわけで、それくらい、
何が何でも落ちこぼれを出さない方針、これは自分のためではなく、
自分の受け持った子どもたちが、これからの人生で困る事がないように、戦えるように。
漢字の筆順も徹底的に叩き込まれ、それを経ての小学校3年、で、
上記の、
「文字を正しく整えて書く」の項目に、1学期・2学期・3学期と、全部に最低評価の【×】。
実際、この評価で合ってるのだが、一点だけ違う事がある。前にも書いたけど。
漢字の筆順で、【書】の筆順、僕が小学校2年の時に習ったのは、3年の先生が教えてるものと
違う。

ここらから、すでに「おくちゃん」らしさがある。
怒られる事をわかってる上で、わざとやらかす。
みんな【書】の筆順で、教室で列を作って並び、正しく覚えた人は次の作業をしていい状況。
間違えた人は、正しく覚え直して、また先生の前に並ぶ、そんな状況、
僕は、覚え直した、という事にして、何度も何度も自分の習った【書】の筆順を提出、
先生はイライラしつつも無言で、何度もバッテンをつけてくる、
それの何回目かだったか、
「先生、それは間違ってます。」と、何で何度も同じ答えを出してきたかの理由を説明。
この先生はイライラのおんなの先生で、みんな嫌ってて、その思い、僕はわかるさ、
「そんなわけないでしょ!アナタは何を言ってるの!!」
あまりに食い下がるもんで、僕をニラみつつ、筆順辞書のようなものをひっぱり出し、
その先生が確認したら、僕が教わった通りの【書】の筆順が書かれてあり、
ジトーッと僕を恨めしくニラみながら、
「…はい、みんな、さっきのノート、もう一回もってきて。」と、訂正されたものの、
僕は憎まれただけで、教えてくれてありがとうでもない、
そんな先生から「文字を正しく整えて書く」に【×】を僕はもらい続ける。

僕は小学校4年の時に書道教室なる塾に、別に行きたくもないけど通う事になり、
こんなものは、とっくに入ってるようなものらしく、やりたい人は、
小学校4年から参加してきたのは僕くらいで、普通は10級から開始するのだが、
昇級試験で、飛び級になり「7級」になったように思う。
この書道教室の先生からも、僕の文字が褒められて、「みんなこっちに注目」な感じで、
紹介された事がある、書道が好きでもないので、あまりうれしくないけど、
褒められてうれしくない事はない、でもそれ以上を期待されると、
やる気のない自分がウソつきなので、やはり途中で書道教室はやめる。
まぁ実際、僕の文字は「ミミズが泳いでる」と評されるほど、ヒドイもので、
指先が器用ではない、キーボードは変換候補があるけど、実際に手書きしようとしたら、
漢字がほとんど出てこない、平仮名だらけの、いかにも知性の低そうな子ども文章になる。

最近、みかんが【田】と書いてる場面があり、田の筆順が間違っていたので、
「それ、そうじゃないよ」→「うるさい」と一蹴されたり。
【田】の筆順も、これだけの画数なのに間違ってる人が多い。
【右】【左】これの筆順も、右と左とでは、書き始めが違うんだよね。
【発】と【飛】、これも頑張って覚えたなぁ。

しかし、間違ってるとわかっていても、気持ちが悪いので直さない平仮名がある。
【も】である。
正しくは【し】と書いてから、横棒2本を書いて【も】なのだが、
それをわかってる上で、横棒2本を書いてから【し】と書いて【も】にしてる。
なぜ正しい筆順の方が気持ち悪いのかの理由もありそうだ。
【書】の筆順しかり、真ん中の縦線は、最後に突きとおす書き方であり、
【も】もまた、書、のように横から書いて、最後に突きとおす、
実は【田】も【飛】も【発】も、縦のラインは、最後に貫いてくる書き方で共通してる。
この自分の間違った書き方の方がしっくりくるからだと思われ、どうにも気持ち悪いのは。
ちなみに、【右】と【左】、斜めの【ノ】になってる部分、これ、
確か、明確に左と右とでは、文字が違ってたはずだ。
【右】のノみたいな字の方が短く、その理由とかも教わったと思うが忘れちゃった。

つまりね?
客観的な資料として、もし通信簿が残っていたら診断の役に立つって話しなのだけど、
真の客観とは、【事実】でなければ客観ではない、という事を僕は言いたいわけ。
第三者の所見を「客観」というのは、理論的に間違ってる、と指摘したいわけ。
先生かの評価は「主語が先生の、主観に基づく“所見”なのであり、主観なのである。」
こういうものを診断したい側は欲しがってるわけです、誰かの主観なのに。
しかし、書道で飛び級になりました、という話しは、勝手な私見、コイツ嫌い好き、
のない、事実なので客観的なものとして認定されるべき。
先生の所見を否定する、という意味ではない。
むしろ、そう僕に思ったという事実が存在するので、そう思った事と、
実際にそんな状況であったか、は別だが、
事実として、そう思った人の存在があった、これだけが【事実】。
そう思った人がいた、というのは、客観として認定されるべき。
だから採用されるべき、判断材料として、しかし、実際にどうであったかとは、
また違う話しなのであるが、どうも、僕の“所見”では、
診断する側に、そこらの概念が欠落していると感じます、僕の主観ですが、
本当に主観かどうかは、問い詰めてみればわかるさ。
 

「議論」を深める行為に“罪悪感”を、な流れが。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 8月 1日(火)16時03分22秒
返信・引用 編集済
  理論とは、それらすべてに居場所のように安定や安心や公共性や光や潤いがある、と思う。

つまり、理論とは、『屁理屈』とは全く違い、屁理屈とは、中身がなくても、
肉付き、外見だけは、“それっぽい”事は達成できてしまう、しかし、蓋を開けたら、
中に骨が入ってない、…というか、こんな例えで何を言おうとしてるか伝わってるかどうか。
似た指摘として、同じ単語を両者とも使っているのだけど、使ってる意味は全く違う、
しかし、単語が全く同じものだから、一見会話は成立しているように、ハタからは見え、
しかし、全く話しが噛み合ってない、噛み合ってない原因が両者にあるのではなく、
どうやら、“みたいな事”をしてる奴が混じってる、そいつを探し出せ、というか。

理論とは、すべてが正解でこそ、成り立つものだと、僕は考えます。(久しぶりに「僕」。)
理論・論点、すべてが正解で組み上げられて、理論、全方位として。
これは、地球も太陽系も理論であるが、太陽系は銀河の一部でしかない、
しかし、銀河も地球も理論であり、インチキがない。
うまくハマる例えが見つからないけど。
何かの話し合いをするとして、双方が理論立てて、筋道だてて、「でしょ?」とする。
明確に論破したとしても、これがしんどいところは、
「バカは風邪ひかない」ではなく、
『バカは風邪に気づかないので風邪ひいてるぞと指摘されても理解できないので風邪不成立、
しかし、客観的には風邪なので、どうにも裸なのに信じてもらえず、他の、
なぜにか信頼してる人から“お前、裸だぞ”と言われて、やっと自分を疑ってくれるとか、
あれ?さんざん裸だって言ってたよね、こっちはさ。』→からの、「それはキミ、結果論だ。」
と断罪されたり、こっちが、ね?

つくづく思うのですよ。
ここ最近(…な~んか、『直近』って言葉、安易に使う奴、嫌い。な~にが直近だ、というか。
この感じ、こういう視点というか、どんな事を、どうやら言ってる、かの文明度の差なのか。)
メールでいくつかの先方とやり取りする事があったのだけど、
話しが止まっちゃう、しかも、止まってるのは向こう、
だって、こっちは質問として投げかけていたり、分析を指摘してる。
それに対して思う事なり、答える気や、理論的に理解できれば、止まる、というのは、
生きても死んでもいないというか、制御不可能な時間とは全く違い、
やるかやらないか、でしかない。
しかし、ただ議論、のようなもの、では「不毛」であり、それは議論ではなく、
正規議論になってませんよ、の指摘を延々とこっちがする、
すると相手が何か要領を得ない回答をしてくる、これは議論ですらない、のに、
途中で黙りだす、これは卑怯で、「そういう事じゃない」という話し、
それの、まず、の、前提の話しの段階で、すでに単語としても認識が共有できないので、
できないというか、こっちはその話しをしてるのに、向こうはあり得ないとか、
逆に、それは問題にすら至っていないのに、問題だと言ったとたんに問題に認定みたいな、
しばしばコメンテーターで登場する弁護士たちとか、「の可能性がある」という
微妙な言い回し、ここに『主体性』なり『自主性』は存在しない連中なんだよね。
「法に照らして」であり、理論的な論議ですらない、ですら、ない、「で、すら」だよ?
ただの照合作業であって、戦う気がないのである。
これは僕の勝手な認識と思われない事例として、弁護士の見解を示して、
「法律ではこうなっています」→「え~(あんまりだ。冷たい。それじゃ理不尽だ。)」
この流れ、結構あったりする、それこそが【理論】の発端でもあるはず。
どうやら法律はそうだが、その理論ぽいもの(法律)、理由が解せないなら、
なぜ解せない人が発生しているのか、どっちの問題なのか。

僕は掲示板に活路を見出したのは、自分の考えを理解してくれる人が、
知ってる限りの周囲において、全くいないので、
「日本全国に、自分の考えを提示してみれば、どこかの誰かなら、
この言ってる意味がわかる人がいるかもしれない。」と思ったからなのだけど、
実際は、この実社会と、さほど変わらず、なんとも粘度の高い、淀みというか。

最近、ホリエモンが「SNSでの「いいね」の敷居が低くなりすぎて、
「いいね」の価値が低下している」のような指摘、これ、僕は逆説的に肯定できて、
「あまりに『参考にならない』と安易に押せるものだから、
気に入らないと思ったら、簡単にカウントされてしまう、しかし、
なぜ『参考にならない』と思ったのかの『理由』について述べられる事は少なく、
仮に述べられていたとしても、どうも【理論】があるようなのだが、
そこを煮詰めていっても、確実に建設的な解のためのやり取りにならないであろう話しとか、
もどかしい粘度の高いものにぶち当たり、では、これが前述の『黙っておく』
が正解かというと、どうも、正解なんじゃないかと思う自分、
それって、自分でも『黙る』をしてしまってる、しかし、
それが風邪であるとわからない人に、風邪とはどういう状態で、
似て非なるものは症状としてはあるけれど、それは1+0も、1×1も1なのだけど、
同じ単語でありながら、明確に意味が違うもの、数学者が、
リンゴを5個ずつ3人に買ったら、リンゴはいくつ必要か、みたいな問題で、
「5×3」も「3×5」も15なのだから、3×5をバツにした先生は専門的に見て頭がおかしい、
のような話し、これは理論の習熟度を見るためのテストなので、
5個が3つ必要、という状況を理解できているかなのであり、俺は先生を支持する、しかし、
文脈などというのはイジれてしまうわけで、順番を変えずとも、
リンゴを5個ずつ3人に買おうと思うので、1人が5個ずつ貰います、それが3人、
では、リンゴは全部でいくつ必要になるでしょうか。」なら、3×5、と導きやすい、
さらに、結果が先にわかってるクセに、でもまた、結果は同じであっても、
考え方が違う、ではリンゴに違いもなければ、個数に違いもない、
どちらも結果的には正しいではないか、【そうは思いません】というのが、僕の考え方。
僕は、意外とデジタル的な話しをしていて(超絶、アナログ臭いものの)、
誰がどうやっても、何回やっても、どうにも『それ』である、という状況の話しをしてる。
こんな例えでいいやら、「養殖のウナギ」と「天然もののウナギ」、
どちらも同じ15匹ずつ揃えられる状況だとして、さて、どちらが先にか脱落しそうである、
ホラね?同じ15匹、結果的に15匹なのだけど、味どうこうもさておき、
仕組みとして、確かに15匹なのだけど、前提なり経緯が異なると、その後の、
何度か繰り返した場合の『誤差』なりが発生してくる、これは【同じ】なのか?
じゃあ、リンゴを5個、3人だ、もしリンゴの木の方が人間の寿命より長ければ、
3人の内、誰かが死ぬ、リンゴが15個確保できる事は確定している場合、
1人しか生き残ってなかったら10個が配られない状況になる、
なぜリンゴが15個が確定しているのかというと、リンゴの木だって寿命がある、
しかし、余剰としてのリンゴならいくらでもある状況下では、
15個が配られない可能性の方が圧倒的に低いわけで、人間はというと、
20歳になるためには20年必要だが、リンゴは1年でリンゴと呼べる状態になれる、
この経緯の違いもあったり、うまく言えないが、こういう、そういう話しをしてるのに、
というか、
「え?でも15個のリンゴって去年のリンゴと全く同じものが繰り返されてるわけじゃないよ?」
その通りだ、「でしょうが。だったらなんでまるで同じリンゴが用意できるかのような話し?」
「同じ」=「安定」であり、「違う」=「不安定」、という事もある、
この場合の理論として、リンゴと呼ばれるものが必要個数ある事が重要であるなら、
味や形の違う事は論点ではなく、確実に供給される状況であるのかであり、
それは、味や形がどうでもいいという話しとも直結はせず、
そもそもその指摘自体が、「違ってしまってはダメなもの」かのような疑問とは、
来年のはもっとおいしいリンゴかもしれない、という概念が入ってないので、
どうやら議論が難しそうと判断するしかなかったり、
しかも、こっちこそが正しいって話しを決してしてないのに、
どこがどう違うのか、同じなのか、双方に納得があってこそ、さて、理論を組み上げよう、
これは、宇宙ステーションにも似てますよね、
どこか一国で作ったものでなく、「規格」として、正確に伝わった上で、
宇宙空間でドッキングが達成できている、正しい理論同士で、建設的な話しなので、
建設的な理論同士で、宇宙ステーションというカタチとして成立した、
ここにもし、間違った理論が入っていて、しかし、一見「議論」っぽく、
それは間違った製造をしていて、しかし一見「製造している」っぽいものの、
組みあがった宇宙ステーションに入る気が起きますか?
危なくてしょうがねーっつうの、でしょ?
そういう話しをしてるんだぜ、
な~んで、まるで話しがこじれた理由を、俺に原因があるかのようにするのさ、
「戦争反対」、この言葉、四字熟語でもなんでもないよな?
でも、誰も疑ったり、試してる人もいない。
「戦争に反対」「戦争の反対」「戦争は反対」…、戦争という単語、
反対という単語、話しをする時に、共通語としては会話は成立しやすいものの、
その認識なり単語の意味への習熟度の違いによっても会話は成立っぽくできるので、
これは危ないわけよね、宇宙ステーションでレアメタルが必要として、
お互いの国が、それを用意して、確かにレアメタルだけど「その純度」となると、
「それは聞いてない」とか「何パーセントの基準まで制定してない」とか。

「それはイジメではない、恐喝だ、傷害事件だ。」
イジメという言い方の問題で、実態は恐喝、傷害、等の刑事事件だ、というロジック、
ここにも理論がスッポ抜けてたり、では刑事事件として認定されれば安心かというと、
「軽微なものは立件しない」事が多々あったりする、すると、
心理面に深く入り込んでくるもの、ジワジワと後になって効いてくるもの、
そこが線路の分岐点のように、曲がった方角が軽微であっても、圧倒的誤差が待ってたり、
うまく言えないな、

「イジメられても、跳ね返すちからを、腕力だけじゃく精神面でも。」があるとして、
それが当てはまる人間もいれば、そうではない人間もいる、
【理論】とは、そうである事もあれば、そうでない事もある、という事なのだ。
にも関わらず、理論っぽい事というのは、一見、説得力のある定型文のような文言が、
そのまま心に染みわたり、疑いもしない、疑う必要がなければ疑う必要もないのだが、
疑う必要がないものを疑ってる自分は、用心深いので騙されてない、というのもまた、
用心深くても騙されてる事もある、騙されてない事もある、という『前提』で、
話しを、議論を始めないと、不毛は繰り返されるというか。

自分は、アメリカの映画やTVドラマを見て、いつも思ってる事がある。
「なんか、いっつも早口で喧嘩ばっかりしてる。」
このシチュエーションって、日本映画だったら、番組だったらどうだろうか、
できるだけ避けるであるとか、感情的にわめくであるとか(だいたい日本映画のCMは
主人公的な奴が叫んでるとか泣きわめいてるとか)、
……そうか、と、
アメリカなり(最近はイギリスのTV番組、車の、司会者陣で喧嘩をし合うのを笑いにしてる、)
これは、喧嘩は喧嘩なのだけど、何がどう違うのかの『議論』をしているのであって、
しかし、これを俺が同じ事をすると、「お前ひとりが何言っても世の中そういうものだ」
「あなたは自分を理解してくれないというけど、あなたは誰かを理解する努力はした?」
「自分の権利ばっかり主張するクレーマーと映ってもしゃーないで」
彼らは、自分の権利・考えばかり主張してる、が、どうすればこの争いが
回避できるかを模索してぶつかってる、とも言える。
そもそも争わない、黙ってしまう、「いい大人なんだから」と、
相手が多少、確かに問題があろうが、いちいち言わない事が大人の対応、みたいな、
あれあれ、どうせ相手はアホなんだから相手するだけ損、みたいな、
黙っていたら、どんどん間違いが既成事実化されて、デマが世界中に拡散してる慰安婦問題、
回避というのは、戦ってこそ今後二度と問題化させないためでもあり、
逃げるとは、不毛な相手では話しが通じないので、話しのわかる場所を探す事でもあり。
戦争反対は簡単に言えるけど、何がどうダメなのかの理論がないと、話しにならない。
人殺しはいけないと言いつつ、死刑は望む、これは矛盾だ、
しかし、「罪人には当然の報いだ」となると、死刑は肯定されたりする、
すると、「人殺しは、悪い事をした人に対しては肯定される、むしろ人殺しはヨシとされる。」
「そうではない。悲劇を繰り返さないために、どちらかが自重しなければ終わりがない。」
すると、「どちらかが泣き寝入りしろって話しは、議論を放棄して、
争いを避けているにすぎず、『お前が我慢していれば相手もそれ以上してこない』、
なんて保証もないのに、言い返すなりやり返す事が否定され、
仕方なしに仕返しようものなら、
『あなたはやり返せる時点で弱者ではないし、一方的な被害者でもない』
なんてロジックを持ち出してきて、…これを論破しても、絶対に腑に落ちてもらえず、
なんだったら、このロジックの発想をサラッと言えてる時点で、仮説でもなく、
わからないを公言してる人に、何か説明してわかるわけがない、
わかる事もあろうが、さて、何が何やら…。」

というオチに「結局、何が言いたいのかわからない」。
「なんか、そこらの事を言いたいんだ」とは一緒になって考えてはもらえない、
答えだけ要求してこられる、というか、誰かを満たすために僕は存在してるわけじゃない、
ギブアンドテイク、を一般論としていうなら、さて、僕は何をテイクできているのか、
何もなさそうなわけですけど、「~があるじゃない」と、スパッと即答されたとして、
「え?それ、そっちの都合で考えた場合はそうなのでしょうけど。」

ん~~~、さてさて。←と、悩んでる状態は、なぜにか攻撃対象中。
そうか、攻撃をしたいのか、考えたいのではなく、
なるほどね、核の平和利用だの、科学も使い方次第だの、理論も使う人間によって悪用、か、
さて、AIはどんな脈絡を計算してくれるのだろう、僕はAIを仮説として採用したい。
あまりに人間は、脈絡を重視して、その他の可能性を閉ざし、
「その話とコレは関係ない、論点が違う」→いや、それはちゃんと繋がってる、という発想、
これがない人間から、文明開化の音が聞こえる気がしない。
 

かたかたかたかた(「と思ってる人」「と思ってる人」)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月28日(金)18時52分5秒
返信・引用
  かたかた、は昔の電子計算機の音になぞらえての擬音としてみた。

おみかんから「18時指定で商品届く」と聞いていたのだけど、17時半過ぎくらいに
ピンポ~ン♪となり、普通なら予定外のチャイムには応対しないのだけど、
幸い、これも俺のおかけでカメラ付きインターホンになったため
(管理会社と交渉的な、何も言わなければ古い音声タイプのままだった。)
洋服なのでものすごく軽いはずなのに、大袈裟に肩に乗せて、
宅配業者だと見えるように映ってたので、一呼吸おいてから出ようと思ったら、
一呼吸のタイミングで「はい~」「佐川急便ですぅ」「…はい(こっちで一呼吸になった)」

俺は歳だなって思うよ、だいたいこの手の業者で会う人たちは、
俺より年下ばかり、なかなかガタイがよい、丸太のような人だ。
殴られたら負けるな。

「あれ?18時って聞いてませんでしたっけ?」(結構高音域の若い感じの声です)
「すみません」かなり険悪な雰囲気を作ってきたのはこのガタイのいい方。

さて問題です。
おくちゃんのこの言葉を聞いて、おくちゃんって人をよ~~く知ってる人なら、わかるよな。
わからんか…。
俺は、嫌味で「18時って聞いてませんでした?」と言ったんじゃないんだ。
構図にしたらわかるか、みかんからの依頼は、「18時以降」、
その指示を受けてる配送業者と、18時過ぎにくるよと聞いてる俺、
つまり2人は18時以降、の共通認識が発生しているわけで、
その確認を込めての、「たしか18時って聞いてたよね?あれ、違ったのかな。」のような、
その人に対して共通認識の確認も込めての「って聞いてませんでした?」の意味でした。
が、相手はそうは受け取らなかった。

本当に嫌味なり、皮肉で言うなら、
×「18時って聞いてませんでした?」
○『18時以降での時間指定してたはずですが?』と具体的に指摘してたはず。

あーあ、俺って何やってもトラブル。
で、それのほとんどは俺が発端、という事になってる。
ふひぃ、今日はゲームしすぎて疲れちまって、このくらいにしとくぜ。
俺がゲームをする理由は、娯楽のみではないのである、勉強嫌いなので、リハビリ。
俺は没頭しだすと周りが見えなくなるくらいだ。
下手したら、お昼を食べるのもそっちのけになる事もある。
集中しすぎて、お腹も減らないとか、そもそも動いてないのも相まって。

で、信じられないかもしれないが、ガタイのいいお兄さんでしたが、
こっちも軟弱ではないように、こっちもリハビリしてるのよ。
プロテインは、すごく高いよ。
1kgで1万円以上するんだ。
ところが、俺が飲んでるのは「きな粉+牛乳」さ、きな粉なら180gで68円。
プロテインが1万円なら、きな粉なら1kgで、たったの378円さ。
以前は貧弱でしたが、あきらかな胸板がついてまして。
しかも、何も道具も使わず、フローリングのみで筋トレ。

関東圏の人が関西に転校してくると、標準語がハナにつくらしく、
気取ってんじゃねーよとばかりにイジメられるそうだ。
これは、第一次世界大戦後に「お国言葉」が見直されたはずだ。
なぜなら、同じ日本人同士なのに、お国言葉のせいで、あちこちの出身者に、
指揮命令が正しく伝わらない事があり、これでは命取りになるため、
「標準語」を制定しようとなったわけね。
だから、標準語を使うのは、調子コイてるでもなんでもない、む・し・ろ・、
関西人が関東に来た時の、関西弁直さない態度が調子にのってるんじゃないの?
同じ関東圏であっても、かなり関東は言葉が違う、イントネーション含めて。
だから状況したら標準語に必死に直す、時々お国ナマリが出るとバカにされる、
「田舎もーん」って感じ。
そういう意味でね、俺が標準語で話すもんで、ハナにつかれてる事もあるのかな、関西では。
逆にみかんと会話する時は、茨城イントネーションで、使ってる単語だけ標準語とか、
ちゃんと関西弁とイントネーションとか、意図しては使い分けられてないけど、
流れで。
 

菓子って…。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月14日(金)18時45分3秒
返信・引用
  下の題名、歌詞、ね、当たり前だけど。

ふと、どうして自分は、こんなに悲観的なのに自分に甘いのだろうと思う事がある。
それは、簡単に訂正可能な事であるのに、訂正が利かない。
これなんなんだろう。

ゲームで、あるものにぶつかったらいけないルールがある、として、
なんとなく、そこに行くのはぶつかるとわかっているのに、
タイミング的にアウトと認識してる自分がいるのに、「なんとかなる」という、
明らかに自分の意思とは違う楽観論が存在し、やっぱりダメになり、
なんでなんとかなると思って突っ込んでいったのよ、でも止められない自分が存在。

これは俺に限った話しなんだろうか。

仮説なのだけど、もしかしたら、人間、生命とは、
どうやらそれは間違いだと認識しているのに、わざと突っ込んでいく事がないだろうか、
そんなバカな、そんなリスク、頭がよければ取らない、
そうだろうなと思うよ、頭がよいと思うもの、なんて器用によけるんだ、とかね、
ところが、万が一、それではダメだと思う事が、成功してしまう事がある、
この体験ができるのは、危険を回避だけしてた、賢い人たちにはできない達成感がある、
達成感というか、アクシデント、発見、という、
進化の何かというか、因果関係、若干のこう、なんていうか、秩序を壊す感じ、
事実、今のままでは、今のままなのであり、何かの新種が発生する時は、
DNAの変異により、想定外、悪くない。
 

元々特別なオンリーワン♪(菓子)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月14日(金)18時30分50秒
返信・引用
  やはり、理論が必要だ。

ある、古民家を開放してる談笑スペース、ここのルールは、
飲み物を提供する時に紙コップでしか渡さない。
もしこれを、その人専用のマグカップが並んでいたりすると、
新しく来た人が、参加しにくい、という配慮からである。

つまり、誰にもオープンにしてる、という事で、こういう取り組みを
日本全国のデイサービスだかなんだか、その責任者が見学に訪れているのだという。

バカじゃないのかなぁって思った俺は、またニラみつけられるのかなぁ。
だって、これじゃ「誰かが一位じゃ、他の人が傷つく、運動会はみんな一等賞」
って事と、だいたい理論は同じ事してるんじゃないの?
どんなに頑張っても、特別扱いはしねーよ、何年ここに通ってても
テメーは紙コップだよ、って事は、汎用性は、
誰にもシェアできる規格と同義と考えられ(cmだのkgだの単位も同様)、
科学もしかり、しかし、だよ。
飲み物が提供されなければ、これは差別だ。
しかし、飲み物は必ず提供される、それも紙コップじゃなくて、陶器のマグカップ、
そうあるべきと俺は思う。
洗って使いまわすものの、それは、前々回に触れたベーシックインカムのようなもので、
もっといいマグカップで飲みたいな、と思ったら、今度は持参して、
しかも、持ち帰るじゃなしに、置かせてもらえるとか、
誰かの家にお呼ばれして、紙コップで飲み物だされてみぃや、
なんちゅう扱いなのか、その人を疑うだろうが。

うーん、なんだったっけ、途中だけど、題名の事を書けず、今回は撤収。
ゲームする。
おもしろいんだから。
みんなが見向きもしなくなってるけど、このゲームの価値、俺はわかってるから。
同情じゃないんだよ、マジでスゲーのに、放っておかれてるのは、バカだなって思うけど、
そこに価値が見いだせないなら、何かを語り合うのは無理だから、
「みんなと仲良くしようね。喧嘩しちゃダメよ。いい子にしようね。」
う~~ん、コレ、でしょ?
何か違和感があって、指摘をしても、反抗的であるとか、クレーマーであるとか、
それをポンって発するだけで、あら不思議、誰かに都合のいい世の中になってしまう。
これはオンリーワンじゃなくて、ナンバーワンじゃなくて、
特定の無能層というか、世間一般の評価の高い、なんていうか、
相対論者というか、風見鶏というか、ミーハーというか、卑怯というか、
どうしたらいいのかというか。

「争いは、同じレベル同士でのみ発生する」とか、やたらとしたり顔で書く奴とか、
その説明、理論、あります?
「争いは、同じレベル同士でのみ発生する【事もある】」でしょ?
バカなんだ、そうか。
で、争いは、このニュアンスからして、何やってんだか、感、
まるで争う事は精神的に幼稚であるかのようなニヒリスト感、
おう、テメーは自分の手を汚さねーっつーのだけはわかるよ、な?
 

理論がない事が多い。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月14日(金)17時54分20秒
返信・引用
  ちょっとのっけからツマンナイ話しです、本当に。

自動車保険は、自賠責保険という強制加入(法的に義務)の保険と、任意保険というものがある。
さっぱりわかる人がいるなら(変な日本語?じゃあ「全然平気」はいいの?全然駄目でしょ?)
教えてくれよな、と言っても、それらの説明をする人たちは、「~なので」が
俺からみると、それは理論的に間違えてると思うものの、「それで世の中動いてる」と言う。
一般的に、「自賠責保険では賄いきれないので、任意保険に加入。」なのよ、
どのドライバーに聞いても、「自賠責だけでは恐ろしい」というから聞いてみるといいよ。
いっぱいツッコミどころがあるけど、う~ん、疲れるなぁ、いちいち書くの。
自賠責保険ってかなり賠償が利く、これじゃ足りないから任意保険、
任意保険を使う時の自賠責保険って、わかってる人がどれだけいるの?
つまり、自賠責では足りないから任意保険という事なら、
強制加入たる自賠責保険をキッチリ使った上で、足りない分が任意保険のはずが、
何かの事故を起こした時には、任意保険しか使われてない話しばかり聞く、
なんだろうなこれ。
しかも、任意保険とは、自分の為ではなく、よくよく概念を理解すると、
「自分のためでなく、相手のためにお金を、保険料を払う」というシステムだ。
当然自分のための部分もあるが、いかに相手に保障するかのみがイビツに目立つシステムだ。
俺は保険屋に聞いてみた事がある、「それ、相手の為ばかりでしょ?」
「でも、イザコザになった時に払えないとなったらモメますよ。」
「ところが、じゃあこっちは真面目に万が一の相手のために保険料を納めます、
で、事故りました、相手は任意保険に加入してませんでした、
相手が原因で事故ったのに、相手からは保障してもらえません、
でも自分は任意保険で相手には保障できます、なんだこれ?なわけですけど」
で、さらに疑問なのが、自賠責保険は法律的に納付義務からあるから、
公金かと思ったら、自賠責保険は、なんの事はない、任意保険と同じ会社預かりだったりする。
なんだこれ?二重取りじゃないの?

よくCMで流れてる「走行距離に応じた自動車保険♪」みたいな奴。
「沢山走る人と、同じ保険料っておかしくない?」という主婦のツッコミからのCM、
これが、題名の「理論がない事が多い。」状態だと思うのです。
沢山走る人は、運転技量を有している確率も高いので、
あまり走らない人の保険料を安くすべきという理論は、必ずしも当てはまらない、
あまり走らないから、事故に遭う確率が低い、って論法でしょ?
その理論が間違ってるとしたら?
だってそうでしょう、運転免許は運転をしなくても更新できるので、
全く運転してない人は、事故も違反も発生せず、無事故無違反のゴールド免許。
では、ゴールド免許の人の車に乗りたいかと言われると、
「優しい運転をするはずだ」「ちゃんと交通ルールを守る人だ」、明確に、直結ではない。
事故に遭う確率、という意味でいうと、確かに事故に遭う確率は、
沢山乗る人ほど多くなるに決まっているものの、では、
事故とは結果の話しだけど、「未然」という観点になると、
あまり運転しないドライバーが、沢山運転するドライバーと同じ事故寸前の場面に遭遇、
さて、回避行動をとれる技量を有してるのを期待されるのはどっち?
いろんな場面を経験してるドライバーの方が同じ状況であっても回避できる確率は高い。
すると、技能がある人なのに、走行距離の多さを理由に、保険料を
高く算定されてしまうのは、これは理不尽という話しであるし、
あまり乗らない人ほど保険料が高いというのは、乗ってない人からすれば、
「運転してないのに保険が高いのは納得できない」は、一定の正しさはあるものの、
これは、「運転もしてないのに、有技能者より未熟な分際で、
事故を起こす確率が高いのに、保険料を安くしろというのは、逆にムシがよすぎないか?」
とかね、これが正解という話しではないよ、
だって、走行距離が多いか少ないかで、技能を有してるかどうかは、理論的には、
リンクしない、そうであろう事が想定されるに過ぎない話し、という事なわけ、
すると、ここを論点に論争しても、始める前から不毛な論争が確定してるわけ。

理論がない話しが多いよねって話しをしたいのよ。

かつては福祉事業所・作業所と呼ばれた場所は、就労支援A(B)型、なんて呼び方に変わってる。
なんらかの障害をもってる人たちの、「バーチャル仕事」。
仕事をしたらお金が貰えるものだけど、人生の、同じ時間を浪費してるのに、
仕事ってこういうものなのよ、という、同じ作業であるのに、
それが「訓練」と言われれば、賃金がもらえるどころか、「受講費」みたいなの取られる、
仕事をしたら、お金をもらうんじゃなくて、お金を払う、
「訓練なんだから当然だろ」→だったらさぁ、その人の人生の時間、すでに
それに使われてしまってるのよ?取り返しがつかないのよ?

ある発達障害の男性は、その特性により、飽きっぽくて、
他の事に気が散ってしまうという。
→つまらない単純作業ができるようにならなければ、社会参加は難しい、
とう評価からの、ひたすら黙々とダンボール箱づくりの訓練をうけ、
それをクリアーしました、と。
彼は、他の面でかなり有能とお見受けしたものの、完全に黙殺され、
(そういう公になりにくい場所、例えば、なんちゃらミーティングなるものが、
それらの場所であって、どんなに本質を突いた指摘をしても、
そこだけで黙殺される、表には出ない、その発言者に著作があっても、
そこのスタッフが自分で考えましたとドロボーもできる、
または、本質を言っても、障害者の意見なので、説得力は乏しいと、
他のたれかに聞かせたわけでもないのに、内々でオシマイにされる、
これは相当程度ヤバイと思わない?思わないから、そんな施設がなくならない。)
彼の才能を潰し、単純作業ができるように調教し、
「社会参加できる人間を作りました」と送り出す、これのどこに『人権』があるの?

つまりこういう事なんだよ。
「立場」。

俺、オバハンばっかりしか勤めてない会社に就職した事がある、
もうガチガチにオバハンルールで固められてて、男の入る余地がない。
なんだったら「ウチのダンナが~」と、こんな職場で自分の旦那が勤めてたら恥ずかしいと
思ってる、だから、俺のような男が入ってくると、かなり目下に扱われる、
これは、俺の妄想じゃないよ、実体験ですよ、
でところが、俺が実はフォークリフトの免許を持っていました、
オバハンたちは操縦できません、今までは男の正社員が操縦してたのに、
実は俺も運転できます、となったとたん、おいおい、やたらと俺への扱いが変わったよ、
しょーーーもないねん!!!

あちこち、就労支援の事業所を紹介されて、実際にあちこち見学に行きました。
必ず施設長が登場して、俺にキレます。
で、こういう話しを公的なところですると、キレさせた俺に原因があるかのような扱い、
俺の通院してる病院で話しても「それはキミ、なんか余計な事言うたんちゃうの?」
あれ、理論がないよ、なんか相手がキレました→俺のせい、なんだこれ…。

いやね、就労支援というからには、「実際にここを通して社会参加できた実績とか」
と、すっっっごく当たり前の事聞いたのね?
だって、そういう質問する理由がちゃんとあるよ、
やってる事と言ったら、コーヒー豆の選別です、水耕栽培の収穫です、
うん、それで、何がどうなるの?
スキルアップであるなら、「職業訓練校」ってあるわけでしょ、
実際、俺も職業訓練校に出向いて、自力でフォークリフトの免許を取得してきてる。
すると、期待される実務に近い技能を有している状態になる。
さきほどのダンボールを作らされてた男性、単純作業にも耐えられる忍耐力こそが、
社会で期待されてるかのように、その事業所で調教され、
彼の能力は、完全に潰されてしまっている、他人の人生に介入して、
こんなに破壊してる事に責任感もなく、まるで社会適合者を作ったかのように
それで責任を果たしたかのように。

社会の多くは、考えられてしまうと、それで作業がストップするので、
口動かしてないで、手を動かせ、にも表れてるように、物事を考察すると、
それが今より、もっといいやり方があったとしても、採用の可否は、
その立場とか、発案者が誰か、無能が何か言ってるのか、とか、
上の役職目指してる人なら、それを通したら自分の地位が、とか、
アルバイトが何か意見していい場所じゃないであるとか、

うん、すると、イジメもそうなのですけど、
ブタに真珠というか、この人は原石であっても、それを生かせてないのは、
その人も気づいてなければ、その場所は尚更、有効的に発揮できないのであれば、
その場所は、不毛だよね、答えを変えない場所で、「それは逃げてる」と罪悪感で、
居続けさせようとして、結局、飼い殺しにするのは、色々とダメでしょ。

1950年代には、公的に「成長阻害因子」として、
精神疾患の人たちは、山奥の施設にどんどく国策として除外されていき、
それは、俺自身も以前に何度か書いたが、ハローワークで、
一般求人として応募しても成立し、専門窓口用の求職票をこしらえても応募が成立し、
しかし、専門窓口用の求職票を使って、一般窓口に行くと、
「あなたの来るところは、ここではないですよ。」と、
でたでた、この【隔離】感、あなたの場所はここじゃないのよ~、と、
俺は奇異な目で見つめてるのわかるよ~、よくも一線おいたな、壁を作ったな、
少々のあわれみというなのさげすみの目をしたな、知ってるよ~、理解してるよ~、
…で、色々論破したら、ゴメンなさい、一般求人で受け付けましょう、とかね、
俺みたいに何かおかしいな、って時に言える人ばかりじゃないでしょ、
すると、サイレントマイノリティーが、サイレントマジョリティーになる。
少数派たる障害者が、その少数派の多数がモノ言わないからマイノリティーがマジョリティー。
 

「この人は何を言ってるんです?」

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月13日(木)18時54分28秒
返信・引用
  とあるYouTubeで自身の意見を発信してる人の意見を話しを聞いてみた。
(俺は文字で発信という昔ながらの違いはあるものの。)

その人の意見に「この人は何を言ってるんです?」のコメントがあり『いいね♪』が沢山。
…いや逆、突拍子もない話しと思われる事の多くは、ちゃんとした理由がある。
理論のない話しは、「妄言」とか、頭がおかしい、でしょうけれど、
自分の理解を超える話しを突拍子もないと断罪するのは、自分の無能さを、
世間的な正論という大樹の影で、ノーダメージで言うだけなら誰でもできる簡単な作業。

なんて思ってたな、という話しでした。

昨晩、みかんからお呼びがかかった。
実は以前にも、みかんからお呼びがかかっていた。
「そこまでわかっているなら、次の段階に進むべきだ」というお誘い。

という話しもあったな、という話しでした。

詳しい事はわからないけど、「ベーシックインカム」について以前書いていた。
わからないけど書いちゃう俺は、人の話しより、着想を得て、自分で考える方が楽。
さてさて、「あなたは何を言ってるのかサッパリわからない」と言われる書き込みです。
話しが『一見』飛ぶからね、繋がってるんだけどね、俺の中では。
小池都知事が、築地だ豊洲だ、とやってるよね。
知らなかったけど、実は豊洲には、食のテーマパークができる予定だったって?
民間業者。
それは、豊洲市場のみ運営される前提で計画が進んでいたので、
「築地も生かす、豊洲も生かす、頭いいでしょ♪」と言ってる小池都知事ですが、
すると築地と豊洲はすごく近く、どちらも存在してしまうと、人が分散するのだと言う。
なので、築地がないものとしてテーマパークを考えてた業者にとっては、
集客見込みのシミュレーションがやり直しになる、とか。

地方自治法(罰則なし)→法律(罰則あり)→憲法(罰則あり)、という理解でいい?
あ、正確には、罰則はあるけれど、従わない事による罰則がない、せいぜい注意。

平成の大合併とかってあった。
市町村が合併する事で、交付金が貰えるとかだったか、合併しちゃった方が得みたいな。
普通の人が聞いたらおかしな事を話しだしますよ、どういう展開だよ的な。
エアコンもストーブも容積が少ないほど省エネだよね。
よく、なんらかの災害が起きると、決まって学校の体育館だ、公民館の集会場だ、
あれさ、いっつも思うんだけど、「天井高すぎねー?」
せっかくあっためたストーブが、ぜーんぶ天井高くに逃げちゃって、
結局人のいる床は寒そうなのなんの…。
あと、無駄だと思うのが図書館の存在だよ、紙の本を陳列するだけなのに、
なんであんなに無駄なデザイナーズな造形してるわ、空間的な無駄が多いわ、なの。
デジタル化でいいよ、何かの本を借りよう→貸し出し中→読めない、なんだコレ?でしょ。
頭の賢そうな図書館のなんちゃら司だか、必要?
検索エンジン、ナメてんのか。
で、よくわからないのが、「お役所仕事」という公務員、
公務員は、偉そうにしてる、というのが、ほとんどの人の感触ではないですか?
実際に接してみてさ。
公務員=公僕、つまり、全体の奉仕者であるはずが、全然奉仕感もなく、偉そうにしてる、
つまり、法律上はそう明記してあっても、それに準じた動きでなくとも、
刑事事件でも起こさない限り、憎まれ口だけ言われていれば、自分の職業的立場が安泰、
これじゃなんのプレッシャーにもなってないよな、公僕だという上っ面の肩書きで済む。

これのどこがベーシックインカムの話しなのか。
俺にもわかってない、体(てい)。

日本人が日本人でいる論拠は、憲法によって「日本人」が定義されてるからであり、
自称日本人だと言っても、それは自称でしかない。

「基本的人権」なんて単語を聞くのだけど、生活保護の支給額の話しね、
すると、最低賃金なるものがあって、最低賃金で一か月働いた場合、
生活保護世帯の収入より低いとして、仕事してる人は、最低限度の文化的な生活、
というものを送れてない事になるわけだけど、
それをツッコんでも「成り立ち、概念が違う」と一蹴されてしまうでしょ?
こういうところなのよね、何をアッサリと論破されてんだよっていうか。
これ、論破されてないよ?
だって、論拠が法律なのだから、法治国家であるからには、法律を変えたらいいんだよね?
イジメで自殺した小学生に、イジメっ子、その親たちは、なんの法的な制裁も受けず、
裁判官は「そういう逆境に立ち向かえなかった、心の弱さが自殺に繋がった」っていう判決、
マジで出てるわけでしょ、鹿川君事件ね?
おかしいだろ、理論的に、と思う事が、間違った理論をまかり通らせてるのも法律なので、
じゃあ直したらいいのだけど。

公務員=公僕、であるからには、「必要最低限度の文化的な給料」でいいはずだよね?
民間業者より高額である理由は、算定基準なる、自分たちに有利なものを使ってるので、
だって、自分たちの事を自分たちで決めたら、自分たちに都合のいいものになるでしょ?
泥棒に、「何盗んだのか教えてよ」って聞いて、何か期待できる事があります?
一部はは本当の事を言い、本質はウソをつけば、なぜか一部の本当のみで評価される、
そんな解析力で、許してしまう世の中って、アマイよね。
デジタルタトゥーなんて言葉もあるけど、あったとしても、自分の直接的な問題でなければ、
本当に困っていても、その時にならないと見向きもされない、
事実、があっても、その要不要によって、理不尽な扱いをされる、
事実が反映されてるとは言い難い、公平なジャッジになりにくい構造が何かある。

公務員は、最低賃金(論拠は「公僕」)で働かなけばいけない、これでいいよね。
偉そうにできないよね。
ボーナスなんてあるわけないだろ、最低賃金の労働者がボーナス出てるかね、
そう、出ないよね、これも法律で、ボーナスは支払い義務がないからだよね、
すると、公務員にボーナスの支払い義務って、論拠は崩壊してるのに、もらってるよね、
何十万円も。
仕事内容に見合った賃金、という考え方にたった場合、これを考察するには
今回の書き込みでは負荷がかかるので割愛するが、
ひとつ、事実として、「難解なテストを合格したので、それに見合う給料」なだけでしょ?
逆に言えば、テストに合格すると採用されたような人たちなので、
テスト=「答えの確定してる事項」であるなら、それは、別に人間がしなくてもいいわけだ。
違う?
言ってる意味わかります?
答えがある事なら、プログラムによって、代替可能な事であって、
わざわざ難解なテストをくぐらせて、分別する理由は、それをパスした今の地位だ、
のためでなければ、なんの意味があるのだろうか、というのは妄言でもなんでもなく、
売国的な動きをしても、時の政権にたてついても、自分たちはクビにもならない、
全然公僕でもなんでもない、インチキ法律で、公僕です~って、いい加減にバカにされて。

からの、自治体、要らないよね。
あっちの窓口、こっちの窓口、役所で何かを申請すると、行かされる。
こういう事を俺の主治医に話すと「それの専門家が常駐しているのだから効率がいい」だって、
それが事実なら、ひとつの窓口にその人たちがいればいい話しだな、
逆に、管轄が他の課に渡ったなら、
しかし最終的にその窓口の案件であるなら、ローカルネットワークで、
照会して、物理的に申請者を移動させず、回答をここで出すようにすればいいよな。
もっというと、「仕事」という状態を、わざと作るために、いくつも階層を作って、
その人がいる理由の言い訳に使われてて、とか、これは横道の話しながら、
なかなかオチに行かない。

豊洲と築地の話しなんだよ。←そこ?
違う。
つまり、東京都が、民間業者に運営を依頼したわけでしょ?
東京都なんて、たんまりと税金があるのに、外注したわけだ。
これは、すごく興味深い話しだろうが。
何億もするクルーズ船を購入予定とか、それは東京都がやってしまって、
レンタルした方が安いとかでもない。
何が言いたいのかというと、ベーシックインカム。
第二次世界大戦の戦争特需で、アメリカは一気に好景気になりました。
それらの産業分野が特に。

これがオチなんです。
税金て、義務でしょ?
国や自治体の命令で、有無を言わさず徴収されるお金。
一般国民が、お金を持っていかれる。
これは、「命令」と言い換えられるわけでしょ?
そうか、国からの命令ならば従わないといけない、するとだな、
戦争特需ってなんだろ?ってなりません?
ミサイル一発で数億円する、おかしいな、「義務」として製造させれば、
お金ってかからないよね、特需ですらない。
俺は頭がおかしい事を言ってますかね。
お金が前提だから、ものの考え方が色々矛盾してるわけじゃないの?
だって、国債って、国が国民に借金して、国民は国に対しての債権者でしょ?
ところが、その債権者たる国民に、国がお金を払うためには、「税金」というお金を払う。
おかしいよな、国への債権者なのに、国にお金を納付するんだぜ、笑うところだよな。
そうなんだよな、お金ってなんだろって、そもそも論を考えるとかさ、
何かを作るにはお金がかかる、それの論拠は、購入した原材料費があるとして、
しかし、一方で、原材料費も労働力も発生してないのに、お金が儲かってる場所が
株式とか、運用とか、おやおや、必ずしも労働のおかげでお金が稼げるわけじゃない、
労働しなくてもお金は稼げてる、何も悪い動きしてなくても損失もだせる、
それを認識すべきで、日本銀行は日本銀行券を刷れるから、
本当はそれで借金は返せるのだけど(茶番的に)、ところが、
そもそも、お金って、実態なのかって話しでしょ?
信用だけで成り立ってる、実は実態のない概念で、この世の中で、
目に見えるかたちで紙幣・通貨が便宜上利用されてるだけで、
仕事が~、とか、国が破綻が~、とか、なんか、そもそも論というか。
ある資産家が、困ってる団体に多額の寄付をしたとする、
その団体は、何かの労働によって多額の最低賃金の積み重ねで獲得したわけじゃない、
ショートカットで、一気に、…なので、バカ正直こそが、「それ以外の動きは怠け者」とは、
それは、エリートや、「自分はこんなに頑張ってる」な人たちからの、
洗脳だと気づくべきだ、努力が崇高であるなら、
草むしりを、お前は一生課せられた場合、するのか?しないよな?
「自分は、草むしりをする義務がない」って言うのだろ?
じゃあ義務ならするのかって、「こんな世の中は嫌だ」ってなるだろ、同じ事だよな、
つまり、キミたちは、自分の過ごしやすい社会なので、不平不満を言う人たちに、
罪悪感を抱かせるプロパガンダをしてるわけよね。
ナメやがって。
 

俺はインテリが嫌い。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月12日(水)10時47分33秒
返信・引用
  なんだお前ら、教わる事が好きなだけで、自分で考えてないじゃん。
俺が反論される時は、論拠が、
「(偉いお人がそう言ってた。そう本に書いていた。ので、)あなたは間違ってる。」
え?
それって、判断基準が、獲得した知識と自身の経験との照合作業なだけで、
ただの単純作業でしょ?

俺の話しじゃないじゃん、他のもっと信頼のおける偉人との整合性を測ってるだけじゃん。
知りたがり、勉強大好き、教わりたがり、な連中ほど、厄介な連中もいない、
自分に自信があるからな(お前の功績じゃないけどな)、更新ができない、指摘されても、
「私は別に、これで世の中を生きていくうえで、何も困ってません。」とかさ、
そりゃそうでしょうとも、だって、「そういうものだから」に乗っかって生きていれば、
誰のお咎(とが)めも受けるわけないから、困るわけがないじゃん、何言ってんのさ。

パニック障害なんて言葉が浸透しだしてた頃、
広場恐怖症(アゴラフォビア)がどうだの、で、昨今の発達障害の浸透してる過程、
俺には既視感があるというか、感じゃなくて、そうだろうが、なのです。

何かの定形的な状態を指し示すと、それから少しでも異なっていれば、
そうではない、という判定とか、色々と間違っていると思うのよ。
俺にはパニック障害の症状があったが、で、偉い精神科の先生著の、
パニック障害なるご本を手に取って、目を通して意味がわかるところだけよむと、
まぁ、中身が無い無い…、これ本にする程か?しかもテメーは研究者じゃなく、
ただのそういう概念の知りたがりで、今でいうなら、まとめサイトの管理人じゃねーか。
その同時期にSSRIの抗うつ剤が日本で初認可されるかどうかであり、
その時も、まんまタイトルが「SSRI」で、これまた俺の地元の国公立大学の先生様が、
ご本を出してて、もう胡散臭いと俺は、そういうのにやたら敏感で、
思ったものの、当時の俺は情報がなく、怪しいと思ったものの、買ってしまい、
厚い本なのに、中身がスカスカ、コイツもSSRIを研究してるわけじゃない、
誰かのやった研究成果を自分の見解でグダグダと、さも、な感じで書いてるだけで、
ただの私見、これ何? ただのエッセイ本じゃねーの?
巻末に少々の専門機関の連絡先が紹介されてるだけ。
おいおい、だったら、この1ページで済んだ話しだな、しかも、お前の功績じゃない。

で、そのパニック障害の人たちのミーティングがあるというから、
どんなもんか見に行って、「そういう事を主催してる俺、意識高い(今時の単語なら)系。」
な、医者じゃねーかとすぐに見抜いて、雰囲気も、俺はすぐに見抜いて、
新興宗教と何が違うのかね。
各都道府県に必ずあるという、精神障害福祉センターに行った時にも、
とあるミーティングがあり、相談ついでに、参加前から胡散臭い気がしてたものの、
そこのカウンセラーの女性連中が「先生」と、絶大な尊敬をおいてる精神科医が
議題進行的な感じで、一応、俺と同じ、相談を普段受けてる人たちの中、
何かの違和感を察知し、「では、ここまでで何か意見を」のターンになった時に、
俺は、黙って聞いていたけど、何かおかしくないか、な部分をあげつらって言ったら、
まぁ~、カウンセラーの連中が俺をニラむニラむ、先生は先生で顔が真っ赤になる、
「それはキミ、結果論だろ?(怒り口調)」って、俺、怒られちゃったのよね。
きっと、彼を怒らせた人が今までいなかったんでしょうな、「先生様~」で。

はぁ、怖い怖い、、、自分の意見も言えないのかよ。
で、後日、カウンセラーを通じて俺に連絡があり(何よ、怖いよ。)、
「あのミーティングのあと、先生が奥村さんの事を褒めてらっしゃったわよ。」

で、一般論登場、俺とは直接関係ない。
ADHDの人っていうのは、落ち着きがない、がほぼ共通してるっぽいが、
俺は普通に落ち着いて席に座ってるし、なんだったら無口で難しい顔して、何もわかってない。
しかし、俺と似てる部分を聞く。
「場にそぐわない事を話すものの、実は問題の本質を話してる事が多い。」
「話しがアチコチに飛び、周囲の人はついていけない」←でも俺の中では繋がってる話し。
まぁ、ADHDではないわな、頭悪いもん、勉強わかんないもん、
ジッとしてられるもん、なんだったら、一日中寝てるもん。
目の前のものが同時にいくつも存在してるような変な見え方してて、
どれが本物なのかという、現実味のない世界では生きてるものの。
何を言ってるのか理解してくれる人もいない。
 

blue=懲りない。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月11日(火)23時46分57秒
返信・引用
  俺はPCをみかんと共用しているので、男女のエアコン状態である。

以前も触れたと思うが、ある件で書き込みをしていたら、
「あなたは何を言いたいのかサッパリわからない。本題と何の関係があるのですか。」
と言われちゃって、
「自分の中では繋がってる話しです。」と本当の事を言ったら→ブチキレられる始末。

20代前半の時に、東海大学附属病院の精神科で、本当の目的は、
親シラズの口腔外科手術で来ていたが、精神科なるものをみつけ、
待ち時間に急きょ相談したら、先生もいるし、問診可能だと言うから受診したら、
「キミの話しは支離滅裂だ。今すぐ茨城の身内に連絡して入院手続きをした方がいい。」
と言われ、支離滅裂の意味はわかっているし、どういう事なのかもわかっていて、
自分の中では、【すべて脈絡のある話し】なのだけど、他の人が聞くとそうならないのか。

ということで、最初の一行はこの前フリでして、
この一行を話して、意味がわからない、→頭のおかしい人、っておかしいだろ。
みかんはキーボードをローマ字入力、俺はカナ入力(ね?ちゃんと理由がある、繋がってる話し)
すると、みかんの設定のまま英語の「blue」と入力すると『こりない』と変換され、
オヨヨ、そうだったかと、しばしばお互いPC交替する時に発生する。
奈良と書こうとしたら「魚(うお)」となる。
キーボードの文字配列見てみたらわかると思うよ。
で、どこがエアコンの男女状態なのか、支離滅裂というわけなの?
これも一般論ですが、しかし実際にウチでもしょっちゅうイザコザになるのが、
エアコンの設定温度の快適さの違い、つまり、「違いが発生している」事を話している。
でもイザコザと、取っ組み合いの喧嘩とはイコールではなく、
どちらかが折れる、争いを回避、どちらの言い分がより深刻かの技術論でなく、
本当にそうなんだもん、を考えて、だったらそっちに譲る、のシーソー。
これも男性が設定温度が低めがいい、これが一般論で実際ボクもそうなんですけど、
そうかと思うと、「ちょっと寒くない?」「え?暑いで?」
そうかと思うと、「ちょっと寒くない?」
「なんや、自分も寒いと思ってたんや(黙って我慢してた)」とか、

あれ?
そうは言っても、やっぱりなんの話しをしてるのか、飛びます、忘れちゃう。
小6の時に先生から、ものすごく怒られた事があって、
困った事に、怒られてる俺が、なんで怒られてるのか、
「なんでこんな事したの!!」←なんでしたっけ、何の件でしたか、それ直前にしたらしいが、
当の俺が思い出せない、何をやったんでしょうか、怒りが収まらないので、
仕方なしに、怒られてシュンとしてる状態を続ければ、普通っぽいかと、
時間が過ぎるのを待つしかなかったり、だって、どうにも何も思い出せないし、
冤罪にしてはついさっきの事で怒ってるらしいし、話し聞いても、それ俺?だし、
…と、物事の事実は、「そんな調子なら、これもそうなんだろ」って、レッテルでしょ?
(はい、こういう感じが俺っぽい話しの展開なのかい。)
小1の時は、「奥村くんにイジメられた」と、他の学校の先生をしてる親と、
その女の子で学校に乗り込んできて、名指しで呼び出しくらったものの、
申し訳ないけど、本当に申し訳ないけど、どうも、その女の子が、
いろいろいた同級生の行動と、俺も帯同してる感じで、記憶がゴチャマゼなのか、
とりあえず、なんだか、何かの件で目立ってた俺なので、名前も出しやすく、
その子の親の先生からヒドイにらみつけまで受けたものの、本当に何も知らないぞ、
中一の時には、俺のいとこ(じゃないんだけど単語が見つからない。お父さんのいとこ)が、
教員実習に来てて、その友達も音楽の先生を目指して実習に来てて、
その人は片目が義眼で、それをどうやら、俺がからかった事になってて、
実習しながら、「奥村君、〇〇ちゃんに言っておくね…。(他の教室で実習中で)」と、
泣きながらピアノのを弾く授業をして、エライ怨念めいた事を言われたものの、
いやいやいやいやいや、マジで、マジで、俺、絶対にそういう事に対して茶化すのむしろ嫌い、
なんで俺が茶化した事になってるし…、みんなさ、俺、なんだか目立ってるけど、
ちょっと記憶の整理をしてくれよ、俺かよ、本当に、
俺、もっと別件の動きでしょ?

はぁ、いろいろつらい、今もいろいろ。
 

自分はツマラナイ人間ですの。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 7月 6日(木)18時25分49秒
返信・引用
  ある診察で、学生時代の通信簿があると助かると言われ、5~6年分だけはあった。

どんな成績だったのか、どんな生活態度だったのか、人柄だったのか、等々。

成績は、普通より少し悪い、5点満点で、2、3、4、がひたすらある。
1もないが、5もない。
「忘れ物が多い」
「大変ユニークな人柄です。授業中も鋭い意見がでます。しかしノートを取るといった
基本的な事ができません」
「興味のある事には取り組みますが、関心のない事だとどうでもいいという態度です。」
「話しを最後まで聞けません。お話しの途中で自分の話しをします。」

『創意工夫』という項目があり、ここに「+」がついてたりする。
普通は空欄だが、わざわざ「-」になってるところもある、相当気に入られてなかったようで、
『基本的な生活習慣』に「-」が連続でついてやがる。
ふっ、宿題なんてやったことねーぜ、どうせわからん、予習?
やった事ねーぜ、試しにやってみたが、そもそもわからんので、予習にもならんぜ、
復習?理解できたら復習なんていらないだろ、再確認ならともかく、
復習なんてした事ねーぜ、理解できてねーから復習がそもそも成立しねーぜ、
夏休みの宿題?やった事ねーぜ、楽しいはずの夏休み日記は苦痛でしかなく、
友達もいないので、ひとりで退屈してたぜ、みんなの二学期になってからの
キリッとした教室の雰囲気、俺一人だけ夏休みだぜ、毎年毎年、この時期に、
自分が置いて行かれてるのをわかっていて、どうにもならんのだぜ、興味もないし理解できん。

創意工夫を評価してもらったのは、きっと、そのわからなさを補うために、
仕方がないので、自分で考える事で、なんだか生きながらえていただけで、
純粋なテストになると、純粋に落ちこぼれ、創意工夫なんて評価されないからな。

俺の、たま~に書いてるAmazonのカスタマーレビュー、
相変わらず、ヒドイ評価です。
最近、現役を引退した「加藤一二三(通称 ひふみん)」氏は、偉大な記録を持ってるらしい。
それは「最多敗戦記録」。
これは羽生善治さんが正しく分析していて、これだけ負けの記録がつくという事は、
その一方で勝ってなければ同じ土俵に、い続けていない事でもある。

俺のレビューは、本当に放っておかれない推移さ、悪い意味で。
な~~んで、俺のレビューにわざわざ「参考にならない」と、こんなに押していくのか。
押す義務はないから、押さない選択肢はある、それなのに、「参考にならない」と押す。
押されると、数字が増える。
当然、「参考になった」と押しても増える。
で、その両者の総数が、言ってみれば、放っておかれてない数字と言える。
俺に参考にならないと押したタイミングで他の誰かには「参考になった」と入らない事も多々。
俺にだけ関与してきて、「参考にならない」とつけていく。
今で2013年から、18件ほどレビューしてるが、そんなに熱心なレビュアーじゃないだろ?
直近でスマホのレビューしてまして、これがいましがたダブルスコアになった。
他の人たちが2~3件の「参考になった」に対し、俺は10件の参考になった。
しかし、「参考にならない」もまた10件。
こんなに参考にならないと押されてる人がいない。
しかし、こんなに参考になったと押してくれてる人もいない、という状態がいくつもある。
あるレビューでは、130も関与された、内訳は47件のみ「参考になった」他、は不評。
ところが、130も押されてるレビュアーが、その商品にいない。

まとめ掲示板を読むと、みんな、一行、二行で済ませてるね。
俺みたいに、ひとつの物事に対して、あれこれと、気づいて文字おこししてる人が少ない。

俺は古参者ではなく、途中から書き込みをして、最大で2桁しか関与されてない事で、
3桁の「こいつ嫌い」の評価を沢山いただくものの、参考になった、の数も数えてみたら、
100点満点で20点しかとれてないのに、そもそも20人も参考になった人がいない、
10人中10人が参考になってるレビュー、100%の支持だ。
完璧だ。
俺のレビューは目立ってしょうがないんだ、頭の良さは、
押さなくていいのに、「参考にならない」と押していくから、
この10人中10人の人は、10の壁を超えてない、俺なんて130人も何かしら押していきやがる。
簡潔にして、要領を得た内容が美しいと思うものの、
そのデキのよさがハナにつくんだ。
俺は、あるレビュアーに、コメントを寄稿したのだが、
元々30人も参考になったとされてたコメントがあったのに、
その人を差しおいて、俺に「参考になった」が51人(参考にならないは3人)に。
ハナにつくんだよ、きどってんじゃねーよ、な思いを上品に書いてみたわけですが。
つまり、正論とは、正論でしかないのです。
だって、今日の次って、明日でしょ?
未来の話しをするべき、なんて人は、「正論」だよ。
ところが、言わなくてもそれは、明日に絶対になる、そんな話しに何か意味があるのかね。

苦しい時には助けてくれないのに、結果が出た時に「よかったね」と満面の笑みで祝福する奴、
いやいやいや、結果に対して「よかったね」は正論で、そんなのは誰でも言えるんですよ、
卑怯でしょ、だって、乗っかってるだけじゃん。
赤信号みて、「赤だね」、地震がきて、「地震だ」、…うん、そうだよ、正論だ、それで、、。
 

「やればできる子」の対義語は。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 6月27日(火)23時30分47秒
返信・引用
  「やればできる子」とは、やったらできる子なので、やってないから結果が出てない状態。
つまり、この子に見合う『努力』をすれば、それなりにこなす事ができる。
だから、この状態の子になら『努力』、結果が出てなければさらに努力、は有効だろうさ。

その対義語が俺の問題だ。
「やってもできない子」は簡単な日本語だ、しかも、あわれみさえある、
『やってみたら、できない子』が、より正確な日本語だと思う。
やってもできない子、とどう違うのか、それは客観視からの評価の仕方が明確に違うだろうが。
もうコイツはダメ感だろ、やってもできない奴、って上からというか、どうしようもない感、
しかし、やってみたらできない子、は、「そういう事か」と、
トライ&エラーと言ったらいいか、一般に『苦手』という単語、これも安易で嫌いな言葉だ、
苦手なら、いつか克服できる雰囲気をまとってる、そういう事じゃない、
毛嫌いさえせず、やり方を変えたらできるようになる、のが苦手なのであり、
それは「やればできる子」だ。
では、やってみたらできない子は絶望的なのかという話しだ、俺はずっと今自分の話ししてる。
やってみたらできる事、がある、これは光明だ、しかし、その多くは、
裏打ちされた基礎学力があって、【普通は】達成できる事。
例えばこう、音楽の事はわからなくても、歌は歌えるとする、
俺の場合、そもそもなぜにTVの音楽番組は歌がないと流れないのか、や、
CDが出た当初など、今では当たり前の視聴機などなく、一種のバクチで買い、
「何か違う」、と思い、俺ならもっとこうしたい、と思っても、
それを具現化できるまでの音譜の理解であったり、音とは何か、音階とか連続性とか、
和音の意味とか、楽器が弾けないとか、では口ずさんで相手に伝えれば、と思うものの、
それも困難なのは、次に音色の問題があり、どんな楽器かではなく、とか。

自分の髪を自分で切るなり、身内にカット(理容師・美容師もなく)してもらってる人は
少数だと思う、俺は、ほぼこっち。
最近、電気バリカンを買った、1,700円ほど。
男は一か月に一度は床屋に行くのは、驚くような頻度でもない、簡単にカット代の元がとれる。
床屋に行くのが本当に嫌で、だって、なんて伝えたらいいの、
しかも、カットに専念させたくても日常の会話を興味で聞かれて、
こうしたいと思う髪型があったとして、意見が入ったりする、よかれの提案として、
それを断ると「どうなってもしらんわ」感の嫌な空気になったり、その空気そっち発端だよね?

話しがあちこちかな、相変わらず、何書いてたやら。
思う事があると書きとめないと、と、
本当は今回の書き込みは別件で書こうと思ってた事があったけど、違う話しに。
床屋のシャンプーで「かゆいところはありませんか?」
どうしろと?どう言えと?
頭の部位を正確に指し示せる語彙は、俺にはそんなにない、
頭頂部、後頭部、側頭部、程度たし、さらに、どのあたりか、の、
地図の座標的な場所を言えるかっつー話しだし、
そもそも論を言うとだな、「かゆいところはありませんか?」は成立しないのである。
くまなく洗えば、それは技術として成立しているので、かゆいところが、
あってはいけないのである、あるのなら、理容師側の洗いムラのせいであるし、
丁寧に洗ってもらってるのにかゆいなら、それはダニか湿疹を疑うほうであり、
洗ってる側は、これでカユイというリアクションは、自分の技量ではない、
何か疾患のほうだ、くらいの自信のある仕事をしろよと。

なんの話し、、、、あ、「結果論」どうこう、で思う事があったのだけど、もう疲れた、
いろいろ。
 

こんなに家電に俺はダメなのか。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 6月20日(火)13時05分31秒
返信・引用
  自作PCをかじっているからなんだと言うのだろう、と、つくづく嫌になるよ。
世の中のだいたいの「ひっかかる」出来事は、当たり前にしている(されている)事が、
『丁寧に解説してくれるのはいいんだけど、肝心のその部分、いったいどうやるの?』が、
あまりに当たり前らしく(デキル人たちにとっては)、端折(はしょ)られてしまってる。

余談ですが、その逆に、当たり前にできていた事が、周囲の間違いの多さのせいで、
自分も一緒に出来なくなってしまってる事があったり、例えば「言葉」に関して。

「これ食べれるよ」、小学生ながら、変な言い方するなぁ、まるで舌足らずでバカっぽい、
「食べ【ら】れるよ」じゃなくて?なんて、同級生に思ってたら、
今じゃ、そういう言い回しが発生しそうな場面で、確かめながら意識的に「ら」を
入れて話さないと、つい自分も「れる」だけで言ってしまいそう。
最近の、時事問題のまとめ掲示板で、『そのとうり』『どおりで』なんて単語を目にする。
俺は別に国語ができるわけじゃないが、俺が話してた話し言葉と違うからひっかかるんだ。
実際、コイツら、漢字に変換できてない。
当たり前だ、使ってる単語が間違ってるから変換候補にあがってきてないから、
ひらがななんだ。
「そのとおり」→「その通り(要は正確性だよね。Exactly)」ほら変換候補にある。
「どうりで」→「道理で(要は理由だよね。Reasonablely)」ほら変換候補にある。()

むか~し、俺の掲示板に来てたインテリ女子が、
「こないだ私、」みたいに書いてて、【ら】抜けじゃないけど、なんか間抜け感な、
俺の話し言葉は『このあいだ(この間)』なので、なんだ、…こないだ、…こないだ、
どうにもハマらない。
言葉の変遷はあるものだけど、しかも歴史のような壮大なものでなく、
ほんの1~2年で変わってしまってたり、
言葉の間違った平板化は抑揚のない、表現力の損失でもあるし。
みかんさんは、話し言葉で「こないだ」と言っているので、俺も勇気を出して、
たまに「こないだ」と、合わせて言ってみてる、なんか魂を売るくらいの勇気だけど、
心の中では「でも、【この間】の言葉は心にあるよ」とつぶやきつつ、自己罪悪感で話してる。
面倒だ、いちいち訂正したり、指摘したり、話しが止まる、
だったら普通を演じて溶け込んでしまおう、などと、思う。
演じられる場面ならそれでいいが、演じきれない場面では、「ここに居場所はない」のであり、
それを超えて行ける人たちが有能なんだ、俺には、その差が決定的にある。
しかし、そんな彼・彼女たちに憧れてない自分がいるものの、俺の場合、
やろうと思えばやれるのではなく、本当にできないので、できない(やれない)、
この違いが理解できる人が、なぜか多く存在する、俺が「有能」と評価してる人たちにも。
例えばこんな事がある。
俺は、みんなが普通にできる事が普通にできない→転じて→「普通は苦手(嫌い)」。
しかし、どう考えても「普通はそうじゃないか」と言おうものなら、
まるで鬼の首でもとったように、『普通が嫌いって言ってたよね?』…わかる?わかんない?
ここが俺の話しを理解できる人かどうかの分岐点。
俺は、できるものなら普通にしてみたい、しかしこなすスキルも演者スキルもない、
だからそっちに行けない、だから「普通、はそうなんでしょう。(でもできないのよ俺は)」
→「できない。学校に行きたくない。会社に行きたくない。」→「普通普通って言うな」→
『普通が嫌いな人』と評価されてしまう。
いやむしろ、嫌いではある、心を売らず、演技できるものなら、やりきったらいい、
みんな好きな事だけしてるわけじゃない?だ・か・ら、それはそうなんでしょうとも、
その、好きな事だけしてるわけじゃないけど、周りにあわせてその場を、その時期を過ごす、
それができるなら、という意味なんだよ、ここまで言っても首を傾げられるからタマラン。
ここらの意味だよ、ここらの、なんでこんな簡単な話し、理解できる人が限られてしまうの。
なかなか俺の話しが通じない。

(※ …っていうか、余談が、なげー。関西弁的に、小さい「ぇ」は珍しいらしい。
俺は、すごい(すげー)、弱い(よえー)、しかし関西弁だと「すごっ」「よわっ」
速い(はえー)は「はっや、メッチャはやっ、はやっ」みたいな。
掃除機をかける、パーマをかける、ところが関西弁だと、掃除機あてる、パーマあてる、
かと思ったら、『雑巾がけ』とは言うらしい、雑巾あてじゃない。批判じゃないよ?
おでんが関東炊きなんて、関東文化が入ると受け入れる文明が関西にはある、
外来語も、他に適当なのがなければその言葉を使う事は多々ある、TSUNAMIやKARAOKEとか、
かと思ったら、あんな関東の真っ黒な汁のソバやらうどん、よう食べん、とか、
俺はあえて、うまいかまずいか、でいいのじゃないか、俺は「食の大阪」に違和感。
普通の醤油ラーメンをこっちで食った事がない。
天丼しかり、うどん、そば、こっちはゴマ油を使ってない、
しかし関東ならどこでもゴマ油を使うかというと、そうじゃない、
しかし、関西ではゴマ油を使ってるところはどこにもない、あの奥深くなる味わいを
知らないのか嫌いなのか、食べる選択肢がない、そもそもないから。)

(※…また本題にいけない。。。)

駆け足で。

当たり前かと思ったのに、固定電話(家電という言い方を回避してる俺)を、
コードレス(ワイヤレスって言葉との使い分けに意味はあるのかね)機を初めて買ってから
数年、十分も話すとバッテリー残量がヤバイもんで、交換しようと思ったら、
とっくに製造中止だし、別に純正にスペックが同じなら同じバッテリーで構わないと、
社外品を購入。
そしたら、やらかしてくれたのが、あえて言うが「正規品」だ、この排他性め。
さて、バッテリー交換しようと思ったら、ちっともプラグが外れない、
全く意味がわからない、ネットで検索しても有益なサイトが全然ヒットしない、
唯一それっぽいのが個人レビューで「プラグにこんな仕組みがあるとは知らず、
取り外しに苦労しました。メーカーはきちんと説明書で明記すべきです。」
それーーーっ、どんな仕組みか書いてねーじゃん。
仕方がないのでマニュアルを見ると、絵と文章で解説してるのはいいが、
「プラグを外します」おいおいおいおい、何をサラッと簡単に書いてんだよ、このクソったれ、
ちっとも外れねーんだよ、どこかにノッチ的な仕組みなのか、ロックかかってる、
でもどこをどうしたら外れるのか、レビューしてる人も困ってただろうが、
…な出来事は、俺の腕時計の電池交換でもありまして、腕時計ってバッテリーが切れたら
故障扱いで、メーカーに郵送して交換するらしい、4,000円もする、
6,000円で売ってる時計が、しかも送料もこっち持ち、バッカらしいので、
ちゃんとメーカー製のコイン電池を210円で買って(それでも210円だぜ)自分で取り替える、
かと思ったら、あちこちカラクリだらけで、『要するに』だ、
個人に、好きに、簡単には交換させねーぜ、的な、メーカーの、『嫌がらせ・イジワル』が
仕込んである。
が、個人で交換の様子を動画でアップしてる人のを参考にしてみたものの、
そのカラクリの部分、何がどうやってるので、それをそうすると外れるのか、の
肝心な部分が、やたらとサラッとこなしてくれちゃってるので、
「それがお前の言う通りにできてるなら苦労してこんな動画検索して来てねー。」
ってくらい、ひっかかって(詰み)しまってる部分を当たり前にやってんじゃねー。
…そう、普通はできちゃうんでしょうけど、俺はそれができない。
→それをどうにかバッテリー交換にこぎつけた自分は、
誰もそのやり方をちゃんと教えてくれない(できるものとしてなのか、
そんなの考えるところじゃない、なのか、純粋に教えたがらないイジワルなのか、
おっと、俺の被害妄想と思う人よ、じゃあ掃除機の紙パックの規格を調べてみろよな?
あれがイジワルじゃなきゃ、なんで統一しない理由があるかね、
阪神大震災前にはカセットボンベも規格が乱立してたのは、
自分のとこのボンベに囲い込みたかったからだよな。)

バッテリーの件は、俺が解説してやる。
電話の方は、これはツメがはがれながらもチカラわざで引っこ抜く。
ペンチ使えばもっと楽だった、試行錯誤しながらだったからで、
ツメがどうこう言われたら、どこかノッチでもあるなら、どこを押すの、引くの、
精密ドライバー使ってみたり、おい、そのレビュアーよ、カラクリどうの気取ってんじゃねー。
コイツは力技で引っこ抜く仕様だ。
こざかしいテメーのマネ事してしまったせいで、簡単な話しが難解になったぞこの野郎。
腕時計のバッテリー交換、これは2回の偶然を経てやっと。
せーの、のタイミングが合うかどうかでしかない、素人には。
カバーを外さないのどうの動画ではあったが、これもウソで、
カバーを外さないと電池が貼り付いてて剥がれない、俺なら「外す」と解説する。
外しても粘着力は落ちないとも解説する、しかし、カバーを外すのも容易ではない、
これだけは、みかんから「よう交換できたな」と関心されたっちゅうねん。

ちゅうねん、と言えば、俺は自分の言葉に自信がない。
茨城アクセントであり、時に標準アクセントであり、信じられないかもしれないが、
関西アクセントである。
この関西アクセント、
「どうせ関東人がマネた、やたら強調したウソくさい関西イントネーションだろ。」
ではなく、「奥村さん、関東の人だったの?」と言われたくらい、自然に話してたらしい、
しかし、意図せずであり、俺の話し言葉は、
いったいどれが発動するのか、今はどれで言っているのか、使い分けができてない。
みかんと話してる時は、標準アクセントのつもりで、しっかり茨城アクセントになってしまい、
訂正もできない、じゃあ、言葉は標準語きどってて、アクセントは茨城な人か、
と言うと、「なぁ、お前から一回も茨城訛り聞いてないんだけど、茨城弁で話してみろよ。」
などと、やたらと標準語アクセント認定を茨城県外で仕事してた時に言われたり、
そうかと思うと、茨城在住にみかんと知り合ったせいか、なんだか関西イントネーションで、
ある件で役所に電話で問い合わせたら「県内在住の方のみ対象なんですが」と言われ、
「あの、県内在住なんですけど。」「関西の方ではないんですか?」「違います」状態。

いましがたは、電気バリカンで四苦八苦さ。
説明書に書いてある事が、サラッとできない。
それを簡単に言うな、それを簡単に言うな、と何度も言いたくなるわ。
サラッと「~に、~をします」、なんだその解説の絵は、「押す」と書いてあるので、
図解に真面目に従順にやっているのに、ブッ壊れるほど押しても外れず、
そうじゃなくて、押す、とは書いてあるけど、図解はスライドさせてて、
そういう風に一生懸命に押し出してたっちゅうのに、
裏側からテコの原理で押したらパカッと簡単に外れて、俺の人生の時間を返せ、
その他のアタッチメントの外し方も付け方も、外します、付けます、
「だから、どうやってさ?」 ふぅ~~~、俺がアホなのか、なんなのか、
ここに油を必ず注してください、「どこなのよ?」図解では、拡大しておらず、
確かにそこに注さないとダメなんだろうけど、あまりにピンポイントなのに、
拡大してないから、具体的にどこなのかサッパリわからず、その周辺になんとなく注したよ、
それだけじゃないんだからね、その油だよ、添付されてたのだけど、
「全然出ねぇ、何これ、えっ、どういう事よ。ん~~?」
ひぃぃぃ、まさかの、キャップで突いて開封する奴だったよ、日本製の軟膏の薬にあるアレ。
軟膏ならわかるんだよ、そうなんだろうな、しかも、封してあるのもちゃんと見える。
ところがコイツは眼科でもらうような目薬の容器、突き刺して液を出す発想には辿り着かない。
油の出口も目薬と同程度だから、封がしてあるのも目視できずでしぶらく悪戦苦闘してた。

さてさて、俺の今日のお昼はカステラときな粉牛乳だ、贅沢だ。
ひとりで家にいるので、悠々自適に好きな外食、ファストフードでもいいのに、
まず昼飯目的で一人で行った事がない、9年で2回あるかどうか。
いつも食べ物がない。
数か月前まではシリアルを買っておいたけど、高いのでおいてない。
お菓子を食べる習慣もないので間食用にも何もない。
このカステラは、カステラとして昨日買ってきたのじゃなく、
言ってみれば、ビンボー学生が手をだすような、「デコレーションケーキの切り落とし」品。
俺はパンの耳が袋に沢山入って30円のを、寮生活してた時に買ってたもので、
今思うに、「耳をくって安くあげてる自分をしてみたかっただけなんじゃないか」と。
こっちのカステラは身もそれなりにあるのでガッカリ感は少ないので買ったのである。
栄養価も本体と変わらんし。
え?まぁパンの耳もそうなんですけど、切なさはハンパない。
 

梅ジュースを初めて作っている。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 6月 9日(金)14時49分45秒
返信・引用
  ※画像添付。

ず~~っと梅ジュースが気になってたものの、梅酒なら簡単に巷にあり、
「梅シロップ」って言わないからダメなのかなぁ、とか。
じゃあ自分で買ってみればいいじゃん、なのですが、今年も気になったまま、何もしないで、
過ぎていたはず、…なところへ、みかんが「青梅」をいきなり買ってきた。
みかんさんは自分で作るのではなく、それを俺に提示して、“なんとかせい”状態で…。
2日ほど、やっと憧れの梅ジュースの材料が目の前にあるのに、無力な俺が、
ネットで調べて作り方を理解した。
よく、スーパーでは氷砂糖と梅を1:1で入れておくとできるみたいな、でもイメージができず。
ネットで調べると、出来上がりの違いは、砂糖の種類によって対して違わないのだとか。
だったら、あるよ~、ありますよ~、ウチは『きび砂糖』を熱烈採用してます。
理由は2つ。
上白糖だと、湿ってるし、乾くと石みたいに固くなって(柔らかくする裏技はあるようだが)
フワフワだった砂糖がクーデターだかストライキを起こしてくる気分になり、
すっごく裏切られた気持ちになって、面倒くさいので使いたくないのである。
俺の使ってる『きび砂糖』は、上白糖のフワフワした湿った感じではなく、
サラサラしている、そして精製が最小限なので砂糖本来の栄養が残ってて薄茶色。
いわゆる黒砂糖、までいってしまうと、風味が変わってくるが、そこまでじゃない。
理由が2つ、と書いたのに、一般的な「1つめは、」な枕詞で書かないで、
読み解く必要がある文章かよ、と自己ツッコミ。

で、誰になんの恨みでクギを刺すでもないけど、俺は「お酒」だ大嫌いである。
しかし、「みりん」は使う。「みりん風調味料」は使わない。
みりんには、みりん風調味料にはない、沢山のアミノ酸が入っているらしく。
みりんは、基本的に、水、酒、砂糖、なのだが、
よくレシピ本で、酒と砂糖、みりん、みたいな、おい、みりんだけあればいいじゃねーか。
酒は雰囲気や肉を柔らかくする目的で、投入するので、最終的にはかなり熱で飛ばしてます。
酒は嫌いなのよ、むしろ大嫌い、苦いし、ピリピリするし、
人が集う目的、会社終わり、「飲みに行こうぜ」、なんで酒がないと会合できないのか、と、
喫茶店じゃだめなのか、と、あぁ、俺は喫茶店もダメさ、今度はタバコが大嫌いなのだ。
じゃあスタバならいいじゃないの。
でもスタバじゃナポリタンもチョコパフェもピザトーストも出ないのさ…。

さてさて、梅ジュース(シロップ。…ちっ(舌打ち))、もう出来そうです。
ネット情報ですと、氷砂糖と青梅を1:1で交互に敷き詰めたビンに入れておくだけで、
一週間後の出来上がり画像をみて、なんでこの固い実がジュース状になってるのか、
きっと買ってきた青梅をそのまま放置していても、
こんなにドロドロと中の汁が出てきてるイメージが全くわかず、信じがたいというか、
本当かよ、水も足してないのに氷砂糖がこんなに溶けるものなのか、とか。
その作り方のコツで紹介されてたのが、「いったん梅を凍らせたものを使うと、
中の細胞が壊れるので、早く作りたい方はこの方法もオススメです。
しかし、本来の風味は落ちます。」との事。

さて、昨晩、梅ジュース作りに着手して、「本当に砂糖が液体になるのかよ」と、
眺めていて、なんとなく湿りだした箇所、箇所、は早速でてきたものの、
洗った梅を拭き取らずに入れたから、それで濡れてるだけじゃねーのとか、
浸透圧の話しで溶けだすって事なのか、とか、面倒くさくなって、
『我流』で作りました。(シークレット。自分のアイデアみたいにされるの嫌だし。)

レシピ通りなら一週間かかるところ、もう出来ました。
ほほぅ、WECK(雑貨屋でみかけるドイツ製のビン。)に入れた青梅と、きび砂糖、
見事に水一滴も加えず、シロップになってますわ。
この後どうするのか、よくわからないので、俺のイメージとしては、
このWECKからザルとボールを用意して、ボトトトト、と投入して、
まずはシロップのみを取り出し、次に、「おい、梅ジュースのレシピで、
肝心の梅はどうしてるのか、よくわからんぞ」状態なので、
クッキングペーパーをザルの上に敷き、手作業(使い捨て手袋)で、
グチュグチュに潰して、エキスだけ取り出して、さっきのシロップに追加しよう、
と目論見中。
果肉をそのまま使うと、俺の失敗の経験上、梅の果肉が浮いてきてしまい、
飲む時かなり上唇の邪魔になるのだ(またまた大袈裟な、と言われるのが俺、いやいや
知らんでしょ、と。俺の雰囲気だけで断罪するのやめろよな。)、都合よく、
果肉入りジュースみたいな、ツブツブがまんべんなくある感じにならない、
だからこの手間を考えており。

下に画像添付してるけど、3段の一番上のが、それ。
その下2段も同様にして完成。
WECKに満タンにどちらもきび砂糖と青梅が入ってるけど、どちらも中身が半分くらいになって、
砂糖は全部溶けてシロップになってます。
昨晩みかんのスマホで撮影してもらったので、今の状態が投稿できない、みかん仕事中だし。
デジカメはあるけどわざわざ取り出すのが面倒くさい。


バリアフリーバラエティー、バリバラ、という番組で「それ」、な一言があったので紹介。
外国人にルーツのある子どもたち、みたいな内容で、
「みんな日本語が流暢に話せるので、そういう風に接してしまう。
ところが読み書きとなると、理解できてない子が多い、それを見過ごされて、
そのまま中学にあがると、理解度が一気に下がり、どんどん置いて行かれて埋没していく。」

この感じだよなぁ、と思ったわけ。
俺を断罪する人たちの共通単語は決まっており、
「どこが病気なんだ。すぐに病気に逃げる」←どこが病気かを説明できるなら健常者だな。
「難しく考えすぎ」←難しく考えられる人たちがうらやましい。
「そんなに文章を書いてるのに本を読んでないなんてウソだ」←本を読めたら読めたでバカに。

先日も母から、何も理解する気のない癇癪があり、
「そんなに理屈をこねて、お母さんを批判する人間が、頭がおかしいなんてないわ。
全部メールとってあるから。何かあった時に病気じゃないって証拠で提出するから。」
だってさ、これ、新しくない言われ方。
こんな感じで断罪され続けて、俺が日頃感じてる違和感というものを
全く理解する気がない。

なので、バリバラ同様、「流暢に日本語が話せてしまうので、」のくだり、
俺はどうも勉強が嫌いだし、なんとか食いつこうとしても、理解が及ばない。
これを象徴的と専門性をもって理解できる人がいるといいが、
宿題というものを、まともにした事がない。
先生の話しを聞いてないと、しばしば通信簿に書かれ、
では、この症状ってADHDって人たちに似てるけど、俺は正反対で、
おとなしく、ボーッと考え事してて、椅子にも座ってられる、考え事してても、
ボーッとなので深い考えができてない苦悩を抱えつつ、課題のようなものもやってきた事なく、
ガヤガヤした教室の中で、ガヤガヤの残響で帰り、何かが必要らしいはわかって、
翌日、みんなが綺麗なベニヤ板を持ってきてるのに、俺は薄汚れた障子の板を持ってきた。
これは泣ける話さ、何かの板が必要らしいを、ちっとも理解できないので、
両親に泣きついて、「とにかく何か板をもってきてって言われてるの!!(泣)」
これは小学校2年の時の思い出。
それで父が、障子の板を外して、しょうがないからこれ持って行けって、
家のパーツを外して持たせてもらって、学校に恐る恐る持って行ったら、
教室で大爆笑され、先生は呆れてるし、机と机を置いて、
その上に俺の持ってきた板を置かれて、空手の瓦割りを同級生にされたり、
どうやったら割れるかを延々とされて、
「それは、俺の父が身を削って俺に持たせてくれた板だ。」無念であった。
なんとか食いついていた算数も、小学校3年の割り算になってから、全くついていけず。
それに気づいている身内は誰もいない、先生はテスト結果のみを言うだけ。
俺の周りはガヤガヤしている。
疲れてる時にガヤガヤと周りのノイズがするような、こもった音域のような、
集中したって理解できなきゃ意味がない。
ガヤガヤしていても、理解ができれば、実はそれでよかった。
友達いなくても、勉強が理解できていれば、それでよかった。
友達いない、勉強できない、物理的ケンカは弱い、必ず会社に入ると聞かれた、
「音楽何聴いてるの」「彼女何人つきあった」「休みの日何してた」…はぁ、つらい。。。
…さぁ、これで世の中に放り出されて、
どうやって世の中と戦えっていうのさ。
関係ないのさ、こういう屈辱的な事を言われても、それでも理解力さえあれば、
自力でどうとでも世の中生きていけるのさ、それが楽しいもん。
クソみたいな連中に合わせる必要もない、しかし、そんな連中の方が頭がいい、
だから困ってる、戦えない、それなのに、「高校辞めるってなんだ、恥ずかしい事言うな」
と、勉強もわからない、友達もいない、昼食の弁当はひとりで食ってる、
学校に行きたくない、あそこに行っても授業が理解できないので寝たふりして毎日過ごす、
それはもう耐えられない、それなのに「高校だけは卒業してくれ。」と辞めさせてもらえない、
「辞めて何かしたいことでもあるのか」何かしたい事があるなら能力があるので、
嫌な高校にいってもそれなりに結果はでてるだろ、なんで高校1年の1学期のテストで、
すでに0点をたたき出してるのに、それで呼び出しくらって、
「お前はナメてるのか」って、ナメてないので、辞めたかったです。
この学校は、4年前の卒業生に早稲田大学に入学した人を出してるもんで、
それに続かせるべく、イメージ作りのために、落ちこぼれは許されなかったのです。
進学クラスでないなら、就職クラス、俺は高校2年から就職クラスになったけど、
ここでも勉強についていけない、そもそも高校の勉強は俺には難解すぎる、
コイツを理解できる頭はどうかしてるんじゃないか、くらい、
それを理解できるから、その先の大学に行けるわけで、俺にはエベレストのようだ。
大学に入ったら、今度はさらに高度な内容となると、もう異次元の世界だ。
俺がインテリを嫌いなわけは、そんなに高度な理解力があるのに、
平気でポンコツな分析力をかましてくるので、そうか、こいつら理解力はあるけど、
考えるちから、ひらめきがないのじゃないか。
理由があって、できたばかりの公立高校で、田舎なもんで、
なぜか入学時のテスト結果でクラスが分かれており、なぜか俺は進学クラスに割り振られ、
そんな人たちの中に俺がいるのは、あきらかに場違いで、違うのに、そういうんじゃないのに、
みんなが高校に行くから行く、という流れの中に行き場がなくて。
 

藤井さん(将棋)。←タイトルはきっかけ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 6月 7日(水)18時24分43秒
返信・引用
  すごいなぁ、公式戦23連勝か。
羽生さんにも途中で勝ってるし。

俺は頭が悪く、父に1度も勝った事がない。
なんというか、モヤモヤと頭がしていて(記憶が消える)、順序だてようとしても速度も遅く。
緻密さとはほど遠い、発達障害も名乗れないほど、彼ら彼女らの『細かさ』『こだわり』とは、
また違っていて。
何も言ってるのかわからないと思うが、俺の目の前には沢山の同じものがある。
物理的にではなく、同じものを見ているのに、どれが本物なのかわからない。
焦点が合わないというと一番近いのかもしれないが、それなんじゃないかと目を合わせている、
結果的に合っているので、しかし手応えは薄く、なんだか合っている、のような世界にいる。

将棋の解説を聞いていると、悪い意味で、すごくフランクなプロ棋士同士の若い人たち。
勝負の世界なので、勝ち負けでランク付けされる割には、リスペクトがない。
…そうだ、リスペクトがないから、頭脳的に目上の棋士に対してバカにした話し方で
盛り上がっている。

世界、とは、その世界とは、何も分けるべきものでもなく、狭義として、
とらえた場合、であり。
ある、数学における天才がおり、子どもなのですが、
彼の頭の中では、自動的に先々まで見通せるらしいのです。
藤井さんも、そういう事なのかもしれないです。

こういうボードゲームのようなものは、数学的に説明されるのではないかと思うものの。
車の運転のうまい下手、技量をレースで競うわけですが、
現時点の気温、タイヤの荷重、限界摩擦、次にいくつのコーナーが待ってるので、
操作をどうする、等々、すべで物理で説明がつくことばかりなので、
それ以外で発生するのは、不確定要因、例えば、計算上は答えが出ているのに、
その【前提】として、機械が、そのように動く、という前提なので、故障となると
不確定要素になるわけで、そこを想定しての計算は、どこが壊れたか、の受動によって、
再計算、再定義をし直す、という事になるものなのか、も含め、ちょっとよくわからない。
将棋のような、コマの動かし方にルールのあるものは、それを超えた動きは発生しないので、
何パターンのやり取りかの掛け合わせではなく、きっと確定的なものがでる気がする。
だって、前提が動かないものは、相手の動きが予測不能であっても、
そのルール内の動きなので、想定内のどれか、しか選択肢がないわけでしょ?
流れ的に、その一手は想定外だった、な話しじゃなくて、その想定外もまた、
そのルール内での動きを超えてないので、可能性の範疇でしかない。

これは、【イコールコンディション】の話しをどうやら俺はしたいのか。
例えば、計算をする時に、自分の手書きの計算と、電卓の計算、
俺は電卓の計算結果を信頼しているので採用する。
「名(メイ)」何々、例えば、名医、名探偵、名弁護士、のような、
これらに共通するのは、自己完結ではなく、誰かに対しての、ほどこす作用であり、
それら、技量や能力が違われてしまうと(「名」何々状態)、
その名何々に出会わなかったら、その恩恵が受けられない、という事になる。
言ってる意味が伝わるといいが。
つまり、それらは、所詮道具、としての役割なので、名何々状態は、
社会福祉というか、福祉というと胡散臭くなるのだが、
共通の文明としての、と言えばいいか。
簡単な話し、医者にかかって、手術結果が異なったら嫌でしょ?
必要最小限のダメージで、最善の結果を得たいでしょ。
今でもレーシックは胡散臭いですが、昔は医者がメスで執刀してて、
どの医者にかかるかによって、視力が全然変わるし、同じ医者でも、
その日のコンディションに左右されたり、
これは何も特殊な話しではなく、あれだけ野球のピッチャーは投げ込んでいるのに、
その日の調子によって、すごいピッチャーと評される人が、ボコボコに打ち込まれたり。

享受、って事ね。
 

すっごくたくさんの。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 6月 2日(金)15時23分55秒
返信・引用
  「おかしいなぁ~」って事があった。
頭の中で組み上げても、「俺じゃなくて、相手がおかしな事言ってるなぁ。」と思ったり、
それを掲示板で書こうかな、なんて思った時に書くのが面倒で書いてない内に、
たくさん忘れてしまってて、『忘れる程度だから大した事なかったんだよ』じゃなく、
忘れるほど繊細に気づいて、しかし本質で、完全に論破まで辿り着きつつなのに、
でも忘れちゃう、やっぱり俺の詰めの甘さ。
そっこまで(←これは誤字じゃなく俺の口調として)、ネチネチ、こだわるほどではないものの、
やる必要と判断以外は。

…ホント、自分なりに、すっごくいい部分に気づいた、相手の方がおかしな論を語ってるのに、
いくら指摘しても、全く『要領を得ない』説明や話しばかりなので、
あぁ、そうか、バカなんだ。頭がいいけど、どうにもそこはダメなんだ。
こんなにも簡単な話しだって言ってるのに(実際、難解な話しは俺はできずなので)、
『そういった複雑な込み入った話しは』、いやいやいや、話し聞いてました?

もっと沢山、書き残した方がよかったろうなという話題があったけど、
そういう事でほとんど忘れてしまってるので、直近で覚えてる話しのみ。

俺は固定電話をやめて、人生初の「スマホ」を持とうか思案している。
「思案」と書いたのは、思案だからであって、通常なら『検討』ってなるけど、
検討って単語、なんとも嫌いなのよね、調子にのってるというか、スカしてんじゃねーとか。

一般論として聞きますが、「フリーダイヤル」と聞いたら何番?
「0120」でしょ?
むしろ、それで十分じゃない?
何かの問い合わせをする時に、固定電話なら、固定電話料金で済むわけで、
ケータイ番号だと、通信会社の回線なので、割高になるわけで、
通信会社の回線は、NTTと違って公共料金なのかどうかの疑問も沸いたり、
それはそれとして、
(な言い回しがややこしくなるんでしょうか。でも全部繋がってる話し。要素として
そこはこの論点と違う、と言うのは、それは間違った意味で簡単で、
修飾語ではない、脚色でもない、フルカラーとしての話しというか、うまく伝わるやら。)
とある会社が、「フリーダイヤル」を用意してた。
しかし、注意書きとして、『※ケータイ・PHSをお使いのお客様はこちらから』として、
市外局番の、通話代がかかる番号を提示しているのだ。
俺は、スマホを持つからには、固定電話を廃止しようと考えているのだ。
固定電話、このご時世、お金がないと、逆に、なかなか厳しい面がある。
経緯を話すだけで、原稿用紙5枚くらい必要になる、だから面倒なんだよ、
聞けば納得、聞いても意味がわからず、聞いても別の間違った解、等々のために…。

どうすりゃ簡単に伝わるかね。
フローチャートか。

固定電話(経緯が実は結構ある)は、超プライベートなわけで(なんで?スマホの方が直接なのに)
だって、こっちで何かできる事って何もないよ。
ナンバーディスプレイなんてスマホなら当たり前ですが、固定電話でそれしようとしたら
別料金がかかるわけで、な話しが長くなる。
すっごく受け身でいるしかできない立場というか、家族団らんの時間を過ごしていても、
いきなり耳をつんざくコール音、寝ていようが、向こうの都合でいつでも鳴らせてしまう音、
無力だろ、ズルイだろこんなの。

なのでスマホ。

フリーダイヤルで問い合わせねば、スマホで電話したら莫大な通話料が請求されるので、
固定電話を廃止できるのかどうかは、フリーダイヤルでスマホははじかれるのかどうかに依拠。

普通は知らないと思う。
フリーダイヤルの「0120」って、NTTコミュニケーションズが管轄してる番号なんだってさ。
あちこち問い合わせていたのだけど、116にかけたら「それはNTTコミュニケーションズで」
って言われ、カチンと来て、「先ほどおっしゃってた0800でしたらご回答できますが」
「そんな管轄がどことか、こっちにとってはどうでもいい話しで、無料通話が可能か、で。」
「ケータイから0800に通話が可能かどうかはケータイ会社様に問い合わせてください。」
「そうじゃなくて!! では、僕が問い合わせたのは、まさに“ケータイ会社”様で、
音声SIMの販売してるNTTコミュニケーションズなわけで、
そこに繋がるかどうかは当社ではなく、その番号を用意してる会社様がどうかによる、
という回答だったので、ケータイ会社に問い合わせて、というのはおかしなは話し。
せっかくだから、そしたら0800ならケータイから繋がるわけなんですか、
まさかの管轄違いがあるとは知りませんでしたので、NTT西日本ですか、
この電話はNTT西日本じゃないですか。」
「フリーダイヤルではなく、フリーアクセスです。」
「言い方が違うだけで、要するに電話をかける側の問題として通話料がかからないなら、
何も関係ないですよね。なんでわざわざ言い直しなのか。
で、ケータイからだと繋がらないなんて事が本当にあるのかと問い合わせをしてるのに、
なんで意味が通じないんですかって話しを延々としてるんですよ。
経緯は知りませんよ?そういえば昔は、ケータイからの発信は
フリーダイヤルでは無理みたいなのは聞いたような気はするものの、
最新の認識としては、IP電話だと繋がらない、これなら基本的に納得できるわけです。
しかし広義の意味では、そもそもこの僕の固定電話だって、
すでにメタル回線でなく、光回線であって、…なんて言ったらいいのか、
もしかして、その会社の認識が古くて、本当はケータイからでも
フリーダイヤル(フリーアクセスだってさ、テメーのとこの区別化の都合じゃねーのか)に
電話は繋がるのに、繋がらないので、わざわざ通話料のかかる市外局番付きの
問い合わせ先が用意されてる、なんて事はないものか、と、
固定電話を廃止できれば、その基本料金は削れるわけなので、
しかし、いちいちバカ高いと聞く、ケータイの通話料を払ってでしか
問い合わせが発生した時に連絡できないのでは困るので事前に聞いてるわけなんですけど。」

ケータイ、スマホ、その、詳しくわかってみなさん使ってるんでしょうか。
俺は所有した事がないので。
では聞きますが、「キャリア」がSIMロックをかけてるのは卑怯ですよね?
SIMロックって何?
俺の認識では、固定電話を設置しようとしたら、大型電器店で見繕う。
電話機なので、その機械を買いに電化製品として、すごく自然でしょ?
ところが、ケータイ(スマホ)端末になったとたん、
【契約と機器の抱き合わせ販売って、おかしくネ?なんで好きに端末選ばせてくれないの?】
なのよ。
あ…ヤバイ、そろそろいつもの、ここまで何書いてきた忘れてきた。

総務省から「いい加減に独占やめろ」の圧力からの、
契約後、180日以降はSIMロックの解除義務をキャリアに課したわけよ。
(その端末で、他社とも契約ができる状態にする。ロック状態では
そのキャリアとしか契約できない。)
俺はここまで知ってる人だけど、使った事がないからわからんので問い合わせてるわけ。
さらに、SIMロック解除は、最新では、100日経過後にキャリアはロック解除義務になってる、
知ってたかい?
180日、くらいの話しはニュースでやってたかもしれないが、
その後、100日後に短縮されたニュースなんて見た事ないぜ、少なくとも俺は。
さらにだな、その端末を、しょーーーがねぇけど、
そこのキャリアでしか売ってない端末だったら、そこのキャリアで買うしかない、
その時に、『一括購入』の場合、目の前でSIMロック解除できるようになってる。
知ってたかい?
つーか、端末を一括購入かどうかって、バカか。
なんで分割で買うっちゅう話しだ、ツケ払いかよ、なんで月額料金に乗せるのが
当たり前になってるのだとか、一括で買えないって時点で、
最終支払額は割高になってるわけだし、もし払い終わってない端末を壊そうものなら、
まるでローンが払い終わってない自宅を自然災害で全損したような、というか、
手をだしたらアカンのですよ、現時点での身の丈以上のものには。
時間の概念があれば、その評価額は、その時々に変動されてしまう、
アンパンが昔は30円で買えたのに、って話しは理解できてるくせに、だよ。
しかしだ、例えばdocomoのオンラインショップで端末購入しようものなら
「申し訳ございません。いったんプラン契約が必要です。」
「では、docomoショップなら目の前でロック解除してくれるわけなんですね?」
「申し訳ございません。それはdocomoショップに問い合わせていただけますよう…」
「いやいやいや、ここはdocomoの端末売ってるから、docomoショップでしょ?
どこかの横流し品でなく、docomoの公式サイトですよね、ここ。」
「実際の店舗様がどのような対応をするかは、こちらではご案内いたしかねます。」
「ちょっと待って?どんな対応をするかどうかは店舗次第って話しですか?」
「それも含めてこちらでは、ご案内できかねます。」
「一括購入するって人に、対応がわからない、って言うのであれば、
一括購入者にはSIMロック解除を義務付けている話しは知っているわけですよね。」
「存じております。」
「わかってる上で、実店舗がどういう対応をするかわからない、って説明でしょ?
docomoは店舗によって対応が変わるって事になっちゃうじゃないですか、
なんで公式サイトが、店舗次第的な、それって」


あ、頭の回線が書いててわからなくなってきました。
前に書いてたガソリンの話しとか、思い出せない話しとか、ありつつ。
「0800にケータイ(スマホ)から電話をかけて繋がらないなんて事があるのかどうか、
それはケータイ会社に問い合わせてと言ってみたり、
そのケータイ会社からは番号を用意してる会社に問い合わせてと言われてみたり、
ではその番号を提供してるのがNTT西日本自身という事なのだから、
実際に、0800にケータイから電話をしたら繋がらないなんて事があるのかどうか、
という質問をしているんです。」

折り返しの電話が「席を外しておりますので」の担当者なる人からあり、
まるで俺が「その会社がどういう契約をNTT西日本としてるか開示しろ、なんて話し、
全然してないのに、なんで大事(おおごと)になってるんですか。
繋がるんですか、繋がらないんですか、会社の認識が古いままなのかどうか、なのに。」
『実際に0800で、ケータイから繋がらない設定がございます。』
「それをさっき聞いていたのに、それだけの話しなのに、さっきの方は、
そういった設定があるのかどうか、契約内容がどうかを確認する必要がございます、とか、
そんな事聞いてなくて、…設定があるんですか、って話ししたら、
そんな設定があるのかどうかも含め、みたいな、0800に関する窓口で、
こんな初歩的な設定があるのかどうかもわからないって。」

あるそうです、フリーダイヤル(フリー ア・ク・セ・ス …ちっ(舌打ち)。)に、
ケータイからは【本当は繋がるけど、繋がせない設定】が。
なので、【ケータイからだとフリーダイヤルが使えないのではなく、
むしろ、ケータイからでも通話料無料で問い合わせができるのに、
それをさせないのは、その会社の裁量次第、繋がりません、と書いてる会社があれば、
繋がせないようにしてる会社だ、フリーダイヤルを用意しておきながら、
バカ高い通話料で問い合わせをさせる気だ、この会社は、の判断材料になる。】って事かな、
何書いてたんだっけ。
 

これは俺の冤罪確定(先週の精神科)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 5月24日(水)11時28分19秒
返信・引用
  NHKスペシャルの「発達障害 解明される未知の世界」の冒頭18分くらいまで、たった今観た。
下の書き込み時点では、まだ視聴してなくて、録画だけしていた。
約1時間番組みたいだが、18分でおなかいっぱいになる。
すでにじゅうぶん『これって、全部俺が、精神科の先生に訴えてたのに“そんなバカな”
と、取り合ってもらえなかったことばかりだ。』、もう見ていてつらくなる。

約20年前に、すでに精神科の先生に言ってた事。
「周りの速度が速くて、処理が追い付かない。その場から動けなくなる。
意味もなく理由もないのに怖くてたまらなく、カーテン閉めきって、布団の中で過ごしてる。」
これは今も全く同じで、カーテンを閉めきった部屋、薄暗い部屋の方が安心する。
もちろん、常時そうでなければいけない事はなく、明るい部屋のよさ、
夏の日差しのよさもわかってる、しかし、頻度として、それらは俺にとっては、
トゥーマッチ(やりすぎ)であり、毎日フランス料理出されるみたいな、伝わるかどうか。
だから、ほとんどの時間は薄暗いところがいい。

それと、その医者に言ってたのが、
「ボクは運転すると、後ろが気になってしょうがないんです。
前をみないといけないのに、後方車が自分をあおってきてないかばかり気になってしまう。
それと、わけのわからない、何か抽象的なものが自分を覆っているのを感じていて、
時に、すごく硬い角ばったもので固定されるような感覚、あ、これは、
幻覚や妄想があるわけじゃなく、すごくウワ~っとしたもに包まれてしまうというか、
それが実態として、でも現物が見えてるとかじゃなく、ただ角ばった感覚の時は、
目の前の者がエッジが利いてるように止まったような、動きにくくなってて。」

『ボクはそんなに気にならないけどなぁ~(先生の見解)。気にしすぎだね。
それと後半の話しは、ちょっと何言ってるのかわかんないや。』

気になる、という事は、気にしたくてしてるのではなく、勝手に気になる事、
その頻度があまりに多いので、それを伝えてたのだが、自分との比較の感想を言われただけで。
それに、健常者にとっては、
わけのわかんないもので困ってるから精神科ってあるんじゃないのかよ、と。

で、つい先週の土曜日の診察。
「周りが速い。人ごみの中に自分がいると、それらの処理が追い付かなくて、
動けなくなってしまう。車の運転も、処理が追い付かなくて、速度が出せない。
頭が働かないんです、いっぱい頭で優先順位とか処理しない事があるのに。
ボーッとする、夢の中にいるみたいに、現実世界なのに、膜が目の前に張ってて、
リアリティーに乏しく、車の運転も、怖くてスピードが出せない。」

『車でスピード出すって(嘲笑のような苦笑)。別に出さんでええやん。』

「そういう事じゃないんです!速度が出せない、なんて言ったら伝わるんでしょうか。
スピードをわざわざ出す必要はないという一般論ならわかります。
そうじゃなくて、速度を出したくても、処理がおいつかなくて
ガチガチになって目の前、目の前になってしまってると言ったらいいんでしょうか。」

→で、抗うつ剤が増量された。

が、その時には言ってなくても、すでに過去の診察でその先生には伝えてた事で、
「運転がリセットされてしまうんです。せっかく獲得したものなのに、
どこに注力していたかとか、どういう運転操作をしていたかとか、全部忘れてしまう。
だから、僕は『慣れ』というものがなく、いつでも新鮮な状態で物事にいちいち向き合う。」

『そんなわけあるかい(バカにした苦笑)。だって車は運転できてるんやろ?』

「だから、…その、わかりますよ?きっと先生が言ってる事は、体で覚えたものは、
という話しをしてるんだと思うんですけど、僕が言ってるのはそうじゃなくて、
基本的な動作は体が覚えてるから運転はできます、そうじゃなくて、
どういう段取りで車を発進させるかとか、毎回、いったん、えーと、と確認したり、
道路に出ては、運転の仕方とか、獲得した技能が、いちいちまたやり直しになって、
だからどのカーブに差し掛かっても、どういう運転だったかばかり考えてしまう。
後ろも毎回気になり、車間距離をとって運転してるのに、僕をあおった後に、
僕の前に割り込んでくる、安全のためにとってた車間に、後ろからきて、僕の前にくる、
で、その車は前の車の後ろを走ってる、僕を抜いた意味がない、
だって、僕はその前の車と同じ速度で走っていたので、そもそも
僕があおられる筋合いがなく、抜いた後に僕より先に行けるわけでもなく、
それがなんでだろうと、いつもいつも気になる。」

………はっ、とした事が今。
そういえば、俺はいつもいつも、みかんの斜め後ろを歩いている。
これはみかんが、よぉ~~~く知っている。
みかんが歩くのが速いのもあるのかと思っていたり、
単に、引っ込み思案で、物陰に隠れるような歩き方に自然になってたり、、、
そういう事じゃなくて、例えていうなら、盲目の人の介護のガイドヘルパー的な、
俺一人で、あちこち、雑踏を歩いたりするのが苦手なので、
みかんの後をくっついて歩いてるのを、実は毎回していたのだわ、これは。
だいたい出かける時は、みかんが行きたいところがあり、
俺はそれを知らないで、行きたいところにくっついていってる、
しかし、どこどこに行きたいと事前説明を受けても、地図を見て、理解するのも苦手だし、
結局、聞いても意味が薄い、負荷が増えるだけ。

この番組で、俺と全く違うけど、全く同じ状況を『音』で説明されていた、
その18分の間に。
脳というのは、不必要な情報を感知させなくする機能があるのだが、
(優先順位なり、重要度の事ね?)
これらが、すべてが、いってみれば、全部同じに入ってくるので、
俺もそうだが、もう、何がなんだか、というか…。
自分の言う、頭が働かなくて、その場を動けなくなる、というのは、2つ考えられて、
本当に調子がわるくて頭が働かない事が間違いなく、
同時に、できる事はできたりするので、そっちはそっちで脳がフル回転してしまってる状態。

もうね、疲れるなんてもんじゃないよ。
だから、ひとりで家で退屈、なんて事は少なく、PC画面さえあれば、
PC画面だけの注力で済むので…。

だからって、何もしないのが、自分の人生にとって的確な事か、
そういう暮らしがしあわせか、というと、俺は、
できる事なら、もっと深い理解や、慣れ、や、いい加減に覚えてくれ、な事や、
いちいちリセットされないでくれ、や、治せる方法はないのかとか、
「そんな薬はない」と言いつつ、ADHDの患者には有効な薬はとっくに存在していたり、
ウソつくんじゃねーよ、とか。
 

俺の苦手な事を書くと同情されない、

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 5月23日(火)12時26分49秒
返信・引用
  …ばかりか、ウィークポイント見たり、とばかりに。
あのそれ、ボクが言ったんですけど、と。

俺の苦悩は、「普通」が難しい事。
それを、一般論の定義に当てはめると「普通が一番難しいんだぞ」
「普通じゃないなら独自な何かを見せてみろ」
で、「『普通は…』と言うなと言ってた。普通が嫌いじゃなかったの?(嫌味として言われる)」

自分に向き合ったり、考察したり、別に好きではありません。
仕方なしに手を出す事が、説明上、どうにも間違われるので、やむを得ずな事があり。
俺の苦悩は、どうやら、発達障害、という事でだいたい説明がつきそうになってきた。
これがウィークポイントとして、「ならば」、の、俺を攻撃する糸口にされたりする。
例えば、俺が精神障害者である、と書こうものなら、それについて考察されず、
「あなたはガラスの心なんですね。あなたは私にコレを言われて苦しんでるのがわかります。」
と、勝手に自己精神勝利されてしまう。
あらま、イジメっ子だったのね、困ってるのかな、と思って手を差し伸べてみたら、
あっち側の人でした、なんて事も多々あったなぁ~。

俺が初めてオフ会で奈良に来たのは1999年だったか、その時を思い出すに、
俺にとって違和感のなかった事が、みかんからは「なんでだろう?」と
不思議がられて、みかんのホームページで出来事として紹介されてた気がする。
奈良公園に来た時に、鹿のフンが俺は気になり、そればっかり気になり、
フンを踏んだら足が速くなるのどうの、それどころじゃないというか、
東大寺のトイレに入った時も、小便器の飛び跳ねが気になり、
その飛び跳ね論について、これについては自分の当時持ってたホームページに書いてたり。
普通はそこは気にしない、みたいな部分が気になる。
ひとつの事でつまづいても、そこで止まる事はせず、いちど置いておいて、みたいな
器用さができず、それは融通の利かなさであるけれど、
「頭がかたい」「考えすぎ」「こだわりすぎ」と断罪されるのも、ちょっと違うと思うものの、
それを説明のターンになっても理解される確率が異様に低いのが経験として。
で、「ちょっと変わってるオモシロイ人」みたいな評価でキラキラ近づいてくる奴は、
なぜかだいたい女で、それって恋愛対象でなく、自分の興味・好奇心なだけで、
これって、恋愛が簡単に破綻する人のロジックそのものなのよね、
つまり、「好き」で一緒になったやつは、それ以外の出来事は対義語の嫌いになるので、
好きになった理由以外の事象は、すべて嫌いの理由になる、なんとも身勝手な話しでしょ、
が、こういう話しもまた、理解されにくい。
俺はテメェの好奇心を満たすために存在してるわけじゃねーんだよ、と。

発達障害に、専門家は『特性』などという、微妙な言い回しを使ってる事もわかってきた。
特性=個性、と変換する事もできるけど、本人がそれで困っているなら、
それは間違ってるのだと思う。
例えば、昔のサッカー漫画でキャ●テン翼っていうのがあって、
別に読者ではなかったものの、その話しの中で、ポンコツな人たちへのアドバイスで、
それぞれの得意分野をあてがって、光を見出すみたいな話しがあって、
どう蹴っても、ボールが右に曲がってしまう子に、右に曲がるのを得意分野と解釈し、
それで結果を残させる事で自信につなげて、しかもチームにも貢献できる、的な。
…バカな健常者が読んだら、キラキラ読んでるのかな、まるで美談的なとか、
ボールが右にしか蹴れない事で、本人が苦悩してるなら、それは個性とか、
肯定的にとらえる事は、侮辱なんですよね、それで悩んでいるのに、
「それは悩む事じゃないよぉ~。むしろ得意って事でしょ~?」って事ですよ。
俺は、自閉的に英語の勉強を悪い意味での我流・独学をしていて、
それは全く応用が利かず、しかし、テストでは学年で1位になったりするので、
ある日、偶然、ロクに会話もしたことない同級生と図書館で会った時に、
「俺は中学の時に、おくちゃんにライバル心もってたわ。」と突然告白され、
いやいや、知らんし、というか、俺は英語で1位になっても嬉しいと心底思ってない。
理論体系が苦手なのが自分でわかっており、俺の父はそれを陰ながら気づいていて、
数学がてんでダメな事を心配されてて、「そんなに英語ばかり。他の教科もした方が…」と。
そんな事はわかっていたので、顔を真っ赤にして睨みつけてしまい、
怒りで睨んだ状態でしたが、本当は恥ずかしくて真っ赤になってたわけでして。

俺は本を読むのが苦手だ、と何度も掲示板に書いてるけど、
ここもなぜか勝手にライバル視してくる奴がいる。
「本を読まない人が、こんなに文章を書けるわけがない。本当は読んでるくせに。」
とか、…う~ん、たま~~~に、なんとか血眼で文字を目で追う事はありますよ、
だって、自分だって理解したい事はあり、なんて書いてあるのか、自分も知りたい、
だからなんとか読んだ一文とか、うん、それは読んだよ、みたいに言うと、
ホ~ラ、やっぱり本読んでるじゃん、バカなふりして、的な、、、う~ん、どうしたらいい?
俺は、文章は書いてるけど、さて、読み返すのがとても苦手だ。
出力はできても、入力が苦手、自分の文章なのにだよ?
でも、なんとか食らいつこうとはするよ、なんだか噛みつかれる事があるので、
で、答えが先に出てたりする、頭よく指摘してきているのだろうけど、
ものすごく根本的に間違ってるなぁ、と、論破完了してしまってるものの、
さて、今度は、頭がいいのに、つたなく説明・指摘しても、それが伝わらなくて困惑。
つい先日は、市役所で無料弁護士相談に、とある件で行ってきたのですが、
たった20分しか割り当て時間がなく、結論から言うと、弁護士が青ざめて俺に謝りました。
論点として、それはおかしいよね、って事を、相手の事例を引き合いに、
「で、あるなら」として。
さて、理論が苦手と言ったのに、それはできるのかい、ってところなんですけど、
計算が苦手なんですよ、「じゃあ文系なら向いてるんじゃないの?」って、
わかってねーなー、言ったよね、自分が苦手だとわかってる箇所がつらいって、
そっちなら得意とも思ってないって、そもそも文系だ理系だって、なんの話?だし。
分けるようなものじゃないと思うわけよ。
だから、必死でゼロを自分で理解に努めたのよ、わからなさが、わかってもらえなくて…。

短期記憶も苦手でして、みかんにトランプの「神経衰弱」で勝った事がない。
本を読むのが苦手、というのにも直結していて、
例えば、今読んでるページから、次ページを開いた時に、文字が途中から始まるわけだけど、
「あれ?なんて文字からの続きだっけ。」と、チラ、チラ、とページを行き来して、
照合しないといけない、、、すっごく面倒くさい、記憶がいちいち消えるのが。
自閉症の人たちは、見たものが写真のように記憶され、逆に消えてくれない苦痛らしいが、
俺は留めおきたい記憶が勝手に消えるので、すっごく不便なんだぜ。
段取りってあるじゃない、あれしてから、これして、みたいな記憶に留めておいて、
いくつか映像として頭で序列だてる作業、結構困難だったり、…できる時もあるんだけりどね、
あと、その時に、映像でなく、音声に勝手に変換される自分でつらい時もある。
映像でみないとわからないのに、頭の中で音声になるので、序列が見えない。
ある先生から、「奥村は英語が得意なんだってな。Lの次はなんだ?」と聞かれ、
即答できず、「な~んだ、アルファベットも記憶できてないのか。ガッカリだな。」とか。
…う~ん、音声にして、ABCD…と頭でつぶやいて、やっとLまで来た時に、
やっとLの次が何か、な状態でして。
俺と同じ作業で辿り着く人も、もしかしたらいるかもしれないが、俺の厄介はもっとある。
じゃあ、Lの前はなんだったかな、が、さっきつぶやいて辿り着いたばっかりなのに
またABCD…からやり直しになっちゃうのが、ほんっっっっとうに、あ~、仕事ができない理由。

これはわからない話しだけど、人によって、思い出に色があるのだという。
あ~、わかるわかる、って人もいれば、「何を言ってるのか全くわからない」って人と。
ある漫画がアニメ化されると、キャラクターの音声が確定する。
すると、今まで読んでた同じ漫画なのに、その人の音声で、脳内で読む自分がいる。
しかも、抑揚なくでなく、かなり正確に、そういう言い回しをするであろう、
全く声優さんが話してないセリフでも、頭の中で、かなり正確に変換されてる感じる。
なので、読み進むのがすごく遅い。
サイコパスって人たちは、物事に一切の私情を挟まず、損得のみで計算できる人たちらしい。
すると、俺は、どうやら全くそうじゃないみたいだ。
では、感情が入るとウィークポイントかというと、こういう計算、これも計算、苦手。
感情こもって、苦情を必死に訴えてる時に、無味乾燥な対応されて、
さらに頭に来ること、これは俺だけじゃないよな。
あ、違う論点が混在してるっぽい事を感じつつ書いてるけれど。

…さて、もう、何を書いてきてるのか、全く不明。
雰囲気とか、強いもののみ残ってる。
将棋の対戦後の、棋士同士の再生、なんで何百手まで覚えてるのよ、と。

いきなり話しが飛ぶけど、俺の中では全部繋がってる、順番が、、、。
さっきオシッコの話ししたけど、「一歩前へ」なんて注意書きが書かれてる。
俺は男性の小便器の構造的な欠陥の方が、よほど間違ってるとずっと思ってる。
その、一歩前へ、をすると、自分のチン●が確認できないのだ。
俺の言ってる意味がわかるとさいわいなのだが。
男ならオシッコする前に見下ろすよね?位置を確認したくても、
便器の構造が、そこまで先っちょを押し出すと、どうなっているのか目視できない。
男子のアレは、構造上、皮がかぶってたり、他には汗で貼りついて向きが変わってたり、
しかし、ほとんどの便器が、目線をおろすと、便器が邪魔して確認できないのだ。
この、足元に沢山落ちてる他人の小便の滴、俺は本当に嫌でして、
それを解決する手段として、たしか数年前に関西空港だったか、
温度で色が変わるシールを便器に貼り付けて、それが射的の的みたいなもので、
そこをめがけて、無意識に尿をしてくれるようになったから、滴が落ちにくくなった、
みたいな、さも画期的な紹介をしていたものの、「ウソつけ」と思ったもので。
だって、滴が落ちるのは、物理的な法則からいっても、初めと終わりは、
速度が低下するのであり、滴り落ちるのは、してる最中よりも、初めと終わりが問題で、
的に当ててる間は、そりゃ滴ってないでしょうとも、そこじゃねーだろ、と。
たま~~に、この事が理解されてる便器に出くわす事はあるものの、かなり少数なり。
ちなみに、有名な雑貨屋で、主に女子ばかりくるような店で、
男女兼用しかトイレがない店で、男子の立小便は便座を持ち上げるので、
そこまでの距離で床に飛び跳ねる事が不潔ぅぅぅぅっ、と断罪されたりするものの、
チャンチャラおかしいと思うのが、その有名雑貨店の便座を持ち上げてみたら、
ほぼ女子の客であるので、女子特有なのはよくわかり、
便座の裏の先っちょが、真っ茶色に汚れてて、女子というものに幻滅したり。
下に尿をすりゃいいのに、下から真上に飛んでるらしい。
だったら、もっとかがんですればいいだろうに。
が、俺が言いたいのは、ソコじゃなくて、そんな有名雑貨店で気取っていても、
便所掃除が、全然できてない、男子たる俺が、便座を持ち上げてみて、
初めてビックリしたくらい、女子ばかりだから、誰も便座を持ち上げる必然性に迫られず、
見向きもされず、掃除対象から除外されたまま、しかもただの茶色じゃない、シミじゃない、
物理的な厚みをもって、かなり上書きされ続けた尿のギトギト、何年分だよくらいの…。


あれ、、、ガソリンの話しもしようとしてたのだが、また。
バカにしてる人がいるので、んー、その論点でいうなら、こっちはなんでいいのだい?って事。
物事は、そもそも、と、経緯に、本質があると思うものの、すっとばして、
偉そうに語る人って、あーあ、イタイイタイ。
 

いつもの与太話。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 4月24日(月)18時11分20秒
返信・引用 編集済
  こんばんは。
どうにも歌詞で、「どこでも、どこへでも♪」とか、「いつでも、いつまでも♪」とか、
全く違う意味なのに、一見似てる言葉なので、
韻を踏む、のマネ事してる歌詞が鼻につく、
その言い回しをしたかっただけなんじゃねーの、という中身のない歌詞にムカつく、
おくちゃんです。

…とある漫画で「選択の余地のない問題を持ってきて、承諾を求めるのは卑怯だ。」
みたいなやり取りがあった、、、…なぁ、と、ボンヤリ思い出していた。
昼過ぎに郵便受けにゴトンと音がしたので見に行くと、
「ハガキ代を、現状の52円から62円に変えさせていただきます。」というお知らせであった。
日本郵便から。

これを、「お知らせ」と認識できる人はスゴイなぁ。
俺は、「なんじゃ、この一方的な物言いは。」さらに、『させていただく』って、
お命頂戴いたします、くらいの、一見へりくだってるように見えて、
いやいやいや、了解か否かの選択する機会なり話しなかったでしょ、
させていただくって、望んでなくても強制的に執行しますよ宣言でしょ、
これは卑怯です。

物事の、契約、約款、というものも、例えば昨今では当たり前になってきた通販です。
その商品を購入する前には、契約内容に了解する必要があります。
ところが、契約内容というのは、お互いが交渉した結果にできあがったものではなく、
販売側の一方的な条件に、了解するか否か、な事がほとんどなわけです、
そんなすり合わせをいちいちしていたら、膨大な時間と労力が発生するわけですが、
しかし、俺が言ってるのは、相手がテンプレート的なものへの了解を迫るのならば、
消費者側にも、販売店へのテンプレートの了解を求める権利があるべきだと思うのです、
これで【対等】と言える状態なわけで。
よく聞く、購入後何日以内なら返品に応じないといけない法律がどうとか、
リコールがどうとか、根本的ではないのですよ、そのルール、消費者を守っているようで、
実は、一部の人たちが対象となるだけの、ないよりマシ法律というか、
俺が指摘してるのは、業者はいつでも契約を迫るが(能動的)、
その時点と同時に、こちらの条件提示を了解してもらう(能動的)状態になってない、
これらの法律は、あくまで対症療法的というか、何かがあってからの、
受動的なもので、時系列的に、入口からして対等ではない。

俺の商品に対するコメントは、賛否両論にいつもなる。
半分半分ならいいが、圧倒的な批判票か、圧倒的な賛同票か、にしかならない。
それを半分半分というのだろ、じゃねーんだよ、同じ事を言っているのに、
モノによって全く違う評価を受けてるって事だぁ~よ。
今回、一票も批判票が入らない不思議な寄稿があり、今日も2票賛同されたので、
「俺は変わってないのになぁ、そうかと思うと毎日のように批判票が入るのあるし。」

最近は、北朝鮮の脅威が迫っているニュースをよく聞きます。
「今こそ自衛隊を派遣して、拉致被害者を救出すべき」みたいな、公人コメントとか。
…わかんのぅ、国家は国民を守る義務があるらしいので、
小泉政権時代に拉致被害者が数名戻ってきた時に、
「そもそも返してもらう、って、なんで取引になってるのか。
これは取引案件でなく、一方的に拉致されたのであって、
自衛隊で救出に向かわない理由がわからない。」と、もう10年以上前に
俺はつぶやいてて、この掲示板で書いてた事をそのまま雑誌に投稿したら、
そのまま掲載されてたのに、なんか新しい事を言ってる風な公人がムカつくよ。
俺も新しい事を言ってなくて、なんでかな?な事であり。

他人のやり取りを、ある掲示板で見ていて(野田政権時)、
そこでの議論は、自衛隊を認める人と、自衛隊の存在否定、また、軍隊ではないという主張と。
自衛隊を軍隊と認めるべき、という人に対して、な~~んか、
きっと、その言われてる人は、いつもアレね、な感じで涼しく受け流してたのは、
認めるべき、と言ってる人が、「国際的に、自衛隊はセルフ ディフェンス フォース、
和訳すれば、自衛隊は軍隊であるとみなされている。」という指摘なので、
涼しく流されてしまってたのね?
で、俺は難しい話はわからないもんで、極々疑問を投げかけてみたら、
涼しい人が動揺してるので、へぇ~と思ったり。
一言二言でサラサラと返してたのに、だよ。
俺が、「すみません、私は何番書き込みの人とは別人なのですが、
自衛隊が軍隊でないと、国際的にマズイ自体が生じる、と、
党首討論で論戦していたのを見ていたのです。
一般人が殺人を犯したらただの殺人犯ですが、軍隊による殺人は、
国際法に依拠されるので、立場が公的に保証されたりとか、
仮に捕虜になっても、相手軍人を殺した場合は国際的な制裁を受けるであるとか、
これが軍人でなく捕虜になった場合、殺害されても国際的に問題にならず、
道義的な問題でしかなくなったり。
だから自衛隊は、軍隊であることが重要である、と、
自分の意見でなく、こんな話を聞いたことがありますよ、として。」と寄稿。
そしたら、さっきの涼しい上から目線がなくなって、
俺に返事をよこしてきて、俺は返信されたくて書いたのでなく、
あまりにフルボッコされてた人に見かねて、横から失礼しただけなのに。
「別に軍隊と規定しなくても、民兵は軍隊と認められています。
よって、わざわざ自衛隊を軍隊と明記する必要はないのです。」的な、
俺はその一文を残して、論戦に参加しなかったけどね、何を不毛な、
コイツは答えありきのためのロジックを繰り返してるだけなので、
話し合いの余地のない奴なのであって。
だって、「民兵」って単語、「~と認められる」って単語、おかしいよね。
これ、他称か?自称か?って話よ。

部屋の掃除をせねばならぬ。
夕飯をどうにかせねばならぬ。
風呂掃除はしたが、トイレ掃除はカビキラー出動案件で、気合いが必要なのである。
あ~~、好きな事して生きている人は、だいたい幸せだろう。
「苦労」を求めるのは、ひがみであり、その苦労を経ないと幸せになれない、
なっちゃいけないって事はないので、努力は強いる割には、その努力の結果は
保証されてないばかりか、未達だったら努力不足の指摘を受けたり、
他者からの評価の中で、こっちは生きてるわけじゃない、

つまり、世間一般でいう仕事、というののカラクリがわかってきた。
人間は、何もしてない事の方が稀で、何かしら活動しているものの、
それが一般的な仕事と評価されるかどうかの差は、実は、
ただの【雇用契約】が存在するか否かでしかないのではないか?
仮に、介護が必要な人が、身内に介護されてたら介護者にお金は発生してない。
他人に依頼しても、すごく親しい知人で、他意もなく懇意でしてくれていたなら、
それは仕事とは認定されない、しかし、【雇用契約書】なるものを締結すれば、
それは仕事であると、手のひら返しで認定されてしまうのだろ?
そんな程度じゃねーのか?
手料理に手間賃(手数料・技術料)は発生しないが、宅配サービスを利用したら、
結果的な料理、品目が全く同じであっても、そっちに関しては、
従事者が仕事であると認定されてる、どうやら作った人は雇用契約があるようだ、誰かと、
同じ事をしてるのに、って話よ?

病床で寝たきりになってる、現役の生物科学者は、研究ができなくなっても、
執筆だけはさいわいできるので、著書をいくつか出しているが、
世間一般の「仕事様」は、むしろ、それの編集者であったり、
印刷業者であったり、扉絵のデザイナーであったり、そっちが仕事様に認識されやすい。
ところが、これらの人は、著者のもたらしたものに、あやかっているに過ぎない。
よく聞く、「いくらいくらの経済効果、波及効果」的な、
ひとつ何かがあると、それに付随して経済が動く、的な、なんだこのうつろいやすいもの、
案外簡単なもの。
タクシーの運転手も、会社との雇用契約によって仕事と見なされている、
個人タクシーの運転手は、そもそも自分が事業主であり、雇用主も労働者も自分なので仕事、
じゃあ誰かと労働契約があるかと言うと、きっと、運送法だか知らないけど、
それによって公的な立場の保証を受けているのだろう。
それらに合致しないことは、仕事と認定されない、のだとしたら、
縁日でお金を稼いでる人たちはどうなんでしょう、ショバ代を集めてる人と雇用契約?
PTAなんて活動もあるけど、ボランティアとしか認定されないけど、仕事換算したらお金は発生する内容。
仕事イコール苦労なのだとしたら、やりたくない受験勉強をしてる人たちは、
勉強自体が仕事と言えるので、仕事を獲得するまでの準備期間として、
賃金が払われないのは理不尽な話しであるし、
勉強そのものが楽しい人たちにとっては、こんなに快楽的な行為でお金をもらっていいのか、とか、
…なんていうか、同じ単語を双方使いつつ、しかも、会話も成立してる風であるのに、
言ってる中身は全然違う事とか、ふんにゃららら。。。
 

考え方は、それぞれ、なのだろうか?

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 4月20日(木)23時35分0秒
返信・引用
  もしそうであるなら、地球ではなく宇宙が回ってると思っても、
それぞれの価値観なのだろうか。
事実と価値は同列に扱えない、という考え方もできるが、できないという考え方もできる、
こういういちいちが、『それぞれ』なのだろうか。

理由に論理性があり、美しいものはある。
しかし、前提が間違っていた場合の、今まで信じてた自分、美しいとさえ思ってた自分への
恥ずかしさったらないのである。

…ともかく、人は、どう考えるか、の計算方法をあまりに学校の義務教育でやっていない。
ディスカッション、とでも言ったらいいのか、ディベート、とでも言ったらいいのか、
俺は、それは、あまり美しくないと思う。
それが目的っておかしいからで、手段であるからだ。
例えば、就職活動での面接の練習、素性が優れていれば、それでいいだけの話しなのに、
受け答えなりの技術的な事を練習って、それじゃ『修飾活動』だ、とウマイ事を言ってみる。

昨晩からPCで焦っている事があり、極初級者の話ししかできないのですが、
「ドライバー」と言えばわかってくれる人向け。
グラフィックドライバーを最新にしたのですよ。
そしたら、PCでTVが見られなくなりまして、「不正な機器が接続されてる」と警告される。
つまり、TVには著作保護技術が組み込まれており、その認証を受けたハードしか
許されないのであり、俺のハードは、それらの認証を受けているから使えていた、のに、
ハードでなくソフトを更新したら不正と言われた。

これならまだいい。
グラフィックドライバーを更新した事が原因、とわかったのは、結構スゴイ、と思う。
原因がわからずじまいの事だってあるからだ、あまりに可能性がありすぎて。
なぜにわかったかというと、試しにドライバーをダウングレードさせてみたら
TVが再び、なんの問題もなく視聴できるようになったからだ。
という話しをすると、「そんな事はPCを使っていれば日常茶飯事。
ダウングレードとか、安定化版とか、当たり前。」と言われると、納得できない自分。
最新版であるからには、改良版、最適化版、であるから公開する、と解釈できる。
実験的版、であるなら、それはベータ版、などと言われたりするわけで、明確に差別化される。

俺が計算できない、というのは、これもまた。
優先順位として、グラフィックドライバーが優位性が高いと考える。
TVは、それを使わせてもらってるに過ぎない。
しかし、TV側にはTV側として、それを視聴させるドライバーがある、
ところが、これの更新は、半年前に止まっている。
最新のグラフィックドライバーが想定されていないのである。
より、さまざまな事を想定されたグラフィックドライバーなので、
最新版にしたいのに、足をひっぱる奴のせいで、古いドライバーを使わないといけない、
他の快適さを捨てて、TVが優先されてしまう、車の渋滞もまた、
運転技量のないドライバーが原因で、運転技量を有している人たちが、
遅い人が合わせないといけない、公平な社会とは、低い価値基準に甘んじないといけない、
世間一般で考える平均値、中間層にはならない、弱者に合わせるからだ、
すると、ポテンシャルがあっても、それを我慢する人が、全体的な成長を鈍らせる、
弱者は弱者だけど、そういう目線や、思いこまされる視点もまた、世の中によくないはず。

映像で、精鋭化するするのは簡単で、何もしないのがいい。
ところが、それは二次元的に見た場合であり、奥行きの概念が入ると、
限られた解像度では、色でごまかす技術が使われる、すると、
本来はあり得ないドットに、中間色のようなものを全ドットに参照をかけて、
演算量が膨大になるばかりか、ボヤケが生じる、
しかし、奥行きを考えると、シャープさはなくなるものの、不自然さはなくなるので、
「それは、それぞれの価値基準にゆだねるしかないが、
それでは、映画をみて、ドットの粗さが気になる事があるだろうか、ないのである。
理由は、アンチエイリアシングを映画は使っているのと同じ状態だからであり、
我々はその技術を開発している、しかしボヤケているという評価もまた正しく、
それが許されないなら、映画をどう考えてるのか、しかし、ボヤケは認める。
結局のところ、それぞれの価値基準、しかし、我々は開発を続ける。」

う~~ん、と思ってしまった、今回の書き込みをしようと思った時点の動機。
 

変遷(へんせん)。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月31日(金)18時32分18秒
返信・引用
  とある番組
(その回だけは興味深かったが、基本的に偏ってた、通しで放送内容履歴みたら。)で、

「生きるために働くのか、働くために生きるのか、わからなくなってからが人生。」

とある、その後の不幸が実際にあった人のつぶやきの紹介だったのでしょうか。
俺が仕事を辞めたいと言うと、母からは
「仕事は続けるものだろ。辞めるという発想が理解できない。働かなければ生きていけない。」
「はたらく、とは、傍(はた)を楽(らく)させるためにするもんだ。」等々、
さんざん言われたものです。
(※働かなければ生きていけない、という指摘なら、その文脈から、主語は自分なのですから、
傍(はた)を楽させるためにするもんだ、だと、第三者が主語になるので、整合性がありません。)
これに対する解は、「自分のためにも、他人のためにも」が仕事をする、という意味、
とすれば、矛盾は解消されるものの、『~する事が、働く、という事』という前提・定義には、
想像力が踏み込まれていないので、しかし、それを指摘しても、
「生きていけないだろ実際、生きるためには仕事しないと。」の堂々巡りで返される。

これは、なんていうか、また、非常に申し訳ないのだけど、わかる人にしかわからない、
「お前は何を言ってるんだ?」状態になる。
問1. 生きるために働くのか?
問2. 働くために生きるのか?

その自分への問いに、「わからなくなってからが人生」と、論理の飛躍で自答してしまってる。
また、文脈から、あるはずの問4が省略されてしまってると思うのだ。
問3.は、当然、「問1、問2に対してわからなくなってからが人生だろうか?」であるはず。
問4とは、『それらとは違う、別の解があると思うか?』が、
俺ならば、自問自答する時に浮かんでくる。
しかし、きっとこの言葉を残(遺)した人は、問4の設問を閉ざしてしまったようだ。
気づいていたけど、答えられないから、「それが人生」という事で自己納得しなければ、
身がもたず、しかし、もったのは、わずかであったので、やはりそれは、人生ではなかった。
人生ではなかった、とは、面倒くさいが、便宜上、ここでは言ってるだけ。
青春とは、人生とは、生きるとは、結婚とは、家庭とは、仕事とは、子育てとは、
老いとは、若さとは、…的な、「そこじゃないよ」というか。

ある仕事をしていて、とてもじゃないが心身がもたない、と、
自分では答えがわかっているのに、そこから別の選択肢を模索すると、
「今の自分から逃げてる、目の前の事から逃げてる」と言われた。
興味深いのである。
例えば、犬も歩けば棒にあたる、猿も木から落ちる、ということわざがあるが、
この両者に共通するのは、「物理的衝撃」である→前者は棒、後者は地面(想像するに)、
すると、これらは危険という事なのだから、【回避行動】がとられるべきと判断する。
(専門性に長けた人でも、失敗する事があるよ、ということわざなのは理解してる上で。)
何が言いたいのかというと、最近のクソみたいなニュースで「忖度(そんたく)」という
単語がたびたび存在するのだが、忖度とは、その行為を指しているにすぎず、
中身を考えさせない、その行為自体が悪行であるかのような“刷り込み(洗脳)”をしてくる。
同様に、「逃げる」とは、【回避行動】である、文字通り、「よけ」ている。
逃げる事が悪い事だと言うのなら、犬は棒に当たらないといけないし、
猿は、木から落下して地面に激突しなければ、批判の対象になるわけである。
こんな事は自〇志願者でもなければ、バカがする事である。
これは、努力、という単語にもつながっていて、努力はするもので、しない奴はダメな奴。

約10年くらい前だったと思うが、ニートという単語が認知されてきたころに
テレビ取材を受けた男性が、
「働いたら負けだと思ってる。」という言葉を発し、批判を受けまくっていました。
当時、この言葉を断罪してた人の発言で、「意味がわからない」と。
俺に言わせれば、『意味がわからない、と白状する事で相手を否定するのなら、
何を言っているのか理解した上で、内容を論理的に否定しなければ、
ただの、“理解できない自分が正解”、でしかない。否定にすらなってない。』

世間中が、彼の「働いたら負け」を理解不能であった頃、俺なりに意味が通じていた。
最近はブラック企業なんて単語が一般化したわけですが、
俗に言うなら、『足元を見られる』とでも言ったらいいのか、
「ここで仕事しなければ、キミの生活(人生とも訳せる)は存在し得ない。
有給休暇を取りたい気持ちはわかるが、今が決算期なのはわかってるよな?
追い込み時期なのはわかってるよな?」と、以前、俺は会社の上司に言われ、
これって、俺の足元を見ているから、この発想が出るわけだろう?
俺は休んで、タイ旅行に行きました♪
はい、帰ってきたら「キミの居場所はここにはもうないよ。」→では辞めま~す♪

ここには「理論」が必要なんだ。
辞めて困るのは、給料が貰えない事なのだとしたら、
給料が貰えないから、仕事を辞められないのか、
…という、最初に書いてた、「~から働くのか」の設問状態ですが、
仕事=人生ではないし、仕事=人生である、事もあるし、うまく言えてるかどうか。
そういう作業や、研究をしたい人にとっては、それを続ける事は、
その人の人生にとって有益である(快楽的に)、しかし、
同じ時間を使っても、お金が発生しない行為もあれば、発生する行為もある。
これらの違いは、「社会的信用」と「個人的価値観」が存在し、
「社会的信用」とは、『一般的に、価値があると認定されているもの』に、
沿っているかどうか、でしかないので、
「アイツ、金にもならないこと、なんで続けてるんだろうな。」→後に大発見、ノーベル賞、
なんて事になったら、「アイツ、実はすごかったんだな。」と、手のひら返しが始まる、
おっと、その時の侮辱の清算は済んでないぜ、ってところなのによ。
一般的でない事に価値がない、という評価には、【公共の福祉】という概念が含まれる。
俺は、そのタイに行った時に、物乞いをしてる人たちを何人か見た。
その人たちは、肢体不自由な人が多く、熱いアスファルトに生肌を擦り付けて、
お金を懇願していたのであるが、俺と彼・彼女たちとの違いなんて、
「一般的に“仕事”と認識される行為をしてるかどうか、の差しかなく、
お金を得ようという行為は同じじゃないか。紙一重だ。」と、なんのハードルの違いも感じず。
そんな行為が嫌だ、だから今の仕事をしてる、という人たちに聞きたいのが、
「ハローワークに行って仕事がないだって?それは仕事を選んでる、選り好みしてるからだ。」
とテンプレート的に言うのですけど、
おかしいなぁ、仕事を選ぶなって人が、自分の仕事は自分で選んだはずなのに、…なので、
「じゃあ、その仕事辞めて、別の仕事をしない理由はないわけだよね?」と聞こうものなら、
「今の仕事を辞める理由がないのに、なんで別の仕事をする必要があるのか」と言ってくる。
【理論】が理解できてない人には、この巧妙な返しで、“はぐらかされて”終わってしまう。
では、具体的に理論構築すると、
『やりたい仕事がない』→「仕事は選ばなければ他にもある」→
『俺の話しを聞いてないのか?仕事はあると言ってる。やりたい仕事がない、と言ってる。』
→「仕事しなければお金がもらえない、お金が貰えなければ生活できない、選り好みするな。」
→『なんで他人の人生に選り好みという価値観で介入するのだ?
それならば、キミの伴侶は、その人でなければいけない理由はないわけだよな?
こいつは驚きだ、なんて相手に失礼な奴なんだ、誰でもよかったんだな。
ちなみに子供が欲しいなら、閉経を迎えた女性では妊娠は望めないわけだけど、
選り好みを否定するなら、キミは後期高齢者との結婚をしない理由はないわけだな。
さらに言うなら、キミがもしそうだとしても、相手の都合があるわけだ。
選り好みしないで、お前を選んだ、と言われても、相手の都合があるって話だが。』
理論的にね、したい事と、実際にできる事と、その時点においては、とか、
なんていうか、これら、全体的な話しができなくても、あたかも賢いかのように、
振る舞えてしまう世の中というか、一般論に上手に乗っかってるだけで信用される、的な、
すると、さらに疑問が浮かぶんだ。

「野良イヌ」「野良ネコ」っているよな?
ペットじゃない、イヌやネコの事だよな?
どっちかというと、侮蔑がこもってるよね、「野良なんちゃら」という言い回し、
ホームレスくらいの。
ところが、「野良ガエル」とか「野良ドリ」とか「野良ザリガニ」とか言われない。
人間に介入される事なく、区画整理で住所登録される事もなく、
しかし別に、やせ細るでもなく、食べ物見つけて、生きている。
カエルも野鳥もザリガニも、誰からもバカにされてない、しかし、
「イヌ」や「ネコ」に限っては、主人がいないと、「野良」呼ばわりなのである。
…これは、強烈な上から目線の差別意識じゃないのだろうかな。
ウチは文鳥を飼っているけど、これが日本中の屋外で野生化していたら「野良」と呼ばれない。
しかし、野良文鳥は見た事がなく、もし、チュンチュンと人様にすり寄ってきたら
「おやおや、飼い主に捨てられたのかい。家なしかい。」→野良状態、という事になる。
ココな~~~んかが隠れてるよなぁ、、、ちと書き込み疲れてきたので面倒くさくなってきた。

で、どこが題名の変遷なのか、さっぱりわからない。
この題名で、すごく何かを言いたかった気持ちで書き始めただけで、
辿り着けないまま。。。
「おや?さっぱりわからない?わかってないのに批判するのはダメって言ってたよな?」と、
自己ツッコミである、と聞いて、ニヤけるバカでもないのかな、俺は。
わからない、とは、理解不能な対象への批判や否定にも使えるが、
単純な、自己完結の意味でのギブアップの場合にも言う、
さぁ、どっちの意味か確認だ、「わからない」と言われたら。


俺は、みかんを尊敬してるんだぁ~。。。
「この差か」と。
この差、とは、それより上に行く、例えば大学ですわ。
俺は、だいたいが、見出しを拾っては、自分で考えて、自分で答えを出してオシマイ。
ところが、みかんは、俺が見つけたものや、時間をかけて理解したものを、
瞬時に理解した後に、「その続きがあるのか」と、より発展的な解答や選択肢を見つける。
その速さに驚いたり、その先への探求(仕事としてでなく、苦痛でなく)が自然だったり、
そこまで知りたいと思わない俺の適当さに、呆れられたり、
そうかと思うと、そんなところは普通はやりすごす、ような事への執着心がなんなんだとか。

最近驚いたのが、算数の話し。
足し算は、足したらいい。
ひき算は、引いたらいい。
掛け算は、その掛ける数字がいくつか、の計算。
割り算は、その数字の中に、この数字がいくつ入るか、の計算。
…と、だいたい俺は考えていた。

それをみかんに話すと、「それで間違ってない」と言われた。
で、一番俺の中で厄介なのが割り算で、これは、数字の組み合わせ次第で、
簡単に解答不能に陥るから、それをみかんに聞くと、
「だから、ルートとか分数がある」と即答された。

ルートは、いまだによくわかってないから高校1年の1学期で挫折しており…。
では分数、これもよくわからないが、どうやら数式、とも見立てられるから困った。
例えば、2/3なら、2÷3とも言えるらしい。
しかし、本当に2÷3をやってしまうと、2÷3=0.66666666666666666.....という数字を吐き出す。
これはエラー状態としか俺には見えない。
これはおかしくないか、とみかんに聞くと、「確かにおかしい。だから2/3という分数がある。」
ぬぬぬ、なんて早いんだ、答えが。
「じゃあおくちゃん、2/3÷1/5は?」と聞かれ、
「ちょっと待って、計算の仕方はわかる。でも、割り算って言うのは、
そもそも、相手の数字の中に、この数字がいくつ含まれてるかの数字を答える計算と
理解してるんだ。だから、分数自体が割り算の数式になってるので、
【割り算を割り算する】って事になって、もうわけがわかんないんだけど。」
「それで合ってるやん。割り算を割り算で間違ってない。…そしたら?」

と、聞き返された時に、「あぁっ!!!」と、衝撃的に理解できて、
それを説明してみて、確かになぜにその計算式になるのかまで理解できた自分がいるのに、
……そう、もう忘れてしまってる、あの頃のボクはもういない。
なぜ、あれほど明確に理解できたのに、あの時のボクを今のボクは超えられない。
それがおくちゃんクオリティー。
1歩進んで、斜めに戻って、どこから来たか方角を見失う。。。
 

続けて投稿。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月29日(水)15時00分18秒
返信・引用
  …なんだよ、今から入金に行こうとしたら、ムカッとする記事をみつけてササッと追記だ。
そっとしといてくれよ。←オメーが反応しなきゃいいだけ。

米国籍と韓国籍のハーフなのに、日本名を名乗って日本人のフリをしてる女優が、
「日本の英語教育って、ABCDをエービーシーデーみたいに教えてて、
Dはデーなんて発音しないのにスペルがBとDが似ているからデーとか教えるなら、
発音くらいちゃんと教えたらどうなんですか」みたいなのが記事に載っており。
この手のお手軽記事はしょっちゅうあるわけですけど(ツイッターから引用するだけの)。

…この理論で言うと、俺も、そんな事を言われた記憶があり、オーストラリア人の大学生が、
学校に教育実習に来られた時に、日本語はてんで話せないのに、
なんだか英語で偉そうに、
「どうして日本人は(Why!ジャパニーズピーポー状態?)、
シドニーと発音するのですか?いいですか、『シッ(ドゥ)ニー』ですよ。
これを機会にちゃんと覚えてくださいね。」
みたいな事を、英語でペラペラ言ってて、言われてるこっちはなんとなく意味が通じてて、
ムカーっと思ってたものですよ、ここは田舎の学校でしたし、
流暢な英語も話せないので、反論しようにも、言われるがままで。

で、その理論で言うとだな、ここはジャパンじゃねーんだよ、『ニッポン』なんだよ。
東京も、TOKIOじゃねーんだよ、トーキョーでもねーんだよ、『トウキョウ』だよ。

そもそも発音と表現できる文字に制限がある、他言語同士では、
それに近いものとしての表記を、せざるを得ず、正しい発音を表現するからには、
その言語で使われる文字を直接読めるようになるしか方法がないわけだよね。
便宜上、という意味でね、その国の言葉が読めない人に
伝える手段として、正確性は下がるものの。

ちなみに、奈良には「大安寺」なんてお寺がありますが、
道路標識には「DAIANJI TEMPLE」と書かれていて、これじゃ、「大安寺 寺」じゃん。
大安っていう寺の名前なのに、だよ。
さらに、お茶という概念が、国によって違えば、
日本でお茶といえば緑茶だけど、わざわざGreen teaと言わないと紅茶の事と思われたり、
そもそも概念がない事に対しては、相手の国の単語をそのまま使うこともあるわけだし。

あ、また思い出した。
昔、セイン・カミュって人が、雑誌で、「僕はセイン・カミュじゃないんだよ」という見出し。
「日本人に、セインって呼ばれるんだけど、本当は●×なんだよ。」と、
これもまた、カタカナ表記による、発音制限に対するクレーム。
なんとかカタカナで書くなら、確か、「セ+テェイン」みたいな。
その理論で言うとだな、日本語を、ローマ字表記で発音したら、
全部正確な日本語発音になっているのか、という話しになってくるわけだよね?
確か違ったぞ。
簡単にデジタル検証できる方法として、音声読み上げソフトで、
英語バージョンのものを、ローマ字表記で発音されたら、
「そして」が、「スォスゥイテゥエ」みたいになっちゃう。
ローマ字表記なら、正しく日本語を発音できると思うなよ。
 

ふ~ん。(クレジットカード)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月29日(水)13時45分52秒
返信・引用
  俺はファックスを持った事がなく、持った事がない間に、
いつの間にか「今時の若者は、ファックスを知らないらしい」状態だし、
小室ファミリー全盛期時代に、小室氏が「まだカセットテープ使ってんの?MDでしょ。」
そのMDもまた、「今時の若者は、MDを知らないらしい」状態だし。
ケータイを持った事も、操作した事もない間に、いつの間にか「スマホ」だし、
みかんのを少し、ネット検索で借りてみたら、ケータイ時代の文字入力スキルが必要で、
「お」を出すためには、『あ』の文字の部分をタタタタタと5回押すみたいだけど、
これがなかなかうまくいかなくて、「え~と、次の文字がぁ…」と探してる内に、
勝手に確定されてしまい、「その文字じゃねぇ」と、いちいちバックスペースで消す面倒。
かなり早く入力しないといけないので、ふがぁっ、時代においていかれてるわぁ。

俺ってやつは、俺の記憶では、年賀状に、ファックスの事をツラツラと書き綴ってるような奴。
高校時代に、中学時代の、進学校に行った同級生に年賀状を送った時に、
「あけましておめでとうございます。」と、なぜか鯉の絵とチ〇ポの先っちょの下ネタの絵を
沿えて、「ところで、年賀状ってなんでしょうね。今時はファックスというものがあるので、
それで送信できれば、配達員が雨風をかいくぐって毎回配達する苦労も減るし、
そもそも、今送信したものが、瞬時に相手に届くので便利だと思うものの、
出力されるのは、相手のお宅にあるファックスの紙だったりするらしいので、
そうすると、紙って、物理的に消費されるものだから、相手が紙を準備してなかったら、
ダメなので、紙がもったいないよね、しかも紙代って相手が負担なわけだろうし。」

その年の内に、その同級生と会う事があり、
「おくちゃんらしいなぁ。ファックスの件読んだよ、俺もそう思うよ。」とか。
(つーか、年賀状だよね?なのですけど。)

で、今時ならメールで画面を通して、紙を介す事なく送受信が可能な時代なわけで。

ひぃ、クレジットカードの支払期日が迫っているのである。
はい、【あなたは、何を言いたいのかサッパリわからない】と、常々ネットや掲示板や、
とある大学附属病院で、【キミの話しは支離滅裂だ。親御さんに連絡とって入院手続きを。】
と、その場で即断で言われたり、たまんねーよ、まったく、俺の頭の中では繋がってる話しだ。

このクレジットカードのルールがわかりづらく、ネットで調べて、クセを理解したが、
それでも解説通りの動きになってないので、フロスと舌磨きを欠かしてない、
清潔な吐息が漏れてしまう。

今までだと、封筒で請求書が届いていたので、発送→到着、のタイムラグがあり、
「10日締め」だと言うのに、実際は23日に請求書が届いたりしており、
支払い期日は、翌月の2日なので、実質、1週間しか猶予がない事になり、
とあるデパートを歩いていて、確か、入会を勧めていやがったので、じかに質問してみた。
「すみません、今、問い合わせてみたのですが、“そういうもの”だそうです。」
だったら、今時なら、ネットがあるので、封筒をいちいち送られず、
その場で確認できたなら、オンライン決済をさせたなら、そのクレジットのシステム通りに、
10日締め(11日0時まで)になるのだろうかな、と、封筒での請求手続きを解約し、
オンライン決済にしてみたら、ちっとも変わらない。
サイトで確定が出るのは、10日以降(11日0時始まり)かと思ったら、
16日になっても、『16日現在、当社に請求が届いている内容です。』とか、
なんで10日で締めてねーんだよ、何をダラダラと開放してんだよ、
いつまで経っても締めないから、こっちは入金に行くに行けない。
購入した日付でクレジットカード会社に請求が入ればいいけど、
ほとんどのところは、その会社都合で、まとめて請求とかなので、
買った日付と請求日にタイムラグが生じてしまう。
だから、その日に買ったものを、こちらで全部把握しているのに、
実際にクレジットカードから引き落とされるお金との乖離が毎回発生し、
それならば、それを最小限に食い止める方法こそが、
クレジットカード会社の「締め日(10日)」なのに、
その日までに請求を送るのが間に合わない会社は、翌月に請求すればいいのに、
ダラダラと解放されてるから、こっちは入金に行くにいけず、

で、今月をみてくれよ、と。
3月10日が締め日のはずが、確定が出たのが19日だった。
(郵送での請求をやめたおかげで、数日は早くなったが、それでも遅い。
自動計算で済む話しだろ、システムの問題だろ、まさか手動の手入力じゃあるまいし。)
19日って、日曜日、じゃあ翌日は平日の月曜日なので入金に行けるかと思ったら、
月曜日は「春分の日」とやらでATMが休みだ。
まぁ、こちらの都合で、なかなか入金に行けず(遠いし寒いし車がないし、
しかも、硬貨が使えるのが平日の18時まで、という銀行側の都合があり、
俺は1桁まで確実に入金して、引き落とされたと同時に残高が0円になるように、
口座にもし不正アクセスされても、引き落とせるお金が全くない状態を保っており、
平日のしかも、18時までって、普通に会社勤めしていたら、間に合うわけがないのである。
ネットバンクを利用する手もあるが、手数料が発生し、これはバカでしょ、
スーパーで買うより数百円安いと嬉々と購入したものが、この手数料分で相殺か上回られたら。)

さて、では、4月2日が引き落とし日、という事は、事実上、4月1日までに入金せねば
ならない事を意味しており、引き落とし日に入金しても、銀行稼働と同時に
引き落としが始まるようなので、物理的に間に合わないから1日までに入金なのだが、
今度は4月2日が日曜日だ。
そういう時は、翌、平日の3日に引き落としがあるわけなのだが、
おいっ、入金リミットの4月1日は土曜日だ、ATM的に、手数料だの機能制限される、
平日外扱いだ。
だから、実質、3月31日が入金リミット(1円単位で入金するためには)であり、
引き落とし日は4月3日なのだから、2日間、こちらの猶予が削られてしまってる。
それどころか、10日締めの分際で、19日に確定してる時点で、
9日間も(実際は10日間。19日は日曜日、20日は国民の休日だったので)ロスしてる。

…ふがふが。

※ちなみにね?「格安スマホ」を理解できてる人って、すごいね、と思うよ。
そもそも格安スマホって何?でしょ。
スマホ本体が格安なのか、通話料が安いのか、基本料金が安いのか、
いったい何が格安なのか、格安と割安は違うのかとか、
キャリアって何?とか(ケータイ大手三社を指すらしい。ケータイなんだ、スマホ会社でなく)
MVNOを理解しないといけなかったり、→「モバイルバーチャルネットワークオペレーター」

要するに、通信・通話には「SIMカード」というものが使われているらしく、
その種類として、「音声対応SIM」と「(通話不可)SIM」があり、
その選択、購入をする事によって、格安スマホが使えるかというと、
そのSIMには、さらに「通常SIM」か「マイクロSIM」か、形状に種類があり、
しかも、スマホを自由に買えたり、買えなかったり(その通信会社専用品→俗にロック状態)、
では、SIMフリースマホを手に入れたら自由に使えるかと言ったら、
OSとして、アップル、アンドロイド、Windows 10、…って羅列したら、
すでに使ってる人からは失笑されるでしょうが、Windows 10の選択肢はまずないらしく、
しかし、こっちはPCを使っており、ファイルの扱いとの相性は、Windows 10が
もっともいいものの、そんなにiPhoneを持ってる奴が多いほど、
みんなのPCってアップル製ばかりだっけ?ギャップを感じるし、
そもそもPC使ってねーよ、スマホで十分、な人には、何も困ってる事もないだろうけど、
MVNOはMVNOで、例えばもともとauと契約してたら、OCN(docom回線)の販売してるSIMは
使えなかったり、じゃあau使ってた人がMVNOをメールアドレスと電話番号そのまま(MNP)に
と思ったら、au、つまりKDDI系列のMVNO会社、UQが販売してるSIMカードしか無理だったり、
そうかと思ったら、先日、ウチに来てもらった電力会社が別件で案内していったのが、
「ウチのは、docomoとau、どちらの回線でもイケます」って話をアピールしてたけど、
そうすると、ソフトバンクの回線が使えない理由がよくわからなかったり、
縛られる筋合いがないのに、制限を受けてる理由だよね、わからないのは。
「大人の事情(大人の情事だと全く違う意味になる)」、と言われると、
「そういうものか」と、社会を生きていくと、考えるとバカにされて、
すぐに答えを出す人が有能という評価になるので、世の中を簡単に、しかも効率的、
合理的にしたい、「理不尽はあるものよ。それが世の中よ。相手のせいにするヒマがあるなら」
とか、自分が変われ、的な、その理論で言うと、こっちの都合で相手が
変わらなくていい理由にはならないので、結局、反論されにくい人に、
言ってるだけじゃねーの、とか。


…ふがふがふがふが。。。。。
 

理想主義と現実主義。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月28日(火)22時27分56秒
返信・引用
  リベラルと保守、とか?

さぁ?耳に入ってくる、目に映る単語を並べてみただけ。

それと、「理性と本能」とかも。

ボクには、頭のいい人たちの考えている事がバカっぽく見えてしまい、
それよりよほど頭の悪い僕とのはざまで葛藤しています。

俺の感覚的な響きを言えば、
理想主義は夢見る人(可能性の探究)、現実主義は妥協的思考(確実性の集合体)、
なのかなと思うものの、俺の尊敬する人の言葉を借りると
「勝者と敗者、それは本当の勝ち負けの話しではなく、
また、どちらか一方だけの状態は、人生において稀である。」

例えば、本能としてエッチしたい時に、理性的にもエッチしたい、
と自分が判断している状態は、自己の中での意見は一致しているのである。

理想主義、現実主義、などと言うのは、それは、
「どちらか一方の状態というのは稀であり」という事なのだ。

結局のところ、学校の勉強というものは、歴史の年号の暗唱や、
英単語の暗記(どういう場面でそれを使うか、と文脈で覚えた方が理論的にも記憶に残るのに)、
10進法の記号としての数字の計算、やりくり、
さて、それらが社会で役に立っているのか、コミュニケーション能力、
問題に直面した時のうまい打開策、それらの一助になっているのか。

俺は、勉強はまるでダメだったが、覚えるのや理解するのが苦手だった代わりに、
必死に自分で考えている事だけは、内面的につねにしていた。

生きていると、さまざまな問題に直面するものの、それが問題と感じるのかどうかも、
それぞれの価値基準によって評価は変わるし、
何々だし、何々だし、という、いわば、葛藤を計算しつくせる能力が、
社会参加、生きていく(家での、外と接しない状況下であっても。何がいいのか、等。)上で、
物事を打開なり、納得を得やすい、結果的に、シアワセと感じる事ができる人が増える。

俺の日々の生活でも、買いたいものがあっても、お金がない、
仮にあっても、それに手を出したら俺は仕事をできていないので、次のお金が入らず、
減るだけなのでやはり手をつけられない、
しかし、「後悔先に立たず」ということわざがあるかと思うと、
「人生は、してしまった後悔より、しなかった後悔の方が…」的な、
でしょ? こういう、葛藤状態が簡単に発生し、
「え?何を悩んでるの?結局、自分が本当はどれをしたいかだけじゃん。」
かと思うと、本当に自分がしたかった事をしても、
実は、その時点ではそうだったかもしれないけど、やっぱりそれは答えではなかった、
では、「後悔先に立たず」かというと、後悔呼ばわりされるほどの失敗ではなく、
なんとなく、しかし、確実に求めてるものと違っていたり、
~からの、何を決断するか、決定するか、選択するか、振る舞うか、
の計算、こういうの、なんで学校で勉強させないかね。
算数、数学の勉強はさせるのに。

すっごく困ってるんだぜ、頭が悪くて。

で、こういう困った、困った、という人に、怪しく甘いささやきや、辛辣な意見がやってくる、
という状況下への対処法もまた、計算すべき問題なのです、
ん、あんまり、もう言わない、教えない。
 

はぁ~。ちゃちゃっと独り言。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月28日(火)21時03分27秒
返信・引用
  下の書き込みでも誤変換が多いなぁ。

今日はお昼にホットケーキを焼いて(メイプルとバターとオリーブ)、2枚食べたところで便意。
ウンコっつーのは、我慢に我慢をしたところで一気に放出するのが気持ちいい。
(みたいな書き方をすると、いつもそんな食事と思われるのも、一種の思い込み・レッテル
普段はきな粉牛乳とか、残ってるお菓子とか、夕飯を幸い作れた時だけその残りとか。)
ホットケーキの問題ではなく、便意をノックしたのは沢山食べたから押し出されたのでしょ。
そしたら、自分でもビックリするほど大量のソフトクリームで、
当然水洗トイレなのですが、水が見えなくなりました。
恐る恐る、「ドジャーッ」と便を流すと、流れる水圧よりも、
粘性の高い大量の便が抵抗を始めて、流した分の水が、もう少しで便器から溢れそうになって
慌てた慌てた…。


よくよく話せば、俺は心を開かれる事が実は多い。
俺と『初見』だと、だいたい相手を怒らせる。

最近だと、洗濯機が壊れて、(この経緯だけで4~5回の全部の経緯があっての膨大な前提)
その修理に来てくれた人とのやり取りで、またモメて、
しかし、俺はサイコパス(サイコパスとは、一切の感情なく、損得のみで判断できる人)
『ではない』ので、感情豊かに、しかし、「おかしくない?」という事を理詰めで考えて、
それを相手に聞いてみたり、ちょっと関係ない話をしたり、本当に困ってるぞという
今回の件とは直接関係ないけど、その機械のウィークポイントを発見し、
実際、それで困らせられてる事とか、今までの経緯の話しとか、
う~~~ん、、、、一生懸命、こうやって説明すればするほど、俺の人物像が
違ってしまうんだろうな。

この洗濯機の件の結論から言えば、元々の修理見積もりが23,000円だったのだけど、
俺が、洗濯機の構造的な話しや、実際に別の箇所で、困ってる事とか、
その場その場、の話しをしつつも、全体的な修理の流れの確認とか、
うまく言えないなぁ、
相手の言葉を借りると、俺が言ってる話しの補足になるのかならないのか、
「そこまでご存じでしたら、こちらも、本当の事言いますわ」→と、ぶっちゃけトーク。
…からの、最終的には10,000円で済みました。
誤解されたくないのは、俺は、少し値引きして、的な、一言もいっておらず、
「結局、ウチの方で日々のメンテナンスできるところって、糸くずフィルターか、
乾燥フィルターの二箇所しかないわけで、それ以外の場所で本体を分解されて、
『こんなに汚れがたまってましたわ』と、前の修理に来た人に見せつけられて、
こっちに罪悪感抱かせるためなのか、そんなの見せられて、自分たちの汚れ見せられて、
恥ずかしいだけでなく、こっちでメンテナンスできない場所での汚れを見せられて、
どうしたらいいというのか、ドラムのダンパーが2本ある事を説明書で見てましたけど、
上のドラムは本当にコレだけで支えられるのかみたいな、細いパネ1本、
別件ですけど、バネって、伸び縮みならわかりますけど、折れたんですから、
バネが折れちゃダメでしょ、と。せめて外れたなら、最悪、あってもダメですけど、
それでも折れるのだけは部品としての強度の問題だし、本体にヒビが入ってるのも心配、
ですけど、何かのカバー的なものなのかぁ、と特段報告してませんでしたけど、
普通に使ってるだけでクラック(ヒビ)が入ってるから、一応問題ないか確認してもらおうと、
それと、洗濯前に洗濯機が自動計量するわけですけど、
これが濡れた衣類を入れると『洗濯物の量が多すぎて洗えません。』と警告言われ洗えない、
いやいやいや、洗濯物、多くねぇから、濡れてるだけだから、と、
勝手に水の重さで誤判定されて、すっごく融通利かないんですよね。」

みたいな、日々感じている、世間話です。

相手のぶっちゃけ話しは、ここではシークレット。
公式見解でなく、本当はどう思ってるのかの話しを、されたので。
で、そんな会話を重ねているうちに、「10,560円で、…なんとかやらせてもらいますわ。」
何もお願いしてないし、価格交渉もしてない、言い換えると、
俺に一切の落ち度がない事を、外堀を固めたし、話しと機械の現状に合理性も確認されたので、
そんな話になり、最後に作業も終わり、
「えっと、40円ありますか、、ちょっと、ちょうどがなくて、10,600円なんでけど。」
「あっ、もういいですわ。10,000円ちょうどで。」

みたいな事や、
つい先日は電力会社に、ウチは100%、石油ストーブ、しかもファンヒーターですらないのに、
な~んで10,000円近い電気料金が請求されるのか、エアコンも使ってないのに、
夏場ならそのくらいの請求はそうだと思うけど、なんでかぁ、を調べてもらいに。
しかし、これまた俺という人が、まるで「難癖・イチャモン・クレーマー」かのように、
3人で乗り込んできて、俺が理性的に説明をして、ここでもぶっちゃけトークになり、
「正直に言います。本当は何かしらの電化製品で暖をとられてるのだろうと思ってましたし、
電気代が高いと連絡されてくるお客さんの多くが、実際にそうだったもので、
ご主人さん(俺の事)のとこも、そうなんだろうなという心づもりで伺ったのが正直なところで」
「クレーマーじゃないですよぉ?」
「わかります。よぉくわかります。お話しを伺って、キチンとされてる。」

先に書いた洗濯機の修理部門の人も、
だいたいこの手の修理依頼だと、洗濯機の使い方、扱い方に問題があり、
「どうせそういう、イレギュラーな使い方なんだろうなと。でも
7年使っていただいてる洗濯機とは思えないほど、すごくきれいにされてる、
やるべき事はやっていただいてる。」
 

的確な回答が得られてうれしかった。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月24日(金)21時46分47秒
返信・引用
  俺が、何かわからない事があって、「メーカー問い合わせ」をすると、
俺の聞きたい事、主旨・論旨、が、全く伝わらず、
そうでない、“責任回避”の、スベスベの、誰にそれを言っても当てはまるような、
例えば、朝のニュースの最後の「運勢」みたいな、別に何月生まれに言っても、
それが当てはまるかのような、つまり、「はずれない」事が確定してるのを、
月ごとに割り振ってるだけから、さも、確かに当たったかのような、というかなんというか。

とてもうれしかった、というか、これが普通だろ、と思う回答を今から、
なかなか、ないもので、紹介します、が、その前に、
主旨・論旨が噛み合わない時の、不毛なやり取りになった、実際の俺の事例を
先に紹介。

問い合わせも終盤で、いよいよ「これでご納得いただけないんであれば、別の部署に」
これは「クレーマー扱い」を受けてて(質問の主旨が理解できてない事に指摘してるのに)、
別の部署というのが、クレーマー専門の対応部署と直感したので、
先にクサビを入れて、「今まで問い合わせて、その回答が出せないとあなたは
さんざんおっしゃっていたのに、その別の部署とやらに電話をつないでくれれば、
速やかに回答が得られるわけなんですか?正確にお答えしないといけないので、
を、何度も何度も繰り返し、一般論の話しでも構わないので、と、僕は、
手っ取り早く要点だけ聞きたいと言っているし、譲歩もしてるのに、
と、何を言っても、合いの手のタイミングで、「申し訳ありません。お答えできません。」
を繰り返し、何度それ聞かされるわけですか。その「申し訳ありません。お答えできません」
と聞かされる回数と時間の分だけ、知りたい事を調べるために使っていれば、
少しでも話しが早く終わるのに。」
「申し訳ございません。お答えする事ができません。」
「それを聞きたくない、と何度言っても繰り返すのは、まるでフローチャート的で、
自分で考えてないだけじゃない。」
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」←キレ気味でフザケてる。

数時間後→
「なぜフットレストを覆うフロアマットのカット形状ではないのか、との問い合わせでしたが
そのような使い方をする人が近年減っているため、そのようになっております。」
「しかし、僕が指摘した通り、フットレスト自体の存在は認めるわけですね?」
「はい、さようでございます。」
だったら…、と論破したくなるものの、コイツとは不毛なのが確定してるので、
結局言いくるめられる状態で、歯がゆいもので、わかるまで食い下がるのは、
これが学生であったなら、物事を理解するまであきらめない、
なんて熱心な学生だ、くらい、評価されようものを、だよ。でしょ。
「次に、停止状態から何秒で時速100kmに達するか、との事ですが、
申し訳ありません、走行条件にもよりますので、正確に何秒という事はできません。」
「一般論で構わないと、こちらは何度も聞いてたわけですが。」
「申し訳ございません。正確にご回答申し上げなければ、
お客様のご迷惑となりかねませんので、お答えすることができません。」
「一般論の回答で構わないと言ってる事に対して、正確性を盾に、
何度も回答拒否をされてる事、『申し訳ありません。お答えできません』
を何度も何度何度も聞かされてる事が、僕は不毛で望んでないと伝えてるわけですが、
その迷惑はかけてもいいわけなのですか。」
「申し訳ありません。ご期待に沿えず、申し訳ございません。」
「そうですか。ちなみに、僕が調べたところでは、8.5秒で100kmに達してたんですよ。
もちろん走行条件にもよるでしょう、しかし、一般論として、目安を聞いているのに、
正確性を盾に答える事を事実上拒否し続けてましたね。
それならば、あなたを論破しましょうか。
走行条件が異なるから答えられない、という公式回答との事なのでが、
あなたの会社は、CMで、御社のスポーツカーとの加速比較をし、
スポーツカーよりも加速が優れている事を、公に向けて流してるわけじゃないですか。
あれは、公式に、スポーツカーを追い抜いた、という状態なのですから、
逆に言えば、あれは公式見解としての加速性能を公認してると言えるわけで、
僕からみれば、あのCMこそが、『一般的に』であり『走行条件により』に該当します、
すると、それを理由に回答を拒否し続けていたのに、これら、
条件次第で結果が異なるかもしれない事に対して、CMは流している、しかも公式に。
何を言って、何を指摘されているかわかりますよね?」

……みたいなさ、俺が問い合わせると、こんな感じばっかりで、
ほんの知りたいだけの事が、すっっっごく、遠いの、マジで疲れる。
どんだけ発現の責任持ちたくないのよ、ってくらい。

で、ここからが、感動するほどの、少しは他も見習えってくらい、
俺的に100点満点の回答がきたので、俺の問い合わせ内容と併せて読まれたい。
こういう回答をされると、おくちゃんは喜ぶ、という事例。

まず、俺の質問内容から。
問い合わせ先がメールのみだったので、メールで。
PCのHDDについて。
---------------------------------
件名 「HDDケース仕様で、購入前問い合わせです。」

2.5インチ(型番 *****)
3.5インチ(型番 *****)

上記製品で、一定時間経過後に、省電力のための、
自動電源オフ機能はついてますか?
(完全にHDDが回転停止する、という意味)
Windows 10の電源管理では、
SATA接続のHDDでは、設定時間を経過後に
HDDの電源オフを設定できますが、
USB接続のHDDの場合、管理外なので、
外付けHDD側で、自動停止してもらう必要がある為。
例えば、ウェスタンデジタル製の
USB接続ポータブルHDDの場合、
一定時間アクセスがないと、自動で
回転停止しているので、とても助かるため。

この機能がついていれば、購入検討したいため、
事前に問い合わせです。
-------------------------------------

回答の前に、この質問の意図を少し説明すると、
「HDD完全停止」と、わざわざ書いてる理由がある。
HDDには、一定時間アクセスがなければ、若干の休息状態に入り、
しかし、ディスク自体は回転し続けているのである。
なので、上記の最初のやりとりしたような奴だったら、
そこらの想像力もなく、「停止状態になりますか?」とでも聞いたら、
この休息状態の事を、面倒くさく勘違いされそうだったので、
完全に回転が停止する、という意味と、わざわざ具体的に。

という、警戒、逃げ道作られるのを対策していたが、こんなに的確な回答がきた。

--------------------------------
奥村様

商品についてお問い合わせいただきありがとうございます。
株式会社●●の〇×と申します。

2.5インチ(型番 *****)
3.5インチ(型番 *****)
上記2点の製品に自動電源オフ機能は搭載されております。
弊社でテスト確認済でございます。

商品のご検討のほど、宜しくお願い申し上げます。
---------------------------------

これなんだよ!
これだけの事なんだよ、俺が聞きたいのは。
責任回避、が乗っかると、この回答は出てこなかったはず。
しかし、「弊社で確認済み」よくぞ、名言してくれた、よっし、これなら安心して買える、
想定内の機械的な検証はなされている、という事。
「何かがあった時に、あの時こういったじゃない、と言わせないために、
正確な回答しかだせない、の繰り返しは、どれだけの時間的な労力と無駄を
問い合わせてる人に対して、迷惑をかけているのか、それこそが、
『申し訳ありません』であるべきであるし、俺は、
申し訳ありません、と言われたくない、と何度も何度も言っている、
その単語を発話してるヒマがあるなら、聞いている事に真摯に答えろ、
何が正確性だ、無責任な事は言えないとか、
バカなので、俺に論破されてるけど、会社としてはツッコまれたくないので、
正確性、という事にして、合理的に、なんで、と俺が思ってる事は、
イタイところを突かれてました、認めます、でもよかったわけよ。
それは認められないで、俺がクレーマーかのようにフザケた繰り返しであしらっていれば、
勝手に俺がキレて、キレられた方が対策しやすいかのように仕向けてたの、バレてるからね?」

100点の回答、と書いたけど、俺の言葉足らずを、文脈から補ってもらえたら
発展的100点であった。
自動停止機能がある事を確認できた、これが最も聞きたかった、しかし、では、
「アクセスがない状態が何分続くと、自動停止する仕様になっております。」くらいの、
もっと踏み込んだところが説明であると、24時間後に自動停止しても、
自動停止の機能はある、と言えてしまうので、そんなイジワル仕様でないだろうものの、
という事なのです。
 

とはいえ、時計は今でも苦労してる。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月17日(金)19時12分32秒
返信・引用
  パスタのゆで時間、今は何分なので、その6分後、という計算が、とてもしにくい。

暗算がしこたま苦手なのだ。
どういう事かというと、41-17を暗算しようとすると、俺の頭の中では、こんな事になっている。
41から7を引く事ができず、いったん40にして、1は使ってるから残りの6を引けば34、
そこから10の位の1を34から引けば24、24+17で41になった、24かな、答えは。
 

鼻についた、「1+1=2」が理解できない話し。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月17日(金)18時48分28秒
返信・引用
  小学生の時に「1+1=2」が理解できなくて、強迫神経症になった、
読み解けば『本人の自慢話』な漫画が沢山の関心を得ているのだとか。
1という意味もわからないのに、それを合わせると2になる、というのが理解できなかった、と。
家に帰れば「リンゴが1個とリンゴが1個、合わせて2個」と親に怒られながら教えられ、
「リンゴはいくつあってもリンゴだ。どうして2なんだ。」という事が重なったらしい。

まぁ、本当にわかってない俺からみると、コノ漫画家は、わかってる。
単語に「いくつ」という概念が出ているな。
いくつあってもリンゴ、という説明をしてるからには、個数の概念が存在している。
そんなウソは逃がしません。
わからなさっぷりで、俺は負けない。

誰にも教わる事なく、『ゼロ』の発見を難産の末に独自解釈で辿り着いた俺は、
学生時代に理解できなかった数字の意味の基本がわかるようになった。
それまでは、例えばファイルの整理の仕方も間違えてた。
1~10までが10個ひとかたまり、次は11~20までが10個ひとかたまり、次は21~30までが……
などとナンバリングしていくと、「20は、21~30までのかたまりには属さないの?」と
頭が大混乱。20と言っているのに、分類的には11~20までの側らしい、と、ますます混乱。

その漫画家の女性は賢くキレイに体験談をまとめていて、とても鼻につきました。
連れてこられた恐らく、構図的には、小児心療内科っぽいところ、
そこの先生から「今から話す事は忘れてくれてもいいんだよ。
みんな1+1がなんで2になるかなんて、わかったつもりで通り過ぎてるだけ。
誰々さんはそこに気づいて、とても頭がいいんだよ。」みたいな。

…前にも書いたけど、面積の問題さ。
タテ×ヨコ=〇平方センチメートル、1×1=1平方センチメートルとは、『正方形』と別名。
「だったら先生、2平方センチメートルは、何×何をしたら2平方センチメートルですか?」
と質問したら、『1×2をすれば、2平方センチメートルになるよね?』
…でも、俺が見せられた図形は、別名『長方形』と呼ばれるもの。
そうじゃなくて、2平方センチメートルの面積の『正方形』というものの掛け算ってなんだろ、
って、これは小学校4年生の時の挫折です。

ゼロの概念が、この40歳になってから、少しは理解できるようにった俺なら、
1+1が、なぜ2になるのか、もし自分の子供が、そこでひっかかる事があったら、
教えられるかもしれない。
大人向けに説明するなら、1とは、便宜上、10進数という概念の記号化された呼び方で、
0~9の10通りの組み合わせ(「10までじゃなくて?」だとゼロが理解できてない段階の俺)。
それは、物であったり、長さであったり、時間であったり、を表現するもの。
では、1+1がわからない事が実は深く理解できてるなどという自慢になるなら、
俺としては、4+5=1ですよね?
「9じゃん」と即答できたなら、なんで9なのかを説明できるのだろうか。
4+5は、間違いなく9なのだけど、リンゴが4個、リンゴが5個、合わせて9個、
ここにゼロの概念がないと、反射的な解答になってしまう。
リンゴが1個とは、『ボリューム』の事なのである。
つまり、「0~1」のボリュームによって構成された物体である。
では、リンゴが2個とは、どういう【状況】なのかが、俺には反射的で覚えたため、
後々、40年近くにわたって、数字に混乱させられた。
じゃあ、0から数えるというなら、「0~2」がリンゴ2個なんでしょ、…だと正解だけど混乱。
リンゴ1個が、いくつ存在するのか、という問いかけなのだから、
リンゴ1個、という「0~1」の構成物が、いくつあるのか、を理論的に問われているのであり、
リンゴが2個ある状態とは、「0~1」+「0~1」として存在。
10進法なのだから、ボリュームがふたつあるため、0から換算すると、0,1,2…
の2番目の数字(便宜上の記号)が該当するため、2である。

続いて、では、ここにリンゴが2個あります、ここにリンゴを1個足します、
全部でいくつですか。そう、3個、と答えたいのですが、俺みたいな、
ゼロの概念がよくわかってなかった人だと、その意味が理解できてないけど、
額面上は正解の3個と答える事ができてしまう、しかし、理由はちゃんと説明できない状態。
まず、リンゴが2個とは、“独立した存在”として1個ずつ、が2つ、という意味であり、
俺が何を当たり前な事を言っているのか、と思ってる人は、ゼロの概念が理解できてるわけで。


日常会話で、ゼロの概念に自力で到達した俺でも、いまだに、その、
ゼロの概念がわかってなかった頃の自分に騙される、引きずり込まれそうになる。
例えば、すっごくわかり易い日常会話を紹介します。

「今日って、17日か。今日も含めて、あと3日後に、そしたらまた連絡するって事で。」

んんんっ!?????
で、当たり前に、
「了解です。今日も含めて3日後って事で。」

この会話は、いったい何日の事を指しているとかと言うと、
どうやら『19日』の事らしいのだ。
すごく面倒くさい言い回しになるけど、リンゴが2個からスタートして考えるから、
数字がわからなくなる。
17日という額面上の数字から考えるから、今日も含めて3日後、などという、
文章的に、算数の説明になってない会話が成立してしまう。
何が言いたいのかというと、「ゼロの概念」の登場なのである。
これがないと、本当に、この世の中のなにひとつ、正確に言い表せない、俺は。

では、もっとストレートに
「今日は17日だから、3日後に連絡するって事で。」だと何日を言っているかというと、
誰もが当たり前に「20日」と即答できてしまう。
しかし、それを聞いても、ゼロがわかってない俺は、「なんで?どうして?」と混乱。
否定してのなんで、どうして、でなく、本当に理解ができなくての、なんで、どうして。

そんな、混乱してた俺に、今の俺が伝えたい。
「17」という数字に惑わされるな、17日とは、あくまで、「3日後」とされたための、
「基点」にすぎない、つまり、ここの会話での17日とは『ボリューム』の事でなく、
考えるための基点、つまり、それは『ポイント』の事であり、それが【ゼロ】である。
先の、「今日も含めて3日後」などという表現は、文章として、とてもひっかかる。

この、17日とは、いったいなんなのか、という事が、
先ほどの漫画家が、「1がそもそもわからない」というのと、俺も被る部分。
前日の16日は、PM11:59までで、17日は、AM0:00~なのではなく、
「ゼロの概念」とは、あくまで、そこを指し示すものなので、
何もない、カラッポという意味でなく、表現なのだ。
なので、前日の16日は、AM0:00~翌AM0:00までで、【1】なのである、1日間(ボリューム)。
なんで0:00と0:00が被ってんだよ、と思った人は、なんの苦労もしてなくても、
よくぞここまで、なんの疑問も持たずに生きてこられたものだな、と。
ゼロとは、始まりの事であり、終わりの事である、「そこ」を指し示す概念なので。
リンゴが2個とは、「0~1」+「0~1」が存在してる状態と言ったが、
では、これを数直線で表すと、「0_1_2」となる。始まりと終わりが一緒がゼロ、という意味は、
「0~1」と「0~1」が存在してる状態が2個と言うなら、
数直線では、「0_1_0_1」じゃないのか?という疑問になると、ゼロの概念が存在していない。
「0_1_2」というものを目の当たりにすると、まるで数字は3つもある。
リンゴは3個なのか本当は、などと、数字に惑わされてくる。
しかし、アンダーバーに着目すると、2つである。
その理由は、リンゴ1個(0~1)の、次のリンゴが開始される、「1~2」の1とは、実は1でなく、
『ゼロ』なのである。
「0_1_0_1」という状態こそが、ゼロの概念が理解できていない状態で、
この間違いを理論的に説明すると、このままだとリンゴが3個存在してしまう事になる。
アンダーバーの数も3つ。
なぜに間違ったのかというと、0~1の、次に移る時に、1を1として考えてしまったので、
『ボリュームとして重複してしまっている』からである。
ゼロとは、基点であり、始点と終点の事なので、始点と終点が重複しているものの、
ボリュームとして重複しているのではなく、あくまでそこを指し示しているだけの、
ポイントとしての重複なので、ボリュームの事ではないのだ。
だから、俺は頭が混乱するのだ。

今日は17日。
「次は1週間後に連絡ね。今日は金曜日だね。」
では、その連絡日はいつの事を言っているのだろうか。
恐らく、誰もが即答できてしまうのが、「そんなもん、来週の金曜日だろ、24日の。」
とすると、最初の会話の
『今日も含めて』という言い回し、アレについては、どうなっているのだろう。
「17日(金)。今日も含めて、一週間後(7日後)ね。」と言われたら、それはいつ?
俺はいまだに難しいけど、それは6日後の23日(木)になってしまうのよ、理論的に正確に。
この紛らわしさは、「今」という時点は、17日という1日間(ボリューム)の中の時点におり、
今が17日のPM18:00時なら、『16日間終わり(終点)=17日間開始時点(始点)の、
17日終わり(終点)=18日間の開始時点(始点)からの~』の中の、1日間、
というボリュームの中にいる。
つまり、今日が17日としてすでに開始され、その範疇にいるのであれば、
ボリュームとして17日を考える場面でなく、あと何日後か、が問われてる場面なので、
今、この17日内での会話においては、ここは基点、始点、ゼロ、となる時点なので
17日はボリュームではない、ゼロ(点)なのである、だから今日はカウントしないで、
もし、明日に用事があるなら、「今日も含めて2日後に連絡」などという言い方でなく、
1日後、明日、という言い方で十分になる。
なぜなら、17日のPM18:00(ゼロ)→からの1日後なので、18日のPM18:00がそれにあたり、
数字にするともっと簡単で、17日が0なのだから、18日とは、
「0(17日時点)~1(18日時点)」 →『0~1』というシンプルなものになる。

この複雑さ(理解すれば当たり前なのですが)のせいで、数字のもつ意味が、
時間の事なのか、時点の事なのか、という事なので、見た目の記号化された数字には、
それほど意味はなく、文脈の中で、数字は理解されるものとして、便宜上利用されている、
なので、「1+1=2」になる理由を理解するためには、記号や文字では、あまり意味を成さず、
その中にある理論を理解する必要がある。
だから、それが理解できていないと、ホウキ+ホウキ→ホウキが2つとはならず、
ホウキが増えた、という状況でしかなくなってしまう。
増えてるってなんだろう、なんで目の前にホウキが増えているんだろう、そこに着眼すれば、
物事や世の中を、もっと深く考えられるようになると思うのだ。

by 小学校三年生の割り算から算数の挫折が始まった、おくちゃんより。
さらに言うなら、おはじきと一緒に勉強道具で渡された手回し式のアナログ時計。
回転されると長い針と短い針が連動して動くのだけど、これをどう理解していいのか、
全くわかってないまま、針が動いてる、う~ん、それで、何をどう理解していいか、と、
批判でなくて、本当に、、、俺、高校に入ってからも、同級生から、
「おくちゃん、あっ、時計してんのか、今何時かなぁ?」と、通常会話を振られたのだけど、
俺は、アナログの腕時計の文字盤を見て、「えーっと…えーっと。。。う~んと…」
と、何を困ってるのか不思議に思った彼が文字盤と俺の顔を見て、
「あっ…サンキュー(何かを察した顔)」。

はぁ。。。。傷つくよ、理解できてないとわかってる自分と、
時計が読めない人だと、察して、苦笑いで、傷つけないように、過ぎていく彼の配慮に…。

おくちゃんは、時計を読めない人だったんですよ。
過去形で話してるのは、そういう事なんですけど。
 

思い出したぁ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月15日(水)16時00分44秒
返信・引用
  「有給休暇」論。

日本では取得しづらい雰囲気がある、それを醸し出してる犯人は誰だ、的な、
結局ニュース記事だった。

この記事に対して、多くの賛同を得ていたコメントに、首を傾げてしまったのだった。
「消化できなかった有給休暇は、会社に買い取り義務を課せばいいのに。」のコメント。
これが多くの人の「いいね」投票がされてる。

バ・カ・な・の・か・?

最近の電通の、なんちゃらまつりさんの過労死自殺ですが、
休暇の目的は、文字通り心身の安寧回復・静養なのであり、
「休暇とれなかった分は、買い取り制度」だと、休息を義務付けられているのに
(ベストコンディションの維持、モチベーション、切り替え、
もしくは、単純に趣味・余暇・仕事が自分の人生の最優先事項・忌引き、
マジで体調悪いけど、欠勤扱いはシャクなので、有給で。
しかし、体調不良で寝込んでの有給休暇だと、翌日には出勤できるくらいの
神がかった回復力が要求されたり、それがプレッシャーになって静養できなかったり)、
なんか違うのよね、と。

そもそも、「有給休暇」とは、ふたつの考え方が俺はできまして、
これこそが、『ベーシックインカム』状態を、現在進行形で身近に体験できるのであり、
余暇で休もうが、忌引きで休もうが、体調不良で休もうが、
有給休暇を使用したとカウントされてしまうと、いつ、何があるかわからないために、
なるべく取得しないでとっておく、結果的に取得しないで第四四半期を迎えてしまった、的な、
その繰り返しになるのは、制度的に欠陥を抱えていて、
俺なりのひとつの解として、その人に課す「仕事・課題」を、
トータル的に企業として要求する拘束時間の数十パーセントにすれば、
その人が休んでも、代わりの人を探さないと、とか、休んだら迷惑、とか、
どういう職種か、は置いておいて、思考過程としての話しを今、しているわけで、
すると、例えば、俺が以前勤務していた、「完全歩合給」の仕事だと、
課せられた課題さえ達成すれば、後はその月は何をしててもいい、
もっと目標を伸ばして、給料に反映させてもいいし、みんなが苦労してるところを、
すでに達成済みなので、自分の時間を潤わせたり、何も年末年始・お盆・GWに限らず、
平日の割安な航空便やホテルや、なんていうか…。
 

首が45度。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月15日(水)15時40分44秒
返信・引用
  最近、首をかしげるニュースがいくつか連続したので、何にひっかかったのか、な。
あ、ちなみに、しばしばYouTubeで動画が削除されてる理由に「権利者からの申し立てにより」
と、投稿主に確認もなく、な事がありますが、これに反論していた人が正し行ければ、
この行為は言論弾圧です。

『著作権は、あくまで2次利用の事を法律は定義しているので、、
【検証のための引用】については、著作権は及ばない』
というもの。
これは理論的に正しいと俺も考えます。
なぜなら、当然ですが、「言論の自由」が憲法で保障されているので、
相手が確かに述べた言質に対して、それを聞くなり読んだ人が、問題があると感じた場合、
もし引用文に【著作権】を適用されてしまうと、
それを述べた人に許諾を得なければならず、「それはダメだ」と言われたら、
検証を、権利者によって封じ込められてしまうのであり、
それ、言論の自由と矛盾するわけで。


●「小池都知事は論理破綻してる」by 橋下徹
「豊洲移転問題」とかいうもの、詳細はわからないし、単語だけはよく聞く。
大ざっぱには理解してるつもり。
橋下氏がかみついたのは、
「今の築地市場がコンクリートでできているから安全というなら、
環境基準値を超えたベンゼンが検出された豊洲が危険というのは、
コンクリートで作られている豊洲市場も安全という事を言っているので、
論理破綻している」みたいな事だったかな、と。

これは、橋下氏のロジックが正解。
しかし、これは、ただ、小池氏の「その言質」を論破したにすぎず、
こういう感じで「そうだそうだ!橋下さんカッコイイ」という流れが、まんまとプロパガンダ。
そもそも、橋下氏自身は、コンクリートなら安全とは言っておらず、疑わしいとも言ってない。
理論を一部すくいあげて、それを論破してるだけの、【簡単なお仕事です】をしただけよね?
それは橋下氏自身もわかっていて、「さんざん豊洲の危険を煽ったツケを払うべき」的な、
こっちが本当に言いたかった事みたい。
が、そっちじゃなくて、論破された部分にのみ、多くの人の目は、とまりやすいみたい。

俺がこの掲示板で、「何かを否定すると、それを肯定する事になる」
という理論的なシミュレーションをしてみた事が何度かあるけど、
これを小池氏の「都民ファースト」という単語、つまり、東京都民の利益を第一に、
という事は、これは転じて、都民の利益第一、と断定的に区切ってしまった事で、
それ自身、つまり、【前提】が論理破綻してしまっている。

誰しも、望まない介入は望んでないわけです。
「小さな親切、大きなお世話」なんて言葉がありますが、これも理論的に一部を
すくいあげる、【簡単なお仕事】として、記号化してしまうと、聞く人にはピリッと
心地いい響きでしょうが、親切が悪いとは一言も書かれておらず、
【望まない介入が、好ましくない】が正確な言い回し、言いたかったはずである。

「都民ファースト」と、他の可能性を切っている時点で、
「あなたのためよ」の介入であり、小池都知事の当選は、何によって達成されたかだけ見ても、
100%の投票率と、100%の支持率によって達成されたわけではないので、
彼女の考え方に賛同できない、しきれない人たちが都民にいたわけであり、
「あなたは都民なので、あなたを第一に考えているのよ」は、これが俺が自己到達した、
[何かを否定すると、それを肯定してる]=[何かを肯定すると、それを否定してる]、になる。

都民ファースト、ならば、賛成意見と反対意見が混在しており、
多数決でなく、理論で考えた場合、「何もできない」という解になるはずである。

だって、「都民が第一」なら、これ、矛盾の話し、そのんままなわけでしょ。
「この矛(ある都民の意見)は最優先。」
「この盾(また別の、ある都民の意見)は最優先。」
と、言っているわけであり、…俺の指摘、おかしい?

…えぇ、これ自体が、橋下氏に指摘した【簡単なお仕事】なわけですけど、
一部のロジックを論破してみた、的な。


●5人の重軽傷者を出した運転手(女性)が無罪判決 by 大阪の事故。
よくみる「法廷画」では、その女性は嬉し涙をぬぐってる構図。

危険運転致傷罪、じゃなくて、なんかそんな罪名で起訴されてて(似てるけど聞き慣れない)、
警察・検察の主張も、裁判官の判決も、弁護士の主張も、全部、俺にとっては、納得できない。

判決文は、だいたいこんな感じ。
「事故を起こした被告の血液からは、睡眠導入剤が検出されたものの、
医師の処方箋通りに服用していたとの主張と矛盾しない量が検出されており、
また、事故を起こす20分前までは正常に運転していた事が推認されるから、
被告が、服用によって居眠り運転を予見していたという認定は不可能。」

→だから、「無罪。」

みたいな、内容だったと思う。
これは、一般論ですが、「睡眠導入剤」という言い方が、とても恣意的(わざと感)で、
素人の聞きかじり程度ですが、そもそも、睡眠導入剤も、抗不安薬も、
『ベンゾジアゼピン系』と言われる薬に属するはずで、
睡眠導入剤の単語で服用しながら運転してたら、寝る気まんまんで運転してた事になるわけで、
裁判官の判決ロジックは、そもそも頭がおかしいのであり、
この女性は、抗不安薬、として処方された薬を服用して車を運転していた、
と考えるのが、最も腑に落ちるわけです。
判決にある「事故前の20分間は正常に運転していた」というのは、
俺はベンゾジアゼピン系の服用経験から言って、『異議あり』である。
いきなりの「寝落ち」はあり得ないのである。
それは、理論的に考えても、誰も否定できない事実として、
薬の血中濃度は、時間と分量によって、変化していくもので、
最大血中濃度に達するまでのタイムラグは、回避できないわけである。
カックン、カックン、と眠気に襲われて、それに抗うような動きをする、
それが、たまたま事故を回避し続けられてただけで、どうにも限界で寝てしまった、
その時に事故を起こした、と考えるべき。
「一般論ですが」と書いた理由が、だいたいのベンゾジアゼピン系の
薬の副作用を調べたら、
「服用中は、運転・機械操作など危険が伴う行為は避けてください」と、
注意書きが、必ずあります。
裁判官は、この副作用を目の当たりにしても、「20分前までは正常だった」と言うのなら、
…これは、すぐに思い出したのが、『危険運転致死傷罪』が認定されなかった判例で、
『たしかに被告は、アルコールを摂取していたが、回避行動をとっている事から、
正常な運転ができない状態になかった、とまでは言えない。』
…はいはい、これもまた、【簡単なお仕事】で論破できます。
判決、というのは、これは、とても野蛮な、言論封殺だと思うのですよ。
裁判官の言う通り、私がこう言ったから、ここに反証の術は介入させない、くらいの強さ。
もちろん、「控訴」の手段は残されてるけど、
この裁判官は、言いっぱなしで、後に論破されても、何もおとがめなしでしょ?
たいそうな権利で断罪する割に、自分自身は無責任が保証されてる、裁判官て、
なんとも、見方によったら、人々の一喜一憂を楽しめるお仕事、とも見える。
(衆議院選とかの投票日に「辞めさせた方がいいと思う裁判官の名前を記入」
なんてのがあるけど、なんの判例を下した、名前は、顔は、全然わかりづらいまま、
名前だけ連ねてあるあの問い、なんで正されないのでしょうか。
またその投票結果は本当に裁判官の人選に影響を与えたのかが、
公的に、しかも誰にもわかり易く、「こんな判例を采配したので」と
晒されたのを、見た事がないのは、俺が無知だからなのか、
そもそも努力によってのみしか恩恵が受けられない情報とは、公益性・福祉なのかよ、と。)
そこに理論があるのか、と。

これって、例えば、小学生が無免許で公道で、事故を起こしても、
無免許、それ自体が論点にならず、裁判官は
「たとえ無免許であっても、危険運転をしていたわけではない
→無免許だけど、運転技術は有していた。」これは、肯定によって、否定している典型で、
ならば、
「お前は裁判官の免許があるけど、無能なので裁判官とは認められない。」
を受け入れられない論理的な根拠を述べなければならない。
「自分の立場は保障されている。無能という根拠を証明するのはそちら。」とでもいうのなら、
「無能は、無能ゆえに、無能なので、無能に、理論的な説明をしても、理解ができないから
無能だと言われているのだが、無能ゆえに、それが理解できていない。
なぜ自分は無能と言われてしまっているのかの検証をせず、
証明責任は指摘をする側にあるという法律を利用して、
『だって自分は正しいと思ってるんだもん。検証しなきゃいけない立場にないもん』
と、指摘に真摯に向き合うでもない、シミュレーションもしてみない、
終始、問題の指摘に対して、受動的な動きしか見受けられない、
思考でなく、既定の義務と権利を駆使しただけの、指摘事項への能動性がない事は、
自分は問題ない、有能である、と考えている事を客観的に証明しているが、
この指摘の今の時点で、何を言われているのか理解不能であるから、無能さを証明している。」

…なんていうかさ、この裁判官のロジックで言うと、
『蛇行運転』こそが、無罪になり易い、という事を示してしまってるよね?
常に何かを回避し続けてた、とでも言えてしまうわけで。
「空気が車に当たるので、よけ続けていました。認知機能は正常です。
ちゃんと目の前の事象を認識できていた証拠です。」
説明の合理性どうこうを言うなら、ハンドルを切る、ブレーキを踏む、
その行為を以って「危険運転をしていたとは認定できない」という理由なので、
蛇行運転ではない、という合理的な説明をできていないのは、裁判官だったり。
『どの程度』『技量水準』『危険を気づいた時点』等が全く示されてない。

他にも、医師の処方説明に言及された場面を見た事も聞いた事もない。
医師は責任回避のために「この薬を服用中運転は避けてください」と真顔で言う。
しかし、タクシー運転手、トラック運転手、通勤が車、
クレーン等の危険を伴う作業、それらが「業務上、避けられない」立場の患者に対して、
その薬を処方するのは、もう一言いわなければ、偉そうに真顔で正論を言うなら簡単。
「今の仕事を休職できなければ、この薬を処方できません。」じゃないの?
駅もバス停も近くにない、「なにで通院してきてるんですか?」
「車です」→『それは危険なので、タクシーを利用してください』
誰が、どこぞの富裕層のように、病院にかかるのに王様のようにタクシーで乗り付けますかい。
どんだけ金がかかるのか、ウチから片道3kmもないところで1,000円請求された事がある。
往復なら2,000円だ。
危険な作業という意味で言うと、仮に解雇覚悟で、長期療養を診断書を出して(5千円とか)、
開始したところで、家事にも危険はあり、包丁は危険な操作に該当しないのか、とか、
ガスコンロ、湯船(浸かってる間に居眠りで溺死)、んなわけあるかい!!
ある程度の行動の余地は、その薬を服用しても、過剰摂取でもなければ、可能だわい。
これは、額面通りの処方であったとしても、
その日は寝不足があって、薬が効きやすかった事もあるだろうし、
考え事が多く、ボンヤリしてるところに薬も効いてしまった事もあるだろうし、
と、つらつらと想定される動きを簡単に書いてる時点で、
「この薬、『今』飲んで運転したらヤバイかも」が想定できなかった、は成立しやすいのか。
その日その日のコンディション、また薬の効き方も個人差があり。


●…ひぃ、これが本当は言いたかった、何かの疑問、ニュースだったのか、
なんだったのか、もうひとつあったのに完全に忘れてしまったので、ここで書き込み中断。
う~ん、気持ち悪い、しかし思い出せない、そもそも今回の書き込みしようと踏み切った理由。
まぁ、大した話しではない気がするが、俺の中では、すごく変だな、と感じてた事のような。
 

頭の悪い僕なので、身動きとれません。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 3月 9日(木)12時48分36秒
返信・引用 編集済
  前も書いてたのかなぁ、あるアニメ内でのセリフ。
(まぁ、ガンダムなんですけど。子供ながらに、衝撃的な内容でしたわ、子供向けじゃない。)

「俺は適応能力は高かったんだ」
『“適正”と、対応するって事は違うね』
「なぜだ」
『およしよ、触るのは。そういった雑な神経がある限りは勝てやしないよ』
「なんでこういう事が雑だって言うんだ」
『イラつくね。そんな聞き方、やり方は、みんなアンタのやり方だろう?
相手に合わせたやり方じゃあないじゃないか。
私にはね、今までアンタがしてきたやり方じゃ通用しないんだよ』
「そういうつもりではないのだが」
『新しい環境、新しい相手、新しい事態に遭えば、違うやり方をしなくちゃならないんだよ』
「俺はそうしてきたつもりだ」
『じゃあなんで負けたんだ』

『人間は他人を信じない。信じないから相手を疑い、相手を悪いと思い始める。
人間を間違わせるのさ』
「じゃああなたも、他人を信じないから戦うのですか?」
『いや、相手が、あきらかな暴走を始めたから、戦うのさ』
「じゃあ僕はどうしたらいいんです?」
『自分ではどう感じているのだ?』
「今はこれでいいと思っています」
『なら、それでいい。』

以上、抜粋。
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なんていうか、たまたまあったようなセリフでなく、終始こんなやり取りが交わされる。
それぞれの立場で苦悩し、答えを求める、答えを持っている人に近づこうとするけど、
その人たちはみんな戦場で死ぬ、答えを教えてもらえる事なく、また探す。
しかし、苦悩してる人たちに対して、「これが答えだ」と言ってくる登場人物のほとんどは、
苦悩してる人が欲してる答えではないものを、無理強いしてくる、そしてまた、深く苦悩。

機械の性能差がどうこうのやり取りもおもしろい。
ガンダムというのは、ビームライフル一発で巨大戦艦を打ち落とせる。
それに驚愕する相手兵士だが、味方の上司からは「性能に頼った戦い方だ。全く評価できん。」
性能差が決定的な勝敗を分けると思うな、と戦いを挑まれて、
結局勝てなかったが、負けもしなかった、双方が苦悩する。

同列に自分を語るのは、おこがましいが、俺が運転する時、タイヤに頼った走行をしない。
この運転に関する話しは、運転免許を持って、実際に運転してる人としか話が通じないのが…。
タイヤは、あくまで、車両本体と地面の接点なので、その接点が破断する事を、
常に意識して、車の慣性が、今どうなっているのかを常に意識して、
その慣性を使った操作をしている。
意識してるのは、「運転手」というより、その車という機械を操縦するオペレーターのつもり。
原付バイクを、必要に迫られて乗る事があるが、バイクは失速すると倒れる性質がある。
俺の原付の運転も、きっと速い人からみればヘンテコで、カーブの手前で強いブレーキ、
バイクが倒れそうになる(自ら、傾きたがる、という状況といえる)、
それを利用して、倒れたい方向にハンドルを切り、コンパクトに向きを一気に変えて、
一気に加速するのが俺の走り方。
車速を維持した運転なら、タイヤを使って、
荷重で押し付けるように上手に走り抜けていくのだろうが、
あの、原付で減速した時の、一瞬の、フワッと「あっ、倒れる」という状況を利用して、
方向を変えた時の快感がなんとも言えない。

ドローンでレースをする大会があったが、日本チームは、
速くゴールしたいために、速度を維持したままコーナーに何度も進入する、
しかし、優勝したイギリスチームは、コーナー手前で急ブレーキ、
そんなに速度を落としたら落下する、、な場面からの急加速、
まさに、俺が原付で、倒れる、を利用して車体を傾けて、一気に加速、に似てる。
車でも同じような事をしてるわけです。
タイヤに頼った運転をするとわかり易いのが、レースです。
1レース終わったら、そのタイヤはボロボロで使い物になりません。
日常の車が、出先から帰ったらタイヤがボロボロになってたら、タイヤ交換代で
お金が追い付きません。

先日、奈良県の十津川温泉に行きました。
これに関して書き出すと、また長文になるので割愛。
雰囲気から道中から、社会参加(公道は本当に運転する人しかわからん)とは、とか、
温泉に入ったら、温泉~、じゃなく、昭和のタイルでできた大人4人で満員の浴槽、
俺が入った時には、全身に入れ墨の人がシャワーしてて、俺は掛け湯のシャワーして、
浴槽は4人が入れても、シャワーは2つなので、空いてる1つで、お湯が
入れ墨の人に飛ばないように慎重に浴びまして、そんなに都合よくお湯が
壁で止まるようになるわけもなく、多少当てましたが、俺も当てられてるわけで、
~からの攻防を書くだけでもウギャーと長文になる予感でしょ。
風呂からあがって、みかんに話しを聞くと、全身入れ墨の女性がいたそうで、
夫婦できてたようで、村民のおばあさんが、
みかんにしきりにお湯の温度を、不必要に聞いてたのは、
きっとこの女性にビビッてみかんに話しかけてたらしく。
村民は無料の公衆浴場なのよね、ちなみに。
なんていうか、バターって、固まってるじゃない?
『源泉かけ流し』の十津川温泉は、湯上り後、全身が溶けたみたいになりました。
固まって停滞していたものが、すべてたたき起こされて、スムースに動きだしたかのように。
俺は銭湯とか嫌いで、なんで他人のチ'ノポを目にしないといけないのか、
結局、温かいプールのようなお湯が嫌いで、
ところが、ここ十津川温泉は、、、、はぅ、ほらやっぱり気を抜くと語り始めて長文に。。。
中止。

最近、PCにテコ入れを考えているものの、何をどうしたら、
最小限の出費で、最大限の効果が得られるのか、ずっと苦悩している。
車選びもそうですが、その時点で最高性能でも、数年後には標準化されて
同性能で価格は半額になってたり、そういう事も難しく。
「その時点で、最高性能を買って、それを使い倒すほど使えば、
数年は性能的な古さは回避され、高い買い物も、寿命が来た時に年割したら、
そんなに高い買い物じゃなかった、と思えるから、今の最高に手を出すべし」
というひとつの概念があったりしますが、
俺は、その考えに賛同するものの、例えば、それがある規格だったりすると、
確かに優れているかもしれないけど、一過性の『熱気』のようなもので、
それをその後も使いたい人はいないので、あの時、さんざん高飛車に「値引きできません。
みんな欲しがってる。欲しい時が買い時。」と言ってた店長が、
今じゃ、「買ってください、お願いします。」…おいおい、フザケんじゃねーぞ、
だったら値引きできてだだろ、高いもの掴ませようとしやがって、
しかも同じ価格でオプション品が標準でついてるとか、ナメてんのか、
だったら、欲しい時が買い時じゃなく、それらすべてが整った時が割安に買い時、
やっぱり買い時ってあるだろうが。

頭がいい人が、俺の困ってる苦悩を聞いたら、すごく簡単な話し。
例えば、PCでHDDのみに絞って考えていると、こんな感じ。
CドライブにはOSのみ、Dドライブには重要なデータ、Eドライブは、
それらデータを作成するための作業用、Fドライブは容量が膨大になる動画置き場、
Gドライブも同様、HドライブはTV録画用、XドライブはBlu-rayドライブ、
のような使い方をしているものの、話せば長く、困っている。

SSDとHDDと、メーカーと、そのメーカー内での利用目的ごとの性能差、保障期間、
それらが複雑(一見すると。頭がよければ、これらの一見ジレンマが、理路整然とが想像でき)。

さっきの車の買い時の話しにも共通するが、同じメーカーであっても、意味が変わる。
例えば、「何々」というHDD、同じ「何々」なのに、経年後、
『何々 -Pro-』とネーミングがついてて、それは、製造工程の見直しによって、
不良品を極力出さない製品に生まれ変わってて、じゃあそれを買えばいいかというと、
「最新だから価格が高いって言いたいんでしょ?」じゃねーんだよ、答えありきな奴は黙れ。
HDDの容量に関する事であったり、5年保証なら安心か、と思ったら、
それは、週5日、8時間駆動させた場合の5年保証なので、
3年保証の製品が品質が低いかと思ったら、24時間365日駆動させての3年保証の品質だったり。

バックアップをどうするか、とか、TV録画ドライブはパーティションを区切って利用してて、
物理ドライブは動画ドライブと共用してるので、その動画ドライブの
HDD使用率が、ファイル転送などで100%になってしまうと、録画が追い付かず、
後で観た録画番組が、カクカク再生になってしまったり、せっかく録画したのに台無し。
だったらパーティションなど区切らずに、目的が明確に、俺はさいわい整理できてるので、
物理ドライブを目的ごとに用意するのが正解だとわかっているのに、
そうせざるをえないのは、マザーボード側の問題で、HDDを接続できる台数の上限があり、
俺のマザーボードが、俺の利用状況とミスマッチしており、
すると、マザーボードを変えるということは、
CPUとメモリーを新調する事を意味し、事は、HDDだけの話しではなくなってくるし、
ではこの際、CPU、と思ったら、これも話せば長い、どれを選ぶか、
単純な性能差を時点で選ぶのは簡単だが、何年運用するかで全く意味が違ってきたり。
例えば、俺は4コアCPUを使っているが、最新のは8コア。
じゃあ8コアだろ、と思うと、最新の4コアは成熟度が向上して、
最新の8コアよりも計算速度が高速だったり、しかし、物理的に4コアには変わりなく、
将来的に8コアを使うプログラムが登場したら立場が逆転するとか、
じゃあ8コアでいいじゃない、かと思うと、最新すぎて、
CPU以外の部分が最新さについてこれておらず、CPUだけ先行してて、
環境を揃えるのが大変だったり、そうかと思うと、何がなんだか。

4Kディスプレイにしたいものの、これも簡単なのに、複雑で。
価格、大きさ、性能差、そもそもTVをモニターとして使うとか、
ネットで調べても、だいたいが、俺の知りたい事じゃない事の論点だったり。
誰が答えをもっているのか。


最後に。
数週間前に、Amazonレビューをしてる人に対して、コメントを寄稿したので、
それを転載します。
ヨソ向けに書いてるので、自分の事を、この掲示板のように「俺」でなく、『私』ですが。

見ていて、つい寄稿したのは、そのレビューにコメントを寄せてる他の人の論点にムカつき。
レビューした人は、怒りのレビューですが、人って、怒ってる人をたしなめようとするよね。
なぜに怒ってるのかの理由でなく、怒ってる面持ちもシミュレーションもせず。

以下、俺のレビュー。
-----------------------------------------------
お気持ち、お察しいたします。

最近は、責任回避のための、ささいな言質を取らせないために、
一般論の話しすら、「申し訳ございません、お答えすることがでません」が、あまりに横行してると感じます。
パソコ〇工房での上から目線の物言い、拝読していて、思い出した事があるので共感しました。

あそこは、ほぼ絶望的な確率で、返品対応を受け付けません。
以前、CPUクーラーを、ソケット型番も間違いなく購入したにも関わらず、しかも製品にも対応と書かれているのに、
取り付けが不可能な商品がありました。
メーカーはサ●ズ。
どうにもならないので、パソコ〇工房の実店舗に持ち込んで、パーツ担当者に現物を取り付け作業を依頼しました。
しかし、私の問題ではない事が、すぐに証明されました。
「う~~ん、どうやっても、取り付けられる感じがしないですねぇ…。」←約1時間も悪戦苦闘してもらいました。
「ですよね?どうやっても、ですよね?」

返品に応じない、というパソコ〇工房のスタンスだったので、仕方なしに
市役所内にある「消費者センター」に、現物の持ち込み相談しました。
当然、自作PCに全く知識のない相談員ですが、マニュアルと現物を丁寧に説明・レクチャーしました。
PC本体と一緒に、順序立てて、どうしてこの製品が機能を果たせないのかを実際に。
「なるほど、…これは、確かに。」
自分が問い合わせても、返品対応に応じないという上からの物言い、口の利き方だったので、
相談員に直接電話してもらいましたが、それでも相談員が逆に困らせられて、
「すみません、PCの専門的な単語を先方が話されてるので、かわってもらえますか?
それと、原則、返品不可であると約款に書かれてるはずだというお話しをされてますよ?」と、
結局、ここに相談にきても、私が直接パソコ〇工房と対決することに。
…悪い意味で、所詮、消費者センターは、【中立】の立場で、理論的な正しさでなく、
両者の言い分、どちらが正しいのかの受付窓口程度の、ここも頼りにならないスタンス。

P側『製品の開封しちゃってるんですよね?(文字では伝わりにくい感じ悪い言い方)未開封返品ならともかくですよ。』
私「製品を取り付けるのですから、開封するに決まってますし、その後、製品が取り付けられないという話しですよ?」
P側『メールで取り付け後の画像送りましたよね?』
私「それも、御社の実店舗で見てもらいましたよ。どうやってもメールの画像通り、手順でやってもお手上げ、
これ、私じゃなくて、御社の実店舗のパーツの専門家が1時間も悪戦苦闘してくれて、ダメだったんですよ?」

どうにも取り付けられない、実店舗の店員にも確認とってる、と、粘って粘って説明して、
ようやく、返品対応に応じてもらえたことがあったものです。

こちらにコメントを寄せておられる方は、「Amazonに言えばよかったのに」、これは正論です。
第三者が関わっている方が、対応に客観性が入りますし、
1対1のメールや電話のやり取りで内々で済まされず、公開もされますから。

ですので、「Amazonに言えばよかった」は、正論なのですが、問題の本質は、
『そういう対応の業者がいる』と、広く、投稿主様のように公開していただく事こそが、
消費者側としての、正しい対応であった、このレビューは大変参考になった、という事です。
確かにAmazonに介入してもらえれば、業者と消費者(レビュー主)の問題は、
速やかに解決されたでしょうが、それを以って「Amazonに連絡」の優等生的な解では、
せっかく体験された、ネガティブな情報が、全く知る事ができなくなるところでした。

レビュー、ご報告、大変参考になりました。

※私自身も、大変不快な思いをした事があるので、より詳細に伝えたく、投稿後・追記しました。
ちなみに私の問題となったCPUクーラーは、マザーボードの凸部分に、CPUクーラーの凹部分を
引っかけて、レバーで固定するタイプだったのですが、純正ソケットと寸法が全く合わず、
レバーを引いて固定したくても、凸部分から凹が外れてしまい、メールで先方から見せられた、
取り付け後画像は、絶対に達成不可能な状態であり、消費者センターも、それを理解しておきながら、
「約款で、返品不可に了解して購入されてるからには…」と、製品として役割を果たせていないという、
理論的な欠陥でなく、契約内容がどうか、のみにしか頭が使われないので、二重に憤慨しました。
 

要不要を考える。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 2月13日(月)22時38分57秒
返信・引用
  ※下の書き込みで、文脈が変わるほどの「誤字」が数か所あるのを気づいてますが、
自分の近況として、いちいち訂正するのも面倒くさく放置してます。

ウチには子供がいない。
俺のパートナーは、いつも仕事で疲れてる。
そんなに疲れていては…、と、俺がいつも飲み込む。
そして、子供は作られない。
テンプレート的な単語をなら、女性の社会進出、少子化問題、高齢化社会、
これを「要不要」で考えた時、“そういう事”なんだと思う。

そんなバカな、という指摘はおいといて、人間の本能として、
人口が減ると、それを埋める必要性を感じると、何も政府が、育児手当を~、
待機児童解消を~、育児休暇を~、高校無償化を~、保育士の待遇改善を~、
親の介護を~、とか、ぜ~んぶ、カネカネカネカネ金、の狭義の議論をせずとも、
勝手に、人は子を欲し、「働いてたら子供が産めない、子供を預けられない」
「お金がないので養育費が払えない。こんな待遇じゃ子供なんて育てられない」
などという、環境のせいにする事なく、勝手に産み、育てる、という歴史はある。
事実、子だくさんの生物ほど、子供の致死率の高さがあり、
しかし、現代社会だと、そこそこに、医療の発達があり、
それは、高齢者も、乳幼児も、致死率がさがっているのであり、
人口の分母、としてみた場合、申し訳ないけれど、高齢者は、
口をあけて、車いすに座って、みんなでテレビの方向を向かされている施設の実態や、
そこで生活している限り、申し訳ないけど、規律、の意味において、
望んで刑務所に入るようなものであるし、生産性、経済活動に直接的に寄与できない層、
そんな人たちがくたばらないかぎり、ある種の、誰が設定しているわけでもないけど、
「このくらい」ほどの、自然な望まれる人口に対して、子供は生まれる事は、
不自然な構造であり、ニュースでは「少子化により、初の人口減に転じました。
これはつまり、高齢者の亡くなる人数より、子供が増えていない事を表しています。」
…バカかね、それはそうなのですけれど、それは【時点】の話しであって、
本質ではない。

人間は平地に住まなきゃいけない理由はないけれど、
戦後の「団地」しかり、マンションブームしかり、
一般的に、土地を買い、そこに住居を構え、それで終わりなはずだ。
しかし、団地、マンション、となると、自分の上や下に、他人が住んでいる。
縦上に、自分と無関係の人間が、住んでいる。
なんだったら、その「土地」の中に、他人が上にも下にも住んでいる、
その土地は、購入者だけのもの、というのは平地の話しで、
数年前に流行った単語で、「ハウスシェアリング」なんてあったけど、
そんな概念を用いずとも、ひとつの限られた土地の上下階に他人と一緒に住んでる状況は、
土地のシェア状態であり、そこまでしないと、人の生活が達成できないほど、
人間が必要なのか、高効率とは何か、すぐに集まれる事か、すぐに使える事か、
無駄がないことか、等々、。
第二次世界大戦があったわけで、沢山の人が亡くなりましたけど、
世界的に人口は増え続け、食糧危機の方を心配するほど、資源しかり。
正確には、「限られた資源を大切に」の、俺が子供の頃にみてたキャッチコピーは、
非常に科学的に胡散臭いと感じている、という前提はありますよよよよ。
昨今の日本に限って言えば、二極化が進んでるな、と親戚・身内を見ていても、
つくづく思う。
結婚して、子供いない家庭、産んでも1人、
一般的な2人兄弟・姉妹、という状況が、逆に少ない。
産まない世帯か、産む世帯、の二極化な話しばかり聞く。
産む世帯、とは、その2人兄弟・姉妹では済まず、
3人、4人、と、ポンスカ、ポンスカ、ポポポ~ン♪(いつぞの震災時のCM)、
どんだけ産むねん、ほど。
で、そんな世帯からよ?「保育園落ちた」だの「養育費よこせ」だの、聞く?


…というのは、いつもの俺の盛大な『前置き(はじめに)』でして。
仕事よ、仕事。
これも要不要。
「要る仕事、要らない仕事の話しか」じゃねーよ。
例えば、高齢ドライバーによる事故が社会問題化していますけど、
その中には、元々運転した事のない人が、
『親・パートナーの介護・看病の送り迎えで、やむを得ず、免許を取得した。』であるとか、
『体が思うように動かなくなってきたけど、都市部のようにバス・電車の利便もなく、
仕方なしに車を運転するし、生活の動線として手放せない。』であるとか。

これは、田舎・地方だと公共交通機関が少ないので、車を運転するしかない、
昭和真っ最中の都市部だと、「団地」こそが憧れのまとでしたが、
ここも高齢化すると、そもそも「人が死ぬ」であるとか、体が思うように、であるとかが、
想定されてないで設計されちゃってるもんだから、棺桶を運び込めないだの、
そんな事は、ネットも同じで、個人のブログが、故人のブログ(うまい事言ってるつもりなし)
になった時、その管理、どうすんの、であるとか、
しまった、書いてる内に俺は何を言いたいのかわからなくなってくる。
つまり、運転をしたくて、してるわけじゃない層が、
この、公共の福祉たる「道路」に参加している事、これは、つまり、
「【この(←この、が重要)】仕事をしたくしてしてるわけじゃない。
やむを得ず仕事をしてる。」人が、職場にいたら、どんなだい?
俺は、運転をする時に、一度でも適当に運転した事はなく、緊張しない事もなく、
「あの場面でのカーブは、うまく曲がれてたろうか、」とか、技量等をいつも考えている。
交互通行しかできない細い道で、一台同士ならともかく、
後ろにも車が来てたら、俺が下がった方が全体がスムースに流れると判断できたのに、
俺の後ろの奴が、ちっとも下がろうとしない時とか、…またなんかわかんなくなってきた、

「誰も、好きで仕事してる人ばかりじゃない」と言うので
「それでも続いてるのは、嫌々だけで続くものかよ。本当は嫌いと言いながら、好きだろ」
というと、
「そりゃ、嫌々でも仕事だからしなくちゃいけない事もある。それが仕事。」

これが、【論理の欠落】と断罪できる証拠というか、論理の欠落って、
そんな言葉があるのじゃなく、俺が今勝手に書いてるのだけど。
つまり、一見、質問に対しての回答みたいだし、見た目も会話が成立してるっぽいけど、
全く意味が違う事を、意図的か、致命的なバカか、な返しが、
世の中を複雑にしているよね、という話し。
物事が難解になってきたら、何かが間違えているはずだ。
 

素人の浅知恵。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 1月31日(火)14時11分33秒
返信・引用
  子供の頃に読んでた科学クイズ本、すごく易しいので読めていた。
「近視の人が、鏡に映ったものなら、メガネがなくても鏡を近づけて見えるだろうか?」とか、
「ボールを投げると弧を描いて地面に落ちるなら地球の丸みの弧を描かせたらどこまでも落下」

そんな中で『永久機関』が全世界の夢の動力装置、とか紹介されていた。
有名なトリックアートで、永遠に水が流れ続ける絵、ご存じ?
水路から水が落ちる→落ちた水は下の水路が受け止め、側溝に沿って流れ、
その水はまた水路から落ちてくる、なんじゃこりゃ?、のトリックアート。
これはトリックアートだから成立する、実際は不可能な状態。
そんなページを読んでいて、世の中、発電機、というものは、それを回す事で
電力が発生するらしいのだが、発電した電気で、発電機を回したら、
それは永遠に回転し続ける状態にならないだろうか、摩擦どうこう配慮した上で、
そしたら、モーターの回転軸と、もうひとつのモーターの回転軸をくっつけて、
(昨今の有名な単語で比喩するなら、ペンパイナッポーアッポーペン状態)
片方のモーターの電力を、もう片方のモーターが発電する、
発電した電気でモーターを回す、回す先は、自分の電力を発電する、もう片方のモーター、
これが達成するなら、永遠に回り続ける、「永久機関」とか? などと子供の頃に妄想。


俺は、マジで頭が悪いので、頭さえよかったら、空想がわいてくる頭と、計算力があれば、
それって、『研究・開発者』に向いてたろうなって、つくづく思う。
でも、肝心の空想を具現化するためには足りない頭なので、そのギャップで苦しい人生。
わかっていたこととして、俺は、進学も就職もできないだろうな、って。
実際、イメージできなかったので、進学する頭も、就職する勉強もできず、
また、それらの、なんていうか、ワーッとした全体的な「そうするものだろ」の、
流れに乗れず、孤立、しかし、理解者は誰もいないので、
その流れ、社会、に、“なにかしら”、に、参加しろ、という事になり、
“それっぽい”動きを演じ、自分にウソをつき続けられなくて、辞めて、
またウソをつけそうな余裕が出てきたら、またつけるだけのウソで仕事をし、
やりたくないので、自分に嫌悪感で、自分から辞める。

俺は、いくつか興味のあるものがある。
「自動車開発」(実際、なんの数学・機械工学的な基礎学力もないのに、専門学校に
受験にいくカタチだけは取り、やっぱりテストは0点。
しかし、なぜこの学校を受験しようと思ったのかの動機だけは、
ここの掲示板のように、しこたま長文で、【4WS】を開発したくて、等々。)
ちなみに音楽の授業で、俺は音符も何もわからないけど、
聴く耳だけはあり、音楽のよしあし、だけは自分にはある、と思っている。
最近、音楽といえば、BGM程度ですが、能動的に音楽を聴く事ができる。
その時も、いつも音楽の通信簿は最低の「1」でしたが、その音楽鑑賞し、
その音楽の感想を書け、という時間だけは大得意で、何がどうこう、
概念じゃなく、どの部分がどうであるとか、しつこい、とか、
せっかくいいので、曲の中でもっと繰り返したほうがいいとか、
その鑑賞して感想文を書く課題は、あんなに音楽にやる気のない奴が、
なんでここまで文章にできるほど感じとっているのか、と、最大限の評価をされたものの、
その聴かされてる曲自体が好きでなく、苦痛だったが、演じた事を、さも、な感じで、
したためたので、先生、そもそも、あの曲はいい曲ではなかったので選曲がダメです。
キュンとする音楽とか、音楽を聴いて、目に涙を浮かべる事もある、感極まる。
例えば、坂本龍一って人がいるが、ピアノを演奏中の表情、
あれは快楽物質がそうさせてる、同列はおかがましいが、俺もそうなる。
ところが葉加瀬●郎って人は、演奏の才能はあるかもしれないし、
作曲もできるのだろうが、どうもあのヴァイオリンの音が耳障り。
あれでヨシとなってる世間がわからん。
気難しい話をしてるのではなく、すっごく簡単な話し。
絶対音感はないものの、いい音楽が好き。

一例ですが、俺の好きな曲、それと涙を浮かべる曲。
余談ですが、音楽って、なんでボーカルがないとテレビに出られないの、とか、
クラシックはクラシックでしかなく、なんでドラムが入ったらダメなの、とか。

坂本龍一は、みんな「戦場のメリークリスマス」が好きらしいですが、俺は、
本人はそうでもないと思ってる。
ヤバイ、と思ってる曲は、デビュー曲の「千のナイフ」、この曲聴いて目に涙が浮かぶ。
前編通して最高、と言ってるのではなく、その、キュン、とする部分が、感動で胸が苦しい。
それと「空にあおうよ」という、つくば万博の住友館用に作曲された、当時非売品の曲。
中谷美紀用の「砂の果実」、最初に出た自身の娘に歌わせた英語版にはない旋律がある。
全く同じ曲なのだが、中谷美紀版のは、何か違うと思ったら、ヤバイ音色が追加されてる。
矢野顕子の「また会おね」、パッヘルベルの「カノン」、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」
これは有志の曲で、逆転裁判の綾里真宵のテーマ曲のアレンジ、これもかなりクル。
1980年代中盤のコナミの曲全般がヤバイ。
中でも、恋のホットロックの中の、曲名がわからないけど、
ジュディ・オングの「魅せられて」みたいな、音楽を色で言うと紫色と感じる旋律、
ファンコンではルート16ターボ、レッキングクルー、バルーンファイト、
スターソルジャー、スーパースターフォース(ある部分だけすごくキュンとなり、
何度も何度もテレビのスピーカーから直接カセットテープに録音したのを何度も聞いてた。
伝わるわけがないが、俺が聴いてるのはこんな感じ。
タータータータータータ、ラッター、、タラララ、タラララララララララララ、、、、、
タラララララララ、
タラララララララララララララララララララララララララララララララララ(強弱とか
音符の概念がないが、頭で再生できてるので伝える言葉を持たずくやしい)、
からの、そっちの主メロというのか、それが流れてるのと並行して、
低音パートで、ターラーラーラーラー、ララララーララララ、ラーラーラーラーラー、
ラーララララララ←ここに、もう下品な言葉を使うなら射精するほど、
いや、実際、感動してるって、そういう事だと思う。
ツタタンツタタンタッタラツタタタ(これはドラム))
「空にあおうよ」は、ベースのメロディーと子供のワッワッワッワッの声の部分がたまらない。


…それはおいといて、車。
素人なので、「なんでだろう、なんでそうしないんだろう」という事が多々浮かんでくる。

レシプロエンジン、というのは、燃料のガソリンのエネルギーの20%だか、
もっと低いかもしれないけど、その程度の効率だという。
他のエネルギーは、摩擦等により、ただ排熱される、せっかくのエネルギーを捨てている。
ピストン運動させるエンジンという構造が、4サイクルどうこう、俺には、
複雑に見えてしまう。
複雑さ、とは、難解さ、であり、それを単純な構造に変換できるなら、
それらに介入されず、また、壊れにくいものができるはずで。
特殊技術の塊、では、この比喩が正しいかはわからないけど、
昔のPCは、特殊技能を持った、極一部の人たちだけが、CGを作成できていたけど、
それを支援するプログラムが開発された事で、
「この人物を、こう動かしたい」と思ったら、その通りに動かせるようになり、
自分のイメージが、具現化しやすい環境になり、開発速度が飛躍的に向上・改善したらしい。
これは、俺が泣く泣く底辺で嘆いている状況に似ている、次元は違うが。
つまり、それら特殊技能をもった集団だけがCGを作れた時期、
しかし、「それを作れる事と、作った結果の良し悪しはまた別」って意味。
音楽で言うなら、優秀な音楽学校で、ご立派な楽器の奏者になっても、
作曲させたら、人の作った曲をなぞるのが上手なだけ、とか。
これは広瀬●美が典型的で、音楽の数学的な概念まで理解できる頭脳、
ピアノも圧倒的にすごい、だけどそんな頭が作り出した、独自の曲は、
アァアァアァァァアアア~~~~、みたいな、ヘンテコなうねり、これがしたかったの?と。
あぁ、理解している事と、それを具現化する【センス】は、全く違う能力なのだな、と。
しかし、センスだけあったとしても、そのバックボーンたる知識、技術がなければ、
説得力がないので、どこまでいっても、「素人」でしかないし、お金にもならない。

これをジョイントできるものがあるといいが、俺の人生も充実するが。

飛行機の翼は、空気抵抗によって飛行機が上昇する仕組みになっている。
下の翼はまっすぐだけど、上部分には、わざと空気抵抗が発生する。
すると、上部分は進みたいのに進めない状態、ブレーキがかかる、でも下は進みたがる、
すると機体は、ブレーキ(空気抵抗)で上向きになり、結果、飛行機は上昇する、
だったら車は、タイヤが路面に押し付けられてる状態が、
もっともポテンシャルを発揮するというので、その逆の車体構造にすべきだし、
「いったい、時速何キロで走行するつもりだ。レースでもないのに。」とか、
考えるまえに、賢い頭で、既知の概念で、ぶっ飛んだ発想を阻害するのはつまらない。
タイヤが路面に押し付けられる方がいい、から転じて、重い車ほど安定感がある、
という、上質な乗り心地を言う人たち、車は軽い方がいい。
ある動物番組て、やたら足の速い野ネズミを特集してたが、
その脚は、小鳥のように細いのだ、丸々した図体とのギャップ。
脚は軽い方がいい。

エンジンがよくわからない。批判でなく、構造。
物を回転させるには、その回転数が重要ではない、という、俺の考え。
いかに回転させるか、ばかりの開発している。
連続性がないと、スムースではないので、何かを考えたい。
ジェットエンジンは、ピストン運動なんてしてない、ピストン運動は、
それだけで摩擦、ロスを生み、ガソリンのエネルギーを生かしきれない、最初の抵抗。
俺はテコの原理で、外周を円状に順次爆発させる構造が開発できないものか、とか。
ロータリーエンジンが、もっとも近いのかもしれないが、もっと単純なもの。
例えば、こんなイメージ。
車いすを自分で手漕ぎする時って、外周の鉄の車輪を回すでしょ?
軸に近づくほど、沢山の力が必要になるけど、あれだけ大きい車輪なら、
少ない力で、動かせる。
ここに、爆発力を受け止める羽城の板を外周に展開し、連続した爆発は、
かなりの確率でどれかの羽に当たり続ける、バァァァァッ、と連続爆発、
それを羽は圧力を受けて、テコの原理で、爆発力の何倍ものトルクを発生し、
軸を回す、ここに必要なのは、爆発する速度のみであり、
エンジン回転数を上げる必要がない、という事だ。
つまり、【ギア】を使えば、エンジン側が頑張って回転を上げなくても、
同じ回転数をエンジンは維持したままで、強力な、維持されたトルクを利用して、
高速走行が達成する。
人間が自転車をこぐけど、脚を回転させる回転数、1分間に、エンジンみたいに4千回転とか、
できるイメージありますか?
しかし、自転車のみで人間が時速140kmを出して速度を競うレースがあります。
頼れるのは、脚力(トルク)のみ。
脚を回せる回転数は、そもそも人間的(構造・生物学的に)に限度がある。
そして、自転車のギア、車で140kmで走行するために、エンジンは何回転してるだろうか。
自転車では、せいぜい、ギッシ、ギッシ、ギッシ、のリズムなので、
1分間に120回転程度とか、しかし車は数千回転、次元が違う、しかし、
速度は、脚の回転数が、たったそれだけでありながら、140kmに達する速度。
これだろ、と。
ある番組では、超非力な小型モーターを使って、しかも乾電池のみで冷蔵庫を
吊り上げる事をしていた。
小さな力で、大きなトルク、これはテコの原理のはず。
それなら、車では、これを逆に使って、大きなトルクで、小さな軸を強力に回す、
それだけではゆっくりすぎるので、ギアを使って、高速な回転に変換する、みたいな。
夢みたいなことを言ってるわけでなく、
最近、旅客機のジェットエンジンに、ギアが搭載されたそうです。
今までは、速度は、エンジンと燃料を消費してのみでしか達成できなかったものを。
詳しい構造は、どうせ聞いても理解できないので、そこのギャップで自分が苦しいという話し。
何も特別な事を言ってなくて、極々、基本、単純な構造で、達成できる仕組みを
作れないか、というだけ。
ロケットってあるけど、あれ、何段ロケット、とかって言うよね。
仕組みは、恐らく、こう、だと思う。
例えば、新幹線に乗ってて、その新幹線のポテンシャルを超えて、
さらに人間が速く進む方法がある。
新幹線に乗りながら、前の車両に歩くだけで、時速300kmで走る新幹線より、
人間が歩く速さ分だけ、新幹線より高速に移動している状態になる。
事実、前の車両に歩いて移動できるということは、今乗ってる新幹線を、
自分の徒歩程度の速度で、追い抜いているから、前に移動できているわけじゃない?
…という、なんていうか、それら、単純なものの、基本構造の組み合わせで、
難解さをいかに排除できるか、の、設計思想のようなもの、複雑さは、
限られたIQの人たちだけの特権では、話しが入り込める余地が凡人にはなくなってしまう。

これは車を運転する人だけがわかる話し。
車は加速すると、荷重が後ろに移り、減速すると荷重が前に移動する。
それを利用して、いかに車を安定して、しかも速く綺麗に進ませるか、は、
個々人の運転技量に左右されてしまう。

俺は、独学で、この運転技量を、漫然と運転してる人より、少しは有していると思う。
つまり、車の操舵は、前輪が行うので、前に荷重が移動している時に、
ステアリングを切り込めば、前輪が地面に押し付けられてる状態なので、
とても曲がりやすい状態を作り出せる、、、みたいなのが、運転がうまい人が、
得意げに話すのだけど、俺は、「異議あり」なのである。
これが達成されるためには、車両の加速されていた慣性が必要になる。
つまり、高速でコーナーに差し掛からなければ、強力な前荷重を作り出せないという、
なんとも、特殊な状態を意図的に作り続けなければいけないからだ。
さらに、前荷重のために、いつまでもブレーキを踏みながらステアリングを切っていたら、
今度はコーナーを脱出する時の加速ポイントが遅れる、曲がるのは優秀にできても、
そこからの加速が遅れては、速く走る、という事にはならない。
だから、いかに早くアクセルに足を乗せる状態を作り出せるか、のために、
車を運転しています。
しかも、車がゆさぶられず。
横に体がゆすられるのが、人間的に不快なので、俺はほとんどを直線で減速を終え、
前荷重になってる、ブレーキを少し緩めたままステアリングを、きっかけ程度に、
しかし少し多目に切り込みます、全然コーナーの手前なのに、もう
アクセルには足を乗せています、ブレーキなんて踏んでません。
つまり、あとはアクセルだけでコントロールし、いつでも加速準備ができている体勢です。
しかし、長めのコーナーや、もう位置段階あるコーナーも存在するので、
そこはキュッとブレーキを優しく踏みつつ、同時に優しくステアリングも操舵します、
俺は、そういう事で、いちいちコーナーの手前で頻繁にブレーキを踏みます、しかし、
多くの、それなりに高速で走りぬけてる人たちの運転をみると、
ブレーキランプがあまりついてません。
これは、運転がうまい人たちが、そうしているのだろうと思います。
きっとこう、俺は言われる。
「そんなにパカパカとブレーキかけてたら、ブレーキパッドの摩耗が早まる。
いかにブレーキを踏まず、アクセルとエンジンブレーキだけで車を
走らせられるか、が、車の消耗品的にも優しい。」みたいな。
俺は、積極的にブレーキを使う事に、これを言われても、揺るぎはありません。
申し訳ないけど、ブレーキを多用してる俺の方が、オラオラと、
高速でコーナーを駆け抜ける人たち、車に追い付いている事が多々あります。
「なんでここでブレーキ踏まないのだ。怖くないのか。」と俺が思っているコーナー、
しかし、ブレーキ踏んでる俺が追い付くのはなぜでしょうか、と。

荷重移動の話しですが、俺の今の車はミッドシップです。
勾配のキツイ上り坂、しかも長いコーナーで加速しようします。
当たり前です、上り坂なので、アクセルを踏み続けないと減速していきますから、
アクセルを踏み込んだまま、しかしコーナーを曲がらないといけない状態、
車は前輪で操舵するので、前荷重になっている時に曲がりやすい状態を作れますが、
この場面だと、荷重は後ろ、しかもミッドシップなので、
後輪に荷重が乗っているので、加速は有利、しかし、
操舵の前輪に荷重が抜けてる状態なので、ステアリングを切っても、
タイヤにそれがうまく伝わらず、いつもより切り足していないと、
外側に車が逃げていきます。
いわゆるアンダーステア、ではありません。
アンダーステアは、オーバースピードによって、
タイヤの摩擦を超えて、車が直進しようとしてる状態なので、
外に飛ばされるため、意図しているステアリングの舵角より外に膨らむ状態であり、
似ているけど、違う、と言いたいです。

荷重移動が、車を速く走らせる技術、と言いますが、俺は、ここにも「異議あり」です。
なぜなら、車は前後2つずつのタイヤで走っており、どちらも接地しているわけです。
荷重が前だから、後ろだから、何々しやすい、何々しにくい、というのは、
俺は【ナンセンス】だと言いたいんです。
先ほどの登坂路での、長いコーナー、後ろに荷重が移っているので、
後輪駆動車には加速が有利な場面ですが、前荷重が抜けてて、曲げづらい、
…だったら、荷重が移動してる後輪が操舵されれば、
やれ、前荷重だ、後ろ荷重だ、そんなの関係なくなる。
むしろ、大きなお世話だ、となる。
荷重は、常に変動しているのだから、移動されてしまったために、
何々がしづらい→いやいや、そっちに移動したなら、そっちが動いたら(可変)いいよね。

で、冒頭の、「4WS」を開発したい、みたいな話をしていたのはそういう事。
前輪荷重が抜けてる状態なので、後輪が前輪と逆にステアリングを切ってくれたら、
曲がりたい方向に、なんの無理もなく、荷重が移動している側が操舵しているので、
荷重が前だろうが、後ろだろうが、操舵に致命的な支障が回避できるはずだからだ。
タイヤは4つ、車が地面の上にある限り、4つを使いこなせないと真価を発揮できない。
前輪操舵だけにこだわりつづけるなら、俺はスーパーのショッピングカートを提示したい。
あれは、4つの車輪が完全にフリーに動かせるから、利便性がいいのだ。
あれがもし、一般的な車と同じように、前だけ曲がって、
後輪がガッチリ固定されて、一切の操舵をさせない車輪だったら、
ショッピングカート、つかった事がある人なら、俺の言ってるイメージが簡単にできるはず。
車の車庫入れじゃないけど、車体の、ある部分を、ある位置に位置づけしようとすると、
後輪が固定されてしまってるので、前輪のみで、何度か切り返しをして、
やっと目的が達成される感じ、これをショッピングカートでやれと言われたら、
面倒くさいので、前輪しか動いてくれないので、仕方なしに後輪を持ち上げて、ヨイショッ、
と、向きたい方向に向けた方が、圧倒的に仕事が速い。

前輪は細く、後輪は太いタイヤがいいと思うんだ。
どっちも同じ太さのタイヤだと、ドリフト(オーバーステア)状態になり易い。
絶対に後輪を滑らせないという決意で運転しています。
どんな動物も、後ろ足が太い理由、ちゃんとあると思う。
それが、今のほとんどの車は、前後、全く同じ太さのタイヤが当たり前。
「前輪駆動車も、前輪に細いタイヤをって言うのなんてバカだろ。」と、する。
俺からみると、前輪駆動車は、セグウェイか、牽引車両にしか見えないのだ。
後ろはオマケ。
せっかく4つのタイヤがあるのに、ヘンなの。

3輪バイクがある。
しかし最近は、リバーストライクと言って、前輪が2つ、後輪が1つ、というものも。
リバーストライクは、後輪駆動でなく、前輪駆動もある、バイクと言えば、
後輪駆動だけど。
すると、あるいみ、前輪駆動のリバーストライクは、前輪駆動のFF車と、
ほぼ同じ状態と、俺には見える。
ゴツイ前輪、おまけ程度の後ろにタイヤ1本、なんて車両だったら、
どんな時に慌てるかと言えば、ただ後ろを支えてるだけの車輪だったら、
コーナーで、後輪が簡単に滑り、カウンターステアの必要性に迫られる。
俺の基本として、後輪は、ぜったいに横滑り(ドリフト)させては危険なのである。
一発でカウンターステアを充てられる人は、そういう運転を慣れているのであり、
初めて体験する人は、本能的にカウンターステアを充てるけれど、
必要以上にステアリングを切って、お釣りをもらって、またそれを打ち消すステアリング、
車がフラフラと危険に揺さぶられる状態に陥る。
そうなったら、アクセルから足を離して、後輪の摩擦を回復させるの待ち、でしかない、
俺に限っては。
実車で体験する場面に遭遇した事はないが、レースゲームのシミュレーターでは、
そこでアクセルを踏んだままだと、タイヤが滑っているのにタイヤを回しては、
空転するばかりで、余計に、いつまでたっても後輪が左右に滑るだけで、非常に危険。
これがゲームでよかった、と、俺の独学って、ゲームなんです。
運転がうまい人のレースドライブのビデオ、DVDで、免許を取りたての頃熱心にみてましたが、
全く何も理解できなかったです。
何を言ってるのか、と。
さらに、走り好きな人はMT車というけど、その当時の人たち、なんて言ってるか、
「MT車、面倒くさい、パドルシフトが欲しい」とバトル中に愚痴ったりしてます。
クラッチを切って、ゲート式のシフトチェンジ、またクラッチつないで…、
その一連の動作は、車に加速度計でもつければわかるように、
加速にに連続性がない、シフトチェンジの瞬間、どんなブロドライバーの車両も、
いったん加速Gが落ちる、これは問題だ。
0-400の加速動画も、加速中に車が前後に揺れてる、揺れてる瞬間はシフトチェンジの時だ。

素人の浅知恵です。
それだけでなく、素人なので、詳しい事を言われても、理解できないので、
わかる範囲で、幸せに生きています。
他の正しさがある、むしろ、それが正しい、として、
むしろ、それを提示されてるだけなので、そうではない概念を試したいと思っても、
供給される、市場に出回ってる車、まして手の届く車しか選択の余地もなく、
なんていうか、前提を疑って、何かをする、開発してみる、それができたらな、と。

最近、車の任意保険が安くなりました、保険内容は、むしろ向上してるのに。
では、何の差か、「営業マンの人件費がない」からです。

うまく言えない。
処方箋薬局に行くと、医者の指定した薬しかもらえない。
しかし、ドラッグストアーで、一般医薬品なら、
どのメーカー、どの効能、自分で、基本的によりどりみどり、
取捨選択の権限は、選ぶ側にあります。

俺が自作PCを利用してるのも、同じ理由。
俺が使いたいPCと合致してる既成PCに出くわした事が今でもないので、自分で
スペックを選んで、組み合わせてるわけです。
BTOといって、ネット上でスペックを選択して、一見自作PCみたいなのありますが、
あれ、それでは、そのパーツのメーカーはどうなってますか、
選択の余地がなく、提携先のパーツメーカーのパーツから
強制的に選ばされてるだけで、細々した仕様は選べません。
細々したい、なら、「シンプルにしたい」「単純明快にしたい」とは逆行してる、
と読み解かれてしまったら、これまた、本当に頭がいい人たちというのは、
何を言おうとしてるのかではなく、直近の思考で回してる、批判目的かと。
自分の要求スペックのパーツを揃える、揃えるだけ、とても簡単な話し。
しかし、もう、「こういうものだから」の世界だと、選びたいのに、選べない、
どうにかならないか、と、一言言おうものなら、「細かい」「面倒」、
いやいや、そこから外れたらそう複雑化するのは、答えありきだからで、
その答えありきが、俺の答えだったら、何も難しい事もない。
これは逆も然りで、俺の答えから外れたら、なんて複雑なんだ、という事なので、
しかし、複雑さって、複雑にしたい人と、騙したい人と、よくわからない人たちで、
その多くは構成されてる、「そういうもの」という、なんとも、
そうは簡単には、単純化はさせたくない、空気をプンプンとプレッシャーかけてくる人たち、
のような。
 

俺は、非凡な凡人だと思う。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 1月28日(土)18時53分19秒
返信・引用
  今朝の番組で、トランプ大統領の経済政策の「保護主義」というものを解説していた。

簡単に言うと、アメリカで生産し、消費し、国内のみで雇用を生み、…の一連の
経済活動を、国内のみで自己完結できる仕組み。
しかし、この副作用として「消費者も生産者も限られているので(分母が決まってる)、
結果的に物価は上昇し、成長もあまり望めない。」
みたいな解説だったように思う。

みたいな話を俺がしてる理由は、大きい話。

グローバル経済だと、安い賃金の国で生産してもらい、技術的に難解な部分だけ先進国、
それら、得手不得手を国々によって割り当て、最終的なモノとして完成し、
しかも割安な商品になる。
しかし、副作用として、安い賃金を割り当てられた国は、技術・開発は停滞し、
言われたことのみに徹する国と認定(役割の固定化かな)されるような状態になる、との事。

…ん?

これは、「経済活動」としてみた場合、保護主義とグローバル経済の違いは、
国内のみで完結しているか、世界に展開してるか、の違いだけで、
適材適所というか、保護主義とレッテルを貼ろうが、グローバル化の失敗と説こうが、
中身は同じ、だと気づく。

経済活動とは、通貨に関与する行動だけが評価される秩序の事だと思う。
つまり、最終的に実を結ぶ研究は、研究中は直接の経済活動ではなく、
(研究・開発費で何かの物品を購入していたら、購入の行為が経済活動ではあるが)
それが成功した時、また、それを利用し続けられる状態を作り上げた時、
あれは経済活動であった、と評価されるにすぎず、
何が言いたいのかと言うと、今の社会は、俺に限っては息苦しい。
スズメが適当にエサを見つけてきて、今日も生きてる、
しかし、それを「無職」とは言われない。
スズメの活動を、卵産んで、育てて、エサを食べて、がスズメの「役割」とした場合、
スズメは役割を果たしている限り、何も批判される事もない。
ところが、人間は、人間を批判する。
そこに、理論がない場合が多々あり、人と違う、秩序をいい意味で乱す人も、
まとめて断罪される。
悪い意味で秩序を乱す人は、それ自体が目的の自己満足であるが、
いい意味で秩序を乱したいと思う人は、『前提を疑っている』状態にあるわけ。
イジメがあっても、校長も教育委員会も認めたがらないのは、
それを認定すると給与面なり、正義が評価されない構造の中で生きているので、
正義でなくても、それが自分、または家族を養うために、
理論でなく、結論でもって、「なかった事に」している活動。

俺は、相当に憂鬱な人間で、奈良で一人暮らしを始めた頃、
電気ストーブの前で、朝から晩まで、ひざこぞう抱えて座ってて、
それで退屈するどころか、それが精一杯の自分のできる人間活動であった。
しかし、多くの人は、ジッとしている事に堪えがたい苦痛を感じるようである。
何かしたくて仕方がない。
その手段として、仕事、ドンチャン騒ぎ(遊ぶ・祭り・暴走・)、自己啓発(勉強とかも)、
なんていうか、「それだけの事」なのだが、うまく意味が伝わるかどうか。
その、動きたくて仕方がない人たちが、何か、下品な、他人の価値観に介入。

人は、無料に安心する。
流通の発達してない地域では、例えば俺の住んでた町は、ゲームが発売日に売ってなかったり、
タイトルが限られてたり、中古品探そうとしてもたかが知れてるので、
秋葉原に行くと、あのゲームが900円で沢山売ってる、しかし、
そこに至るまでに、電車賃が往復5000円もかかっており、お得に買うために、相当な損。
以前は送料は当たり前だった、それを運ぶ人がいる手間賃、
しかし、送料がかかっては、お得な値付けであっても、近所のスーパーの方が割高でも、
送料込みでもっと割高だったら意味がない。

…なんていうか、俺は今、すごく限定的な単語事項で書いてるだけで、
もっと根本的な話しを何かしたいのだけど、そういうあたりで生きてるので、
こんな人が、一般就労なんて、ちっとも向かない。
と、書くと、「仕事の話し?」になっちゃうけど、もっと、なんていうか。

結果的に評価される立ち位置にいる人になってるかどうか、だよね、と思う。

振り込め詐欺は犯罪だと言うが、詐欺の定義が、意外と説明できない。
では、手品は詐欺か、それが仕掛けがあるとわかってるかどうか、の差だとする。
しかし、男女の不倫関係ですが、正妻はそれを知らなかったとする。
知らなければ、不倫は成立して、何も問題がない、という理論になってしまう。
それを「その通り、気づかなければ不貞でも犯罪でもない」と言うのなら、
不倫相手の女は、その男に正妻がいる事を知ってる上でなら、
「わかっていて、やっている」のであるから、それは、前提によって論理崩壊しているわけだ。
しかし、振り込め詐欺は、詐欺なのだけど、詐欺ではない、というシミュレーションも可能。
本当に親心で、自分の子供を案じて、お金を振り込んだとするなら、
その対象が、実の息子か、偽りの息子か、だけの差であり、
結果的に、自分の貯金から、お金がなくなる事には、納得して振り込んでいるという、
その行為は、成立、完結しており、なくなったお金という事実は一緒というシミュレーション。
それが自分の子供だったら、共有財産なので、全く意味が違う、という見方もできるが、
しかし、通貨の滞留しかり、お金を使いたくてしょうがない、
若く、動ける人たちにお金がなく、すっかり体が動かないけど、
年相応の年功序列でお金は溜め込んだけど、70歳過ぎてフェラーリが似合うか、
ランボルギーニが似合うか、また、それを操縦するスキルがあるかもある。


俺は、何かを考えるのは苦手。
俺は、何も考えないのも苦手。

俺は、誰かがきっかけを作ったものに、価値観見出し、
それを具現化したい、と思うものの、肝心の能力がないので、
「理想と現実」という、月並みなカテゴリーで終わらせられてしまう、ものの、
しかし、それを言われる人たちは、ならば、現実に生きられるものだが、
そっちに器用に立ち回りができない、人とうまくやれない、そこに自分は価値もなく、
最小限の知人で十分で。

人口爆発、食糧問題、かと思ったら、少子化問題ですか、というか、
国力どうこう、人間の数なのかよ、とか、そんな事をブツブツ考えながら、
単純労働するために、自分の時間を使いたくないし、何か違うというのは、
だから、仕事って、結果的にお金の関与するかどうかの差なのか、とか。
何かの活動、脳内のみにしても、思想家、なんて人は、考えてるだけで、
それが共感されたらお金になったり、しかし、それが目的の人じゃ、それは詐欺であり、
どうにか具現化したいことが多々あるものの、能力もない。
努力は、努力でしかない、比例もしないし、比例する事もあるし、
できる事、できない事、できる事が、やりたい事ではないし、
「あなた、フォークリフトとか、調理師の免許とか、いろいろもってる」
と精神科の先生に言われたが、
「それは、その時点での職場では、その有資格者が評価の対象だったので、
その中、においての優位性の確保が目的で、やりたくて、やってたわけじゃないです。」

そして、
「そりぁあ、みんな、自分がやりたい事ばかりやってるかといったら違うやろ。」

そして、昨晩、そんな話を愚痴気味にみかんに話してて、自分の発言にハッとした。
「みんな、やりたい事ばっかりやってるわけじゃないって言うんだぜ。
それをさぁ、だったらその会社の社長とか経営者とか上司に言えるのか?
“自分は、この仕事(本来は、なんらかの生物的な活動程度なのだよ)”、
好きでやってるわけではないです、しかし、働かないと食べていけないので、
モチベーションも低いし、創意工夫もできないですけど、
仕事をしてないと、世間的な評価が低くなるので、そんな状態を作り上げてるだけなので。」
って人と、一緒に、熱い思いの人たちと、何かを成し遂げる共通認識もてますかっ、って。

やりたい事ばかりが仕事じゃない→【やりたくないけどやってる】でしょ?
それ楽しいの?
違うね、やりたくないけどやってる人は、そこに、実は隠してる快楽がある。
俺は知ってる。
本当にやりたくないなら、辞めるのが正解だ、やりたくないのにやってもらったら、
雇い主も、気持ちのいいものじゃなかろうよ。
自分のいやすい場所づくりの、人間関係にせっせっと、仕事じゃなくて、
そっちが目的の人は、しかしそれでも仕事してるという評価は、仕事らしい事に対しての
評価が保証されている。

やっぱりなんかうまく言えないまま終わる。
想像と破壊がどうのとか、
「昔ながらの猟」とか言いながら、ライフル銃は、
絶対にヨソのグローバル的な文明の恩恵を利用させてもらってて、
アンタら、自分たちでそれら設計、構造計算、達成したわけじゃなく、
それを利用させてもらってるのだろ、とか、うまく言えない。
 

(承前)理由=「結果」。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 1月21日(土)09時49分5秒
返信・引用
  物事の本質は、その【前提】にこそある。

理由と結果は、イコールである。
しかも、矛盾なく説明が可能である。

し・か・し、その理由、つまり、【前提】が、物事の本質である。
それが理解できない人、気づいてない人が、
「矛盾がないので、説得力がある、合理性がある。」
と、さも、賢(かしこ)く、評価してしまうのである。

説得力がある、合理性がある、の「理由」が、“矛盾がない”、との事ですが、
矛盾とは、筋道さえ通れば、それが結果として説明がついてしまうので、
矛盾があるかどうかは、結果の検証の、ひとつの要素でしかない。

俺はバカなので、物事は、難解になりだしたら、
誰かがウソをついているか、間違っている、のではないか、と考える。
真実は、ひとつしかないのなら、物事が難解になる時点で、何かがおかしいのである。
しかし、世の中は複雑、それが世の中、を理由にして、難解さを正当化するのは、
それを簡単に考えてみる思想、、、というと胡散臭いので、『思考』が欠落している。

理由=結果。
では、その理由とは、純粋無垢な理由なのだろうか?
理由は、理由だろ、それ以上でもそれ以下でもない、
(※これも何度も書いてますが、以上でも以下でもないなら、それ自体を否定してしまってます。
数直線のボリュームで考えれば簡単にわかる。例えばボリューム1として、
1以上でも1以下でもない、と言ったとたん、1でもなけば、1でもない、と言ってるので、
それは1ですらない事になる。)
物事には、必ず、時間の概念が流れています。

何かの理由によって、その結果がもたらされたのなら、
その理由とは、時系列をたどってきた、結果の事だからです。
例えば、いちにちの始まりは、AM0時、なわけですが、それは、
前日の終わりもまた、AM0時なのです。
終わりを結果、とした場合、始まりと終わりは、同じ事を言っているのです。
だから、1月1日から、12月31日で1年間ではなく、翌年の1月1日が始まる、
その時点こそが、前年の終わった時点と同じ時点を指し示しているのです。
「お前は屁理屈だ」と、この、何度も書いてる話しをしても、伝わらない。
じゃあ、1日間は、23時59分59秒と、コンマ9999....までなんですか?
どこまで9を小さくしても、満1日間には足りなくなってしまう。
これは、うるう秒どうこうの、小難しい話をしてるのではなく、
極々簡単な、論理矛盾の指摘である。

簡単な割り算で、割り切れない計算式は簡単に発生する。
しかし、割り切れない、という事が答えとして「正解」でマルを貰えたりする。
有名な、円周率の3.14159…、PCで計算させて1兆桁まで到達しても、まだ割り切れないそうで。
それって、誤差を抱えたままであり、そのものを言い表せていないのであり、
すると、その計算の仕方自体を疑ってみるであるとか。
だいたい学校の先生が算数を教えてくれる時に、三角形、四角形、五角形、六角形、
と、角の数が無限になると、最終的には円になる、と説明するけれど、
正確には、『円に非常に似た、多角形』なのであり、
月並みな言葉で言うなら、【似て非なるもの】である。
コンパスなら一瞬で描ける円、これを定規で無限多角形で、
コンパスと同じ精度で円を描け、と言われてるのと同じ事になる。
そこまでしても、それは角がある限り、円、足りえない。
せいぜい、六角形が妥協される図形だと思われる。
ハチの巣が六角形な理由は、それが最も効率がいい図形だからと思われる。
円、とは、最終形態であるが、最終形態同士では、何かが違う。
真実が複数存在する事になるようなもの。


(承前)理由=結果。
つまり、理由は、いきなり理由ではなく、その前にも時間が存在し、
それを俺は【前提】と言っている。
ある前提では、矛盾なく説明ができていても、
正しい前提によって、その矛盾なき理論は崩壊する、簡単に、
そもそもそれ、間違ってる、という事になるのだが、
この前提、時間の概念、どうにも、すっ飛ばしている人が多いと感じる日々。
 

そういう事じゃない。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2017年 1月18日(水)15時05分48秒
返信・引用
  もし、世の中に「安楽死」を考えた事がない人がいるなら、それは問題ではない。

問題なのは、安楽死、という事ではなく、何かを考えてみる事だ。
読書が大好き、教わりたがり、教えたがり、な人たちは、知識が先で、
それに沿っているかどうかの自己照合を頭の中で解析しているにすぎず、
それは、考える、という作業ではなく、保守的な前例主義であり、
ただの脳内での事務作業である。

何度も書いてる事だけれど、自然の摂理である「作用・反作用」は表裏一体。
つまり、応用的に言うと、何かを否定すると、自分を否定する事になる。
基本的に言うと、何を否定すると、自己肯定されるのだが、それは
何かを否定した論理と全く同じ論理によって、自分を否定してしまう事になる。
手っ取り早い直近の時事ニュースで言うと、
「アベは言う事を聞け」というデモがあったようですが、その自己論理によって、
自己否定になる。
『誰かにいう事を聞け、という論理が肯定されるならば、
自身が何を言われた時には、いう事をきかないといけなくなるけど、
それは、なされているのか、なされていないのか、理論でなく、理由でなく、
“言う事を聞け”が主目的であるなら、それは理論でも論理でもない、中身のない、
やりかた、だけの話しで、言ったとたんに自己崩壊されるべき、しかし多くは、
自分を信じる事が強い人間だと思い込んでいる。』

いつも言っている事だが、俺は全体的な話しをしている。

仕事ってなんだろう、とつくづく思う。
ボランティアと仕事の違い、家事育児と仕事の違い、例えば、
家事育児でいうなら、それの代行業は仕事として成立しているけど、
外注しなければ仕事と見なされなかったりする。
「人に頼むとお金がかかる」のなら、自主的にやっている事はお金が発生しないのか?
そんなロジックで、それが仕事であるか、仕事とはみなされないか、ではないだろう。
そういう事じゃなく、「仕組み」の抽出に問題は隠れている。

資産家、投資家、は、お金を動かすだけで、利益が発生する。
不労収入、という言い方をする人もいるけど、草むしりは重労働です、意外と、
しかし、その対価、またはその仕事内容としての評価、かんばしいものが、想像できるかい?
いかに土を落として、根っこだけ綺麗に草を抜く、という卓越した技術を駆使しても、
そこは評価されない作業だったら、上辺だけを草刈り機で済ませたら、それでいい話だったり。

う~~ん、わかりにくいかな、俺が全体的な話し、といってる意味。

ついさっきも、お昼のニュースで、まぁた、やってた、
親の貧困と、子供の学力が比例する、6割が新しい服を買ってあげられないだの、
習い事に通わせられないだの、…こういう論理って、プロパガンダなのか、
本気でバカなのに、ものすごく自己納得感があって、外に向けても提供しちゃうのか、
データ、統計は、「それ」でしかなく、その理由や中身の事は、【考える頭】【センス】だ。
わかり易い例でいうと、ものすごく交通量が多い道路にコンビニを作れば、
多くの人の目につくところに店舗があるので、収入が確定的、かというと、
その道路は、ただ、通り過ぎたいために利用される事が多い道路なら、
そんなコンビニに寄ってる時間のロスより、先に進む事が優先されてしまうので、
しばしば、その後、潰れてるコンビニは沢山見ている。
つい先日も、東大阪市が、自身の市の人口減少を食い止めるべく、
市内の公共施設のあり方を外注する、プロフェッショナル仕事の流儀、という番組してたけど、
それはシムシティーのような、ポピュラスのような、人の動き、流れ、の、
上から目線の、やれ交流の場だ、やれ温泉施設が、やれ実は水が綺麗だ、やれ実は歴史が、
そんな事のために、人間って、動いてなくて、よく聞く「震災復興」みたいな、
復興ってなんだよ、時間は一方向であり、再び、とは、あり得ない、
その先に似たような事が未来にあった、と、さらに未来で評価されるようなものである。

仕事と自動、計算について。
仕事が機械によって自動化されると、職場が、働き口が減る、という理論、
それの何が問題なのか、「お金が稼げない」のが問題なら、
仕事しなくても、お金が入ってくれば問題は解決、という事になるよね?
「働く=収入」という事のロジックの囚人になっていると、
「あの人は、苦労してない」「あの人は、努力してない」それらは、
『自分はこんなに頑張ってる。あなたの苦労なんて、私に比べたら生ぬるい。』
なので、その境遇と見合わないと、人を評価できない人間が、
頑張る事と結果を連結させていて、まんまと、資産家から
「せいぜい、私たちのために働いてくれたまえ、なんかワーワー努力だ苦労だ
やりたくないけど、生活のために仕事だ、やってくれてるけど、
そうじゃない人まで、苦労と苦痛と努力を正義にして、巻き込んでるけど、
キミら、勝手に騒いで動いてくれるおもちゃにしか見えてないから。」とか。

ひとつ、親の収入と子供の学力がどうこう、一理ある、という単語ではなく、
一理ある、という単語は、正確性があるものの、責任が伴わない、無責任な承認行為だと思う。
なので、「ひとつの事例として」と言い換えるべき。

みかんは、大学受験に際して、夜の22時には就寝してたそうである。
俺はその話を聞いて、「それでよかったんだよな」と心底思いました。
俺が高校受験の時は、「誰々クンは、毎晩1時過ぎまで勉強してるって」と言われたり、
試しに自分も夜の0時まで、なんだかわからないけど、目的が時間の勉強みたいな事して、
0時になったので就寝したら、翌日、眠くて眠くて、授業なんて頭に入ってこないし、
…そう、最近、プラック企業だの、いかに長時間労働してる人が偉いか、
努力してる人が偉いか、これは別に最近じゃなくて、結果的に長時間になるのは、
好きでやってる事じゃなければ、社会構造の囚人になりたがりの、
現状を疑わないで苦しむのに徹してしまうというか。
俺も20代前半の頃、「奥村君、キミは若いので残業して稼ぐんだ。
俺も若い頃、人より沢山残業して、しこたま稼いでた、今はそんな無茶できないけど。」
などと、同じ職場のオッサン従業員からアドバイスめいた事を言われたが、
俺はといえば、なぜに定時になったのに、とっとと帰る準備をしない人たちばかりなのか、
俺は家に帰って好きな事したい、ここには参加してるだけで、
その他の自分の時間を、ここのコミュニティー(ここでしか通用しない社則等)は、
他の時間を優先させない権利は、ないように思うどころか、
そのコミュニティーが好きでしてる人と、それは参加事項のひとつである人と、
「そんなに休みたいなら休んで構わないが、辞めたいなら辞めてもいいが、
お金がもらえるから、そのキミの言う、好きな事ができる、という順番も理解しておけ。」
という理論を言われるけれど、その論理を平然と振りかざせる理由は、
ココこそが、人生のすべて、というか、仕事をして、お金を稼いでいるから、
それを奪われたらつらかろう、という視点というか、
「いえ、別に、貯金に少しは余裕あるんで、ガツガツとか、カツカツ感で
言われても、何も動じないですけど。ここがお前の人生の屋台骨のように言われても。」

…なんていうか、うまく伝わる人と伝わらない人がいる。
仕事をするからお金が稼げる、のならば、
賭け事は遊びじゃなくて、仕事である。
損ばかりする人もいるが、そんな人は仕事してないかというと、仕事してる上で、
損しているわけである。
仕事しているのに、お金が稼げないのは仕事ではない、というのは、それこそ、
随分と生ぬるいロジックじゃないかね。
何かの工場を立ち上げようと、設備投資したけど、事業に失敗、
これ、仕事してないという評価になるのかね。
仕事をしたうえで、失敗する事もある。
「結果がすべて。それでお金に、モノにできなかったのなら、仕事としては評価されない。」
ならば、「あれはボランティアでした」と言い返されたら、とたんに崇高な評価になるのか?
さらに、プログラミングによって、PCに自動売買をさせる、
いわば、自分が主体的に動かなくてもPCに自動計算させて、
株の一括購入であったり、馬券の大量購入であったり、
馬券のほうは、裁判で、ハズレ馬券が「必要経費」として認定・確定した。

どうもうまく言えない、このモヤモヤしてる部分、
要するに、いくつかの価値観というか、正確には価値観ではなくて、
事実として、感化上論が、仕事とは何か、苦労しないと仕事と認めない感じとか、
全体的に見られない狭義のロジックに長けた連中が、正論を振りかざして野蛮であったり。

俺は一時期、1年間だけ経理専門学校に通ってた事がある。
全く無駄であった。
確か、80万円以上、親には支払わせてしまった。
俺はほとんど通学せず、授業の内容もチンプンカンプンで、
朝は通ったふりして、親の出勤を見計らって、Uターンして家に勝手口から入って、
部屋で途方に暮れてたり、何か日々感じてる違和感のようなもの、
話せる人もおらず、今は思ってる事をこうして掲示板で発信できたり、だけど。
あ、ちなみにツイッターみたいな、昭和な言葉でいうと、ニヒルな感じの一言残すあれ、
冷めた目で世の中を見られてる自分格好いい、的な国民総評論家気質な感じ、
そんなに中身があるものばかりなのか、と。

親の収入と、子供の学歴、ね?関連性というか、本質はそこじゃない。
俺の同級生で、俺からみても、うだつがあがらない人がいたが、
その両親は地元で有名なスーパーの経営者で、お金持ちである。
父親は外車、母親はスポーツカー、俺はそこでバイトしてた事があるが、
クリスマスケーキを強制的に買うしきたりがあったようで、
「買わなくてもいいけど、よくない事にはなると思う。」と、
今でいうブラック企業感なんて、ちゃんとありましたけど、
そういうわけで、親はお金持ちですが、その子供はてんでバカなので、
お金さえあれば入学できる、私立高校に、その同級生は通ってました。
俺の感覚で言うと、私立に通うのは、医者の息子とか、何かの経営者とか、
一流企業であるとか、田舎の何々工務店の息子であるとか、
個人商店でも、なかなか儲けている方とか、そういう特殊な人たちだと思っていた。

何が言いたいのかというと、かなり端折るけど、
「お金がなくて塾や習い事に通わせられないので、学力が低い。」のではなく、
これは、俺が中学時代の客観的な統計ですけど、IQが遺伝しやすい、というもの。
こっちの方が、よほど説得力があるのである、親が貧困だと子供の学歴も低い、という
お金持ちでもバカな息子はパカなんですけど、という事例がしこたまある事実をみてきても。
つまり、収入換算でなく、親のIQが高ければ、子供IQも相対的にベースアップされやすく、
お金に限って、それを稼ぐ仕組みづくりに参画(狭義で言うなら就労・社会参加)
していない、というだけであって、さらにいうなら、学校に通ってるいる人が、
なぜに塾にまで通わねばならないのか、学校じゃ足りないなら、学校って役割果たしてなくて、
参考書っていうのも、当時からよくわかってなくて、教科書の教え方がダメなら、
参考書だけで勉強すればいいし、学校に通う必要性もない、
お金を払うのは、人にお願い(学費として教員に)してるからで、
独学できる事は、独学の方が、教科書代だけで済むのであり、教わるよりも、安い。
実際、俺も、その経理専門学校に80万円も払ってもらったけど、
実際に通学したのは、三か月、いったかどうか。
親には内緒ですが。
しかし、わからんのは、その経理学校にきてた女子2人、商業高校出身だという。
おいおい、3年間も経理専門の高校にいってて、商業簿記の資格ひとつもないって…。
だから、そういうことなのよ、設定される時間じゃない、年月じゃない、
結果的にそれだけ要した時間、ということでしかない。
結局、自分は、大型書店に、インテリ本と、インテリな人たちに隠れるように、
バカでもわかりそうな、ものすごく、ものすごく、ひらたく書かれている簿記の参考書を
2,000円ほどで購入し、それを自宅で独学して、それでひとつの資格をとった。
80万円なんて要らなくて、2,000円で合格、あと電卓代。

大学も高校も、俺は、その先の目的をもった人たちがいくべきと考えます。
俺は、「今の時代、みんな高校に進学してるのに、ひとりだけ行かないとか、バカが」
と、行く事が目的にされて、普通科に進学したものの、
中学の勉強がよく理解できてないのに、好きでやってた勉強でもないので、
やはり、その上の概念を学ぶ、高校、というところの教科書は、
自分には基礎ができなさすぎて、進学が目的化されてしまった事で、
「ついていけない。学校辞めたい。友達いない。」と親に訴えても、
世間体があり、それを許されず、じゃあガッツのある人は、家を飛び出して、
上京してバイトしながら、夢に向かって~、みたいなサクセスストーリー、
な人じゃなく、極々、普通に、モヤモヤと、世の中や自分のあり方を考えてるだけで、
人と接するのも苦手で、わきまえていたり、なので、慣れるとか、そういう人たちとも違い、
そういう話しを沢山したし、大喧嘩になったりしても、わがまま、今の自分に逃げてるだの、
「そうじゃないというなら、何をしたいのか言って見ろ。」と返されると、
それがわからなくて、
仮にモヤモヤしたものがあっても、それが実現するには、自分の能力に問題があったり、
だったら、普通に進学・就職するのが一番楽、しかし、普通が一番大変、
みたいな、一連テンプレートを何度も何度も何度も何度も、話しができる人がいなかった。

人間は、楽をするべき。

これは、理由がある。
人間は、単純労働によっては、幸せになれないと、思うからである。
誰が、荷物の仕分け、弁当の箱詰め、ネジを延々と一日中同じ場所で作り続ける、
そこで「仕事って楽しい」って、よほど酔狂だろうがよ、おい、ザケンなっつーの。
「それでも、仕事してお金がもらえるのはありがたい。」
だから、それで言うと、仕事しないでお金がもらえるなら、その仕事する意味はないでしょ?
その仕事をしたくて、して、それでお金が貰える、これは時間の概念の話しで、
何々するからお金、ではなく、時給という、日給という、月給という、年収という、
中身でなく、時間によって発生する対価なので、「給料泥棒」と経営者は、
脳無し社員を罵倒するけれど、やりたくないけど、参加してる人は、
こんな事言われても、まだしがみつくのは、苦労や労働時間で評価される仕組みの囚人で、
考え方を変えるべき。

同一労働、同一賃金、という概念も、破綻している。
要するに「雇用契約」の事なのであり、
そこの正社員になれないならば、他の正社員枠をさがすのがヨロシ。
「その仕事が好きだ。でも契約社員かアルバイトでしかその仕事に携われない。」
事が、自分の不幸であると考えるのならば、なんで正社員になれないのか、
そこは考えてみないのだろうか?
「正社員にいったんしてしまうと、日本はなかなか辞めさせにくい構造がある。」
までわかっているなら、経営的に、利便性のいい、自分であまり考えない、
言われた事をこなして、場の空気を読んで、気に入られる立ち居振る舞いをする人を
正社員にしたがるに決まっているので、
…と、いう事は、正社員とは、まっったく、別に、なんにも、
「精鋭部隊」って事ばかりじゃないだろ、と。
正社員という立場が目的化して、理論を感情的に攪乱するのは、
「保育園落ちた 日本死ね」と何が違うのかね。
むしろ、その保育園落ちた、という理由がほぼ語られていないのは、プロパガンダ感が強い。
低収入世帯を、優先的に受け入れていた施設らしい事が、あまり語られていない。
その落ちた母親は一般水準より所得があるらしい事は、その人のブログで判明しているらしく。
なんだったら、ベビーシッターを自宅で雇った方がリアリティーのある選択肢だったはず。
何かの失敗は、選択のセンスのなさを棚にあげて、中身を問われないのは、いい加減にしろよ。

車を運転するのは楽しい。
しかし、車の自動運転技術が今後発展すれば、自分は車に乗ってるだけで、
事故に遭う事も、起こす事もなく、目的地にドア to ドアで運んでくれる、小回りの利く、
便利な道具になるだろう。
すると、自分で運転しない事で、車を運転する楽しみが減るかというと、
俺が何を言ってるのか、よくわからないと思われるだろうが、それでも書いてみる。
昔、ファミコンのシューティングゲームで「連射」という技術を駆使して、
ゲームをしていた事がある。
1秒間に何発弾を発射できるか、指先を痙攣させるように連射してたものだ。
しかし、それほどの弾数を要求される場面になると、自分の機体を動かすのが、
“おろそか”になってたものだ。
それで、自動連射機能のついたゲームパッドでやってみたところ、
「自分で打たないボタンでゲームするなんて、軟弱者がする事だ」と思ってたら、
全く逆で、自動連射してもらえる分、自分は、機体の操作に集中できるようになって、
より、同じゲームを楽しめるようになった。
これは、車のミッションで、マニュアル車か、オートマ車か、の論争にも似てる。
俺は、マニュアル車を運転する人たちを格好いいと思う反面、
マニュアル車は、所詮、それが目的のために車が開発されたものでなく、
技術のない時代の部品であり、事実、プロドライバーがレース中に、
「シフトミスしたー」という場面を何度も見ており、それは一秒を争うレースでは
致命的である、どれだけ練習しても、シフトミスしてしまうのがマニュアル車だし、
さらに、人同士の競争とは、何を競ったらいいのか、という事も然り。
アイルトン・セナは、その保守的な思考によって殺された被害者と言える。
F1レースは、人間の技量を争うものだから、安全装置で守られるのでは、競技ではない、と、
当時、導入の進んでいた「ABS」を禁止されていたレースで亡くなってしまった。
人の技量を競う、というが、技量は、目的でなくて、手段である。
ほんのコンマ数秒のブレーキの遅れ、ブレーキの強さ、どういうハンドル、
それら、人任せというのは、何か、とてもアナログというか…。
この場面では、物理的に計算して、どう操作するのが最も車を速くコーナーから
安全に脱出できるか、が、個々人の技量にゆだねられたら、
いつか、とても怖い日が来ると思う。
俺は自転車に乗っていた時に、ギアチェンジをする作業が鬱陶しかった。
さらに、2本の足でこぐので、漕ぎきった地面と垂直の片足は、完全に「死点」になり、
後からくる、慣性によって、もう片方の足がペダルを踏み込めるにすぎないので、
なんともこの構造的な問題が嫌でして。
ちなみに、マニュアル車万歳な人たちに聞きたいのが戦闘機です。
テイクオフまでに、マニュアルで加速したら、何速使うのやら。
それを数秒以内にですわ。
さらに、自分で操縦してこそだ、ならば、操舵をしながら、
敵を補足するのは、一人二役、そんな事できないから、それを、
もう一人、後ろに乗ってもらって、撃墜に徹してもらったり、
機械によって、自動で補足してもらう事で、操縦に集中できるわけで。
ピアノを両手で演奏できる人ばかりじゃないし、そもそも楽器の演奏も譜面も読めなくても、
メロディーのセンスがあれば、作曲ができるなら、よほど、教わるのに長けた人たちよりも、
演奏は上手で概念も習熟してても、作曲させたら全然心に来ない、とか。

「結局、あなたは何を言いたいの」がオチなら、それは、そういうことで。
しかし、何かを言いたがってる、しかも、それがダサいものじゃなさそうだ、
が伝われば、そんな人たちで十分。
俺は、自分がよくわかってないので、助かりたい人。
 

また書く。(安楽死)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年12月15日(木)21時59分36秒
返信・引用
  難しくて書けない。
今帰ったばかり。

みかんちの犬が今日死んだ。
安楽死で死んだ。
立ち会ってきた。

安らかに、死ぬ、殺す、そこらがよくわからない。
淡々と来てたはずが、ものすごく泣いた。
トレーナー着てたけど、ぐしょ濡れになった、ティッシュもらうのもおこがましい、
勝手に自分で泣いてる自分の問題。

責任って、なんだろう、それもすごく難しいまま。
犬に限らずだろうが、よほどでないと、苦しい状態を見せない。
安易に見せたら、この人間社会と同様、真っ先に狙われる。
だから、何もないそぶりをする。
だけど、それも限界で、その場を動けず、せめて目の届きにい角に隠れて、
いつも口で息をする犬が、鼻で息をしてる。

たまに見にいく俺は、たまに未満で散歩に連れて行った。
だから、感傷的に書いてるつもりはない。
責任が難しい。
これが山奥で飼っている犬なら、何か考えられる事もあったろうけど、
住宅地にみかんちはあり、我慢の限界で、聞いた事のない声で、数キロ離れたところまで
鳴き声が聞こえる、隣近所には尚更で、疲れ切ってるのは、犬も、飼ってるみかんちの親も。
だから、たまに見にいく俺が感傷的になるのは、筋違いだから、
頑張っていたのだけど、嗚咽を漏らしてしまったのは、ものすごく生意気で、
薬を投与してからも、犬をさするのは、違うと思った。
悲しさと、怒りがこみあげてきた。

診察台からはみ出ている脚が、誰にもきづいてもらえてない。
ベッドに自分の体を置いて、手足をだしてたら、それだけで負担。
俺ごときがいうのは違うけど、大風邪をひいた時に、
ただただ苦しさとしんどさに耐えるしかない無力な時、くやしいけど、
耐える以外に、何も抗う術もみつからない時、やられるがまま、
何も言い返せない時、無力に自分が凌辱されている客観視ができているまま、
生き殺しされてる自分を知っている時、それをわかっていて、どうにもならない時、
犬の顔をみて、くやしくて仕方がなかった。

安楽死の薬も効かない。
思った通り、生きられたけど、強制的に、殺す事にしたのだ。
飲まず食わずになってて、せめて牛乳をと思って、
この病院に連れてくる前に、俺がお願いして、
そしたら、食いしばってた口をあけて、なんとか飲もうとしていた。

よくわからない。
考えすぎて、何も考えも浮かばない、バカな自分は、
感傷的になってる奴とは違う事だけは確認できて、救われている自分。
あいつらは、それを暴力的に利用するから。
 

俵○智 の能書きを論破してみる。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年12月11日(日)13時23分18秒
返信・引用
  今年の新語流行語大賞の選考委員の俵○智(ウチの母が愛読してた「サラダ記○日」の著者)が、
『保育園落ちた 日本死ね』を選出した事で批判を受けてる事についてコメントを出していて、

> 「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、
> ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。
> 世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。
> お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、
> 日本という国も日本語も、心から愛しています。」

(※K国企業系、まとめサイトより引用)

…俺の今回の書き込みは、この一文に目を通して、
「世の中には、教わるのが上手でも、自分で考えるのがダメな人が、
教わったボキャブラリーの、それっぽい単語の羅列に順接を組み合わせるだけで
“さも”“問題の本質を言ってる”ような、頭のよさげな事が、
その語彙数によって霞をかける事ができて、しかも、その内容を疑われもせず
評価される人が後を絶たないものだな。」と。

そもそも論、コレ重要でしょ?
そもそも、『流行語』って何?を考えたら、その選考委員だかに選ばれてる時点で
「流行語に大賞っておかしくないですか?」と、その存在自体を批判できるはずである。

例えば、NHKの紅白歌合戦は、80%以上の視聴率を獲得してた時代があった。
答えは想像するまでもない、娯楽として、TV試聴が優先された時代なら、
その時間、その場所に、人々が集い、それを「共有」できたわけである。
しかし今の時代、その時間、何をして過ごしていたかは、ものすごく多様であり、
セッ〇ス、オナニー、TV(チャンネルも衛星放送も)、ラジオ、音楽、映画、Blu-ray(DVD)、
SNS、サイト閲覧、受験勉強、おかず作り、研究、ゲーム(しかも端末からPCから
タイトルが違えば無数に存在する。ゲームしてた、と言っても、
何のゲームをしてたかの話題を翌日に共有できる確率は絶望的だったり、
翌日まで待たずとも瞬時にSNSやメールや電話で話しはできたり。)
コンビニぶらつき、ドライブ中、仕事中、犯罪中、悪だくみ中………等々、
話題の共有は皆無に等しい。

何が言いたいのかというと、
「流行とは、一過性の注目事項であるし、しかし、「どこで?」を
考えた時、上記にように、時間は共有できるが、何を、どこで、は
全く次元の異なる状況にあり、世相を反映、に主眼を置くのが目的であるなら、
流行ではないもの、つまり、【何も変わってない事項】を、
多数列挙すべきであり、しかも、優先順位というのは、“ナンセンス”である。
理由は、例えば、誰かにとってはどうでもいい事でも、他の人にはそれこそが
本質だったりするからだ。」と。

例えば、毎年、自殺者がいる、これは毎年選出されるべき「何も変わってない事項」である。
交通事故者数も、子供にとっての両親の不仲も、親子関係も、友達関係も、
平和を望む声(究極の平和とは、何もしない事である)、
事を荒立てずになかった事にする動きも、被害者感情かと思ったら上辺だけで共感する動きや、
被害者かと思ったら狂言だったり、さらされた被告の名前は、自称被害者のせいだったり、
為替の話し、介護保険、年金、自動車税、社会問題だけでなく、
CO2削減の根拠が示されず、地球にやさしい、という、やさしいかどうかを、
地球に聞いてなくて、擬人化させた「やさしい」なんて単語で本質を言わなかったり、…等々。

…とにかく、俵○智のコメントが、本気の頭で言ってるのだとしたら、
むしろ、この単語が候補じゃないのが不思議でならないのだけれど、
【ブーメラン】ではないのかな?
俺は、しばしば掲示板で書いてる事だけど、何かが一方的な事は稀で、
そのほとんどは、作用・反作用の、摂理によって物事が存在しており、
何度も言うけど、ここに光がある、と認識できるためには、影の存在が必要で、
必要だから用意する、のではなく、“そもそも”影が同時並行して存在するから、
それら“認識”された結果、それが光と言われたり、影と言われる、比較対象がある。
体重計に乗って、50kgと表示された人が、簡単に30kgににもできる方法がある。
それは、しゃがむのだ。
俺は、「時間」「時点」の話しをしている。
いったんは逃げた自重も、次に待ってるのは体重計が70kgにもなり得る。
軽くなった分は、揺り戻しで、自重を踏ん張る必要がある。
振り子というか、シーソーというか。

さて、そういう事で、再度、

> 「『死ね』が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、
> ハチの一刺しのように効いて、待機児童問題の深刻さを投げかけた。
> 世の中を動かした。そこには言葉の力がありました。
> お母さんが、こんな言葉を遣わなくていい社会になってほしいし、
> 日本という国も日本語も、心から愛しています。」

まず、「死ね」がいい言葉と思ってない、との事ですが、
言葉のプロを自称・他称される立場であるなら、言葉は、言葉でしかない事を思い知るべき。
重要なのは、【理論】である。
これは、何度も言うけれど、「時間」の話しであり、平たくいうと、ここでは『経緯』の話し。

俵○智のコメントを理論的に肯定するならば、
先述したとおり、一過性でない社会問題が、毎年、毎年、毎年、やってきているのであり、
「死ね」に、世の中を動かす言葉の力があるのなら、
どうして、自殺者を救えないのだろうか、戦争を終わらせられないのだろうか、
「流行語大賞死ね」と言えば、流行語大賞はなくなるのだろうか、
これを論理のすり替えや、合理性のない説明に頼らず、理論的に反論されたい。
世相をピックアップする事が目的であるなら、優先順位は必要なく、
それは、ひとつのそれ、で十分である。
来年も消えてない問題の方が、よっぽど世相的に重要であることを思い知ろうぜ。
それこそが世相であり、保留されたまま、非現実的な、
言葉遊びに本質はない、経緯であり、理由が本質であり、考える頭が重要。

保育園落ちた 日本死ね が、世の中を動かしたというが、
ものすごく抽象的な回答じゃないの、世の中、とは、無関心だった人たちを
動かした、とでも言うのなら、動かしたって何?なんのこと?

何も感じてない俺は、世の中を構成してない存在、って事を言ってるのかな。
その問題になったツイートは、プロパガンダの要素が色濃く疑われており、
注目された、国会で質問にたった議員の自作自演の可能性もツイートから疑われており、
「保育園落ちたの私だ」とプラカードを掲げてる人たちの素性も公にされてないのに、
理由や経緯に着目しないで、昭和頭で、律儀に「そのまま」を信じているのが信じられない。
国会にはプラカードを持ち込む事が禁じられているけれど、
野党議員がプラカードを持ち込んで「感じ悪いよね」と書かれたものを、
それを言わんとしてる相手は目の前の与党であるのに、
テレビカメラに向けてみんなで持ってる、…と書いて、不感症であるのか、
ナメてんのか、の理由に気づけるのかが人の差なのだろうか。
気づける上で、感じない人と、感じてる上で操作したい人たちと。

待機児童問題というけれど、では、定員内に入れるのが2年後に保証されてたら、
すでに小学生になってても、保育園に入り直すの?そんなバカな事があるわけなく、
では、聞きたいのが、「なんで小学生になってるの?なれてるの?
保育園を経なかった事でのデメリットは?親と過ごせる時間を子供の立場として
デメリットと感じされてたら、その親は正しいのだろうか、
保育園に預けられてる間、そこでしかできない体験、『その場所』だが、
その時間、親といる事もまた、『その時間』でしかできない事であるなら、
これは一般論ですが、なぜか俺の地元の学校の先生の子供は、素行不良が多い、
これは、先生という、人を教える立場でありながら、偉そうに能書きたれても、
てんで自分の子供との信頼関係が結べてない事なのであり、とか、
そもそも保育園なんて単語は存在しないはずで、言葉を言うなら、
「保育所」か「幼稚園」のはずで、そこはいいのかよ、とか、
義務教育って、幼児期からを言ってるのかよ、とか、
親が家庭で言う悪口(正確性があれば問題ないが、ここでは主観的でしかない感情論の事)は、
子供は学校に言って、そういう目でみるものであり、その理由は、
子供は学ぶ経過の段階なので、試してみて、その結果を知りたがるからで、
それが成功体験になると、親が正しいと考え、自分で考えなくても、
自律(「立」じゃなく)的に思考しなくても、そのまんまであり、
反抗期のない子供はヤバく、ない子供は、むしろ隠されてる事を疑ってない事とか、
隠させてる事があるのじゃないか、とか、途中からなんだかわからなくなってきた。」

子供を産み、育てる、誰が?は本質じゃない?

仕事と家庭の両立だの、何か、その思考というか、発想自体、
テンプレート化してて、どうも自分は何々らしい、と宛(あて)がうと、
自分で幸不幸を、社会から教えられたり、評価されたり、
それって、比較したことじゃなく、そういう事にされてる自分、という事ではないか、
と、疑ってみないのかよ、とか。

今日は、日曜討論で、高齢ドライバーに運転免許証の自主返納が議題で、
相変わらずこの討論番組はクソつまらなくて、司会者の高圧的な態度と、
横のサポート役の女も、役に徹してる風で、じつは全乗っかり(批判側に)だったり、
問題提起をする事が格好いいのかい、逆問題提起もしないのかい、
「それ、問題なの?そもそも、何々なら、それで解決だよね?」とか、
前提をいくつか思考した形跡もなく、理論的に問題である、
という、感情論を詭弁で理論的にお化粧して、さも、にしてたり、とか。

ところで、俵○智は、本当にバカなのかなぁ、
「死ね」は汚い言葉と思ってる、って、YES(そう思う)、BUT(でもね?)論法?
そう思う、でも違う、の対象物はイコールでなければならず、
「要は使い方」とでも言うのなら、汚い言葉と思う、は、時に、
正反対の、美しい言葉、にならないと、論理的な整合性がとれないわけだけど、
この指摘、間違ってないよね?
 

論点ずらす人にペナルティーを課す法律作ってよ。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年12月 6日(火)18時18分16秒
返信・引用
  千葉大医学部の男3人が、飲み会の席を設けて、ターゲットの女性に酒を飲ませて、
介抱のフリして輪姦し、今度は自宅に連れ込み、そこでも輪姦。
もう1人、30代の指導的立場の医者だかも同席してた事がわかって、合計4人が逮捕。
「酒を飲んだ勢いでやってしまった」という供述は、早速の予防線。
もう戦う気だな。

これの問題を整理しないとダメでしょ。

エリート大学で、この手の報道がされるたびに逮捕された学生は
実名が報道されていたけど、今回の千葉大医学部に関しては今日まで実名非公開だった。

ひる○びというお昼のワイドショーを今日つけてたら、八〇弁護士が
「多くの皆さんの意見と違うのはわかっている上で、自分の見解を言うと、
被害者は実名報道を望んでいないし、できれば隠したい事。
千葉大の医学生の名前が公表されてなかったという事ですけど、
まだ被疑者の段階であって、裁判で確定してない時点で名前を出してしまって、
もし無罪だった場合の社会的な信用を取り戻すのは大変になる。
報道は、名前を出すのが早すぎると思うんですよ。」

これを受けて、別のコメンテーターが司会者から見解を求められて
「知的な野獣ですよ」と医学生に。

最初の八〇弁護士は、「今まで多くの被害者と話す機会があって、
そのほとんどが実名報道を望んでいない。
今回、千葉県警は公共性の観点から発表したというが、本人たちが望んでない。」

…のような話だったかと思う。
あれ?なんか論点ずらしてるよね?

これの問題は、今まではすぐさま実名報道されたのに、
今回に限っては実名が伏せられていたのか、が問題なのであって、
一部情報では、レイプした犯人が法曹界の御子息であられただの、
在日特権で実名が伏せられたのでは、だの、憶測が出たのは、
「今までは逮捕、即実名報道」だったのに、今回はなぜに名前がでなかったか、
が問題にされてるのに、「実名報道望んでない」は、全く論点として成立しておらず、
作為的な操作をされている。
これは、この弁護士がポンコツなのではなく、見るべき問題点は、
実名によって悲しんでる人がいる、という方向に、注視させるべく、投げかけた、
と思った。

性的被害、恥ずかしい、知られたくない、って事をこの弁護士は代弁したわけだな?
これは、学校が「イジメはなかった」と釈明するのと、何が違うのか、理論的な説明を求む。
なぜなら、イジメは、イジメられる側にとっては屈辱的な出来事であり、
できれば公にしたくない事だったりする、しかし、これを「知られると恥ずかしい」から、
【知ってほしい怒り】と変換する事は、これこそが、福祉(公共性)である。
 

能動と受動、予測と想定外。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年11月30日(水)11時39分12秒
返信・引用
  最近のゲームで、「VR」というものがある。
言葉自体は何十年も前からある
「バ(V)ーチャル リ(R)アリティー(仮想現実)」の事だったりする。

では何が新しいのかと言うと、ゴーグルをつけて、右を向くと、右画面、
下を向くと下画面、まるでその場にいるような体感ができる、というのだが、
これもまた、特段新しくなく、ゴーグルに画面を表示させて、
あたかも大画面でテレビを見るような装置は昔からあったし、
顔に装着という意味では、映像でないなら、「イヤホン」は当たり前に実用化されてる。

…という話しがしたいのじゃなく(いつも本題に入るのに時間がかかる)、
このVRヘッドセットを装着すると「酔い」が発生する事が問題になっている。
原因もわかっていて、『タイムラグ』と「ミスマッチ」である。
後者のミスマッチで言うと、筋トレマシンに、ランニングマシンがあるけれど、
俺が初めて試しに使ってみた時、しばらく「酔い」が発生した。
だって、実際には前に進んでいないのに、延々と前に進むウォーキングなりランニングを、
体的には行っている、そのトレーニングを終えて、リアルな地面に降りたとたん、
なんとも言えない奇妙な感覚で、一歩踏み出す歩調と、目の前の世界にミスマッチが発生し、
歩くよりも早く、目の前の世界が先に逃げていく感覚で、とても気持ちが悪くなった。
小学校の頃に、近所の高校の体育館に忍び込んで、トランポリンで遊んでいた事がある。
その時はなんともなかったのに、翌朝の登校時に、その時の感覚が記憶されていて、
一歩踏み出すと、地面がドスンと、とても重いのである。
弾む事を体が覚えてしまっていたので、歩く自分の体が、あまりに弾まないので、
ドスン…、ドスン…、ドスン…、と、とても歩きにくく、これも「酔い」だ。

………本当にもうっ、これも本題じゃないんです。
【タイムラグ】の方なんです、話したいのは。
「物事に、本当の意味での、能動性など、存在しないのではないか?」という事です。
俺はスマホを持っていないが、みかんのスマホをちょっとイジらせてもらったら、
一文字入力するだけで、いくつか候補が出てくるのである、そう、『予測変換』である。
日本語は、同音異義語が沢山あり、の、「あり」ひとつみても、有り、在り、蟻(アリ)。
PCで文字入力する時の変換候補も、「今書いてるこの文脈からして、
それが第一候補で挙がってくるのはおかしいだろ。」という文字も、堂々と選択肢にくる。
ところで余談ですが、いまだに頭が混乱する同音異義語が、
「かえる」である。
帰る、買える、蛙、飼える、返る、還る、孵る、…ではなく、残りの、
「変える」「代える」「換える」「替える」である。
熟語にすると、お金をかえる時に「両(替)」「(換)金」これならわかる。
両替なら、単位を変えずに、紙幣と硬貨を変える、
換金なら、お金でないものを、同等と思われる評価額で紙幣や硬貨にする、
しかし、理論的に考えると、
「両替したものは、『変わった(物質的に違うもの)』し、『代わった(先ほどと同じ役目)』。」
「換金」したものもまた、同じく、物質的に変わったし、役目として交換されたので代わった。
わかってるのに、よくわからなくなってくる。
「代替」なんて熟語も堂々と存在してるわけで、なんだかな。
「交換」は物に対してする気がする、「交代」は生き物に対してする気がする。
「交代」と「交替」、交代は確定的で、交替は、また替わる可能性を残してる気がする。
じゃあ、「代替」っ何よ?確定なの?不確定なの?さぁ、答えてもらおうか。

(※横道にそれる自分に疲れる)


【やっと、ここから本題。】
先述のVRディスプレイは、予測される人間の可動域は網羅されていて、
その可動域において、どこに動かれても、想定内なわけである。
ところが、想定しているのは、可動域であって、どこに動くかは、
不確定である、つまり、ここでタイムラグが絶対に発生する、
つまり、先ほど触れた予測変換もそうなのだけど、予測される言葉は、
確かに候補に列挙できるけど、どれを選択するかは、想定内でありながら、予測不能。
予測しているけど、予測できない、という状態にある、これは、【連動していない】
事の証明になる。
PCの冷却ファンの設定にも、興味深いものがある。
「アクティブコントロール(積極的に制御する)」と
「パッシブコントロール(温度が上がってから冷やす)」である。
アクティブコントロールは、CPUに何かの計算負荷がかかったと判断すると、
CPU本体の温度が上昇する前に、あらかじめファンの回転数を上げて、
設定温度以上になるのを未然に防ぐのだけど、ここに【時間の概念】が発生する。

アクティブコントロールは、「能動的」な動作でありながら、
実は、“CPUに負荷がかかった事を受けての、受動的な動作にすぎない”という証明である。
何が言いたいのかというと、
【能動的な事は、世の中には存在し得ないのではないか】という事である。
これは、時間の概念を用いると、その時系列によって、説明ができるからである。
原因(理由)と、結果の関係によって、構築されているからだ。

あえて、“真”の意味での能動を言い得るなら、
それは、ニーズ外の動きでこそ、成立しうる、いわば、空回りなり、大きなお世話なり、
望まれてない、または、意味も成さない、それらが、「能動的」と言えるのかもしれない。
先ほどのPCファンのアクティブコントロールもまた、
温度が上昇する前に、ファンの回転数を上げておく、
これは、温度があがってないのに、無駄な電力と送風、空想時間が発生しており、
「準備万端、いつでもこい」という状態は、来なかった時に、全く無駄な動作である。
しかし、能動的と評価できる、無駄な動作だった場合にだけ。
本当に来た時は、来てからの対応になるので、一見能動的と思われるものの、
来てから、という動きでしか目的が達成しない動きなので、それは「受動的」でしかない。

精子と卵子を考えてみる。
(※精子と卵子が世の中に存在する事を受けての受動的思考。
積極的に考えているかのようで、それら思考の材料のおかげで考えるきっかけになった。)
精子は、毎日作られる。
卵子は、ある一定期間しか受け入れる状態にない。
精子は能動的であり、卵子は受動的である。

…と、考えるのは、「時間の概念」がないのであり、
細胞分裂(理由)の結果、精子が作られたという、受動的な賜物である。
卵子の受動性を、能動的と考えるためには、やはり、目的が未達成の時だと思われる。
「準備(能動)してたのに、元気のいい精子が来なかったし。」という言い訳である。


そして俺は、何が言いたいのか、サッパリわからなくなってくるのである。
俺は、床上操作式クレーンの免許を持っており、持っていない人から見ると、
すごくイライラされる場面がある。
「地切り」という操作なのだけど、要するに、クレーンで物を吊り上げる事だ。
何にイライラされるかと言うと、クレーンとフックで、物は引っかけました、
後は吊り上げる、サッサと吊り上げろよ、という状態、しかし、俺はなかなか吊り上げない、
だからイライラの空気をビシビシ感じる。
何をしてるのかというと、クレーンの直下に物が存在してる状態にしないと、
フックで引っかけました→はい、吊り上げます、だと、物が地面から浮いた瞬間に、
いきなり振り子状態で、大事故につながるのである。
だから俺は入念に、クレーンの位置と物の位置を、X軸とY軸をリンクさせるべく、
イライラにストレスを受けつつも、責任を負うのは自分なので、
「あいつ、何をバタバタ走り回ってる、素人かよ。」と思われてるのを察しつつも、
3次元的に、吊り上げの位置確認を自分の目と足でするわけである。
さて、無事に吊り上げって、目的の場所まで物を運びます、目的の場所が近付いてきたので、
移動を停止します。
すると、慣性によって、物は、目的の場所よりも前に行きます、ここでも振り子状態。
それを止める方法が興味深い。
例えば、イヤホンのノイズキャンセリングという技術は、
音楽だけを楽しむために、周囲からくる雑音の波形を打ち消すために、
同等のノイズを外にギリギリ発生させる→結果的に聴きたい音楽の音だけ残りやすくなる。
しかし、クレーンで吊り上げたものを停止させるために、
この「打ち消し」をするとどうなるか、右に物が振れたので、その揺れを打ち消すために、
左にクレーンを動かそうとしてしまう、「右に行くな、左に戻れ、打ち消せ」と。
すると、右に行こうとしてた物は、左にクレーンを動かされたので、
今度は左に大きく振れだし、加速がついて振り子はさらに揺れまくる、
何十トンにもなるコンクリート部材を吊り上げてた作業員が、パニックになってた現場。
揺れを止めたいのに止められない。
これを止めるのは簡単で、クレーンのブレーキをかけたら、進行方向に慣性で物が振れる、
振れだしたと同時に、さらに進行方向にクレーンを動かす。
慣性で動きたかった位置までクレーンを同時に動かす事で、目的の位置で物が安定する。
さて、この物の揺れを止めるためのクレーンの動作は、受動的なのだろうか。
結果が伴ったら、能動的とは言えない、と自分で推論してたわけだけど。
その作業中に俺がインタビューを受けたら、
「今のは、積極的に動きを制御してたので、能動的な操作です。」と答えるに違いない。
「揺れるから、仕方なしに、受動的に、それをせざるを得ないからしてる動作でしょ?」
と言い返されたら、きっと怒る自分がいる。


あはは~ん♪
 

マインドコントローラーたち。

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年11月17日(木)12時53分37秒
返信・引用
  「操作」という言葉を、自分で使うようになったのは、誰も何も指摘しないけど、
【誘導】するように、諭す人たちが、正論かざして、「それしか方法はない」と、
実は、追い詰めている、500年前からのキリシタンの宗教勧誘と同じ手口なわけで、
「~でければ、~になりますよ(それでもいいんですか)。」的な。

日本の、戦後“自虐”史観は、アメリカによるプロパガンダなのだけど、
人間って、「理由と結果」に『納得』があれば、だいたい満足なり、受け入れませんか?
例えば、全然やめない鬱陶しい化粧品のCMは、エスカレートするばかり、
「私たちはお客様の安心のために~」どうこう、
徹底的な品質管理してます、その清潔に努めてる作業着見せてます、
まごころを込めて、丁寧にひとつずつ梱包してます、

【だ・か・ら】→いいものだ。

…理由と結果、なはずなのだけど、理由に納得すると、結果を承認してしまう。
説得力があると、説得内容でなく、動かされる自分を、ひたすら自分で正当化しだす、
最初だけでいいんだ、操作したい人たちにとっての労力は。
後は勝手に自立して動いてくれる。

いきなり例が横道だった。

つまり、自虐史観とは、「~だから(理由)、それも仕方ない(結果)。」
の、一連のテンプレートが、反射的に自動適用されてしまい、反論してみると、
「~だから(理由)、反論していい権利はない(結果と理由をイコールにした思考操作)。」
と、同じ理由と結果で説得される。
これでは無限ループだ。
理由を理論的に指摘しても、理由と結果を同じにされるので、話しができない。

まわりくどいな、俺。
「日本人として恥ずかしい」
「日本人なら、他人に迷惑をかけない」
「日本人は、和を尊(とうと)ぶ」
「日本人は、いざとなったら団結する」
「日本は悪いことをしたので、謝らないといけない」

………ここにワナが潜んでる事、気づきますか?
「日本人」を理由にして、「であるべき」という結果に導いている。
これは、日本人のウィークポイントである、「恥を知る文化」に付け込んだ、
巧妙な全体操作なのですが、これらを言われると、「あぁそうだ、日本人なら。」と、
思い返すように、考え直して、Uターンしてお帰りくださるようになる。

昨今のヘイトスピーチどうこうの話し、特定の民族を差別する言動は禁止される法案が成立。
こんな法案などなくても、すでに「プレスコード(または、War Guilt Information Program)」
の中に「朝鮮人を差別してはならない」と明記されてる。
ここに、「日本人を差別してはならない」とは書かれていない、日本人は、
何を言われても反論してはならない、という仕掛けがある。

つまり、
実は、何事もそうなのですが、使う側にとって都合のいい動きをしてくれるように、
自律的に、一見思考しているかのように錯覚させたり、罪悪感を抱かせる事が、
キッチリとプログラムに仕込んである。

イジメの問題があるわけですが、
イジメる側、イジメられる側、どっちが強いですか?
すでに、イジメられている時点で、イジメられている側が弱いのですが、
しかし、当たり前に必ず出てくる、「操作」が、先述と同じ仕組み。
「イジメられても強くならなくちゃ」「自分だけがつらいんじゃない、もっとつらい人がいる」
「やり返したらダメだ。それじゃ不幸の連鎖になっちゃう。」
「自分にも他人を不快にさせる言動があったから、相手の反応は、自分がした反応の鏡なんだ」
「豆腐メンタルは恥ずかしい」…等々、

でしょ?
…でね?
これらに共通してる事は、【今後も、イジメる側にとって、都合のいい人間が増える】事が、
目的化されるわけね。
今後もイジメたい人たちにとって、すぐに自殺されると困るので、
少~し耐性をつけてもらうと、やりがいがある、完全に自分を圧倒されると困るから、
半殺しで生かし続ける事が、やりがいがある、少し抵抗してくれた方が、
「一方的、ではないな。アナタもやり返せるだけの立場にいたので、
アナタは弱者だ、という言い訳は通用しない。喧嘩の範囲だろ?」
まんまと術中にはまってしまうわけ。
(※論破可能だけど割愛。「理由」だけで十分なのよ。)

世の中、考えたり、悩んでる人たちは、批判やイジメの対象になる。
さっさと結論を言う人たちが、強者、や、信用を得たりする。
科学が信用されてる理由と似ている。
科学は、誰がどうやっても、そうにしかならない理論に基づいた結果の確実性が保証されてる、
だから、信用される。
信用じゃなくて、理論的に用いるのが正解なのだけど、「信じる」という概念でも、
達成可能なので、錯覚してしまうのだ、理由があるのに、信じたから結果が出た、と同じく。
その理由とは、努力でもあるし、努力でない事もある、とした場合、
努力で達成した事例で以って、「努力の賜物」、と断定的に言う人たちが、
これまた、頭のいい人たちだったりするので、なかなか面倒。
6畳用のエアコンで、12畳の部屋はなかなか冷えない、しかし、
頑張る(全開能力+非効率な電気代)と、12畳を冷やせる可能性がある、
それを以って「ホラ、頑張ったからだ、ちゃんと冷やせた。結果が出た。」かと言うと、
たまたま「曇り」だったり、すごく断熱性に優れた建築部材で作られていたり、
つまり、理由は、頑張った、事じゃなく、それら、前提や経緯がベースにあり、
そこで実行したら結果がともなった、のであり、そもそも、
相当な断熱性に優れた建築部材だったら、エアコンも必要ないかもしれない、
エアコンを使う事(同じ土俵)を疑わない、であるとか、
頑張らないと、結果を認めない、という世の中は、逆イジメの構図であり、
頑張って結果を出した人たちが、頑張る事を理由にしているから、
「そんな程度の苦労、私の苦労に比べたら、不幸に比べたら、生ぬるい、甘えた事言うな。」
と、結果の伴わない人を断罪する、理由に正確性を欠いた正論(分析)かざしたり、
逆に結果が伴ってしまってる人たちは、「私ほどの苦労もしてないのに、」と、
…たいそうな事言ってても、なんだ、全部主語は自分じゃん、
それは、月並みな言葉でいうなら、「八つ当たり」というよね、自分との戦いなのに、
他人を巻き込む、社会的な要因で自分の結果が招かれているというなら、
そのプレーヤーになってる時点で、参加意思表明しているのであり、
…などと、こういう指摘もまた、「マインドコントロール」だってりして、ね。


とある記事で、
“「メンタルが強い人」に共通する25の特徴”
として、
01. 相手の気持ちになれる
02. 偏見を持たない、嫉妬しない
03. 知ったかぶりをしない
04. 素直に謝れる
05. 意見を押し付けない
06. 見返りを求めない
07. 媚びを売らな..
.
.
.
以下続く、
…要するに、全く同じなんだよ、ナメやがって、
先述した、イジメる側にとって、都合のいい振る舞いをしてくれる人たちを増やす、
のならば、「自分はダメだ」「なんて自分は弱いんだ」と悩んでる人たちにとって、
このように振る舞うと、いい結果を伴いやすくなる、そう振る舞おう、
……ちょっとでいいから想像してみておくれ、こんな人たちが世の中に沢山いたら、
まぁ、なんと使い勝手のいい人間ばかりでしょうか?
しかも、いちいち指導せずとも、勝手に自分でそう考えて動いてくれるんだよ?

わたしゃ、別に“ニヒリスト”なんじゃないですし、むしろ、
世の中を冷めた目で見てる人たちに、調子に乗りやがってと思ってる人であり。
世の中の違和感とか、危険な感じとか、そういう目線でいる、
勝手に介入される事は、テメーの都合じゃねーかと思うわけで。
自分の都合“だけ”なら、一考されるべきですが、相手は自分の都合だけなら、
こっちが譲歩する理由って、威圧なり数的有利以外、そこに理由は、ないじゃない?


※余談。
最近、どこかのお店に行くだけで、しばしば流れている曲があり、
ちょっといい曲だな、と思って、これだけ流れているのだから、かなり有名なのだろう、と、
「最近 流行 歌」と検索したら、『星野○ “恋”』みたいなのがヒットし、
試聴してみたら、その曲だった。
しかし、その本人の顔やPVを見ると、俺の中のチョ○センサーが反応し、
チョ○なのに、なんで日本人のフリして新垣結衣とキスしてるのか、キスを許してるなよ、と。

くやしいですが、いい曲です、曲は認めます。
しかし、俺が最初に検索したキーワードは違いました。
【光永亮太 新曲】と検索していたのでした。
その理由は、「光永亮太」という人の『Always』という曲を聴けるなら、聴いてほしい。
聞き間違えてたくらい、歌い上げかた(裏声使ったり)や曲調が似ているのである。
さらに、中華なメロディーや音色のパートがあるのですが、
これは、「Bryan Ferry」という人の『東京ジョー(Tokyo Joe)という曲を聴けば、
全然新しい事してる新曲じゃないとわかってもらえると思う。
クソチョ〇が、あたらしぶってんじゃねーぞ、と。
PVに関しては、まんまK-POPの髪型と顔と雰囲気じゃん。
 

質と、量は違う、のならば。(続き)

 投稿者:おくちゃん  投稿日:2016年11月15日(火)14時13分52秒
返信・引用 編集済
  「質量」という単語は正式にある。

質であり、重さである。
であり、である、同じ事である。

しかし、量より質、という言葉は、量と質を明確に区別している。
しかも、両者は全く違うもので比較などできない、を、俺は論破できると思う。

安易な論破は「個を成すもの、構成するものだから、表裏一体だから、区別の対象じゃない。」
と言うのかもしれないけど、俺は、
【比較ができない、という、互いの存在を認めている時点で、
すでに比較しているという矛盾があり、風圧と風量があるのなら、
圧力は、結果としての風量を導くし、風量は、逆算して、なんらかの圧力によって、
その量があらわされているのだから、キミらは、時間・速度・道のり、の
計算を否定しておらず、速度と道のりと時間は、比較できないのじゃなく、
速度、を言い表すためには、速度の基になっているものは、時間と道のりであり、
道のりを言い表すためには、これはボリュームとしての概念で実は十分、
時間も、その存在で十分。
その存在で十分、ということは、それで完結しているので、
なるほど、道のりというボリュームと、時間というボリュームは、
全く違う概念なので、比較のしようがない、キミたちが正解だと思うよ。
…だけど、俺は、「ボリューム」と言ったよ、道のりも時間にも、共通に。
よくわからないや。】

…書きながら、ふと。
「仮定のない人は、正解のみが正解なので、新しい概念が、
多数派によって認められるか、自分で確かめるまで信用しないので、
信用するか信用しないか、の視点に移行してる時点で、
とても受動的な人間であり、頭はいいけど、何かを見つける事は、できなさそうだ。
例えていうなら、反抗期の子供は、仮定・実験をしているのであって、
額面通りの反応を大人がすると、子供ガッカリなのさ。
どこまで困らせたら、何がどうなるのか、試して、社会の加減を自己学習中であり、
だいたい、オトナ、コドモ、って、なんで分けてるのか、
自分はどうしてたのよ、忘れてるだけなら、戦う相手は自分だよね、責めるべきは自分。
並列思考ができない状態は、仮定(想定と言ってもいい)をせず、壁に頭を打ち続ける。
昨今の高齢ドライバーの事故が多いのは、高齢が理由にされてるけど、
認知機能の低下なのであり、認知機能が低下してる人は、理解力が低下しているので、
諭して通じるわけもなく、諭して通じるなら免許の自主返納をしており、
わかった上で必要に迫られてというジレンマを抱えてる状態なら、
ジレンマを解決できない状態では、事故を起こす、信号が赤だから停まらないといけない、
しかし停まっていては時間に間に合わない、ジレンマだ、それでも何かを選択する。
ここに求められるのは、ベター(~より、まし)、である、というのは間違いで、
100点の答え以外は、全部間違いの状態は、やっぱりある。
俺は話しがあちこちで。
飛行機は、墜落する可能性があるのに、戦闘機なら、
パイロットは脱出可能、しかし旅客機は、墜落するがまま、なんで誰も考えないのか、
頭を低くして祈ろう、としか、個々のシートに高度計付きの脱出ボタンを設置して、
パラシュートで助かれる手段が用意されてなくて、堕ちる旅客機と運命を一緒っておかしい。
パラシュートがダメでも、地面すれすれで、自分を覆うエアバッグが高度計で自動で作動し、
命を守れるように、乗客用の落下衝撃用のエアバッグが用意されてないのはよくわからない。
旅客機のパイロットも、脱出用の装置がないのは、乗客残して逃がさないシステムだと思う。
何かがおかしい。
最近、私のパートナーが飛行機に乗る機会がありましたので、常々思っていたことで。」

※反射的でありながら、理由のある行動したいな、と常々思う。
俺はマラソンに価値を見出せない。
瞬発力のある短距離選手に魅力を感じる。
いざと言う時は、瞬発力が必要であり、逆に言えば、
延々とマラソンしている必要もなく、必要な時だけ全出力が出せれば。
元マラソン選手が短距離の全力疾走を番組の企画でやったところ、足がもつれて転倒。
なんてザマだと思った。
俺の弟は長距離の陸上選手であった、俺の父は短距離の選手であった
(俺43歳、子なし。父44歳(俺、中学2年生時点)で他界)、
俺は、なんの選手でもない。
 

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